一章 1 目が覚めた時、ラルフはどこか違和感を感じた。何がどう違うのかはよくわからないのだが、とにかく変な感じがした。 ラルフはゆっくりと上体を起こし、部屋の中を見回してみた。 中の下といった感じの宿の一室だ。寝ているのはベッドの上。 ただし見覚えのある部屋ではない。 どうしてこんな所で寝てたんだろう。ラルフは、そう眠る前の記憶を手繰り始めた。 「確か、森で迷って……、黒い神官衣の男と会って……、それで剣士風の男に返り討ちにあって……その後、グルフィ・ロウに……あれ?」 記憶に妙な混乱があるようだった。 記憶にない記憶というややこしいものがあって、それが記憶を混乱させていた。そもそもグルフィ・ロウなる人物をラルフは知らない。 「そのはずだよな……」 ラルフは声に出して確認してみた。 しかし、容易にグルフィ・ロウの姿形や力が思い出せてしまう。 次いで、ラルフはシャツをめくってみた。刺された傷跡はどこにも見当たらない。 何が何だかわからない。ラルフは混乱した頭をかきむしった。 勿論、そんなことで混乱が整理されるわけではない。それどころか、混乱の度は時間がたつにつれて増していった。 ラルフは何か衝動的な行動をとりたくなった。部屋中を壊すとか、叫び回るとか、そういう無意味で突発的な行動だ。そうすれば、きっとすっきりするような気がした。 しかし、やらなかった。やっても無意味なことがわかっていたからだ。そのぐらいの冷静さは、まだ残っていた。 「とりあえず、過去のことを考えるのはやめておこう。目先のことだけ考えることにしよう。さしあたって、ここがどこなのかを知ろう」 ラルフはそう決めた。立ち上がり、窓の外に視線を向ける。 人通りは比較的多い。中規模の街といったところだろう。行き交う人々の雰囲気から、まだ朝だとわかる。ちなみに、今いる部屋は二階のようだ。 視線を戻し、部屋を見渡す。 テーブルの上に自分の荷物が置いてあった。金や旅券が入っている革袋に長剣。これがラルフの持ち物の全てだ。 ラルフは、革袋の中味を確かめた。一目で増減の確認ができる程度しかないというのが少しさびしい。それで減っていたりすると、さらに悲しい。幸運なことに減ってはいなかったが。 その革袋を懐に入れ、長剣を手早く佩いた。 部屋を出て下に降りる。一階は酒場だ。平均的な宿屋の姿である。ラルフは、少し迷ってから朝食をとることにした。 酒場は、朝食時のためか賑わっていた。テーブルの方には空いてる席はなさそうで、ラルフはカウンターに向かった。 カウンターには、まだ三つほど席が空いていた。そのうちの左端の席に座って注文し、軽く食事をとった。 途中、カウンター内にいる店主らしき男との短い会話で、ここがサリモナという街だとわかった。 サリモナ。エグザス王国の小都市だ。ただ、ラルフが一度も立ち寄ったことのない街でもある。それでも、何故サリモナなんぞにいるかは考えないことにする。 食事を終えるとラルフは精算を済まし、宿を出ようとした。 その時、背後から声がかかる。 「勝手に出て行くつもり?」 ものすごくとげとげしい女の声だった。 ラルフが振り返ってみると、出口に近いテーブルに座っている少女がラルフを睨んでいた。声をかけてきたのは、恐らくこいつだろう。 赤毛のおさげで華奢な少女。ラルフはその少女に見覚えがあった。いや、その少女だけではない。赤毛の少女と一緒にテーブルに座っている銀髪美形男にも見覚えがあった。 森でラルフを返り討ちにしてくれた奴らだ。もっとも、ラルフを斬った男の姿は見あたらなかったが。 「命の恩人に、礼も言わずに去るつもり?」 赤毛の少女が言葉を続けた。その台詞でラルフは、彼女らが自分を助けてくれたことを知った。魔的治療をしてくれたのだろう。痛みも傷も、もはやラルフにはない。 だからといって、自分を倒してくれた一行を好意的に見られるはずがなかった。少なくとも、ラルフの性格ではそうだ。 「別に放っておいてくれても構わなかったんだ。助けてくれと頼んだわけじゃない」 ラルフは吐き捨てるように言った。 「なんだと!」 赤毛の少女がいきりたった。横の男が慌ててなだめなければ、彼女は間違いなくラルフに打ちかかってきただろう。それだけの殺気が彼女にはあった。 「やめろ。やめるんだカート。これでは話が進まない」 「わかってる。わかってるわよ! でもあたしの気持ちもわかってよ! こんな奴にアセルは……」 「冷静になるんだ。お前の気持ちもわかるが、俺たちの使命のことを忘れるな」 男が、そう赤毛の少女の肩をぽんぽんと叩く。赤毛の少女が男になだめられる形で再び椅子に座った。 次いで、男はラルフの方を向く。 「ラルフ・ファイナー、お前に聞いてもらいたい話がある」 「聞きたかないね」 ラルフは素っ気なく答えた。 その返答に、また赤毛の少女が反応したが、今度は何も言わずにラルフを睨めつけるだけだった。それでも翠色の瞳には敵意がみなぎっていた。 「いや、聞いてもらう。なんなら力ずくでもだ」 男が静かに言葉を続けた。なまじ静かなだけに、得も言われぬ迫力があった。 「ちっ」 ラルフは大きく舌打ちする。一度、不意をうってしても、あっけなく返り討ちにしてくれた一行だ。ラルフの実力では到底かなわないことは目に見えていた。 仕方なくラルフは、男らのテーブルの空いている椅子を乱雑に引き、どかっと腰を下ろした。 「で、話とはなんだ?」 「お前は傭兵なんだろう。おまえに協力してもらいたい仕事がある」 男が感情を込めない口調で言った。 ラルフは猜疑で目を細める。 「……気にいらねえな。なんで、俺が傭兵だと知っている? そういや、俺の名前も知っていたな」 「あんたが気絶したときに調べたのよ」 少女が口を挟んだ。 ほう、とラルフは目だけを少女に向けた。 「人の持ち物を勝手に調べる趣味があるのか。立派な趣味だな」 「どんな追い剥ぎ野郎か、調べる権利があると思ってね。まさか、傭兵だとは思いもよらなかったわ」 「なら、お前のお眼鏡にかなう傭兵を捜すんだな。わざわざ、追い剥ぎ野郎の協力を得る必要なんぞないだろ」 「あたしだって、あんたみたいな奴の協力なんていらないわよ。こっちから願い下げよ」 「カート!」 男が鋭い声を飛ばした。瞬間、少女が何かを思いだしたようにびくっとなる。それから、少女は悔しそうに黙り込んだ。 男がラルフに向きなおる。 「俺たちにはお前の協力が必要だ。そして、お前にも俺たちが必要だ」 ラルフは眉をひそめた。 「わけがわからねえ。傭兵としての俺の協力が必要だって言うのはわかる。だが、俺にお前らが必要だという意味が理解できない」 「じきにわかる。とりあえず、こちらの自己紹介をしよう。俺はジェイン・ハルス。彼女はシャーロット・スイート。名前ぐらいは聞いたことがあるだろう」 勿論あった。 当代の『フェゼンの戦士たち』を、傭兵であるラルフが知らないわけがない。 闇に蠢く邪悪を討ち滅ぼすという『フェゼンの戦士たち』。彼らは、邪悪を敵とし聖を顕わす女神、フェリシアに選ばれた英雄たちである。 世界のどこかにあるというフェゼンの泉。聖なる泉ともいわれるそこは、女神フェリシアの住まう泉としても有名である。 フェリシアと戦士たちは、その泉で『聖契』を結び、闇に蠢く邪悪を討って民草を守護する義務を負う。変わりに、それを為すための強力な力を得るのだ。『フェゼンの戦士たち』の名はそこに依る。 就位した者たちはいずれ劣らぬ英傑揃いで、史代にその名を刻んでいた。伐神、討龍など、有名な魔禍鎮圧をあげればきりがない。当代も、恐らくそれに劣らぬ業績を刻むだろう。そういわれている。 現に、つい先年の龍禍を鎮圧してエグザス王国の民を救い、久々に表舞台に現れたフェゼンの戦士たちの実力を、まざまざと世界に見せつけた。 「ある」 ラルフは頷いた。 こいつらが、という驚きが心中を占める。そりゃあ、俺なんか一蹴されるはずだ。ラルフはそう思った。実力の桁が違う。 しかし、好き嫌いの感情は別だ。ラルフにとって、彼らはあまりに印象が悪すぎた。 「お前らが『フェゼンの戦士たち』とはね」 そう言う口調には、フェゼンの戦士たちに対する尊敬の念は欠片もない。視線もそう。珍獣か何かを見るような視線で、二人を順番に見やった。 「確か、当代のフェゼンは三人。ということは、俺を斬ってくれた野郎が、剣聖のアセルスタン・ロイドか。どこにも姿が見えねえが、どうしたんだ? 仲間割れか?」 「違う」 ジェインが強い口調で否定した。視線も鋭くなり、ラルフを射抜くように見ていた。 カートの視線も鋭さを増していた。彼女は、明らかにラルフを睨んでいたが、その中に憎悪の色が濃く浮かんだ。 アセルスタン・ロイドの話題が出た途端、二人の態度が目に見えて硬化した。それだけで、ラルフにも、彼に何かあったのではないかということが推測できる。何か、とは、恐らく良いことではないということも。 しばし、沈黙が流れた。 ややあって、ジェインが小さく息をついた。冷静さを取り戻すためにやったようだ。視線からも、感情の色が消えた。もっとも、カートの方はラルフをそのままの視線で睨んだままであったが。 「お前がアセルに倒された後、俺たちはグルフィ・ロウに急襲された」 「グルフィ・ロウ……」 「黒焔教団の祭主だ。知っているだろう?」 ジェインの言い方は何かを含んでいるよう。単に知識を訊いた感じではない。 ラルフは沈黙した。 正直なところをいうと、ラルフはグルフィ・ロウを知っている。容姿だけではなく、地位とおおよその実力、そして、奴が何を行おうとしているのかも。それを阻止するために、俺たちは向かった――。 そこまで考えて、ラルフは不快さが一気に増した。今朝目覚めた時と一緒の感覚。強烈な違和感が、全身を駆け巡った。 知っているはずないのだ。グルフィ・ロウなぞ、名前も聞いたことがない。黒焔教団の祭主だとかいう話だが、そういう物騒な奴と、しがない傭兵が関わり合うことなどあるはずがない。 そう結論づけてから、ラルフはやっと口を開いた。 「知らんな、そんな奴は」 そうか、とジェインはあっさり聞き流した。 「グルフィ・ロウは罠を張っていた。そこに俺たちを誘い込むために、お前をそそのかして、俺たちを襲うように仕向けた。どのようにそそのかされたのかは知らないが、心当たりはあるだろう」 「それで?」 肯定も否定もせず、ラルフは続きを促す。 「罠にはまり、俺たちは敗北した」 「……つまりは、俺のせいで負けた。そう言いたいわけか?」 ラルフの脳裏に、その時の戦闘情景が一瞬浮かんだ。自分が、戦闘に巻き込まれた傭兵を救おうとして、グルフィ・ロウに剣を打ち込まれたシーン。 「そうじゃない。聞いてもらいたいのは、これからだ」 「なるほど」 「その時の戦闘で、アセルとその場に倒れていたお前は、グルフィ・ロウに強力な術をかけられた」 「なんだと?」 ラルフはまなじりをあげた。 ジェインが、ラルフの視線を真っ向から受け止める。 ゆっくりと言葉を続けた。 「アセルの魂と、お前の魂が融合された」 「……なんだと?」 「グルフィ・ロウが、アセルの回復と復活、そして転生を封じるため、魂をお前の魂と融合させたのだ」 言ってから、ジェインがラルフの反応を確かめるように黙った。 なんだと、とラルフは三度返す。だが三度目は声がかすれていたので、届いたかどうかはわからない。 「そんな話、信じられると思うのか?」 「信じようと信じまいと、お前の勝手だ。しかし、事実なのだから仕方がない。思い当たる節もあるだろう」 「ないな」 ラルフは即答した。だが胸中には不安が広がっていた。 ジェインの話は、信じる信じない以前の問題で、与太話、と切って捨てても構わないはずである。そもそも、魂がどうのとか言われても、ラルフ程度の実力と世界認識では、それほど縁のある言葉ではないから、ピンとこない。 しかし、それは普段の状態であれば、という前提が必要だ。今のラルフは、平常ではない。 現実に、記憶が混乱している。聞いたこともない人物を知っていたり、やってもいない戦闘を経験していたり、あろうことか、記憶の中の視点で、倒れている自分の姿を見ていたりしているのだ。自分はおかしくなったのでは、という不安が心の何処かにあった。 ラルフは顔をしかめた。不安感が不快感を呼び、胸がむかついたのだ。 これ以上ジェインの話を聞いていたら、ますます不快感が増すばかりだろう。ラルフはそう考え始めた。 「話はそれだけか?」 「いや。まだある」 「簡潔にしてもらいたいな」 「なら、結論から言おう。お前にもグルフィ・ロウ討伐に参加してもらいたい」 ジェインが感情のこもらない口調で言った。 その言葉が、何故だかラルフの胸中に突き刺さった。そうせねばならない。そんな義務感が胸中に広がる。そうせねば、たくさんの無辜の民が殺戮される。だがその思いとともに、不快感も広がっていく。 冗談じゃないとラルフは考え直す。フェゼンの戦士たちを一敗地にまみえさせるほどの男の討伐に、何故参加しなければと思う。そもそも、どうして放っておけばグルフィ・ロウが無辜の民を害すると知っているのだ。おかしいではないか。 ラルフの混乱は、考えれば考えるほど深まっていった。魂の融合という話も、あながち嘘ではないと思い始めている自分がいて、愕然としてもいた。 それでも、ジェインの依頼には拒否をする。 「断る」 ラルフはそう言い切ると同時に、心中で溢れ出していた義務感と不快感を、無理矢理すみに押しやった。 「グルフィ・ロウは、黒焔教団が信奉する邪神統の一柱、〈黒き焔の魔神〉を降臨せしめようとしている。降臨すれば大陸に破壊と混乱をもたらそうとするだろう。そうなれば、何千、何万の人間が殺される。それは阻止しなければならない。それでも、断るのか?」 「実力を考えろ。そんなことは、フェゼンの仕事だろう」 「だからだ」 「わけがわからねえな」 「お前の魂と、アセルの魂は融合していると言っただろう。つまり、お前もフェゼンの戦士なんだよ。不本意であるがな」 ジェインの口調には相変わらず感情がこもらない。だがかえってそのせいで、彼が本当に不本意であると思っていることがわかる。 「俺がフェゼンだと?」 「俺も、グルフィ・ロウの討伐に一介の傭兵を参加させる気はない。死ねと言っているようなものだからな。だがお前は違う。お前はもう、一介の傭兵ではなくなった。アセルの魂を持つお前は、聖契をかわした魂を持っているということだ」 聖契をかわす。それはつまり、フェゼンの戦士たちであるということである。 「グルフィ・ロウを倒すには、聖契の力が必要だ。聖契の力を最大限に発揮するには、当代聖契契約者全員の力がいる。俺、カート、そしてアセル」 「俺はアセルスタン・ロイドじゃない」 「だがその魂を持っている」 「信じられるか」 「信じてもらわなくて結構よ!」 不意にカートが会話に割り込んだ。もう堪えきれないといった風。椅子から立ち上がり、怒気も露わにラルフを睨んでいた。 「あたしだって信じたくないわ、あんたみたいな奴がアセルの魂を持ってるなんて! でもグルフィ・ロウを倒すには、あんたの中にいるアセルの力がいるのよ。だから、あんたがどう言おうったって連れて行くから。あんたの意志なんて、いらないのよ!」 一瞬、ラルフは圧倒された。茫然とカートに視線をやる。 カートの怒気で、かえって魂の融合の話の信憑性が増した。憎悪の光を宿して睨み付けるカートをして、ラルフの魂とアセルの魂が融合していることは前提なのだ。これほどラルフを嫌っているなら、その点で嘘はつかないように思える。 しかし、事実であるからといって、容易に信じられるわけではない。それに、ここまで憎悪されると、ラルフの方でも反発心が増していく。 ラルフは茫然とした一瞬間を過ぎると、膨張した反発心にまかせて口を開いた。 「冗談じゃない。ふざけんのもたいがいにしやがれ。百歩譲って、俺とロイドの魂が融合しているんだとしても、絶対行かねえ。誰が死のうが俺の知ったことか。見知らぬ大多数の命より、俺の命の方が大事だ」 「なんだと!」 カートが更にまなじりをあげた。 「だいたい、お前らのミスだろうがよ、グルフィ・ロウを討てなかったのは。それを失敗した挙げ句に、俺なんかを巻き込みやがって。迷惑なんだよ」 「ふざけてんのはあんたの方よ!」 カートの怒気が爆発した。テーブルに、どんと手を置いてラルフを睨み据える。その勢いで、テーブルの上にあったグラスが床に落ち、音をたてて割れた。 さすがに不穏な雰囲気を感じ取った周囲の客たちが、好奇心の入り交じった視線を向けてきた。 ジェインがカートをなだめようとするが、カートはそれより早く言葉を続けた。 「あんたがいなきゃね、アセルはやられなかった。アセルはあんたをかばったからやられたのよ。そうでなければ、アセルがやられるはずない。そもそも、あんたがグルフィ・ロウにそそのかされたマヌケだから、こうなったのよ。あんたのせいなの。自業自得。迷惑なのはこっちの方なの。はっきり言ってね、グルフィ・ロウを倒せれば、あんたなんか死のうがどうでもいいのよ!」 「カート、やめるんだ!」 「いや、それどころか、グルフィ・ロウを倒した後、死んでほしいぐらいだわ。そうじゃないと、アセルの魂はあんたに囚われたままで、救われないもの」 「カートっ!」 ジェインが強引にカートの手を引くが、彼女は動かない。それどころか、殺気を直接ラルフにぶつけていた。 なんだと、とラルフも立ち上がる。 「こっちだって、アセルスタンの魂なんぞ、どうなろうが知ったこっちゃない。誰が行くか」 「どう言おうと連れて行くと言った」 「ふざけんな!」 ラルフは長剣に手をやった。 「やる気なの?」 カートが不敵に笑った。実力行使は望むところのようだ。 ラルフは、返答の変わりに長剣を抜いた。 勝てないことはわかっている。だが逃げおおせることはできるかもしれない。どちらにしろ、もう引けないところにまできていた。 店内の緊張が一気に高まった。冷やかし半分で見ていた客たちも、高まる殺気に固唾を飲んでいた。 「カート、やめないか!」 「ここで叩きのめした方が、手っ取り早いよ」 カートがジェインに答えつつ、剣を抜いた。 その瞬間、ラルフは行動に出た。目の前にあるテーブルを蹴り上げ、カートに飛ばす。次いで、間髪入れずカートに打ちかかった。 「甘いのよ」 カートが右に動いてテーブルをかわし、ラルフの斬撃を突き返した。 「くっ」 通常のラルフの実力なら、そこで肩口を打ち込まれてやられていたに違いない。ラルフとカートの実力差は相当あった。 しかし、ラルフの身体はカートの突き返しに反応していた。体勢を引きつつ長剣を戻し、カートの攻撃を受けきったのだ。 「なっ……!」 カートが驚愕した。受けられるとは、思ってもいなかったのだ。油断した。そう思い、少し間合いを取った。 ラルフも驚愕していた。知らぬ間に、対応できないはずの攻撃を防御していたからだ。こんなに反射神経は良くなかったはずだと思う。 しかし、何がどうなったかわからないにせよ、受けきれたということは、まだ逃げるチャンスがあるということだ。ラルフはカートの隙をうかがった。 そこに、突然声がかかった。出入り口の方からである。 「何をやっているのよ、まったく」 「ミリア!」 カートが驚きの声を上げた。 ラルフが視線を向けると、そこには小柄な少女が一人、腕を組んで立っていた。 その小柄な少女は、青い髪をしていた。耳はとがっていて、目は少しつり上がっている。身体は華奢。その小さく愛らしい容姿は、人間とは一線を画していた。 ラルフは、そいつが何者であるかを知っていた。泉精といって、妖精族の一種だ。『フェゼンの乙女』という俗称の方が有名だろう。 フェゼンの乙女は、フェリシアに仕える妖精たちである。フェリシアとともにフェゼンの泉に住み、時にはフェリシアの使いとして、フェゼンの戦士たちに女神の言葉を告げたり、協力したりするのだ。 性格はいたって楽天的。明るく、社交的だ。だが人の心の機微に弱い点もあり、深刻な話はやりづらい。 実際、ラルフはフェゼンの乙女の名を聞いたことがあった。だが知識として知っていただけで、見たのはこれが最初である。それなのに、何故だか、見た瞬間にそうだとわかった。同時に不快感が増して、それが自分の記憶ではない記憶から引き出された知識だとしれる。 どうして、とカートが訊く。 「どうしてじゃないでしょ。こんな状況よ、来ちゃうでしょ」 ミリアが答えて、ラルフとカートの間に歩を進めた。彼女は、ラルフの方を向いて剣を指差す。 「とりあえず、剣を収めてよ。騒ぎを大きくして官憲に捕まりたい?」 ラルフは答えず、動かなかった。不信感のこもった視線でミリアを見る。だがミリアがその視線を気にした様子はない。それどころか、手を伸ばし剣先をつまみ上げ、ぶらぶらと揺らし、収納を促す。 「わかったよ」 ラルフは渋々剣を鞘に収めた。 それを見届けてからミリアが、カートとジェインに向き直り、場所の移動を提案した。 「ちょっと騒ぎ過ぎたからね」 「そうだな。その通りだ」 ジェインが了承し、カートに視線をやった。 いいよ、とカートも、ぶっきらぼうにだが頷いた。 「あなたもいいでしょ、ラルフ・ファイナーくん」 ミリアが首だけラルフの方に向けて、微笑んだ。 「ここで私たちと別れると、いきなり理由もわからず、何者かに襲われて死ぬかもよ。拾った命は大事にしなきゃね」 「誰が襲うっていうんだ?」 さあ、とミリアがとぼける。 「わからないけど、私たちかもしれないわね」 それを信じたわけではなかったが、結局、ラルフは頷いた。 2 ラルフとフェゼン組三人が移動した場所は、先ほどと同じく、一階が酒場になっている宿だった。単純に場所を移動しただけである。ただし先ほどとは違い、酒場で集まらなかった。 二人部屋一つと個室二つを取り、個室にはラルフとジェインがそれぞれ入り、二人部屋には、カートとミリアが入ることになった。 ラルフがさっさと部屋に入った後、ミリアがジェインとカートの二人に声をかけた。 「私がラルフを説得するわ。あなたたちだと感情に流されるから」 「そうしてくれると助かる。一応は抑えているつもりなのだが、やはり表に出てしまうようだ」 ジェインが頷いて、カートの方を見た。 一番感情に流されたのは、カートである。それは自分でも認めていた。 「ごめん」 カートは素直に謝った。 感情の流出を抑えようという気はあった。だがラルフを見ていると、気持ちが昂り、感情の奔流を抑えられなくなるのだ。 ラルフにあたるのは、八つ当たりだということもわかっている。怒りをぶつける相手はグルフィ・ロウであって、彼ではない。 しかし、どうしても、何故ラルフはあの場にいたのかという思いを抱いてしまう。彼があの場にいなければ、結果は違うものになっていたに違いないのだ。それが悔しさに拍車を掛け、怒りを膨張させる。 「わからないでもないけどね」 ミリアが慰めるように言う。ミリアも、カートとアセルの関係は重々承知している。それだけに、憐憫の情は強かった。 「実際の話、もっと取り乱してるものと思ってた」 そうね、とカートは少し微笑した。 実際のところ、アセルの不幸直後は、感情に押し流されてしまいそうだった。自分の腕の中で、恋しい人が木っ端微塵に砕け散り、消えてなくなったのだ。冷静ではとてもいられなかった。 しかし、それを押しとどめたのは、グルフィ・ロウの存在である。奴のやろうとしていることは、世界規模での厄災を巻き起こす。それをフェゼンの戦士たちである自分が見逃すわけにはいかない。そういう義務感が、カートの悲しみの爆発に歯止めをかけていた。 「全てが終わったら、思いっきり泣くわ」 カートはそう答えた。微笑んではいるが、それがかえって悲痛な印象をもたせた。そして、うつむきながら部屋に入った。 ジェインも、ミリアに会釈してから部屋に入った。 それを見届けてからミリアは、ラルフの部屋をノックした。 「入ってもいいかしら」 中からの応答はない。だがそんなことは気にせずに、ミリアはドアを開けて部屋に入った。 ラルフはベッドに仰向けに寝ころんでいた。厳しい表情で天井を眺めている。 「少しいいかしら?」 ミリアがそう訊ねつつ、手近な椅子を引き、それに腰掛けた。 ラルフは答えない。そのままの体勢である。 「拗ねてる子供のようね」 ミリアが笑う。 なんだと、とラルフは上体を起こし、彼女を睨んだ。 「ここに連れてこられたのが、そんなに嫌?」 ラルフの睥睨に何の痛痒も感じないのか、ミリアが微笑を浮かべつつ訊いた。 「言うまでもないだろ」 「でも、あなたを連れてきたっていうのは、あたしたちのためでもあるけど、あなたのためでもあるのよ」 「俺のためだと?」 ラルフは聞き返しながら、どこかで聞いたような台詞だなと思った。それが、前の酒場でジェインに言われた言葉だと気づくのに、しばらく時間がかかった。 「そういえば、あの銀髪の野郎も、似たようなことを言っていたな。俺にもあいつらが必要だって」 あほらしい、とラルフは吐き捨てた。 「そんなことないよ。実際の話だから。それに気づかないのはラルフが甘いから」 「なんだと?」 「これはすごく乱暴な言い方なんだけど、カートが聴いたら激怒しそうだけど、あなたはアセルなのよ。アセルスタン・ロイドなの。わかる?」 ミリアがラルフを指で差した。その指が指している場所は、心臓部である。 「さっき、あなたがカートとやりあった時、カートの突き返しを防いだでしょ。そんな芸当、ラルフ・ファイナーにできた?」 ラルフは目をそらした。 できるはずがない。それが正直な述懐である。カートの突き返しは、例え偶然でも防げない。そう思わせる迅さだった。それくらい、ラルフとカートの実力は開いている。だがそれを答えたくはなかった。 「剣聖のアセルならできるわよ」 その言葉で、ラルフは視線を再びミリアに戻す。 「他の奴にでもできるかもしれない」 「そうだけど、じゃあ、その『他の奴』の力をあなたが使える理由は何? アセルの力を揮えた理由はあたしが説明できるけど。他のはできないわ」 ラルフは沈黙する。 答えられるわけがなかった。そのような何かが起こったことなどない。一つあるとすれば、フェゼンの戦士たちとの絡みだけである。 認めざるを得ないのか。ラルフはそう苦々しく思う。自分の魂が、他人の魂と融合しているという想像はあまり嬉しくない。あってほしくはない出来事である。 しかし、今日の突然の記憶の混乱を魂の融合の結果と考えると、辻褄があうのかもしれない。 「認めたくない気持ちもわかるけど、現実は変わらないわ。あなたの魂とアセルの魂は融合してる。これは事実なの。現にあなたは、カートの攻撃をアセルの力で防いだでしょ」 ミリアがじっとラルフの目を見た。 ラルフは、今度は目をそらさない。 「どうして、そう断言できるんだ。お前だけじゃなく、あの二人もそうだ。どうして、人の魂のことなんかわかるんだ?」 「ああ、そのこと。簡単な話よ。フェゼンの戦士たちは、聖契によってお互いの魂を認知できるの。あたしたちフェゼンの乙女も、戦士たちの魂は見たらわかるの。で、アセルの魂はあなたの中にある。これが戦士たちと乙女の見た結果よ。なんなら、フェリシア様の意見も言おうか? 当然ながら、フェリシア様も戦士たちの魂を認知できるわよ」 ラルフは、自分の胸の辺りに視線をやった。 「どう、信じた?」 「もしそうだと仮定して、それはもうどうしようもないことなのか? 例えば、俺の魂にくっついているいらない部分、つまりロイドの魂部分を、分けて捨てることはできないのか?」 まあね、とミリアが曖昧な表情を一瞬浮かべた。だがすぐに元の表情に戻る。 「くっついているわけじゃないの。融合してるの。魂が二つあるわけじゃない。魂は一つなの。分けることはできないわ」 「そうか」 ラルフの声が沈んだ。自分の身体が自分のものではないような錯覚がラルフを襲う。 ミリアが気の毒そうな表情を浮かべた。 「あなたも被害者なのにね。カートたちも辛いけど、あなたも辛いわね」 でも、と言葉を続ける。 「済んでしまったことを思い悩むより、これからのことを考えないといけないわ」 「グルフィ・ロウを討伐しろってか。誰が行くか」 ラルフは、ミリアの機先を制して拒否の意志を明確にした。 「グルフィ・ロウが何をしようが、俺には関係ないね」 「グルフィ・ロウの一派に、命を狙われても?」 ミリアが意外なことを言った。 思わぬ角度からの反論に、ラルフは虚をつかれたような表情になった。 「……何故、俺がグルフィ・ロウに命を狙わなければならない?」 ラルフは声を絞り出すようにして質問した。 「そこが甘いってことよ。あなたはアセルと言ったでしょ。グルフィ・ロウはラルフ・ファイナーっていう傭兵には興味はないだろうけど、アセルスタン・ロイドという剣聖称号を持つフェゼンの戦士たちの一員には、用心しているのよ」 言ってから、ミリアがラルフの反応を見るように黙った。 ラルフは、しばらく茫然とミリアを見ていた。頭の中で、彼女の言葉を反芻する。 その可能性には思い至らなかった。その前提となる魂の融合を信じていなかったのだから、思いつくはずがない。だがそれが事実であるならば、ミリアの言う通りなのかもしれなかった。無関係では通らない。関係者として認識されているはずである。 「つまり、俺は自分の身の安全を得るために、グルフィ・ロウを討たねばならないというわけか」 そういうこと、とミリアが答える。 「あなた一人じゃ、どうやってもグルフィ・ロウを討てないでしょ。だから、ジェインたちの協力が必要なの。それに彼らと一緒にいると、刺客の刃に倒れる可能性は少ないわ。彼らが守ってくれるから」 「なるほど。そういうことか」 ラルフはため息をついた。 行かざるを得ないのか。そう考えると、心に重いものがのしかかるようだった。 死にたくはない。だからグルフィ・ロウ討伐には行きたくない。だが行かないと、グルフィ・ロウに命を狙われて、死ぬかもしれない。行けば実力不足で死ぬかもしれない。 喜劇的なパラドックスだな。ラルフはそう思い、乾いた声で笑った。 ミリアが、少しびっくりした表情になる。 「どうしたの?」 べつに、とラルフは笑いをおさめた。そして、改めてミリアを見据える。 「なに?」 「お前の言いたいことはわかった。しかし、わからないことがある。何故グルフィ・ロウは、俺の魂とロイドの魂を融合させたのかということだ」 アセルを警戒するのなら、その場で殺してしまえばよかったのだ。何故、それをせず、こんな面倒なことをやったのかがわからない。しかも、後から刺客を送るというのだから、なおさら理解できない。 「ああ。それはね、聖契の力が強力だからよ。つまり、フェゼンの戦士たちは聖契によって守られているの。例えば、あの場でアセルは殺されたとして、そうなるとアセルの魂は、聖契によって保全されているから、邪神統の神域であったとしても囚われることなく、昇天するの。それで、当代聖契は終了する。聖契は、契約者全員が揃っていなければならないから。そうすると、恐らくフェリシア様が新たなフェゼンの戦士たちを選任するでしょうね。そして、新たな戦士たちがグルフィ・ロウを討つ。奴は、それを嫌ったんでしょうね。きりがないから」 「ようするに、新たなフェゼンを出さないため、ということか?」 聖契は、当代契約者が一人でも欠けたら、その時点で契約は終了する。だが全員がいる限り、契約が切れることはない。そこを利用されたのだ。 「推測だけどね。それに、高位実力者三人を相手にするより、二人を相手にする方が与し易いでしょ。言っちゃあ悪いけど、あなたクラスの傭兵なら、敵に回っても怖くないから。事実、明らかに実力が落ちるでしょう」 「まあな」 ラルフは不機嫌に肯定した。 事実そうなのだから仕方がないのだが、はっきり実力がないと言われると、さすがに傷つくものがある。 でも、とミリアが指を一本立てた。 「そこに奴の誤算があるわけよ」 「誤算?」 「あなたがアセルの力を使えるということ」 「そうらしいな」 「これは、私たちも予想だにしてなかったことなんだけどね。不幸中の幸いといったところかしら」 ミリアが肩をすくめた。 「それで正直な話、あなたとアセルはどこまで融合したのかを教えてほしいの。魂は一つになっちゃったけど、他の部分はどうなのか」 「そんなこと、わかるわけあるか」 ラルフは即答した。どうやってそういうことを計ればいいのか、全く見当がつかないのだ。わかるわけがない。 それに、アセルの力が使えるといっても、あれは意識した使った結果ではない。無意識の領域にあることで、意識して使用できるかと訊かれれば、否と答えるしかない。 もしそれができるのなら、例えばの話、カートとやり合った時、突き返される前にカートを倒していたはずだ。 「少なくとも、俺の意識下では、俺は俺だ。例え他人と融合してようともな」 そう、とミリアがため息をついた。 「仕方がないわね。でも、一緒に行ってくれるでしょ?」 行くとは、勿論、グルフィ・ロウの討伐にだ。 「行かなきゃ、狙われて死ぬんだろ。行っても死にそうな気がするけどな」 ラルフはそう言って、グルフィ・ロウ討伐の参加を承諾した。 3 ミリアが二つの大事なことを告げたのは、酒場で夕食をとろうとしていた時だった。 一つ目は、ラルフがグルフィ・ロウ討伐に参加することだ。 「説得できたか」 ジェインが、多少驚きながらミリアを見た。 「勿論」 ミリアが得意気に笑顔を見せた。 どういう風に彼女がラルフを説得したかわからないが、カートは少し不満だった。 別に自分が説得したかったわけではない。彼が承諾したのが不満だったのだ。 カートは、ラルフに参加してほしくはなかった。だがラルフがいないと、グルフィ・ロウを倒せない。その辺りの複雑な感情を少し持て余していた。 ちなみに、そのラルフはこの場にいない。彼は部屋にこもっていた。ミリアが誘ったようだが、断ったらしい。それでよかったとカートは思う。奴なんかと一緒に食事をするのは、願い下げである。 「それからね」 そうミリアが二つ目の大事なことを口にする。 「グルフィ・ロウはレイツァにはいないわ」 「どういこと?」 カートはミリアの方に視線をやった。 「つまりね、奴がレイツァに居るという情報から罠だったみたい」 カートたちは、グルフィ・ロウが魔神降臨の儀式をレイツァで行うという情報を得て、レイツァに向かっていたのだ。 レイツァは大陸の端に位置する街で、その隣がサリモナである。つまり、レイツァに行くには、必ずここを通らなければならない。カートたちがグルフィ・ロウの奇襲を受けたのは、この街を少し出た街道付近である。その情報から罠とするなら、辻褄があう。 聖契の力で感知阻止能力があるフェゼンの戦士たちを奇襲するのなら、それくらいの手の込み具合が必要かもしれなかった。場所を決め、そこに神域を張り、そこへおびき出すために、偽の情報とラルフを使う。 完全にしてやられた。 「ということは、まず、奴の真の居場所を探すことから始めねばならないのか」 ジェインが疲れた表情をした。 そうなるわね、とカートは頷いた。 それに視線をやったミリアが、二人に尋ねる。 「なんなら、グルフィ・ロウ討伐はやめる?」 「まさか」 カートは言下に拒否した。 「奴がやろうとしていることは、放っておくわけにはいかない」 そう、とミリアが、視線をジェインに向ける。あなたはどう? と視線で問いかけていた。 「俺の気持ちもカートと同じだ」 「二人がその決意なら、もう訊かないわ」 ミリアが笑った。 フェゼンの戦士たちは、別に専任者のフェリシアからの命令で動いているわけではない。 確かに、聖契で邪悪を討つことを誓うが、その判断は全て戦士たちに委ねられる。討つべき邪悪を見極めるのも、戦士たちの判断である。つまり、聖契の強力な力を揮うのに、実は掣肘は何もない。 しかし、敵を討ったことによって生じる責も全て負わねばならない。 だから、フェゼンの戦士たちは、その強力な力を道をそらさずに、邪悪を討つためだけに使用するという強烈にストイックな意志が必要なのだ。常人には決して可能なことではない。 「情報屋をあたるところから始めるか」 ジェインが、カートに視線を向けた。 「そうね。でも時間もあまりないわよ」 グルフィ・ロウの計画は、フェゼンの戦士たちを罠にはめたことで、滞りなく進むはずだ。グルフィ・ロウの計画実行まで、それほどの時間は残されていないと思われる。 慎重に、しかも早急にグルフィ・ロウの居場所を突き止めなければならない。カートたちは、食事をとりつつ明日からのことを話し合った後、解散した。 ラルフは部屋のベッドで横たわっていた。 夕食は、他の酒場でとった。ミリアが誘いに来たけれども、言下に拒否をしたのだ。一緒にグルフィ・ロウの討伐に行くことは承知しても、フェゼンたちと馴れ合いたいとは思わないから。 向こうも同じだろうけどな。ラルフはそう思い苦笑した。 前の店での会話を思い出すと、フェゼンの二人は自分に好感情を欠片ももっていないだろう。そもそもお互いに、最初から仲良くしようという気がなかった。 そして、仲良くなることは、これからもないだろう。 「どうでもいいや」 呟いて、ラルフはごろりと寝返りをうった。 目を閉じ、ため息をつく。 眠いわけではないから、頭の中で、いろんな思考がとめどなく渦巻いていた。 自分の魂と、アセルの魂は融合しているらしい。信じたくないが、今朝からの記憶の混乱が事実だと思わせる。 今までのラルフは、そこら辺にいるような傭兵だった。 仕事の依頼を受け、それを果たし、その報酬を受ける。その仕事の主なものは、護衛や酒場の用心棒など、実力に見合う程度のレベルである。その域を超えたことなどないし、越えようとも思わなかった。小心翼々と言われようとも、命は一つだ。大事にしてどこが悪い、と思っていた。 しかし、これからのラルフは、黒焔教団の祭主グルフィ・ロウの討伐に参加しなければならない。レベルとしては、明らかにラルフの実力の範疇を越えている。 グルフィ・ロウの計画が実行されれば、何万人もの人間が殺戮されるらしい。それを討つのは、英雄的行為といえるかもしれない。フェゼンの戦士たちが動くのも当然である。 英雄的行為! 笑ってしまうよな。そう思う。今まで他人事だった英雄たちの仕事に、三流の傭兵である自分が関わらなければならない。英雄が全て生きて事を為したわけではないし、英雄になり損ねて散っていった者の数は、一体どれほどにのぼるだろう。 笑わなければやってられないというところだ。 ラルフは心中で笑いながら、もう一度寝返りをうった。 先ほどまでは眠くなかったが、目をつぶっていることで、眠気が身体に浸透してきた。逆らう気もなく、ラルフは睡魔に身を任せていく。 その時、身体が揺れた。 ゆらゆらと揺れる。 地震かと思ったが、そうではないらしい。周囲のものは揺れていない。 不意に視界が暗くなり、燭台の明かりだけが色を保っていた。その光が、身体の揺れとリズムを合わせて、ゆらゆらと揺れていた。 はっと気がついた時、自分の体重を感じられなかった。確かにベッドに横になっているのだが、浮いているような、落下しているような気分が全身を駆け巡った。 強烈な不快感がラルフを襲う。その不快感は、自分でない記憶を見たときに感じたものと同じである。それが更に強烈になっただけ。 明かりが煌々と輝きを増す。神々しいほどに煌めき圧倒的な存在感が、ラルフの視線を釘付けにした。 光は不気味に揺れながら膨張していき、ラルフを飲み込もうとしている。 何故飲み込もうとしているかとわかるかは、ラルフには説明できない。しかし、そうと確信できた。 恐怖がラルフの肺腑を鷲掴みする。これに飲み込まれたら、どうなるのだろう。狂ってしまうのではないか。そう思った。 光が迫る。 ラルフは逃げようとするが、身体は揺れたままで自由がきかない。身体が自分のものではないような感じ。身体を動かすには、どうしたらいいのかわからなくなっている。 もう駄目だ。そう思った時、ラルフはどんという音を聞いた。 その音とともに、視界がぼんやりと晴れてくる。同時に揺れも収まった。 急速に五感が戻ってきた。自分で自分を感じられる。 気がついた時、頬に床が当たっていた。どうやら、ベッドから落ちたようだ。 「どうしたの、一体?」 ドアの外からミリアの声がした。次いで、ラルフが答えるより早く、ドアが開いた。 「変な叫び声をあげて、――って、どうしたの一体?」 ミリアが驚いた表情で床に転がるラルフを見た。 ラルフはゆっくりと上体を起こす。 「叫んでたか、俺?」 うん、と頷いたミリアは一つの可能性に思い当たり、呆れたような笑顔を見せた。 「悪い夢でも見たのね。でも、それにしては寝相が悪すぎるわよ」 「ほっとけ」 「悪夢ごときに叫び声をあげてちゃ駄目じゃない」 「悪かったな」 ラルフは立ち上がり、服の埃を払った。 本当に悪夢だったのだろうか。そう疑問に思う。うとうととしたかもしれないが、眠ってはいないはずだ。それに、ベッドから転げ落ちるほど寝相は悪くはない。 「じゃあ、ごゆっくり。今度はいい夢を見てね」 ミリアがそう無邪気に言って、出ていった。 「夢だったら、いいんだけどな」 ラルフは呟きつつ、椅子に座った。 先ほどのことを思い出してみる。そうすると、不快感と恐怖感が再び全身を這い回った。 だからといって、現実にあった事とも思えない。 夢とも思えないけれど。 「まあ、どうでもいいか」 この時は、まだそれほど深刻に考えてはいなかった。 |