王女の理由
−Princess of Destiny−

エピローグ

「なるほどね」
 不意にラウシェの横から声がする。いつの間にか、そこにリックが現れていた。
「確かに、私じゃ無理だね。国に選定された婚約者、〈天命の相方〉。君が必要な候補から遠く外れていたわけだ」
 国に選定された婚約者も〈天命の相方〉も、結局のところ魔皇剣の主として選定されている。それはつまり、魔皇剣を保有していくための存在なのだ。魔皇剣から逃れたかったラウシェの意志を果たしてくれる存在ではない。
「まあね」
 ラウシェは、ウェリアの去っていった方向に視線をやったまま頷いた。
「ウェリアには、内緒で変なことをさせちゃったけど」
「運命の超克か。まあ、君が運命から逃れるためという一点からすれば、それしか方法はなかったわけだけどね」
「うん」
 運命とは、未来についてのある事象の蓋然性を方向付け、その可能性を示唆するものであるが、基本的には未来を決定づける力はない。ウェリアみたいな一般人にとっては、運命とは未来についての可能性に過ぎない。
 しかし、運命を支持し、それを積極的に受け入れる者達にとっては、運命とは避けきれず、決して自らの手では超越できない絶対不可侵の力なのである。それは例えば、神であり、その奇跡であり、その眷属なのだ。また、それらに追従しその恩恵に浴する者もまた、運命を支持していることになる。つまり、神の信徒も運命支持者なのだ。運命を識る者もまたそうである。
 魔皇剣は深淵の魔の欠片で出来た魔剣である。世界そのものの要素である深淵の魔は、『破壊と再生』の運命を帯びており、魔皇剣もまたその運命を持っている。だからこそ、魔皇剣は世界を破壊し救う力を有し得るのだ。魔皇剣の鞘たる〈剣の王女〉も当然ながら、その運命にかたく縛られている。〈剣の王女〉であるラウシェ自身には、それから逃れる術がなかったのだ。
 運命の支配下にある者は、決して運命から逃れることは出来ない。そのため、多くの者は、運命に絶望し、対抗しようなどとは考えないのだ。
 しかし、ラウシェは運命に抗った。彼女は自らの運命から逃れようとした。
 ラウシェ自身には運命から逃れる術はない。だがウェリアにはそれがあるのだ。
 ウェリアは運命支持者ではない。ウェリアに対して運命は必然性を持たない。ウェリアがその意志でもってラウシェの運命を取り除いてくれた時、ラウシェは自身の運命を超克することができるのだ。
 この時にもっとも注意すべきは、ウェリアにそのことを言ってはならないということだった。ウェリアがラウシェに問い、ラウシェが答えた時、運命は確定する。何故なら、運命を識る者に運命のことを尋ねることは、運命を支持することにあたるからだ。
 従って、ラウシェは何もウェリアに答えられないという状況の下で、ウェリアが自分の意志で魔皇剣の主となり、それを放棄するということを望まなければならなかった。それ以外に、運命から逃れる手段は存在しなかった。ラウシェにとって、それはまさしく賭だった。
「でも、結局そのことはウェリアには言わなかったね」
「運命のこと?」
「ああ」
「そんなデリケートなこと、あのレベルの傭兵に言えないわよ」
 ラウシェは肩をすくめて苦笑する。運命の力などというものは、一般レベルの人間にとっては、関係することもない意味のない力なのだ。運命とは、力ある者を縛る世界の枷でもある。
 それもそうだね、とリックもつられて笑った。
 その後、表情を改める。
「ところで、これは〈天命の相方〉と国に選定された者として聞きたいんだけど、どうして君は〈剣の王女〉という運命から逃れたかったんだい?」
 ラウシェはしばらく答えず、リックを見返す。
 リックが構わず言葉を続けた。
「魔皇剣の力は、確かに世界を破滅することが出来るほど強大だ。だが同時にそれを上手く使えば、世界を救うことが出来る。実際、そうしてきた英雄もいる。君がやったことは、例えば近い未来に何か禍が起こった時、それがどうしようもないほどの力だった時、それを鎮圧できなくしたのに等しい」
 ラウシェは、リックから視線を逸らし地面にやった。ややあって、口を開く。
「何も禍全てを魔皇剣で鎮めなければならないことはない」
 視線をリックに戻した。
「魔皇剣で鎮禍出来るものを、他の力で鎮禍出来ないはずはないわ。魔皇剣だって、人が創ったものよ。魔皇剣によらずして、鎮禍を為した英雄だって数多くいるわ」
「確かに、それはそうだが」
「破壊と再生の運命を負う〈剣の王女〉は、いるだけで破壊と再生を呼ぶのよ」
「君はそれを避けたかったわけかい?」
 違う、とラウシェが首を横に振る。
「あたしが破壊と再生の中心にいるのはかまわない。むしろ、いてやるわ。でも、それが自分の意志ではなくて、何か他の意志によるものなのが我慢できない。あたしを縛るのは、あたしの意志だけで十分なのよ」
「…………」
「そもそも〈剣の王女〉というのが、魔皇剣の主に追従する存在というのが気に食わない。そのような存在だから、争乱の種になるのよ」
 なるほどね、とリックが肩をすくめる。
「その辺は〈剣の王女〉だったものにしかわからない理屈か。いや、むしろ君の為人なのかな」
「そうかもね」
 ラウシェは笑った。
「それで、君はこれからどうするんだい?」
「王宮へ帰るわ。色々片づけなきゃならない問題もあるしね」
 ラウシェは後方に控える紅姫衆を眺めて答えた。
「私との結婚問題とかね」
 茶化した口調でリックが言う。
 ラウシェは眉をひそめた。自分がウェリアに言った冗談なのだが、逆に自分が婚約者から言われると、冗談では済んでいない気分がした。
「あなたもしかして、まだ話を継続させるつもりじゃないでしょうね。あたしはもう〈剣の王女〉じゃないのよ?」
「それは確かにそうなんだけど、私は君を結構気に入ってしまったんだが」
「あたしは嫌よ。そもそもそれが嫌で逃げ出したんだから」
「どうして嫌なんだい?」
「縛られたくないって言ってるでしょ」
「縛るつもりはないけどね」
「何て言おうと、嫌なものは嫌。諦めて」
「つれないねえ。仕方がないから、国家間で無理矢理話を進めようか」
「あなたねえ。どうして、そう絡むのよ?」
 ラウシェは、大仰に溜息をついた。
「どうしてかな。やっぱり、君に一石二鳥に上手くいかれるのが気に入らないからかな」「ただの嫌がらせ?」
「君を気に入ったというのは本音だよ」
 本当か嘘かわからない楽しそうな表情で、リックが答えた。
 その顔をしばらく睨み付けるように見ていたラウシェだったが、やがていい案を思いつき顔を輝かせる。
「いいわよ、好きにして。またウェリアの所に逃げるから」
「またウェリアかい。妬けるなあ」
 嘘ばっかり。ラウシェはそう言ってから、リックの目を見返した。
「あなたの言い種じゃないけど、あたしもどうしてか結構ウェリアを気に入っちゃったのよ。やっぱり長く一緒にいたせいかな」
 それから、手を振りにっこり笑う。
 あっ、と紅姫衆の面々が驚いたときには遅かった。
「だから、じゃあね」
 とびっきりの笑顔を残して、ラウシェは消えた。

〈了〉


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