嫉妬は抱かない   

   



「なあ、梶谷。これは何だ?」
 押入の奥で巧みにカモフラージュされていた大きくて長い箱を見つけた真嗣は、後方で漫画の片づけをしている途中で、漫画を読み耽るというありがちなパターンにはまっている亮太郎に声をかけた。
「ああ?」
 いいところで声をかけるな、という言外の声がありありと聞こえてくるような返事をしながら、亮太郎が振り返った。
 真嗣は、箱を押入から引っぱり出して、その蓋をコンコンと叩く。
 途端、亮太郎の驚いた声が耳に入った。
「あっ、お前、それ、どうやって見つけた?」
「押入の中を整理していたら見つけた」
「嘘、ちゃんと隠しといたのに……」
「隠さなければいけないものか?」
「あ、いや、そんなことはないが……」
 亮太郎が視線をそらした。
 真嗣はその隙を見逃さない。
「じゃあ、開けていいな。開けるぞ」
 間髪入れずそう宣言して、真嗣は蓋を開けた。
「うわっ、やめろ!」
 驚きのあまり声が裏返ったのも気にせず、亮太郎が真嗣を押さえようと手を伸ばした。
 だが時既に遅し。真嗣には、開けた蓋で亮太郎の手をガードする余裕があった。そして、視線を箱の中に移す。
「なんじゃこりゃ?」
 箱の中には、お嬢様風の美人な女性が入っていた。
 彼女は目を開けたまま、横になっている。そのあり得ない白皙と美しさに、それが人形だということがすぐに知れる。
 あちゃあ、と顔をしかめていた亮太郎だったが、見られて開き直ったのか、溜息を一つついて、それの名前を答える。
「鷹司麻衣子、十九才、学生だ」
「なんじゃそら?」
「彼女の名前だ」
「……彼女?」
「ミッション系の大学らしいぞ」
「ほう?」
「実家はさるグループ企業を束ねる金持ちらしい」
「ほう」
「高校時代、ヨーロッパに留学経験があるらしいぞ」
「ほほう」
「…………」
「…………」
 妙な沈黙が流れた。どうしようもないような沈黙だった。そんな中、二人の視線が、同時にゆっくりと箱の中の美女に移る。
 そのままの体勢で、真嗣は問う。
「使い心地は?」
「普通、……かな?」
「こんにゃくとか、カッ○ヌードルとかじゃ駄目だったわけ?」
「ビジュアルがあった方がもえるのは事実だ。神崎は?」
「俺は想像力がある方だから、手で充分。風俗とかもあるし」
「そうか」
「沢遠は、ガードが固いわけ?」
「まあ、そういうところもあるけど、多分、普通だと思うよ」
「じゃあ、これは?」
「ほら、あんまりがっつく男に見られたくないだろ。見栄というか、何というか」
「ストイックに決めた夜は、これで処理してたんだ」
「お前はない? 鳴神、結構ガード固そうだし?」
「まあ、なくはないが……」
「…………」
「…………」
 再び沈黙が部屋の中を支配した。
 それでも二人の視線は交わらない。
「魔が差したんだ」
 ぽつりと亮太郎が言葉を吐いた。
「六年前だったかな。ちょうど沢遠と知り合って惚れ込んだ頃のはずだ。何気なく読んだ雑誌の広告に宣伝されてたんだ。普段なら全く気にならないんだけど、どうもこれの顔の感じが沢遠に似ててさ」
 言われてみれば、確かに佐緒里に似て無くもない。真嗣は脳裏に浮かぶ佐緒里の顔とその人形の顔を見比べて、そんな感想を持った。
「それでも、普通買うか?」
 真嗣は視線を上げて、亮太郎を見やる。
「だから、魔が差したんだって。その時、酔ってたのもあるかもしれない」
「でも、実際どんな手品を使ったのかは知らんが、お前は沢遠とつきあうことが出来たろう。妄想だけじゃなく、現実の沢遠を抱けるようになったんだから、それを返品するとか捨てるとか何でしなかったんだ?」
「ほら、もうこれが沢遠に似てると思ってしまうと、なかなか処分できなくなってさ」
 亮太郎が頭をかきながら答えた。
「まあ実際、物持ちというのは、そんなもんかもしれんが」
「うん」
「で、明日からどうするんだ、これ?」
 明日の朝には、実際の佐緒里がここに来て、二人一緒に新婚生活を始めるのだ。
「処分するしかあるまい」
 思案のための沈黙の後、言葉を搾り出すように亮太郎が答える。
「これを沢遠に知られると、結婚自体がご破算になりかねないからな」
 男の下半身は、時として理性から乖離する。暴発する前に処理するのは生物としての本能だ。それは別に恥ずべき事ではないのかも知れない。だが、あまりそれをおおっぴらにしたくないのも事実であるし、上品とも言い難い。その上彼の場合、その方法に問題がないとも言えない。相手が知らないのであれば、知らないでいてくれる方が助かるというのが本音であろう。
 相手が知らないのであれば。
 大丈夫じゃないかな、という真嗣の言葉は、真剣に思い悩んでいる亮太郎の前に、口の中で消えた。その秘密の箱の存在を佐緒里本人から聞いたとは、真嗣にはとても言えなかった。
 仕方なく会話を続ける。
「処分って、一体どうやって?」
「解体するしかあるまい。下駄箱の下に工具箱があるだろ、その中にノコギリが二つ入ってるから」
「俺もやるのか?」
「友よ、友人の離婚の危機を見捨てるのか?」
「自業自得だ。見捨てるよ、俺は」
「……鳴神にあのことをちくってやる」
「あのことって?」
「確か、佳枝さんって言ったかなあ、彼女」
「……わかったよ、やるよ」
「さすが、持つべきものは友だなあ」
 嬉しそうに亮太郎が言いながら、人形を箱から取り出す。
 言ってろ、と真嗣は吐き捨てながら、工具箱を取りに立った。
 親友というのは、時として大変なものかもしれない。



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