第三話 親睦会の条件


 世間と同じようにあたしの通う済陽学園も週五日制で、土曜日は休みだ。
 本来ならバイトのため十時には事務所に行くのだけれど、今日は違う。
『クラスの有志による親睦会』とやらに出席しなければならないためだ。
 午後六時に『えらいこっちゃ』という店に集合らしい。学校で堀君が、何度も何度も何度も何度も何度もあたしに言い聞かせてくれた。はっきりいって鬱陶しかったが、とりあえず全てに頷いてはおいた。
 出席するのはあたしの意志なんかではなく、ペット捜索依頼の解決のためなので、勤務としてつけとくよ、と加藤さんが言ってくれていたけれど、そんなことは何の慰めにもならない。
 はっきり言って、あたしは他人と接するのは好きではない。嫌い、と言い切ってしまってもいい。
 他人はやっぱり他人だから、あたしのことはわからない。あたしもあたしでしかないから、やっぱり他人のことはわからない。お互いにわからない以上、接する理由はない。そういうこと。
「はあ」
 あたしは盛大に溜息をついて、玄関のドアを開けた。
 出る前に時計は、午後五時三十分を回っていた。集合時間に間に合うかどうかは微妙な時間だ。ずるずると行くのを引き延ばしてたら、そんな時間になったのだ。
 間に合わなければ、という強烈な意志は残念ながら湧いてこない。重い足を引きずってあたしは、集合場所へ向かった。
 ずっと曇り空だったためか、辺りは既に暗い。
 冷たい風が、とめどなく頬を撫でていく。勢いは少し強いみたい。髪が揺れて鬱陶しい。あたしは立ち止まり、乱暴に髪をおさえつけた。
 その時、視線にあのストーカーの姿が目に入った。
 いたな、そういえば。あの夜以来、見なくなったから、忘れていたけれど。
 軽く溜息をつく。
 あたしは振り返って、ストーカー野郎の方を向いた。
 ストーカー野郎はびくっとして、角の壁に隠れた。やがて走り去る足音が聞こえる。
「逃げたな」
 ふん、とあたしは吐き捨て、また歩き始めた。
『えらいこっちゃ』についたのは、六時を十分ほど回った頃だった。
 店の前に誰もいなかったらいいのにな、と思ったが、残念ながらみんないた。
 総勢で十五人ほど。数字的にはクラスの約半分が集まった計算になる。そのうち女子は五名。まあ、そんなもんだろう。ただ覚えている顔がなかったりするのが、問題だ。
「あ、来た来た!」
 堀君が言うと同時に、全員の視線があたしに集中する。
「送れてごめんなさい。用事が片づかなくて」
 口から出任せを言う。
「いーよ、いーよ」
 にこにこしながら堀君が寄ってくる。と思ったら、何人かの他の男子も集まってくる。あっという間にあたしは囲まれた。
 な、なんなんだ、お前らは!。
「岩沙、本当に来てくれたんだ!」
「うわー、来て良かった!」
「バイト、休んだかいがあったってもんだ!」
 男子たちは口々に訳のわからないことを言う。
 女子が一人増えただけでそんなに喜ぶことなのだろうか。共学に通っているのに飢えすぎだ。男子の勢いに半ば圧倒されながら、あたしはそんなことを考えた。
「全員揃ったことだし、店に入ろうぜ。時間は過ぎてる」
 誰かがみんなを促した。
 そうだな、と頷きながら、男子たちがぞろぞろと『えらいこっちゃに』入っていく。
「岩沙も行こう」
 堀君があたしを促した
 これも仕事か。あたしは心中で溜息をついてから、堀君の後をついて店内に入った。
『えらいこっちゃ』は、要するに居酒屋だった。
 十八才未満はお断り、というような正しい倫理観を持っている店員は皆無のよう。いらっしゃいませ、という愛想のいい声で、高校生の集団を迎え入れた。
 予約を入れてあったらしく、大きめの部屋に通された。中には大きなテーブルが一つとそれを囲んで十六枚の座布団が敷いてあった。
 男子の一人がテーブルの上に並べてある箸の上に、一枚ずつ紙きれを置いていった。紙切れには数字が書き込んである。
「じゃ、これ引いてね。座るところ決めるから」
 他の男子が、皆にくじを引かせていった。
 あたしが引いたのは、11と書いてあるくじだった。
「あら、あたしの横ね」
 不意に後背から、そんな声がかかった。
 振り向くと、見覚えのない女子があたしのくじをのぞいている。
 ショートカットで整った顔立ちの女子だった。濃紺のシャツにジーンズ姿で、クールで気の強そうな感じがした。
 彼女は12と書かれたくじをあたしに見せる。
「よろしくね、岩沙みゆきさん」
 彼女はそう微笑んで、先に席に向かった。
 よろしくねと言われても、あたしは彼女の名前すら思い出せない。ここにいる以上、恐らくクラスメイトだとは思うのだが、確信はない。まあ、どうでもいいのだけど。あたしは、自分の記憶を探るのを早々に放棄して、彼女の横に座った。
 すぐに飲み物の注文を取りに店員がやって来る。あたしは他の女子たちと同様に烏龍茶を頼んだ。
 飲み物はすぐにやって来て、堀君が乾杯の音頭で、親睦会とやらが開始された。
 すぐに正面に座りに来る男子たちや、10の席の女子に頻繁に話しかけられたけど、とりあえず、適当な相槌と笑顔で対応する。内容はほとんど頭に入っていない。やがて、それぞれはそれぞれの会話に夢中になり、あたしに構わなくなった。
 ほっとして、あたしは乾杯の時に口につけたきりの烏龍茶を一口飲んだ。
 幼い頃から一人で過ごしてきて、それに慣れきったあたしには、こういう場は拷問に近い。さっさと帰りたいのだが、始まって十分少々で帰っちゃうと、親睦会に出席したことにならなくなる可能性がある。それだと何のために来たのかわからない。
 せめて一時間くらいはいるべきかな。あたしは、ぼーっとそんなことを考えた。
 不意に、ぞくっとした感覚が背中を走る。
「……!」
 びっくりして、あたしは振り返った。
 目に入ったのはあたしの髪。持ち上げられてる。
「綺麗な髪」
 12の席に座っていた彼女が、そんなことを言いながらあたしの髪を持ち上げていた。
 なに、こいつ?
 あたしは訝しげに彼女を見た。
 彼女はあたしの視線に気づき、髪をもてあそんでいた手を放す。
 ごめんなさい、と全く悪びれていない表情で言いながら、あたしを見た。
「とっても綺麗な髪ね。あたしもロングにしようかしら」
 内心を読ませない微笑。そのくせ、あたしの内心を読もうとしている。
「でも無理ね。あたし、手入れに時間がかかるの苦手だから」
 彼女は一人で解答を導き出しながら、今度は自分の髪を指でもてあそんだ。
「そうなの」
 あたしはとりあえず、頷いておく。
「あたし、前から貴方に興味があったの」
 彼女は、そうくすくすと笑った。
 どういう意味だろうか。まさか同性を愛でる趣味があるようには思えないが、稀にそういう人もいるみたいだから、彼女がそうであることの否定材料はない。だがそれは、どこまでいっても稀だと思うので、その可能性はそのまんま稀であるだろう。
 ということは、言葉通り単純にあたしに興味があったと言うことなのだろうか。
 言葉の意味がよくわからなくて戸惑っているあたしに、彼女はさらに笑みを深めて言う。
「友達になりたい、ということよ」
「友達……?」
「あなたには何か惹かれるものがある。容姿とかそんなものではなくて。似ている気がするのよ、あたしと。だから友達になりたい」
 彼女の目があたしを見つめる。
 澄んだ綺麗な目だ。こんな綺麗な瞳を、あたしは初めて見た気がする。
 しかし、無遠慮に人の心に侵入してくる感じがして、嫌悪感も覚える。
「クラスメイトだし、改めて言われなくても、そういうものだと思うけど」
 そうかしら、と彼女は反論した。
「あなたの態度は、他のクラスの人とも、クラスメイトでも変わらない気がするけど。当たり障りなく、誰にでも笑顔を向けてる。普段はその澄ました顔で、ある一定以上、人を寄せ付けない。誰にでも平等にね」
「何が言いたいのかしら」
「つまり、あなたが、誰とも一定以上の距離を置いているってことね」
「それはあなたの推測でしょ」
「でも、そんなに外れているとも思えない。あなたを見ているとね」
 彼女が微笑した。自分が正解を引いていると、確信している表情だ。
 確かに、彼女の言う通りではある。あたしは、ある一定以上、人に近寄られるのを好まない。
 もっとも、それをこの場で口にすることは出来ないけれど。
 だからといって、どう答えていいかわからない。仕方なくあたしが黙っていると、待つほどもなく彼女が言葉を続けた。
「本当はこんな席に出る気はなかったのだけど、あなたが出席するって聞いてね。これはチャンスだと思ったの」
 あたしだって出たくなかったわ。仕事でなければ、誰がこんな所に来るか。
「そうそう、多分あなたのことだから、まだ覚えていないと思うから、自己紹介しておくわ。あたしは結城暁子。よろしくね」
 なんとも、返答に困る自己紹介である。素直に頷くと、今まで彼女が言ったあたしの人物像を肯定することになる。それは事実なんだけど、それをおおっぴらにするとまた余計な問題が起こり、結局周囲が騒がしくなるので、できれば黙っていたい事柄だった。
 返答に迷っていたあたしを救ったのは、堀君だった。
 突然、視界に現れたかと思うと、彼はあたしと結城さんの間に腰を下ろしたのである。
「やあ、岩沙に結城。ちゃんと飲んでる?」
 彼はちゃんと飲んでいるようで、頬が赤く上気していた。
「それなりかな」
 結城さんが答えた。
 それから二人は会話に入る。会話といっても、機関銃のように堀君が喋り、それを結城さんが適当にあしらっているって感じ。結城さんは、酔っぱらいの扱いにも長けているようだ。
 これ幸いと、あたしは席を立った。
 トイレへと向かい、鏡の前で一息つく。
 このまま帰りたい気分である。腕時計に視線をやると、まだ六時五十分。この親睦会とやらが始まってから、まだ一時間もたっていない。
 まだ駄目だろうなあ。そんなことをあたしは考える。少なくとも、この会が終わるまではいなくてはならないだろう。正味、あと一時間というところか。長い一時間になりそうだ。
 席に戻ると、まだ結城さんと堀君は喋っていた。
 堀君があたしに気づく。
「あ、今、二次会の話してたんだけど、まだ決まってないんだ。岩沙はどこ行きたい?」
 そこまでつきあう義理はない。
「結城は行かないって言うんだぜ。岩沙からも何とか言ってくれよ」
「あたしも、行けないけど」
 ええ、と堀君が情けなさそうな表情になった。
「どうして? 行こうよ、カラオケ」
 二次会先は、まだ決まってないのと違うのか。ま、どうでもいいけれど。
 あたしは、用意していた言葉を口にする。
「門限あるから」
 ほんとはないけど。
「親、厳しいのよ」
 ほんとはいないけど。
「ごめんね」
「そんなあ」
 そういう未練たらしい顔をするような事じゃないだろ。女子は他にもいるし、そいつらは二次会にも行きそうだぞ。あたしは、ちらりと、両脇に男子を従えて、馬鹿笑いしている女のクラスメイト(のはず)を見た。
「じゃ、じゃあさ、ケータイの番号教えてくれよ」
 あたしにすがりつかんばかりに、堀君は迫ってきた。
「ノ、ノリのこともあるしさ。れ、連絡着かないと困るだろ」
 携帯電話の番号ね。あたしは、この前、加藤さんに預けられた携帯電話を思い出した。それは今、一応手提げ鞄の中に入っている。
 しかし、容易に堀君に番号を教えていいものかどうか。あたしは性格的に、人にプライベートのことを知られるのは嫌なので、教えたくはない。
 だから教えなかった。
「あたし、携帯電話、持ってないんだ」
「え、でもあの時、使ってたじゃないか」
「あれは借り物なの。猫の飼い主の。探す時にあたしが持っていないから、貸してくれたのよ。連絡着かないと困るから」
 最後、同じ言葉を使ったのは、反論させないための手段だ。
 実際、堀君は反論できなかった。何か言いたげにもごもごと口を動かしていたが、それだけだった。
「都合のいい日を教えてくれれば、そちらにうかがわせてもらうわ」
 あたしはそう言ったものの、取りに行くのは、加藤さんか飼い主の東さんに任せようと思っていた。
「そ、そうか」
 残念そうに、堀君が答え、観念したように都合のいい日を教えてくれた。明日の日曜日、昼以降なんだそうだ。
「じゃあ、一時くらいに」
 あたしはそう答え、ついでに、ありがとうね、とつけ加える。
「そ、そうか?」
 途端に嬉しそうな顔になった堀君。礼一つで機嫌が戻るなら、安いものだ。
 その後、一次会終了まで、堀君はあたしと結城さんの間から動かず、ひたすら喋り続けていた。
 一次会が終わり、店の前で二次会遠征組と帰宅組と別れ、帰宅組はそのまま解散した。
 途中、あたしの横を歩いていた結城さんが聞いてきた。
「ここに来たの、何かわけありだったのね」
「ちょっとね」
「ノリってペットの名前ね。それを堀君が保護していて、返して欲しければ、この会に出席しろと。そういうことね」
 わかってるなら聞くなと思う。
「そういう理由でもない限り、あんな席にあなたが出席するわけないものね。あなたが来るって、男子たち、ちょっとした騒ぎだったから」
 結城さんが意味ありげな瞳をこっちに向けた。
 そんなに、あたしは人づきあいが悪いと思われているのだろうか。事実だから、仕方のないことだし、否定する気はないが。
「ふふ。まあ、これからよろしくお願いするわね」
 結城さんがあたしを見つめたまま、そう言って微笑する。
 あたしはどう答えたものかわからないまま、こちらこそ、と愛想笑いを返した。結城さんはそれに更に笑みを返してきた。
「それじゃあ、また」
 結城さんが、あたしから離れ、曲がり道を右に折れていった。
 あたしは立ち止まって、一息を着く。
 あの人、いったい何なんだろう。あたしに近づいて、何かいいことでもあるのだろうか。
 変な奴。それがあたしの正直な感想だった。  


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