第五話 ファミレスの条件


 あたしが加藤さんと食事をとるのは、三回目だった。
 一般的に見て多いか少ないかは判断がつかないけど、あたしにしてみれば明らかに多い。
 こういう風に、誰かに食事に連れていってもらった経験などこれまで皆無だったから、人生十六年目にして、たて続けに連れていってもらったことになる。もっとも、別に連れていってほしかったわけではないけどね。
 入ったファミリーレストランは、大きくて小綺麗な店だった。外から見た感じ満席のよう。それは加藤さんも感じたらしい。
「あちゃあ、満席かな」
 そう呟きながら、加藤さんはそれでも車から降りた。
 でも、店内に入ると、いくつか空いている席が垣間見えて、すんなり席に案内された。
 加藤さんは、当然の如く喫煙席を指定。それで、席に着くなり煙草に火をつけ始めた。
「何でも、好きなの頼んでいいよ。食後のデザートもオッケーだ」
 にやりと笑いながら、加藤さんが言う。
 えらく気前がいいな。
 もともと、加藤さんはそれほど吝嗇ではない。これくらいは普通だけど、その口許に貼り付いた笑みが気になる。さては、競馬で儲けたな。
 だからといって、思いっきりたかってやろうという思いは湧いてこない。あたしと加藤さんは、そこまでの関係ではない。
 結局、あたしが選んだのは、スープのスパゲティ(小)。
「それだけでいいのかい? なんなら、このメニューのページ全部を頼んでもいい」
 加藤さんは、肉料理の載っているページを指し示した。
 そんなに食えるか! 女子の胃袋をなんと心得やがる。
 それにつけても、六年間の居候生活で小食が身についているあたしだ。実際、スープスパの小さいのだけで事足りる。
「そんなに食べられませんよ」
「食べなきゃ、大きくなれないぞ。大きくなりたいところも、大きくならないぞ」
 加藤のおっさんの視線が、露骨にあたしの顔から胸に移動した。
 乳が無くて悪かったな、このセクハラ親父め。
「こう、もう少しあってもいい感じだよな。ま、一般人にモデル並のプロポーションを求めるのもどうかとは思うけど」
 加藤さんは、ふへへ、と下卑た笑みを顔に貼り付けて言ってから、手を上げて店員を呼んだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
 そうマニュアル通りに尋ねる店員の動きが一瞬止まる。彼女は、あれ、と口内で呟いたよう。
「岩沙みゆきさん?」
 店員があたしの顔をうかがった。
 あれ? この声は、確か昨日聞いた……。
 あたしも店員に視線をやる。そのショートカットと、クールに整った顔には見覚えがあった。確か、結城なんとかと言っていた変な奴――。
「結城さん」
「覚えてくれたんだ」
 結城さんが、にこりと微笑する。
 昨日の今日だ。しかも、あれだけ変な印象を持った奴。さすがのあたしも、すぐには忘れねえよ。
「ここで働いているのね」
 あたしもこれぐらいの社交辞令は言える。
「そう。で、岩沙さんは?」
 最後の疑問形は、あたしがどこで働いているかを聞いたものではないだろうな、やっぱり。その証拠に、結城さんの視線が興味に満ちて、加藤さんに向けられてる。
「アルバイト先の上司の加藤さん」
 あたしが加藤さんを紹介すると、結城さんが、どうも、と軽く頭を下げた。
「岩沙さんのクラスメイトの結城です」
「どうも」
 加藤さんが煙草を揉み消した。この場合の結城さんの興味というのが、何を指し示しているのかは明白だったから、その視線に全く動じない辺り、さすがに加藤さんは大人だと思う。あたしがいちいち事実を言うようなことをしなくても、その雰囲気でそれと違うとわかる辺りが楽だ。
「岩沙さんも、アルバイトしてたのね」
「ええ、まあ一応」
 ちなみに、あたしが通っている済陽学園は、アルバイトが禁止ではないから、別に隠す必要はない。
「そうなんだ。そんな風には見えなかったけど」
 どういう意味だそりゃ。そのあたしの心中の言葉がわかったわけではないだろうけど、結城さんがすぐにフォローを入れた。
「岩沙さん、あんまり、お金が必要そうには見えないから」
 余計、意味がわかんねえよ。
「ま、見た目、お嬢さんだからな」
 不意に加藤さんが発言した。
 はあ?
 あたしが見た目、お嬢さん?
 何、馬鹿なこと言ってんの。
 でも、結城さんはその発言にそのまんまのって答える。
「そう。だから、お小遣いがいるようにも見えないしね。人は見かけによらないということかしら」
 こいつら、目がおかしいのと違うか?
 あたしが見た目でも『お嬢様』に見えるのは、人を見る目がなさ過ぎると断定してやる。特に、加藤のおっさん。あんたは職業柄、それでは良くないのと違うか。
 勿論、あたしの心中の声は二人は聞こえないし、聞こえたら困る。
「あ、それで、ご注文はお決まりでしょうか?」
 結城さんは、現状の自分を思いだしたようで、再び仕事に戻った。
 加藤さんがメニューを指し示しながら注文する。それを伝票に打ち込んでから、結城さんは厨房に消えていった。
「岩沙君のクラスメイトか。岩沙君、何組だったっけ?」
「四組ですけど」
「そうか。で、最近、何か変わったことがある?」
 何気なく、加藤さんが聞いてくる。
 あたしがその真意を測りかねて黙ったままでいると、彼は、実はさ、と眉を寄せた。
「一条の奴がうるさいんだわ。岩沙君のこと。岩沙君は、ちゃんと学校生活を送れているかとか、いじめられていないかとか、生活態度はどうかとか」
 ああ、とあたしは納得した。
 一条さんは、一応あたしの保護者になるわけだから、あたしのことを気にかけてくれているのだ。
「別に何もないですよ」
 一条さんに心配をかけるわけにはいかない。もっとも、いじめられたりもしていないので、何もないと言う言葉に嘘はないはずだ。
 ストーカーはいたけどね。ま、あれはたいしたことはできないだろう。まだ駆け出しのレベルだから。
「そうか。それならいいんだ」
 加藤さんは、そう答えながら新しい煙草を出そうと煙草の箱を取り出した。だが中が空だったようで、その箱をくしゃと握りつぶした。吸いすぎだからだ。
「煙草買ってくる」
 そう言い残し、加藤さんは店のレジ横の自動販売機に向かって行った。
 加藤さんが、自販機で有害な煙の元を買っている間に、注文していた料理が来た。
 料理を持ってきたのは結城さんとは違う人だった。ふと辺りを見ると、店員が忙しそうに動き回っている。ちょうどピークのようで、結城さんも忙しいのだろう。構われずに、いいことだ。
「混んできたな」
 加藤さんが、店員の様子をうかがいながら帰ってきた。
「そうですね」
「じゃ、俺たちは座れたわけだから、ゆっくり落ち着いて食べようか」
 ウエイトのかかっている出入り口を見やり、加藤さんは上機嫌でそう言った。
 このおっさんは人の不幸を見て楽しむタイプかもしれない。まあ、探偵なんて職業は人の不幸を稼ぎの口にしてるので、性格がそういう風にねじ曲がっていくのは仕方ないのかもしれない。
 どうぞ、と加藤さんがあたしを促すから、あたしは、いただきます、と答えてから料理を食べ始めた。
 料理の味は、まあ普通だと思われる。
 思われるというのは、あたし自身があんまりいろんな料理を食べたことがなくて、食べ比べられるほどの味覚を持たないからだ。食事は一通り自分で作るけど、味を気にしたことはあまりない。気にするのは値段と量で、貧乏性が染みついているのが自覚できて、こういう所はあまり嬉しくない。
「岩沙君は」
 不意に加藤さんの声が耳に入る。
 顔を上げると、加藤さんが左手で頬杖をつきながらあたしを見ていた。右手はテーブルの上に置かれ、その指には火のついた煙草がはさまっていた。まだ料理に口をつけていないよう。
 そして、あたしが加藤さんを見返しても、すぐには何も言わなかった。
 再び口を開いたのは、十秒くらい後だった。
「いつも、そんな風だね」
 何のことか、さっぱりわからん。
「……何がですか?」
「食事」
「何か変な食べ方をしてますか?」
「いや」
 そう答えると、加藤さんは盛大に煙草の煙を吐き出してから、煙草を灰皿で揉み消した。それから、あまり気にすることではないよ、と微笑した。
「はあ」
「じゃあ、俺も食うか。腹減ってたまらん」
 加藤さんがお腹の辺りをさすりながらおどけて言って、食べ始めた。
 でも、またすぐに話し始める。
「そうそう」
「なんですか?」
「今日の仕事はどうだった?」
「まあ、普通ですけど」
「慣れていきそう?」
「どうですかね」
「で、今日のあれで、誰か印象に残った人はいるかい?」
 今日のあれというと、大昇という小さな玩具会社に出入りする人間をデジカメで撮ったことだろう。
「印象に残った人ですか?」
 あたしは少し記憶を手繰る。
 撮った八人というのは、全て出ていく人だった。顔形を正確に覚えているわけではないが、まだ忘れていないから、個々に思い出すこともできる。
 だけど、誰が印象に残っているかと問われると、答えに詰まるものがある。
「いない、か」
 答えに迷っているあたしを見て、加藤さんが心中を察してくれた。
「すみません」
 考えてみれば、人間観察は探偵の第一歩かもしれない。そういう意味では、こういう仕事は、他人をあまり区別してみないあたしにとっては、むいてないと思われる。
「いや。別にいいんだ。たいしたことじゃないから」
 そう言うと、加藤さんは急に話題を変えた。
 話題は今日の競馬のことで、第何レースは勝って幾ら儲けたとか、第何レースは負けて損したとか、そういう話。ようするに、ただの世間話ってやつ。
 食事が終わると、あたしたちは店を出た。結城さんはまだ忙しそうに働いていて、あたしたちが帰るのに気がついたけれども、軽く会釈しただけで仕事に戻ってしまった。ファミレスの店員というのも、とても大変そうだ。
 あたしは、その後加藤さんにマンションまで送ってもらい、部屋に帰った。
 帰るとそのまま、パソコンとベッドのある部屋に入り、日課のメールチェックをする。
 受信メールは一通。勿論、一条さんから。それに目を通してから、返信メールを打ち始める。
 加藤のおっさんのために、今日の仕事のことと、食事に連れていってもらったことを書いておいてやろう。そこで、ちゃんと気を使ってもらったことも、添えてあげる。実際に気を使ってくれたのは一条さんなんだけどもさ。まあ、聞いてくれた事実を書いておくだけで、加藤さんが、一条さんの頼みを聞いている証左にはなるだろう。
 メールを打ち終え、送信する。
 未だにこのメールが、海を渡ってアメリカに行くのが信じられない。オンラインというのは、とてもすごいことなんだなあと思う。
 一息ついて、あたしは窓の外を眺めた。
 あ。
 いた。
 ストーカーが電信柱の影からこちらを見上げていた。
 春とはいえ、夜はまだ寒いのによくやるよ。あたしなんかをつけて、何か楽しいのだろうか。あたし程度をつけるより、美人をつけている方が有意義だろうに。
 あたしは溜息をついて、カーテンを閉めた。     


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