3

 異変は突然起こった。
 突如、ものすごい支配呪詛が学園全体に降り注いできたのだ。その呪詛強度は、今まで孟がばらまいてきた呪詛の強度を軽く上回る。
「な、なんだ」
 それを突然受けた弘司は狼狽した。
 さすがに彼は呪詛から抵抗しきったが、それでも紙一重の差というやつで、もう少し呪詛強度が高かったなら、彼すらも支配下に置かれていただろう。
 弘司ですらそうなのだから、他の学園関係者は絶望的だった。ことごとく支配され、その場に倒れ伏した。
「新城か? いや、奴にしてはやり方がきつい」
 弘司は感覚を拡げ、呪詛を鑑識する。
 結果はすぐに出た。
「やはり新城か。昨日の今日とは、いつもにも増して早いな。しかも、いつもとやり方が違う」
 孟のいつもの方法は、どこか高いところに上り存在を主張しつつ、おもむろに世界征服宣言をしてから、呪詛をばらまくのだ。ばらまく呪詛もたいしたものではなく、解呪詛も容易に行える程度のものである。
 しかし、今回の呪詛は、明らかに呪勁をフル活用して強度が増してある。これを解呪詛するのは至難の業だし、解呪詛者は確実に返しを受ける。
 返しも呪詛で、これは孟の呪勁呪詛ではなく、それどころか、呪詛には必ず返しが発生するという、世界が行う世界法則であるから、これに直接抵抗する手段は存在しない。
 そして、この強度の返しの呪詛を受ければ、魂が保たず破滅するだろう。解呪詛は絶望的である。
 呪詛を解く一番の方法は、呪詛者本人がそれを解くこと。何のリスクもなしに、元に戻るはずだ。しかし、呪詛をなしているのだから、それはあまり望めない。
「奴め、なんてことをしやがる」
 弘司は毒づき、呪詛をたどって、孟がいるであろう場所へ駆けだした。
 途中、あゆみと出会う。
 あゆみは、血の気の引いた貌をしていた。
「紫藤君、これはいったい……?」
 珍しく狼狽した口調である。
「新城だ。こんな力を持っていたとは」
「そう。新城君なの」
 あゆみの声が沈んだ。しかしそれは一瞬で、すぐに弘司に声をかけた。
「とにかく行きましょう。急がないと、大変なことになるわ」
 言うと、あゆみは弘司の返事を待たず駆けだした。弘司も慌てて後に続く。
 呪詛をたどって行きついた所は、昨日と同じ場所、第一広場だった。
 昨日と違うのは、人がぼーっと広場に立っているのではなく、明らかに呪詛を喰らい苦しみのたうち回っている点にあった。
 その数、およそ五百人。
 そして、第一学館の屋根の上には二人の人影が。
 一人は、勿論孟。
 もう一人、孟の横で浮遊させたほうきの上に腰掛けている人物を見て、二人は驚いた。
「雪!」
「雪ちゃん」
「遅かったのね、二人とも」
 雪が婉然と笑う。
「いったい、これはどういうことだ?」
「どうもこうもないわ。見ての通り、新城君の協力をしてあげてるの」
「なんだと!」
 弘司が驚愕した声をあげた。
「お前も本気で世界征服などと考えていたのか?」
「まさか」
 雪が言下に否定する。
「あたしは、弘兄の横に立っている、その女を除きたいだけよ。弘兄は山瀬にあってから変になった。あたしの方を見なくなった。だから除くの。邪魔だから」
「馬鹿なっ」
「新城君もね、快く協力を受けてくれたわ」
 雪が横に立つ孟を見やった。
 はい、と孟がぎこちなく頷く。
「ゴキョウリョクカンシャシテオリマス」
「ね」
「ね、じゃない! あからさまにおかしいだろう。雪、お前、新城に何かしたのか?」
「さあ」
 雪がとぼける。
「そんなの、どうでもいいことじゃない。とにかく、あたしは山瀬を消せれば、それでいいの」
「雪!」
「新城君も同じ考えよ。だから制圧できたんだけどね。そうそう、新城君と言えば、今まで何度も世界征服を唱えてたけど、どうやら、本気でそれをするつもりはなかったようよ」
 雪が、意味ありげな視線をあゆみに向ける。
「残念ね、山瀬。あなたが倒してきたのは、実力を出さないでいた新城君だったわけ。あなたの功績も半減ね」
 そう、とあゆみは、雪の視線を軽く受け流した。
「でも、本気の新城君ならどうかしら? 彼の力をあたしが使えば、こんな事もできるのよ」
 雪がパチンと指を鳴らす。
 瞬間、のたうちまわっていた学生たちの動きが止まった。そして、苦しみがなくなったのか、正気に戻る。変わって、孟が、がはっと吐血した。
「何をした?」
 弘司が問う。
「鍵をかけたの」
 雪が平然と言い放った。
「鍵?」
「呪詛の鍵よ。知っているでしょ?」
 勿論、知っていた。
 呪詛の鍵。凶悪な呪詛である。鍵をかけられた呪詛は、一切の抵抗、解呪詛を無効にされ、呪詛を負い続けるのだ。
 だが呪詛者本人にかかる負担も並はずれている。そもそも呪詛は、人を呪わば穴二つ、というように、根本は呪詛者側の魔的犠牲を、因果を通して相手に倍にして与えるものである。
 孟の場合は、呪勁によってこちらの犠牲なしに、呪詛を振りまいていたが、鍵となるとそうはいかない。魂を削って発動することになり、それをこの場全員に放ったのである。吐血はそのためで、むしろその程度で済んでいるのは、彼の実力の高さを証明するものである。
 鍵を解く手段は、呪詛者が呪詛を解く以外にはただ一つ。鍵を解かなければならない。
 その鍵は、いわゆる謎かけみたいなものだ。
 物品や権威をなどの獲得、もしくは破壊、キーワードを唱える、あるいは耳にする、何かの行為をする、されるといったことである。
 それは呪詛者、被呪詛者双方にとって、よく知った、意味のある、その時点で達成可能なことか常識的にその見込みがあることで、一般的なことか、失われない特定のものだ。
 そして、被呪詛者にとって直接害悪になるものではない。つまり、あゆみの死などということでは決してない。何かのクエストがかかったと考えた方が理解しやすいのかもしれない。
「勿論、今、あなたにもかけたからね」
 雪があゆみを見下ろした。
 言われるまでもなく、あゆみは先ほど呪詛の鍵がかけられた時、自分にもそれが降りかかってきたことを自覚していた。抵抗する手段がないのだから、受けるしかない。
「どんな鍵がかかったと思う?」
「さあ。でもあなたが直接かけたわけじゃないから、たいしたものじゃないと思うけど」
 孟は操られているが、実際に支配呪詛を振りまくのも、鍵をかけるのも彼である。
「そうね。でも、いつも新城君が目の敵にしてるあなただもの。優しいのを期待しない方がいいわよ。それに、呪詛が身体にとってどれだけ良くないかは、賢明な副会長のあんたなら、わからないはずはないと思うわ」
 そう言うと、雪が哄笑した。
 あゆみは、感情のこもらない目で孟を見た。まったく、と溜息をつく。いつもいつもあの男は、あたしの手を煩わせる。
「雪! いい加減にしろ!」
 弘司が叫び、屋根の上に跳躍した。彼は義妹を取り押さえて、一気に解決するつもりだった。その考えは妥当だし、彼にはその実力があった。
 しかし、雪が余裕たっぷりに孟を呼ぶ。
「新城君、お願い。でも弘兄を傷つけちゃあ駄目よ」
 孟は頷いて抜刀し、弘司の前に立ちはだかった。
「どけ、新城!」
 弘司が剣を抜く。
 弘司は孟を気絶させ、雪との距離を詰めようとした。
 孟の剣技は、その魔力に比べて明らかに低いはずである。弘司の計画は、容易に可能なはずだった。
 しかし、孟は弘司の攻撃をかわすと、その勢いのまま弘司の胴を刀の峰で打った。
「ぐはっ」
 打たれてバランスを崩した弘司は、屋根を転げ転落した。
「弘兄!」
 思わず雪が叫ぶ。
 だが弘司は、地面に叩きつけられる寸前、二人の少女に捕まえられ助かった。
「君たちは……」
 弘司は意外な人物たちに助けられた。
 そのみとくるみである。
「間一髪でしたわ」
「さすがの生徒会長も、バランスを崩して二階から落ちたら、危ないですものね」
 ありがとう、と弘司はかすれた声で礼を言って、改めて二人を見た。
「えと、君たちは新城の――」
「言いたいことは、よくわかりますわ」
「あたしたちが、何故、御主人様に従っていないかですわね」
 ああ、と弘司は答える。
「それはですね、御主人様が、雪様に制圧される寸前にあたしたちとの支配契約を切って下さったからですわ」
「それで、あたしたち逃げられましたの」
「あたしたちまで支配されたら、大変なことになることでした」
 心の底からそのみが言う。そこから、彼女たちにはまだ秘密があることが知れたが、今はそのことを追求している場合ではない。
「そうだったのか。奴にそんな面があったんだな」
 弘司は意外な気がした。
「しかし、なんで新城の奴、あれだけの剣術を修めているんだ?」
 あれだけの腕前なら、あゆみにもそう一方的にやられないはずである。
「あたし直伝だから」
 あゆみが静かに言った。視線は弘司にやらず、孟を見ていた。
 え、と弘司が後背に立っていたあゆみの方を見る。
 しかし、あゆみはそのことについて、もう語ろうとはしなかった。
「大丈夫、紫藤君?」
「ああ、彼女たちのおかげで、大事にはいたらなかったよ」
 弘司が軽く笑う。
 それはよかったわね、とあゆみはそのみとくるみの方を向いた。
 そのみとくるみは、いつになく真剣な表情になっている。
「山瀬様、どうか御主人様をお救い下さい」
「あんなの、御主人様じゃありません。どうか、元の変な御主人様に戻して下さい」
 二人の死鬼が懇願する。
 あゆみはくすりと笑う。
「新城君、死鬼にまで心配されるなんてね」
 そう言うと、腰の天舞刀を抜いた。
「山瀬様……」
「新城君がああなったのは、あたしの責任でもあるのよ」
 そのみたちに言うよりは、むしろ自分に言い聞かせるようにあゆみは言った。そして、視線を屋根の上の二人に向ける。
「紫藤君。新城君と呪詛の鍵は任せて。あたしがなんとかするから。その隙にあなたは雪ちゃんをお願い」
「ああ、それはいいが。大丈夫なのか?」
 あゆみは頷いた。
「昔々に言い忘れたことを言うだけよ」
 そう言うと、あゆみは飛び上がった。
 あゆみは、過去を思い出す。
 あゆみと孟は、幼なじみだった。
 生まれたときから常に一緒にいた。世界で一番近い存在だった。
 あゆみは孟の姉貴分で、常に面倒を見ていた。
 だから、あゆみは孟のことを、誰よりもよくわかっている。
 孟が、何故あれだけの剣才がありながら、それを揮わないか。
 それは才能がありすぎて、あっという間に上達してしまったから。
 剣術を教えたあゆみが教えることがなくなり、教えなくなったから。孟は、剣を揮うとあゆみが去っていくと思いこんでいる。
 孟が、何故本気でする気もない世界征服を叫び、呪禍を恒例のように起こすのか。
 それは、魔導学園に入学し、生まれて初めてあゆみと離ればなれになった寂しさを紛らわすため。
 呪禍を起こせば、必ずあゆみが出てきてくれるから。あゆみ以外に止められる実力の持ち主はいない。
 そして、確実に止めてくれるから。
 あゆみとの関係が、例え敵対関係であったとしても、ないよりは数百倍ましだから。
 憎悪されても、無視されるよりはいい。
 唯一の交流だから。
「孟!」
 あゆみは、久方ぶりに孟を名前で呼んだ。
 孟は反応したが、それは、迫り来る敵を認識しただけの反応である。魔力を稼働させ、あゆみに向かって魔弾を連射した。
 魔力の弾は、無数の流星のようにあゆみに襲いかかる。
「はあああっ!」
 気合一閃、あゆみは刀を一薙ぎして、魔弾全てを叩き落とし、空中で孟との距離を詰めた。
 孟も刀を抜き、迎撃のために飛び上がった。
 キィン、とかんだかい音が響き、空中で二人が鍔迫り合いで押し合う。
「腕は落ちてないかしら?」
 あゆみが問うが、孟は答えない。それどころか、あゆみを押し返し、手首を返して剣を一閃させた。
 あゆみは身をひねって、辛くもそれをかわした。
 あゆみの体勢が崩れたと見るや、孟は猛烈に攻勢に出た。剣を突き、払い、薙ぎ、打ち下ろした。その攻勢は、剣聖称号を持つあゆみすらも守勢に追いやる、巧緻で強力なものだった。
 そしてその剣筋は、あゆみのそれと酷似していた。一緒といってもいい。突き方、払い方、薙ぎ方、打ち下ろし方、攻撃の組立、全てあゆみのそれと同じである。
 だから、あゆみは、孟が次にどう攻撃するのかが読めた。
「ふっ!」
 あゆみは孟の胴突きを交わすと、電撃的な早さで、一気に間合いを至近にまで詰めた。
 肩と肩が触れ、孟の鼓動が感じられる距離。それは、もはやお互いに剣を揮える距離ではない。
「孟」
 あゆみは、声をかけてから刀を手放す。
「あたしは知っているのよ。あなたの気持ち」
 そう。
 つまり。
 孟は、あゆみが好きなのだ。
 幼い頃からずっと。
 好きで好きでたまらないのだ。自分で行動の掣肘がかなわぬほどに。
「だから、あなたがかけた鍵もわかるの」
 でも、とあゆみは孟の両頬に手をやった。
「そのために、あたしがあなたの望むことを言っても、それは偽りの、表面だけのことだと思わない? 心からの言葉じゃないって。だからね、あたしは孟の望む言葉は言ってやらない」
 あゆみは、孟の気持ちを知っている。
 知っているから、彼の呪禍を全て一人で鎮圧した。
 誰の手出しもさせずに。
 他の誰でもない、孟の呪禍だったから受けたのだ。
 そうなのだ。
 あゆみもそう。
 多分、いや確実に、その思いは孟のそれより強くて深い。
 それを、もっと早くに言うべきだったと思う。
 でも、今は、それを言えない。
 嘘に聞こえるから。
 だから、こう言ってやるのだ。
 心を込めて。
「あなたなんか、大嫌い」
 そう言って微笑むと、あゆみは孟を引き寄せ、口づけた。
 そして。
 孟が雪の支配より脱した。
 と、同時に、ばらまかれていた呪詛が次々と解かれた。孟が呪詛を解いたようだ。
 また今回も、あゆみが孟の呪禍を鎮圧したのだった。


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