天幕の中は思いの外広い。 男手の急ごしらえとは思えないほど寝床もちゃんとしたものだし、敷布も大きく広げられている。寝酒を置く小さなテーブルまで備え付けてある。 案外に綺麗な敷布の上に少年が倒れ込んだのは、それまで彼の手を掴んでいた青年が、急にその手の力を緩めたからだった。さんざんもがき、罵倒し、隙あらばケリのひとつもと暴れ続けていた少年は、急に解放されてつんのめったのだ。 すぐに振り返って少年は寝床の脇にあった小さな短剣を掴んだ。 と、言ってもこちらは本当に装飾品の域を出ない、華奢な細い短剣だ。 「――妙なことしたら、刺してやる」 「しまえ。危ない」 手塚は驚くほど淡々と言った。 それだけを言うと、着込んだままだった厚手のマントをぱさりと払い落とす。しかも少年に背を向けてだ。 振り向いた彼の顔立ちの端正さに、少年は少し眉を顰めた。 「泥棒の親玉の割には、綺麗な顔してるじゃない」 「――おまえほどじゃない」 バカにされたと思ったのか、少年はおどろくほど軽い身のこなしでそこから立ち上がった。 しゃらしゃらと飾り物がすずやかな音を立てる。 短剣を構えた右手はそのまま、ゆっくりと中腰の姿勢になりながら、彼はどうしたものか左手にももう一本の短剣を掴みだしたのだ。腰に巻かれた帯の中にでも隠してあったのか。 しなやかな獣に似た美しい所作で、彼は二本の短剣を構える。 アンクレットと揃いの耳飾りが、小刻みに鳴り続ける。 その仕草そのものが美しい舞踏のようだった。 どうやら少しは使えるようだ。構えかたも、間合いの取り方も堂に入っているし、よく見れば左手の剣はソードブレイカーだ。短剣使いは接近戦が多いために、なるほど正しい選択である。 しかし見た目より重量があるそれを苦もなく使えるというのなら、少年もなかなか修羅場をくぐってきているのかもしれない。 「あの子を返してよ」 「――お前の連れか」 「そうだよ。今すぐここに連れてきて! あんな連中の慰みものにさせたらただじゃおかない!」 「それは心配ないだろう」 少年が構える短剣も目に入っていないかのように、手塚は全く動じず彼に近づいた。 「俺の側近の男が、どうやらお前の連れを気にいっていたようだからな。他の連中には渡さないだろう」 「……なにそれ」 少年は、震える声で言った。 「それじゃあ、結局一緒じゃない。わけわかんない男のおもちゃになるんじゃない。ふざけないでよ!」 少年は短剣を下ろしたと思うと一瞬で出口に向かって走り出した。 しかし黙って見送るようなことは、勿論手塚はしなかった。 「何処へ行く」 「はなせよ!」 「短剣を離せ、危ない――こんな細腕で」 とにかくも、自分だけでなく彼自身も怪我をするようなことがあってはならない。多少むごい気がしたが、手首を少し捻って短剣をふたつとも落とさせる。 入口の方へそれを蹴りやっておいて、両手を捕らえた少年に言い聞かせるように優しく手塚は言う。 「心配せずとも、あれはそんなに酷い男じゃない。お前の連れが本当にいやがったら、無理強いはしないだろう」 「わかるもんか、盗賊のくせに!」 「――」 「どうせ僕らみたいなのをいたぶるしか能がないくせに!」 「……」 自分と、短剣との距離をぬかりなく計っているようだったが、手塚を油断させようと考えたのか、話を続ける。 「君達が今日押し入ったところの、あのいやらしいお館サマみたいにさ。力でなんでもかたがつくとでも思ってるんでしょう」 「――」 「ああいう人種って、お金でなんでも出来ると思ってるんだよね。君達と一緒だよ。君達は力でなんでも押し通すんだ。まるで弱いのが悪いようにね。僕のこともどうでも出来ると思ってるんだろうけど、そうそう君の思うとおりにはならないからね」 「――いつも、そうしているのか」 「なに?」 「そうやって、舞った先で、身体を売って歩いているのか」 乾いた音が天幕の中の空気を震わせた。 少年が手を伸ばし、身体を思い切りひねって青年の頬を平手打ちしたのだ。 「よく知りもしないくせに、人をバカにしないで。踊り子風情って思ってんだろうけど、それを言うなら君達だって人様の物をかすめとるこそ泥だろう」 「――」 「いっとくけど僕たちは売笑はやってないから。前金でもらって、ちゃんと舞う。――夜這いをかけられる前に逃げるけどね――君達が来たのは、僕らがそうやって宴の後に逃げる計画を話しあってて、どこの窓からどんなふうに、って言ってたときなんだよ」 「――すまなかった」 「遅いよ。もう捕まっちゃったじゃない」 「いや……そうじゃなくて」 「――」 手塚は少し目を伏せ、小さく言った。 「お前達を貶めるようなことを口にして、済まなかった」 「……」 少年は、軽く頭を下げてくる手塚に戸惑ったようだった。 短剣との距離のことも忘れ、自分のおかれた状況の危険なことも忘れて、彼の綺麗に整った顔を見た。 「――許してくれるだろうか」 何を言っているんだろう、と少年は本気で首を傾げた。 ここで彼が不埒に及ぼうとしたら、多分負ける。戦いごとならおそらく青年の方が場数が多いだろう。力でも、技術でも。 ある程度好きにさせながら途中で寝首をかく方法も知らないでもないし、最悪そうしなければと覚悟もしていた少年だったが、どうしたことか青年はいっこうに少年に襲いかかろうとはしなかった。 「その」 「……?」 何事か話そうとして、手塚は困ったように言いよどんだ。 考えてみればこのとき手塚は、なにやらひとかたならぬ己の思いに捕らわれていてまったく注意散漫だった。 このときに駆け出せば、とりあえずこの天幕からは逃れられていたのだろうが、何故か少年も目の前の彼の行動、言動の意味がはかりかねてやや唖然としつつ彼を見守っていた。 「その、おまえだとは思わなかった」 「――は?」 「この間、南の方の街にいただろう」 「……南……?」 「南の。街の真ん中に、青いタイルの貼った、大きな泉水のある」 「――あ、ああ」 確かに、と少年は頷いた。 「たしかにいたけど。……ひと月ほど前のことだよ」 「あの街で舞っていた」 「三日ほどだけだよ。あの街、お祭りだったでしょう?」 「おまえを見たんだ。長いベールを手でふわふわさせて、もう片手に花かごを持って」 「――」 「器用に花かごを動かして、花びらをまいていた」 「よく覚えてるねえ」 ちょっとあきれたように少年が言ったのだが、手塚はどこかまだその時の熱を持ったままのように、いくぶんぼんやりと言った。 「少し風が吹いていろんな色の花びらが舞っていた。お前は最後に顔をあげて、にっこり笑ったろう」 「――そうだっけ」 「俺と目があったんだ。おまえは俺を見て、微笑んでくれた」 「――」 そりゃ思いこみだよ、と少年は口の中で小さく呟いた。手塚はおめでたくも気づかない。 自分たちは踊り子だ。街の辻でも、手塚と出会った(らしい)祭りの中でも、何十人と言う人間の目に晒される。 それはもちろん踊り子の常として、魅惑的なほほえみを振りまくことも忘れはしない。だから時折、自分に色目を使われたと勘違いした男が言い寄ってくるのだ。 しかし。 「おまえのことが忘れられなかった」 「――」 「まさかあの街に、あの館にいるとは思わなかった。……桃城が連れてきたのが、お前だとも思わなかったんだ」 「そりゃ、麻袋に詰められて馬にくくりつけられたからね」 「痛い思いをしたんだろう。お前だとわかっていたなら、そんな真似はさせなかったのに」 「――」 なにか雲ゆきがおかしい。 「どうか許してくれ」 「――あの子を返してくれたら、許してあげる」 いくらか柔らかくなった口調で、少年は言う。 「早く君の側近とやらからあの子を取り戻してきて」 「――あの少年はお前の弟か何かか」 「君には関係ない」 「……そうだな」 手塚は少し悲しそうな顔をする。 「しかし、本当に大丈夫だ。あの少年が心からいやがったなら、大石のことだ、酷いことはしない。どうやら部下達の中に置き去りにされたわけでもなさそうだし、きっとお前が心配するようなことは何もない」 そんなこと、と言い返しかけたが、奇妙に毒気を抜かれてしまったようだ。少年はなるたけ最初の怒りのテンションを維持しようとするのだが、目の前の男にはなぜだかそれが出来ない。 手塚はとても幸せそうに笑ってこんなことを言った。 「お前の名前は不二、というのか」 「――」 「そうか。不二、か」 少し微笑んだ手塚の端正さに心ならずも一瞬見とれてしまった少年――不二だったが、まるでその自分を思いきるように殊更きつく言った。 「それがどうしたの」 「いや。名前を知りたかったんだ」 「――」 「もう一度会えたら、名前を聞こうと思っていた」 別に不二を脱力させる目的などではないのだろうが、それにしても何なのだろう、この盗賊は。奇妙に紳士的で、綺麗な顔をして、あんな荒くれたちを率いているとは思えないような物腰で。 不二がじっと彼を見つめていると、手塚は少し戸惑ったような慌てたような素振りを見せたが、意を決したようにいきなり不二の側へやってきた。 「な、なんだよ」 「――」 「何?」 「どうか、これからは一生、俺のためだけに舞ってはもらえないだろうか」 「はあ?」 あまりに飛びすぎた台詞の内容にきょとんとした少年の、その顔つきから、青年はどうやら自分がとんちんかんなことを言ったと思ったのだろう(確かに脈絡がなさ過ぎる)。 困ったように眉を寄せ、難しい顔をし、普通より広いとはいえあまり余裕はない天幕の中をあちこち歩き回りながら、なにやら口の中でぶつぶつ呟いていたが。 そうか、という風に自分一人でうんうんとうなずき始めた。 「すまん。言い方が悪かったみたいだ」 「――?」 青年は意を決したように近づいて来、少年の傍らに座り込み、あまつさえその手を取って両手でぎゅっと握りしめた。 「な、な、なに?」 「……」 「……なんだよ」 「……俺の」 「?」 「俺の妻になってくれ」 一瞬の沈黙の後。 ――ぱっちーん。 再び、天幕の中には乾いた音が響いたのだった。
天幕の中には、無骨な男手の支度ながら心づくしの寝床が整えられ、足下には綺麗な布が敷かれている。天井が高いせいで存外広く感じられ、燭に照らされたその中は、居心地は良さそうだった。 少年を抱えたまま天幕の中に入ってきた大石は、身を縮めて怯える少年を寝床に下ろすと、天幕の入口から顔だけを覗かせて何事か喋っている。 どうやら若い男が、首領やその側近の為のご用聞きに控えていたようだ。 少年が逃げる道を探す間もなく、やがて大石は手に何かを持ってやってきた。 「はい」 「――」 「あったまるよ」 「――」 手に持たされたのは、小さな器だった。 ほんの少しバターの匂いと、不思議な甘みが感じられる飲み物。昼間と夜とでは驚くほど温度差のある砂漠に暮らす民は、眠る前によく愛飲している。 「……美味しいだろう」 こく、と少年は頷いた。 器を少しずつ傾けながら、こくこくと中身を飲んでいく。小さく座り込んでそうやっていると奇妙に幼い感じがする。 (金瞳、ねえ) 金色に輝く瞳に対する言い伝えは、各部族によってそれぞれだ。 このあたりの砂漠の民などならば、目の色に関する迷信は少ないので、変わった色合いだと珍重はされるだろうが異端視もされまい。 しかし東の草原の民の中では問答無用で魔物の落とし子とされる。北にあると聞く石造りの巨大な王国ならば、逆にまたとない吉兆だ。 北か東か、どちらかの生まれだろうか。 「……」 驚くほど白い肌や、先刻の少年の色素の薄い髪の色を思い起こす。話に聞く、雪とやらに閉ざされた、極寒の国の人々はそろって髪の色も肌の色も薄いのだ。 先刻の少年が落とした短剣(クリスナーガ)のことも気にかかる。意味ありげな柄の意匠やはめ込まれた赤い宝石は、それだけで彼らがただ者ではないと言うことをあかしだてているようなものだ。 (――北、かな) 大石は、少年をほほえましく見守りながらも、冷静に判断を下した。 (これは、手塚によく相談してみないとな) 手慰みにしたあとうっかり奴隷市場に売り飛ばしたりしないように――もっとも、手塚のあの様子では、その心配はないだろう。無愛想なあの男のことなので傍目には判らなかったろうが、相当緊張していたようだ。よほどあの少年に心を奪われたのだろう。下手をすれば求婚ぐらいはしかねない。 (妻になれとか言って引っぱたかれたりしてなきゃいいんだけどなあ。ああいうところで、真面目に道を外すから) まさかな、と大石はひとりで苦笑した。 (まあ、そのあたりはゆっくり聞き出せばいい) いったい隣の天幕ではどんな状態になっているだろうと想像するのも面白かったが、今は目の前で小さくなっているこの子の方が先だ。 まあせっかくだしとりあえずは、と、大石が隣に座ると、少年はびくんと身体をはねさせた。怯えたようにあとずさりする腕を掴んで、あっという間もなく寝床の上に押し倒す。 「名前はなんて言うの?」 耳元で囁くと、彼はきゅっと身を縮めた。 「もうひとりの子が英二、と呼んでたね。君の名前」 「――」 「俺も呼んでいい?」 「あの」 小さく怯えたような声がする。 「ん?」 「不二、は」 「……ああ。たぶん大丈夫だよ。あいつのことだから悪いようにはしないと思う。酷い目にあわせたり、売り飛ばしたりはしないから」 「――」 「君のこともね」 かわいらしい耳に付けられたコインの飾りがしゃら、と音を立てる。 自分の身体の下に引き込むと、華奢で細いのがさらによくわかった。 もともと踊り子の衣装などはきわどいデザインで全体的に薄い。脱がせきらなくとも事に及べそうだったが、、肩のあたりの小さな結び目や編まれた帯締をひとつひとつゆるめていくのも楽しいものだ。 少年の方は諦めたのかすっかりおとなしく、黙りこくっている。それをいいことにさらに悪戯しようと大石が手を伸ばしたとき。 「……っく」 「――?」 「……ふえ」 「――…??」 「ふえ……ええええん」 いきなり彼が肩をふるわせて泣き出した。 まだ脱がせ始めたところで何もしてない! と内心思いながら、慌てて大石は身体を起こす。 「どうしたの。……どこか痛い?」 ひっく、としゃくり上げながら少年は覗き込んだ大石を見上げる。 涙の珠の溢れた、おどろくほど綺麗な金瞳。僅かな蝋燭の明かりに反射して、その金色の目から宝石のように光りがこぼれる。思わす見とれた大石の前で、それがふにゃ、となさけなく歪んだと思うと、今度は両手で顔を覆ってしまった。 寝床の上で身体を縮め、大石に背を向け、堰を切ったようにひくひくとしゃくりあげだす。 「ど……どうしたのかな」 「――」 「あ……ひょっとして怖かった?」 「ふえっ……ひっく」 なんとまた、切ない、可愛い泣き方をする子だろうか。 「びっくりしたの?」 「……」 「どこか痛い?」 「……のにっ……」 「え?」 「せ、せっかく逃げ出すとこだったのにいっ…」 「逃げ出す? どこから?」 「あのお屋敷から……あそこの、やなお館さまに今夜寝室に来いって言われて、不二とうまく逃げるように、してたのに……っ」 「不二? ……ああ、さっきの」 「ひっく……えくっ……な、なのに、今度はこんなとこ連れてこられて……」 「……」 「俺のこと袋に詰めるし」 「……」 「不二は連れていかれちゃうし」 「……」 「怖いひとばっかりだしっ……!」 さすがに可哀想になって、大石は少年を宥め始めた。 「困ったな……泣かないでくれないかな。その、さすがに、そんなふうに泣かれると」 盗賊などをやっているかぎり決して大石も誇れるようなお綺麗ではないし、結構惨いこともやってきたと思う。今夜のような状況も、大石自身が積極的なのは珍しいことだが、よくあることだ。 泣こうが喚こうがうるさければ猿轡でもかませて、好きにする――ところ、なのだ、が。 が。 「ええと……俺のこと、怖い?」 少年は――英二はぱっと泣きやみ顔をあげ、まじまじと大石を見る。 大きなお目目を瞬かせ、上から下まで二、三度繰り返して観察、そして吟味(……)した後、再びうわーんと泣きじゃくり始めた。 「顔はかっこいいしたまごみたいで可愛いけど、やなもんはやだああああ」 「た」 ――たまごって。 ――そんな。 「えーとその……英二?」 「ふえっく」 「泣きやんでよ」 「ひっく」 「わかった、英二が泣くんなら、もうしない。俺はなんにもしないから」 ちなみにこういう状況で男が「なんにもしない」と優しくいう時ほど、疑ってかかるべきである。 もちろん大石もまだ下心を捨てきれずにいたが、とりあえずこんなかわいそうな泣き方をやめてもらわないと、したいこと(……)も出来ない。 「ほら、怖くないよ」 「……」 「だから泣かないで」 ね? と精一杯やさしく笑って見せた大石を、またぴたりと泣きやんでじっと見つめていた英二だったが、さらにさめざめと泣き始めた。 「――じゃ、じゃあ俺、さっきの、こわい人たちのとこにやられるんだっ……」 「え、いや、そんなことは」 「あのひとたちにいじめ殺されるか、たまごさんに食べられるかどっちかだなんて、ひどいようううっ」 「……」 ――たまごから離れろ。 天幕の外は、もうだいぶ酔いつぶれた男達でいっぱいだった。 肉もあらかた平らげられ、篝火も小さくなった。略奪品も金貨以外は皆のふところへとそれぞれ移動したようで、そこだけ妙に綺麗に片づけられてしまっていた。 「桃」 「……おんや、大石先輩」 しつこく酒を傾けていた桃城は、首尾はどうかとからかってやろうと振り向いた。 しかし何故か疲れたような大石の顔に目を見張る。 「すまないけど、菓子をわけてくれないかな」 「――へ?」 「おまえ、かみさんに土産、って厨房から焼き菓子と練り飴くすねてきてたろ」 「――よく見てますねえ」 「悪いけど、少し分けてくれ」 「へ? 大石先輩、喰うんですか?」 「ああ、俺じゃない、俺じゃ」 慌てて両手を振ってみせる。 「――その」 「あ……いや、いいっす。ちっと待ってクダサイ」 何事かを察して、桃城は実にお行儀良く、腰につり下げていた袋からちいさな布包みを探し出した。綺麗な色の布に不器用ながら大事にくるんである。桃城自身の手でそうしたのだろう。 「悪いな」 「いや、いいっス」 三つほどの布包みを膝に大事に広げると、その中からいくつか形の良い、綺麗なものを指先でつまみ出した。 練って伸ばし、小さく切り落として乾かした白い飴と、シロップに漬けたカラフルな果物が乗せられた焼き菓子。どちらも砂漠の国ではとても珍しい。 それぞれ三つほどを手の平に乗せると、大石は桃城に礼を言って天幕に戻った。 天幕の中では、まだしゃくりあげる声が聞こえている。 自分が出ていった後も逃げなかったのだろう。もっとも逃げだそうとしても、天幕のそばには見張りが数人、目を光らせているのだから無理だが。 「英二」 大石はそっと声をかけた。 寝床で膝を抱えて泣きべそをかいている彼の目の前に、大きな掌がすいと差し出された。 「ほら、食べてごらん」 ひっく、としゃくりあげながらその掌を見やる。本当の子供のようだ。 「……なに? これ」 「お菓子だよ」 「――お菓子?」 「うん。ほら、口あけてみて」 飴をひとつつまむと大石は少年の口元にそっと差し出した。おそるおそる口に含んだ少年は、その甘さに気づいたのか泣きやんでむくむくと口を動かし始めた。 「――美味しい?」 少年は頷いた。 大石の掌を皿にして載せられた菓子の類を、少年は物珍しげに目をきらめかせ、リスのように口を動かしてひとつひとつ食べていった。 ぱちぱち瞬く目や、甘さにほころぶ口元が可愛らしい。 全部食べ終わるまで辛抱強く待っていた大石だったが、最後の菓子を少年が嚥下したのを見てようやくほっとする。 「美味しかった?」 「うん」 「そう、それはよかった」 さすがに泣き出す気配はないし、緊張もほぐれたようだ。もう大丈夫だろう。 よし、と気合いを入れ直して、少年の肩に抱き寄せようとした。 途端。 「……えっく」 「――え?」 「……ふえーん……」 「……」 「俺がお菓子食べたから、今度は俺を食べるんだっ……」 「……」 少しうとうとしかかったときに肩を揺すられ、桃城ははっと目を覚ます。 「桃……」 先刻よりさらに沈痛さを増した大石だった。 桃城はおそろしくて、どうしたんですかとももう聞けなかった。 「すまないが、身軽なやつに頼んで、砂なつめを少し摘んで持ってきてくれ」 「ハア……いや、俺行ってきますよ」 「頼む」 何故か困り果てたような大石に、天幕の中で何がおこっているのか桃城は知りたいような、知りたくないような――複雑な心境である。 なつめの枝を軽く剣で払い、実のどっさりついた枝ごと大石に手渡す。 「すまん。休んでくれ」 そう言いながら慌てて大石は天幕に帰っていった。 勿論手にはなつめの枝を持って。 その後ろ姿を多少の哀れみをこめて見送りながら、桃城はぽつんと呟いた。 「……もう一回ぐらい来そうな気がする」 言霊の力、というものを、桃城が知っていたかどうかは不明だ。 嫌な予感がするときは、間違ってもそれを口にしてはならないのである。案の定、深夜も過ぎて月すら傾く頃に、桃城はもう一度大石に起こされる羽目になった。 「桃……」 「こ、今度はなんスか」 「何か甘い飲み物を……」 「は、はあ……」 「疳の虫がおさまりそうなのを……」 「はああ!?」 こうして大石の、(いろんな意味で)切ない夜は過ぎていった。
翌朝。 砂漠の早朝は、日中の熱気もまだ遠く、驚くほど爽やかだ。 太陽がそろそろ登る。 盗賊達のいうところ「赤ら顔の大将」が顔を全部のぞかせる前に、彼らは出発の準備をいそがしく始めていた。 出発の準備を見守る盗賊団の首領とその側近。 きひきびと働く盗賊達。 しかし、今朝は何かが違っていた。 首領のその整った端正な顔の両頬に、華奢な手形が残っている。どうみても、ひっぱたかれた、としか思えない。 側近の青年は、なぜだか寝不足らしく生あくびばかりを繰り返す。目の下にはクマがくっきりと浮かんでいた。 何を言うにも荒くれどものこと、寝床に他人を引っ張り込んだのが判っていたなら、たとえ相手が首領でもなんでも、閨ごとをからかう言葉のひとつふたつ口にしないわけが無かったが何故か誰もそうしない。 さきほどのひと騒ぎを皆が皆目の当たりにしたせいだろうか。関わらない方がいい、と判断したらしい。 「……さー、馬に水やらなきゃ……」 「……さあさあ、朝のメシの支度、支度……」 「水汲んできておけよー……」 「……あー、あれどこやったかなー、あれー」 「あれってなんだよー……」 「なんだったかなー……」 「さー天幕片づけなきゃ……」 みな、ふたりから必死に目をそらす。ひたすら「普段通り」を装おうとするが会話は空回りし、ははは、と時々ごまかすようにたてられる笑い声は何処か力がない。 威勢だけはいいかけ声は……みな、ものすごく白々しい。 桃城も出来るだけ明るくいつものように振る舞っていたが――目線はなんとなく泳いでいる。 「なあ、手塚」 「――」 「質問いいか」 「俺の顔に関することなら却下だ」 「あ、そ」 「――」 「――」 「大石」 「何」 「夕べは――」 「俺も黙秘」 「――そうか」 盗賊たちの、朝っぱらからどん底なテンションの原因の男二人は、いつものように部下達の作業を注意深く見守っている。 手塚はちらりと背後の天幕を伺い見た。大石の方に割り当てられていた方だ。 つい先ほど。 なぜだか非常な勢いで手塚の天幕を飛び出したのは、琥珀色の髪の少年、不二だ。彼は大石の天幕に飛び込むやいなや、本来の主をそこからさっさと追い出してしまった。 あとから少年を追ってきた手塚も、追い出されてしまった大石も、今かれら二人がどうしているんだろう、と天幕の中が非常に気になっている。 やがて入口の布がさっとまくり上げられ、少年がずかずかと出てきた。 手塚が気遣ったのだろう。ひらひらした踊り子の衣装ではなく、略奪品の中にあったらしい衣服を身につけている。そうしていかにも少年らしい、少女とは間違いようのない姿になっても、不二と言う名の彼は美しかった。 「ちょっと」 その不二に手招きされたのは大石だ。 「君、昨日、英二になにしたの」 「なにしたの、って」 手塚はこちらを振り向かなかった。しかし、思い切り聞き耳を立てているのが判ってしまって大石はさらに焦る。 すぐそばで白々しく靴ひもを結び直すためにしゃがみ込んだり、持ち物を点検したりと、部下達も視線をあわせないまでも耳だけはしっかり此方に向けている。 「いや、俺、なんにも」 少したじたじとなりながら、大石は言った。 「なんにも、って。じゃあどうしてあの子あんなに熱出してるの! 君が悪さしたからに決まってるだろ!」 「一晩中泣きっぱなしだったんだから、喉痛めたんだよ、あれは!」 「どーだか」 「誓って言うが俺はなんにもしてない!」 ぶっ、と手塚の肩が少し揺れた。 「じゃあその、君が泣かせたせいで熱を出した子をほうっておくのはどういう了見?」 「怪我や解毒の薬はあるけど、熱冷ましは村に帰らないとないんだ。とりあえず滋養のありそうなもの食べさせて、喉が痛くないように湿布もしてあるから………」 「オアシスなら熱冷ましの葉が生えてるでしょう」 いらいらしたように不二が言った。 「熱冷ましの葉?」 「こんな、とげとげの葉のやつ」 不二は白い指先で葉っぱの形を空に描いてみせた。 「あったかなあ………いや、とげの葉はみたことはあるけど、あれは薬になるの?」 「ちょっと火を使うけどね。いいよ、もう。僕摘んでくる」 不二は傍らにあった適当なカゴをとりあげると、ずいっと手塚に渡した。押しつけて無理矢理持たせた、と言った方がいいだろうか。 また手塚も馬鹿正直に受け取ってしまう。 「な、な、なんだろうか、不二」 手塚もらしくなく、多少動揺しながら優しく不二に聞いた。 「君、ついてきて」 そう一言言い捨てると、不二は何故か恐れるように見守る盗賊達の視線をものともせず、彼らのどまん中をずかずかとぶちぬいて歩いていった。傍若無人な不二の行動にも誰も何も言わない。みな危険なものを察知する能力には長けているのだ。 その後ろをカゴを両手で持った手塚があわてて追う。 頬に小さな手型の跡をつけて。 彼ら二人を戦々恐々で見送ったあと。 いろいろと聞きたいが聞けない、と言う顔つきをした桃城にあとを任せて、大石はようやく自分の天幕の中に戻った。 大石の為の寝床を占領して寝込んでいる少年の顔を覗き込む。 「英二。具合は?」 「………」 「いま、不二が薬取りに行ってくれたよ。熱さましのね。とげのある葉のやつだってさ」 「………」 「英二?」 「――あれ、苦いから、やだなあ………」 きっちりかけられた布の下で、英二はくすんと鼻を鳴らした。 「よく効くの?」 「うん」 「そう、じゃ頑張って飲まないと」 大石は本当に幼い子にしてやるような心持ちで手を伸ばした。 英二は一瞬首を竦めたが、よしよしと撫でられる手の優しさに安堵したのか金色の目を瞬かせて大石を見上げてくる。 「夕べの飴は美味しかった?」 「うん………」 「じゃ、あとでもうひとつ桃からもらってきておいてあげるよ。薬のあとで食べよう」 「――ほんと?」 「うん。どうしても出発は延ばせないからちょっと頑張ってもらうけど、ここまで来れば村までもう少しだから。村に帰ったらゆっくり休ませてあげるよ」 それを聞くなり、たちまち英二の顔が情けなさそうに歪んだ。 「英二、もう泣いちゃだめだよ」 大石は慌てて英二の頬をぴたぴたと撫でる。 「喉が痛いだけだよ。――もう夕べよく泣いただろう」 「俺達………どこ、連れてかれるの?」 ふにゃん、と行った具合に英二の言葉が揺れた。 「売られちゃうの? 不二と一緒にいられないの?」 「そんなことしないよ」 大石は出来るだけ優しく、驚かせないように言った。 「不二は、彼は手塚が手元に置くだろうけど、英二は俺の家にくるんだよ」 「――」 「俺の家と手塚の家、隣同士だからね。いつだって会えるんだよ。心配しなくていいよ」 「こわいひと、たくさんいる?」 「みんな優しいよ」 大石は笑って言った。 「英二」 「――」 「英二達は、どこからきたの?」 しゃくりあげていた声がぴたりと止まった。 「それとも追われているのかな?」 「――」 「俺も手塚も、君達を奴隷扱いする気は毛頭ないよ。………なにか事情がありそうだし」 「――」 「俺達の村は隠れ里みたいなところだから村の者以外には見つかりにくい。いつか君達が出ていくことがあるにせよ、少し居着いてみるのもいいのじゃないかと思って」 ほとんど思いつきに口から出た言葉だったが、大石にしてみれば決して嘘いつわりではない。実のところ少しばかり不謹慎な目的がないでもないが。 英二は黙っていたが、くすん、と鼻を鳴らして、不二に聞いてみる、とだけ言った。 にっこりと英二に笑ってやりながら、きっと彼は断らないだろう、と大石は思う。 クリスナーガの柄に刻まれた意匠。 あれは、北の国のものだ。 そのあたりからつついてみれば、きっと彼は――不二は、断るまい。 一介の盗賊が手におえないような面倒ごとに関わるな、と手塚は言うだろうか。 そう言って、不二を手放すだろうか。 (それもないだろうな) 昔からのつきあいだ。手塚の性格などはよく判っている。どうやらひと目で心を奪われたらしいあの少年が請えば、一騎かぎりで出奔するぐらいはやりかねなかった。 昨日までの自分には、そんなことには思いも寄らずとも。 恋心とはまこと不思議なもので。 天幕の外で、なにやら声がする。片方は手塚のようだ。 「帰ってきたみたいだよ」 大石は気づいて立ち上がった。 「少し薬を造るのを見せてもらおうかな。火がいるって言ってたし――英二、一人で大丈夫?」 「ん」 「こわいことはなんにもないから、出発までゆっくり寝ているんだよ。ちゃんと約束の飴ももらってきておくからね」 「うん」 英二は布の間からひょこりと顔を出し、大石に向かってにっこりと笑った。 すこやかな、赤い林檎のような笑顔だった。 ありがとうと笑う、彼の顔。 瞬間、まるでうぶな少年のように高鳴った自分の鼓動が、大石の胸を優しい痛みで叩く。 ――恋心とはまこと不思議なもので。 |
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