6月18日  サラエヴォ脱出! さてぼくはデリエかグロバリか? 今日の一枚を見る

 5時に起き上がりヤスナが起きるのを椅子に座って待とうとベッドを出る。すると彼女もすぐに起きだしてきた。
 6時15分にセルビア人共和国側にあるバスターミナルからベオグラード行きのバスがあると言うのでそれを目指す。他の時間にもバスはあると言うヤスナを制し、予定通り早朝出発。ホッペにあつーいキスをお見舞いされる。

 バスターミナルまで送ると言うので一緒に出発。近くのバス停に移動する。
 途中腕を組んでくるのをかわしながら歩く。なんと「マリーミーオーケェ?」とまで言ってくる、ここまでやりゃそこら中の情報ノートにも載るわなあと感心してしまった。
 しかし彼女の態度を見ていると、単にまじめに日本人が大好きな非常に稀な白人女性だと単純に思えてくる。
 ぼく自身に興味が無いのが残念だが、彼女に幸多かれと思う。

ボーダー  ターミナルまで行くトロリーバスを待っている間どうもヤスナが落ち着かない。周りにいる人間はほとんどセルビア人のようで、遂にヤスナはターミナルまで同行する口約束を反故にして、バス代だけぼくに渡してサヨナラになった。
 そもそも彼女がセルビア人共和国側まで身の危険を感じずに行けたのだろうか・・・そしてぼくを見送った帰りはどうするつもりだったのだろうか・・・

 写真(左)はセルビア人共和国側のサラエヴォバスターミナルです。連邦側と比べても確かに街の雰囲気が暗い気がする(早朝だからかもしれない)が、バスに同乗したセルビア人からは「セルビア!グー!」と声をかけられた。世界中から敵視された自分達の矜持であろう。

 ギリギリまでチケットを売り始めないのでちょっとやきもきしたが、ベオグラード行きのバスチケットを10E+57KM(コンベンティブ・マルク:ボスニア・ヘルツェゴビナの通貨)で購入。マルクで支払う場合は257KM、結構融通は利くようでユーロでも簡単に受け付けてくれた。ただレートの良し悪しはわからない。ちなみに荷物は別途10KM必要。

 バスはガラガラで余裕で座れ、自然の多く残る坂の多いボスニア・ヘルツェゴビナの風景を眺めながらうとうとする。
 道の勾配が結構激しく、最初の休憩の直前には現地人でさえ嘔吐している。
 もらってしまってはヤバイ。ほかの事を考えよう。気にしないようにしよう。精神を集中しよう。小学生のときから集中力が足りませんと言われ続けたぼくでさえ、こういうときは以外と集中できるもの。
 小声で歌を口ずさみつつ可能な限り寝て過ごす。でないともらってしまいそうだった。タイのアランヤプラテートからカンボジアのシェムリアップまでの道はそりゃあすごいものだったが、あまりにすごくて酔わずにすんだ。だが、この道は基本的に舗装されていて適度なやさしさが加わっているために、生命力・抵抗力の弱い現代人は余計に甘えからダウンしてしまうのだ(とぼくは勝手に思う)。

 次に起きるとそこはもう国境を通過する直前。パスポートを車掌に預けて待つ。
 セルビア・モンテネグロの入国スタンプは無事ゲットできたが、ボスニア・ヘルツェゴビナのスタンプはとうとうインもアウトも押してもらえなかった。これでぼくがボスニア・ヘルツェゴビナの地を踏んだという証明はできなくなった

 14時過ぎにベオグラードに到着。中央駅とバスターミナルが近い位置にあり市内中心部ということもあってか、かなり人出が多くて活気も感じられる。せめて一泊しようと思っていたが、駅の時刻表をチェックしていると今日の夜11時20分にブルガリアへ向かう列車があったのでその列車を予約する。
 VISAカードが使えないのでドル現金とユーロ現金を両替して現地通貨をゲット(30$でコミッション引かれて約1700ディナール(以下DNとします)、5Eを356DN)。

 歩いているとレートの良い両替屋を見つけて悔しいので10$を両替してさらに591DNを追加。この店はコミッションを取らなかった上に美人の学生が店番をやっていた。しかしVISAカード(や他のカード)が使えますというステッカーを貼ってあるのに、実際は使えない。ベオグラードでは特にVISAはほとんど使えないことがわかった。
 店番の彼女にそのステッカーを指差して「ほわい?」と話し掛けてみたら、「アイドンノー」と答えた。よくわからないシステムになっているようだ。

 ベオグラード発−ソフィア行きの寝台列車を1457DNで購入。ちょっとストイコビッチの話でお互いが友好的であることを確認する。
 さらに散歩中に見つけた床屋で散髪200DNを決行。突然のアジア人の来客に驚く店の人に「おーけ?」と聞くと「イエスイエス」と笑顔で答えて席を勧めてくれた。しかしどこをどうするかという会話はもちろん通用しない。
 ぼくの髪を切ったおばちゃんの娘さんの彼氏が店にいて、その彼は軍人だったのだが、その彼よりちょっと長めと英語とジェスチャーで伝えてとりあえず問題ないレベルで収まった。やっぱり男は短髪だ(とはぼくは大きな声では言えない)。

レッドスター1 レッドスター2
 駅前のタクシーの客待ち列で写真(上)マラカナ(レッドスター・ベオグラードのホームスタジアム)までいくらか聞いてみたところ、口をそろえたように500DNだと答える。感覚的にちょいと高いかなと思って、駅に戻って列車のチケットを買ったオヤジに聞いてみると、タクシーに聞けとあきれられた。そりゃそうだけど、信用できない額だからなあ・・・
 もう一度、今度は普通にディスカウントで挑戦してみると、少しゴネタものの300DNでマラカナまで行ってくれることになった。今でも相場はよくわからないのでどうとも言えないが、約1500DNで隣国の首都まで行ける列車のチケットが買えることから考えて、やはり高い気がしないでもない。

 スタジアムへと続く道の壁には応援のメッセージか、誰かを非難するメッセージかが延々を書きつらねてあった。とてもきれいなものだとは言えないが、過剰な思い込みのために何か熱いものを感じる。
 上左の写真はレッドスターのオフィシャルショップです。正面の入場ゲートが大きく開いていて普通に入っていける。大抵はそこまででスタジアムの中までは入れないんだけど、今日はそこも開いている。
 大丈夫かなあとキョロキョロしながら入っていくと、スタンドまで行けるゲートまで大解放。突然怒鳴られたら怖いので律儀にもゲートの手前で中を覗き込んでいたら、前を人が通り、ぼくを見つけた。
 そしてぼくがいかにももの欲しそうな顔に見えていたのか、その人はなんとぼくを手招きしてスタンドまで入れてくれた。
 さすがにピッチには降りれなかったが、このやさしさに感激して心の中でデリエ宣言(レッドスターのサポータのこと。ちなみにライバルのパルチザンのサポータをグロバリと言います)をした。

パルチザン1 パルチザン2
 写真(上)はパルチザンのホームスタジアム。地図だとそのまま「隣」に位置している。タクシーの運ちゃんはマラカナから歩いて5分と言っていた。
 ここも敷地内には入れたのまでは良かったが、肝心のスタジアムには入れなかった。マラカナで味を占めたぼくは係員に聞いてはみたものの、帰ってきた答えは「クローズ、ストップ」だった。対応が機械的で温かみが微塵も感じられなかったので完全にデリエになることを誓う。印象って大事。
 ということで外から見えたパルチザンの「パ」と「チ」が上の写真なわけです。

 キオスクで駅への道を尋ねてみる。しかしそのキオスクのおばちゃんはセルビア語しかわからないようで、結構かんたんな英語さえも「はて?」みたいなジェスチャーを返してくる。
 言葉では意思の疎通ができないが、おばちゃん一生懸命に理解してくれようとしてくれるので、こっちも絵を描いたり簡単な地図でやってみたりして、大体の方向はわかった(気がする)。
 歩いて行ける距離ではないと一般には思われているようなので、一番わかりやすかったバス停へ向かって歩く。

 もういちどパルチザンスタジアムの脇を通って幹線道路のような大きな道にでると、今日の一枚にも載せた交通事故現場に出くわす。
 近所の住民なども消火器を持ってきたりして集まってくるが、肝心の救急車がこない。ぼくは救急車がくるまでその場で待っていたが、車の中の人は一体どうなったのだろうか・・・単独クラッシュのようで、もしぼくがキオスクで素直に言葉を理解していたらということを考えると、この事故に巻き込まれた可能性は否定できない。

アフターボム  バス停の目の前にあるキオスクでチケットを12DNで買い、駅方面に戻る41番のバスに乗り込み町並みを眺める。ーーーっと、どうみても爆撃で破壊された建物がいくつか見えたではないか。
 急いで途中下車して写真撮影に入る。近づきすぎたのかそれとも不審者に見られたのだろうか、ライフルを持ったNATO軍かアメリカ軍の兵士に首をしゃくられた。これが威圧といううやつか、むう。

 写真(右)は見事にピンポイントでやられたユーゴ軍参謀本部ビル。これほどドンピシャで当てれるのに都合の良い誤爆の多さは正に滑稽な話だと思う。疑わないほうがおかしい。

 何枚か写真を撮っていると、マウンテンバイクに乗ったオヤジが声をかけてきた。
 「チン?(中国人か、と聞かれています)」と言われるのはもう慣れたので、振り向きもせずに「ヤパン」と答える。
 するとそのオヤジ(写真の右下に写っていますが)、わざわざぼくの正面に回りこんできて握手を求めてきた。シンプルな英語は話せるようでえらい誉めてもらう。−い、いやぼくは別に日本を代表しているわけではないんだけどね−
 何度か「デモクラシカ」という言葉を強調されていたが、この爆弾が落とされたこともユーゴが民主化する一つの手助けになったとでも言いたげであった。確かにそういう側面があるということは否定はしないが、なんとなく哀しい気がするのはぼくだけだろうか。

 帰り道はこのオヤジが親切に教えてくれる。3回ほど角を曲がれば駅は見えるんだそうで、それなら歩いていける。
 オヤジはさらに「デモクラシカ」と言って去って行った。かなり西側のライフスタイルが気に入っているのか、それとも社会主義時代に何かの民主的な活動をして辛い思いをしたのだろうか。

ベオグラード  一旦駅に戻って列車の時刻を再確認する。
 写真(左)は駅にあった多分これで「ベオグラード」と表示するの図です。駅にも兵士がいて、列車を撮ろうとすると怒られたのだが、こっそりHPネタ用にこれを撮影。やはり駅も重要な軍事施設に転用できるからだろう。ミャンマーならこれでも完全に逮捕だ。
 でも実際昼間は撮り放題だったんだけど(笑)。

 時間はかなりあるので、カレメグダン公園や若者が沢山集まる通りなどをぶらぶら歩く。電灯の数が少ない気がするが結構みんなエンジョイしてるようだ。
 レストランのメニューをいくつか覗いてみたが、残念なことにまたマクド。この妥協だけは自分でも良くないと思うのだが、どうしてもついつい簡単だから入ってしまう。
 帰りにスーパーで水とバナナとビール、そして朝食用にパンを買って再び駅に戻り、出発時刻を待つ。残りのディナールから買えたビールがわずか1本だったのが心残り。

 予想外と言っては失礼か時間通りに列車は出発。同車両にいた白人の若者集団はかなり遅い時間までギャーギャー騒いでいた。もっとビールがあれば酔って眠ることができるはずだったのに。。。

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