第九話 追跡の条件


 世間は狭いな。
 あたしは、車中でなんとなくそう思った。あたしをストーカーしている馬鹿の、父親らしきおっさんが、あたしが所属している探偵事務所の調べている会社の人間なのだ。こういうのが、奇縁ってやつなのだろうか。
 考えてみれば、探偵のやることはストーカーとそんなに変わらない。ということは、あたしもあのストーカー野郎とそう変わらない人種だということだ。
 とっても嫌な結論。そして、そういうことであれば、今、あたしの横で煙草を吹かしながら運転している加藤のおっさんも同じ人種ということである。
 まあ、それはともかくとして。
 何故、あたしが加藤さんの車に乗っているのかというと。
 あたしは、ホームセンターでストーカー野郎と大昇のおっさんを見かけた後、加藤さんの指示通りに、トイレットペーパーの束を四つ買った。当然、領収書ももらった。
 それから、本来なら、電車に乗って帰宅するはずであったのだ。トイレットペーパーの束をたくさん抱えた制服姿の女というのは、なかなか乙なものがありそうだ。そう考えながらあたしが店を出たとき、加藤さんと会ったのである。仕事でこの辺に来ていたらしい。そしたら、トイレットペーパーの束を持つ制服姿のあたしを偶然見かけたそうなのだ。
 まあ、助かったと言えば、助かった。
「友達んちはどうだった?」
 加藤さんが聞いてくる。
「普通ですよ」
「普通か」
 そう加藤さんが苦笑する。そんなにおかしい返答か?
「岩沙君らしい答えだ」
 苦笑したまま、加藤さんが言った。
 わけわかんねえよ。
 勿論、言葉に出した訳じゃないから、加藤さんはあたしの思考など無視して、話題を変えた。
「これから、どうする?」
「え?」
「いや、事務所に寄るかどうかだけど」
 ああ、そうか。この道筋だと、あたしの住ましてもらっている部屋よりも、先に事務所につく。それで、いったん事務所に寄るかどうかを尋ねたのだろう。
 いえ、と答えかけて、あたしは少し躊躇った。
 別に事務所に寄りたい訳じゃない。そんなに仕事熱心なわけでもない。でも、ストーカー野郎とあの大昇のおっさんのことが少し気にかかっていたのだ。事務所に帰れば、あのおっさんのことは少し調べられる。確か、家族関係のこととかも調べてあったはず。まあ、それを見たからといって、何がわかるというわけじゃないけれども、なんとなくあのストーカー野郎との関係がわかるかもしれない気がした。例えば、おっさんの息子に十四・五才の男の子がいるならば、あの二人が親子だという確率は高いはずだ。
 ただ、わざわざ、時間外に事務所に立ち寄ってまで、調べなきゃならないことでもない。少なくとも、あたしはそう思う。明日のバイトの時に調べればいいだけの話だ。
 それに。
 あの二人が親子であろうとなかろうと、それがどうしたという思いもある。結局、そうだからといって、あたしに関係のあることじゃない。
 そんなことを考えていると、ああ、と加藤さんが思いだしたように声を出した。
「事務所によっていきな。給料出たから。ついでに渡しとくよ」
 別に今すぐに給料が欲しいって訳じゃないけど、その言葉が事務所に寄る気持ちの後押しをしたことは事実だ。
「じゃあ、そうします」
 あたしは頷いた。
 事務所に着くと、あたしはとりあえず自分の席に座る。
 データ入力をしているパソコンは、机の上にある。それを眺めながら、あたしはどうしたものか、と少し悩んだ。
 このまま、パソコンをたちあげて、何かするのはとても不自然だ。いや、それをどうのこうの言う加藤さんではないけれど、何かあたしが自分勝手にしてるように思われるのは嫌だ。
 でも。
「ああ、岩沙君。とりあえず、お茶入れてくれるかな」
 加藤さんが、自分の席に腰かけながらそう言った。
 いつもなら、またか、と思うところなんだけど、今は違う。ある意味、いいタイミングだった。
 あたしは、さも当然のようにコーヒーを二つ淹れる。加藤さんがあたしにお茶を要求してくるうちの二割程度は、あたし自身の分も淹れているから、今二つ淹れてもそんなに不自然なことではないだろう。
 はたして、加藤さんはトレイに載せられた二つのカップを見ても何一つ表情を変えず、それについての言及もなかった。
 ちなみに、コーヒーは加藤さん専用のすげえ濃いものだから、あたしのはたっぷりミルクを淹れたものだ。見た感じ、カフェ・オレである。
 自分の机に座り、パソコンの電源をいれる。そして、大昇関係の人物ファイルを広げた。
 顔写真を頼りに、ページを進めていく。社員数はそんなに多くないのだから、すぐに目当ての人間に行き着いた。
 この人だ……。
 五十代くらい。疲れたような風貌。写真の中のおっさんは、カメラに気づかず信号待ちをしている時らしい。あたしが最初に撮った写真ではない。
 名前は島村譲。しまむらゆずる、と読むらしい。
 年齢は……四十一才! まだ四十代だ。えらい老けてる。疲れたような顔してるからかなあ。
 役職は企画営業部課長。前職あり。リストラでもされたのかな。
 家族構成は、妻と一男一女。妻は佐枝〈さえ〉といって、三十八才。専業主婦だ。長男は優〈ゆう〉。十四才で中学二年生。長女はさゆりで五才。だいぶ後に生まれたらしい。
 中三か……。
 あたしは、ストーカー野郎を思い出しながら、その年齢について容貌から妥当かどうか考えてみる。
 そう言われれば、そんなところ。
 そんな当たり障りのない解答しか出てこない。
 家族の顔写真くらいあればいいのに、と思ってみるが、社員の家族は事務所への依頼からはほとんど関係がないのだから、加藤さんが撮る必要はないこともわかっていた。何せ、この事務所は調査員があのおっさん一人きりなのだから、余計な手間はあまりかけてられないだろう。
 あたしは、ホームセンターの時の二人の様子を思い出してみる。
 和やかそうに商品を見て話す二人。近所の知り合いという可能性もあるけれど、それよりも親しそうに思える。少なくともとても昔からの知り合いのような感じがするし、もしそうであれば、あの二人の年齢差からいって、血縁以外の可能性は低いはず。
 そこまで考えてから、あたしはコーヒーに口をつけた。少し冷め始めているコーヒーの味が、あたしを少し冷静にしていく。
 結局、ここでは確信にはいたらない。それを得るには、加藤さんにこの家族の顔写真を撮ってもらうか、あたしが奴を追跡するほかない。
 そう考えると、あたしの妙に盛り上がっていた気持ちも急速に冷めていった。その気持ちのままに、あたしはパソコンの電源を切る。
「用事は済んだのか?」
 加藤さんが、それを見ていたのか、そう尋ねてきた。やっぱり、何かしているかは気づかれるか。ま、仕方ないわな。
「一応、済みました。すみません、勝手にパソコン使ったりして」
 あたしははにかむ笑顔を顔に貼り付けながら、軽く頭を下げた。
「いや、構わないよ。別にそれでアダルトサイトをのぞいても構わないし、出会い系サイトに登録しても構わないよ」
 そんなことするか。
「そうそう、これ、給料」
 加藤さんが、手に給料袋を持ってひらひらさせた。
「御苦労さん。今月はいろいろやってもらったから、いろいろ手当をつけといたよ」
「ありがとうございます」
 あたしは、給料を受け取るために立ち上がり、加藤さんのそばに行った。
 受け取る寸前、さて、と加藤さんがくわえていた煙草を灰皿で揉み消した。
「もう遅いし、送ろうか」
「え?」
 あたしは視線をめぐらせて、時計を見た。
 もう八時を過ぎている。ただし、遅いといえるかどうかは、微妙な時間だ。どちらにしろ、送ってもらう気はない。
 あたしは、立ち上がりかけた加藤さんの機先を制する形で、いいです、と口にした。
「そんなにご迷惑をおかけできません。ここからは近いですし、一人で帰れますよ」
 あたしは軽く微笑む。
「そうか」
 加藤さんは頷いて、立ち上がるのをやめた。
「じゃあ、気をつけてな」
 そう言いながら、新しい煙草に火をつけた。
「ありがとうございます。それでは失礼します」
 あたしは、加藤さんに頭を下げて、事務所を出た。
 事務所の階段を下りながら、少しストーカー野郎のことを考えていると、不意に気づいたことがある。
 あたしがここに寄った表向きの理由は、給料が出たからそれをもらうためだった。大昇の社員とストーカー野郎の関係を知りたかったというのは、何も言っていない。つまり、加藤さんは、あたしがここに寄って何かしたかったということは知らなかったはずなのだ。
 それにしては、給料をすぐに出さなかった。別に勿体ぶっていたわけじゃないだろう。そして、あたしが用事を終えた時点で、給料を手渡した。そのタイミングと言ったら、図ったようだ。そもそも、事務所に寄るように水を向けたのは、加藤さんだったりする。
 もしかしたら。
 あたしは立ち止まり、事務所を見上げた。事務所はまだ光が消えていない。
 加藤さんは、あたしが事務所で何か調べたかったのを知っていたのではなかろうか。
「…………」
 あたしは顔をしかめた。
 それはとても嫌な想像だった。
 自分の心中を読まれている。これほど嫌なことはなかった。
 そして、それは、今日の結城さんとの会話に繋がってきて、更にあたしを嫌な気分にさせた。
 あたしは、頭を強くふる。髪が乱れようが知ったこっちゃない。とりあえず、今の嫌な想像を脳裏から追い払いたかった。
 再び歩き始めた。
 しばらく歩いていると、いつものストーカー野郎の視線を感じた。
 今日も来たか。律儀な奴だ。
 部屋に帰ったフリをして、逆につけてやろうかしら。
 少しむしゃくしゃしていたのだろう。そんな考えがあたしの頭をかすめた。その後、それは奴の身元を確かめることになる。そういうことにあたしは気がついた。
 よし、やってやろう。
 あたしはそう決意し、考えを実行に移した。
 ストーカー野郎を逆につけるのは、とても簡単だった。自分がつけられているという想像なんてしたことないんだろう。あたしは何度も大きな足音を立ててしまったりしたけど、全く気づかれなかった。本当にストーカー初心者でやんの。
 ストーカー野郎が向かった先は、それほど遠い場所ではなかった。
 事務所から二十分ほど歩いた所。大通りから三本ほど内に入った通りに、奴は家はあった。
 あたしは、ストーカー野郎が家に入ったのを見計らってから、玄関の前に立った。
 それほど大きくはない一戸建て。表札には『島村』とあった。
 島村優。
 それは、大昇の社員である島村譲の長男の名前である。
 恐らく、そうだろう。
 胸のつかえがとれた気分だ。
「…………」
 そして、急に襲ってくる空虚な感覚。
 ストーカー野郎を特定して、あたしはいったいどうしたいのだろう。
 やっぱり、あたしおかしくなってる。変なことに執着しはじめているのが、その証だ。
 馬鹿みたい。あたしは溜息を一つついて、空しさを胸に抱えながら、来た道をとぼとぼと帰り始めた。
 その時。
「――!」
 突然、近くに人の気配を感じた。近くというよりは、もう至近。あたしはびっくりして振り返った。
「えっ!」
 視界に飛び込んできたのは、帽子を目深に被った男。そして次の瞬間には、その人に口許を抑えられ、腕ごと抱きすくめられた。
 な、な、な、な、何? 何なの!
 あたしは混乱する。
 ほとんど本能で暴れて抵抗するけど、相手の熊みたいなパワーであたしはほとんど身動きがとれない。叫び声を上げたくても、口を押さえられているから、声も出ない。というより、男の手が大きいのか、あたしの鼻の辺りまで覆っているから、息すらできない状態だった。
 その混乱の中でわかったことは、あたしがストーカー野郎をつけていた時、あたしも誰かにつけられていたということだ。
 迂闊だな、あたし――。    


第十話に進む
第八話に戻る 「家族の条件」トップに戻る
小説ページに戻る ホームに戻る