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 山瀬あゆみは、走り去って行く男の背中を見ながら、小さく溜息をついた。
 次いで、今しがた彼から手渡されたばかりの手紙に視線をやる。
 白く洒落た封筒だった。渡す相手を考慮したのだろう。可愛い子猫のキャラクターがプリントしてあった。
 宛名は山瀬あゆみ。差出人は、先ほどの彼の名前である。あゆみには、封を開けなくても内容はだいたい想像がついた。
「ラブレターかい。あいかわらずのモテぶりだね、副会長どの」
 不意に、後背からそんな声がかけられた。
 振り返って見ると、そこには紫藤弘司が立っていた。
「おはよう、紫藤君。朝っぱらからのぞきとは、いい趣味とは言えないわね」
 あゆみは、軽く睨め付けてから微笑する。
「のぞきだなんて、とんでもない。たまたま通りかかっただけさ」
 弘司は肩をすくめてから、あゆみの横に並んだ。二人は並んで学園への道を歩き出す。
 彼らは、帝立魔導学園の生徒会会長と副会長である。ともに成績優秀で、美男美女の誉れ高く、学生の人気と羨望を集めていた。
 二人の人気は、俗なレベルに落としてみても絶大だった。
 それぞれの〈横に立つ異性の座〉争奪戦は激甚を散らしており、たくさんの玉砕者を出し続けている。恐らく、先ほどの男も、その仲間入りすることだろう。
 今のところ、二人自身がどう考えているにせよ、〈横に立つ異性の座〉は、お互いどうしがしめているようである。少なくとも、周囲の多くはそう見ていた。
「ところで、最近新城を見ないな。山瀬は見たかい?」
 弘司が、学園最大の問題児の話題をあゆみにふった。
「見てはいないわ」
 素っ気なくあゆみは答えた。
 新城孟は、彼らと同期の生徒である。呪詛の本性、呪勁を持ち、自ら呪詛者をもって任じているというおかしな為人をしている。友人はいない。
 呪勁を会得するほどの術者は魔導学園といえど稀なのであるが、それだけでは何の問題もない。優秀な術者がいるというだけのことだ。
 彼が問題なのは、たびたび世界征服宣言をして、学園に呪禍を巻き起こす点にあった。彼ほどの術者が起こす禍は、即座に学園崩壊に直面する可能性を常に内在しており、学園の火薬庫とも噂されていた。
 もっとも、孟の起こす呪禍はことごとくその初期にあゆみによって鎮圧されている。そのため、現在までのところ、奇跡的に死者は出ていない。
 それでも孟は懲りずに何度も何度も呪禍を起こし、半ば恒例化していたのだ。迷惑この上ない。
 しかし、それがここ一ヶ月やんでいた。平和なことだが、少し気味が悪いというのが、生徒会の正直な気持ちだった。
「さすがに、あきらめたのかな」
 弘司が心にもないことを口にする。
 さあ、とあゆみは興味なさそうに答えた。
「気にならないのかい?」
「べつに」
「でも、いつも君が先頭に立って、彼を倒しているじゃないか」
「それがあたしの仕事だもの。遅くに対処して、死者をだすわけにはいかないでしょう」
 あゆみは、ちらりと弘司の方に視線をやった。なに言っているの。そんな視線である。
 弘司はしばらくあゆみの横顔を眺めていたが、やがて、そうかそうか、と笑顔をこぼした。
「なるほど。仕事か」
「なに? 気持ち悪いわね」
「ん。だって、そうだろう。君が未だにそういう風に口に出すということは、僕にとっては、とても重畳至極なことなんだから」
 君の本心がどうだろうともね、と弘司はつけ加える。
「えらく、自分に都合のいい解釈をするのね」
「それは、僕の気持ちを理解してくれていると思っていいのかな?」
「さあ、どうだか」
 あゆみは、くすくす笑った。
「少なくともあたしは、進んで雪ちゃんの恨みを買うことはしたくないわね」
「雪は関係ないだろう」
 弘司が真顔になる。
 そんなことないわ、とあゆみは視線を後方にやった。
 途端。
「弘兄!」
 そんな、弘司を呼び止めるような、怒鳴りつけるような声が響いた。
 弘司はぎくっとして、振り返る。
 そこに立っていたのは、今しがた会話にのぼった少女である。ショートカットにまとめた黒髪がとても愛らしい。
「どうして先に行っちゃうのよ!」
 紫藤雪はつかつかと詰め寄ると、あゆみと弘司の間に割って入り、弘司の腕を絡みとった。
「いい加減、一人で登校しろよ。もう、送り迎えする齢じゃないだろう」
 弘司が、雪に腕を引っ張られながらも彼女をたしなめる。
「齢の問題じゃない。気持ちの問題よ。約束でしょ、毎日一緒にいるって」
「そんな、小さい頃の約束に、履行義務はない」
「なに言ってるのよ。約束は約束よ」
 雪が、ずりずりと弘司を引っ張っていく。
 弘司と雪は、血の繋がらない兄妹である。兄妹仲は非常に良い。
「生徒会の仕事が忙しいんだ」
「弘兄、二言目には生徒会、生徒会。そんなに忙しい仕事なら、辞めればいいじゃない」
「そういうわけには、いかないだろう」
「どうしてよ?」
「帝立魔導学園全学生八千人に選ばれたんだぞ。そんな簡単に辞められるか。責任というものがある」
「嘘ばっかり!」
 叫ぶように言って、雪は足を止めた。そして振り返り、後方に立って二人を見ていたあゆみをきっと睨む。
「全部、あいつのせいね」
 憎々しげに呟く。
「なに馬鹿なことを言っているんだ、おまえは」
「ふん」
 雪はもう一度きつくあゆみを睨んでから、弘司を引っ張っていった。
 それは、あゆみから弘司を引き離すような行為にも見えた。
 あゆみは、大きく溜息をつく。
 どうも、雪はあゆみを嫌っているようだ。
 理由はわからなくもない。あゆみは、自分が雪から嫌われる決定的な要素を持っていることを自覚していた。
 いい加減、自分の意志をはっきりと示した方がいいのかもしれない。あゆみはそう思い、もう一度大きく溜息をついた。
 学園に着き、校門をくぐる。
 いつもと同じ学園の風景。しかし、あゆみの感覚が違和感を訴える。
 その正体は、すぐにわかった。
 強烈な魔力が魔導学園全体を覆っているのだ。それも、誰彼構わず支配しようとする邪悪な魔力だ。
 そのため、魔力の抵抗に負けた学生たちが、ふらふらと第一広場の方に歩いている。
 誰の仕業かもよくわかっている。
 新城孟だ。
 魔力は、分析するまでもなく呪詛系の支配呪文。一ヶ月の沈黙を破り、再び〈世界征服〉の妄想を実現させるために、呪禍を巻き起こしていると思われる。
 孟を倒しうる実力の持ち主は、魔導学園関係者総勢八千の中でもごく僅か。
 その中の一人があゆみである。だから、孟の呪禍を鎮圧するのはあゆみの仕事なのだ。
 あゆみは、孟が待っているであろう第一広場へ足を向けた。

 第一広場は学生たちで埋め尽くされていた。
 そのほとんどが、孟の支配呪詛に屈した学生たちである。彼らは第一学館の前に集まり、焦点の定まらない目をして立っている。
 第一学館の屋根の上には、一人の男性と、その両脇に控える二つの影があった。
 その、真ん中で満足そうに笑みを浮かべている男性こそ、新城孟である。
 学生服に襟の高い黒マントを羽織り、手には見るからに妖刀だと思われる刀を握っていた。
「ふはははははっ! 今こそ、世界をこの手に握る時。手始めに、この学園を支配してくれるわ。従え! 従え! 従え! われに服従せよ! 燦爛と輝く呪詛王朝建国の贄となるのだ!」
 孟は哄笑した。
 呪詛の本性、呪勁を持つ彼の言葉は全て呪詛である。今の哄笑も呪詛となって学園に降り注ぎ、また多くの学園関係者を支配下に置いた。
 その時。
「あいかわらず、進歩のないことを口走っているのね、新城君」
 不意に、冷たい女性の声が広場に響いた。
「おとなしくしていた一ヶ月の間に何かを学習したのかと思ったら、全く以前と同じ台詞。いい加減、聞き飽きたわ」
 そんな痛烈な台詞を孟に吐くのは、この学園でたった一人しかいない。
 孟は声の主を探した。
 支配下に置いた学生たちの向こうに、声の主はいた。
 際立つほどに美しく怜悧な顔立ち。漆黒で川の流れを思わせるような長く艶のある髪。荘厳な雰囲気を持つ細い身体。そして腰に佩く名刀。
 そう、彼女こそ魔導学園の副会長にして、これまでことごとく孟の野望を打ち砕いてきた張本人である。
 山瀬か、と孟はあゆみを見下ろした。
 孟の呪禍に対処するため途中で合流したのだろう。あゆみは弘司と一緒に立っていた。
「いつもいつも邪魔をしやがって。やはり、お前を倒さなければ、野望達成はならないようだな!」
 孟は剣先であゆみを差した。
「今回は、前回までの私と違うぞ。秘策ありだ」
「その台詞も聞き飽きたわ」
 あゆみが、冷静に孟の言葉を切って捨てる。
 うるさい黙れ、と孟はわめき、召喚の言葉を唱えた。
「いでよ蛇の王! わが命に従い、寇敵を撃て!」
 すると、あゆみたちより少し前の地面が割れ、地中から巨大な蛇が姿を現した。
 その四メートルほどの大蛇には、四本の足と、鶏冠に似た凶悪な突起物があり、いきなりそれと目を合わせてしまった者が、一瞬で石化した。
「バジリスクか。これはまたやっかいな怪魔を喚び出してくれた」
 弘司が苦々しく呟いた。
「見たか! 支配呪詛が効かない奴らは、石化しておけばいいのだ。おまえたち生徒会の連中も、石に変わるがいい。いけ、バジリスクよ! そいつらを睨み付けろ! 目障りな二人を石化してしまえ! そいつらさえいなくなれば、学園征服は、もはやなったも同然だぞ」
 孟の命令に従い、バジリスクは鎌首をもたげ、あゆみと弘司を睨め付けた。
 刹那、弘司は飛び退き、難を逃れる。
 しかし、あゆみは一歩も動かなかった。
 あゆみはバジリスクと視線を合わせる。二つの視線が絡み合った瞬間、あゆみの身体が瞬時に石化した。
 が、すぐに表面がひび割れ、元の姿のままのあゆみが平然と立っていた。
「バジリスクの〈石化の呪い〉ごときで、あたしをなんとかできると考えたの? だから、進歩がないと言うのよ」
 バジリスクの視線は、生ある者を石化してしまう呪いであるが、その呪いの力を上回る抵抗力があれば、石化されない。あゆみの抵抗力は、バジリスクの呪いの強度を軽く上回っている。
「ほざけ! たかだか〈石化の呪い〉を受けないだけではないか。バジリスクは石化させるだけのちんけな怪魔ではない」
「そうかしら」
 あゆみは答えるが早いか、抜刀して一瞬でバジリスクとの距離を詰め、一気に刀を薙いだ。
 バジリスクは、あゆみの閃光のような早さ対応できない。為す術もなくあゆみに一刀両断にされた。あっという間の出来事だった。
「ば、馬鹿なあ……、私のバジリスクを瞬殺するとは……」
「まさか、あれがあたしに対する秘策? あの程度の怪魔とあたしとの実力差もわからないのね。馬鹿じゃないの」
 あゆみがつめたく言い放つ。
 孟は露骨にうろたえた。
「う、うるさい!」
「あたしも忙しいの。そろそろ終わりにしましょうか、新城君」
「えーい、黙れ黙れ。こうなっては仕方あるまい。そのみ、くるみ。お前たちの力で、あの女を倒し、もってわが前に献ぜよ!」
 孟の呼びかけに、両脇に控えていた二人が答える。
「わかりました、御主人様」
「御意のままに」
 二人とも、魔導学園の制服を着た少女である。貌は二人とも童顔で愛らしい。そして、双子のように瓜二つである。
 ただし、明らかに常人と違う点がある。
 それは、そのみ、くるみともに生者ではないという点だ。
 そのみはゾンビ、くるみはグール、つまり死鬼なのだ。魔術的に腐臭が消され、精巧に作られているから見た目にはわからないが、例えば魔術的に見てみると、彼女たちの身体が生命活動を行っていないことがすぐにわかる。つまり、死体なのだ。
「では、山瀬様。主命ですので仕方ありません」
「毎度のことですが、いかせてもらいます」
 二人は屋根から飛び、あゆみに襲いかかる。
 毎度のことね、とあゆみは笑う。
 あゆみが言うように、こうなるのはいつものパターン。毎回、孟は秘策が費えた後、そのみとくるみを繰り出すのだ。
「いつもと同じように倒されるなよ、二人とも」
 そういう孟の声が空しく響いた。
 あゆみは、容赦なくそのみとくるみを斬って捨てた。バジリスクを倒した時より、明らかに早い。
「やっぱり駄目でした、御主人様」
「あとは、よろしくお願いします」
 真っ二つにされたそのみとくるみは、そう言ってあっさりと土に還った。
「ああ、また瞬殺されやがって」
 孟は嘆いた。
「手持ちの駒は、もうお終い?」
「や、やかましいわ!」
「なら、もう終わらすわよ、新城君」
 言うや否や、あゆみが跳んだ。
 跳ぶ、というより、飛ぶ、といった方が適切かもしれない。通常、人は二階建ての建物の屋根まで跳び上がれない。
「く、くるな!」
 孟は怯えた声を上げ、後ずさった。雷符を取り出し、狂ったように雷弾を放つ。
 しかし、あゆみは半分を避け、もう半分を剣で受け、屋根の上に着地した。
 こうなると、もう孟に勝ち目はない。あゆみの剣の腕は学園随一、しかも、伐魔の名刀天舞刀を揮う。
「く、くそう。そう何度もやられてたまるか」
「たまらなくても、やられるのよ」
 あゆみが天舞刀を振り上げた。
 切っ先が天空を向いた時、手首が一瞬動き、刃が陽光にきらりと反射した。
 その煌めきを認識した瞬間、孟は肩口に衝撃を感じ意識を失った。
「まったく」
 あゆみは息を吐きながら、気絶した孟を見下ろした。その視線には、何の感情もない。
 天舞刀を腰の鞘に直した時、広場にたむろする人々のざわめきを感じた。孟が倒れたので、やっと支配呪詛から解放されたのだろう。騒然としている。
 ただ孟の呪禍は恒例と化しているので、人々にそれほどの衝撃はない。またか、という感じである。
「見事なものだね」
 いつの間にか屋根に上っていた弘司が、あゆみに声をかけた。
「振りかぶった瞬間に刃を返し、峰打ちにする。『剣聖』の名に違わぬ技かな」
「峰打ちぐらい、誰にでも出来るわよ」
「そうかな。僕なら殺してると思うよ」
 弘司は、物騒なことを平然と言う。
「紫藤君。いかな魔導学園でも、殺人は魔帝法に抵触するわよ」
「知ってるよ。でも、いろんな意味で邪魔だしな、新城は」
 思わせぶりな視線をあゆみに送る。
「僕はね、山瀬の新城への視線がすごく気になるのさ」
「どういう視線かしら?」
「感情のない、無味乾燥した視線」
「そんな視線を気にするなんて、変なんじゃない」
 そうかな、と弘司は小首を傾げた。
 ふふ、とあゆみは微笑を浮かべる。
「時々、変なことを言うのね、紫藤君は。あなたのような人が、生徒会長として以外に新城君を気にする必要はないと思うけど」
「それはきついなあ。僕だって、いろいろと思うところはあるんだぜ」
「それはあたしも一緒よ」
 そして、二人は学館の天窓から館内に入った。
 広場では、生徒たちがまだ騒然としていたが、多くは三々五々散り始めていた。
 その中で、一人の少女が、孟が倒れているだけの屋根を睨め付けていた。その視線は憎悪がたぎり、いなくなった二人を視線で射抜こうとしているよう。
「あの女、何様のつもりなのよ」
 もう我慢できない。雪は、そう声にならない呟きをこぼした。


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