7月5日 なにもしない1日でも親切なトルコ人には会う | 今日の一枚を見る |
今日はアンタルヤを出る日。ユーロの決勝を観戦するために5日間も滞在したが、することがあまり無かった割には色々楽しい思い出ができた。多分、何日でもいれそうな気がしないでもない。やっぱりリゾートでこういう過ごし方は究極に贅沢なことなんだろう。 これからかけあしでアラブへの入り口であるアンタクヤ(ハタイ)へ移動し、そのままシリア・レバノン・ヨルダンと訪問の予定。 最後にトルコで入用の現金を手にしようと新市街散策を兼ねて銀行へ行き、写真(左)の時計塔の写真を撮る。後で登場するハドリアヌス門と同じようにアンタルヤのランドマークになっていて、の辺りがアンタルヤで一番ひと気の多い地域とも言える。 銀行(いつものようにAKBANK:アクバンク)で30人並びをクリア、キャッシュを手に入れる。銀行の中はエアコンが効いているが外に出るとすぐに汗が噴出してくる。地元の人はこれが普通なんだろうけど、この痛い日差しは生命には危険なんじゃないかなとも思う。かと言って日本のジメジメしたまとわりつく暑さもしんどいものがあるけど。。。 宿に戻り庭で本を読んでいたらトヨタさんが帰ってきたので話をする。余りに暑いから散歩に出たが余計に暑くてすぐに戻ってきたそうだ(^^; 本人曰く「もうなにもしないモード」になってるんだそうで、とにかくこの宿で何日か滞在してイスタンブルへ移動して日本に帰る予定で、約半年の旅行もほとんどこのアンタルヤが最後というイメージなんだそうだ。おすすめは中国かパキスタン。 半年以上のロングを3回もしているトヨタさんは、過去に有名なスマイリーのぶさんと会っている。まあぼくのようなへなちょこからしたらかなり上級にランクされる人物。こんな人と旅について話ができて、本当にいい勉強になった。 エルさんにシリフケ行きのバスチケットの手配をお願いする。微々たるマージンを取ってるかもしれないが、これだけ色々と親切にしてもらって、滞在にも何不自由なくこの居心地の良い宿を提供してもらっては、何一つ不満を感じない。女たらしでちょっと傲慢だけど、この人物がアンタルヤにいるおかげで、パッカー界ではアンタルヤは一つの目的にもなっているのだ。 市長になってアンタルヤを世界的なリゾートタウンにしたいそうで、日本やヨーロッパの国に行って実感したことをこの街でやりたいというのだという。 軽くつついてみると、まず地下鉄の整備が必要だと言っていた。確かに先進国の主要都市には必ず地下鉄があるが、街全体がローマ遺跡のようなここで市民や旅行者が満足に使えるような地下鉄が実用化するだろうか? 本家のローマと同じように掘れば遺跡ってことになるからかなりしんどいと思うと、ぼくとしての意見も言わせていただいた。だからって、どうしろとまでは浮かばないんだけど(爆) バスのチケットを宿まで届けてくれるというのでパッキングして、トヨタさんと話をしつつ待つ。ぼくの予想どおり、残りのアンタルヤ滞在中の飯は、全て昨日行った安いロカンタで済ますという宣言が出た。 写真(右)はここで登場ハドリアヌス門。エルさんの宿はこの門をくぐって道なりにまっすぐという立地のよさもある。長年人の足に踏み鳴らされたこの「石」はかなりツルツルになっているので、雨のあとはちょっと注意が必要。結構すべる。 韓国人姉妹は、ぼくの出た少し後にパムッカレへ向かうというので庭で時間つぶししていた。 ぼくは彼女たちとトヨタさんと住み込みに別れを言い、17:30宿を出発。エルさんに教えられたバス会社へ向かう。 重いバックパックを担いでの移動で、バス会社に着いたときはまたまた汗だく。バス会社のおっさんも事務所内のファンの前に座れと薦めてくれた(^^; ほんま暑い。しかもぼくは人より汗かきなので余計に大変そうに見えるのだろう。 約1時間事務所内で涼んだり、周辺を散歩したりして19時にオトガル行きのピックアップバスに乗り込んで出発。 写真はオトガル(バスターミナル)の案内板。これだけのバス会社が林立しているので自然とサービス競争になっている。資本主義って大変やねえ(笑)ほんま。 外国人なら、チケットを持っていればそのバス会社のカウンターへ、行き先がわかっていればその都市へバスを運行しているバス会社のカウンターへ、誰からともなく連れて行ってくれる。 何社か見比べれば大体の値段がわかってくるので、時間の余裕がある人は早めにオトガルへ行ってバス会社巡りをしてみても楽しいと思う。 ぼくはチケットを見せびらかしつつ自力でスムーズにバスの前に到着。バックパックを積み込んで席に座る。ぼくの席番号は31番。 後から乗り込んできた男が、席番号の表示板と席とぼくを含めた先に乗り込んでいた乗客を見ながらなにやら不審そうな顔をしてキョロキョロしている。車掌が事情を聞くとその男のチケットの席番号が32番だというのであるが、その32番の表示板が無い。 30、31そして33、34となっているのである。これをみてトルコ人も苦笑。しかも30番も33番もみんな客が座っているので、さらに困ったことになった。ちなみに補助席は無い。 とりあえず空いている席に座ることができたが、このバス今まで問題なかったのだろうか・・・ ぼくの隣の席のトルコ人に親切にされながら朝4時頃、真っ暗の中シリフケに到着。車掌にシリフケだといわれて寝ぼけ眼でバスを降りる。 と降りたはいいがオトガルでもないただ交差点の真ん中。ありゃあと思うと同時に、同じバスに乗っていて一緒に降りたトルコ人に声をかけられた。「じゃぽん?」 どこで降ろされたのかまったくわからないのでガイドブックの地図を見せて自分の位置を把握するが、このトルコ人は余り地図の見方がわからないようでいまいちはっきりしない。 とりあえず少し明るくなるまで世間話をしながら時間を潰し、出勤してきたオトガルの職員(結局、オトガルのすぐ近くで降ろされていた)に決めていた宿の位置を確認してもらう。と、その最初からずっとぼくの話に付き合ってくれていたトルコ人(アフメット)がぼくのバックパックを担いでそのホテルへ歩き出す。 慌てて追いかけるがアフメットは「のーぷろぶれむ」。怪しい気がしないでもないがそのままホテル着。寝ていた店番を起こしてチェックイン、そしてアフメットは「じゃぽん、ぐう」と言って去っていた。・・・むうなんなんだ彼は? 宿はエアコン付きで15MTL、バスで余り寝れなかった上にたたき起こされたりしたので戸締りだけしっかり確認してすぐに寝るzzz。 |
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