第二話 ペット探しの条件


 あたしの平日の勤務時間は短い。
 学校があるから、始まる時間が遅いのだ。
 午後四時から。で、だいたい午後六時か七時には帰してくれる。
 もっとも、終業時間の方は決まっているわけじゃなくて、加藤さんの独断だ。
 土日祝日は、朝十時から。こっちはそれなりに長い時間だ。
 時給は千円。待遇はよすぎ。
 たまにいいのかなと思うこともあるけど、時給を下げてくれとかいう優等生発言をする気はない。一条さんも加藤さんも何も言わないので、それでいいのだろう。
 肩書きは調査員。
 といっても、実際に調査活動をやったことはない。だいたい、平日なんか夕方の二・三時間しか活動できないのだ。何の調査も出来るはずがない。そもそも素人だし。
 実際にやっているのは調査報告書の作成とか、新聞記事に載っている事件のリストアップとかそんなところ。あとは、加藤のおっさんへのお茶くみか。
 今日もそんな仕事をぼちぼちとやっていた。
 仕事のほとんどはパソコンに打ち込む作業になる。そのせいか、キー打ちには慣れた。キーボードを見ないでも打てるようになった。いい感じで仕事が進む。
 結局のところ、あたしは何かやっている方が安心する。その意味では、ここにいることは、とっても安心できる。マンションにいるときよりもだ。
「岩沙君、お茶」
 ただし、これは別。
 いい加減にしろ。たった二時間の間に、お茶くみに何回立たせる。
「はい。ちょっとお待ち下さいね」
 あたしは給湯室に向かった。
 加藤さんがお茶と言った場合、たいていはコーヒーを要求している。でも本当にお茶を要求していることがあるので、その辺は注意が必要なところだ。
 いちいちどっちか言ってくれと思うけど、そんなことを口にするあたしではない。
 コーヒーかお茶かの聞き分け方は、加藤さんの態度でだいたいわかる。
 何かやっているときはコーヒー。こっちの方が圧倒的に多い。
 ぼーっとして、窓とか眺めているようならお茶だ。
 ちなみに、電話しているときはお茶、ぼーっとしていても煙草を吹かしているときはコーヒーとか、天気によっては紅茶とか、いろいろなバリエーションがある。ちょっと、ややこしい。
 今は、調査書を読んでいるのでコーヒーだ。
 コーヒーは、コーヒーメーカーに作り置きがしてある。あたしが作ったものだけど。
 このコーヒーは加藤さん専用だ。とっても濃いのだ。あたしにはとても飲めた代物じゃない。こんなの飲んで、胃を壊したくない。
「ここに置いておきますね」
 あたしはコーヒーを、加藤さんの机に置いた。
 雑然としている加藤さんの机には、灰皿とカップの置くスペースだけはきっちりとってある。
「ああ、さんきゅ」
 加藤さんは調査書を眺めながら手を伸ばし、カップを取る。置く場所が一定なので、見ずにとれるというわけ。
「あいかわらず、岩沙君の淹れるコーヒーは美味いな」
 一口啜り、そんなことを言う。
 嘘つけ。そんなもの、コーヒーメーカーがあれば誰だって作れるわ。
 そう思うものの。
「ありがとうございます」
 あたしは、にっこりと嬉しそうな顔を作った。
 調査書から視線を外してその顔を見た加藤さんは、思い出したように尋ねてきた。
「そうそう、この後、少し空いてる?」
「なにかあるのですか?」
「ん、ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど」
「構いませんけど」
「ああ、助かる」
「何を手伝えばいいのですか?」
「ちょっと仕事の依頼が重なっちゃってさ」
 加藤さんが苦笑する。
「人手が足りなくてさ。簡単な依頼を手伝ってもらおうかなと」
「依頼、ですか」
 あたしは、三度瞬きをした。
「あたし、調査活動なんてやったことないですけど。それでも構わないんですか?」
「大丈夫だよ。簡単なやつだから」
 そう言って、加藤さんは今まで眺めていた調査書をあたしに渡した。
 あたしはそれにざっと目を通す。
 調査書は一枚で、猫の写真と名前、その身体特徴、依頼者の名前、住所などが書いてあった。
「この猫を探せということですか?」
 そういうこと、と加藤さんは頷いて、吸っていた煙草を揉み消した。
「今までの調査で、高平辺りで見かけた人が多いことがわかってる」
「高平というと……」
「そ。岩沙君の通う高校のある所だね。その辺ならよく知ってると思うし、うろつき回っても迷子にはならないだろ」
 迷子にはならないと思うけど、見つからないとも思うぞ。あたしは素人だし。
「暗くなるまででいいから、お願いするよ」
「一応、やってみますけど。期待されても困りますよ」
「いやいや、期待してるよ」
 加藤さんは、にやりと笑って新しい煙草に火をつけた。
 嫌な奴。あたしはそう思いながら、自分の席に戻った。パソコンの電源を落としてから、鞄を持って立ち上がる。
「岩沙君、ケータイ持ってたっけ?」
「持ってませんけど」
 あれは、あたしには必要ないものだ。
「これ、持っといて」
 加藤さんが引き出しから、携帯電話を取り出してあたしに放る。
 白い携帯電話だ。よくはわからないが、いろいろ機能がついている最新式のやつじゃなかろうか。使いこなせる自信はない。多分、電話以外に使うことはないだろう。
「それ、ずっと持ってていいから。事務所と私の携帯と、その二つは登録してあるから、何かあったら連絡してくれ」
「わかりました」
 あたしは携帯電話を鞄になおして、事務所を後にした。

 高平というところは、自治会が置かれる小さな区域名のことで、それほど広くない。あたしの通う済陽学園もこの区域にあるから、それなりに知っている土地だ。
 この辺りで見かけたというのだから、もしかしたら誰かに飼われているのかもしれない。そう考えながら、とりあえずうろうろと歩いてみた。
 調査書によれば、目的の猫は雑種らしい。オスの四歳。去勢済。白っぽい猫だ。
 名前はシロ。そのまんまの名前だ。飼い主のセンスがいいのか悪いのか。まあ、四年もその名前を言い続けていたなら、愛着もわいているだろうけど。
 依頼人である飼い主は東阿美さん。三十五才。主婦。結構美人、……ってそんなこと、ペット探しに必要あるのか。まったく、あのおっさんは。
 シロの大好物は、生のサンマ。季節ものか。一年に数回だろうな、食べられるの。どちらにしろ、なかなか売っているものでもないし、何より他の猫にとっても大好物だろう。それでおびき寄せるのは、やめた方がいい気がする。
 歩いてみると、結構猫を見かけた。案外、いるもんだ。
 ただ、シロは見つからない。似たような猫も見かけたが、どうも違うみたい。
 そう簡単に見つからないか。あたしは軽く溜息をついた。簡単に見つかるぐらいなら、最初に聞き込んでいる加藤さんに見つかっているはずだもんね。あのおっさんは、あれでもプロだから。
 周囲はいつの間にか暗くなっていた。
 春のこの時期は、陽は長いが、落ち始めると早い。さっきまでは明るかったのに、もう近くのものを見るのにも苦労をする暗さだ。
 そろそろいいかな、と考えていると、携帯電話がなった。
 ディスプレイ表示は加藤一郎。加藤さんだ。携帯電話からかけてきているらしい。
「もしもし」
『ああ、加藤だけど。どう、見つかった?』
「まだですね」
『そうか。ま、そんなもんだろ。ああ、今日はこの辺でいいよ』
「そうですか」
『いちいち帰ってくるのめんどうだろ。事務所に帰ってこなくていいから、そのまま帰っていいよ』
「わかりました」
『じゃ、気をつけて』
「はい。それでは」
 電話を切って、一息つく。
 ここにいる理由もなくなったので、帰ろうとすると、後ろから声がかかった。
「岩沙じゃないか?」
 男の声だ。聞き覚えはない。
 振り向くと、男が手を上げてこっちに足早に歩いてきた。
 同世代くらいの男だ。長身で髪を茶色に染めている。一般的に言うところの整った顔立ちなのだろう。世間でよく見る顔だ。よって、その人個人に見覚えはない。
「ああ、やっぱり岩沙だ。どうしたんだ、こんな所で?」
 向こうはあたしを知っているらしい。それもずいぶん親しげ。なんか気持ち悪い。
 あたしが答えずにいると、その男は怪訝そうな顔をする。
「ええと、オレ、知らない?」
 自分を指差して聞いてきた。
 あたしは頷く。
「同じクラスの堀だけど」
「堀……君?」
 あたしはクラスメイトの顔と名前をほとんど覚えていなかった。覚えているのは、一年の時同じクラスだった数人くらい。他は全滅に近い。
 新学年が始まってまだ四日目だから仕方がない。まだそういう言い訳が通用する時期だけど、あたしの場合は違う。いつまた転校することになるかもしれないのだ。覚えても無駄なので、覚える気があまりなかったというのが正直なところ。
「岩沙の前の席にいるんだけど。いつも挨拶交わしているじゃん」
 男の声がちょっと不安そうになる。
 あたしは少し記憶を手繰った。
 挨拶されたら、挨拶を返すのは普通だと思う。そんなことで、いちいち相手が誰かを見ているわけがない。
 しかし、前の席と言われると、ちょっとずつ思い出すものがある。
 前の席の人も背が高くて茶髪だった。いつも話しかけてきてうざったい。そいつの名前が確か堀とか言ったような気がする。
「ああ、堀君ね」
「思い出した?」
 堀君の顔が輝いた。嬉しそうに笑う。
「ごめんなさい。でも、制服じゃないと、ずいぶん印象が違うものね」
 適当な言い訳と作った笑顔で、その場を見繕う。
「ああ、なるほどね。オレ、私服姿だと、男前度が三割り増しになるから」
 馬鹿じゃないの。
「で、何かご用?」
「ああ、いや、腹減ったんでコンビニに行こうと思ったら、岩沙を見かけたからさ。こんな所でどうしたんだろうと思って。確か、岩沙の家って珠江の方だろ」
 なんでそんなこと知ってるんだ。あたしはそう訝しく思ったが、勿論、口にも表情にも出さない。
「ちょっと用事があってね」
「用事? 何の用事?」
 そんなこと、お前には関係ないだろ。
 そう思ったが、少し思い直す。この辺りのコンビニに向かって歩いていたということは、堀君はこの辺りの人ってことだ。もしかしたらシロを見かけたことがあるかもしれない。
「この猫を見かけたことがある?」
 あたしはシロの写真を見せた。
 んん、と堀君が写真を覗き込みながら身体を寄せてくるので、あたしはさっさと写真を渡してそれ以上近づいてくるのを封じた。
 堀君はちょっと残念そうな表情を見せたが、すぐに写真に集中した。
「ちょっと見づらいな」
 そう呟いて、彼は街灯の下に入った。
「ああ、こいつ、ノリじゃん!」
「知ってるの?」
「知ってるも何も、ウチで飼ってる猫だぜ、こいつ」
 マジかい。
「こいつがどうかしたのか?」
「飼ってるって、前からなの?」
「一週間くらい前からかな。妹が見つけてきてさ」
「そうなの」
「岩沙の飼い猫だったのか?」
「あたしの飼い猫じゃないんだけど」
 そう言って、あたしは堀君に少し説明をした。
「他の人の飼い猫で、シロっていう名前なんだけど、ちょっと前にいなくなったから、あたしが代わりに探しているのよ」
 ふうん、と堀君が頷く。
「ノリって誰かの飼い猫だったんだ」
「ええ」
「まあ、妙に人懐っこい奴だったからな。人を怖がっていないというか、いきなりオレにも慣れたしな。そう言われてみれば飼い猫だよな。警戒心がなかったもんな。で、ノリを返して欲しいというわけだな?」
「基本的にはそういうことになると思うんだけど。返す返さないは、飼い主との話し合いになるのかな」
 その辺のことはよくわからない。
「返してもいいけど、条件があるな」
 堀君がにやりと笑った。何かをたくらんでいる笑い方だ。
「条件って?」
「今週の土曜、あいてる?」
「……は?」
 あたしは訝しげに聞き返す。
「いや、今度の土曜日にさ、同じクラスの何人かと親睦会をするんだ。それに来て欲しいんだけどさ」
「あたしが?」
「そう。女の子も結構来るから、安心しろよ」
 堀君が、そう言って笑った。
 あたしは彼から視線だけ外して、軽く一息く。
 猫を返して欲しければ合コンに参加しろと、この量産型高校生男子は言ったわけだ。
 なんであたしが、と思う。
 あたしにとっては、その猫を見つけるまでが加藤さんから言われた仕事だ。シロだかノリだかわかんないけど、その猫を返す返さないはあたしの知ったことじゃない。
 視線を戻した。
「あたしも頼まれただけだから。飼い主の方が、シロが堀君の家で幸せに暮らしているのだったら別に構わない、とおっしゃるかもしれないけれど」
「ふうん。そうかもしれないね」
 堀君は余裕の笑みを浮かべている。返して欲しいと言うのがわかっている顔だ。
 だいたい、手元に戻したいから探すものだ。いらないなら探さない。あたしもそう思うだけに、その余裕の笑顔がとてもむかついた。
「聞いてみるから、ちょっと待ってて」
 あたしは声が聞かれないように堀君からちょっと離れて、携帯電話を取り出した。
 まず事務所にかける。
 出たのは留守番電話。機械的なアナウンスを聞くのを途中でやめて、かけ直す。
 今度は加藤さんの携帯電話へ。
 コール五回で出た。
『はいはい』
「岩沙です」
『うん。何か用? もしかして道に迷った?』
 迷うわけねえよ。
「いえ。猫探しの件なんですけど」
『うん。見つかったの?』
「はい」
『早いね。さすが岩沙君だ』
 何がさすがなんだか。
「それで、ちょっと問題がありまして」
 あたしはちらりと堀君の方に視線をやってから、経緯を説明した。
 そうか、と加藤さんが内心をうかがわせないような返答を返す。その後、気楽な声に変わった。
『そいつは話が早い。行けば』
 一瞬、言葉に詰まる。
「あたしが、ですか?」
『君をご指名なんだろ』
「それはそうなんですけど」
『君がその親睦会に行けば、シロを返してくれるんだろ。何も問題はないじゃないか』
 おおありだ。
「依頼者との話し合いで何とかならないんですか?」
 あたしを巻き込むなという思いを言外に込めた。
 それを感じていないのか、加藤さんの気楽な声は続く。
『何とかなるかもしれないけど、そっちで何とかできるのなら何とかしてよ。でないと調査料が減るから』
「と言いますと?」
『つまり、飼い主である東さんの手元にシロを戻すところまでが依頼なんだ。居場所がわかっただけでは依頼を果たしていないということになる』
 わかった? と加藤さんが聞いてくる。
「わかりました……けど」
『行きたくはなさそうだね』
「そうですね。苦手なんですよ、そういうの」
『ま、わからんでもないけどね。君の場合、そういう集まりを好む性格はしてなさそうだから』
「ええ」
『でもまあ、仕事だから。我慢して行ってくれ。バイト料ははずむよ』
 あたしは盛大に溜息をついた。
「……仕方ないですね」
『そういうこと。行ったら行ったでいいことあるかもしれないじゃないか。意中の彼が出席してて、言い寄られるとか』
 そんな奴いるか。
 あたしは加藤さんの冗談を聞き流して、電話を切った。          


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