「だから、大丈夫だって言うのに!」 駅前の、ごった返す交差点前。 携帯電話に向かって大声を張り上げた少年に、行き交う人々はちらりと視線を走らせたが誰も気にして足を止めたりはしない。 時折、おや可愛い子だなとしげしげ見ていく大人達や少女達の視線が、やや長く彼の上にとどまっていたりもしたのだがそれも僅かな時間のことだ。次の瞬間には皆が皆、それぞれの目的の為に急ぎ足になる。 まれに、その「目的」がまさしく彼のような愛くるしい少年少女にあるような人間からは、あきらかに色めいた視線をよこされていたのだが、当の少年はそんなことよりも目の前の歩行者信号のほうが大事のようだ。 「もう信号変わるから。――もお、それ考えすぎだよ、不二まで大石とおんなじこと言うなよ。え? や、もう、すぐ帰るんだから、平気だよ。……あ、信号変わったから、行くよ俺。じゃね」 慌てて携帯を切ると、横断歩道へと向かう人混みの中を少年は駆け出した。駅前の、こういう賑やかな場所にはよく出没しがちな男達が、不埒な目的のためにあとを追わなければと思う間もないくらい、素早い身のこなしだった。 やってきたのは、陽が暮れてなお――いや陽が落ちてからこそがそのにぎわいの本領を発揮する、様々な飲食店や娯楽の店、秋の新作が誇らしげに並べられたブランドショップやらのメインストリートから、少し離れた場所。 立派な、きらきらと輝く豪勢なシャンデリアが出迎えるマンションのエントランスだった。 ふらりと立ち寄るにはあまりにも豪華で格式高く、いくら来客専用のエントランスとは言え、普通の者なら気圧されるだろう。 勿論少年も、一歩入ったところで固まってしまった。 「――いらっしゃいませ」 エントランスにはホテルのフロントを思わせるようなカウンターが備え付けられていて、上品な物腰ながら隙のない様子の男が、来訪者を迎えた。 一瞬、自分がどこか場違いなホテルにでも足を踏みいれてしまったかと首を竦めた少年だったが、おずおずとその男に近づく。 その場慣れしていない様子を見て、男は微かに微笑んだ。 「どちら様かをお訪ねですか?」 「あ、あ、あの……」 思い切って口を開いたところに、けたたましいメロディが響き渡る。こんな豪華な場所には全く不似合いな、いかにも安っぽい流行歌の着メロ。自分の胸ポケットの携帯電話が源だと知った少年は、二つ折のそれを慌てて開くとマナーモードを力一杯押し、あたふたと元通り胸にしまい込んだ。 わきまえもなしに話し出したりしないあたりが、「イマドキの子」にしては可愛いものだと、男は少しこの少年に好感を抱いた。 無粋な携帯に邪魔されたが、少年は改めて緊張しなおしたようだった。顔を赤くして、小さく自分の名前と目的の人間の名を告げる。 「ああ」 男はにっこりと笑った。 「はい、菊丸様。――確かに榊様から御伝言を伺っております。45階の35号室へおこしくださいとのことです。エレベータの場所はこちらになりますので、どうぞ」 携帯電話を取るやいなや、不二周助の切羽詰まった声が彼の耳に聞こえてきた。 時間は、午後7時を少し回ったところだ。 『ちょっと手塚! 聞きたいことあるんだけど!!』 手塚国光が思わず受話器を耳から離すほどの甲高い声であった。冷静というよりはつかみどころなく、穏やかと言うよりどこか静かに不穏な物言いの不二周助の、それほど焦った声を聞くのは珍しい。 「――久しぶりだな、不二」 『ああ、ほんとに久しぶり元気そうでなにより。と、言うわけで手塚、君、大石の電話番号控えてる?』 「いきなり、なんだ」 手塚国光は少々困ってそう尋ねた。 遠く九州に離れた彼のところに、久しぶりに電話をかけてきたチームメイトの第一声がそれならば、手塚の困惑も当然というものだろう。 「大石の自宅か? 携帯のほうか? どっちもお前は知っているはずじゃなかったか」 『ああごめん。説明が足りなかった。大石の叔父さんち。君の腕を見てもらってた先生の家』 「家……ああ、確かに、相談があるならかけろと言ってくださって聞いた覚えがあるな。少し待ってくれれば探せるが」 『探して。今すぐ!』 不二の声は容赦ない。 「いったい何なんだ」 『大石ってば、家にいないんだ。乾に聞いたら叔父さんの家に家族で行くようなことを聞いたらしいけど、僕、彼の叔父さんちの電話番号知らないんだ。病院の名前から調べようとしてたら時間かかるし、きみならもしやと思って――とにかく早く! 早く探してよ!!』 「……わかった」 不二がこれだけあわてていて、大石絡みで、とくれば、だいたいの見当がつく。 やれやれと肩を竦めたい気にならないでもなかったが、それでも不二のあわてぶりは尋常ではない。 几帳面な手塚のことで、すぐにアドレス帳も目当ての番号も探しだせた。 不二にそれを告げるついでに、菊丸になにかあったか、と聞いてみる。 『なにもないことを祈ってるんだけどね、僕は』 「――なに?」 『こればかりは僕の考えすぎだといいのに。……ありがと手塚、また落ち着いたら事の次第は話すから』 「あ」 じゃね、と言う言葉の途中で、不二からの電話はとぎれてしまった。 手塚は少し困ったように呟く。 「お前は元気かと尋ねるくらいは、させてくれてもよかろうに……」 さて、一方。 言われるままその豪奢なマンションの45階へ、実に静かで綺麗なエレベータでやってきた英二は、なにもかもがほとんど初めて見る立派な造りに、大きな目をぱちぱちさせっぱなしだった。さいわい他の住人の誰とも出会わなかったせいで、興味深げにきょろきょろと見回していても誰にも不審がられることもなかった。 磨き抜かれた床をそろそろ踏みしめて、「45階の35号室」にたどり着いたとき、英二はそのドアから数人の男達がぞろぞろと出てくるのを見た。 3人とも揃いの、レストランの給仕のような黒服を着ていて、部屋の前でぽかんと立っている英二を見つけると、少しほほえみかけていった。 「ちょうどいい時間だね、いらっしゃい」 なんとなく彼らを見送っていた英二にそう声をかけたのは、「45階の35号室」の主である。綺麗なデザインシャツと濃い色のスラックスで、その格好はとてもよく似合っていたが普段家でする姿でもないように思う。 「あ、あの……コンバンハ」 「わざわざすまなかったね。そんなところにいないで、こっちへおいで」 「あ、はい」 言われるまま、ドアのところまでとことことやってきた英二だったが、さすがにそこで足を止める。 重厚なドアの向こうに立派な大理石造りの玄関が見える。中もさぞ立派なのだろう。 ちらりと興味がわいたが、ここでずかずかと上がり込むほど英二も無遠慮ではない。まして親しい友人ならともかく他校の教師の家なのだ。 ここで目的のものを受け取ろう、と決めた英二を、しかし男はさらに手招きした。 「何をしているんだい。あがっておいで」 「――え、でも」 「私が返しにいけばいいものを、わざわざ君に来てもらっているんだからね。そのまま帰しては申し訳ないよ」 「いや、いいです、そんな。携帯拾ってもらっただけでも」 嬉しいし、と言いかけた英二の鼻をとても良い匂いがくすぐった。 こんがり焼かれた肉の匂いだ。 途端に健康な14才の少年の身体は正直に反応して、空っぽの胃を抗議するかのようにぐぐう、と音を立てた。 「――うわっ……!」 「ほら、学校から直接来てくれると言う話だったし」 あわてて腹を押さえた英二をくすくす笑いながら、いかにも人よさげに榊は言った。 「部活の後でおなかもすいているんじゃないかと思ってね。食事を用意していたんだが」 「いや、いいですそんな」 「君達ぐらいの子が遠慮するものじゃないよ」 「でも、ほんとに俺」 おおうそつき、と言いたげに、英二の腹がまた音を立てた。 くっくっく、と榊は向こうをむいてしばらく肩を震わせていたが、やがて自ら玄関におり、英二の肩を軽く引き寄せてドアの内側へと招き入れてしまった。 顔を赤くした英二は何か言おうとしたが、背中の方でぱたんとドアが閉じてしまってますます困り果てる。 携帯をもらったらすぐ帰る、と不二に言ったものの。 こんなことを知られたら「だから英二は危機感がない」とさぞ怒られるだろう。 しかし目の前で、手ずからスリッパを英二の為にそろえてくれ、家にちゃんと電話を入れるように言ってくれ、なんならその電話に出て状況の説明をしよう、と申し出てくれるほど丁寧な教師の、何を疑えと言うのだろう。 なにより先ほどから鼻をくすぐり、空っぽの胃をちくちくつつくこの食事の匂いがたまらない。申し訳ないので食事は遠慮します、と英二は言葉だけでも最後の抵抗を試みたが、それはそれは情けない、いかにも本心は別にあるような棒読みの声だった。 もちろん榊は、英二のほほえましい嘘に騙されたりはしないで、きちんと家に連絡をいれるように再度笑って促しただけだった。 己を押し殺し、獣を押し隠し、ひたすら手の内で大事にしているものを、今この自分が顎にくわえていることを知ったら、彼はどんな顔をするだろう。 このまま獲物を草むらに放り込み、人知れず喰らうことも出来る状態なのだと、彼が知ったらどうするだろう。 それを想像するだけで、榊は声を立てて笑ってしまいそうだ。 もちろん、かつて跡部景吾の言ったとおり、厳密に言えば、榊の気難しい好みからは菊丸英二は遠い。 仔猫のような愛くるしさは認めるが、寝室に引き入れるには少々こころが幼い。 彼にとってみれば、大石秀一郎こそ別格の逸品であるのだ。 春先、薄紅にひらいて万人に愛でられる柔らかな花より、厳冬のさなか人知れず輝く樹氷のほうに、男は興味を引かれる。 美しい彼。 綺麗な銀の刃物のような。 男は低く嗤う。 彼の裸の背を撫でるときのそれと同じ、シニカルな笑みをたたえる。 責任感の強い優等生になろうとし、真面目で優しい少年であろうとし、家族思いでよい友人に恵まれて、絵に描いたような明るい人生を歩む彼。 己でも、そう思いこむことに成功しはじめていた彼。己の本性を、己でさえ忘れはじめていた彼。 ――私が、君の本性を暴いたのではないからね。 冷たく、あくどく、計算高く。 己や他人の評価を思うままにあやつり、己の手を汚さず、他人を切り捨てることに躊躇もなく、影に徹しつつその手管は大の大人顔負けだ。 美しい彼。 綺麗な銀の刃物のような、氷の花のような。 身の内に氷を孕むような、その本性。 肌の奥に隠された彼の魔性を愛でたのは確かに自分だが、呼び起こしたのは、違う人間だ。 彼の心を。 眠り続けるはずだった、綺麗な銀のけだものの尾を。 ――それをうかうかと踏みつけていったのは、私ではないからね。 「……先生?」 「ああ、いや。失礼したね」 少し自分の考えに沈みかけていたらしい。 にこにこと、必要以上に優しい声を出して榊は少年を振り返った。大石秀一郎ならば気持ちの悪いと唾でも吐き捨てるようなその猫なで声に、英二はころりと騙されていた。 部屋は大きく、ちりひとつなく、確かに豪華で綺麗だったが、生活感というものがない。ホテルのスイートのようだとも思ったが、人が暮らす家にしてはあまりによそよそしい。 英二の家にあるような、なにかしら目に付く洗濯物や買い物の袋、捨て損ねたゴミなどは、まるで別世界のことに思えてくる。 「榊先生、独身なんですか?」 豪華すぎる部屋に内心度肝を抜かれつつ、英二はそんな質問を投げかけた。 「ひとり身だよ。だからこんなところで好きなことをしていられるのだがね」 「先生ぐらいかっこいいと、すぐにお嫁さん来そうなのに」 無邪気な感想に榊は、これは本心から笑った。 英二の家の3倍くらいはありそうなダイニングルームには、楕円形の大きなテーブルが置かれている。展望を食事の肴にと言う趣向だろうか、壁の一面は全てガラス張りで、遠くのビル街の夜景が美しく眺められた。椅子は6脚あったが、この場所でそれだけの人数が揃うようなことはないのだろう。 本当に晩餐のためだけのテーブルなのだ。銀のカトラリーや金の縁取りの飾り皿が並ぶためだけの。 だれのが多いの少ないのとわあわあ騒ぎながらおかずを盛りつけしたり、兄姉たちとおむすびをつくったり、そのうちのいくつかを口に放り込んで姉から耳を引っ張られたり、忙しい毎朝、自分たちのお弁当がずらりと五つ並んだり。 そういうことのない、場所なのだ。 そこで英二はさっきから自分の胃をつついていた「いい匂い」と相対することになる。 「わあ……」 さすがの英二も、そう声を漏らさずにいられなかった。 大きな、こんがりと焼き目のついたローストチキンを真ん中に、綺麗なピンク色のスモークサーモンや諸々の魚介とチコリのサラダ、チーズを乗せたカナッペの皿がずらりと並べられているのだ。カゴに盛られたロールパンの他に、こういう照明にはこれ以上はないくらいきらきらと光り輝く足の高いグラスが大小揃えられている。 ご丁寧にサービングワゴンがテーブルに横付けされていて、どうやらそれにはとりどりのデザートが銀の取り皿と共に乗せられているらしかった。 テーブルには食器が差し向かいに二人分用意されていて、飾り絵皿を中心にずらりとナイフとフォークが並べられている。形は様々、大きさも様々であったがどれを何に使うのやら英二には判るはずもない。 「テーブルマナー」と言う、普段まったく縁のない言葉がちかちかと、英二の頭の中に不吉に赤く瞬き始めた頃、榊がまるで見計らったように言った。 「別に作法を固く気にするようなことはないからね、菊丸君」 「――あ……」 「ここのレストランはとても美味しくてね。来てくれた御礼に君を連れて行ってあげたかったのだが、君が気を遣って美味しく食べられないのだったら、それもつまらないことだからね。ケータリングを頼んだんだよ」 「そ、そうですか」 なるほど、自分がここに来たとき出会った黒服の人は、と英二は思い当たった。 しかし単に友人の携帯電話を取りに来ただけの自分が、ここまでしてもらういわれはない。二人分にしては少々多すぎる量と豪華さに、空腹に苛まれつつ「いいのだろうか」と英二は思い始めた。 このままここで食事をすることをちょっと躊躇するような気持ちが生まれたのも無理からぬことだ。不二ではないが、何か別の目的が在るのだろうかと勘ぐり始めた英二を知ってか知らずか、榊は飄々とこんなふうに言った。 「いや、驚いたならすまないね。ここしばらく誰かと家で食事をとることなどなかったものだから、つい嬉しくて」 「あ……」 「ちょっと浮かれすぎたかな」 「あの、いつもひとりなんですか?」 「まあ独身だからね。両親は地方だし、兄弟はたいてい海外に行ってしまっているし。教師の仕事は案外忙しいものだから、これといっていい出会いもないしね」 青学男子テニス部部長代理と氷帝男子テニス部部長が聞いたら、目を剥いてあきれそうなことを、榊はいかにももっともらしく言った。 「君ぐらいの子と、そうだな、いろいろ話をしてみたいこともあってね。うまくすれば今日は久しぶりに楽しい夕食になるんじゃないかと期待してしまってついつい――いけないな、先走りすぎて。君には迷惑だったね」 「そ、そんなことないです!」 昔から両親が忙しく、子供の頃はひとりで食事、ということも珍しくなかった英二は、その寂しさをよく知っている。 榊がそれを承知していたかどうかはわからないが、彼は実に巧妙に英二の警戒心を解くことに成功していたのだ。 「あの、でも俺ほんとに、こーゆーので食べたことなくて」 「気にしなくていいと言ったろう」 英二を手招き、椅子を引いて座らせる。 榊がずいぶんエスコートに慣れている、と考え至るヒマもない。 目の前にずらりと並んだ料理はどれもこれも美味しそうで、さらに音を立てる自分の胃を、英二は思わずどんと殴った。 「何度も言うようだが、テーブルマナーとやらを気にすることはないからね。第一私だってサービングは初挑戦だ。さてうまくいくかどうか」 おどけたようにサーバ用の大ぶりのスプーンとフォークをかちかち言わせながら、榊は笑った。 「君の方に肉の塊が飛んでいくかもしれないね。そのつもりで皿を持って待機していてくれ」 そう言われて初めて英二も肩の力が抜け、警戒を解いた幼子のようにようやくにっこりと笑った。大石秀一郎を虜にしてやまぬ、その笑顔で。 それは腹になにごとか企む手練れの男をも、一瞬魅了した。 綺麗な照明に、銀のサーバスプーンとフォークがひらめく。初めてだという割に、榊は案がい器用に英二の皿に料理を取り分けてくれた。 豪華な空間に圧倒されつづけ、磨かれたカトラリーのきらきらと輝く様子はさらに英二を、どこかぼんやりした夢心地にさせていく。 男は会話には非常にたくみであった。英二は気が付くといつのまにか榊の誘導にのって、学校生活のこと、勿論テニスのこと、友人のこと、大家族のことや、優しいが厳しい長兄と母代わりの長姉、いつもケンカばかりの次兄、最近恋人が出来たらしい次姉のことなどを、とても楽しく喋っていた。 いったいよその、これまであの僅かな機会でしか顔を合わせたことのない教職者とどうやって食事の間会話をつなぎ合わせていったものだろう、と悩んでいたことなど、そのころにはきれいに忘れていた。 食事はむろん美味であった。榊が危ない危ないとおどけながらいろいろと料理を取り分けてくれ、英二がやりたがると快くその役割を譲ってくれ、綺麗に肉を切り分ける英二の腕前に素直に感嘆してくれた。 場を盛り上げ、もてなすホスト役としては、榊は最適な人物だったのだろう。彼の真意がどうあれ、英二はすっかり気を許し、問われなくてもあれこれと喋り、よく食べた。 料理と皿が行き交い、そのどさくさに紛れて確かに榊の手元にあったグラスが少しずつ英二の方へ移動してきていた。冷えた白ワインがなみなみ注がれたそれを、おしゃべりに夢中で手元など見ていない英二は水と間違えて手に取る。 榊は気づかなかったのか、彼が口元へ飲み慣れぬ酒を運ぶそのときも、顔色ひとつ変えなかった。 あるいは、気づいていて止めなかったのかも知れない。 どのみち英二はせんから、きらきらと輝くガラスの美しさに、すっかり視覚からも酔ったような、非常に心地よい感覚にとらわれていた。 普通に家の中で使われる照明とどう違うのか、どういう具合なのか、そういう繊細なカットグラスなどが一番綺麗に光を弾く照明。ちかちか、ちかちかとまたたく銀色、金色、クリスタル。 美しい光の奔流のなか、見たことのないような綺麗な飾り付けをされた食事を好きに食べて、楽しい楽しい会話に夢中になる。そのこころよさの最中に口にした飲みものは少し甘く――その甘さも味わったことの無いようなたぐいのもので、英二は、おや、と手元のグラスを見つめた。 甘く、深く、とてもゆたかな香りがする。 そういえばまったく透明な水、というよりは、少し色づいているような…そんな感じがする。喉の渇きを癒すためにひと息に飲んでしまったので、そのグラスの底に少しばかり残っている液体を、彼は不思議そうに見つめる。 ――おやいけないな。間違えて飲んでしまったんだね 声がする。 遠い遠いところで、あだな男の声が。 ――少しお休み。さあ、水を飲んで ふらりとした身体を抱き寄せられ、唇に冷たいグラスが押し当てられた。くらくらする感覚は、その中の水を飲み干すことでだいぶ収まったが、急激に眠気がやってきた。 自分の身体がふわりと抱き上げられたらしい、と思ったのだが。 それが最後の意識だった。 |
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