2 夜。第十三学館。地下四階の最奥の一室。 ここで孟は目を覚ました。 最初に視界に飛び込んできたのは、そのみとくるみの貌だった。 「あ、やっと目覚められましたか、御主人様」 「一時は目を覚まされないかと思い、とても心配しましたわ」 孟はゆっくりと上体を起こす。どうやら、本拠地のベッドのようだ。 「御主人様に逝かれたら、あたしたち、路頭に迷うところでしたわ」 「でも、ご無事で何より。祝杯でもあげたい気分です」 そのみとくるみがはしゃいでいる。 「その前に、腹ごしらえですよね、御主人様。お腹をすかせていらっしゃるでしょう」 「屍肉の刺身に、千九百年ものの血酒、肋骨の揚げ物。どれにいたします?」 「あら、くるみ。御主人様は、そんなはしたないものをお口にはなさりませんわ。ミミズの唐揚げ、ムカデのソテー、ヤモリジュース。これしかありません」 「違うわ、そのみ。御主人様は屍肉の刺身に、千九百年ものの血酒、肋骨の揚げ物が大好物なのよ」 「嘘ばっかり。ミミズの唐揚げ、ムカデのソテー、ヤモリジュースに決まっているじゃない」 「屍肉の刺身に、千九百年ものの血酒、肋骨の揚げ物なの!」 「ミミズの唐揚げ、ムカデのソテー、ヤモリジュースよ!」 「屍肉!」 「ミミズ!」 そのみとくるみが、鼻をつけあうほどの近距離で睨み合う。ややあって、同時に孟の方を向き、真剣に尋ねた。 「御主人様は、どちらを食したいですか?」 「正直に選んで下さいませ」 「両方とも食えるかーっ!」 孟は二人を怒鳴りつけた。 「毎回毎回、つまらんコントを見せるなー!」 まったく、と孟は大きく溜息をついた。 「何の役にもたたん奴らだな。山瀬には二人して瞬殺されるし。もう十回目だぞ」 あら、とそのみが反論する。 「バジリスクを瞬殺する山瀬様に、下っ端死鬼のあたしたちがかなうわけありませんわ」 そうですわ、とくるみもそのみに同調する。 「山瀬様は『剣聖』称号を持つ当代最強の剣士ではありませんか。あの方に一瞬で倒されても、何ら恥ではありません」 「それは、自分たちの責任を回避するとともに、山瀬に一撃でのされた私を馬鹿にしてるんだな」 「いーえ、いえ。決して、そんなことはございませんわ」 そのみとくるみが声をはもらせ、にっこり笑う。 孟も、笑顔を作って二人の死鬼を見た。 そして。 「下級死鬼の分際で、主人を馬鹿にするなー!」 「きゃあ」 「いやあ」 と、毎度の追いかけっこが始まった。 いつもの風景。毎回こんな感じで終わるのだが、今回は様子が違った。 「十回連続で野望失敗の屈辱を受けながら、えらく明るいのね」 冷たい声が室内に響き渡る。 三人は驚き、すぐに動きを止めて声の方を向いた。 声はドアの方から聞こえた。そして、そこに立つ一人の影が見えた。 「誰だ?」 「紫藤雪。知ってるかしら?」 雪がゆっくりと孟の方に歩を進めた。 「生徒会長の義妹か。どうやってここに?」 孟は不機嫌に問う。 この部屋には何十もの結界が張ってあり、侵入者を許さない仕掛けになっている。 「結界のこと? あんなの、解呪したに決まってるでしょ」 「解呪しただと?」 「驚くことじゃないでしょ。あの程度の結界なら、あたしクラスの術師でも簡単に解呪できるわ。逆に、本気で侵入を阻止したいのかを疑いたくなるわ」 雪は孟の前を通り過ぎ、勝手に椅子に腰掛けた。そして、どうなの? と孟に視線で問う。 孟は、ふんと鼻をならし、それを無視した。 「答えたくないわけね」 「で、何の用なんだ?」 そうね、と雪は微笑を浮かべて、視線をそのみとくるみに移した。 「彼女たちは、どうして山瀬に斬られたのに、ここにこうしているの?」 「そんなこと、お前に答える義務はない」 「彼女たちの身体は器に過ぎなくて、別の魂をそこに入れているから。身体を何度壊されても魂を滅ぼさない限り、死体さえあれば何度でも復活する。違う?」 雪は、そう上目づかいに訊く。 「だから、そのみとくるみの二人は、正確に言うとゾンビでもグールでもない別の何か。そもそも、ゾンビやグールに魂などないものね」 「わかっているなら、訊くな」 孟は苦虫を噛み潰したような顔をした。 「それでいったい、何の用なんだ? 私の部下の正体を解明しに来たわけではあるまい」 当然よ、と雪は微笑を収めて、真面目な顔つきになった。 「あなたに協力しに来たのよ」 「協力?」 孟は虚をつかれた表情をした。実際に虚をつかれたのだ。 今まで、孟の妄想じみた野望に協力者などいなかった。もともと友人がいるわけでもないから、協力を申し出た輩も存在しなかった。 そのみとくるみは、手駒として召喚支配しただけである。協力者という同等の立場ではない。 「あたしが協力すれば、あなたの野望もかなうわよ」 雪がそう言葉を続けた。 「ふん。世界征服は、男子生涯の壮挙だ。誰の手助けもいらんわ」 孟は明快に拒否した。後ろで、そのみとくるみがぱちぱちと拍手をしている。 雪が不機嫌そうな表情を浮かべた。 「そんなこと言ってるから、何度も敗北するんでしょ!」 「うるさい。私には私のやり方があるのだ」 「そのやり方がまずいと言ってるの。あなたのやり方で、いったい何度失敗してると思ってんのよ」 「う……」 孟は言葉に詰まる。 「十回よ、十回。それだけやれば、猿でも学習するわ」 「私を猿以下と言いたいわけか」 「このままあたしの協力を拒否して、十一回目の失敗をすればね」 「次こそは、成功させてみせるわ」 「また、山瀬にのされるのがオチね」 ふふん、と雪が笑った。 孟は押し黙り、雪から視線を避ける。 それを見て、雪は事が成就に向かったことを知った。ゆっくりと椅子から立ち上がり、孟の前に立つ。 「あなたにとって、とてもいい申し出だと思うけど」 孟が雪に視線を戻す。 「何故、私の協力を申し出る。生徒会長の妹だろう、お前は?」 「あたし、山瀬が大っ嫌いなの。消えて欲しいの、あの人に」 雪の瞳に憎悪が満ちる。 「あなたも、常に立ちはだかる山瀬が邪魔でしょう。その点で、あたしたちは協力できるはずよ」 「そ、そうだな」 少し孟がうろたえた。しかし、それは一瞬で、すぐに元に戻る。 「確かに、あの女は邪魔だ。消えた方が都合がいい」 「そうでしょう」 「ああ、そうだ」 雪は、孟の返答に感情がこもっていないところが少し気になったが、事がもう一歩で成る事実を思い、そのことをすぐに忘れた。 「なら、契約を交わしましょう」 雪が、すっと掌を孟に向けた。 「いいだろう」 答えて、孟も掌をあげ、雪のそれと重ねた。 刹那、そこから閃光がほとばしる。 孟は瞬時にそれが何か悟り、雪の思惑を見抜いた。 「貴様!」 「もう気づいたの。でも、もう遅いわ」 雪が勝利の笑みを浮かべた。 「ああ!」 「御主人様!」 そのみとくるみが、慌てて二人を引き離しにかかった。 しかし、既に雪の企みは成就した後だった。 |