6月5日  プラハで「モルダウ」見事達成!! 今日の一枚を見る

チェスキーのバス停  写真(左)はチェスキー・クルムロフのバス停です。
 朝一のバスは早朝5時発だが、夜中あれだけ安眠妨害にあうとそんな時間に活動することは不可能。ということで朝はちょっとゆっくりめで11時15分発車のバス目指して世界遺産チェスキーを後にする。

 バスは数人の白人以外は大多数がアジア系で、ぼくを含めて日本2、韓国9、中国1という内容。なんだこの韓国人の多さはと違和感を感じたが、最初の大きなバス停であるチェスケー・ブジョヨビツェの街でアジア系全員が降りて行ったのには更に違和感を覚えた。ガイドブックに乗り換えについて書いてあるのか、韓国人の9人(全て女性)は本を見ながらなにやら相談を繰り返していた。

 田舎の牧歌的風景を見ながらプラハに到着(と言われた)。出発したバスターミナルとは違うバス停に着いたので一瞬とまどうが、近くにメトロの駅を発見して、その路線図を頼りにとりあえず宿のある駅まで戻ってこれた。

 宿を探す時間的ロスは痛いし一度宿泊しているので、またもや日本人経営宿にイン。前のときにもう一度プラハに戻ってくるという話をしていたら、普段は使わない「スペシャル」という部屋でよかったら空けておいてくれるということで予約しておいたのだ。何から何までありがたい。
 そのスペシャルルーム、リビングの一角を衝立で囲って部屋にしてあるだけの簡易的なものだが、値段が安く設定されている。例えば(ちょっと下品だけど)おならなんかをすれば、リビングにいる他の旅行者には丸聞こえっていう感じで、静かにしてるには全く問題ないのだが、経営者側に余裕のあるときしか可動しないそうであまりお目にかかれる部屋ではないそうだ。
 それでも安宿を廻る旅行者にはきつい値段なのだが、子供達も礼儀正しいしかわいらしいし、なんといっても日本語が全面的に通じる安心感がなんともいえず安らぎを与えてくれる良い宿だと思う。

火薬塔  宿でシャワーを浴びて洗濯をする。突発的に激しい雨が降ったので何度も走って汗をかいたため着替えが多かった。これで一息つく。
 休憩がてら話をしてると明日のポールのライヴに宿の旦那と息子も行くことにしたということを聞いた。実は息子もかなりビートルズが好きらしく、現地の普通の家庭からすればかなり高額になるチケットにもかかわらず奥さんと交渉して一番安いスタンディング席ながら行けることになったという。・・・良い話しだ。

 写真(右)はプラハの観光ポイントで、前半にもぶらぶら中に通過した火薬塔です。見た目「塔」ではあるが「火薬」は連想できない。でも実際に火薬庫として使用されていたそうだ。
 しかしこれだけ目立つと余計狙われるんじゃないのかな、そして一発当たれば周りも一気にドカーンじゃないのかな?と余計な心配をしてしまう。

 プラハに戻ってきてやっと天気は好転し始めた。チェスキーを出る頃は空全体を曇が覆っていたが、宿に着いて旧市街に観光に出た頃には雨が降るということはなく、観光に支障が出ることはなかった。残念ながらずっと曇りではあったけど。
 今まであまりに雨が多いのにちょっと辟易していたが、性格的に傘をさすなら雨宿りという方法をとってしまう性分なので、雨が降っていても動けるカッパを買おうと記憶にあったスーパーに向かう。
 ところがいつものように見つけられない。覚えのある場所を歩き回ってようやくお目当てのスーパーを発見するがなんと閉まっている。途中で見つけた値切りにまったく応じない観光地値段のカッパなど買う気にもなれず、明日もう一度来ることにして、今度は明日のウィーンかサルツブルグ行きへの列車の予約。この時点ではオーストリアへ移動ということ以外は決めてなくて、とりあえず駅へ向かって移動した。

牛1 牛2
 写真(上)はプラハにも、そして少しだがブダペストにも点々とあった牛のオブジェです。色々な装飾がなされていて歩いているとバッタリ出くわしたりするので印象深い代物になっている。一体いくつ設置されてたのだろうか、プラハだけで10体以上は見たと思うけど・・・

 移動の途中で考えて、なんとなくウィーンに必然性を感じなかったのでサルツブルグに行くことにして、その後はイタリアのヴェネツア、アンコーナあたりからアドリア海を横断してクロアチアに入る、とここにきてようやく旅行スタート時に頭に描いていたルートに戻る。チェコとオーストリア、続いてイタリアまでが追加訪問国となった計算。当然大きな日程ロスが発生して中東へ行くという予定は少々微妙な感じになってきた。
 プラハ中央駅で明後日の朝9時17分発、サルツブルグ15時52分着のチケットを購入、思ったより時間がかかるものだなと感じたが、夕方4時に着くのだったらまだ明るいうちなので宿探しも問題無しとひとまず安心した。

ドン・ジョバンニ  写真(左)は人形劇ドンジョバンニの劇場入り口にある飾り物です。不気味なピエロとドクロ男など、おどろおどろしい飾り物だが、劇の内容は女たらしの話だったように記憶している。作者はあのアマデウス・モーツァルトで、ほぼ専用劇場のはずの建物の飾り物からはその劇の内容はまったく想像できなかった。ひょっとすると内容がガラリと変えられてるのかな。

 プラハという街は本当に歩いてるだけで十分その中世ヨーロッパの雰囲気が感じられる。ぼくは何度も同じ場所を歩いたが、まったく飽きることはなかった。さすがヤマダさんが絶対お薦めと言っていただけのことはある。

 でぶらぶら歩いているうちに以前ミニコンサートのチケットを買った若者に再会。向こうもこちらのことを覚えていて(まあほんの2、3日前のことだけど)明日のコンサートチケットを薦めてきた。残念ながらぼくは今日のチケットを探しているので、他のチケット売りがいるすぐ近くの角を教えてもらってそこで買おうと思ったが、そちらの売り子は愛想が良くなくて結局買わずじまい。
 さらにぶらぶらを続けてカレル橋近くの邸宅内コンサートを発見してそのチケットを450CKで買う。残念ながら学生料金にならなかった。2,3日前のぼくとどうちがうのだろうかよくわからないが、普通に一般料金を請求された。

モルダウ!!  はるか昔の音楽の授業でチェコの国民音楽としての「モルダウ」の曲とその背景を聞いて非常に感動したものだが、それが抜粋演奏だとしてもこの本場で聴けるとは思わなかった。写真(右)は今夜のプレイヤー達ですが、正に「モルダウ」を演奏している瞬間です。プログラムを見たときから、いつだいつだとソワソワしていたが、いざ曲が始まった瞬間、本当にゾクゾクっとした。ぼくは日本人であるが、その曲の背景を知っているだけ感動できるというもの。当時の音楽の教師とはかなり相性が良くなかったが、いくつか、例えば「ジュピター」とか「魔笛」とか前説付きで聴かせてもらった授業は今でも結構覚えていたりする。

 コンサート後も恒例のぶらぶら歩きを少しして帰途に着く。スーパーで現地のスナック菓子と飲み物を買おうと思ったが、あまり我慢できそうな行列の長さではなかったので、またまた恒例のシュテファンにて晩飯を食べる。英語があまり通じないが問題なく美味しい食事ができる店で、結局プラハ滞在中はほとんどここで晩飯を食べた。そして贅沢が身に付いてしまったか今夜もステーキ。サラダも注文しビールも2杯飲む。まるで明日のポールライヴに向けての前夜祭みたいに個人的に盛り上がってしまった。
 また缶ビールを持ち帰り、宿にある水滸伝の漫画を読破して、やっと眠る。

 チェコ チェコ/プラハ 民宿桐渕(プライベートルーム) 2004年6月1,2,5,6日泊
民宿桐渕 民宿桐渕
宿泊料2泊で2200コルナ、バス(タブ付)・トイレ共同、テレビ、朝食付
プラハで超有名な日本人経営のプライベートルーム。ご主人のアイスホッケー好きが嵩じてチェコに住むようになったのだそう。現地チームに所属している子供さんはアイスホッケーのプレイヤーとして日々厳しい練習に打ち込んでいる。
相場から見れば少し割高だが、得られる安心感や様々な日本的サービスの数々は遠く離れた東欧の地において何者にも得がたいものだと思う。特にぼくはガイドブックさえなかったので非常にありがたかった。
部屋にはテレビにソファまであり、かなり広く(逆に一人では広すぎる)朝食は自室でいただく。早朝出発の場合は簡単な弁当まで用意してくれてとても助かった。
少し割安な「スペシャル(存在が秘密なのかも)」や留学などの長期滞在者用の別館もあるそうです。
ADD:Jicinska 9 Praha 3 130 00  TEL:420 222 715 302

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