4 朝。 弘司は、いつもの通り学園に向かう。 途中で、いつものようにあゆみの後ろ姿を見つけた。 あゆみは、いつものように歩いている。いつもと違うのは、彼女に言い寄ろうとする男性がいない点だ。 それは多分、昨日の出来事のせいだろう。弘司はそう思う。多くの学生が、あれを見ていたはずだ。その証拠に、あゆみを見てひそひそと昨日のことを噂する輩も多い。 恐らく、それはあゆみにも聞こえているはずだ。 しかし、彼女は全く気にしていないのか、いつもと同じような態度で登校している。照れて無視しているとか、聞かないようにして耐えている、といった類の雰囲気は微塵も感じられない。平常心である。 弘司は、あゆみの背中に声をかけた。 「やあ、おはよう」 あゆみは歩を止め振り返る。 「おはよう」 「どうだい、あれから?」 「なにが?」 「新城。あのあと、結局あの二人にまかせただろう」 そうね、とあゆみは、何の感情もこもらない声で頷いた。 呪禍が終わった直後、孟はすぐに気絶した。雪の支配から脱するのにほぼ全エネルギーを使ったからだろう。その彼を介抱して連れていったのが、彼の部下であるそのみとくるみだった。 あゆみは、呪禍鎮圧後の一切に関与していない。それはいつもの通りといえば、そうなのだが、やはりあの後では、不思議な感を受ける。 ちなみに、雪を取り押さえたり、その後の事後処理をしたのは弘司である。 「会ってないわよ」 会う必要もないでしょう。視線がそう言っている。 弘司は、わからないな、という表情をした。 「ええと、聞いていいかい?」 「どうぞ」 「僕はフラれたんだよね」 「何をもって紫藤君がそう思うのかはわからないけど、少なくともあたしは、紫藤君から正式に好意を告白されたことはないと思うけど」 「してたつもりだけどね」 あゆみは、ふっと笑う。 「紫藤君。あのね、真実でなければならないのよ」 弘司は眉根を寄せた。 「よくわからないな」 「思いを語るのは、真実の声でなければならない。でないと、相手には決して届かない。正確には伝わらない」 「つまり君は、僕の好意は真実でなかったと、こう言いたいのかい?」 そうとは、あゆみは言わなかった。ただ視線を弘司の後方へやった。 弘司が振り向くと、雪が走ってくる姿が見えた。 「弘兄!」 そう手を振って駆け寄ってくる雪に、弘司は軽く手を上げて答えつつ、横目であゆみを見た。 「そうかもね」 「なに話してんのよ」 雪が駆け寄って、弘司の腕を絡みとった。 「うわっ。こら、雪、腕がちぎれる」 「いーじゃないのよ」 ごろごろ、といった感じで、雪は弘司にまとわりつく。 途中、あゆみの視線に気がついて、動きを止めた。 雪はじっとあゆみを睨み付ける。勿論、弘司の腕は放してはいない。 「あ、謝らないからね。あ、あんたが紛らわしく、弘兄につきまとうからいけないのよ」 雪が怒ったような声を出した。 結局、昨日の件に関して、雪の処分は厳重注意にとどまった。 軽い、と考える学生は、実は稀有である。でなければ、何度も呪禍を起こしている孟が退学処分にならずに活動を続けられるはずがない。ある意味、こういうことは日常茶飯事なドタバタだった。 「こら、雪!」 「ふん」 雪は大きく鼻を鳴らし、弘司を引っ張っていった。 弘司は引っ張られながら、あゆみの方を向いて問う。 「最後にいいかな?」 あゆみは頷いた。 「どうして、その真実の言葉とやらを新城に言ってやらないんだい?」 そうすれば呪禍はおさまるのに。そう付け加える。 あゆみは、一拍間を置いてから答えた。 「言葉が見つからないから」 あゆみの表情は変わらない。 しかし、真実の言葉のような気がした。 「わからない心理ね」 雪が、後方のあゆみにちらりと視線をやった。 「おまえには、わかんないだろうよ」 「なにそれ、馬鹿にしてんの?」 「違うよ。陳腐な言い方で悪いけど、雪は雪の方法でしか気持ちを表せないように、彼女も彼女のやり方でしか気持ちを伝えられないのさ。相当照れ屋で、不器用で、それでいて、形式ぶっているんだけどね」 多少の皮肉を込めて、弘司もあゆみの方に視線をやった。 少なくとも。 思いが大きすぎて、伝える言葉がわからない間は、呪禍は続くだろう。 「迷惑な話だ」 「今こそ、これまでの屈辱を乗り越え、われらが理想を実現させる時である!」 孟の朗々とした声が響く。 しかし、いつものように、二人の下僕の追従がない。 不思議に思い、孟が視線を二人に送ると、二人は興味なさげに椅子に座ってだらけていた。 「なんだお前ら、その態度は!」 孟が怒鳴りつけるが、二人の態度は変わらない。それどころか、白けたような視線で孟を見た。 「いーえいえ」 「べーつに、なーんでもありませんわ」 「な、なんなんだ、お前ら、いったいその目は? 死んだ魚のような目をしているぞ」 いつもと違う二人に、孟は戸惑いを隠せなかった。 「いやねえ。少しばかり、御主人様の野望に疑いが生じたわけでございまして」 そのみが視線をくるみにやった。そしてお互いに、ねえ、と頷き合う。 「なんだと? 私のこの高邁な理想に、何の疑問が生じたというのだ?」 孟は、彼女たち二人の脳が、だらけた勢いでとろけてしまったと思った。でなければ、彼女たちが孟の理想を疑うわけがない。 「えーと、御主人様の目的っていったい何でございますか?」 くるみが、今さらながらに問う。 たわけたことを、と孟は吐き捨てた。 「わが呪詛によって、この学園、ひいては魔帝国を支配して、呪詛王朝を開くことに決まっているではないか! その栄光の歴史の先鞭をつけるため、お前たちは創られたのではないか。今さら何を迷うことがあろうや!」 孟は握り拳をつくって力説する。 しかし、二人の下僕の態度は変わらない。 「あらあら」 「まあまあ」 と、肩をすくめあう。 「何か知らんが、むかつくぞ、その態度!」 「なんだか私たち、御主人様の真の目的を知ってしまいましたし」 「いまいち、やる気が出ないんですよね」 「ど、どういうことだ、それは?」 「御主人様が呪詛をばらまいて、学園に混乱を起こす目的って」 「まさか、山瀬様の気を引くためとは、オドロキですわ」 「なっ……」 孟は絶句した。 「そーいうことなら、もっと早くに言って下さればよろしかったのに。ラブレターの配送ぐらいはやりますわよ」 「な、何を言っているのだ、お前たちは……?」 孟は自分で声が上擦っているのがわかった。 実のところ、孟には昨日の記憶がない。というのは、彼は雪の支配下にいたからで、催眠状態にいたからである。 「ところで御主人様。昨日の呪詛の鍵のキーは何だったんですか?」 くるみが聞く。 「呪詛の鍵?」 「ええ。結局、御主人様が解かれましたけど。あれは何だったんですか?」 大変興味があります。そうそのみが付け加えた。 昨日の記憶がない孟には、当然ながらその解答はできない。しかし、思い当たるフシならある。 推測するに、思考能力が奪われていた自分が呪詛にかける鍵は、自分にとって一番してほしいことをさせることだろう。 それは。 聞きたい言葉を言わせること。 そこまで考えてから、孟はごくりと唾を飲み込んだ。 「まさか……」 嫌な予感が頭をよぎり、次いで、自分で解いたというそのみの言葉に安堵した。 「やっぱり、山瀬様に告白してもらいたかったんですか?」 くるみが声をかける。 「そ、そんなわけなかろう!」 怒鳴るように孟は言った。 「あれは、あの女に敗北の言葉を吐かせたかったに決まっているではないか! あの女こそが、わが理想最大の障害なのだぞ。あれを排除すれば目的はなったも同然。私が願うのは、それに沿ったものに決まっている!」 孟は力説する。 では何故、今まで本気を出さなかったのか。そういう質問をするほど、そのみとくるみの二人は野暮ではない。 超迷惑的照れ屋の御主人をあたたかく見守ろう、という眼差しで孟を見た。 「なんかむかつく、その視線」 「いえいえ」 「御主人様の御意のままに」 頭を下げる二人に、孟は納得のいかない視線を向ける。だが深く考えないことにした。 よろしい、とマントをひるがえし、出口に向かう。 「では行くぞ。呪詛王朝の始まりのために」 孟とその下僕二人は、十何度目かの呪禍を起こしに出陣した。 |