嫉妬は抱かない   

   



「あらかた、終わったわね」
 陽子が、今しがた梱包を終えたばかりのダンボールをぽんぽんと叩きながら、佐緒里に声をかけた。
「ご苦労様。お礼に、鳴神の時はいつでも行くからね」
 そう佐緒里が労をねぎらう。
「当分先だわよ、あたしは」
「ふふ、今、コーヒーでも淹れるわ」
 ややあって、佐緒里が紙コップにコーヒーを淹れて持ってきた。一つを陽子に渡す。
 ありがと、と答えながら陽子はそれを受け取り、一口飲んだ。
「しかし、本当にいいの、梶谷で?」
「今さら何を」
「ダッチワイフでしょ。ちょっと引かない?」
「別に」
 さらりと佐緒里が答える。
「恋は盲目って言うじゃない。今はあたし、盲目状態なのよ。周りが見えてないっていうのかな」
「冷静にそんなこと言われても。だいたい、今しがた恋が始まったようなこと言わないでもらいたいもんだわ」
 陽子は白い目で佐緒里を見た。
 ふふ、と佐緒里は笑うばかりである。
「あんた偉いわ」
 陽子は、大仰に肩を竦めて見せた。
「そう? あたしは、鳴神の方が偉いと思うけどな」
 真顔で佐緒里が言う。
「何で?」
「ほら、例の彼女。佳枝さんだっけ?」
「ああ、あれね」
 陽子は頭をかく。
「まあ、お互いに遊びだったらしいし。ちょうどあの時倦怠期だったからね。あいつも人肌が恋しい時期だったんじゃないかな」
「あたしは駄目だな。そんなの絶対に許せないわ。ましてや、知らないふりなんかしてられないと思う」
「あたしに知らせない以上、あたしとまだ続けたいってことだから、それはそれでいいのよ」
「やっぱり古女房がいいって?」
「そんなところかもね。居心地の問題だとあたしは思ってるけど」
「やっぱり、鳴神は偉いわ」
 佐緒里が、心底感心したように陽子を見た。
 そうかな、と陽子は首を傾げて見せた。
 確かに、真嗣は過去に浮気をした。だがそれは、相手との恋愛の結果ではなく、お互いの欲望の一致という側面が強い。その点に置いて、ダッチワイフを有している亮太郎と大差はない。故に陽子の視点からは、佳枝は人ではなく、真嗣が有していたダッチワイフなのだ。佳枝にとっては、とても失礼な見方ではあるけれども。
 ダッチワイフは人形であり、人形は人に擬せられているだけで人ではないし、ましてや女性でもない。そんなものに、陽子は嫉妬を抱かない。抱く必要もない。真嗣から見て、陽子は人であり女性なのだ。その確信がある間は大丈夫なはずだ。そのことは、そのまま佐緒里と亮太郎にもあてはまる。
 勿論、だからといって、二人とも浮気を容認しているわけではない。当然、当の男に対する感情は、相手の女性に対する感情とは別問題である。
 やがて、コーヒーも飲み終わる。
「さてと、そろそろ行きましょうか」
 佐緒里が立ち上がった。
「そうね、どうせ、まだほとんど片づいてないでしょうから。せめて、沢遠の住める場所くらいは確保しとかないと」
 陽子も、紙コップを仮のゴミ袋にしているビニール袋に入れて、立ち上がった。
「そろそろ人体解剖とその処理も終わった頃だと思うしね」
「沢遠、絶対楽しんでる」
「そうかもね」
 そう佐緒里が笑った。

〈了〉



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