ほぁ、と間の抜けた動物の鳴き声がする。 茶色のもこもこの毛玉だ。 「――うっわー……」 そう言ったまま、英二は大きな目をぱちりと言わせて、彼からその『毛玉』をおそるおそる受け取った。両手の平でも、すっぽりと包んでしまえるようなちいさなちいさな生き物だ。 「かっ……わいい……!!」 「でしょ」 「おちび、これどーしたの? すっごい可愛い!」 「うちの宿六が拾ってきたんス」 どこか英二と似た印象のある少年が、無邪気に喜ぶ英二に知らず微笑みながら、そう答えた。 「こないだ街行ったときに路地裏でごそごそ動いてたからって、連れて帰ってきたんスよ。ボロボロだったし、とりあえず洗ってみたらこんなのが」 その言葉に反応するかのように小さないきものは、ほあ〜、と再びか細い声を上げた。 「ねこだ!」 「英二先輩、ねこ見たことないの?」 「見たことぐらいはあるよお」 はしゃぎながら英二は、仔猫に顔をすり寄せる。 「でもさわったのはじめて! しかもこんなにちっちゃいの!」 「そんなに喜んでもらえるなんて思わなかったな、紹介ついでに見せに来ただけなのに」 どこか照れくさげに言った彼もやはり嬉しくて可愛くて仕方ないようで、英二と二人してその仔猫を覗き込む。 少年も英二もどこか愛くるしい猫めいた目をしているので、そうしていると仔猫3匹と言う、なんとも可愛らしいふうに見えてしまう。 「よかったな、英二」 その仔猫たちの様子をほほえましげに見つめていた青年が、英二の赤い髪をそっと撫でた。英二が仔猫にするのと同じくらいに優しく、どこかおっかなびっくりといった様子だ。 砂漠に隠れた村の端。 びっくりするほど狭くはないが広くもない素朴な石組みの家で、その家主である大石はひと月ほど前から、同居人を迎えている。英二という名の赤い髪の少年であったが、その詳しい素性は大石は知らない。 黄色い砂埃の村の中では、あざやかな花の咲いたような赤い髪が、仔猫にすり寄るたびにふわふわと揺れる。 それを嬉しそうにみやっていた大石だったが、ふと気づいて顔を上げる。 「英二。そろそろ俺は出かけてくるから」 「あ、うん」 英二は、にっこりと笑って立ち上がる。手放しがたいのか、ちいさな毛玉のような仔猫を抱えたままだ。 「今日は訓練だったっけ?」 「そうだよ。昼には一度戻るからね」 「わかった。ごはんつくって待ってるね」 そう言いながらとことこ大石のあとを追って入口までついていく。小さな石組みの炊事場と、手作りのテーブルと椅子の横を通る。 「いってらっしゃい」 笑顔で送り出し、今日はおまけとばかりに小さな仔猫の前足を一緒にちょいちょいと振ってみせた。 大石はとろけそうな顔で手を振り返すと、村の中央へと歩いていった。時々行き交う女達や若者になにやらからかわれているのか、赤い顔をしてむきになって何ごとかを言い返しながら。 「あーあ、見られたもんじゃないよね」 「にゃに?」 「あのヒトの顔。もう幸せです新婚です新妻の顔を見るのが一番の楽しみですどーしようもありません、ってカンジ」 「なにそれ」 英二はけらけらと無邪気に笑った。 どこまで判っているのかいないのか。ひとつ屋根の下にふたりきりで暮らしながら、どうやらこの家の主が可愛い猫目の踊り子に一切手出ししていないと言うのはあながち間違った噂でもないようだと、少年――リョーマは考えた。 自分の同居人から彼らが連れてこられたときの一部始終を聞かされていたので(ついでに、この猫目の可愛い踊り子になにかしようとしていたらしい彼のことを、リョーマはとりあえず数日家から叩き出していた)、ここの家主と金瞳の踊り子との夜がいろんな意味で大変だったらしいことは知っている。 この家と隣家の家主は揃いも揃って、このきれいな踊り子たちが共に暮らしてくれるだけで満足しているようで、それ以上の行動には及ぼうとしていないようだ。 ただ、がらにもなく始終うわのそらであったり、なにやら思い出して一人こっそり笑っていたりと言う不気味な光景も一度ならず目撃されている。 (ずいぶん大事にされてるってこと。ま、ぞんざいな扱いよかいーけどさ) リョーマがそう思って見やる先で、英二は飽かず仔猫をよしよしと撫でている。 その大きな綺麗な金色の瞳が何かに気づいたようにくるりと動いた。 「いたいた、あのー、英二先輩ー」 息を弾ませてやってきたのは、声からしてどうやら桃城の友人のひとりのようだ。 「なんだ、荒井じゃん、どーしたの」 「え、いや、たいしたことじゃないんですが」 妙ににこにことしながらドアの側で振り返った英二に、彼は駆け寄る。 英二達が攫われてきたちょうどその時にもいた彼は、今ではあれこれと英二に親切に……というか、下心丸出しでよく声をかけてくる。 「ちょっと大事な話がありまして。そのですね」 そのまま英二と一緒に家の中に入ろうと――あわよくば英二とふたりきりになろうと――していた彼だったが、家の中でじろりとねめつける少年と目が合うと、ぴたりと足が止まる。 「なーに。大事な話って」 「いや、あのーお……」 せっかく入り込んだ一歩を、しかたなく引きもどしながら荒井はぼそぼそと言った。 「あの、なんでも不二先輩がケガなさったそーで。今乾先輩んちにいらっしゃるんで、迎えに来てもらえないかと……手塚部長から……はは」 リョーマの視線に気圧され、哀れにもまた一歩うしろへ下がる。英二は判っているのかいないのか、可愛い猫目でくるりと見上げるばかりだ。 「けが?」 英二はあわてて振り返った。 「うん、判った迎えに行く。わざわざありがと」 「あ、いや。……じゃ、俺、これで」 乾いた笑いと共に、頭をかきかき去っていったその後ろ姿にリョーマはべーっと舌を出してやった。 「――おちび? なにしてんの」 「あ……いや……別に……」 「とりあえず、俺不二のこと迎えに行ってくる。今日はこの子ありがと。また抱っこさせてね」 「いいっスよ。いつでも来てください。不二先輩、お大事に」 「うん、ありがとう。じゃーねー」 毛玉の仔猫をリョーマの手に返すと、英二はもう家を飛び出した。不二を迎えにゆくのだ。 その敏捷な後ろ姿についつい笑みを漏らしながら、リョーマは先刻の英二と同じように手の中の仔猫の前足を、ちょいちょいと振ってやるのだった。 乾はいつもの飄々としたふうで、英二と不二を見送った。 一日に二度、朝夕に薬をかえるのを忘れないようにとだけ念を押すと、英二が手を振るのにあわせて振り返す。 その乾の家から少し離れたところで、不二は少し笑って言った。 「面白い話を聞いたよ、英二」 「にゃに?」 「手塚と大石のことさ」 「大石がどうしたの?」 「帰ったらゆっくり話してあげる」 肩を竦めてふっと笑う不二を、首を傾げて見やりながら英二はてくてくと歩く。 年中乾いた風の吹くせいで、村はいつも黄砂にまみれていた。 全体的に白っぽい、砂埃の多い居住地の中を、ひらひらと歩くふたりの少年はそれだけで人目を引く。 「おや、英二ちゃん。今日はどちらへ?」 顔見知りになったらしい女が、井戸の側から声をかけてきた。女達が寄り集まって、ちょうど洗濯の真っ最中だ。 「うん」 「旦那様はお出かけかい。今日は昼からちょっと寄っといで、パンをやくからさ。分けてあげるよ」 「わあ、ありがとう」 英二は満面の笑みを浮かべて、軽く飛び跳ねて喜んだ。 「どうしたの、ケガでもしたの」 別の女が傍らの不二の腕を見て、声を上げる。この村の女達よりもずっと細く美しい腕に、包帯がぐるぐると巻かれているのが、痛々しい。 「あ……はい」 「手塚サンとケンカでもしたのかい」 「いえ、そうじゃ、ないんです。僕の……不注意で」 「おおごとじゃないならよかったよ。あんたも英二ちゃんと一緒においでね。ちゃんとあんたんとこのぶんも作っておいてあげるから」 「すみません」 不二はぺこりと頭を下げる。 英二はともかく、不二は決して愛想のいいほうでもなんでもなかったが、美人というのはそれだけでもだいぶ得のようだ。みな彼にも英二と同じように親切にしてくれる。おとなしい綺麗な子だ、と女達は不二のことは勿論、屈託のない英二のこともだいぶ気に入っているようだ。 「やあ、英二。おでかけだったのかい」 女達に手を振り、それからいくらもいかないうちに気のよさそうな初老の男から声がかかる。男は家の戸口に座り込んで薪を割っていたところだ。 「不二が、ちょっとケガしちゃって」 「そりゃいけないなあ。薬はあるのかい」 「あ、はい。もらってきました」 不二があわてて言うのに、男はそうかそうかと頷いた。 「そうそう。ちょっと待ってておくれ」 男は家の中に引っ込むと、すぐに手に何やら掴んで顔を覗かせた。 「手塚さんが、この間はうちの子が木からおっこちるところを助けてくださってね。よく御礼を言っておいてくれないかい、これを渡してね」 礼がわりだというなつめ酒を入れた素焼きの壷を(もちろん不二は手を怪我していたので、英二がかわりに)受け取って、またふたりになる。 時折熱い視線を寄越してくる若者や、不思議で綺麗な生き物を見やるような娘達の目や、そんなものを受けながしながら歩いていく。 英二は小さな声で、ぽつりと尋ねた。 「ねえ、不二」 「ん?」 「その腕――」 「……」 「また、あいつ、なの?」 不二は答えなかったが、英二は察してため息を付いた。 「しつこいね。……あんなに不二を大事にしてたのなら、どうしてそんな痛い目にあわせて喜ぶんだろ」 「いいよ、ケガぐらいなら。痛いだけですむもの」 不二は自分の腕をじっと見やりながら言った。 「あいつ、もっとたちの悪いことを――仕掛けてくるし。昨晩もさんざんお楽しみだったみたいだしね。なんとかやり過ごせたけど、手塚に気づかれるんじゃないかって冷や汗ものだったよ」 そう言いながら、不二は手首に通されたブレスレットをわざと揺すってしゃらりと音をさせた。 「これのおかげで、だいぶましだけどね」 「……まだあきらめてないのかな」 「あきらめられないでしょ。僕と君と……『彼』のことがあるし」 不二はため息を付いた。 「とりあえず僕らの居場所が分からないからそういうイヤガラセをしてくるんだと思うよ。……今のところは大丈夫だけど、また近い内に移動しないと」 「え?」 英二は、ぱっと顔をあげた。 「……ここを……出るの?」 「そうだよ。あまり長いことひとつところにいるわけにはいかないだろ、僕らは。ここ、盗賊の村だしね、仮にも」 「で、でも……」 英二はその綺麗な金瞳を悲しそうに伏せながら、きっと彼自身も無駄だと思っているであろう抗弁を試みる。 「――」 「でも……大石、優しいよ」 「――」 「とっても俺を大事にしてくれるよ。俺たちがいったい何処の何者なのか、とか、そういうこと聞かないもの」 「――」 「一緒に暮らしててもいやらしいことしようとしないし。……何回か寝床に入ってきたりはしたけどさ」 「なにっ!?」 不二はそれまでのひそめた声を全部台無しにする勢いで英二を振り向いた。 「君はまだなんにも知らないんだから、くれぐれも手出しするなと釘をさしといたのに!! 本当に、君に妙な真似してこないだろうね、あいつ!」 「な、なんにもしてないよ」 「英二、世話になってるからって庇わなくていいんだよ?」 「ほんとだってば。俺が寝惚けてるふりしたら仕方ないなあ、って笑って、なんにもしないでそのまま寝るよ?」 「あ、そ。なんだ、ちゃんと自分のベッドに帰るんだ?」 「いや、俺の隣で寝てるよ。最近はずっと」 「――あンのエロタマゴ」 「気にしてるみたいだから言わないであげてよ、タマゴって」 そもそも初対面の時に、タマゴ呼ばわりしたのは当の英二だが。 「でも、ほんとに大石優しい。優しくて、とてもいい人だよ。盗賊なんかやってるけどさ」 「そりゃもと宮廷騎士らしいからね」 「……え?」 「それはまたあとで話してあげるよ。でもね、英二」 「――」 「兄さまのこと、忘れたの?」 「……」 「――君が大石をいい人で優しい人だって思うんなら……なおさら兄さまみたいな、あんな目に遭わせたくないでしょ。僕らに出来ることは限られてる。『彼』は僕たち以外にはアテにならないし」 そういうと不二は、ゆったりした自分の帯のあたりを指先でとんとんと叩いた。そこには、例の赤い宝石を嵌めた美剣クリスナーガがひっそりとしまわれている。 「俺達にだってアテになんないじゃん」 「兄さま曰く『キングと言うより女王様』ってことだしね。だいたい、ハナっからたよりになんかしちゃいないよ、僕は」 少し忌々しそうに言う不二は、ぷいと顔をそらす。 シャラ、と綺麗な耳飾りの触れあう音がする。 「いいね。とにかく、関係のない人たちを僕らに巻き込む前に、どうにかしてここを出よう。しばらくは大人しくしていた方がいいと思うけど」 「――」 「英二」 「――」 「わかったね」 「……う……うん……」 少しの友人も、頼る相手も、彼らにはもつことを許されない。うつむいてしまった英二を見ると、さすがに少し可哀想な気になる。しかし英二が心を許す相手――好意をもつ相手ならなおさら早いうちに離れた方がいい。 彼らの敵はあまりにも強大だ。 目前で、愛する者を失うむごさを二度と英二に味あわせるわけにはいかない。 自分も味わいたくはない。 (決して『兄さま』のようには) 差し出した不二の手に、自分の手を繋がれて歩く英二は、寂しそうにうつむいたままだ。英二がこれほど離れたがらないのだ。きっと大石も彼を大切にしているに違いない。 此処での暮らしが、英二にも、そして不二にも優しくて心地よいからこそ、彼らは去らねばならない。彼らを暖かく受け入れた手塚や大石や、村人達の優しさを知るからこそ、その優しい人々を自分たちの追っ手の牙にかけるわけにはいかないだろう。 (こんな村を全滅させるぐらい、あいつはなんとも思ってやしない) 知らず知らずのうちに唇を噛みながら、不二は一日も早く此処から――彼らに優しい場所から逃れる算段をせねばならないのだった。 ――おまえは、きれいだ。 不器用に微笑む手塚の顔が不二の脳裏に浮かぶ。まるで天から授かった宝のように、不二を扱うあの男の顔が。 力で奪っておきながら同衾を強いもしないで、ただ嬉しそうに、幸福そうにしているあの男。 (……手塚) ――ほんとうにおまえはきれいだ、不二。 非業の最期を遂げた『兄』と、彼が重なる。 炎に焼かれる彼と、手塚の面影がだぶって思い起こされる。 どんどんと気温の上がる昼日中にありながら、不二はぞくりと背を震わせた。 |
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