序章

 一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
 理解できないままに、ラルフは胸に突き刺さっている剣の切っ先を茫然と眺めていた。
 剣は完璧に突き刺さっている。恐らく、致命傷だろう。そうラルフが認識した瞬間、焼けるような痛みが全身をかけ巡った。ラルフは激痛に耐えきれず、無様にぎゃあと叫んでいた。
 激痛がさらに増す。突き刺さっていた剣が抜き取られたからだ。
 ラルフは血液とともに、体中の力が流出していくのを感じていた。気がついたときには、前のめりに倒れていた。
「…………」
 右の頬が濡れている。
 それが自分の血のせいか、泥水の上に倒れたためか、ラルフには判断がつかなかった。目はあいているはずなのに、ぼやけて何もわからない。視力を失ったようだ。
 いつの間にか、先ほどまでの激痛が嘘のように消えていた。
 痛みだけではない。ラルフの全ての感覚がなくなっていた。闇の中で浮いているのか、落ちているのか全然わからない。そんな感じだ。妙に現実感がない。
 しかし、死への恐怖ははっきりと感じられた。
 ラルフは死にたくなかった。死と直面して泰然としていられるほど、ラルフは人間ができていない。もがけるものなら、もがいていただろう。
 だが否応なしに意識は薄れていった。完全に薄れたとき、それが死なのだろうか。
 ――嫌だ、死にたくない。
 ラルフは薄れゆく意識の中で、それだけを考えていた。

 アセルは、剣を男の身体から引き抜いた。瞬間、鮮血が飛び散り、男の身体を赤く染めた。
 男は悲鳴を上げ、泥濘に倒れ落ちた。アセルはそれを見届けてから、剣を鞘に収めた。
「なんなの、こいつ?」
 アセルの横にいたカートが、侮蔑の入り混じった声で呟いた。
「さあな。多分、追い剥ぎか何かだろうが」
 アセルは、倒れた男を眺めながらそう答えた。アセルらが木陰で休憩していると、いきなり彼が襲いかかってきたのだ。だから、返答も想像の域を出ないが、それほど間違っているとも思えなかった。
「おい。そろそろ治療してやらないと、こいつ死ぬぞ」
 ジェインが、カートに声をかけた。
「こんな追い剥ぎ野郎、放っておけばいいのよ。死ぬのは自業自得」
「そういうわけにはいかないだろう」
「わかってるわよ」
 不承不承カートは男の横に膝をつき、治癒呪文を唱えながら、男の傷口に手をかざした。
 カートの治癒呪文は、見る見るうちに男の出血を止め、傷口をふさいでいった。
「気絶はさせたままにしておくよ。めんどうだし、こんな奴に魔力を使うのはもったいない。後にはグルフィ・ロウ戦が控えてるんだから」
 そう宣言するや、カートは男の治癒を終わらせた。彼女の宣言通り、男は傷こそ治ったものの、意識は取り戻さない。
 カートは次いで、男の腰に吊してある革袋を取る。
「おい、何をする気だ?」
 さすがに不審に思って、ジェインが問うた。
「こいつが何者なのかを知るのよ。それぐらいの権利はあるでしょ」
 カートは革袋の中をあさり、目的のものを取り出して、アセルとジェインに見せた。
 それは掌大の銅板で、旅券とよばれる身分証明書だ。通常、これがないと街には入れないから、旅をする者はこれを持っている。
「ラルフ・ファイナー。こいつ、傭兵よ」
「傭兵か。一体、なんでまた俺たちを襲ったんだろう?」
 ジェインが疑問を口にした。
「知るもんか。おおかた、三流傭兵で仕事の口がなくって、追い剥ぎまがいなことやってたんじゃないの」
 カートが決めつけながら、旅券を男の革袋になおした。
「さ、行こう。こんな奴にかまってたら、グルフィ・ロウのアジトにつくまでに日が暮れてしまうよ」
「そうだな」
 アセルは頷いて、男を木陰に持っていく。
「ほっときゃいいのに」
 そう言うカートの言葉に苦笑しながらも、アセルは先ほどまで休んでいた場所に男を横たえた。ついでに泥を払ってやる。
 視線を上げると、カートとジェインがこちらを見ていた。アセルはそれに手をあげて答え、二人の方に向かった。
 その時、三人の動きが一瞬止まった。三人の知覚が敵の来襲を感じ取ったからだ。
「ま、まさか……」
 カートが驚愕した声で呟いた。
 いつの間にか、目の前に黒色の神官衣を着た三人の男が立っている。
「グルフィ・ロウ!」
「久しぶりだな、フェゼン」
 グルフィ・ロウが笑みを浮かべた。
「どうして、ここが?」
 ジェインが腰の剣に手をかけながら問うた。
「気づかないとでも思ったのか。我々も馬鹿ではない。フェゼンの戦士たちが我々を討ちにくることはわかっているのだから、罠を張ったのだよ」
「罠?」
「そこに倒れている傭兵がいるだろう。フェゼンを感知できなくとも、そいつは感知できる」
「おまえが彼をけしかけたのか?」
 アセルは剣を抜いた。
「そうなるかな」
 グルフィ・ロウが軽く手をあげる。
 瞬間、周囲の空間がグルフィ・ロウのテリトリーに変わった。空間が一瞬にして邪神統の神域に侵されたのだ。
「なっ……」
「罠と言っただろう。これくらいのことは仕掛けてある」
「ちっ」
 アセルは舌打ちした。
 敵の神域ということは、あらゆる面でこちらに不利だ。こちらのあらゆる力が発揮しづらくなっているのに対して、敵のあらゆる力は増強される。
「我々にも、今後の計画があってな。フェゼンにうろちょろされると迷惑なのだよ」
 グルフィ・ロウの右手に、黒い炎をまとった蛇が現れる。蛇はゆっくりと鎌首をもたげ、凶悪な目でアセルたちを睨んだ。
 シャアァァ!
 刹那、蛇が黒い槍となってアセルに襲いかかる。
「くっ」
 アセルは右へ飛び、蛇の牙を避けた。だが蛇の牙は鋭く、アセルの肩を、肩当てごと喰い千切った。黒い焔が傷口から吹き上がり、鮮血を飛ばす。
 黒い蛇は身を翻し、今度はアセルの首を食い破ろうと牙をむいた。
 その口にアセルの剣が突き刺さる。剣は正確に黒い蛇の魔力を截ち、消滅させた。その勢いのまま、グルフィ・ロウとの距離を詰める。
 グルフィ・ロウの両脇にいた二人の神官が剣を抜き、アセルの前に立ちふさがった。グルフィ・ロウは次の呪文の詠唱に入っている。
 しかし、カートの攻撃呪文の方が早い。
 グルフィ・ロウらの周囲が深紅の真円で囲まれ、次の瞬間には、そこから炎の竜巻が吹き上がった。炎の渦は、一瞬でグルフィ・ロウらを飲み込んだ。
 タイミングとしては完璧だった。それでも、カートは大きく舌打ちをする。
「やっぱり、魔力が阻害されてる」
 炎がはれると、その中から防御結界を張った二人の神官と、それに守られたグルフィ・ロウが無傷で立っていた。
 本来なら、付き人の防御結界ごときに防がれてしまう程度の術ではない。やはり、敵の神域効果が効いているらしい。
 それでもアセルにとっては充分な隙だった。実際に神官たちがカートの呪文に注意を向けたのは一瞬だけだったが、その間にアセルの剣先は二人を斬って捨てていた。また、その勢いのまま、グルフィ・ロウに迫る。
 ふん、とグルフィ・ロウが鼻で笑った。
「無駄だ」
 冷たく言い放つのと、アセルの剣がグルフィ・ロウの肩口に振り下ろされるのが、同時であった。
 斬った。
 カートもジェインもそう見た。アセルの剣技は、当代『剣聖』をもって賞されるほどである。その一撃を受けて、無事で済むはずがない。
 しかし、次の瞬間に二人の目に映ったのは、剣をはじかれているアセルの姿であった。
「なっ」
 一番驚いているのはアセル本人である。必殺とはいかないまでも、それなりの傷を負わせる一撃だったはずだ。
 だがグルフィ・ロウは薄笑いを浮かべ、先ほど唱えた呪文を放った。
 途端、グルフィ・ロウの身体が仄かに光る。その色は暗い闇の色だ。闇はグルフィ・ロウを焦点に黒い半球体を形成した。
「逃げろ!」
 それと察してジェインが叫んだ。
 もとより、アセルもぼさっとはしていない。防御を整えながら、後方へ飛びずさる。
 刹那、闇の半球体は巨大化し、一瞬で周囲を飲み込んだ。それは、少し離れていたジェインやカートすら飲み込んだ。
「きゃっ」
 カートが闇が撫でていった不快感に、思わず短い悲鳴を上げた。魂を直接撫でられたかのような忌まわしい感覚だった。直後、疲労感が全身を駆け巡り、よろめいた。ごっそり体力を抜き取られたようだ。
 くうっ、とカートが悔しげに呻いた時、いつの間にか、目の前にグルフィ・ロウが迫っていた。
 グルフィ・ロウが手を伸ばす。その指先全てから爪が伸び、それをもってカートの心臓を突いた。
 カートは剣を抜いて、それを防ぐ。
 がきっ、と鈍い音がして、グルフィ・ロウの爪は、カートの剣の腹を突いた。刃は粉々に砕けたが、カートは間合いを取ることができた。
「そう簡単にやられと思う?」
 カートが不敵に笑い、柄だけ残った剣をグルフィ・ロウに投げつけた。
 グルフィ・ロウは手を横に振るい、それをかわす。そこへ、ジェインの攻撃呪文が襲いかかった。魔力を収束させた数本の矢が、狙い違わずグルフィ・ロウに突き刺さる。
「はああっ!」
 間髪入れずジェインが剣を抜いて、打ちかかった。
 チャンスと見て、アセルも打ちかかった。カートも新たな呪文の詠唱に入る。
 ジェインの一撃が、グルフィ・ロウの胸部を貫いた。次いで、アセルの剣がグルフィ・ロウの頸部を深々と切り裂いた。
 手応えはあった。しかし、断末魔を上げたのはグルフィ・ロウではなく、後方に倒れ伏していた神官の一人であった。
「ぎゃあああっ」
 神官は、頸部と胸部から血を吹き出して息絶えた。
「移したな」
 いまいましげにジェインが呟いた。
 稀に、ヒエラルキーの確立している集団の上位者は、その下位者に、自らが被った害悪効果を移すことができる。宗教系に多い力で、勿論、邪悪で利己的な力である。
 本来なら、アセルたちは、その力を封じてしまうことができる。三人の攻撃は、転禍阻止の力を帯びているのだ。それが働かないのは、ここが邪神統の神域だからである。
「くっくっくっ。だから無駄だと言ったろう」
 グルフィ・ロウが三人を嘲笑した。
 確かに、グルフィ・ロウの言う通りなのかもしれなかった。ここが邪神統の神域である限り、何度グルフィ・ロウを傷つけようと、その傷は邪神統信仰者に移っていくだけだ。きりがない。
 しかも三人は、先ほど受けた魔法攻撃により、体力が尽きかけている。今勝負をかけたのは、尽きる前に叩きたい、という思いもあったのだ。
 カートが呪文を中断した。放っても無駄だと判断したからだ。
「手詰まりか」
 アセルは悔しそうに言った。
「奴の神域効果をどうにかしなきゃ」
 カートがその方法を思索する。
 だが思いつかない。
 神域効果を破壊する方法はいくつかある。カートらはそれができる実力を有しているわけだが、それは神域の外から行う方法で、中に囚われた今、それらの方法は意味を為さなかった。
「撤退か」
 ジェインが、横目でアセルを見た。
 アセルは頷く。
 逃げることは恥ではない。無謀な勇気は破滅しかもたらさないし、もしここで、アセルらが倒れた後、誰がグルフィ・ロウを討つのだ。まだ見ぬ英雄の出現に期待するのは、楽観にすぎるというものだろう。
 ただし、簡単に退ける相手ではない。しかも、ここは敵の神域内である。
「忌々しいわね。逃げるために、全力をつくさなきゃならないなんて」
 カートの言葉に、アセルは苦笑を誘われた。
 確かにそうだ。逃げるのは恥ではないとはいえ、その屈辱感が残るのも事実。そのために全力をつくさなければならないのは、不服な感じがしないでもない。勝ち気なカートならなおさらだろう。
「逃げる相談中に悪いが、私はお前たちを無事で帰すつもりはないのだがな」
 グルフィ・ロウが唇の端を歪めて言い放った。印を結び、呪文の詠唱にはいる。
 ちっ、と舌打ちしつつ、アセルはグルフィ・ロウへ打ちかかった。
 しかし、呪文の完成の方が早い。グルフィ・ロウが呪文を放つと、地面のあちらこちらから、黒い狼が唸り声をあげ出現してきた。
 数十匹はいるだろう。注視すると、狼たちの身体は少し透き通っているのがわかった。
「わが眷属たちよ、そやつらの魂を喰い千切れ」
 命令一下、狼たちはアセルらに襲いかかってきた。
 狼たちは、実力的にアセルたちの敵ではなかった。彼らが何匹いようが、何の掣肘にもならなかった。剣術や体術で、攻撃をかわしつつ反撃する。狼たちは通常攻撃を受け付けないようだが、三人はそれぞれが魔的な打撃能力を有しているので問題はない。
 こんなものが切り札なのだろうか。アセルはそう疑問に思った。この術を放ったグルフィ・ロウの自信満々な態度がやけに気にかかる。何か罠にはめようとしているのではないかと思った。
 アセルはちらりと視線をグルフィ・ロウにやった。
 グルフィ・ロウは微笑を浮かべ、ちらりと視線を横にやる。そのやった先に何があるかに気がついたアセルは、慌ててそちらに駆けた。
 そこには、少し前にグルフィ・ロウにそそのかされて襲いかかってきた傭兵が、気絶して倒れているはずだった。狼たちは、その傭兵にも襲いかかろうとしていた。
「ちっ」
 舌打ち一つ、アセルは傭兵に向かった狼たちを蹴散らしていった。
 その姿を見て、グルフィ・ロウがにやりと笑った。
「かかった」
 ほくそ笑み、指をパチンと鳴らした。
 すると、アセルと傭兵の間の地面が割れ、そこからも狼が現れた。
 その狼は、今暴れている狼たちと明らかに違い、熊のように巨体だった。恐らくは、周囲の狼たちを統べる王。
 その巨大な狼が唸り声をあげ、アセルに襲いかかった。
 アセルは不意をつかれ、完全にはかわしきれない。脇腹を凶悪な牙が襲った。巨狼の牙は、易々とアセルの鎧を破壊し、その肉体を喰い破った。
 狼の攻撃は、肉体だけでなく、精神にもダメージを与えるらしい。アセルは、肉体精神の双方に手痛い打撃をくらってよろめいた。それでも剣を巨狼に向けて、次の攻撃に備える。
 その時。
「アセル!」
 カートの悲鳴に近い声が耳に届いた。その瞬間、焼けるような痛みが、アセルの全身を支配した。その焦点は心臓である。見ると、剣の切っ先が心臓部の辺りからのぞいていた。後方から、剣を突き刺されのだ。
 視線を後方にやると、そこには勝利の笑みを浮かべたグルフィ・ロウの姿が目に映った。奴が剣を放ったようだ。
「その剣は特別製だ。存分に味わうといい」
 グルフィ・ロウの言葉通り、突き刺さった剣は普通の剣ではないようだ。強力な魔力を持った魔剣のよう。
 深いダメージを負ったアセルに、とどめを刺そうと巨狼が再び襲いかかる。
「させるか!」
 ジェインが短剣を投げつけた。
 短剣は巨狼に命中したが、大したダメージは与えられない。それでも、牽制の役には立ち、巨狼はジェインの方にも注意を向けた。
 数十匹いた狼は全て倒していた。ジェインは巨狼とアセルの間に割って入り、カートはアセルに駆け寄った。
「もう遅い」
 グルフィ・ロウはそう言って笑った。
 なにを! とカートがグルフィ・ロウを睨んだ時、アセルは膝を突いた。脱力して、全身に力が入らないのだ。
 グルフィ・ロウが、掌を開き前に差し伸べた。すると、アセルに突き刺さっていた剣が、見えない何者かによって引き抜かれた。
「ぐはあっ!」
 引き抜かれた部分から鮮血が吹き出し、アセルの足下に血溜まりをつくった。
 剣は空中を移動し、あっという間にグルフィ・ロウの手に戻る。
「アセル!」
 カートが叫びなら、治癒の呪文を唱えた。彼女の実力ならば、死の淵にいる者さえ、完全回復させられる。アセルは瀕死の重傷であるが、回復させられるはずであった。
 しかし。
「そんな!」
 カートの声は悲鳴に似ていた。
 治らない、と何度も何度も傷口に手をかざし、治癒呪文を放つ。しかし、一向にアセルの傷が治る気配はなかった。
 グルフィ・ロウが放った剣には、魔的回復を阻止する能力があったようだ。そのことを、カートは絶望とともに思い知らされた。
 魔的回復が阻止されているなら、自然治癒しか治る方法はない。だがアセルの傷は、自然に治る許容範囲を軽く超えていた。
 もう、どのような手も打てない。
 アセルは、視線をカートにやった。無駄だと知りつつもアセルを直そうと必死に呪文を唱えるカートに、首を横に振る。
「ア、アセル……!」
「……逃げろ……」
 アセルは、声を絞り出した。それだけのことですら、全身全霊を必要とした。アセルの身体はいつの間にやら、カートに抱えられていた。自身の力では、もう立つことはかなわない。
「嫌よ! アセルを放って逃げるなんて、できるわけない!」
 カートが叫ぶ。
 ジェインもその気持ちは同じだった。巨狼とグルフィ・ロウに注意深く視線をやりながら、カート、と呼びかける。
「アセルを抱えられるか? 俺が奴らに攻撃を仕掛けて隙をつくるから、その間にアセルを連れて逃げろ。俺もすぐに後を追いかける」
 カートが頷き、アセルの身体を抱え上げようとした。
 グルフィ・ロウが、むしろ哀れみを覚えたような表情をした。
「悲壮だな。フェゼンもこうなると、ただの傭兵と変わらんな」
 その後、哀れみの表情が拡散し、嘲笑が取って代わる。
「だがフェゼンはフェゼン。わが敵には変わりがない。そこで、おもしろい趣向を考えてやった」
 グルフィ・ロウが、握っていた剣を放った。放った先は、アセルが助けようとした傭兵。
「なっ……!」
 ジェインが呆気にとられたような声を出した。完全に予想外の行動だったからだ。
 剣は、狙い違わず傭兵の身体に刺さった。それも、アセルと同じ場所に。
「ぎゃっ!」
 傭兵は、一瞬目を開き、短い悲鳴を上げた。
 グルフィ・ロウが、呪文を唱える。すると、あろうことかアセルが悲鳴を上げた。
「えっ……?」
 カートが驚いて腕の中のアセルを見た。
 アセルの表情は激痛に歪んでいる。傷跡から再び鮮血が溢れて流れ出した。
 傭兵の悲鳴も聞こえる。彼も剣の突き刺さった胸から血を溢れだしていた。アセルの悲鳴と傭兵の悲鳴が、妙にシンクロして聞こえた。
「フェゼンの魂というのは、フェリシアによって保全され、例え死そうとも、絶対に囚われたり汚されたりしないそうではないか。またその再生能力は、驚嘆に値するほど。お前たちがここから出て、何らかの方法で、剣聖ロイドを復活せしめると、こちらにとってはおもしろくない。だから、こうすることにした」
 グルフィ・ロウが、印を結んだ、
 刹那。
 カートの腕の中で苦しんでいたアセルが、木っ端微塵に吹き飛んだ。
 次いで、傭兵が、一際大きな悲鳴を上げた。
 カートとジェインは、その場に凍り付いたように動けなかった。茫然と情景を眺めていた。
 グルフィ・ロウは大きく笑い、倒れたままの神官を残し、その場から消えた。
 ややあって、神域効果も消えた。


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