この世界に乱立する国々のうち、もっとも砂漠になじみがあるのは砂漠のほぼ中央に位置する交易都市、ついで国境と砂漠がじかに接する西の国であったろう。
 北の国は樹海、東の国は草原、南の国はゆるい山脈。それぞれ砂漠と国境との間にそういうものが位置していたので、かの国々は砂漠に対する直接の脅威はなく、そこへ至るための街道の整備や治安に重点を置いている。
 西の国は巨大な湖を国の真ん中に持ち、その尽きぬ水源のおかげで砂漠都市のように乾いた暮らしをする必要はなかったが、他の国々より多少は砂漠に対する知識や実質的な経験は多かった。
 とは言え、国の中心は豊かな緑にあふれていたし、長い雨期がある以外はおだやかな四季にめぐまれた過ごしやすい国である。国境あたりは砂嵐にも耐えうる石造りの堅固な建物が中心であったが、国の中央に近づくにつれて太い樹や白い石を組み合わせた美しい街並みが見えてくる。このあたり、建物の外見は見た目より堅固さを重視しなければならない北の国とは違うところだ。
 その男が、王城のとあるテラスからその街並みを見おろしていたのは、昼の時間になる少し前である。
 この国には時計というものはなかったが、日の出、正午、日の入りは三度、その中間の時間帯には一度、鐘が大きくつかれて街に響き渡る。人々はそれを目安に働いたり休んだり食事をとったり、今日は仕事をおさめたり、と言うことを繰り返しているのだ。
 そうしてもう間もなく、その昼の鐘が響くだろう、という時間帯だ。

 何か面白い考えごとでもしているのか、口元に奇妙なほほえみを浮かべているのは、この国の騎士団総長大和佑大であった。
 もともと騎士団を統括する立場であった彼は、今は実質的にこの国を切り回し女王の名代として宰相の真似事などもしている。
 決して声を荒げない、誰に対しても穏やかな態度を崩さない男であったが、分厚い眼鏡の向こうの目は誰にも見えない。そこにどんな表情が浮かんでいるのか、誰も知ることはない。
 食わせもの、という言葉がよく似合う男である。
 その男はふと何かの気配に気づいたのか背後を振り返る。
 そこには、髪をふたつに結いあげ薄い桜色のドレスを着た少女が、ぽつんと佇んでいる。
「これは、女王陛下」
 彼は飄々と、その口から呼ぶ名にふさわしくないふてぶてしささえ感じるような、そんな口調で彼女に呼びかけた。
「あの……」
「どうかなさいましたか」
 うやうやしくひざまずいた男の前にいるのは、12、3ほどの少女であった。その年頃の少女にしてはどこかおとなしやかで――おとなびていると言えば聞こえはいいが、ひっそりとした花のようだった。少女らしい華やかさ、愛らしさを十分に備えていながら、彼女にはずいぶん長く、気鬱で寂しい時間をおくってきた者独特の翳りがある。
「あの……お聞きしたいことが……」
「なんでしょうか」
「今朝方のお使者は、どちらからのものだったのでしょう」
「ああ。これは」
 男は少し含み笑った。
「女王陛下にご報告が遅れて申し訳ない。このたび北の王国の国王陛下から、是非我が国の力を借りたいとの申し入れがございまして。今朝のお歴々はその御使者ですよ」
「……北の……国から?」
「さようで」
 少女は首を傾げ、大きな目で不安そうに男を見る。
「北の国から逃亡した罪人が、どうやら砂漠のあたりにひそんでおりますようで。ご存じの通り、北の方々よりは我々の方が砂漠の事情には通暁しておりますし、なにより我ら西の国は砂漠と国境を接しております。北の国と砂漠の間には、そら、例の樹海がありますし。街道が整備されているとはいえ直接に砂漠にかかわることは、あの国の方々にはないことですからね」
「――軍隊を……出されるのですか」
「そういうわけではありませんよ」
 男は人好きのする、けれど何故か油断ならないような顔で笑うと、ひざまずいた姿勢から少女を見上げた。
「北の国の聖騎士候が、あといくらもなく到着するでしょう。詳しいお話しはその時に改めてなさると思いますが、我らには砂漠の案内を願いたいとのことです。北の方々は我らほど砂の海には慣れておられない。それは、やはり何を言うにも人手のいることですので、我々も少々ならお手伝いすることでしょうけどね。なにも陛下の思っておられるような、おそろしい戦ごとになどなりはしません。――なったとしても」
 男は表情を深く隠す眼鏡の向こうで目を細めた。剣呑な輝きがひらめいてたかも知れないが、少女の目には判らない。
 少女に限らず、他の誰にもそういうことを悟られないように、男はそんな眼鏡で表情を隠しているのかも知れなかった。
「なったとしても、我らがおります。この大和めも身を挺してお守りいたしますゆえ――桜乃女王陛下、どうぞ心を安んじられますように」
「――」
 少女は、黙っていた。
 男のその頼もしい言葉に、だからといって安堵した様子も、何もかも任せてしまっていい、と思いこんでしまうこともなかったようだった。
 彼女は決して愚かでも、女王という地位に任せて遊興や贅沢に耽ることもなかったが、何をいうにももともとがごく大人しい少女なのである。彼女の祖母にあたる女王の不予、そのための急な即位や、未遂に終わりはしたもののそれに乗じたクーデターなどで、もともと引っ込み思案な性格であったのが、よけいに彼女を無口に、その年頃の少女にとしては驚くほどひっそりした様子に見せていた。
 彼女の祖母にあたる先代女王はまだ病床にある。まだ物心つかぬ頃に両親を失った彼女には母代わりだったが、現在の状態では幼い彼女の相談相手にはあまりなれない。気を晴らすほど夢中になれるものもなく、彼女は故国にありながらとらわれの小鳥のような、そんな哀れな様子に見えている。
「では、私はこれにて――そうそう、それはそうと陛下、総団長代理の千石がさきほどからお待ち申し上げておりますよ。この間砂漠の街に出かけて、何やら陛下と太一様におみやげがあるそうで。午後のお茶のときにでもお言葉をかけてやっていただければ喜びましょう」
「そう――ですか」
 彼女は従兄弟の名を聞くと、少し安堵したように笑った。その総団長代理も、いつも気さくで彼女を安心させてくれる、数少ない人間のひとりである。彼らと気の置けない話が出来る時が、ある意味この寂しい少女の楽しみと言えば楽しみだった。
 だが、また何か心配事があると見えて、立ち上がってマントを翻した騎士団の総長、今では彼女のもっとも有力な後見者のひとりを呼び止める。
「なんでしょうか」
「その、北の国の、追われている人というのは、どんな罪を犯したのですか?」
「――」
「聖騎士候さまが自ら追いかけて来られるような、方なのでしょう?」
 存外鋭い少女の指摘に男は苦笑した。
 目先の贅沢に夢中になる暗愚なだけの娘ならもっとやりやすいのに、と思ったかも知れぬ。
「あまりおおやけには出来ぬことのようですが……ここだけの話ですよ」
「は、はい」
 急に間近に迫った男の顔に、少女は驚いて一歩退いた。
「追われている人物というのは――まあ、北の国の王陛下の後宮から逃亡を図ったようですね」
「こ、後宮?」
「そう。まあ、王陛下――佐伯様のお気に入りだったようで、部下達が血眼になって探しているようですよ。そのご寵愛の……姫だか小姓だかが、なにやら逃亡の際とても大事なものを盗み出していったようです」
「大事なもの――」
「それがなにかまではわかりませんが。……くれぐれもこのことはご内密に、女王陛下。北の方々の前では決して、愛妾に逃げられたお間抜けな国王様、なんて発言はなさいませんように」
「い、いたしません!」
 馬鹿正直にあわてて返事をした少女に、男は笑った。
「よろしいでしょう――ご心配なさらずとも、大切なことは私から申し上げます。陛下はどうか、聖なる玉座にて我らを見守り下さいますよう」
「――はい」
 少女は諾々と頷いた。その愛らしい鳶色の瞳には、再び翳りが濃く落ちている。
 男はその様子に気づいていながら仕草だけは丁寧に、最敬礼をして去っていった。
 少女はため息をつき、バルコニーから眺められる街のまたさらにその向こう――ここからでは山に隠れて見えない砂漠の方角を見やる。
 そうしてひとりでいる僅かな時間だけが、まだしもいろいろと自由に物思いに耽ることの出来る、彼女のもっとも心安らぐときなのかも知れなかった。
 そんな時間がそうたびたび、しかも長くもてる訳ではない。
 案の定今回も大和と入れ替わりに女官がやってきて、なにやら大臣達の小難しい話を訊かなければならない昼餐の時間の始まりを告げたのだった。
 女王がそのテラスから去るとき、ちょうど城下には鐘が三度、響き渡った。




 退屈であじけない昼餐のあと、1時間ばかり幼い女王には自由時間が許され、いつもにこやかで飄々とした総団長代理の千石清純と、従兄弟の太一とで、彼女はお茶のテーブルを囲んだ。ごく柔らかい花のタペストリや薄手の敷物、木目の家具などで構成された、少女らしい優しい部屋の中のことである。
 千石、という男はもともと平民の出で、総団長大和佑大に見いだされて騎士団員から団長代理にまで成り上がった男だったが、貴族の気取りも慇懃無礼なところもなく、どうしても孤立しがちな桜乃や太一にも親しげな気遣いの出来る青年だった。
 桜乃女王の後見となり、政治の一切をもとりしきりだして多忙な大和の代わりに、彼が不在の間は千石が騎士団を統括しているというわけである。
 その気さくな人となりのせいか、女王や王子に対して馴れ馴れしいと眉を顰める古株の年寄りたちなど問題にならぬほど人望も厚かった。その剽軽な性格と、整った顔立ちとで女性には特に人気があった――本人も確かに女性好きを標榜してはいたが。
 女王に取り入る平民出身のならず者と年寄り連中は言うのだが、要は彼は幼い少年少女の扱い方をよく心得ていたのであって、それがたとえ王族でも子供は子供というものの見かたを変えたりはしなかった。
 寂しい子供たちを慰めるのに何の遠慮があるというのか――と、言うことで、彼は今日も今日とて、いろいろと子供達のお気に召すような話や土産を山ほど抱えてやってきたのである。
 土産と言っても街で見つけた素朴な木彫りの飾りや玩具や、遠い国の珍しい花など、安価でたあいのないものばかりであったが、時にはそういうものこそがこの孤独な子供達の心をなにより慰めると彼はよく知っているのだ。
 今日もそう言った、炭をつなげてからからと音を立てさせる不思議な飾りや、南の海から取れた貝殻を瓶に一杯つめたものなどを子供達ににこにこと献上したあと、千石は砂漠の都市での出来事を面白おかしく話して聞かせていた。
「それでね、そいつをおっかけて、俺はついつい部下どもを、直立待機のまんまほったらかしにして街の裏道に入り込んじまったってわけですよ。あの交易都市はよく行くんですが、裏道と来たらもう迷路でしてね。もうあとで亜久津に怒鳴られるわ、部下達の前でケリかまされるわ、さんざんでした」
「蹴られたんですか?」
「そりゃあ直立不動の待機を命じたあと俺は消えたわけです。部下達はみんな真面目ですから、馬鹿正直に次の命令が下るまでは動かず、水分補給もままならず、亜久津が戻ったときには半分以上暑さでぶっ倒れてたらしいんですよ。まああの鎧に砂漠の暑さですからね……考えただけでも……ああ、やだやだ」
 明るく気さくに話す千石に、桜乃も太一もそのときばかりは楽しく、時々口元を押さえて笑い続ける。
「しかし、そのきったない毛玉がうごうごしてるのを見たら、どうもそいつの正体を知りたくなってね。細い溝に入り込んでいったから、どうにか捕まえてやろうとして……そうしたら」
「そうしたら?」
 少年少女は、期せずして声を合わせた。
「俺とおんなじことを考えていたらしい男がいましてね。鼻先に泥つけて、溝の中をはいずり回っていたんですよ。考えてみてください、男がふたり、狭い溝の中をやってくるわけです。鼻の頭からおでこから、泥だらけにして、尻だけこう上げてあっちとこっちから」
 身振り手振りでその上その格好をしてみせたものだから、たちまちふたりはきゃあっと笑いくずれた。
「それで?」
「それで、千石さん、どうなったですか?」
「とにかく、そのどろんこのうごうごを捕まえようとしていたわけですから、俺が出口を塞ぎ向こうが追いつめたんです。ええ、なにも打ち合わせはしませんでしたよ、以心伝心というヤツですかね。捕まえてみたらうごうごは二ついたんで、その男と仲良くひとつずつとっつかまえて帰ってきたってわけです」
「その、うごうご、ってなんだったんですか?」
 少女が涙の溜まった目をふきながら尋ねた。
「知りたいですか、陛下?」
「知りたいです!」
「太一様も?」
「僕も知りたいです!」
「うーん」
 どうしようかなあと言う感じで少年少女を見やった千石は、そのふたりの目が期待と興味にきらきらしているのを見て満足そうににこりと笑った。そうして千石が呼び寄せた従僕の男は手に大きな蓋つきの籠を持っている。もとから用意していたのだろう。
「ほうら。これですよ」
 わざとゆっくりと蓋をあけてみせると、千石は中から小さな毛玉のような生き物をとりだした。
「――ねこ!」
「仔猫だわ」
 長くて綺麗な毛並みの小さな猫の子供である。ほぁ〜、と少し抜けたような声がする。
「とっつかまえた時はもっと小さかったのですよ。掌に乗るぐらいにね。痩せていてガリガリでしたので少し栄養をつけさせて、悪い病気がないかどうかを確認してから陛下の処にお連れしようと思っていたので少し遅くなりましたが」
「まあ……可愛い」
「ほんとだ。僕、さわってみてもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
 千石はにこにこして、少年少女達がひとしきり仔猫を抱き上げて喜ぶのを見ている。
「もうひとつの、ほかの方が持ってかえった"うごうご"ちゃんも、仔猫だったのですね?」
「ええ、そうです」
「この子の兄弟だったのでしょうか」
 太一が、桜乃の膝に抱かれた仔猫を撫でて訊く。
「たぶんそうですよ。向こうも、猫なら奥方が好きそうだから持って帰ると言うようなことを言っておりましたからね。きっと二匹して親にはぐれたんでしょう」
「この子はなんて名前?」
「さあ……陛下のお気に召せばお手元においてやっていただいて、陛下に名前をつけていただければと思っておりましたので、まだなんとも」
「まあ! じゃ、この子、いただいていいのですか?」
「もちろんもちろん」
 今度は少年にその仔猫を渡しながら幼い女王は大きな愛らしい目を細めた。
「おまえの兄弟も、どこかで元気にしているといいわね。おまえとよく似ていたのかしらね」
「あのままでしたらまず死んでおりましたでしょうね。その大きさでは親とはぐれては生きていけないでしょうから、あの男が連れて帰ったほうもきっと幸せにやってますよ」
 同じように目を細めてそう言いながら、千石はふとその時に出会った男の屈託のない笑い顔と、その無邪気な様子に似合わぬ背にさした巨大な曲刀を思いだしていた。
 青い、妙に立派な房飾りが意味ありげの――あれはなんだったか、と今でも気にかかる。
(ありゃあ、相当場数踏んでるヤツだねえ。パッと見はそのあたりの、カカア天下の旦那、って感じがしたんだが)
 あながち千石の想像もはずれてはいなかったが――まだこの時には、彼らは互いの正体を知らないし、こののちに剣戟を交えることになるなどとは思いも寄らない。
 すぐに千石はその青年のことを思考の片隅に追いやり、女王の自由時間が終わるまで子供達をいろいろと楽しませることにつとめた。




 そののち。
 気難しい顔をした女官に退出するように告げられ千石は女王の部屋をあとにした。
 仔猫については女官は露骨に顔を顰めたのだが、大和の名前を出して言いくるめた。小さな仔猫すら自由にならないというなら、あの年頃の少女にはあまりに哀れだろう。
 今頃はふたりそろって、いかめしい教師にいびられながら勉強をしていることだろう。
 彼女はこれから先もこの城から外に出ることはない。永遠にその機会もない。女王と言うより虜囚のようではないか、と千石は思う。
「おや、千石くん」
 人気のない宮殿の回廊で、千石は上官にあたる大和と出くわした。
「君のところにさいぜん使者をやったのですが、入れ違いになったかもしれませんね」
「なんのご用でありまショウカ? 総団長閣下」
 わざとそんなふうに言う千石に大和は笑った。
「今度北の国の黒羽殿がお越しになりますから、その時には君も一緒に対面してもらいます、ということでね。その心づもりをしておいてくださいね。間違っても当日女性のところから朝帰り、なんてことのないよう」
「何しに来るの」
「佐伯殿の愛妾探し」
「ははあ、あれからまだ見つかってないんだー」
 楽しそうに千石は言った。
「"金瞳"つれて逃げてるってね。もう死んでんじゃないの?」
「しっ」
 大和は、唇に人差し指をあてた。しかしあまりあわてた様子はない。
「腹心を出してきましたからね。本気でなんとかしたいようですよ。まあ、話だけでもきいておやんなさい」
「みたいだねー。あの佐伯がそんだけ必死になるなんて、その子はよっぽどイイのかな」
 少しばかり下品な物言いをしてみせた千石に、大和は肩を竦めただけだった。
「目当てはその愛妾だか、"金瞳"だかはわかりませんがね。金瞳は片方だけでも人を狂わせるらしいですから。以前に北の国から騎士隊がひとつ消え失せたのも、そうだったといわれてるじゃないですか」
「ああ、真田ね。もったいなかったなあ、傭兵あがりでもあれほどの腕だったのに。あいつももうどっかでのたれ死んでるなー、絶対」
「そのほうがいいでしょう。敵になるか味方になるかわからない強力な不確定要素なら、なくなっててくれたほうが助かる」
 さらりと物騒なことを言って大和は話題を変えた。
「女王陛下に何をさしあげたのです?」
「にゃんこのちっこいのを。――女官長のババアが渋い顔してたけど、あんたの名前出しといたよ。口裏あわせといてくんないかな」
「それはもちろん」
 千石にはぞんざいな口の利き方を許している大和はにこりと笑った。
「そんなものでご機嫌がとれるんならおやすい御用ですよ――しかし君がそこまで陛下と太一様のところに熱心に通うとは思いもよりませんでしたね」
「俺はさ、可愛い女の子や素直な男の子は大好きなんだよねえ」
 千石はにやりと笑い返す。
「それはそれは」
 大和もまた口元だけで笑んだ。ふてぶてしい笑い方は、どちらも相手に負けていないようである。
「それでは今は大変ですね。第一、第二騎士団とも、団長たちは素直というにはほど遠い」
「あいつらも俺は好きだよ。あっくんも薫ちゃんも素直で判りやすいし扱いやすいから」
「ほうほう、それはそれは」
「あっくんは意地っ張りだし、薫ちゃんも自分で殻つくってて面白いや。なつかせたら可愛いタイプだよねー、ふたりとも」
「なるほど。……しかし海堂くんは――」
「判ってるよ。あいつは手塚サンに心酔してたから。扱い方には気をつけてっから」
「それならいいのですよ」
「俺が言いたいのはそういうことじゃなくってね、大和サン」
 くるりと振り向いた千石は、にっこりと笑った。
「俺はさー、桜乃チャンも、太一クンも気に入ってるわけ。可愛い子たちは大好きだって言ってたろ?」
「――」
「俺はアンタを尊敬してるし、あんたといるといろいろ面白い事がありそうだから、アンタについていってるわけよ。――でも、だからといって、アンタが自分の目的のために桜乃チャンや太一クンをいじめちゃうと俺もちょっと考えなきゃなーって」
「考える?」
 にこりと、大和は笑った。
「考えるとは、何を?」
「さああ?」
 千石は大げさに肩をすくめた。
「君は、まさか女王陛下の夫の座でも狙っているのですか、千石くん」
「あー、それはないない。俺の性分じゃない。確かにあの子はすっごく可愛いけど、もうちょっとお姉さんが好み、俺は」
「――」
「でも桜乃チャンはもうちっと笑ってたほうが可愛いと思うわけだよね、俺は。あれぐらいの女の子はすべからく楽しく毎日笑ってるもんでしょ。いくら女王サマだからってあれはかわいそうだよ」
「そうそう、君は女の子には優しいのでしたね、忘れていましたよ」
 大和はもう一度、わざとらしいように笑った。
「親なしっ子に同情するのは君の勝手ですよ、千石くん。一定の線さえ越えなければね。君にはその程度の権限は与えているつもりですから。彼女の父は暗君だったが、祖母は賢王だ。あの娘にはどちらの血が色濃く出ることやら――僕はこれでも楽しみにしてるんですから」
「――」
「軍部の強大化を恐れるあまり、あまたの武人剣豪を処刑した父と、実の息子を粛正した祖母――どうしたんです、そんな顔をして。心配しなくとも、あんな何も出来ないような少女に惨いことはしませんよ。いまのところはね」
 そう言って大和は千石に背を向けた。
「せいぜいこれからも子供たちのご機嫌をとってください。その方がこちらもいろいろとやりやすいですからね」
 かつかつと小気味いい革靴の音をさせながら、磨かれた大理石の回廊を大和は歩いていった。
 その方向を何故か難しい顔で睨んでいた千石だったが、中庭から吹く風に目を細めた。白く美しい回廊が囲む庭はさまざまな花が美しく咲きそろっていたが、そこを駆け抜ける風はどこか湿っている。


「もうすぐ雨期だなあ」
 千石は空を見上げる。
 先刻までの飄然とした様子が消え、にわかに厳しい精悍な男の顔立ちとなっていた。
 それに似つかわしい、低い、どこか不機嫌な口調で彼は呟いた。

「うっとおしい季節になる――天気だけじゃなく」







 西の国の長い雨季の頃、砂漠の一角でも、一年を通じてもっとも雨の多い時期となる。雨の多い、と言っても、砂漠には雨が降ることそのものが希であったので、砂漠の雨季と西の国の乾季とはほぼ同じ程度の雨量だ。それでも一年中乾いてひび割れた砂漠にしてみれば、一粒一粒が宝石よりも貴重な水滴を、ほんの数回とは言え存分に天が落としてくれる時期なのである。
 隠れ住む砂漠の民達は、激しいスコールの後一瞬出来る緑の原で日々役にたつ野草を捜し、それに寄ってくる動物を狩り、僅かながら豊かな収穫の時を迎える。
 もちろんスコールを水瓶で受け水を備蓄するのも忘れない。この村の若長が特別に作り出した薬草が各戸に配られる。それを水につけておくと、防腐剤の役割を果たして水は長く保存できるのだ。
 この若長が村をあれこれと取り仕切りだしてから、村人の暮らしはぐんと楽になった。若長の父親は、そういった勉学よりも砂漠で生きていけるだけの体術や盗賊稼業の方に力をいれていたので、息子の学問寄りの性格とはどうもあわなかったようだ。
 だが彼は彼なりのやり方でこの村を守ろうとしていたのだし、実際それは今までにない形でよい成果を生んでいる。何より、大都市で本格的に修行を積んだ医師などこの村では初めてのことだ。赤ん坊や重病人や盗賊稼業で傷ついた者たちが助かる確率はずいぶんと上がった。
 その若長に砂漠で助けられて盗賊稼業の一番の主力となった青年二人の活躍もあって、この村は年を重ねる事に豊かになっていっている。ここ数年は餓死者がいない、という程度ではあるが。
 青年達は現在は村の端にひとつずつ小さな住居をかまえて、それぞれに同居人を迎えて暮らしている。
 その片方の家が――何やらその日は朝から騒々しかった。

「ねー、もー、頼むッス! 部長、大石先輩」
 土下座せんばかりの勢いで桃城が叫ぶ。
「若いやつみんな楽しみにしてるんですって! もーほんと、俺、このまま帰ったらボコられますよう」
「駄目だと言ったら駄目だ」
「そうだよ」
 気むずかしい顔の手塚が即答し、大石もそれにならう。
 手塚は椅子に座り大石はその背後に立つ。ちなみにその前でさっきからひたすら頭を下げているのは桃城だ。
「別に今年にことさらそんなことしなくても、いつも盛り上がるじゃないか」
「や、それがホントに」
 桃城は可哀相に、それこそいつ這いつくばって泣き出してもおかしくないようなようすで、ひたすらすがりつく。
「お願いしますって。ほんとにマジで! 俺を助けると思ってー!!」
「俺達、あれを見せ物にする気はないんだよ。もうそんなことで稼ぐでもないだろうし、あんなきわどい服着せて人前に出す気はさらさらないね」
 いつもなら後輩の言うことには耳を貸してくれる大石だったが、今日は問答無用ということらしかった。
 その緊迫した様子が一変したのは、この家の住人が足取りも軽く帰宅したときのことだ。
「うわびっくりした。なあに、ふたりとも」
 戸が開いて顔を出したのはこの家に住む少年だった。蔓を編んだ素朴なかごに、なにやら鮮やかな緑の葉を一杯に摘んできたものらしい。質素な衣服ですぐにそうとは判らないまでも世にも美しい少年である。
「あれ? 桃?」
 続いて、もうひとり。これまた不思議に愛くるしい、いとしい仔猫のような少年がひょっこりと顔をのぞかせる。こちらも赤黒い小さな草の実、かごに満載している。
ふたりとも朝早くから村の女達にまじって、雨期の時にだけ出現する砂漠の草原に生活に役だちそうなものを摘みに行っていたのだ。
「ああ、おかえり」
今 までの険しい顔はどこへやら、大石がにこりと笑って立ち上がり、ふたりを出迎えた。
「不二。疲れたろう。危ないことは何もなかったか」
 手塚も表情を和らげながら、そう尋ねる。
「うん平気。――桃はどうしたの?」
「いや、なんでも」
 ない、と言いかけた手塚の言葉に、桃城の悲痛な叫びが加わった。
「お願いします、不二先輩、英二先輩!! 俺を助けると思って踊ってください!!」


 要は――。

 不二と英二のふたりが踊り子を生業としていたことは、一応この砂漠の村人に周知のことであるが、誰もその踊る様子を見たことがない。もっとも手塚だけは偶然からその踊る不二を見かけて一目惚れをしていたのだったが、このさいそれはさておき。
 要は。
この綺麗な少年達がいったいどんなふうに踊るのだろうと、考えなかった者はこの砂漠の村の中にはいなかったということだ――特に年若い男達は。
 連れてこられた踊り子達は、それまで彼らが見たことのないほど美しく愛らしく、いろいろと妄想をいだいて眠れぬ夜を過ごす者も少なくなかった。
 この村の中では一、二を争う使い手の青年達がそれぞれ彼らを大事にしているのでなければ夜這いを試みた男も少なくなかったろう。手塚と大石が静かに、しかし断固として睨みをきかせているからこそ不心得者は出なかったのである。彼らとて命は惜しい。
 だが。

――だがせめて、少しぐらいはおこぼれがあってもいいじゃないか。

 綺麗な踊り子達が綺麗に踊っているところを見てみたい――せめてそれぐらいなら、それぐらいのお楽しみぐらいならあってもいいのではないか、と年頃の青年達は考えた。
 何も夜這いをかけようとか、あわよくば口説こうとか、ちょっと触ろうとか、そんなだいそれたことまで考えているわけではない。前述のように命は惜しい。
 この村では雨期のあとにささやかながら収穫を祝う祭りを行う。唯一の村人達の楽しみであるのだ。若い男達と娘達が踊ったり心ゆくまで酒を酌み交わしたり、そう、なにも特別なことをするのではないが、その日の夜は遅くまで盛り上がる。
 せっかくだから新たに村の住人となった踊り子達に華を添えてもらうというのはどうだろう――と、言い出したのは誰だったか。
 それはいい、それは素晴らしい、と盛り上がったのは数日前、盗賊稼業の男達だけのささやかな酒の席でのことだ。
 しかしその思いつきは確かに素晴らしかったが、さて、その許可を手塚と大石にもらいに行くのは誰だ、と言う話になったとき。
 不覚にも一番酔いが回っていたのは、桃城だった。
 手塚と大石のふたりと、一番親しいのは誰か。
 あのふたりと家が一番近いのは誰か。
 金瞳の踊り子と仲良くなっているリョーマの旦那は誰か。
 いとも簡単に恐ろしい役目を背負わされてしまった桃城は、最初は誰かを相方に引き込もうとしたのだが勿論誰ものってこない。家に帰ってリョーマに泣きつくも、いつもの「まだまだだね」を言い捨てられ家を追い出されただけだった。
 しかし酒の席でのことだから知らない、と突っぱねるには男達の期待が大きすぎる。これが若い男達だけだったらまだ「いやらしい目であの人達を見ると部長にどやされるぞ」とでも言い抜けられたのだが、誰が噂を流したものか村人達から
「あの綺麗な子たちが踊りを見せてくれるんだってねえ」
と、期待に満ちた目で言われてしまってはその手も使えなくなってしまった。
 綺麗な子が踊るのだから、綺麗な、見たこともない踊りを見せてもらえるのだろうと、純粋に楽しみにしているものは老若男女関係なかったのだ。
 しかたなく覚悟を決めやってきたのがこの朝である。
 事情を聞いた不二は、薄い琥珀色の髪を揺らして桃城にこう尋ねた。
「……収穫のお祭りで、僕たちが踊ればいいの?」
「いや、踊らなくていい」
 手塚はその不二の背後からきっぱり言った。
「なにもそんなことをしなくても、いつも祭りは楽しんでいるんだ。無理矢理踊らされるなんてことしなくていい。お前達は奴隷でもなんでもないんだからな」
「別に僕たちいやいや踊ってたわけじゃないよ?」
 不二が小首をかしげ背の高い手塚を下からくいと見上げるような形になると、手塚はどうしたことかたちまち顔を赤くしてしまった。
「自分が嫌いないやな技術の腕を磨いたりはしないでしょ? 僕らは踊るのが好きだし、大勢の人に見てもらえるのならとても嬉しいけれど。ね、英二」
 こく、と金瞳の少年も頷く。
「それにこの村の人たちにはとても親切にしてもらっているし、僕らが僕らの踊りで少しでも皆に楽しんでもらえるのならいい御礼になると思うんだけどな」
「し、しかし、不二」
「ねえ手塚」
 ずいっと不二が手塚に身体を寄せる。
 途端に真っ赤になって固まってしまった手塚に、その場にいた手塚を覗く全員は早くも不二の勝利を確信した。
「君が僕が踊ってるところ見たとき、どう思った?」
「ど、どう、とは」
「そんなにいやらしかった? 男の人を誘ってるみたいな、そんな踊りかたしてた?」
「そんなことはないぞ、不二!」
 悲しげに言う不二に手塚はがばっと不二の両肩を掴んで否定する。
「とても綺麗だったぞ! どうしてあんな細身であんなに軽々跳べるのか、綺麗にくるりと回転できるのか、ものすごく不思議だった。剣舞もとてもきれいだったし、鈴を鳴らして踊るのも可愛かった。あと花をまくのも可愛くてよかったな」
「――君、最初っから最後まで見てたわけだねえ……」
 不二が胡散くさそうな目つきで呟いたが、手塚がそれに気づく前にさらにこう言った。
「それだったら他の人に見てもらってもいいんじゃない? 僕は純粋に舞踊の技術を磨いてきてもいたわけだし、見てもらう機会は多いほどいいし、嬉しいんだ、何より」
 少々嘘くさいほどきらきらと輝く目で、不二は手塚を見上げた。
「君にも見てもらいたいから」
――だめ押しだった。
 固まった手塚の胸にわざとらしく寄り添いながら、不二はその手塚に見えないように、桃城にむけて人差し指と親指とで丸をつくって指し示した。

「不二が踊るんなら俺もーーーーーっ!」
 途端に英二が騒ぎ出す。
「俺も踊りたい、俺も、俺も」
「え、英二……」
 懐かれて大石はたじたじとなった。
「大石、俺が踊ってるとこ見たことないでしょ? ね、ね、大石に見て欲しいの、見て、お願い、踊らせて」
「いや、しかし……」
「大石〜」
 こっちはさらに簡単だった。
 不二よりも快活で屈託のない英二が、ぴょんととびついてぎゅっとしがみつけば、話は終わりだ。
 いったい今まで自分が泣き落としていた時間は何だったのだろうと、桃城はことのなりゆきに呆然としていたが、とにもかくにも仲間によってたかってボコボコにされる運命からは逃れたわけだ。
「桃、誰か音楽出来る人いる?」
 大石を瞬殺した英二がにこやかに聞いてくる。
「あ。ああ、ハイ。村のオッサン連中とか、案外小器用なのが何人かいますよ。でも、先輩達が踊れるような音楽なのかなあ」
「一度聞かせてよ、ね? 音あわせしたいの」
「もちろんです」
 うんうん、と頷いた桃城だったが、綺麗な踊り子達の背後からまるで鬼のような形相で睨んでくる青年二人に凍り付く。
 踊り子達はそんなことには構いもせず、収穫してきた葉や実を処理するからといって、無邪気に隣の大石家の方へと行ってしまった。
 あとには、重い沈黙とともに三人が残される。
「桃……」
「桃城……」
「は、はい……ナンデショウ……」
 殺されるかも知れない、と桃城は本気で思った。
「まあ……約束してしまったものはしかたない。あの二人が踊りを見せるのは、かまわん。が、音あわせとやらには俺達も同席させてもらうが、かまわんだろうな」
「え? えええっ? 部長がデスカっ!?」
 声が裏がえってしまった。たたみかけるように言うのは大石だ。
「俺達ふたりとも、というわけじゃないけどね。どちらかは訓練や警備やらで忙しいから。――でも俺達の目の届かないところでというわけにはいかない」
 こういうときには妙にコンビネーションのいい手塚と大石のふたりだ。
「俺達のどちらかが同席する。それが条件だ」
「もちろんかまわないよなあ?」
 大石がにこやかに、そうしてさわやかに語尾を上げてくるのが、桃城には恐ろしかった。
「さて。まあ、あいつらを踊らせるのはしかたないとして……誰がこれを言い出したのか、聞かせてもらおうか、桃城」
 手塚はわざとらしく足を組み替え、腕組みして桃城を睨みつけてくる。
「そうだな。いったいなんて言ってたのか俺も気になるところだし」
 いつの間にか桃城の背後にまわり退路を断ったのは大石だった。
 こんなことなら踊り子たちの退場とともに自分もさっさと帰っていればよかった、と後悔したがあとの祭りである。

「大石の前では踊ったことなかったんだよ、俺」
 隣家がひそかな修羅場を迎えていた頃。
 真ん中が少しくぼんだ石の上で、ごりごりと草の実をすりつぶしながら英二はうきうきと言った。
 ふわふわと揺れる赤い髪が可愛らしい。
「何踊ろう、不二。――鈴を鳴らしてみよっか。花は……ここあんまり咲いてないからなあ。でも木の枝にこういう実のなってる蔓を綺麗に巻いたら、十分見栄えがすると思うんだよ、どうかな」
「――」
「剣舞は……けっこう見所があると思うんだけど、あんまりゆっくりした音楽だと、俺踊りにくいんだよね」
「――」
「不二?」
「あ、うん」
 少し考え事をしていたらしい不二は、顔をあげてすぐに微笑んだがまた少し俯く。さすがにおかしいと思ったのか、英二は手をとめて不二を覗き込んだ。
「不二、どったの?」
「英二、あのね……」
「うん、なに?」
 無邪気に屈託なく見つめてくる英二を不二はいたましげに見ていたが、やがて何でもないと首をふった。
「――踊るの、がんばろうね」
「うん、がんばろ! みんな喜んでくれるといいな」
 にこにこと笑う英二が可愛らしい。
 その可愛いしぐさに微笑みながら、不二は自分の胸の内で決意したことを重苦しく噛み締めていた。



 その祭りの夜に。
 英二を連れ、この村を後にしようと決めたことを。

 
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