そこは、一面の黄砂であった。
 一日に幾度と無く吹き荒れる砂嵐と、そのたびに姿を変える砂の丘陵地帯。照りつける灼熱の太陽のじりじりとした熱気に、砂の地平はゆらりと陽炎を立ち上らせ延々と続く熱砂の向こうに在らぬ街の幻さえ浮かび上がらせる。
 よほど砂漠に慣れた者でなければ、そしてそうでなくとも些細な油断から半日で日干しになるこの砂の海。
 渇きの――そして死の王国とはよく言ったもの。
 穫るよりも奪われるもののほうが多いこの大地は、それゆえにどんな支配者の足下におかれることもなかった。
 旅慣れた隊商ですらよほどのことがなければ避けて通るこの砂の海の真ん中を――そのかなたを。
 幻のように煙を上げて走る、騎乗の一団がある。





 彼らはすっかりなじみの、彼らだけが知るオアシスまでひたすら馬を走らせていた。無駄な言葉は何もない。
 砂の海に強い蹄を持ち、主の一声によく従う馬たちの中には、騎手を乗せないものもある。それらは代わりにじゃらじゃらと大量の貨幣の音のする袋、遠目にもよく判る上等の布や、慌て者がきちんと詰め込まなかったのだろう宝石のついた首飾りがちらちらのぞいてゆれる革袋などがつまれていた。
 厚い布を目深にかぶり、一言も漏らさず、数十騎が黙々と駆け抜けていくその様子を見れば――彼らがそれそれその背に負う巨大な曲刀(シミター)を見れば。
 形は様々あれど、意味ありげに剣の柄につけられた青の房飾りをみれば。
 ほんの少しでも砂漠に詳しいなら、のこのこと近寄る愚か者はいないはずだ。
 砂の海の盗賊団。
 砂漠に旅するもので彼らのことを知らぬ者はおらぬ。
 たとえ無知者が彼らに近づいても、彼らはその無知を哀れむようなことはせず、嬉々として思わぬ獲物を喜ぶだけであろう。





 オアシスについた頃には、生きながら焼き殺さんばかりの熱気を放っていた太陽も、砂海の彼方へ巨大な赤ら顔を沈めてゆこうとするところだった。
 砂漠の熱気の恐ろしさをある意味一番良く知っている彼らは、ここに来るまでひたすら無言でいたうさをはらすかのように、オアシスの水をくんでは頭からかぶり、奇声を上げて浮かれあった。
 火を起こせ、肉を焼け、酒樽を運び出せ、と威勢のいい男達の声がかかる。
 天幕が手際よく次々はられ、オアシスの中心にあかあかと篝火が焚かれ、あっという間にちょっとした村のような様相になる。この盗賊団の寡黙な首領はなにも言わず、その側近も苦笑しながらもこのバカ騒ぎをたしなめなかった。
 ひと仕事終えた後は仕方ない。みな気が高ぶっているのだ。


 お祭り騒ぎを仕切っているのは、年若い桃城だった。
 彼は「仕事」でも、そのあとの酒盛りでも一番いきいきと立ち回る。「仕事」の勢いのまま、酒宴でもバカ騒ぎしている彼は、いいかげんに返り血を洗えばいいのにと首領の側近の青年から言われても
「およ、目立ちますかね」
と、悪びれない。
「どうせ今洗わないと、そのままで村に帰る気だろう、お前は。――また家に入れてもらえないぞ」
「そーでしたそーでした。ウチのかみさん怖えから」
 あいつ本気で殴るんだもんよ、と桃城はぼやく。
「今度、追い出されて俺のとこに来たって入れてやらないからな」
「勘弁してくださいよう、大石先輩」
 一応彼なりに思うところがあったのか、慌てて血塗れの衣装を脱ぎ、オアシスの泉から水を汲み上げて一生懸命汚れを落とそうと試みる。
 一見乱暴者の集まりだが、オアシスの泉に直接飛び込んで水を汚す馬鹿はいない。砂漠での水の大切さが判らない者は首領から放逐されても文句は言えなかった。こういうところが奇妙によくしつけられている。

「桃ぉ、おまえずいぶん洗濯上手いな」
「あー俺、知ってんぜ。こいつこないだかみさんとケンカしてボロ負けしてよう、で、謝っちまったもんだから、ずっと洗濯と掃除やらされてたんだよ」
「うるせえよ、おめーら!」
 言い返す桃城に、部下の男達はげらげらと天を向いて笑う。
「そんなに桃んちのかみさんて怖えの? あのちっこい、ガキみたいなヨメさんだろ?」
「あれだろ、西の方からさらってきた――」
「そうそう、奴隷商人の隊商襲ったときの」
「案外かわいい顔してたのにな。あー、桃に譲っといて正解だったな」
「お前もバカ正直に嫁にしたりするからだよ」
「うるせえなあ、ありゃあれで可愛いんだよ!!」
 またひとしきり罵声と揶揄が飛び交って、大石と呼ばれた青年は一緒に笑った。
 そうしてふと背後を振り向いた。


 たてられたばかりの天幕の中に、一際大きいふたつのものがある。片方は首領の青年、もう片方は大石の為のものであったが、その前に沈黙を保ったまま座り込んでいるのが、この盗賊団の首領だ。
「手塚、たまにはこっちにきて一緒に騒げばいいのに」
「――いや。ここでいい」
 全員が酒に酔いつぶれてはいけない、と言うことだろうか。いつも冷静なのはいいことだし、彼の強さは皆が知っているから誰も彼に不満の声をあげたりはしないが。
「いつもながら、お前は真面目だね。――盗賊に真面目、というのもおかしいか」
「大石」
「はは。まあ羽目を外したお前というのもあんまり想像できないな」

 肉の焦げる香ばしい匂いがたちこめる。焼き上がりを待てず酒を流しこみ、もういいほど酩酊してしまった者も出始めた。
 部下の中でも年若い男数人が、手塚と大石の為に肉汁の滴る塊を刺した串ごと持ってくる。大きな葉に乗せておかれたそれを肴に手塚はほんの少し酒を飲む。大石もいつものことだとそれにつき合っていると、やがて桃城が彼らの元にやってくる。
「大石先輩、そろそろお宝の顔でも拝みましょうや」
 いつのまにか洗濯は終わったのか、それとも諦めたのか、上半身裸のままの桃城が声をかけてきた。彼もなんだかんだと言いながらだいぶ飲んでいるらしい。
「そうだな――手塚?」
 いちおう首領の意向を伺うように、彼はちらりと手塚を見た。
 手塚は、念のため空を仰ぎ見る。
 突然の嵐が来そうでもないし、空気もとりあえず穏やかだ。耳を澄ませても遠くから不穏な気配が近づく様子もなかった。
 整ったその顔を少しも動かさず、略奪の余韻や興奮も引きずらずに彼はこくりと小さく頷いた。それを受けて傍らの青年が、盗賊団にあるまじき優しげな微笑でこう言った。
 まるで食事を前にお利口に待っている我が子を見るような、優しげな顔つきで。
「桃、いいぞ」
「やり。そうこなきゃねえ」
 たちまち男達は、篝火の前をステージに見立てて、何事か叫びながら次から次へ今日の戦利品をぶちまけていく。
 炎にきらきらと輝く金貨、ずっしりと重たい宝飾品、よく割らずに、と思うような重厚な壷や、どうして持ってきたのかと首を傾げたくなるような立派な絨毯などが、あとからあとから積み上げられていく。
 その行動自体は乱暴だったが、男達は金貨の一、二枚を懐にくすねたり、宝石のひとつを口に含んで隠したりと言うことは決してしない。そんなことをしなくても、彼らには十分な報酬があるし、今この目の前に積まれている宝のいずれかは必ずふところに入るのだ。
「しかし、よく持って帰ってきたな、こんなに」
「あの市長のジジイ、しこたまためこんでやがったみたいでさ」
 にいっと、桃城が人の悪そうな顔で笑った。
「これで全部かな」
「まだありますよ、大石先輩。おとっときが」
「ん?」
 桃城は悪戯っぽく笑うと、傍らの男に目配せした。
 暗がりから引きずり出され、口笛や野次にはやし立てられながら、その宝物の前に放り投げられたのは――。



 男達からしてみれば、まるで子供のような華奢な身体が、担ぎ上げられた肩から放り下ろされた。
 虹色の衣装と、薄い琥珀色の髪が篝火に綺麗に反射する。
 少年は気丈にも苦痛の声ひとつ上げなかったが、次に同じように自分の側に落とされたもうひとりがあえなく悲鳴を上げるのに、慌てて側へ寄った。
「いた……っ」
「英二!」
 どうやらふたりは連れのようだった。
 そろいの衣装もつきづきしく、手首や腰、足首など絶妙な位置を綺麗な黄金細工の輪や飾り紐で止めてある。薄いコイン型の飾りの付いたアンクレットがしゃらしゃらと綺麗な音を立てた。
 さやさやと衣擦れの音を立て、あやしく透けて身体の線を見せるようにデザインされた服は少しの風にも綺麗になびき、霞をまとっているようにも見える。
 おや踊り子か、と大石はそちらを見やった。
 これで舞ったらさぞ美しいだろうと思わせるのだが、野卑な男達にそれを愛でようと言う風雅はなかった。
 あとから放り出された少年を助け起こしてはみたものの、琥珀色の髪の少年にもどうしていいか判らないようだった。美しい者をより美しくなまめかしく見せる衣装にくるまれているのは、この際彼らは不幸であったか。粗雑に投げだされた数々の宝物の前で、ふたりはひたと手を取り合って周囲を見据える。
 野次。
 卑猥なだみ声。
 口笛。
 みだらな視線。
 男達は口々に彼らを怯えさせるようにがなりたてたが、どうしたことかいっかな彼らの身体に襲いかかろうとはしなかった。
 主の合図が出ないために、飛びかかるのをこらえているどう猛な犬のようだ。
「いいの、めっけてきたでしょ」
 桃城が得意げに言った。
 少年二人は必死に寄り添っている。
 琥珀色の髪の彼は文句無しに美しい。ぺたりとした薄い胸を見ても男だとはにわかに信じられないくらいだ。後から放り落とされた方は綺麗な赤い巻き毛の少年で、いかにも敏捷な猫めいた目をしている。
 これはまた可哀想なくらいかわいらしいのを連れてきたな、と大石は思う。
 赤毛の少年の大きな目が不思議に輝くのを見て、大石と呼ばれた青年はおや、と興味を引かれた。その瞳がきらきらと、見たこともないような光りかたをしていたからだ。

 まばたきをする、その少年と目があった。
 いじらしいような、大きな目。

――きっと笑ったら可愛いだろう。

 そんなふうに考えたその瞬間に、彼から目を離せなくなってしまった。

「何処にいた」
 ふいに、そう声がかかった。
「あの市長の家っス」
 桃城はいくぶん面食らって背後を振り向いた。
 略奪品を分ける段になって、首領が――手塚が口をだしてくるのは珍しい。
「あそこの家の、奥の方。ほれ、今日、なんだか宴でもやるみたいだったじゃないスか、あの館は。だから俺達ほいほい忍び込めたし」
「――」
「ついでだし、さらってきちまったんスよ。こいつら余興の出し物だったんじゃないスか。他のめぼしい女の踊り子は全部逃げちまったしなあ」
 可愛い顔してるからいいでしょう、といいながら、桃城はずかずかとふたりの少年の側による。びくりと身を竦ませる赤毛の少年を抱きしめたもうひとりは、座り込んだ頼りない姿勢ながらも、健気に琥珀色の髪を振り上げて桃城を睨んだ。
「おーこわ。そんだけ綺麗な顔してんだ、睨んじゃ台無しだぜえ」
 覗き込んだ桃城は、お、と小さく声を上げる。
「へえ、珍しい。こいつ金目だ」
 英二、と呼ばれた踊り子の方は、炎にきらきらと映える金瞳をしていた。桃城にぐいと顎を取られ、そちらを向かされてますます怯えた顔をする。
「金目? へえ、俺見るの初めてだ」
「うわー、猫みてえ」
「可愛い顔してんなあ」
 男達がこれ幸いと寄ってくる。
「寄らないで!」
 琥珀色の髪の少年が叫び、片手に『金瞳の英二』をさらに深く抱え込んだ。
 もう片方の白い繊手にすらりと引き抜いたのは、剣身の波打つ美しい短剣だ。
 大石は急に顔を険しくして少年の取り出した剣をすがめ見た。舞踏用の飾り刀ではなさそうだ。
「寄ったら、刺すから」
 青ざめ、怯えきった顔で言われても、男達には痛くもかゆくもない。むしろそうして抗うのが心地いいとばかりに、残酷な慈しみの顔で少年達を取り囲む。
 下品な興味を持って、その身体を眺め回す。
「おやー、おイタする気か」
「そんなんで刺せんのかあ? 使い方教えてやろーか」
 げらげらと笑いながら、男達が彼らを取り囲んだ。


「まて」

 今しも少年達に伸ばされようとした手は、ぴたりと止まった。
 男達はきょとんと……やや唖然と声のした方を振り返る。
 いつも寡黙で、無表情で、略奪したものをどうしようが彼らの好きにさせていた首領が、いつのまにか立ち上がって彼らのすぐそばまで来ていたのだ。
 男達は手塚の進むまま道を空ける。
 期せずして静まりかえった、夜のオアシス。
 篝火のはぜる音だけを聞きながら、男達も、座り込んだ少年達も、そして大石と呼ばれる側近の青年も固唾を飲んで成り行きを見守っていたが。

 少年のちいさな悲鳴があがった。
 あの琥珀色の髪の少年だ。
 盗賊の首領はじつに静かに彼らふたりのそばへ寄ると、物も言わず急に少年の腕を掴んで引きずり上げたのだ。勿論その場で短剣はたたき落とされる。
「いた……っ!」
「不二!!」
 引き離された赤い髪の少年が声を上げる。
「これは俺がもらう」

 ブーイングがあがるよりも、男達はぽかんとしてしまった。
 彼がそんなふうに略奪品に興味を示すこと自体が、そもそもなかった。
 獲物の最優先権は確かに彼にあるのだが、いつもは桃城がどれだけすすめても少しばかりの酒をもって部下達の大騒ぎを見ているくらいだ。
「ちょ、ちょっとなにすんの! 離して! 離してよ、このバカ力!」
「――」
「痛い! 痛い、やめてよ!」
「……不二!」
「英二!」
「不二、不二!」
 もうそのころになるとたまらなくなって、赤毛の少年はそれまでの怯えた様子が嘘のように必死に叫んだ。連れてゆかれる彼を呼んで駆け出そうとするのを桃城がその片腕で押しとどめる。
 首領と彼の姿が天幕に消えると、少年は途方に暮れたように座り込み俯いてしまった。
 少年のその哀れな様子はともかく、大石と桃城をはじめとする盗賊団の面々は、半ばぽかんとしてその一部始終をみやっている。
「めずらしー……」
「ほんと」
「あのひとがねえ」
 桃城も首を傾げて傍らの大石に小さくささやく。
「どうしたんスかね」
 大石も首を傾げている。
「手塚にしちゃ珍しいな」
「よっぽど気に入ったんスかね。今までどんな女にも見向きもしなかったのに」
「うーん」
 どうだろうかなあ、と大石は首を傾げる。そうして、なにげない様子で足下に落ちていた短剣を拾い上げた。

 ダマスカス鋼の幾何学模様。美しい波を描く短剣。
 柄の部分も美しく細工され、赤い印象的な宝石がはめ込まれている。

「クリスナーガか」
「え? なんですか?」
「いや」
 『この世でもっとも美しく、鋭い剣』の異名を持つその剣は、精錬法の特殊さと原料となる鋼の稀少さとで滅多に見られない。
 剣そのものが貴重な宝石のようなもので、一介の踊り子が易々と持てるものでもなかった。
(こりゃワケありかな)
 視線を落としたその先に、肩を震わせる小さな姿が目に入る。
 この剣の持ち主の連れの少年だ。こうして見おろせばますます小さくか細く見える。13、4の年齢だろう。ここで桃城たちに委ねておいたら明日の朝にはただの肉塊になるのが目に見えている。
 いくらか鼻白んだような空気を盛り上げるように、わざと桃城が大きめの声で言った。
「じゃあ俺達、こっちの金目のネコちゃんだけで遊んどくかな」
 びく、と少年の身体が揺れた。
「桃」
 大石がやんわりと呼び止める。
「なんスか。まさか大石先輩まで、お宝よりコレ、とか言いませんよね」
「いや、そのまさかなんだけど」
「へ?」
「そっちの子は俺がもらおうかな」
「えええっ!? 大石先輩までどーしたんスか!?」
 一応略奪物を選び取る優先権は、首領と彼にある。と、言っても彼らはさして興味もないようで、いつも分配は桃城まかせだ。桃城もだからと言ってつけあがったりはしないので、一応彼らの意向を確認してからそれぞれの収穫を分け合っている。
 しかし今日は手塚ばかりか大石まで奇妙なことを言い出した。しかも彼らの希望の略奪品は、物ではない、人間なのだ。
「まあいいじゃないか。たまには」
「……ハア」


 盗賊を生業にしていると言うことが嘘のような優しい笑顔で、大石が手を差し出した。
「おいで」
 少年はまだ浅い呼吸を喉にからませて、さしのべられた手を見ている。
「おとなしくしてれば乱暴はしないよ」
「――」
「こいつら全員に一晩かけて嬲り殺されるのと、俺のものになるのとどっちがいい?」
「――っ……」
 少年は悲しそうに目を伏せうつむき、ようやく、ぶるぶると震える自分の手を青年の掌に乗せた。
 小さくて可愛い手だ、と大石は思う。
 少年が歩き出すのを待たずその両腕に抱き上げた大石は、いつもの、本当に小憎らしいくらいいつもの笑顔で唖然としている桃城と他の男達に向けて笑いかけた。
「じゃ、あとは皆で楽しんでくれ。桃、頼んだぞ」
「は、ハイ……」
 大石は身体を覆っているマントをきれいにひるがえすと、少年を抱き上げたまま天幕の中に消えていった。

 
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