日暮れて間もなく、空には闇を待ちこがれた星々がちらちら顔を出し始める。
 乾きの大地、死の黄海、果てない白き熱地獄――さまざまに不吉の異名を持ち、そこで生きるごく僅かな人々や動物たちの、日々の必死の営みをも嘲笑うような熱砂の大地は、最低限生きる為にも足りぬ糧しか生み出さぬ。生み出すよりも、奪う方が多いのかも知れない。
 それほど過酷な――人間にとってはひからびた貧困、あるいは乾きと餓えによる死だけが在るようなその水無き死の王国にも、ひとしく夜は訪れる。
 遮るもののない天空に星々がちりばめられているようすは、月並みではあるがまさしく宝石を闇に惜しみなくばらまいたようであった。
 ひとつひとつが小さな炎を灯してちかちかと美しく輝いているようであり、それを眺め上げているとここが死の砂漠であることもしばし忘れられるような気さえする。
 まこと星の輝きだけは、どの場所どの国どの人々にもひとしく与えられるものだ。
 誰の手にも届かぬ。
 けれど、見上げるもの全てに降り注ぐ天の宝石。


「本物の宝石ならかき集めて売ればいいのだがね。ずいぶん暮らし向きが楽になるが、眺めているだけのものなら、役にも立ちゃしない」
 身も蓋も、ロマンのかけらもない一言で、感傷的な気分を台無しにしてくれた若い長に、"彼"は冷たい視線をよこした。
「つまんない男だねえ、君は」
「星で腹がふくれるのならこんなことはいいやしないよ」
「皆が楽しんでいるときにそういうことは思ってても言うもんじゃないんじゃないの」
 "彼"の手首につけられたブレスレットがしゃらりと涼やかに美しく鳴った。
「誰にも聞こえてないよ、大丈夫」
「そう言う問題でもないよ」
「まあ俺の発言はともかくも、もうすぐ君たちの出番じゃないのかな。ああ、ほら、手塚と大石がやきもきして待ってるよ。あんまり待たせると、あらぬ事で俺が疑われてしまう。……なあ、ところで、不二」
「なに」
「本当にそんな素晴らしい格好で、皆の前に出るつもりだとは思わなかった」
 肩を竦めた"彼"――不二は、それには答えず手を振ってみせた。
 紅色の薄く透けた繻子を、二の腕に直接巻き付け、手首の処の細い腕輪にからめて余った長い部分をひらひらとさせている。今は大人しく少年の身体の傍らに垂れ下がっているそのごく薄い布が、舞となったら劇的な効果を生むのだろう。
 胸元から腰回りまではしっかりした厚手の布を巻き付けることで隠していたが、しかし布の色合いが肌に近いものであったので、一見すると身体のいちばん上に巻き付いているごく薄い布だけの、実にきわどい格好に見える。
 不思議な花びらのような、それも微妙に見えるような見えないような、ことさら男達を刺激してやまないような材質の布だ。
「手塚と大石が見たら喜ぶのか卒倒するのか――やれやれ、気付けの薬はあったかな」
「何を馬鹿な事言ってるの」
 腰のあたりに巻き付けた布の間に赤い宝石のついた短剣を押し込んでいると、奥から可愛らしい声がする。
「ふーじー、ごめん、後ろ、結んで〜」
「はいはい」
 薄布をひらひらとさせながら、不二は奥の、あまり広くないもう一間の方へとひっこんだ。その後ろ姿を我知らず目で追いながら、乾はふうっと小さくため息をつく。彼らしくもなくやや緊張していたようだ。
 舞手達の身支度の場所に自宅を提供することになって安請け合いはしたものの、さすがに目のやり場に困る。
 綺麗なことは綺麗だ、と乾は思う。彼の好みではなかったが。
 流浪の踊り子、というにはあか抜けすぎているのも少々気にかかっている。
 なんというか場末の匂いがしない。このような貧しい村などとはかけ離れた、清潔で上品な場所で、丁寧に大切にされて育ってきたもの特有の仕草というか、物腰があるのだ。
(さてどこまで踏み込んでいいものか)
 詮索好き、隠された秘密を暴くのが好き、というのはあまりよい趣味ではないかも知れない。
 まして彼らを懐深く保護する二人の男が聞いたら、なんと言うか。
(あいつらだって、けっして知りたくないと言うわけじゃあるまいがね)
 少年達ふたりの花が揺れるようなさわさわとした声を遠くに聞きながら、乾は少々性悪げに口元を緩めたのだった。



「英二、どうしたのそれ」
 薄布が綺麗に翻るよう具合を整えてやっていた不二は、英二の首から下がっている見慣れない首飾りにふと目を止めた。
 この衣装や飾りは自分たちが連れてこられたときにもともと身につけていたものだ。きちんとした服の形をしておらず、長い布を巻き付けたりからめたりして微妙に身体を隠しているので、同じ布でも一風変わった巻き付けかたをすれば、全然違う衣装のようにも見える。その衣装とともに大事にしまい込んでいた首飾りやアンクレットや額飾りは、それぞれ二人ともまったく同じ揃いのものを持っていたのだが、今日英二が首から下げている白い象牙のネックレスは初めて見る。
「こないだ大石がくれたの。街へ行って来たんだって。不二はもらわなかった?」
「なにを?――……ああ、手塚から? いや、なんにもよこしてきやしないけど」
「大石が言ってたよ、手塚は大石の倍、時間をかけてあれこれ選んでたみたいだけど、どれがいいか決めかねて結局次回まわしになったってさ」
「ふーん」
「きのう、また街へ行ってきたって言うから、なにかもらったのかと思ってた」
「もう忘れてんじゃないの、そんなこと」
 わざとぶっきらぼうに言って、不二は、はいおしまい、と英二の背中をぽんと叩いた。
 布をひらひらとさせながら軽やかに飛び跳ねてみている彼の様子を、しばらく不二は微笑して見やっていたが、やがてふと寂しげな貌をしてこう言った。
「ねえ――英二」
「なーに?」
「今日さ、ちょっと英二に大事なこと話したいんだ。舞うのが終わったら、乾の家じゃなくてその向こうの、見張り塔の下に行こう?」
「ないしょのお話し?」
「うん、そう」
 不二は多少無理にでも笑ってみせる。

「大事な話。手塚と大石にも内緒だよ、ちょっとだけ。――すぐすむ話だから」












 火の粉が黄金の飛沫を夜空に散らす。
 銀の星のちりばめられた夜空に、炎が時に大きく燃え上がった。
 さいぜんから鳴らされているのは、音楽、というほどのものではなかった。
 乾いた白い樹の枝を打ち合わせ、焼いた炭をからからと叩く。男達の低いうなり声のような、歌詞さえない節取りの声が響き続けている。
 タン、タタン、タン、タタン、と言う単調なリズムが延々続いているだけであったが、夜の闇と燃え上がる火の粉と、そうして突如出現した非日常的な美しい光景のせいであろうか、それは妙に何処か遠くから聞こえてくる幻想的な、哀切を帯びた世にも不思議な音楽のようにさえ聞こえるのである。
 村の中央の広場に焚かれた巨大な篝火の前で、炎の妖精たちが舞っていた。
 火の粉に反射してきらきらとその髪が、あるいは蠱惑的な金色の瞳が輝くたび、白い手がひるがえる。
垂らした赤いしゅすが夜空に一瞬の紋様を描くたび、どうした不思議か炎がゆらりと舞い上がる。
 リズムは単調であったが、延々と続くそれは人々の意識を徐々にぼんやりとさせていく。目の前に繰り広げられる妖精達の軽やかなさまや、あやしくすける白い身体の線などに目を奪われ、揺れる炎に惑わされているうちに、彼らは今が収穫を祝う祭りのさなかで、ここが砂漠の端の寂れた村であることなど忘れてしまっていただろう。
 左右対称にぴたりと添い、軽やかではあるがどこかなまめかしい、ゆったりとした舞技が披露されはじめてどれくらい経ったものか。
 その舞は若者と娘達で踊るような可愛らしいものでなく、さりとて殊更みだらがましい、いやらしい手つき腰つきをしてみせるものでさえない。
 美しいことは当然としてそれ以上に、指先の所作ひとつに至るまで、完全に磨き上げられた絶対の宝玉のようなものだ。
 軽々と空に上げられる白い爪先。鳥の羽のようにひらめく白い腕。
 いつの間にかいっそう打楽器のリズムは早さと強さを増し、やがて琥珀色の髪をした少年が舞の仕上げにたかだかと両手をささげ上げると、どういう具合であったものか、彼らの背後の炎がぼん、と音をたてて派手に弾けた。
 少年達はまったく同じ仕草で片膝を曲げ、深々と礼を取り、舞の終焉を告げたのだが、それでも村人達は黙っていた。
 黙っていた、というよりは夢から覚めるのに時間がかかったという感じではあったか。
 確かに最初、その炎の前に左右からそれぞれ舞手があらわれたときは、若い者などは少々下品な声援を送ったりもしたのだが、いざ舞がはじまると下卑た声をあげる者は誰一人いなかった。
 目の前に現れた美しい異世界の情景を、神々の祝宴を垣間見ている気になりながら、固唾を飲んでその光景を見守っていた村人達がそれでもようやく我に返ってあらんかぎりの声で拍手喝采を送ったのは、少年達が顔をあげていつものような少しはにかんだ笑顔を見せてからのことだった。


「ふー」
「おつかれさま、ふたりとも」
 水の器を差し出す大石と、その隣で気難しい顔をして長めの上着を差し出す手塚とに迎えられ、踊り子達は広場の中程からは少し離れた場所に腰を下ろした。
 先刻の舞とはまったくうって変わった、若者と娘達が腕を組んで飛び跳ねるだけの、単純だが楽しそうな踊りが始まっている。若者達の何人かはこの舞手たちに声をかけようとしたのだろうが、鬼の形相で睨みつけている手塚と大石に気圧されて近寄ってきさえしなかった。
「早く上を着ろ。風邪をひくだろう」
「――ご感想は、手塚?」
 首を傾げて不二に見上げられ、手塚は無表情を装いながら眼を逸らした。もう少し明るいところで見ればその頬が赤いのにも気づいたのだろうが、薄闇の中ではしかとは判らない。
 はからずも沈黙の中に落ちた手塚と不二をよそに、その隣ではきゃあきゃあと盛り上がりまくっている。
「大石、ね。ね。俺、どーだった?」
「うん、凄かったね。夢みたいに綺麗だったよ。びっくりして、呼吸するのも忘れて死ぬトコだった」
「あはは、なにそれ」
「ほんとだよ。びっくりした。あんなに綺麗なの、他のヤツに見せるの惜しかったなあ。ああ、見せるんじゃなかった。ほんとに」
 大石は手放しで誉めまくり英二はにこにこしっ放しだ。その二人を横目で見ながら、不二はふーっとため息をつく。
「あのさあ、別にあんな風に感想を言えとは言わないから、もう少し、何かない?」
「――」
「手塚ってば」
「あんまり虐めてやらないでくれ、不二」
 仔猫の喉を楽しくくすぐっている大石は、にこにこと機嫌良く不二を振り返った。
「君達が踊っている間ぽかんと口をあけたまま突っ立っていたよ、手塚は。勿論俺もだけどね」
「……」
「ま、それはともかくも二人とも着替えておいで。ご馳走を用意してあるから、一緒に食べようか」
 優しく大石が言うのに、これまた英二が素直に頷いている。
 それを見やってふと寂しげな貌をしている不二の様子に手塚が気づいた。
「どうした」
「――なにが」
 顔をあげたときは、もうすでにいつもの不二だ。
 美しい、深い琥珀色の瞳がまっすぐに見つめてくる。
「いや。……疲れているのか?」
「ああ、そうかもね。結構久しぶりだったし、少し緊張していたのかな。……とにかく着替えてくるよ、いつまでもこんな格好で居られないし」
「そうだな」
「英二、おいで、着替えよう。――あ、君達ついてこなくていいから、別に」
「いや、しかし」
「なあに、覗きたいって?」
 挑発的な流し目をよこした不二に手塚はたちまち真っ赤になった。
「い、い、いや、そうではない。そうではなくて」
「心配しなくてもすぐに着替えて出てくるよ。すぐに、と言ったって、まあ、こんな状態の衣装だから着替えるのに時間はそれなりにかかるけど」
「そういうことではなく――」
「脱ぐところを見たい、とか、脱がせたい、とか言うんじゃないんなら、そこで待ってて」
 不二はいっそみごとなほど手塚の申し出をけりつけ、何か言いたげな金瞳の踊り子の手をとって、さっさと乾の家の方に向かいだした。
 誰も追ってくるものはない。
 ここで手塚と大石の目を盗んで、ふたりのあとをつけてあわよくば、などと考える愚かなものもいない。
「不二……ねえ、不二、ってば」
「――」
「今の手塚に悪いよ。手塚も、不二が心配だからああ言ってるだけで、何も覗いたりとかするつもりないのわかってるじゃん」
「――」
「村の若い連中もちょっと酒はいっちゃってるし、万が一、ってことなんだと思うよ? ねえ、不二」
「判ってるよ、そんなことぐらい」
 少しばかり苛々とした口調で、不二は相変わらずぐいぐいと英二の腕をひいた。
「不二――不二、痛いよ。ねえ、ちょっと、どこ行くの。乾の家、こっちだよ」
「大事な話があるって言ったでしょ」
 不二はわざと乱暴に、英二の方を振り返らずにそう言った。
「ふ、不二、痛い。そんなふうにひっぱらなくったって、いいじゃんか」
「英二、静かに」
 不二はようやく祭りの喧噪から離れたことを確認して、英二を振り向いた。
 村の中央は、まだあの大きな篝火に照らされているのだろう。いまだ勢いの衰えない、ゆらゆらと揺れる巨大なあかりが夜の暗さを遠ざけている。
 それでもふとしたこと――家々のあいだや、崩れた壁の影や、そういうものの狭間に濃く現れる闇の中で、不二はぎゅっと英二の手を握った。
「――不二?」
「英二」
 不二が自分でも驚くほど低い冷たい声だった。

「今から、ここを逃げ出そう」



 
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