7月11日 まさに急降下状態での必死の移動 | 今日の一枚を見る |
今日の旅そのものの内容が薄いので今日の一枚がずれてます。記憶のズレとともにまったくもって申し訳ありません。もしガッチリ見ている方がいらっしゃれば、(女性優先で)会ってでも言い訳したいくらいです(^^;; すいません。 さて話を旅行に戻します。 動くのが非常に辛い。出るものはもう全て水になっている。 しかしながらここに長居しても仕方ないので、とりあえずダマスカスまで移動することにして荷物をバックパックに詰め込んで部屋を出る。時間は既に11時、最高に暑くて特に日差しが殺人的になっていく時間だ。 清算時にぼくの顔色に驚いた宿の人が、ぼくの状態を話すと同情したのかビール代をおまけしてくれたが、それほど悲惨な顔色だったのだろう。宿の近くまでセルビスを呼んでくれた。宿の前まで呼ぶとめちゃめちゃ分捕られるので、せめてちょっとは歩いたほうが良いよとのアドバイスだったので5分ほど歩いて倒れこむように乗り込む。 そのセルビスはクラック〜城の前で観光客を待つのだが、午前中ということもあり誰も乗ろうとしない。 ドライバーも痺れを切らしてぼく1人で貸しきるようにけしかけてくるが、いくら体調が悪くてもそんな無駄は決してしない。 だが体調はますます悪化・・・ちょっとずつ値段を下げてくる巧妙な手口で、ついにホムスまで300SP(なんと、往路の12倍の値段)で折れてしまう。弱い男だ。 それでも安心したのか、スタート後すぐに眠りに落ちる。 起こされてホムス。すぐにダマスカス行きのバスに乗り換えて5分と経たずに出発。またまたあっという間に眠りに落ちる。起きていると何もかもダメになりそうでとても恐ろしい。 時々意識が戻るが、精神を「寝よう寝よう」と統一。写真を撮っている余裕などはまったく無い。 ハラスターというダマスカスのバスターミナルに到着。わらわらとタクシーの客引きが集まってくるが、わずらわしいのですぐにドライバーを指差しで指定、一応の交渉を行い、マルジュという市街の中央地区まで150P。高いのか安いのかもうまったくわからない。 いきなり車に乗ると出てくるものがありそうだったので休憩する。 ヘバった様子をさらけ出して座っていると、さっきのバスのドライバーがこういうときはこれだとばかりに、熱いチャイをを持ってきた。自分もカップを持っているのでてっきり見かねて恵んでくれたのだろうと思っていたが、支払い時にそのドライバーの分まで支払わされた。 拒否したがパワーが無いのか押し切られて払い、タクシーでダマスカスへ突入。海外でつけ入る隙を見せてはいけないという典型的なパターン。つらい上に情けないが、残念ながらどうこうしようというパワーが出ない。 写真(左)はダマスカスのホテルで見た岡田F・マリノス監督です。なんとシリアの衛星テレビでJリーグの試合ダイジェストをやっていた。某局スーパーサッカーより1試合の詳細が細かいぞ。 タクシーのドライバーに1泊20〜40US$以内のエアコン付きで市内中心部という要求を伝えてホテルへ案内させ、そのまま部屋のチェックもせず、1泊36US$で3泊108US$のところ100US$にさせて自己満足を得てトイレに駆け込む。今回も背水の陣だった。 もちろんその後はひたすら睡眠。ああーエアコンじゃなかったらと思うと・・・ 夜7時頃とろとろと目を覚まし、さすがに体調が少し戻ったのを自覚する。 もったいないので後先考えずに夜のダマスカス観光に出発。やはりアラブの都会の人は夜に出歩くのか日本の夜店が出ている周辺のような感じだ。 写真(右)はヒジャーズ駅。アラビアのロレンスに破壊されたバグダット・メッカ鉄道の始発駅として機能していたのはかなり昔のこと。観光用としてか街のシンボルとしてかライトアップされている。 インターネットでメールの確認とダマスカスと次の予定国ヨルダン情報を検索。 体はまだだるいがかなりましな状態に戻ってきているような気がする。そう思うとさすがに今日一日、2杯のチャイ以外に口に入れたものは水と正露丸とビオフェルミンだけなので空腹感が出てきた。 まだ固形物は怖いのでフルーツ屋で生絞りジュースを飲む。お勧めのバナナミックス50SP、中々高級な品だがやっぱり美味い。じっくり味わって飲み干す。首都だからか人々の東アジア人に対する興味も薄いような気がする。 23時前に宿に戻り、テレビでコパ・アメリカを観戦。予想通り急降下状態に逆戻りしてちょっと後悔(^^; でもこのままではいけないと明日は早めに行動を開始するつもりで眠りに就く。 |
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