にっきちょ〜みたいなもの

ここでは、当HPの更新状況と共に、hidehideの生活状況がわかるページです。
月数回ペースの不定期日記です アウアウヽ(▽`llllllヽ)...(ノllllll´▽`)ノアウアウ

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2003年5月14日(豪州日記・オーストラリア4日目その6)

夕食を予約した時間よりやや早めに着いてしまったのですが、店の主人である日本人女性は快く迎えてくれました。店の名前は『King143』と言う店です。この店はシドニーのきららステーションで教えてもらったお奨めのお店で景色は見えませんが、料理は抜群で気配りもよくその教えてくれたお姉さんもよく行く店だと言うのでここに決めました。当初予定していた店をそのお姉さんに聞くと一言「まずいです」と言うお言葉を頂きました。なんでもそこは景色を重点に置いてるので味は悪いとのことです。確かにごもっともなご意見ありがとうございました。と、ひれ伏してしまいました(心の中で)

たしかにこれまで味わってきたオーストラリアのレストランとは全然違い、日本人向けにアレンジされた味付けでした。ただ、日本人を狙っている訳でなく現地のビジネスマンなんかも気軽に訪れるという様相でした。印象に残っているのはサーモンを使ったサラダで、これも一見1人前には多すぎるような感じでしたんですが余裕で食べることが出来ました。その後に出てきたスープもとてもやさしい味で何か懐かしい落ち着いた味でした。そしてメインのステーキですが牛の尾の部分のステーキで意外なほど柔らかくとても美味しかったです。どの料理をとっても満足できる味でもう一度シドニーを訪れることがあったら是非来たいと思う店ですね。

ホテルへはモノレールに乗り一駅、そのあとかなり歩いた記憶があります。要するに迷ったんですね。こんなことなら店の人に方角を教えてもらって置けばよかったです。後悔先に立たず、風に煽られつつホテルに着いたときはヘトヘトでした。シドニーでは夜景を維持するために仕事が終わってもビルの電気を消さずにそのままにして帰るそうです。たしかにホテルの窓から眺めた夜景はきれいでした。


2003年5月14日(豪州日記・オーストラリア4日目その5)

まあ、中には入ることが出来ず外から見るだけという状態になってしまったオペラハウスですが、リベンジを考えてしまったのは言うまでも無いです。今度来る時は晴れますようにと。オペラハウスの建造には設計段階で世界中からデザインを募集したそうです。そして最終選考に残った作品の中には、日本の岡本太郎の作品もあったそうですが、建設費用がかかりすぎると言う点で却下されてしまいました。選ばれたのが今あるオペラハウスなんですが、じつはこれ当初の予定していた設計費用よりも大幅に超えてしまってしかも時間もオーバーして出来上がったものですから、シドニー市長は頭を抱えてしまったのです。そこでやけになってオペラハウス宝くじという冗談とも取れるものを発行し売り出したところ大人気になってあっという間に建設費用が回収できてしまったのです。こういう裏話を聞きながらシドニーの各名所を車窓から眺めていました(ここら辺が略式と言うことで)。

ホテルはゴールドコーストと同じ系列のマリオットホテル、丁度道路の突き当たりみたいな場所に建っていたので(地図上では)分かりやすいかなって思っていたんですが、後々観光に出て迷ってしまいました(笑)。まず最初に向かったのが免税店です。自分は母達と同行していたので、その意見を尊重してそこに向かったのです。この免税店で足止めされること約1時間(内容は書かないです)。その後シドニータワーに向かって行ったのですがはっきり言って高いビルが狭い場所に集中してるので方向感覚が鈍ってだいぶ迷いました。そして本命であったセントメアリー大聖堂についたころには暗くなっていたので、名物のステンドグラスをきれいに見ることが出来ませんでした(涙)。そのあとモノレールに乗って夕食を予約した店の最寄り駅までのつもりでしたが、自分の意見の採用がありぐるっと夜のシドニーを1周しました。とてもきれいでした。


2003年5月14日(豪州日記・オーストラリア4日目その4)

昼食は思いのほか美味しかったので皆上機嫌でバスに乗り込みました。水上タクシーからも見えたハーバーブリッジへ行くことになりました。この橋はすべて鉄で出来ていて上が道路下が地下鉄の線路になっていました。シドニーの地下鉄は日本とは違い2階建てで出来ていてシルバーが特徴的な車体構造でした。この橋を渡るときに料金所は片側にしかありません、その理由は橋を渡ったなら必ず帰って来るだろうという考え方に基づいての物でした。思わず言われてみればそうだなって思いました。

添乗員さんいわく穴場スポットに連れられて来ました。そこは市街地の対岸にある現地の住民にぐらいしか分からない場所でしたが、確かに眺めは最高でハーバーブリッジとオペラハウスが一望でき一枚の写真に納まってしまうところでした。添乗員さんに言われて橋の最上部を見るとなんと人が縦一列になって歩いてるではないですか。それはツアーの一部で(我々のツアーには無いです、因みに有料)ハーバーブリッジの上まで登ろうという酔狂としか言えないものです。添乗員さんが登ったのは3年前でその時の天候は大雨で風が強かったと言うことでした。2度と体験したくないとぼやいていました(笑)

その後シドニー観光の目玉と言うべきオペラハウスへと向かいました。ここで悲劇が襲ってきたのです。大雨強風と言う悲劇が。オペラハウスは海のすぐそばに作られている建物なので環境立地条件的に言うと何もさえぎるものがないということです。オペラハウスの付近は長い間駐車しておくことは出来ない決まりになっているので、我々はそこから投げ出されるように見に行くことに。もちろん傘は貸してもらいましたよ。簡単に吹き飛びましたけど。賢明な観光者なら雨がっぱを着るほうがよっぽど楽と言うのお分かりだろう。


2003年5月14日(豪州日記・オーストラリア4日目その3)

シドニーへついた我々を待ち構えていたのは、シドニーではこの季節でも珍しい長雨の洗礼でした。何が珍しいかと言えば、連日雨が降っているという現実です。まあ、何を言っても雨はやまないのでさっさと添乗員さんの後についてバスまで移動しました。添乗員さんがホテルに行く前に観光ツアー(略式)をやってくれると言うのは当初の予定通りでしたので。しかし驚いたのがこの添乗員さんは、シドニーオリンピックの時、あの高橋尚子選手の後でバスについて応援していた小出監督の運転手だったのです。なんでも小出監督の髭を剃ったとか言っていましたが、当時運転手だったその人は世界的に有名な選手とは知らず高橋選手のサインも求めずそしてお別れのときのにこやかな挨拶もしなかったと言う無知だったんです(笑)。そのことをあとで友人に馬鹿にされからかわれ続けたそうです。

まず最初に向かったのは水上タクシーの乗船でした。この水上タクシーは今年の4月から始められた新規ツアーだそうです。と言うことは我々は日本人ではまだ少ない体験者になった訳です。このツアーでは湾内を大まかですが一周するというもので各ポイントポイントでは船を止めてくれて写真撮影させてくれると言うものです。ハーバーブリッジの下を抜けオペラハウスも見ることが出来ました。湾内のど真ん中に不自然にある島は昔の刑務所跡だそうです。塀らしきものは無いのでおよいで逃げることは可能だそうですが当時も今も周辺海域はサメがうようよいるので対岸にたどり着くには強運が必要だったのは言うまでも無いですね。

海沿いのレストランで昼食を食べることになって席に着いたぐらいから雨が強く降って来ました。あの添乗員さんもしや晴れ男なのではと一瞬考えてしまいました。


2003年5月14日(豪州日記・オーストラリア4日目その2)

飛行機の搭乗時間となり体の不自由なお年寄りや子供連れなどが先に乗り、そのあと席順に乗り込むことになりました。思いのほか飛行機の座席はガラ空きだったので、自由に座ることが出来ました。関空で出来なかった離陸時の窓側へ直行したのは言うまでもありません(笑)。

外を眺めてるとドンドン景色が小さくなり、ゴールドコーストの市街地も見えてきました。そして郊外の住宅地を上から眺めてるとあることに気がつきました。日本との圧倒的な違い、それは各住宅1戸あたりの占有面積もそうですが緑の豊かさ特に木々の大きさが違いました。上から眺めてると赤い屋根が多く見えそれが緑に溶け込んでると言った様相でした。良いですね日本もああいう感じになれば良いのにと思っていましたがしばらくは無理ですね。やがて雲海の上に出ました。ああいう独特な景色なんかあこがれてしまいますね、『天空の城ラピュタ』と言う作品が好きなのはその辺に理由があるのかも知れせんね。雲の隙間に広大なオーストラリアの土地が見え隠れしていました。その広大な土地に割りと低めに浮いている(これは飛行機が飛んでいる高度と比べて)雲の影がそのまま映り込んでいました。

時間にして約2時間ぐらいだったと思います。シドニー国際空港へ向けて降下が始まりだしたころ嫌な予感が窓の外に見えました。雨なんですしかも大雨と言って差し支えないほど。よりによって最後の最後のもっとも楽しみにしていたシドニーで雨に降られるとは。誰か不詳な行いをしたんではないでしょうね。と、まあ睨みを利かせてみても当然返事は無く、悲しみにくれました(涙)。無事着陸には成功しシドニーの大地へ足を踏み出しました。何度も言いますがこの空港も果てが見えません、馬鹿でかいです。


2003年5月14日(豪州日記・オーストラリア4日目その1)

ブリスベンからシドニーへの移動の日となった訳ですが、実はこの日は無茶苦茶早く起こされました。朝一番の飛行機と言う訳ではないですが、かなり早い飛行機なので起床時間はAM3:00なんですが、それはあくまでホテル側のモーニングコールの時間。実際はAM2:30起きなんです(汗)。あらかじめ日本から持ってきてたオーストラリアでは時計代わりにしかならない携帯電話の目覚まし機能を使い何とか起きることに成功。眠い目をこすりながら昨日の晩に用意しておいた服に着替え忘れ物がないかチェックして、隣の部屋の母たちに電話して起きてるか確認。しばしくつろいで荷物をドアの前(部屋の中)に置いてボーーとしてました。やがて時間が来て下のロビーへ行きました。そこで各自チェックアウトして添乗員さんの迎えを待ちます。

迎えは迅速で荷物をタクシー(ワゴンタイプ)の後ろに積み込みいざ出発。まだ暗い夜道を他のホテルに泊まっている人たちを回収して空港へ。空港は1日目にも書いたブリスベン国際空港へ、しかし改めて確認するとやはりでかいですね(非常識と言う言葉がぴったり)。国内線(ケアンズとかへ行く人)乗り場で一旦人を下ろし。我々は国際線乗り場へ、ここで変に思うでしょう。シドニーへ行くのだから国内線ではと?実は我々が乗る便はJAL777便関西国際空港からブリスベンを経由してシドニーへ行く便だったのです。れっきとした国際線と言う扱いなんです。まあ、だからと行って我々は国際線乗り場で乗るが国内移動なのでたいしたチェックもなし素通りも良いところ(笑)

しばし飛行機を待つ間、朝飯もどきな軽食を食べることに。僕はバームクーヘン(コーヒー味)と当時まだ日本未発売だったバニラコークを怖いもの見たさで試すことにしたんです。実際味はコーラで風味がバニラというちょっと失敗したかなと思う物でした。


2003年5月13日(豪州日記・オーストラリア3日目その4)

コアラとの記念撮影は後から合流した親戚の叔父さん叔母さんのためのメインイベントみたいなものですね。もちろん親戚の家族一同で一緒に撮っていましたが、やはり何度見てもコアラはかわいいですね。 カンガルーエリアとコアラエリアを案内してくれたのは日本からの留学生で、確か東京の葛飾区の出身の女性でしたね。ナゼ知ってるかって?それは親戚の叔父さんが帰りのタクシー(ワゴンタイプ)が来るまでの暇をもてあまして話しかけた結果と言うやつですね。オーストラリアへ来てどれくらい経つのとか何歳?恋人は居るの?生活はどう?と言ったようないくら外国でもちょっとまずいんじゃないかと言うことまで聞いていましたが、まあこの程度なら別に良いでしょ。向こうが話してくれてるわけですし(笑)

しかし、オーストラリアでは叔父さんは絶好調でしたね。日本に居る時はぜんそくの気があっていつも呼吸を辛そうにしていたのに、やはり空気がきれいで過ごしやすいのかもしれませんねぇ。実際日本で定年を迎えてオーストラリアで余生を過ごす日本人が増えているようです。もちろん若い人たちが新婚旅行とかでオーストラリアに見せられて、永住してしまう場合もあります。

帰りのタクシーが来たところで彼女との楽しいおしゃべりは終わりとなりました。帰りはこんな道通ったっけと思いましたが、無事各ホテルへとたどり着きました。あれだけ走ってこれだけの人数を乗せてあの料金なら日本と比べれば安いといわざる得ないですね。さて、その日の夕飯ですがさすがに2日続けてご一緒と言う訳には行かないので、我々は町を彷徨いあっちふらふらこっちふらふらとマジで迷子になりそうになりながら、結局マクドナルドにしました(メニューはフィレオフィッシュとポテト&コーラM)。どこで食べても同じ味を実感しました(笑)


2003年5月13日(豪州日記・オーストラリア3日目その3)

羊の毛狩りショーを見終えた我々を待っていたのは、カウボーイが馬に乗り牛を指定のゲージに追い込むと言うものでした。良い場所で見ようと前へ出たのが失敗でした。馬が前を通過する時砂かぶりならぬ土かぶりをもろに食らってしまいました。口の中がジャリジャリしたのは言うまでも無く。次にあったのは牧羊犬をつかったものでした。この牧羊犬は大変よくしつけれていて感心しましたね。知識として走っていても実際見るのとは大違いです。このショーを行っている時はスタンドみたいなところから高みの見物を決め込んでいたのですが、スタンドとスタンドのわずかな隙間から突然馬の顔が(笑)。なんのことはない、先ほどのカウボーイの方がお茶らけて近くまで寄ってきてくれたのです。馬に乗ってるのとほぼ同じ高さから見てるので馬を身近に感じることが出来ました。

その後、グリーンティー(オーストラリア先住民が淹れていたもの)を淹れてくれました。はっきりいって作り方は大雑把でそんなんで良いのかと思いましたが、出来上がったものは思っていたものよりも香りが鮮烈でおかわりが欲しくなったものでした。同時にパンもくれましたがこれも昔から伝わる方法で焼いたもので、素朴ながらも何か懐かしい味がするものでした。

自由行動となったところで、カンガルーとかワラビーの居るエリアへ行きました。ここではカンガルーに餌やりをして(すでに体験済みなので慣れたもの)餌を与えている写真も撮ってもらって、さあ後はコアラエリアへ行って記念撮影だと思っていたら、靴に違和感が・・・・なんとコアラエリアへ向かう途中に通った牧場で馬糞を踏んでいたのです(涙)。すこし皆から離れて木の枝でゴシゴシと馬糞を擦り取っていました。悲しいがこれも良い経験か・・・・と思いたいです。


2003年5月13日(豪州日記・オーストラリア3日目その2)

羊の毛狩りショーが身近に見ることが出来るツアーに飛び入り参加を決めた我々は、当然ツアーのバスはすでに出た後なのでその目的地までワゴンタイプのタクシーでの移動となりました。出発地はANAホテルなのでそこから約30分ぐらいだったと思います。実際もっとかかったかもしれませんが景色に見とれてたのであまり意識して無かったです(笑)

目的地に到着後まずはそのツアーの責任者に会わなければなりません。そしてツアーメンバーとして組み込んでもらったんですが。あいにく前半部分はすでに行程が終えてしまっているので我々は行程と外れて見学することに。と、その前に昼食の時間でした。メニューはビーフorフィッシュと言った具合で、後のメニューはバイキング形式でした。ただ飲み物(コーラなどの炭酸飲料)はその時その時に応じて払ってくださいと言うことで、食事代金には含まれて無かったです(汗)。まあ、それぞれ自分の食える分にあわせてメニューを選び楽しみつつ、ふとステージに目を向けるとカントリー音楽が流れてとても楽しそうでした。音楽にあわせてツアー参加者(食事を終えている者)は、半強制参加(!?)状態でしたが、以外にも皆積極的に踊りに振り付けを教えてもらい楽しんでいたようです(僕は食事中を理由に断ったのは言うまでも無い)

羊の毛狩りショーは食事をしていた建物のすぐ隣にありました。一口に羊と言っても僕達が知っているのはごくごく一部だということがよく分かります。毛並みや角によっても見た目でよく分かります。しかし、舞台に上がらされて狩ったばかりの羊毛丸ごと1頭分をかぶらされた韓国からの観光客はかなり嫌がっていましたね。まあ、貴重な経験ですけど。


2003年5月13日(豪州日記・オーストラリア3日目その1)

アヴィカホテルからゴールドコーストへの移動となった日ですが、移動と行ってもたかが車で20分〜30分程度ですから比較的スムーズに事が運びました。

我々が泊まったのはゴールドコーストの繁華街からやや離れたところにあるマリオットホテルと言うところ。添乗員さんがホテルのチェックインと部屋への移動がてら話してくれましたけど、エレベーターで上がった後見える下のほうの小さな家(と言っても日本では大きい部類)がとても安くてお買い得ですよっと、お値段は1億から2億と言っておられました。ただ上には上があるもので、運河沿いの小さな島のようになっている物件は10億でこの間売れたと笑って話してくれました。もちろん我々庶民派代表は「ひえーーーーー、すげーーーーー」という感じでただ驚きとすむ世界が違うなぁとただただ呆然とするあまり。部屋に入ってびっくりしたのは僕の部屋は本来父と一緒だったのでツインだったのですが、急遽キャンセルだったのでそのまま同じ規模の部屋にという事でダブルに変わっていたことでした。さすがに広い広い、ベットにごろんと寝転がってさらにもう1回転できるぐらい。部屋には小さいながらもベランダ(この場合テラスといった方が良いか)があり、アヴィカホテルにあったやつと同型の椅子が夜になればさぞかし夜景がきれいだろうなぁって考えたかどうかはまた別の話(笑)

実はここで言っておかなければならないことがあります。ホテルにチェックインしたのはアヴィカホテルからの移動直後でしたが部屋に入るまでは親戚と一緒に『羊の毛狩りショーやコアラが抱っこできカンガルーの餌付けまでも出来る』と言ったようなツアーに飛び入り参加していたのです。実はオーストラリアでコアラが抱けるのはブリスベンのゴールドコーストぐらいに限られていて以外にもシドニーでは触ることが出来ないのです。と言う訳で後から合流してまだコアラと触れ合っていないおじ様おば様に配慮した訳です。


2003年5月12日(豪州日記・オーストラリア2日目その2)

式が終わると後はその余韻を楽しむことが出来ます。チャペルから場所を移し湖のほとりにあるちょっとしたテラスみたいなところでシャンパンが振舞われました。新郎・新婦も式直後とあって興奮覚めやらぬ様子でラブラブ振りを発揮(謎)まあ、外国の方お得意のパフォーマンスによって結婚したことを喜ばせる一種の儀式みたいなものでしょうか?かわいらしいハート型のケーキに入刀しフルーツの食べさせあいをカメラに収め楽しいひと時を過ごした後、さらにホテル近くの景色のよい場所にて食事会。日本では式をしたら後は披露宴となにか形式的ですが、こう言う派手さはなくとも家族や親戚一同で会話を楽しむのもいいですね。

さて、堅苦しい衣装によって拘束されていた気分を脱ぎ払い(スーツとネクタイにはどうしても慣れることが出来なくて)あとは、特に日程はなかったので自由行動ですかね。従兄弟の兄さんたちは我々の部屋で着替えを済ませシャワーを浴びた後自分たちのホテルへと引き上げて行きました。そういう自分は、シャワーを浴びた後部屋にある小さいながらも景色は抜群と言うテラスに出て椅子(海辺にあるような寝転ぶようなやつ)に座り程よい風の気持ちよさと、鳥の鳴き声をBGMに読書をすることにしました。父はやや疲れたのか1時間ほどマッサージをしてもらっていました。

僕も日本とは違いとてもからっとした空気と逆の季節なので秋の気候のせいかとても集中して読むことが出来ました。日が蔭ってきて寒くなってきたので室内に入るとマッサージのほうも終わるところでした。 この日の夕食は、親戚一同が集まってゴールドコーストのANAホテルでの親睦をより深める会となりました。ここの食事はさすがに美味しかったです。


2003年5月12日(豪州日記・オーストラリア2日目その1)

オーストラリアに来て2日目となったこの日は、ここに来る事になった本命の理由のある日すなわち姉の結婚式当日となるわけです。天気は快晴で空は澄み渡り風は程よい気持ちよさで最高でした。結婚式を執り行うチャペルがある場所は、周囲に芝生が広がり湖のあるとてもきれいなところです。前日にゴルフカートに乗りホテルから芝生を横切り湖の周辺とチャペルの前まで行っておいたのですが、やはり本番となるとその緊張の度合いと言うものが違います。

チャペルでの式の向かうわれわれ両親・親戚一同は、ホテル側の用意してくれたゴルフカート連結版に乗り込み一足先に向かいました。後から今日の主役となる新郎・新婦がアヴィカホテルの自慢の一つである、馬車に乗って優雅に来ることが出来るのです。2頭立ての白馬の引く馬車で、外装は外国のお姫様が乗るような高級感あふれるものでした。二人とも緊張で顔が硬くなっていましたが、それをも吹き飛ばす幸せを振りまいていたのはいうまでもありませんね(笑)

式の始まりの前に司祭様と修道女(聖歌隊!?)の人たちと挨拶を交わし、始まりました。あいにくチャペルの中は写真撮影が禁止されていたのでその模様はプロの方の撮影しておられるビデオのみと言うことになりました。新婦(姉)が父と腕を組み入場してきました。父は緊張のあまりいわゆるロボットみたいな歩き方でした(笑)。そして新郎と変わり、司祭様から結婚を許可することに同意を求められ英語で答えると本番です。結婚を祝う挨拶に始まり、誓いの儀式、そして聖歌、両家族代表者の署名と続き、式はつつがなく終わりました。ちなみに誓いの言葉ですが、英語での復唱が義務付けられています。(前日に猛練習させられていたのは当然ことですね)


2003年5月11日(豪州日記・オーストラリア1日目その2)

コアラとの記念撮影を終えたら、後は自由行動となるかと思ったらそうではなく昼飯でした。朝食を飛行機の機内で無理やりたたき起こされて食ったような記憶がおぼろげにありましたが、お腹は正直にグーグーっと鳴っていました。僕が選択したメニューは、ベーコン・ソーセージ・スクランブルエッグ・パン・オレンジジュースに後何かフルーツをとったような気がします。

昼食後、ほかのコアラを見物しつつあちこちで眠っているコアラを前に記念撮影、さらに奥地へとずんずんと進むとカンガルーの餌付けが出来るところがありました。もちろん柵で仕切ってあるので(柵越しの餌付けの意味ではなくコアラ区画とカンガルー区画の意味)扉を抜けていざカンガルーエリアに侵入。ここでカンガルーに餌付けをするときの豆知識『カンガルーに餌付けをする際には必ず座って餌付けすること。もし不用意にたって近づくとカンガルーから見れば喧嘩を売られたと思われ、いわゆるカンガルーキックをしてきます。気をつけましょう(笑)』

小さなワラビーからテレビとかでよく見かける大きいカンガルーまで満遍なく触れ合ってきました。やっぱりでかいのは迫力満点(度胸試しに一度どうですか???)可もなく不可もなく、あとはお土産選び。カンガルーの人形やらコアラの人形やらいろいろありましたが初日で買うこともないだろうと思い見るだけってやつでした。 後はホテルに行くだけ、コアラ園から車で30分ぐらいで着きました(実際1時間だったかも記憶はあいまいです)。う〜〜む、自然に囲まれてとてつもなく広かったです。景色も最高だしもともと保養地だった場所だけはあります。着いたときはちょうど母の日で地元の人たちがパーティーを開いていました(良いですねああ言うの)


2003年5月11日(豪州日記・オーストラリア1日目その1)

ブリスベン国際空港に到着して一番最初に思ったこと、それは『でかい!!広い!!無駄に大きい!!』(笑)でした。まあ、実は機能の夕食時にちょっとしたひと悶着があったのですがこの際そこは簡潔に書き記しておきましょう。夕食のメニューは「フィッシュorチキン?」と聞かれたので、チキンと答えました。ここでフィッシュを選んだ人はご愁傷様でした。JALとは言えカンタスオーストラリア航空の提携便なので食事の中身はあまりよくない(しかもエコノミーだし)

さて、無事税関を潜り抜けオーストラリアの大地にその一歩を踏み出しました。そこで待ち受けていたのは、テンガロンハットをかぶったひげのやや怪しいっぽい添乗員さんでした(笑)その添乗員さんは、空港からコアラ園そしてホテルのあるアヴィカリゾートまでの運転手みたいな感じでガイドも兼ねているのでそう呼ぶことにしただけですが。

空港からコアラ園までは車で約1時間ぐらいの道のりだったような気がします(今となっては時間よりもそれ以外のことが強烈に印象に・・・・・)。オーストラリアの車は日本と同じ左側通行で時速表示も何キロです。ハンドルも右側、唯一違うところ言えば、車のスピードでしょうか(爆)???。普通の道路でも平気で60〜70は出しますし、フリーウエイなんか入ったら100〜140ぐらい。

まあ、シートベルトの重要性を実感しつつコアラ園に無事到着。コアラ園といってもなにやら普通の住宅地(日本とはぜんぜん違います・・・広さが)の中にあるようで、広さもそれなりにっていった感じでしょうか。早速コアラとのご対面、ここでの行動を唯一強制されるコアラを抱っこしての記念撮影。意外に重いんですね。


2003年5月10日(豪州日記・出国&飛行機編)

前日になにやらいろいろと騒動が巻き起こりましたが、当日になるともうそれどころではなくなっていました。前日の準備が当日になっても続いていたためですが(何か忘れ物があると大変だし、σ(・・*)の場合毎日飲んでる薬を忘れると・・・・・・)
家から空港までの道のりは、まずは最寄り駅から京都までは新快速で、その後京都から関西国際空港(以降は関空)までははるかに乗って約1時間半。関空で出国手続きやら何やらを通過して、あとそれに日本円をオーストラリアドルに換金してと言うことをやるという感じですね。実はこのころSARSの話題が日本でも真実味を帯びてきたころで皆さん(私たちの関空組のこと、もちろん親戚のことですよ)対策としてマスク持参。σ(・・*)はあの独特の呼吸が苦しくなるような閉鎖的な感覚が嫌でなるべくつけないようにしてましたが、周りを見るとマスクマスクでいっぱい(日本人オンリーなのはお約束)で、疎外感を覚えてしまいガマンしてマスク着用しました。
だがいざ出発ロビーに行ってみると、マスクした人なんていませんでした(ほとんどが外国の方だったしね)。恥ずかしい気持ちでいっぱいだったのはお約束(笑)。もちろんすぐマスクは取り手荷物に持ってきていたバッグに突っ込みました。しかし、今まで国内線の飛行機には何回か乗ったことあったんですが、国際線は初めてでちょっとドキドキしてました。実感がわいたのは先ほども記述したように出発ロビーでの多数の外国人の方たちとの遭遇でした。

さて、いざ飛行機の乗り込んで座席に向かいました(当然エコノミー)。予想はしていたものの、狭いです。狭すぎるっちゅうんじゃーーーーーーーーー!!!!。と、心の中で大騒ぎして荷物を上の棚に押し込んで、座ってシートベルト着用。真ん中の4人掛け座席の通路側を無理やり陣取って(関空組は座席番号が並んでましたから)、一息。
飛行機が滑走路に向けてゆっくりと動き出しました。あいにく夜の出発だったので景色は見えず窓側でもないので余計に・・・・・。しかし、滑走路の明かりと飛行機のメンテナンスを行っているであろうと思われる場所などの明かりは見ることが出来ました。そしていよいよ、飛行機が離陸準備を開始しました。キィィィィィィィィィィーーーーーーーン(実際はもっと大きな音だが)4つのエンジンが全快で回り始めました!!!!飛行機の加速が始まりましたドドドドドドドドドドドドドドドドッッッッッッ!!!!!!!すさまじいスピード急加速してやがて前の方が上を向いて飛行機は無事飛び立つことに成功しました(成功してなきゃこの日記はないから当然と言えば当然)。
安定飛行に入るまでの時間がやたら長く感じたのはσ(・・*)だけだったんでしょうか(謎)???。それと必要以上に揺れがひどく感じられたのは気のせいでしょうか。文章に表すと、ガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタガタっとう感じで、上下左右に満遍なく揺れまくったんですが・・・・・。この続きは次回掲載予定です(これを書いてるのは6月11日です)。


2003年5月9日(暗雲立ち込めてきたよ・・・・)

まず、ここ最近不定期日記とはいえ更新をサボっていたことをお詫びいたします。ここ数週間σ(・・*)に起こったことを簡単に説明いたします。まず風邪を引きました。そして熱が39度まで上がり一日寝込んでしまいました(39度まで上がったのは過去数回・・・・)。映画2本見に行きました。1つは名探偵コナン迷宮の十字路を公開二日目にして見に行ったんですが実はこのときに熱が39度も出てるのを知らず無謀なことをしてしまいました(笑)。

さて、嬉しいことに我が姉がこのたび結婚することになって海外挙式をするというのでσ(・・*)も便乗することにしました。オメデトー(*⌒ー⌒)o∠★:゜*!!!。姉の結婚と言う意味とσ(・・*)の初海外旅行、行き先はオーストラリア(ゴールドコースト・シドニー)です。まあ、嬉しいことには嬉しいんですが、なんか実感がわかないんですよね。飛行機に乗って離陸するまでたぶん実感なんて沸きっこないですね(汗)

さて暗雲立ち込めるとタイトルにも書いたんですが、今日になってうちの父親がいきなり予定変更で姉の結婚式を終えたら仕事で日本にとんぼ返りするとか言い出しました!!これにはうちの姉はパニックに陥って自分の部屋にお篭りを決めてしまうし、母は父に対して怒鳴り散らすし(当然ですよね、これってドタキャンと同義語ですし。姉にしてみれば一生に一度の晴れ舞台にして最後の家族旅行もかねてるんですから)。先行き不安です。無事旅たつことは出来るのか???せめてお天気だけでも良くなってほしいなぁ♪