三章

   1
 カートは、ラルフの部屋から出ると、外で待っていたジェインとミリアに出会った。
「ラルフはどうかしたのか?」
 ジェインが訊いた。
 確かに、ラルフの叫び声は宿全体に響くような大きさだったのだ。彼らが見に来ても不思議ではない。
「実はね」
 とカートはラルフの部屋に視線をやった。ラルフは疲れ果てて、ベッドで眠っているはずである。
「部屋で放すわ」
 カートは、二人を自分の部屋に誘った。そこで、ラルフに起こっていた状況を説明した。
「そうか……」
 ジェインが、考え込むような表情になった。彼にしても、使命大事でラルフの状況に気づかなかったのだ。そのことについて、自省しているのかもしれない。
「ごめん。私が最初に気づかなければならなかったのよ」
 ミリアがすまなさそうな顔で謝る。
「フェゼンの乙女として、そういうことにも気を配らなきゃ駄目なのに」
「仕方ないわ。あまりにも、アセルとグルフィ・ロウの存在が大きすぎたんですもの」
 言い訳にもならないけど、とカートは付け加えた。
 そうだな、とジェインが同意し、三人はしばし沈黙した。
 カートにはなんとなく、ラルフが毎夜の錯乱を言わなかったり、回復呪文を拒否したりした理由がわかる。
 実際にそうだとはいえ、自分ではなく、融合された他人の魂が必要で、本来なら必要ないと言われ続けると、やはり不機嫌にもなる。そして、カートとジェインは、明らかにラルフを阻害していた。彼は孤独だったのだ。それを寂しがるかどうかは別としても、そういうものが溜まれば反発するだろう。
 そういうことだろうと思う。
 カートたちは、まずラルフの心のケアから始めるべきだったのだ。彼は通常の傭兵で、今の状況は明らかに彼が背負うには重すぎる。カートたちは、彼が必要なのだから、その部分を考えてやるべきだった。
「でも、もうこうなっちゃった以上、仕方ないよ。これからのことを考えなきゃ」
 ミリアが、意識的に明るい口調で言った。
 それはその通りだ。実際にグルフィ・ロウの計画は阻止しなければならないのだ。
「しかし、ラルフはもう大丈夫なのか?」
 ジェインが訊ねた。
 カートは首を横に振った。
「結局、アセルと融合しているのは変えられないから、多分、また錯乱がおこると思う」
「なるほどな。つまり、毎夜彼を見張っていた方がいいというわけか」
 また錯乱が起これば、すぐに魂治療を行えるようにだ。
 うん、とカートは頷く。
「あたしがつくよ」
 カートは、むしろさっぱりした口調で言った。
 魂治療ができるのはカートだけだし、そういう選択がベターだと思われた。そして、カート自身の心情的に、そうしたい気持ちもあった。
 しかし、ミリアの次の言葉が、新たな選択肢を発生させた。
「あるよ。ラルフがこれから錯乱しない方法」
 え、とカートは思わずミリアを見返した。
 あるならば、それが一番いい。だがどうしてミリアは最初にそれを言わなかったのだろう。
 カートの視線が非難の色を含んだらしい。ミリアが少ししょげた。
「違うの。出し惜しみをしてたわけじゃないの。実はすごく危険な方法なのよ」
「と言うと?」
「ラルフとアセルの魂を分けるの」
 ミリアが、カートとジェインを順番に見ながら、その方法を告げた。
「そんなことが可能なのか?」
 ジェインが一つ間をおいてから訊いた。
 ミリアが頷く。
「可能よ。とても危険だけど」
「危険、というと、どれくらい?」
 恐る恐るといった風にカートは訊ねた。
「下手したら、命を落とすわ。でも成功したら、ラルフはもう錯乱に悩まされることはなくなる」
 ミリアがカートの瞳を見据えた。そして、すぐに視線をそらす。
「それから、アセルが生き返ることは永久になくなる」
 その言葉は、カートの肺腑に直撃した。カートは息をするのも忘れて、ミリアを見返す。
 再び視線をカートに戻したミリアが、説明する。
「つまりね、ラルフとアセルの魂を分けるでしょ。ラルフの魂は、元々の身体があるからいいんだけど、アセルの身体はないでしょ」
 訊いてみたら、単純な話だった。だが単純なだけに、どうしようもなさそうである。カートは、床に視線を落とした。
「分けちゃったら、アセルの魂は昇天するのよ。でも、そうしたら聖契が切れちゃうから、何かに封じることになると思う。どちらにしろ、そうすると例え身体があったとしても、もう戻らない」
 そう、と俯いたままカートは沈黙した。
「どうする?」
 ジェインが、カートを気遣う口調で訊ねた。言外にやめてもいいという、含みがもたされていた。ラルフにとっても危険なのだ。やめたところで、誰も文句は言わないと思われる。
 しかし、顔を上げたカートの表情はさばさばしていた。
「やりましょう。アセルは本来ならもう亡くなっているのよ。それを無理に繋ぎ止めておくのは、よくないわ。アセルも早く解放されたいだろうし」
「いいのか?」
「うん」
「そうか。じゃあ、何も言わない」
 ジェインが優しげに微笑んだ。
「でもまあ、結局はラルフ次第なんだけどね。ラルフが嫌だと言えば、ずっとあたしがはっつくことななるけどね」
 カートは、そう笑顔で返した。

 その日の昼に、起きたラルフは、ミリアの意見を了承した。

   2
 ミリアの当てである人物は、何代か前のフェゼンの戦士たちだった。著名な魔導師で、もう亡くなっているものと思われていた。
「それが、タルヴァに隠棲しているとは、僥倖だな」
 ジェインが、そう感想をもらした。
 タルヴァはメイヤルに行く道筋にあり、脇道にそれずに寄れるのだ。時間的に厳しいフェゼンの面々は、少し胸を撫で下ろした。ミリアの語るところによれば、魂の分割の作業に、半日はかかるとのことなので、遅れも半日から、一日といったところ。まだ取り返しがつく遅れである。
 更に幸運なことに、タルヴァはここからちょっと行ったところである。明朝早くに出発したら、その日のうちに着き、作業が開始できるというわけだ。ラルフが錯乱で苦しむのも、今日一日ということである。
 ミリアが、その提案をしたのは、そういう立地的に好条件だったこともあった。遠く離れていたら、フェゼンの乙女として、数万人を犠牲にするカウントダウンが始まっている今、言わなかったかもしれない。
 ラルフにとって、それは非常に助かったことである。
 あの錯乱は、もう二度と起こってほしくないし、もう堪えきる自信はない。だが一日なら、もしかしたら緊張を続けていれば、来ないかもしれない。そういう期待をもたせる期間である。
 問題は、命を落とす危険性だが、その辺は妙に楽観的だった。あの苦しみから逃れられると思うと、その辺りの恐怖は薄れるらしい。
 ラルフは、久方ぶりに食事が喉を通り、気分がよかった。眠らないつもりだったから、アルコールは摂取しなかったが、おいしい食事というのは、充分気分を快適にさせるものだ。ラルフは、そのことを実感した。
 食事は、相変わらず別の酒場でとった。フェゼン組に誘われたのだが、今さら、仲良くする気にはなれないと思って、断った。
 部屋に帰ってきて、椅子に腰掛ける。
 身体が楽なのが嬉しい。背もたれに大きくももたれかけ、なんとなく、ラルフはにやにやした。
 その時、ドアがノックされた。答えるより先に、ドアが開く。
 入ってきたのは、カートだった。
「何の用だ?」
 ラルフはぶっきらぼうに訊いた。
「今夜はあたしがいるでしょ。だから来たのよ。ありがたく思ってよ」
 カートもぶっきらぼうに答えると、部屋にずんずん入ってきて、ベッドに腰をかけた。
「どういう意味だ?」
「錯乱したら、すぐに治療が必要でしょ」
 当然のようにカートが答え、それが何か、といった視線でラルフを見た。
 確かに錯乱した時に、彼女は必要だ。錯乱状態を長く続けていたいとは毛ほども思わない。
 ラルフは、不意に昨晩の出来事を思い出した。カートに抱きしめられ、無様にその身を任せていたのだ。仕方がなかったこととはいえ、気恥ずかしさが湯水のように湧いて出てきた。
 ちっ、と舌打ちし、ラルフは視線をそらした。
 しばらく、二人は沈黙していた。
 それを破ったのはカートである。
 ねえ、とラルフに声をかける。
「何だ?」
「魂を分けられるのって、そんなに嬉しい?」
「当たり前だ」
 ラルフは素っ気なく答える。
「そう」
 カートが、そう答えてまた黙った。
 何なんだろうな、一体。ラルフはそう思って、視線をカートにやった。彼女は、窓の外を向いていて、ラルフからは表情を窺えない。見えるのは見事な赤毛だけである。
 その赤毛を意味もなく眺めていた時、不快感が襲ってきた。
 来たのか、と一瞬身構えた。だが違うようだった。出てきたのは、カートに対する想いであった。
 それが出てきた時に、ラルフはカートが何故そのような質問をしたのか、少しわかった気がした。
 魂を分けた時、ロイドの魂はどうなるのだろう。ラルフはそう疑問に思った。彼女が、ロイドに対して特別な感情を持っているのは知っている。彼女にとってロイドは、大きな存在であり、その裏返しでラルフとは反発しあっていた。
「お前はいいのか?」
 ラルフは、カートの横顔に訊いた。
 ん? とカートは、視線をラルフに戻す。彼女はラルフが何を訊ねているのか、瞬時には理解できないようだったが、数秒後に先ほどの流れで繋がっていることを理解した。
「魂が分けられると、ロイドの魂はどうなるんだ? 多分、なくなるんだろう?」
「うん」
「いいのか?」
 ラルフはもう一度訊いた。
 カートは柔らかく微笑んだ。
「ラルフらしくもない質問ね。ラルフがあたしのことを考えてくれるなんて、どういう風の吹き回し?」
「さあな。だが、お前、ロイドが好きなんだろう」
 カートはため息をついた。
「そりゃ、バレるか」
 ちらりと舌をだした。
「告白もできずに終わった情けない恋だけどもね」
「分けなければ、ロイドが俺にとって代わる可能性すらある。そうなったら、容姿さえ気にしないのであれば、ロイドの復活だ。その方がお前らにとって、都合がいいんじゃないか?」
 本当に珍しいわね、とカートがラルフを見返した。
「確かにな。しかし、もしそうだと言われても、俺は分けるけどな」
「そうでしょうとも。それが正しいと思う」
「どういう意味だ?」
 ラルフは眉根を寄せた。
「だって、ラルフの身体はラルフのものでしょ。それを奪う権利は誰にもないわ。勿論、アセルにもね。だから、アセルには、ラルフの身体から去ってもらうしかないの。そうしなければいけないの」
 カートが自分に語りきかせるように返答した。
 いいのか、とラルフは三度訊ねる。
「ラルフは堪えたよね。錯乱にずっと。今度はあたしが克服する番」
 そう言ったカートの表情には、固い決心が見て取れた。
 そうか、とラルフは呟いた。
 それにね、とカートがまた微笑む。
「あんた程度の傭兵に堪えられたのよ。これくらい克服しなきゃ、フェゼンの戦士たちとしてとは、恥ずかしいでしょ」
 口調こそ最初に会った頃のものだが、その中に少しばかりの親しみがあった。彼女の中で、敵から少しレベルアップしたらしい。
「そうかもな」
 ラルフもほんの少し微笑した。その後、視線をそらしながら言う。
「お前、ロイドが好きなんだろう。ロイドもそうだったらしいぞ」
 それに、カートは答えなかった。ラルフも視線を向けなかったので、彼女がどんな表情をしているのかわからなかった。
「…………」
「…………」
 今度は、長い時間沈黙が続いた。
 このまま夜があけるのではないか、そうお互いに思い出した頃、不粋な侵入者がその沈黙を破った。
 侵入者は、窓からとドアからの双方から入ってきた。人数は四人。殺気立っており、明らかに敵である。
「いい加減、懲りないわね、あんたたちも」
 カートが、いきなり打ちかかってきた男の剣をかわすと、その男の鳩尾に膝を力一杯入れた。
 短い悲鳴を上げ、男が倒れた。その隙にカートは短剣を抜き、ラルフに打ちかかろうとしている男に放った。
「ぎゃっ!」
 短剣が男に突き刺さり、そいつはよろめく。ラルフはその隙に、長剣を抜いてその男に打ちかかった。
 カートは呪文の詠唱にはいる。
 無傷の男の一方がラルフに、もう一方がカートに迫った。
 ラルフは横から迫ってきた男に気がついたが、目の前の男を倒すのに手一杯だった。長剣を突き刺した時、横から打ちかかられる気配を感じた。
 刹那。雷撃が部屋を横切り、ラルフの横の男を撃ち抜いた。雷撃は部屋の窓をも突き破っていた。
 それを放ったのはミリアである。横にはジェインが立っていて、呪文の詠唱に入っていた。
 カートの呪文が完成し、彼女に打ちかかってきた男がずたずたに切り裂かれる。かまいたちが襲ったのだ。
「くそっ」
 鳩尾を蹴られた男が舌打ちし、窓から外へ逃げ出そうとする。だがジェインの呪文の方が早い。炎の円盤が幾つも空中を舞い、男に襲いかかった。
「ぎゃあ」
 炎の円盤に撃ち抜かれた男は、叫び声を上げ窓から落ちていった。
「この程度で、止められると思っているのかしら。グルフィ・ロウは」
 カートが、周囲に感知の網を張って、まだ敵が隠れていないか確かめた。
「さあな。恐らく、このクラスの襲撃者は、グルフィ・ロウの意図とは関係なく襲ってきている気がしないでもない」
 ジェインが、そう感想を洩らした。
「どうして、そう思う?」
 他の敵がいないことを確認し終えたカートが、ジェインに聞き返した。
「あまりにも、突発的すぎる。我々がフェゼンの戦士たちだと知って、いきなり襲いかかってような感じだ。組織だった動きではない」
「ということは、これからも、もっと狙われる可能性があるってこと?」
 ミリアがうんざりした表情になった。それに微笑を返しながらジェインが頷いた。
 その辺の所はラルフにはわからないが、彼らがそういうのであれば、そうなのだろう。そう納得することにした。
 ラルフとすれば、生き延びて、錯乱が起こらなければ、今のところは文句はない。
 とりあえず、ラルフは戦闘によって散らかされた部屋からでで、違う部屋に入った。

   3
 朝早く、四人はタルヴァに向けて出発した。
 その街道で、またもや邪神統の刺客に襲われた。簡単に撃退したが、邪神統の刺客と遭遇する確率が高くなっているようである。
 もしかして、この辺りは邪神統の勢力範囲ではないだろうか。ラルフはそう思った。
 その考えは実は間違っておらず、タルヴァに着いた四人を出迎えた人の良さそうな老人が、そのことを語ってくれた。
 その老人こそ、何代か前のフェゼンの戦士たちのメンバーで、アイラウという魔導師だった。
 アイラウという魔導師は、フェリシアにフェゼンの戦士たちに選ばれるまでは、それこそ、フェゼンの戦士たちに倒されても仕方がないような、悪行をしていたという。
 実は、そういう人物がフェゼンの戦士たちに選ばれることは珍しくない。当代でも、ジェインの過去は殺し屋だった。
 結局、フェゼンの戦士たちは、善悪問わず強力な存在が選ばれているようである。
 考えてみれば、そういう存在がよく今まで道をそらさずに邪悪を討ってきたな。ラルフはそう感心した。そもそも、聖契さえも戦士たちの意志で自由に使えるのだ。それを己の欲望のままに使う者がいてもおかしくはなかっただろうに、と思う。選ばれた多くは、善人より悪人の方が多いのだから。
 その解答をアイラウは己の庵で、四人に語った。
「フェリシア様が、強力な存在をフェゼンの戦士たちに選ばれるのは、至極単純じゃ。強力な存在は、その強さに応じた権利を得るが、それと同じほどの義務を負うものだからじゃよ。つまり、フェゼンの聖契は、力を与えるのではなくて、むしろ力に対する足かせみたいなものじゃ」
 長い間フェゼンの戦士たちを勤めてきた老人の言葉には、重い説得力があった。
「そしてまあ、誰も道を踏みはずさなんだのは、フェリシア様の人選眼が鋭いと言うほかないな。結局はフェゼンのストイシズムを理解して実行できる者しか選ばれておらんからな。もっとも、選ばれる前から、その素質があるのか、それとも選ばれた後にそうなるのかは、儂は知らん」
 老人の言葉は、当代フェゼンには、感想の言いにくいものであった。さすがのカートもはあ、と頷くばかりである。
 さてさて、とアイラウがラルフを見た。
「お前さんじゃな。魂を分けたいという男は」
 ああ、とラルフは頷いた。
「そうか」
 アイラウは何を考えているのか読ませない表情で頷き、じろじろとラルフを眺めた。
 ややあって、全員に言う。
「最初に断って置くが、魂を分ける術は邪法じゃ。言うなれば、お前さんがたが倒そうとしておるグルフィ・ロウなどが行っている邪術と同じものじゃ。それでもよいのじゃな?」
 ラルフ、カート、ジェインの三人は頷いた。
「力に善悪はありません。その力で何を行うかです。俺はそう思っています」
 ジェインが、三人を代表して答える。
「なら、今から行う術はフェゼンの戦士たちの了承のもと行って良いのじゃな。つまり、邪悪を討つために必要な措置だと」
 三人は頷く。
「なら、結構」
 アイラウは、満足げに頷いた。
「では、早速行うとするか。お前さん、こっちに来い」
 ラルフはアイラウに呼ばれて、老人についていく。
 連れて行かれた先は、庵の地下にある薄暗い部屋であった。
 中央にベッドが一つ置いてあり、周囲には、いろいろな魔導書や魔術触媒などが並べられていた。
「装備を外して、ここに横になれ」
 言われた通りにラルフは装備を外す。装備といっても、長剣と腰につけている革袋だけであるが。
 ラルフがベッドに横になろうとすると、アイラウがラルフの長剣に目を止めた。
「なかなかいい長剣じゃな」
「そうか? どこが?」
 疑問に満ちた声で、ラルフは問い返した。潰れかけの武器屋が叩き売っていたのを、更に買いたたいた代物だ。いい剣だと思ったことは、一度もない。
「もちろん世辞に決まっておろう」
 表情一つ変えずアイラウが答えた。
 ふん、とラルフは鼻で息をつき、ベッドに横になった。
「最後に確認じゃが。この術の成功率は十パーセント。儂が魔導書を片手に、触媒と時間をふんだんに使って、更に十パーセント上がる。成功率はそれだけじゃが、本当にやるか? 失敗は死じゃ」
「ロイドの魂はちゃんと分けられるんだろ?」
「勿論」
「なら、問題ない。俺が死んでも誰も困らない。勿論、死にたかないがな」
「いい答じゃ。では、もしものために遺言を訊いておこうか?」
 冗談とも本気ともつかない口調である。
 ラルフはしばらく考えてから、口を開いた。
「失敗したら化けて出る」
 よろしい、とアイラウは唇の端を歪め、術式に入った。

「大丈夫かな?」
 カートが不安そうに呟いた。
 それがアセルの魂のことなのか、ラルフの魂のことなのか、訊いていたジェインとミリアは疑問に思った。
 しかし、あえてそれを訊くことはしない。ジェインはカートの肩をぽんぽんと叩いて言う。
「心配するな。アイラウは稀代の魔導師だ。きっと成功するさ」
「うん」
「今はそれよりも……」
 ジェインが視線だけで後方を窺った。
「そうだね」
 もうカートも気づいていた。
 敵がいる。それも大勢。
 ジェイン、カート、ミリアの三人は、ここで戦闘を起こして、地下で行われている術式の妨げになってはいけないと、自分たちから外に出た。
 敵の数は二十名はいるだろう。それも、今までとは比べ者にならないぐらいの実力を持っている者たちばかりだ。しかも、その中央には、黒の神官衣を着た男がいる。
 黒の神官衣は、邪神統の司祭である。幹部といっていい。侮れない相手である。
「ふむ。もう一人はどこに行っているのかね?」
 司祭が訊いた。
 もう一人とは、ラルフのことだろうか。そう考えながらも、ジェインは、さあね、と答えていた。
「知らないな。郷へ帰ったんじゃないか?」
「ほう。なら、とりあえず貴様たちから葬ろう」
 司祭が、周囲に合図を送る。それと同時に、敵たちが動いた。
カートとミリアは、同時に呪文にはいる。ジェインは剣を抜いて、前に突進して行った。
「でりゃあ!」
 ジェインの剣は、二人を斬って捨てた。だがすぐに周りを囲まれる。
 そこにカートのかまいたちが襲いかかった。
 司祭も呪文を唱える。放った術は、治癒呪文。かまいたちでダメージを負った全ての部下を完全回復させた。
「ちっ」
 カートは舌打ちして、剣を抜いた。すぐそこまで敵が迫っていた。その攻撃をかわして、こちらの攻撃に移る。右にステップを踏み、一人を斬って捨て、その次に対面した敵の剣をはじき飛ばす。
 ミリアの呪文が完成した。地面から土が盛り上がり、鋭い針のような形となって、その上にいた敵数人の躰を貫いた。
 周囲を囲まれていたジェインが、前方の一人を斬り倒し包囲から抜けると、呪文を唱えながら、司祭に走った。
 司祭が呪文を放った。氷の槍が上空から幾本も降り注ぎ、ジェインを狙う。
「させるか!」
 カートがジェインに防護の呪文を放ち、氷槍から守った。
 ジェインが、司祭を間合いに捉える。だがその前に敵が二人、間に割り込んだ。
「くそ」
 毒づきながらも、ジェインはその二人を相手にする。その後方から、先ほどジェインを包囲していたメンバーが迫った。
 その横から、ミリアの放った雷撃が彼らを一掃する。
「ざまあみなさい」
 ミリアが得意気に笑い、次の呪文の詠唱に入った。
 ジェインは、完成した呪文を自身にかける。すると、ジェインのスピードが急速に上がった。あっという間に、割って入った二人を始末する。
「来たな」
 司祭が応戦するように剣を抜いた。
 二人の剣が激しくぶつかり合う。
 ジェインと司祭の剣術の実力は、ジェインに一日の長があるようだった。次第に司祭を押し始め、優勢に立つ。
 周りでは、カートとミリアが苦労しながらも、司祭の連れてきた敵を討ち果たしており、残りは、司祭一人となった。
「もうお終いよ」
 カートとミリアが、ジェインと司祭の争いに参加する。
 ジェイン一人を持て余していた司祭が、ジェインクラスの腕前を持つカートと、そのサブに入るミリアを相手にすることは不可能である。自身の不利を悟り、軽く呪文を唱えて、大きく飛びずさった。
 後方に長く距離をとり、にやりと笑う。
「あそこにいるのはわかっているのだよ」
 そう言って、呪文を唱えた。
 何の呪文かはわからないが、庵を目標としたものであることは確かであった。
「させるか!」
 三人が一斉に司祭に襲いかかる。
 カートの剣が司祭の胸部を突き刺し、ジェインの剣が司祭の肩口から切り裂いていた。
「ぎゃあああっ」
 司祭が断末魔と鮮血を吹き上げ倒れた。
「ふう」
 カートが額の汗を拭った。
「しかし、奴らなんだってラルフを狙っているようなことを言うんだ?」
 ジェインが、司祭の台詞を思い出して、呟いた。
「私たちがたどり着いた答えに、グルフィ・ロウもたどり着いてるかもね」
 ミリアが答えた。
「ラルフがアセルの力を使えるということ?」
 カートの問いにミリアが頷いた。
「なんたって融合させた本人だもの。気がついてもおかしくないわ。それでほしくなったのかも。グルフィ・ロウって、そういう妖しげなことを好き勝手に実験して解明するの好きな感じ、しない?」
「なら、グルフィ・ロウの手遅れね」
 カートがきっぱりと言った。
「ラルフとアセルの魂は分かれちゃうもの」

「アイラウの所へ行ったというのか。それは手遅れだな」
 グルフィ・ロウは部下の報告を訊いて、即座にそう結論をつけた。
 グルフィ・ロウは、アイラウがどれほどの魔導の使い手が知っていたから、彼の所へフェゼンが行ったことを知った時に、その意図がわかったのだ。
「何が手遅れなのでしょう、猊下?」
 部下が訊ねる。今までフェゼンの戦士たちにつけていた部下は、ほとんど全滅した。ロイドとラルフのことを知らせた部下もその一人。なかなかの実力の司祭だったが、返り討ちにあったようだ。
 その彼なら、このようなグルフィ・ロウの機嫌を逆撫でするよう訊ね方をしないだろう。巧みに機微を察して、質問していい時か駄目な時かを判断したはずだ。
 思い通りに行かない時、グルフィ・ロウは大変不機嫌になる。
 彼はゆっくりと手を伸ばすと、部下の首に掛かっているペンダントをむしり取った。
「あっ……!」
 部下は愕然とする。
 このペンダントは、彼がグルフィ・ロウへの報告係として、他の信者たちと峻別されていた証であった。それがとられた今、彼は平の信者以下、破壊者として、ヒエラルキーの最下位に落ちたことになる。
 ヒエラルキー最下位者が、最高位に立つ祭主と向き合うことは、それだけで罪であった。邪神統内での罪は、死である。
「あ、あ、あ、あ……」
 部下は情けない声を上げて、後ずさる。顔が恐怖に歪んでいる。
「死して、我が糧となれ」
 容赦なく死刑宣告をして、グルフィ・ロウは指を弾いた。
 刹那、部下の躰がぶくぶくと膨れる。膨れる。膨れる。風船のようにぶくぶくと膨らんでいき、五体の区別が付かなくなるぐらい丸くなった。それでも、部下の身体は丸くなり続けた。
 グルフィ・ロウは、もはやその部下に何の興味も示さなかった。読みかけの魔導書に視線を落とし、そこに何もないように振る舞った。
 やがて、哀れな部下は、ぱん、という乾いた音をたてて、木っ端微塵に砕け散った。ぐしゃぐしゃに飛び散った内蔵などが部屋に散乱するが、すぐに部屋の壁に吸い込まれていき、部屋は元通りの綺麗さを取り戻した。

   4
 ラルフは闇の中に立っていた。
 前後左右、どこを見ても闇だった。
 どうして自分がそんなところに立っているのかも、これから何をしなければならないかもわからなかかった。
 不思議なことだが恐怖は感じなかった。夢の中にいる時のよう。
「夢か……」
 夢の中で、これは夢だと感じたことは何回かあった。今もそうなのだろうか。
 そう考えていると、前方に人の気配を感じた。
 目を凝らしてみる。
 見たことのある二人の若い男女が立っていた。
 優しく微笑んでこちらを見ている。自分を全て包み込んでくれるような、暖かさがあった。
 誰だったか、と記憶を手繰るがよくは思い出せない。
「男ならば、強い意志を持て。自分の思ったことを突き進む強い意志。それがなくては成功しない」
 男が声をかけてくる。
 なんか説教臭い。ラルフが答えられずにいると、今度は女が声をかけてきた。
「身体には気をつけなさい。ちゃんとご飯を食べるのよ」
 意味がわからない。そう訝しげに二人を見ていると、二人は姿を消した。
 あれ、と再び目を凝らして見ても、そこにはもう何もない。
 なんだったんだろう。そう考えていると、また人の気配がする。
 見ると、今度は一人の壮年の男が立っていた。彼は軽装甲冑と剣で武装していた。
 こいつも見たことがある気がする。ラルフはまた記憶を手繰るが、どうしても思い出せない。
 男は精悍な顔つきをしていた。厳しさの中に愛情が滲み出るタイプの人間だ。
「いいか。武器というのは、手足のように自由に扱えなければ、ただのお飾りだ。自分の手足が少し伸びた程度に考えていろ。そうすれば、案外上手く扱えるものさ」
 教え諭すように、男が言う。それから見本を見せるように、剣を抜いて、二・三度、剣術の型を見せた。上手いのだろうが、ラルフにわかるレベルの代物ではないらしい。
 わからずにただ眺めていると、男が消えた。
「でやーっ!」
 不意に背後から気合が聞こえる。
 振り向くと、同い年ぐらいの青年が剣を振りかぶって迫ってくるところだった。
「うわ!」
 慌ててラルフは避ける。
 ちっ、と男が舌打ちする。
「また駄目だったか」
 そう言うと、さわやかに笑った。
 こいつも見たことがあるが、思い出せない男だった。
「不意打ちをしても駄目か。やっぱり君は強いな」
 青年が、羨望が入り交じった表情でラルフを見た。
「十年に一度の才能は伊達じゃないね。羨ましいよ」
 青年が微笑する。人懐っこい笑顔だった。
 ラルフが、そんなわけあるか、と口を開こうとしたとき、青年が消えた。
「あ、あれ……?」
 きょろきょろと周囲を見回す。
 どうもおかしい。思い出せない奴が多すぎる。ラルフはそう思った。
 人並みに記憶力はあるつもりである。見知った人間を、こんなに忘れることはない。
 しかし、現実に思い出せないのだ。
 すると、背後から声をかけられる。
「これはこれは剣聖殿。なかなか練習熱心ですな。これ以上お強くなっていかが致すつもりですかな?」
 嫌味な声だった。
 声に聞き覚えがある。だが相変わらず思い出せない。
 期待せずに振り向き顔を見たが、やっぱり思い出せなかった。
 確かに見たことはあるのだが。ラルフは指で頬をかいた。
 声をかけてきた男は、先ほどの男とだいたい同じくらいの年頃だろう。身なりのいい服を着ている。どこかいいとこのお坊ちゃんだろう。苦労などしたことなさそうな顔をしている。
「どうやって剣聖称号を買ったのか、私も知りたいですな。その称号だけで、富も名誉も思いのままですからな」
 はっはっはっ、と笑いながら男は去っていく。
 ラルフは後ろから襲いかかってやろうと詰め寄るが、その寸前で男は他の人間と同じように消えてしまった。
「なんなんだろうな、一体」
 不機嫌な気持ちのまま、ラルフは呟いた。
 あらわれては消えていく、思い出せない者たち。
「なんなんだろうね?」
 すぐ横で、そういう女性の声がする。
 ラルフは驚愕して、振り向く。
 立っていたのはカートである。
「あたし達を呼び出したりして」
 思い出せる人物が現れたの嬉しいが、会話が噛み合っていない気がする。
「あれ、噂に名高い泉精よ。もしかしてフェゼンの泉に連れていくつもりかな」
 カートが興味深げに、視線を前にやった。
 釣られてラルフも前に視線をやると、そこにはいつの間にかミリアがいた。
「そうか。そういうことか」
 ラルフは、ここにいたってやっとわかった。
 これはアセルの記憶なのだ。
「泉精がフェゼンの泉に傭兵を連れていく。考えられることは一つね」
 不敵にカートが微笑んだ。
「こっちよ」
 ミリアが先導して歩く。
 歩くと行っても、先程からずっと闇の中だ。人だけが光を放っているように、浮き出ていた。
「行ってみるしかないわね」
 カートが、ちらりとラルフを見てから、先に歩き出す。
 ラルフはついていくかどうか、一瞬迷ったが、戸惑いながらもついていくことにした。
「ここよ」
 ミリアが立ち止まる。
 そこにはもう一人知っている人物がいた。
 ジェインである。
「誰、この人?」
 カートが訝しげにミリアに問うた。
「ジェイン・ハルス。名前を聞いたことぐらいはあるでしょ」
 ミリアが、ジェインを指し示した。
 あるわねえ、とカートは好意からはほど遠い視線で、ジェインを見た。
「有名な殺し屋ですものね」
 ジェインは何も言わずに、カートを見やっただけだった。それでも、雰囲気は急激に冷たくなっていった。
 だが泉精のミリアは、その雰囲気を気にしない。今度はカートたちをジェインに紹介した。
「こっちはシャーロット・スイート。で、こっちの人がアセルスタン・ロイド。こちらも有名な傭兵だから、ジェインも知ってると思うけど」
「知っている」
 短くジェインが答える。視線は鋭くラルフとカートに注がれていた。
 この険悪な雰囲気には、ラルフは経験があった。
 そのことに思いをはせたとき、どうしてか、横にいたはずのカートが目の前にいて、こちらを睨んでいた。翠の瞳は憎悪にたぎっている。
「やる気なの?」
 カートが不敵な笑みを浮かべる。
 これは、とラルフは茫然と声にならない呟きを口にした。
 これはアセルの記憶ではない。ラルフの記憶だ。
「カート、やめないか!」
 ジェインがカートの手を引くが、彼女にはひくつもりがなさそうだ。
「ここで叩きのめした方が、手っ取り早いよ」
 カートが剣を抜いた。
 このシーンは、アセルの力を出したラルフがカートの攻撃をしのぎきり、結局ミリアがやってきて仲裁に入ったシーンだ。
 無意識にラルフはテーブルを蹴り上げていた。いつの間にやら、テーブルがあったようだ。次いで、カートに打ちかかっていた。
「甘いのよ」
 カートがテーブルを右に動いて交わし、ラルフの斬撃を突き返した。
「くっ!」
 肩口に走る衝撃。よろめいて、腰を落とす。
 ラルフは混乱する。記憶と違う。
 だが容赦なくカートが迫っていた。
 剣が振りかぶられ、振り下ろされる。

「アセル……ごめん。もう出てこないで……。ラルフが苦しむから……。この身体はラルフのもので、あなたのものじゃないの……。あなたの身体はもうないの。本当にごめん。出てこないで……」

 ラルフが目を覚ました時、最初に目に入ったのは赤色だった。
 それが髪の毛だと気がつくのに、しばらくかかった。
「ラルフ。大丈夫?」
 カートが心配そうな瞳で、ラルフをのぞき込んでいた。
 ラルフは何度が瞬きを繰り返し、意識をはっきりさせようと試みる。
 こちらをのぞきこんでいるのはカートだけではない。ジェインとミリアの顔も見えた。
 その瞬間、自分に何が行われていたか、ラルフは理解した。
「成功……したのか?」
「当たり前だ」
 アイラウの声が聞こえた。
「儂が失敗するはずなかろう」
 老人は至極当然のことのように言い切った。
「そいつは僥倖だ」
 言いつつ、ラルフは上体を起こした。
 身体にも、精神にも変わったところはない。それでも、常時ラルフを苛ませていた不快感が跡形もなく消えていた。
「お前さんとロイドの魂は、基本的に一つじゃった。完全に融合していたんじゃな。だから、溶け合って一つになっているところは、基本的にお前さんに残した。錯乱はもう起きん。まあ多少、ロイドの記憶や感情が残っているじゃろうが、それは仕方ないと諦めるんじゃな」
 アウラワが説明した。
 ああ、とラルフは茫然としながらも頷く。
「それで、アセルの魂はどうしたんだ?」
「これさ。これに入れた」
 アイラウが示したのは、ラルフの長剣だった。
「この長剣にはアセルの聖契と、剣聖の力が入っておる。立派な魔的アイテムじゃ」
 おいおい、とラルフは思い、カートの方を見た。それでいいのか、と思う。
 カートは、頷いた。
「どちらにしろ、今聖契を絶たれるわけにはいかないんだし、武器に入れるというのはいいと思うよ」
「ま、お前がそれでいいって言うんなら、いいんだろうよ」
 ラルフは頭をかいた。
「さあ、後はお前さんがたの仕事じゃ。きっぱりと方をつけてこい」
 アイラウがジェインの肩を叩いた。  


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