罪と罰
四章 1 ペンドア教団本部の地下祭壇所は、今も膨大な穢れの魔力が流れ込んでいた。 穢れの濃度も強く、人間にはとても耐えうるものではなかった。それは耐性のある魔神教団員でさえ、例外ではない。その証拠に、周囲には、混沌に回帰している人だったものの残骸が見える。 当然である。今、ここに流れ込んできている穢れは、魔神教団員が操る程度のものではない。魔界、それも深淵から溢れ出てくる、正真正銘の穢れなのだから。 魔界とこの場所を繋ぐのは、床に描かれた召喚円である。そこから、火山から噴き出す溶岩のように、混沌が溢れだしている。 それは、その中心にいた。 全身に瘴気をまとった漆黒の毛皮。背中に生えるコウモリの翼。姿形こそ狼魔だが、象をも優に超えるその巨体と、隠しきれない膨大な魔力が、狼魔とは一線を画していた。 「久しいな、クレイヤン」 召喚円の前に立つ、ルークソールがそれに語りかけた。 閉じられていたそれの目が開く。 『騎士団長か』 返答は、ルークソールの頭に直接返されてきた。 ルークソールは苦笑する。 「その肩書きは、とうの昔に意味を無くしている。今は、わが教団の宗主のみが、私を示すものだ」 『なるほど。結局、魔神皇国は敗れたか』 「残念ながらな」 『どうして、とは聞くまい。われとて、無様に魔界に放逐されたのだ。いかな崇魔種といえども、あの劣勢を覆せまい。負けたのもやむなきことだ』 クレイヤンの返答の中に、苦々しさが混じっていた。 「そう言ってもらえると、助かる」 『それで、こちらではあれから何年たった?』 魔界や天界などの異界では、時は流れるが、時間の概念はない。その時の流れも、地上とは異なる流れ方をする。クレイヤンは魔界存在であるから、地上での時間経過は知っていない。 「二千年ほどになる」 『ふむ』 長いと感じたか、短いと感じたか。その返答からは窺いしれなかった。 しばしの沈黙の後、クレイヤンが再び念話を送ってくる。 『それで、今回、われを喚びだした理由を聞こうか』 「二千年前の屈辱を、晴らす好機が来たのだ」 ルークソールはそう返答してから、事情を簡単に説明した。 『月(フィオラ)の神官か!』 クレイヤンは憎悪を隠さなかった。理由は明白である。二千年前の魔帝国戦争の時、クレイヤンを敗り魔界に放逐したのは、フィオラの神官であるクラウディア・ティルケなのだ。フィオラの神官は、クレイヤンにとって憎むべき宿敵であった。 「報告によれば、その神官は四部会(テトラルキア)所属の司祭だ。何をたくらんでいるのかはわからぬが、四部会の一人を派遣してくるのだ。相当大掛かりなことと見て間違いなかろう。背後にはプリンセスガードの一桁ナンバーもいるようだ」 『つまり、前と同じように、われに協力しろと言いたいのだな?』 「そうでなければ、喚びだす意味がない」 ククッ、とクレイヤンが笑う。姿形に似合う、邪悪な笑みだった。 『四部会の司祭をわれが直接手を下して良いなら、お前の誘いにのってやろう』 「そこに異論はない」 『では、わが主、ペンドアの子ルークソールよ、契約を』 神代の約束により、魔界生物が地上で活動するためには、地上生物と契約する必要があった。その契約期間の間のみ、地上での活動が許される。 「感謝する」 ルークソールが、クレイヤンに手をかざした。 そこに魔法陣が現れ、両者を照らす。 契約はなされた。 2 少し奇妙なことになった。リエージュはそう思っていた。 今月初頭に崇神派が掴んだ情報は二つ。フィオラの神官が秘密裏に、ラウエル大神殿に向かうというもの。そして、それに対し、魔帝派が何か動きを見せているというものである。 崇神派にとっても、ラウエル大神殿は魔帝派とは逆の意味で重要拠点である。フィオラの神官と魔帝派という、ラウエル大神殿と魔帝国にとって、重要なキーになる組織が動いているとなれば、崇神派としても、指をくわえて見ているわけにはいかなかった。 そこで、リエージュとコスマーに任が下ったのである。 フィオラの神官に接触して真意を確かめ、それが封印の強化であるならば、それを阻止しようとするであろう魔帝派からの保護。封印を解除するのであれば、その殺害。これが二人に与えられた任務であった。 この任務からすれば、ロッテたちと同行するのは構わない。だが、そう仕向けたのがこちらではなく、向こう側というのが、奇妙に思える原因だった。 「まったく。釈然としないこと甚だしいわね」 そうリエージュは、少し前を歩く三人を眺めながら吐き捨てた。 「あれから一日経っている」 コスマーが、リエージュの方を見ずにそう口にした。そろそろ納得しろと、この長年の相棒は言いたいのだ。 リエージュは、コスマーを見上げて睨め付ける。 「釈然としないもんはしないのよ!」 「何が釈然としない?」 「向こうに上手く乗せられてんのがイヤ」 「わざと乗っているのに?」 「それは、わかってるけど。あー、もう! いいじゃん、あんなポンコツ護衛と小娘(ガキ)の二人くらい、さくっと殺(や)っちゃえば」 「そうすると、フィオラの神官はわれらに協力しない」 「そいつの意思なんて関係ない。思考読みとって、封印をどうするのか確かめたら問題ないわよ。それで強化するってんなら、簀巻きにでもして連れてって、解除するんなら、殺(や)ればいいじゃない。ま、わざわざ先人が封印したもんを、解きに行くとは思えないけど」 「その状況で、フィオラの神官が前からの意図通り、封印を強化するとは限らない」 「解除しないってんなら、別にそれでいいじゃない。今までと状況は一緒よ」 「わざわざ、その状況を変えに、フィオラの神官が出てきているのが気にかかる」 「他に思惑があるってこと?」 「わからない。それに、君が思うほど、簡単にはいくまい」 「どういうことよ?」 自分の実力を否定されたみたいで、リエージュはとても不機嫌になった。 「護衛の男が持つ剣。あれは相当な魔剣だ」 「ああ、あれ。確かに凄そうな剣だけど、使い手があれなら、わたしの相手にはならないわ」 リエージュの感想に、コスマーは同意も否定もしなかった。それがリエージュを更に不機嫌にさせるが、コスマーはそれに気を使うことなく淡々と話を続ける。 「昨日、唐突に来て唐突に消えた女。男はあれの知り合いだ」 「あれ、プリンセスガード(プリガ)よね。ふん。確かに、プリガと知り合いっていうのは、気にしなきゃなんないかもね」 「そして、そのプリンセスガードと、あの少女も知り合いだ」 コスマーの視線が、前を歩く三人のうち、一番小さい少女に向けられた。 「あの小娘を、見かけ通りの年だとはさすがに思っちゃいないわよ。でも、そんなに警戒しなきゃならない相手?」 「妙に引っかかる」 「何がよ?」 「名前」 名前? と聞き返しながら、リエージュは昨日のことを思い出そうとする。 「確か、エリーゼとか名乗っていたわ。それが?」 どこにでもいるような、普通な名前である。 「魔女」 その短い返答に、リエージュは驚く。 「まさか! あんたは、あの小娘がエリーゼ・ヴァラッハだとでもいいたいの?」 魔女というと、大きな意味では魔法を使う女性のことをいう。だが、狭義で言う場合、魔女というと、それはエリーゼ・ヴァラッハをさす。 史上、著名な女性魔術師が世間からつけられる異名に〈暁の魔女〉とか〈氷の魔女〉等、〜の魔女とつく場合がある。しかし、単に〈魔女〉と呼ばれるのはエリーゼ・ヴァラッハのみで、それだけ彼女が著名で偉大な魔術師だということがわかる。 現実に、彼女は『死の蔓延』をサウフィ・ウェイルとともに鎮禍し、魔帝国戦争では、〈魔帝〉アヴルサックを討ち、かつ封印した。魔術師としては、〈死姫〉ラティスと比肩するか、それ以上の実力と実績を誇る。 「ラウエル大神殿。フィオラの神官。そしてプリンセスガード。魔帝国戦争末期のキーワードが揃ってきている」 「そ、それにしたって、何で〈魔女〉があのポンコツと知り合いなのよ?」 「エリーゼ・ヴァラッハは、ラティスと知り合いだ」 「つまり、ラティスの部下のプリガと知り合いなんだから、エリーゼ・ヴァラッハと知り合いでもおかしくはないと言いたいわけ?」 「可能性があるということだ」 そうコスマーが頷いた。 リエージュは口を噤み、視線を再び前方にやる。 前の三人は、相変わらず少し先を歩いていた。 エリーゼに注目してみる。 しかし、彼女が〈魔女〉であるかないかの判別はつかない。 確かに、コスマーの言う通り、彼女が〈魔女〉であるならば、迂闊な手出しは危険だろう。 ふん、とリエージュは、唇を尖らせた。 「あれが〈魔女〉だろうがなかろうが、邪魔するなら潰すまでよ」 「そう思っていれば、今はいい」 初めてコスマーがリエージュの方を向き、微笑した。 「何騒いでんだ、あいつら?」 ルドルフは、視線だけ後方に向けた。 少し離れているため、会話の内容までは聞こえなかったが、小さい方が大きい方にくってかかっている様子が見てとれる。 さあ、と答えたのは、エリーゼである。 「大方、今後のことではない?」 「今後ねえ。いつ襲いかかってくるかの相談でもしてるんかな」 「かもしれないわね」 「しかし、面倒だな」 ルドルフは肩をすくめた。 何が? という風にエリーゼがルドルフを見上げてくる。 「気にしなきゃならん奴らが増えるのは、たまらんということだ」 「くすくす、そんなことか」 「そんなことで済ますには、今の俺にゃあ手に余る奴らなんだがな」 焔魔衆にしても、後ろの二人にしても、相当な手練れであることは、既にわかっている。自分一人ならどうとでもしようがあるが、今はロッテの護衛として、行動に制限がかかっているのだ。 「心配しなくていい。焔魔衆が襲ってくれば、後ろの二人が守ってくれる」 「どうして、そう言い切れる? あいつらは魔帝派とは敵対してるかもしれねえが、魔神教団には変わりがねえんだぜ。それでなくても、どちらの狙いもシャルロッテだ。いつ、利害の一致をみて共闘するかわかったもんじゃねえ」 「そうか。お前は詳しくは知らないんだな」 「んん?」 「魔帝派は魔帝国再興を目指していて、崇神派はそれを阻止しようとしている。キーパーソンは確かにシャルロッテだが、それで二派が相容れることはない」 エリーゼが断言する。 ほんとかよ、とルドルフは返しながら、ロッテの方を見た。 「そうですね」 ロッテがルドルフの方を見ないで、僅かばかり頷いた。 「そんなもんか」 「後ろの二人は、今より、ことを終えた後に気にするべきね」 「どういう意味だ、そりゃ?」 「言葉通りよ」 エリーゼが、そうくすくす笑う。 わかるかよそれで、とルドルフは返すが、エリーゼはくすくす笑っているだけだ。 その時、ロッテがエリーゼの方を見ているのに気がついた。その視線は、何か読みとろうとしているようである。 「何かしら?」 エリーゼも気づいたのか、ロッテに問いかける。 「貴方は、あたしが何をするつもりなのか、ご存知なんですか?」 「デイジーの奴からは聞いてはいないけど、推測はしてる。そして、それが間違ってないこともわかってる」 「では、あたしが何者なのかも?」 「くすくす」 「フィオラの神官じゃないのか?」 ルドルフが口を挟むが、ロッテには無視された。 「あなたは、もしかして……」 「推測に留めておいて欲しいものね。多分、それで間違ってはいないと思うけど」 「そういうものですか」 「お前も隠したいから、話さないんじゃない?」 「あ、あたしは別に、そういうわけでは……。言いふらすものでもないですし……」 「そう。言いふらすものじゃない。それに、そういう感じでいく方がおもしろいと思わない?」 エリーゼが、ルドルフを見やる。そして、これじゃあデイジーの奴と変わらないわね、と苦笑した。 しばし間をおいたが、ロッテがわかりました、とそれに頷いた。 「俺が全然わからんのだが」 ルドルフは憮然と口にする。 「お前は気にしなくていい」 「何で?」 「私が何であれ、彼女が何であれ、お前が彼女の護衛という立場は変わるまい?」 「それはそうだが」 「なら、問題はない」 エリーゼにそう言い切られ、ルドルフは次の言葉を失った。 お前が気にすべきなのは、とエリーゼが更に言葉を続ける。 「例えば、前にいる物のことではない?」 「へ?」 言われて、ルドルフは視線を前方にやった。 「!」 前方には、いつの間にか狼魔が一匹立っている。 今までの襲撃のされ方から、ルドルフは周囲に警戒を放った。 しかし、あやしい気配は感じない。 「一匹だけなんでしょうか?」 ロッテが尋ねてくる。 「そうっぽいが……。――そうか!」 ルドルフは、気づいた瞬間に狼魔に向かって駆けた。だが、間合いに入る前に、狼魔は飛び去っていった。 「ちっ」 舌打ち一つ、ルドルフはロッテの傍に戻る。 「偵察ね」 気づいているのだろう。エリーゼが、そう述べた。 恐らくな、とルドルフは頷く。 安全を考え、ルドルフらは街道を外れて裏道を通るようにしていたが、こちらの目的地を魔神教団は知っている。そこに至るルートは、必然的に限られてくるわけで、それらに偵察の狼魔を配していたようだ。 「あれを殺っても、どのみち、それでこちらの居場所はばれる。それよりも、次の襲撃を警戒した方がいいと思うわね」 襲撃は、すぐにあるだろう。こちらがルートを変えては、居場所を知る意味がないからだ。 「そんなことはわかってる」 「もっとも、用心する以上のことは出来ないか」 エリーゼが微苦笑した。 「どうします?」 ロッテが問いかける。 「今から走って逃げ切れるとも思えねえ。なら、迎え撃つしかねえな」 ルドルフは肩をすくめた。 ロッテが、ルドルフを見つめる。 「大丈夫、ですか?」 表情こそ変わらないが、ロッテの声色に心配そうな響きがあるような気がした。 もしかして俺のことを心配をしているのかと、ルドルフは意外に思うが、心配されるような状況に、前回の戦闘の時陥ったのを思い出した。あんな醜態を晒せば、護衛される方としては不安にもなる。そういうことなんだろうと、妙な納得をルドルフはする。 「心配しなくていい。先ほども言ったとおり、奴らが何とかするだろう」 エリーゼが、後方に視線をやった。 「あいつらか……」 ルドルフは、複雑な感情が混じった視線を崇神派の二人に向ける。 彼女たちの実力は相当高いのは、前回の戦闘の時に見て知っていた。そもそも、弾よけとデイジーが言ったように、そのつもりで二人の同行を渋々ながら許している。だが、あの二人に頼るのは、相当に忌々しく感じるのだった。 「なにぼけっとしてんのよ。そろそろ来るわよ」 立ち止まっていたルドルフらに追いついたリエージュが、そうルドルフに言った。 「わかってるよ」 「なら、戦闘中、わたしたちの邪魔にならないように、どっかその辺で隠れてなさい。ああ、そのまま帰ってもいいわよ」 「アホ言え。お前らに任せてられるか」 「役立たずのくせに、えらく大口叩くわね」 「誰が役立たずだ、コラ!」 「あんたよ、あんた。前の時も、わたしたちが来なきゃ、やられてたじゃない。間に合ったから、フィオラの神官をあいつらに渡さずに済んだけど」 「なんとか出来たと言ってるだろうが。人造魔的生命体のくせに、記憶容量が足りてねえのか?」 「なに! 弱っちい人間の分際で、このわたしを馬鹿にするの?」 やっぱり、あんたから殺してあげる。リエージュが怒気を漲らせながら言う。 「やってみろよ、チビ」 「遊ぶのもいい加減にしておけ、リエージュ」 コスマーの冷徹な声が割って入った。 何でよ、と反論しかけたリエージュだが、即座に迫り来る魔力に気づく。 「!」 次いで、ルドルフもそれに気づいた。 上空一帯を占める無数の魔力弾。 それが、飛来してくる。 「頭抱えてろ!」 ルドルフが怒鳴りながら、エルファルスを抜き放った。 「こんなのに、何動揺してんのよ」 侮蔑と嘲笑をルドルフに送りながら、リエージュが手を上空にかざす。 魔力が周囲に展開し、防御シールドが一帯に張られた。 刹那、魔力弾が防御シールドにぶつかり、轟音を上げる。 防御シールドは、雨霰のように降り注ぐ魔力弾を防ぎきった。 しかし。 「さすがに、この数はきついか」 リエージュが、微かに呟く。それと同時に、展開していた防御シールドが四散して消滅した。 「来る!」 コスマーが、短く厳しい声を飛ばした。手は腰の新月刀(シャムシール)に伸びている。 刹那、黒く大きな奔流が、前方から迫り来る。視界を埋めるほどの黒炎だ。 コスマーの新月刀が一閃する。 彼女の魔力の力か、新月刀の能力か。刀の描いた軌跡に氷雪が舞い、黒炎が瞬時に凍りついた。 轟音がする。 直後に、凍りついた黒炎の中央部が粉砕された。向こう側からの大きな衝撃で、無数の氷の飛礫が飛来してくる。 同時に黒い影が、砕け散った氷の間から猛然と突進してきた。更に時を同じくして、上方からも黒い影が出現した。 「みえみえよ、ノータリンども!」 その来襲を読んでいたのか、リエージュは右腕を上方の影に向けている。呪文の詠唱は既に完了しており、影を指す右手には、巨大な雷の球が形成されていた。 コスマーも動いている。リエージュとは阿吽の呼吸のようで、彼女の行動も確かめもせず、前方の影へと進む。 リエージュの雷球は、術者であるリエージュを超える大きさになっていた。 「来世では、わたしの敵にならないことね!」 リエージュが魔法を放つ。 放電しながら一直線に雷球は、影に襲いかかった。 同時に、コスマーの斬撃が、前方の影に撃ち込まれる。 「む?」 空中の雷球が、黒い軌跡に切り払われ消滅した。それを認識した直後、リエージュの眼前に曲刀が迫る。 激しい音が、リエージュの眼前に響いた。 「自動防御魔法か」 フレアズが、舌打ちをする。 「この程度で、わたしに傷をつけられるとでも思ってるの?」 「そう考えているさ」 その台詞と同時に曲刀が黒炎をまとい、その圧力が増していった。 このままだともたない。そう判断したリエージュは、即座に牽制の雷弾を幾つか放ちながら、フレアズから距離をとった。 「魔法増強(ブースト)してるみたいね」 「この場で決めるという覚悟だろう」 リエージュの横に並んだコスマーが、感想を述べる。 ここにコスマーがいるということは、彼女の一撃も防がれ、いったん退いたということだ。ちらりとリエージュがコスマーの視線をたどると、バトルアックスを手にしたエゼルスタンがいた。 「威勢がよかった割には、たいしたことねえのな」 ルドルフは、そう呟いた。 その声は、それほど大きくはなかったが、どうやらリエージュの耳に届いたらしい。 「初撃に対応できずに動けなかったノロマの分際で、大口叩くんじゃないわ!」 「うっせえよ」 「ま、そこでガタガタ震えてなさい。その方が邪魔にならないから。その辺でウロチョロしてたら、あいつらとまとめて殺すわよ」 「好きにしろよ。俺も好きにさせて貰うから」 「言われるまでもないわ」 「リエージュ」 コスマーが、リエージュを呼んだ。 「わかってる」 リエージュが、コスマーの言いたいことを察したのか、頷いた。 二人の注意が、再び焔魔衆二人に向けられる。 「ここで終わりというのには、同意してあげる。そろそろ手加減には飽きてきたわ」 「その方がいい。死んでから後悔されても、誰も気づかないからな」 フレアズが口の端を歪めた。 「言うわね、三下!」 リエージュが呪文の詠唱に入る。 それと同時に、フレアズが地を蹴った。 間髪入れずに、エゼルスタンもコスマーに突進する。 そして。 「なに?」 フレアズが一瞬虚をつかれた声を発した。自分の目前に、コスマーが出現したからだ。 瞬間転移の発動を疑ったほど、コスマーの出現は忽然としていた。実際には、コスマーは劈頭からエゼルスタンではなくフレアズに向かっていただけで、魔法の類は使用していない。 虚をつかれたのは、エゼルスタンも同じだった。まさか自分を無視してフレアズの方に向かうとは、想像だにしていなかった。 エゼルスタンの今までの戦闘経験が、警鐘を鳴らす。理由は、すぐに判明した。リエージュの視線が自分に向けられているのだ。 「くっ!」 エゼルスタンが、更に距離を詰める。 しかし、リエージュの呪文は完成していた。 「うすのろ」 リエージュが嘲笑とともに、自身の周囲に数十個のスフィアを展開させた。 「死ねぇっ!」 スフィアから、一斉に雷撃が斉射される。無数の雷霆が目映い軌跡を残しながら、エゼルスタンに直撃する。 「!」 直後、中空から再び魔弾が降り注いできた。今度は全体ではなく、リエージュとコスマーの後背を狙ってだ。 呪文を放ち終えたタイミングで撃ち込まれた魔弾に、さすがのリエージュも防御魔法が間に合わず、その場から左へ飛び退くことで難を逃れた。 コスマーの方も同様で、打ち合いをいったん放棄して、右方向へ避けた。 「そういや、もう一人いたわね。いや、オーモンドをあわせりゃ二人か」 リエージュが中空を見上げる。 そこには、デイリがいた。 「なかなか愉快なタイミングじゃない。仲間を駒として見てるとこなんか、好きよ」 リエージュが魔法を撃つ前ではなく、撃った直後に魔弾を放った行為に、リエージュが壮絶な笑みを浮かべながら感想を述べた。 「…………」 デイリは答えず、新たな呪文の準備に入る。 「――!」 コスマーが、デイリらの意図に気づいた。 「フィオラの神官だ!」 リエージュらが気づいたとき、ロッテの傍には、ルドルフとエリーゼがいるだけだった。 「せこい真似してくれるじゃない!」 コスマーの方は、フレアズが再度打ちかかってきており、それへの対応をで駆けつけられない。エゼルスタンを撃退していたリエージュが、デイリを撃ち落とすより、駆けた方がまだ早いと判断して、ロッテの方に駆け出した。 だが、デイリの行動の方が一足早い。 デイリがロッテの方に差し出した腕から、魔力で編まれたネットが打ち出される。 刹那。 光芒が一直線にネットを横断し、破壊した。 「さすがね」 エリーゼが、ルドルフに言った。 これくらい当たり前だ、とルドルフは不機嫌さを隠さず口にする。 「くすくす。別に、今の攻撃に感心したわけではないわ」 「そうかいな」 「それで、不機嫌な理由は?」 「あいつら、俺を舐めすぎだ」 ルドルフは、中空にいるデイリから視線を外さず答えた。 「お前を眼中に入れてなかったから?」 エリーゼの問に、ルドルフは無言で肯定を示す。 焔魔衆の目的は、ロッテをさらうこと。だから、挑発的な攻撃を仕掛けて、護衛を引き剥がそうとした。その護衛の中に、ルドルフが含まれていなかったのは、デイリが出現したタイミングで明確である。それが幸いして、完全な態勢でロッテへの攻撃を防げたのだが、明らかな格下扱いに、ルドルフの矜持は傷ついていた。 そんなルドルフの胸中を読みとって、エリーゼがまたくすくすと笑う。 「でも、追撃はしないのね?」 「してどうするよ」 当たり前のことを聞くな、とルドルフは答えた。 そうね、とエリーゼが答え、視線をデイリに移す。 デイリは、ルドルフに攻撃を防がれた直後に、新たな呪文の構築に入っていた。だがリエージュの雷弾がそれを阻止していた。 「でかしたわ、人間!」 リエージュが、そう叫び置いて、そのままデイリと戦闘に入る。 「弾よけね。いみじくも、奴の言うとおりになったわけか」 「迂闊で好戦的な狂信者じゃ、それくらいしか出来ねーだろうよ」 「宿敵同士だ。状況判断の狂いも、大目に見てやれ」 「別に、あいつらに何か期待してるわけじゃねえし、どうでもいい。むしろ、この場で両方潰れてくれるとありがたいんだが」 「無理だろう。実力に差がありすぎる」 エリーゼの言うとおり、戦闘は崇神派二人の方が圧倒していた。現状、焔魔衆の二人を倒しきれないのは、焔魔衆側が防御に徹しているからと、崇神派の二人が今度はロッテの方に意識を割いているからにすぎない。 焔魔衆と刃を交えたルドルフからすれば、彼らは簡単に圧倒されるほど弱くはない。むしろ、強い。だが崇神派の二人の方が、もっと強いということなのだろう。 「このままいけば、戦闘は遠からず終わる」 エリーゼが、含みをもたせた口調で言葉を続ける。 ルドルフは即答した。 「いかないだろ」 「どうして?」 答を知っていながら尋ねている者独特の微笑で、エリーゼか問い返す。 「まだ出てこねー奴がいるだろ」 ルドルフが、そう答えた直後、戦闘に動きがあった。 不意に焔魔衆二人が、戦闘を離脱し距離をとって合流したのだ。先ほど誘い出された崇神派二人は、今度は深追いせず、ルドルフら元に戻ってくる。 「やっとお出ましのようね」 リエージュが、焔魔衆二人の傍に現れた魔法陣を見て、そう口にした。 魔法陣から、現れたのは予想通りオーモンドである。 「遅刻しすぎじゃない? 今更出てきても遅いわよ」 リエージュが嘲笑う。 オーモンドは答えず、エリーゼを睨み付けた。 「まさか、人間如きに防がれるとはな」 エリーゼが、肩をすくめる。 「何かやったのか?」 「あの時、ですか?」 ルドルフとロッテが同時に問うた。 「あの時?」 「焔魔衆があたしにネットを放ったとき、一瞬だけあたしの近くで穢れの魔力反応がありました。即座に消えましたが――」 「やっぱ、何かしてきやがったのか、あの崇魔平衆」 「恐らくは、あたしを殺す一撃を。それくらい強い魔力でした」 「礼を言った方がいいのかな?」 「あたしも弾よけよ。いらないわ」 エリーゼが、くすくすと笑う。 「どういうことよ?」 リエージュが会話に割って入った。 「そういうことです」 ロッテが冷たく答える。 「あんた、相変わらずムカツク言い方するのね。守ってやってるのに、少しは感謝したらどう?」 「別にあたしが頼んだわけではありません。それに、あたしを守ってくれていたのは、ルドルフさんとエリーゼさんです」 「あんた……!」 リエージュが憎悪のこもった目で、ロッテを睨め付けた。 「リエージュ。話は後だ」 一触即発の空気を払ったのは、コスマーである。彼女の視線はオーモンドに注がれたままだ。 そうね、と答えながら、リエージュがロッテから視線を外す。 「この戦闘が終わったら、わたしの足を喜んで舐めるくらい従順にしてあげるわ」 憎々しげに吐き捨てた後、リエージュが呪文の詠唱に入った。 「コスマー」 「わかっている」 リエージュの呼びかけに、コスマーは頷いて地を蹴った。 「いったん態勢を整え直したいでしょうけど、もう逃がさないわ。ここで終わらせてあげる」 「それは、こっちの台詞だ。デイリ! フレアズ!」 オーモンドが返し、デイリとフレアズが動く。 フレアズが、突進してくるコスマーに向かい、デイリが魔法陣を眼前に展開した。オーモンドも呪符を取り出し、魔術を発現させる。 「黒炎の槍よ、敵を貫け!」 デイリの魔法陣から、黒い炎で形作られた槍が放たれた。 「はあーっ!」 コスマーの新月刀が一閃する。凍気をまとった刃が、黒炎の槍を氷結させ砕いた。 「死ね!」 同時にフレアズの曲刀が、コスマーに襲いかかる。 「死ぬのは、あんたよ!」 リエージュの声とともに、無数のと小さな雷刃が、フレアズめがけて放たれた。 「うおっ!」 「四方煉獄陣!」 オーモンドの呪符が弾ける。すると、全員を囲むように、四方から黒炎が噴き出す。 リエージュとコスマーは、行動直後で一瞬対応が遅れる。その刹那、炎に囲まれた周囲が灼熱と化した。 オーモンドは術者だけに、その熱の影響を受けていない。デイリも〈荒ぶる炎の魔神〉ペンドアの教徒だけあって、耐性があるらしい。だが同じ教徒でも、瀕死のエゼルスタン、雷刃の直撃を受け多大なダメージを負ったフレアズは、為す術もなく瞬時に焼け焦げた。 一方、一瞬対応の遅れたリエージュは、即座に対抗防御陣を張るが、灼熱の影響は完全には消せず、初動が遅れた分と重なって、大きなダメージを受けた。 コスマーは、新月刀の凍気で全身を覆って熱を中和するが、それでも無傷というわけにはいかなかった。ダメージでいえば、リエージュより深刻であった。 「戦法的には、それほど間違ってないわね」 エリーゼが、感想を述べる。いつの間にか、エリーゼは結界を張っており、その中にルドルフとロッテもいた。 エリーゼの結界は、四方煉獄陣の灼熱を、完全に遮断していた。 「いつの間に?」 ルドルフは、動きかけた足を止めてエリーゼに問う。エルファルスで黒炎の壁を切り払おうとしたのだ。視界に映るロッテの手も、印を結ぶ形に入っており、何かしらの術を展開しようとしていたのが見てとれる。 「ついさっきよ」 エリーゼが答え、肩の上のジャッキーが呑気に欠伸をした。 ついさっきと言われても、そのような行動をエリーゼが行ったとはとても思えない。何かしらの素振りがあれば、ルドルフは気づいていたはずだ。 否。オーモンドの初撃を防いだのも、ルドルフは気づかなかった。 「お前、もしかして、無茶苦茶強えんじゃね?」 言ってから、それも当たり前かとルドルフは悟る。彼女はデイジーの古い知り合いのようだ。デイジーのように不老不死かどうかはわからないが、彼女がデイジー並の強さを持っていても、あながちおかしくはない。 「今は、私の実力なんて、どうでもいいことじゃない?」 そんな言葉で、エリーゼがルドルフの注意を、オーモンドたちに向けさせた。 「貴様っ!」 オーモンドが端正な顔を歪め、憎々しげにエリーゼを睨んだ。 エリーゼは、平然と視線を受け流し、くすくすと微笑している。 「人間の分際で!」 「実力の差というやつかしら?」 「ほざけっ! デイリ、崇神派の二人にとどめを刺しておけ!」 言い捨てると、オーモンドが黒炎の壁に手を突っ込んだ。手を抜き出すと、そこには黒炎が鞭状に形成されていた。 オーモンドが、それをエリーゼの結界に放つ。 黒炎の鞭は、しなりながら結界に巻き付いた。 「砕けろ!」 オーモンドが、鞭に魔力を込める。 鞭の炎が勢いを増した。周囲の灼熱に煽られ、結界全体を黒炎が覆う。近くに転がっていたエゼルスタンのバトルアックスが、その熱気によって溶解する。 そして、黒炎が弾けた。 「なっ……?」 オーモンドが、驚愕に目を見開く。エリーゼの結界は全く無傷で、当然中の三人も何の影響も受けていなかった。 「何者だ、お前!」 「ただの魔術師よ。人間のね」 「おのれぇっ!」 オーモンドが手に魔力を迸らせ、槍を顕現させる。 刹那。 「ぐはっ!」 オーモンドが吐血して、槍を取り落とした。 彼の胸部からは、刃が突き出ていた。 「き、貴様ぁ……!」 オーモンドが、視線を後方に巡らす。立っていたのは、凍気を全身にまとったコスマーである。 「こんなの一匹で、わたしたちに向かわせるとは、舐めてくれたもんね」 肩で息をしつつ、リエージュが怒りの形相をオーモンドに向けた。ボロボロに焼け焦げているが、自身を覆う魔力の薄膜が、灼熱を遮断しているようだった。 手には、デイリだったものを持ち上げている。 「ぐはぁぁぁっ!」 オーモンドが、絶叫を上げる。新月刀が、コスマーの魔力に反応して、凍気の力を強めたからだ。 「効くだろう。貴方の炎が私によく効くように」 「ブランシュ様の教えを、踏みにじる背信徒めぇっ!」 「ペンドア様のご意志を損ねている、貴方がたに言われたくはない。この剣が、私の手元にあることがその証左」 「黙れ! 神器の所有だけが、正統を示すものではないわ!」 オーモンドが、痛みに叫びながら身体を捻り、コスマーに手を伸ばした。その手の先から爪が伸び、コスマーの顔を襲う。 コスマーは顔を横に倒し、それをかろうじて避ける。爪は頬をかすめ、黒髪を切り裂いた。オーモンドはそのまま手首を返し、コスマーの後頭部を狙う。 コスマーは、新月刀に体重を乗せてオーモンドに突き当たり、そのまま切り裂いた。 「があぁぁーっ!」 オーモンドの身体から血が飛び散り、即座に蒸発した。 致命傷である。だが、オーモンドの身体は、即座に治癒と再生を始めていた。 「この場で終わらす!」 リエージュが、首を振った。すると、金髪が幾本もの矢のように鋭く変化し、オーモンドを串刺しにする。 「あ、……あああ……」 穿たれたオーモンドが、それでも抵抗しようと、手を上げた。その腕の肩口から、袈裟懸けにコスマーの新月刀が振り下ろされた。 鮮血が舞い、今度は即座に凍りついた。オーモンドの身体も凍りつき、そして木っ端微塵に砕け散った。 ふう、とリエージュが大きな息をつく。 「手こずらせやがって」 髪を元に戻して、リエージュが砕け散った氷の破片を踏みつけた。 氷の破片は、灼熱の炎の中でも溶ける様子がなく、黒炎に照らされて、きらきらと光っていた。 コスマーが、新月刀を払う。 凍気が周囲に駆けめぐり、四方煉獄陣が消滅した。 「焔魔衆隊長は死んだ。これで、魔帝派ペンドア教団も弱体化するわね。こんな任務で最初は辟易してたけど、重畳だわ。上手くいけば、ルークソールの野郎もやれるかもね」 そうコスマーに語るリエージュの身体が、淡く光った。全身についていた傷や火傷が治されていく。 「ルークソールは崇魔王統。不滅だ。専用の封印器を用意していない」 答えるコスマーの身体も、淡く光っていた。 「ふん。いーじゃん。奴の封印が本来の任務じゃないし、一回くらい殺しても構いやしないわよ。どうせ、死んだら復活に時間がかかるんでしょうに。そしたら、崇神派に有利な状況じゃない?」 軽く言うリエージュに、コスマーが薄く笑った。 「確かにな」 「さて。じゃあ、本来の任務に戻りましょうか。あのムカツク奴ら、どうしてくれようかしら」 リエージュが、ルドルフらに視線を向けた。 「あの少女、相当やる」 「そうね。本当に〈魔女〉かしらね」 「下手につっつくのは、得策ではない」 コスマーの言葉に、リエージュが不満そうに見返すが、何も返さなかった。 ややあって。 わーってるわよ、とリエージュは大仰に頷く。 「もうしばらく、奴らのお遊戯につきあってあげましょ」 |