罪と罰
二章 1 暗い執務室。 そこに、二人の人物がいた。 二人とも長身で優美な男性である。 片方の男性は奥の机についており、もう片方の男性はその前に立っていた。 机の上には球状の透き通った物体が浮いている。淡く光るその物体は、現状この部屋の唯一の光源でもあった。 二人の男性の視線は、その球状の物体に注がれている。 球状の物体は、ここではないどこかの情景を映し出していた。 そこでは、赤いマントをまとった男と、戦士風の男が対峙していた。戦士風の男の後方には、金髪の少女の姿も見える。 少し前に行われた、ルドルフと崇魔平衆の戦闘だった。 「この男、なかなかやるようですね」 立っている男性が、感想を述べる。 映像は、ちょうどルドルフが狼魔を一掃したシーンを映していた。 「戦士としては、一流の域に達しているようだ」 座っている男性が解説を付ける。彼は既に一度、この映像を見ていた。 しかし、と立っている男性が問うた。 「それだけでは、アジャックスの敵ではないはずですが?」 「こいつが、アジャックスを倒したのは事実だ。オーモンド」 座っている男性が軽く手をかざすと、映像が止まる。ルドルフがアジャックスに斬りかかろうとしているシーンである。 アジャックスが発現させた魔法円が、弾けて消えていた。 「む!」 オーモンドが、事の重大さに思わず声を発する。 「ルークソール閣下。これは、この男が?」 「いや。アジャックスの様子から見て、恐らく他者であろう」 「他者? それは、アジャックスに気づかれず潜んでいたのですか?」 「アジャックスの魔法を、解呪するほどの輩だ。アジャックスに気づかれずに潜むことも、可能だと思うが?」 ルークソールが淡々と推論を述べた。 「それは、我らの中に敵がいると言うことですか?」 崇魔平衆の強力な魔力を打ち消せるのは、同等の崇魔平衆か、それを統べる崇魔王統しかいない。それは、崇魔平衆たるオーモンドにとっては、ごく自然な思考だった。 「その可能性を否定はしない。だが、ごく僅かであろう」 「そう申しますと?」 「いるではないか、我々とは違う輩が」 ルークソールの言葉に、あっ、とオーモンドが思い至る。 「崇神派が動いていると?」 魔神教団とは、実のところ一枚岩ではない。大きく分けると、二派に別れていた。 魔帝派と、崇神派である。 魔帝派は、魔帝国の再興と、それによる大陸制覇を目指している。 それに対し崇神派は、個々の欲望のままに力を振るう、魔神崇拝の原理主義的なことを教理としていた。崇神派にとっては、魔帝国も秩序を強要する足枷に過ぎず、それを再興させようとするのは、『魔極神』ポテイトウズらの意志に反する許し難い行為であった。 歴史的に見ると、強力で反抗不能の魔力で支配されていた崇魔平衆の中の一部が、魔帝国戦争の敗北で力を激減させた崇魔王統に反旗を翻した。それが崇神派の母体である。教義的にも、心情的にも、二派は相容れない存在だった。 「確証はない。だが動いていても不思議はない。我らが動いたようにな」 ルークソールは机に肘をつき、手を組んだ。 〈月の女神〉フィオラの教団で、重要な地位にいる女性が秘密裏に旅に出た。目的地はラウエル大神殿。その情報がペンドア教団にもたらされ、宗主たるルークソールは焔魔衆の派遣を決めた。 フィオラ教団と魔帝派は、不倶戴天の敵同士である。否、むしろ魔帝派がフィオラ教団を目の敵にしていると言っていい。 「フィオラ教団が動いたとなれば、我らは動かざるを得ない。その理由は承知しているな?」 ルークソールの問に、オーモンドは頷く。 「〈祭壇〉の封印ですな」 「そう。魔帝国戦争のおり、フィオラ教団の一人によって為された封印だ」 「クラウディア・ティルケ。当時のフィオラ教団宗主と聞き及んでいますが?」 「戦後、我々ペンドア教団だけでなく、多くの同胞がそれを破ろうとして、未だ成し得ていない。我らとしては、どうしてもその封印を破る方法を知らねばならぬし、今以上に封印を強化されても困る」 「故に、フィオラ教団の動きには、常に注意を払っているわけですな」 オーモンドの確認に、ルークソールが頷きを返しつつ言葉を続けた。 「今回、フィオラ教団が何を企んでいるかは知らん。だが、こちらとしては、それを奇貨とせねばならんのだ」 「はい」 「そして、崇神派だ」 「我らの悲願は、奴らにとっては阻止しなければならない事柄。我らが動けば、動いてしかるべきではありますな」 「そういうことだ」 ルークソールが答えながら、球体に手をかざした。 球体の映像が、再び動き出す。ルドルフがアジャックスを斬り、アジャックスの転移呪文が条件発動していた。 「魔法を解呪されたとはいえ、アジャックスが人間如きに後れをとるなどとは」 オーモンドは、映像を見てもなお信じられなかった。 「この者の持つ魔剣に、理由がある」 「相当の魔力を持った剣と見受けられますが……」 「アジャックスの傷を分析したところ、〈死〉の力が働いていたようだ」 「〈死〉の力!」 「それが、アジャックスの再生能力を阻止した」 「では、アジャックスは……?」 「死んだ」 ルークソールが短く答えた。 「死んだ、ですと!」 オーモンドは驚愕して声を上げる。 崇魔平衆にとって、死は遠いものである。種族的に不老長生であることもあるが、優秀な魔術師として生を受けるため、不死の力を手に入れる者も多い。オーモンドもアジャックスも不死であり、齢は既に五百年を超えていた。 「神官らの治癒呪文も、復活呪文も効かなかった」 「よほど強力な〈死〉の力のようですな。信じられませんが」 「ところで、オーモンド。〈死〉と聞いて、連想することはないか?」 不意にルークソールが問う。 「ファーガス様でありましょうか?」 オーモンドは、すぐに浮かんだ死の神の名を口にした。魔神統に連なる者としては、当たり前の解答だった。 「ふむ。君くらいの年齢では、そうなるか」 ルークソールが、興味深げな表情を作った。 「では、閣下は別なのですか?」 「私は魔帝国戦争を体験しているのでな」 ルークソールの口調には、僅かながら苦々しいものが混じっていた。 そう言われれば、オーモンドはあっと思わざるを得ない。 どうして、ペンドア教団本部がこんな僻地にあるのか。どうして、ルークソールは二千年もの長きに渡り潜伏を余儀なくされているのか。それを知らないはずもなかった。 「フェルスアトラのプリンセスガード」 「そう〈死姫〉ラティスの護衛どもだ」 ルークソールが、昨今はめっきり言われなくなった王女の異名を冠して、その名を口にした。 強力な〈死〉の力を持って生まれてきたラティスは、その力故に〈死姫〉と呼ばれていた。その力を欲して『冥皇』〈冥府の主〉ファーガスが、息子である〈屍皇子〉ヴェデットを地上に派遣して『死の蔓延』が始まるのだが、サウフィ・ウェイルの活躍により、死禍は除かれた。 その時に、ラティスはウェデットの〈死〉の力を吸収し、更にファーガスの地上における〈死〉の力をも奪い、地上における〈死〉の統括者となった。今や彼女の〈死〉の力はファーガスに比肩するほどのもので、地上においては、ファーガスの力すら凌駕する。 ラティス直属の親衛隊であるプリンセスガードの面々も、ラティスとの契約により、〈死〉の力の幾分かを振るうことが出来るのだ。 あの時、とルークソールが語る。 「私はプリンセスガードの一人と戦い、そして敗れた。その時の傷は、今もって完治していない」 それは、ルークソールと対峙したプリンセスガードの〈死〉の力が、崇魔王統であるルークソールの治癒再生能力を上回っていることを示していた。逆に言えば、不老不死にして不滅の存在である崇魔王統だったからこそルークソールは生き残り、またごく僅かとはいえ傷が癒えていったのだ。 「しかし閣下ならば、例え相手がラティスであろうとも、それ以前の傷がなければ、討たれはしませんでしょうに。ましてや、プリンセスガード如きにはやられなかったはず」 「その意見は尤もだが、しかし的外れだな。戦況が我々に不利であった以上、誰が最終的に出てきたとしても、こちらがまともな状態で対峙できたとは思えない」 「それはそうですが……」 「無論、まともであれば、君の言う通り、むざむざやられはせんがな」 ルークソールの言葉は、オーモンドに向けられてはいたが、その半分ほどは自分に言い聞かせているようだった。 魔帝国戦争は、崇魔種にとっては、能力で劣る人間如きに敗れた屈辱の歴史である。その中枢にいて、直接敗れたルークソールの持つ屈辱感は、いかほどのものであろうか。それを測るのに、想像力はそれほど必要としなかった。 「ところで、閣下のおっしゃりようでは、今回の件にフェルスアトラが絡んでいるということですか?」 「古傷が疼くのだ」 そんな言葉で、ルークソールがオーモンドの疑問を肯定した。胸に手をやりつつ、言葉を続ける。 「それを証明するに足る情報はない。妄執と言われても仕方がないがな」 「いえ……」 「そこで、君を呼んだ訳だが」 ルークソールが、オーモンドを見上げる。 「私が行けばいんですね」 ここまでの話の流れから、わからないはずもなかった。 ああ、とルークソールが頷く。 「焔魔衆の副長が敗れたのだ。それ以上の人材となると、君しかいない」 「わかっております。副長の失態は、隊長たるこの私が、必ずや償いましょう。近日中に、フィオラの神官を、御前に差し出してみせます」 「期待している。方法は君の裁量に任せる」 「御意」 オーモンドは深々と頷いた。 2 ルドルフの、シャルロッテ護衛の旅は安穏としていた。 崇魔平衆に襲われてから、三日。その間、新たな襲撃はなく、旅はつまらないほど順調に進んでいた。 劈頭、魔神教団に襲われる旅だと覚悟をしたのだが、こうなってみると、ある種拍子抜けの感覚は否めない。襲われたいという願望はなかったが、何もない旅は、退屈でもあった。 その上、シャルロッテの為人が、またくせものだった。 社交的でないのか、警戒心が強いのか、それとも、単に口下手なのか。それはわからない。 だが会話を交わすどころか、旅の間中ほとんど無言なのは、結構重苦しい。 一応、話しかければ返答くらいはするが、後の続かない返答を容赦なくしてくれるのだ。 「魔神教団の奴ら、襲ってこねえな」 「襲われたくはないので、それならそれで、いいと思います」 「そうだな」 こんな感じである。 正論であるが故に、それで終わってしまう。 それでも何とか友好的な会話を続けようと苦心するほど、ルドルフもシャルロッテとの関係を重要視しているわけではなかった。早々に話しかける意欲を失い、沈黙の旅を甘受していた。 かくして、彼女と一番多く会話を交わしたのは、先の崇魔平衆との戦闘のときという現状になる。それ以降の交わした言語数全部を足しても、その時の半分に及ばない。 今日も街を出てから、何一つ会話を交わさないでいた。 そして、昼過ぎである。 軽くルドルフが溜息をついて、上空を見上げた。 雲間から覗く太陽は、中天をやや過ぎた辺り。次についた街で、今日は宿泊することになりそうだ。そんなことをルドルフが考えていると、不意に横を歩くシャルロッテが足を止めた。 どうかしたのかと思いつつ、ルドルフも足を止めて、シャルロッテの方を向く。 シャルロッテは、周囲に視線をやっていた。 「何かあるのか?」 ルドルフも、彼女の目線を追って視線で周囲を巡らせる。 視界が捉えるのは、ずっと続く街道である。別段変わったことは見受けられない。 「いえ。気のせいでした」 そう顔を前方に戻しながら、シャルロッテが答えた。 気の使いすぎだろう、とルドルフが応じようと口を開きかけたとき、前方から声がかかる。 「そうでもない」 「ああ?」 ルドルフが視線を戻すと、道の先にいつの間にやら男が立っていた。黒地に赤の模様があしらってある鎧装に身を固めた偉丈夫である。手に持つバトルアックスは巨大で、その刃は禍々しい光を放っていた。 「その女は、なかなか鋭敏なようだ」 偉丈夫が、感慨もなく口にする。 「誰だ、お前?」 「焔魔衆のエゼルスタンだ」 「焔魔衆? なるほどね」 ルドルフは肩をすくめた。 焔魔衆は、ペンドア教団の悪名高い特殊部隊だ。前回の戦闘の相手がペンドア教団の者だったから、その流れからいえば、出てきても不思議ではない。 更に推測をすると、今回の件に関して動いている主な魔神教団は、ペンドア教団だと思われる。 「あの人も、崇魔平衆です」 シャルロッテが、ルドルフの注意を喚起する。 「ってことは、焔魔衆の幹部クラスか」 「幹部かどうかまではわかりませんが、実力は上位の方とだ思います」 「前の優男と比べてどうだろうな?」 そのルドルフの問に答えたのは、シャルロッテではなくエゼルスタンだった。 「さてな。アジャックス殿と本気で刃を交えたことはないから、わからぬな。アジャックス殿は、魔術の方に重きを置かれていた。俺とは性質が異なる」 「アジャックス? ああ、前の絶滅危惧種のことか」 「その台詞、人間如きが言って良い台詞ではない」 エゼルスタンの目に、怒りの色が露骨に浮かぶ。 その変化にルドルフは既視感を感じ、即座に解答を得る。どうやら、崇魔平衆という種族は、思いの外プライドが高いらしい。 「現実に絶滅に瀕しているんだろ。人間如きのために」 ルドルフは、更に挑発の言葉をかける。 「口さがないのは、己の評価を下げるだけだ。やめた方が良い」 溢れ出てくる怒りを押さえ込みながら、エゼルスタンが忠告してきた。 「んなもん、俺の勝手だ」 「仮にもアジャックス殿を討った男だ。相当な男だと期待したが、どうやら軽佻の輩だったようだ。やはり人間か。期待外れだな」 「敵に何を期待してるんだか。で、何の用だよ?」 答のわかっている質問をルドルフはする。 「その女を渡せ。今なら、貴様は見逃してやる」 「この女も見逃してくれねえと、絶滅へのカウントダウンが始まるぜ? 個体総数は、笑えるほど少ないんだろ?」 「痴れ者が!」 エゼルスタンが、バトルアックスを構えた。その刃が瞬時に黒炎をまとう。 「やんのか?」 ルドルフが、エルファルスの柄に手をかける。 緊張が一気に高まった。 刹那。 「危ない、ルドルフさま!」 そんな声とともに、ルドルフの頭上に何かが降ってきた。 「へ?」 ルドルフが見えたのは、視界一杯の黒い何か。それが靴の裏だと気づいたのは、それが顔面を直撃したときである。 「ぐぎゃっ」 「ああっ、ルドルフさま。もうやられているなんて、早すぎですわ」 体重の乗った蹴りをくらって倒れたルドルフに、そいつは白々しく口にした。 ルドルフには、勿論犯人がわかっている。 「デイジー、貴様……」 「ああ、ご無事でしたか、ルドルフさま。心配いたしましたですわ」 「お前が来るまでは、無事だったんだがなあ」 立ち上がりながら、ルドルフはデイジーを睨み付ける。 「あら、お顔に泥が」 「誰のせいだと思ってやがる」 ルドルフは、デイジーの伸ばされた手を払った。 「あら、あたくしは、ルドルフさまの危機を救って差し上げたのですわ。感謝されこそすれ、非難される謂われはないですわ」 「大ありだっ! だいたい全然危機でもなかったろうが!」 「こちらにも事情があるのですわ。ちょっとした手違いからライバルが増えまして、そのあんちくしょうに先を越されては困りますので、少し早めに出てきたのですわ」 「わけわかんねーよ」 「ま、遅く出てくるよりは、早めに出た方がいいでしょう? 何事も早め早めが肝心なのですわ」 「そもそも、出てくんな。つうか、相手は一人なんだから、危機なんかあるかよ」 「さすがはルドルフさま。頼もしい台詞ですわ。でも、相手は崇魔平衆なのですから、あまり油断なされない方がよろしいかと思いますですわ」 そう語りながら、デイジーがエゼルスタンの方に視線をやった。 エゼルスタンは、ルドルフとデイジーのやりとりに呆れもせず、デイジーに厳しい視線を注いでいた。 貴様、とエゼルスタンが口を開く。 「その服装、プリンセスガードだな?」 「お初にお目にかかります。プリンセスガードのデイジー・ティアラですわ」 デイジーが優雅に、そして大袈裟に一礼した。 「やはり、プリンセスガードが動いていたか。オーモンド殿のおっしゃった通りだな」 「ええ、今回の件、ばっちり暗躍していますですわ」 「堂々と表に出てくるのは、暗躍とは言わねえ」 ルドルフは、ぽつりと呟く。無論、デイジーからは無視される。 「ところで、ロッテ様はご無事ですか?」 「ロッテ? ああ、こいつか。見ての通りだ」 「本当ですか? 何か変なことされていませんですか?」 デイジーが、心配そうにロッテに尋ねた。 「するか!」 「いえ、大丈夫です」 ロッテが、多少圧倒されながらも否定する。 「そうですか。それは結構ですわ」 「貴様の目的は何だ?」 エゼルスタンが会話に割り込む。放っておかれた苛つきが滲み出ている口調だった。 さてどうなんでしょう、とデイジーが小首を傾げて笑みを浮かべる。 ここで、ルドルフは奇妙なことに気がついた。エゼルスタンが、ここまで隙だらけのデイジーに対し、警戒を解いていないのだ。デイジー出現から今まで襲いかかってこないのは、その警戒心からのようだ。 もっとも、その警戒は正しいとルドルフは思う。もしルドルフが敵の立場でも、今の状態で攻撃をかけたりしない。相手はあのプリンセスガードなのだ。何十もの警戒が必要である。 「貴方が、実力でお聞きになればよろしいと思いますですわ。そのために、わざわざ辺境からご出張あそばされたのでしょう?」 デイジーの皮肉混じりの返答に、エゼルスタンが苦笑した。 「そうだな。貴様の言う通りだ」 「いらっしゃいますか?」 「無論」 エゼルスタンが、バトルアックスを構えた。 どうやら臨戦態勢に入ったようだ。まとう雰囲気が殺気に一変する。 「うふふ。その勇気に免じて、一つだけ良いことを教えて差し上げますですわ」 エゼルスタンの殺気もどこ吹く風のような調子で、デイジーが笑った。 戦闘が始まるのに言葉は不要だと考えているのか、エゼルスタンは何も答えない。だが気にせず、デイジーは言葉を続ける。 「あたくしの目的は〈祭壇〉をどうのこうのしようとは、全く、これっぽっちも、心の底から、ぜーんぜん、考えていませんですわ」 ルドルフは、後ろからデイジーを斬るべきだっただろうかと、本気で考えた。これでは、言っているも同然である。ロッテですら、驚いた表情をしていた。 「それでは、ルドルフさま。よろしくお願いします」 恐ろしく自然な動作で、デイジーがすっと一歩下がり、ルドルフを前面に押し出す。 「え?」 「相手はなかなかの手練れ。くれぐれも油断なきよう。それから、これが一番重要なのですが、ロッテ様に、傷一つつけてはなりませんですわよ」 「おい、ちょっと待て」 「ではまた、ですわ〜」 そう言うと、デイジーがその場から消えてしまった。 「あの野郎。何しに来やがったんだ」 憎々しげにルドルフは呟く。これでは、敵に情報を与えに来ただけではないか。 「つか、それが目的か」 あの眼鏡め、とルドルフは吐き捨てた。 「なかなか面白いな。プリンセスガードという奴らは」 エゼルスタンが口の端を歪めて、言い放つ。臨戦態勢は解いていないが、デイジーと相対していたときよりは、緊張を解いている。ルドルフに話しかけてきたというのも、その表れだろう。デイジーよりルドルフの方が与し易いと、語っているようなものだ。 「ああいうふざけた奴は、あいつだけだと思うぞ」 エゼルスタンの格付けに少し不愉快になりながら、ルドルフは答えた。 「それはいずれわかることだ」 「このまま大人しく帰れば、お前にもいずれってやつが来るかもな」 「ふん」 エゼルスタンが口を閉ざした。当然ながら、反論する言葉を失ったわけではない。 それと察して、ルドルフはエルファルスの柄に手をかけた。 瞬間的に沸点に達した雰囲気を感じて、ロッテが息を飲む。 「行くぞ」 エゼルスタンが短く言い捨てる。 「ふん。来るなら来いよ」 ルドルフがそう言い終えた瞬間だった。エゼルスタンの巨体が眼前に迫り、彼のバトルアックスが既にルドルフを捉えようとしていた。 甲高い金属音が響く。 「ほう。これを防いだか」 エゼルスタンが、エルファルスでバトルアックスの打ち下ろしを防いだルドルフに言う。 「まさかとは思うが、これが崇魔平衆の実力か? 興醒めするぜ?」 「相変わらず口さがないな」 バトルアックスのまとう黒炎が勢いを増し、打ち下ろす圧力とともに、防ぐ剣ごと叩き斬ろうとしていた。 相当な力を持つ魔剣でも、その圧力を跳ね返すことは出来なかっただろう。アーティファクトであっても、不壊の力を持たないなら、叩き折られてしまっただろう。それほどの力を持った攻撃だった。 しかし、ルドルフの持つ剣は、エルファルスである。人の作りし剣の中では、最高級とまで言われる魔剣である。不壊にして不滅のその長剣は、傷一つつかず、バトルアックスの圧力に耐えていた。 エゼルスタンが叩き斬ろうとするのを諦め、ルドルフから距離をとった。 「そういえば、オーモンド殿がおっしゃっていたな。アジャックス殿を討った男は、相当な魔剣を所有している、と。こちらも、攻め方を多少考えなければなるまい」 「好きにすればいいさ」 ルドルフは肩をすくめた。 「勿論、そうさせてもらう」 エゼルスタンがそういうや否や、ルドルフに向かってバトルアックスを薙いだ。 バトルアックスのまとう黒炎が、鞭状にしなりながら距離が離れているはずのルドルフを襲う。 ルドルフはロッテの位置を確認すると、エルファルスを垂直に構えた。 エルファルスが光芒を放ち、たちまち黒炎を四散させる。 直後、眼前にエゼルスタンの巨躯が現れた。瞬時に距離を詰めてきたようだ。その攻撃はルドルフの想定内であったが、その速さは予測範囲を超えていた。 それでも、エゼルスタンの一撃にルドルフの身体は即応し、横に体勢を移動させかける。 だがルドルフは、それを意思力でそれを押さえ込んだ。 「くっ!」 再びエルファルスとバトルアックスがぶつかり合う。 かろうじて、身体を叩き割られるのはしのげた。だが体勢が不十分なルドルフは、後方へ弾き飛ばされかけ、後ろにいたロッテにぶつかってしまう。 突然のことに、ロッテは短い悲鳴をあげたものの、転倒はせず、ルドルフの背に手をかけ、体勢を立て直すのを手助けした。 「悪い」 「大丈夫ですか?」 一応な、と返しつつ、ルドルフはエゼルスタンを睨め付けた。 エゼルスタンが傲然と、ルドルフの視線を受け止める。 「前のときに一蹴したから、ちょっとばかりナメてたか」 ルドルフは、改めてエルファルスを構えた。 「これも、防いだか。どうやら、本気を出す必要があるようだな」 「楽して勝とうとするからだよ」 「すまんな。どうやら、今までの戦闘で力をセーブすることに身体が慣れてしまっていたようだ」 「弱い者イジメが好きなんだな。崇魔平衆っていうのも器が知れるってもんだ」 「ほざけっ!」 バトルアックスが唸りを上げて、ルドルフに襲いかかる。 そのとき。 バトルアックスが何かにぶつかったように虚空で弾かれた。 「むっ?」 エゼルスタンが驚きの声を上げる。驚愕しつつも、その隙に斬りかかろうとするルドルフに隙を与えず間合いを取ったのは、前回のアジャックスとは違うところだった。 虚空には、大きな魔法円が浮かび上がっている。それが防壁となったようだ。 「お前」 「貴様」 ルドルフとエゼルスタンが、同時にロッテを見た。 ロッテは、掌を開いて差し出している。魔力が稼動しているのがわかった。 「ただのフィオラの神官ではないな?」 エゼルスタンがロッテに問う。 「ご想像にお任せします」 短く答え、ロッテが手を下ろす。すると、虚空の魔法円が消滅した。 ふん、と息を吐いて、エゼルスタンがバトルアックスを下ろす。 「なんだよ? 諦めて帰んのかよ?」 「状況が変わったのでな。今回は退こう。だが次はない」 「退く癖に、強がるんじゃねえよ」 「ふん。今回はその女に礼を言うんだな」 エゼルスタンがそう捨て台詞を残した後、消えてしまった。 「余計な手出しでしたか?」 ロッテが、未だエゼルスタンがいた場所を睨み付けているルドルフに尋ねる。 いや、とルドルフは首を横に振る。 「正直、助かった。あのままじゃ埒があかねえからな。あんなにあっさりと退くのは、予想外だったが」 それは、本心だった。 ロッテが、少し驚いた顔をする。こんなにあっさりと、ルドルフが認めるとは思っていなかったようだ。 「一応、俺が世界で一番強えとは思ってないんだがな」 ルドルフはそう苦笑して、言葉を続ける。 「さっきの絶滅危惧種が相当強えのは、わかってたよ。前回のときも、変な横槍がなけりゃ、あんなあっさりとは討たせてはくれなかっただろうし」 そうなんですか、とロッテが答える。 「恐らく、あれ以上深入りしてこないと思ったので、ああさせてもらいました」 「どういう意味だ?」 「あの人は、ルドルフさんと、本気で死ぬまでやりあうつもりがなかったということです」 「そいつは、俺もナメられたもんだな」 「あ、そういう意味ではなくて」 「すまん。茶化した」 ルドルフは肩をすくめた。 「え?」 「つまり、奴らの目的は俺の殺害ではなくて、お前を捕らえることだってことだろ?」 「ええ」 ロッテが頷く。 「ただ、それが、ああもあっさり退く理由にはならんと思うのだが?」 「それは、多分デイジーさんのおかけです」 はあ? とルドルフは大仰に聞き返した。 「あのですわ眼鏡のおかげだと?」 「デイジーさん、わざと情報をあの人に言いましたよね」 「ああ。そのせいで、この先々絶対にペンドア教団の奴ら、焔魔衆か、が手ぐすね引いて待ってるぜ」 ルドルフは、うんざりしたように口にした。 「それは、そうなったところで、今までとそう状況が変わらないわけですから」 「確かに、既に奴らはこっちの目的地を知っているはず。つーか、これも奴が流したんだったな。まったく! これといい今回といい、何考えてんだ、あの野郎!」 「ですから、その情報を、あの人は持って帰らないといけないわけです」 「あ?」 虚空のデイジーに向かって悪態をついていたルドルフは、自然、強い口調で聞き返してしまう。 「プリンセスガードが動いている。それも〈祭壇〉をどうにかしようとしている。これは魔神教団にとって由々しき事態のはず」 「そりゃ、向こうにとっては由々しき事態だわな」 「その情報を、あの人は帰って伝えなければならない」 「だから、深入りはしねえと。なるほどな」 「そうあたしが思った、ということですけど」 長々推論を語ってしまったことに照れているのか、少しぶっきらぼうにロッテがつけ加えた。 「そいつが正解だろうさ。あいつに助けられたっていのは癪だが。いやむしろ、色々とヤバイ気がするが」 デイジーのことだ。これを貸しにして、また色々無理難題を押しつけられるかもしれない。 「はあ」 ルドルフとデイジーの関係を知らないロッテは、曖昧に返すしかない。 「ま、それを踏まえると、お前が予想以上に強かったってのも、理由の一つだろうよ。奴も、消える寸前にそんなようなことを言っていたしな」 「そこは、何とも言えませんけど」 「いや、直接的には、お前の防御魔法の効力が、奴が退いた原因だろう」 「そうでしょうか?」 「少なくとも、あのまま戦闘を継続するより、退くことを選んだのは、そういうことだろう」 「そうかもしれませんね」 「どちらにしろ、次はもっと大変になるってことだ」 狙う相手が強いのであれば、それ相応の者が出てくるのは、当然予想できる。 「そうですね」 「しかし、これで報酬なしか。やってられないな」 ルドルフは、大きく溜息をついた。 3 執務室の机の上に、小さな人が立っていた。 オーモンドである。 勿論、オーモンド自身ではない。魔的な通話の、一つの形だった。 「エゼルスタンを向かわせましたが、一戦して帰ってきました」 オーモンドが、そう語る。 「ふむ。あのエゼルスタンが成果なく帰ることを選択することはあり得ない。何かあったのだろう?」 ルークソールは、オーモンドに報告の続きを促した。 「戦闘直前に、プリンセスガードが現れたそうです。閣下の想像は、正しかったようですな」 オーモンドがそう報せてから、少しルークソールの様子をうかがう。 ルークソールは相変わらず無表情だったが、すぐには応じなかった。 沈黙を続けるルークソールに、オーモンドが報告を続ける。 「そのプリンセスガードは、デイジー・ティアラと名乗ったそうですが。閣下はご存知ですか?」 「知っている」 ルークソールは頷いた。重い口調だった。 「確か、プリンセスガード最古参の一人だ」 「といいますと、一桁代のナンバーを持つ者たちの一人ですか?」 通常、組織の名簿などは、敵性組織がそう簡単に知ることができるわけもない。だが、秘匿レベルを上回る知名度があれば、その限りではない。プリンセスガードの一桁ナンバーの持ち主が、プリンセスガードを結成した者たちというのは有名な話で、そのことは多くの人に知られていた。 その上、デイジーは当時としても、相当な実力者である。同時代を生きているルークソールが知っていてもおかしくはない。 「正式なナンバーまでは知らぬがな」 「そうですか」 「それで、エゼルスタンはそれとやりあったのか?」 「いえ。どうも戦闘前にどこかへ行ったそうです。どうやらあの傭兵、プリンセスガードと何か関係があるようですな」 「ふむ。それで?」 「奴らの目的は〈祭壇〉のようです」 「やはりな」 それは、当初から予想されていたことだった。逆に言えば、フィオラの神官がラウエル大神殿に向かい、することといえば〈祭壇〉絡みとしか考えられないのだ。魔帝国戦争当時にそれを助けたプリンセスガードが暗躍しているとなれば、尚更だった。 「しかし、奴らは〈祭壇〉をどうするつもりでしょう? 奴らが為したとはいえ、封印もあります」 「考えるまでもない」 「封印を強化する?」 封印をした者たちが、それを解除するとは考えられない。そうなれば、おのずと解答は導き出される。 「それしかあるまい」 「どうして今の時期に?」 「奴らの時宜に合ったとしか言い様がないな。こちらの都合で動いているわけでもあるまい」 なるほど、とオーモンドが頷く。 「そうなるとその神官、ただの神官ではありませんな。エゼルスタンの一撃も防いだと聞いております」 「ほう? ならば、司祭クラスでもあるまい」 「四部会の一人。そう閣下も考えますか?」 フィオラ教団の四部会。司祭の中でも高位の者たちで構成されており、教団の指揮運営に当たっている指導者たちである。代々の宗主もその中から選ばれており、魔帝国戦争前のクラウディア・ティルケもその一員だった。 「事が事だ。フィオラ教団も、それくらいの者を派遣するだろう」 「そうなれば、我らの任務も重要度が増しますな」 うむ、とルークソールは頷いてから、机の上で腕を組んだ。 「任務にもう一つ、つけ加えたい」 「は」 「相手の意図は未だ明確ではあらず。故に、フィオラの神官の捕獲は続けてもらう。ただし、それがかなわぬ場合、その神官を殺害しろ」 「構わないのですか?」 オーモンドが聞き返す。フィオラの神官を殺害すれば、封印解除のための情報を得る手段がなくなる。 「構わん。強化されるよりはいい」 「了解いたしました。次の報告は、閣下にとって、わが教団にとってよいものとなるでしょう」 「期待している」 「は」 オーモンドが恭しく一礼して、机上から消えた。 通信の終了を見計らったように、扉がノックされる。 入れ、とルークソールが促すと、男が入ってきた。 「召喚のご用意が整いました」 「そうか。いいタイミングだ」 ルークソールがにやりと笑い、立ち上がった。 「プリンセスガード。何を考えての行動かは知らぬが、それを利用させて貰うぞ。自分たちの行動が魔帝国再興に手を貸したと知り、後悔するがいい」 心中でそう呟きながら、ルークソールは歩き出した。 |