X004.
対外圧力として軍部強化色が強まる中、精神力を物理的な動力に変換できる遺伝子配列理論を、国内の女性科 学者が提唱。これにより、それまで肉体の一部改造・強化のみにとどまっていた生体兵器研究は転換期を迎える。既存の人間の肉体改変は中断され、遺伝子核からの生成へと移行する。

X019.
第一体目の生体兵器完成。理論の提唱者の名を取り「セヴリナ」と名付けられる。以降全ての生体兵器はセヴ・ドール、通称『ドール』と呼ばれる。ちなみに「セヴリナ」は十歳程度の少女の姿に成長させたのち培養カプセルから出されたが、十六分二十七秒後に溶解した。これ以降、さまざまな試みを施されたドールが多数開発されるが、耐久性に問題を残す。

X053.
東部第七研究所で新理論によるドールのプロトタイプ「シグルド」完成。同年、西部第六研究所で「フレイ」完成。

X056.
同遺伝子による"兄弟"ドール「フリッカ」「フレイヤ」完成。「フレイヤ」は不安定のため半年後に登録抹消、西部第六研究所でD2として使用後、同所にて破棄処分。

X062.
「シグルド」をベースに、新タイプのドール製作開始。

X066.
新タイプドール「ロキ」完成。同年、乾・柳両博士により、外部干渉を一切行わないドールの配列理論完成。翌年には同理論にもとづくタイプのドール「ヘイムダル」「ヴァーリ」の製作開始。

X069.
東部第七研究所が原因不明の事故により爆発炎上。死傷者その他、詳細は不明。


「……帰ってきたみたいっス」
 少年はふいと顔をあげて言った。
「行かなくていいんですか」
「どうして」
 素っ気なく問い返した相手に少年は――印象的な目と厚い唇をした、きつい風貌の少年は、その見てくれとは裏腹に、きちんと足をそろえてぎしぎし言う椅子に座り、両手を膝の上に揃えたまま、再び言った。
「手塚サンが慌ててこっち来ます。……桃城のヤロウはなんか抱えてる」
「――おや」
 相手は分厚い、レンズの向こうの瞳の表情も判りづらいような眼鏡を中指でなおした。
 さまざまな機器が乱立する机やラックの向こう、モニターの重なる狭間から微かにその様子が見える程度だ。
「どうかしたのかな」
「――血の匂い」
 少年は、印象的なその眼差しをかすかに細めた。
 足はきちんと揃えて座っているものの、小柄な少年にはこの椅子は少々大きい。爪先は宙に浮いているが、行儀悪くぷらぷらさせたりということはない。
 12歳ほどだろうか。きつい眼差しや引き結んだ唇で、どうしても鋭い印象を受ける子供であったが、存外に品の良い少年のようだ。
「菊丸センパイでしょう。血の匂いがします。……行ったほうがいいっスよ」
 相手は苦笑し、ぎしぎし言うその椅子をくるりと回転させて少年に向き直る。
「行きたいのは君ではないかい」
「――」
「手塚が気になるんだろう。かまわないから行けばいいのに」
「――……」
「ああ、菊丸が外へ行ってから、不二がずっとご機嫌斜めだったな。そうか、それじゃ手塚も手が離せないか。――なんだ、遠慮していたのか」
 可愛いことを、と相手は笑った。嘲笑の類だったかも知れない。
 そこは、ほこり臭い空気が満ち満ちている場所だ。少々手を入れ、掃除に気を遣ってみたところでぬぐい去れない黴の匂いも。
 長くいると喉か目をやられそうな気がしてくるが、この部屋の「主」らしい男は飄然としたものだ。椅子に腰掛けた少年がきれい好きなせいで、定期的な清掃の手ははいっているものの、どれほど気を遣って整頓し掃除しても数日後には同じ有様である。
 モニターの前からほとんど動かずにいるくせに、どうやったらこれほど乱雑に散らかせるものか、少年は逆に問いたい気分だろう。
 冷たい素っ気ないコンクリートに四方――と言わず、天井も床も囲まれ、小さな扉がひとつきり、申し訳程度に外界と繋がっているという部屋である。それだけでも息が詰まる思いがするのに、さらに大小さまざまのコンピュータが、机と言わず古びたラックと言わず壊れ掛けのパイプ椅子と言わず、とにかく物が置ける全ての場所を埋め尽くしているのだ。ひとことで言って物凄い眺めであった。
 しかしその少年の座っている椅子の周囲だけは、それこそ申し訳程度にではあったが、本も機器もモニタも、コードすらも丁寧に避けられ、一応彼の居場所を確保している格好になっている。長い時間ここですごす少年の為に、使い慣れない気を遣った結果であるらしい。
 モニタや機器からはピピ、ピピ、とひっきりなしに様々な電子音が漏れ、男を取り囲む十近いモニタ画面には奇妙な波形や数字の羅列、組みかけのプログラムとおぼしきアルファベットなどが踊っている。
「行きたければ行くといい。――行きたいんだろう」
「――」
「薫」
「……はい」
 しばらくして、少年は大人しく答えた。
「責めているわけじゃないから萎縮する必要はないよ。――OK、判った、では君はまず、俺を捜している手塚のところへ行っておいで。ああ、菊丸が怪我をしているのか、では不二が大変だな。入口の引き出しの、上から三番目、青色をしたディスポーザブルの注射器をひとつだけ持っていきなさい。手塚に渡せば後は彼が処置を知っている。それから、俺はすぐに処置室へ移動する、そのこともちゃんと伝えてね。ああ、それから」
 てきぱきと、男は少年の応答を待たぬ指示をしていたが、ふと考え込む。
「――うん、そう言えば桃のことがあったか。まあ彼にもそろそろ、事の次第を話してもいいかな。『俺と同じ出身』だから、生粋のレジスタンスの人間よりは事情に通暁しているだろう。なんと言っても関係者だ、話が早い。うん、そうに違いない」
「……」
「ブドウ糖の点滴はまだあったかな。彼にややこしい外科手術が必要ないのは助かるが、それにしても熱冷ましをこれほど消費するとは思わなかった。おまえだってそんなに熱を出したことなどないのに。ねえ、薫」
「……はい」
「さ、行っておいで。手塚に何か聞かれたら、桃城は処置室で付き添わせろと言っておくんだよ」
「――はい、お父さん」
 大人しく頷き、言いつけられたものもちゃんと忘れずに持って部屋を出ていく少年の姿を見送りながら、男は組みかけの、良い具合に仕上がりかけたプログラムを見やりやれやれとため息をついた。
 手元の小さな機械をひとつ手に取ると、軽くキーボードに指を走らせる。
「――容量は……ああ、間に合うかな。こんなもので」
 必要は別にないが、くせになっているのでなんとなく毎日着ている白衣は、袖や襟が擦り切れて布が薄くなってしまっている。それもだらりとなんとなく猫背で着方がだらしない。そのせいか、長身でなかなかに整った顔立ちをしているにもかかわらず、うだつのあがらない学者と言ったくたびれた印象を拭えないのだ。
 折り畳み式になる機械を小脇に抱えると、彼は相変わらずのほほんとした様子で、彼の愛すべき引きこもりの巣であるこの部屋からのたのたと出ていった。

 男が『処置室』と称される一室へ辿り着いたのは、すぐだった。
 どのみち、この地下施設は政府管轄で作られ始めていた研究所である。『ラグナロク』の期間に放棄されたものを素人仕事で改装したものだ。処置室と言っても別に白く清潔に保たれているわけではなく、内装は他のコンクリートの部屋と、医療機材の充実ぶりをのぞけばたいした違いはない。
 男が辿り着いたとき、扉の前では『薫』少年が神妙な顔つきをして佇んでいる。彼は内部に第三者が入り込まないように立ち番を買ってでたらしかった。
「おりこうだね、薫」
 そう言って頭をぽんぽんと撫でてやると、彼はほんの少し頬を染めてうつむいた。
「そのまま、誰も入れないでくれ。頼りにしているよ」
 たいして心から思ってもいない台詞で少年をねぎらうと、彼はゆったりとした足取りで部屋の中へ入っていく。
 こればかりは今も昔もあまり代わり映えのしない、ナイロン製の布が使われた衝立の向こうに簡素なベッドがひとつある。
 周囲には白い薬品棚や、何か小難しい電子機器などが並べられていたが、今のところそのどれもが必要ではないらしい。
 ベッドを取り囲むのは手塚と、彼に抱え込まれて涙目になっている不二、そうしてどうしたものかと途方に暮れている桃城である。
 ベッドの上では、ひとりの少年が仰向けに横たわっている。
 顔の周辺だけは不二あたりが心づくしで清めたのだろう、埃だらけの手足に比べればすっきりしている。
「ああ、待たせたね」
 厳しい顔つきをしている手塚と不二を見比べ、男は聞いた。
「薬を使っていないの、手塚。薫に持たせたろう」
「不二が嫌がったので」
 手塚はあっさりと言った。
「大人しくしているように言い聞かせた。菊丸についていたいのだろう、俺がちゃんとさせるから、すまないが大目に見てやってくれ」
「君の言うことを聞いていたら、不二のことは大目に見っぱなしになるねえ」
 のほほんと会話している彼らを前に、桃城は気が気でないらしく、苦しい呼吸を繰り返す少年を見やっている。
「い、乾先輩、そんなことより早くこのひと診てあげてください。腹を鉄板がかすめたんです、ものすげえ血が」
「ああ、体がまっぷたつにならなくてよかったよね」
 さらりと男――乾は言った。そうなったらどうなるか興味はあるんだけど、というひとりごとは、幸いにも桃城の耳には届かなかった。
「なんでそんなのんびりしてるんスかっ」
「いいから。君は黙っててくれるかな」
 冷たく言い放って、乾は英二の顔の上にかがみ込み、耳元で呼びかけた。
「菊丸。――おい、菊丸、聞こえるか」
 桃城はこの様子を見て、さらに慌てた。脇腹に裂傷を負って出血し、瀕死の重傷の人間に呼びかけてどうするというのだろう。
 その上に結構乱暴に、乾が少年の頬をばしりと叩いて気づかせようとしたものだから、慌ててその腕を掴んだ。
「ちょっと、アンタなにするんスか!」
「桃、ちょっとうるさい。――菊丸、おい、起きろ。……わかるか」
 かすかに少年の瞼が震える。
 見るも痛ましい状況ながら、それでも彼は健気に目を開けた。
「ああ、起きたか。今すぐ点滴してやるから、ちょっと頑張れ」
「――……」
「意識は保てそうか。……痛みが我慢できそうにないなら、少しモルヒネをいれてやろうか?」
「……イラナ、イ……」
「そうか。じゃあがんばれるな」
「う、ン……」
 乾にしてはやたら優しげな物の言い様で、彼は血に染まったままの少年の左手を持ち上げ、持ってきた小さな携帯用端末の画面に触れさせた。
 たちまちのうち少年の――英二の左手は、その謎めいた指輪を中心として例の、小さな白い光に覆われる。おそらくアウトプットの作業に似たことが行われているのであろう、と桃城は見当をつけたが、それにしても重傷者にさせることではない。
「乾先輩、あんたいったい何考えて……!」
「……わめく、な……あたまイタイ……」
 ベッドの上から息も絶え絶えな少年に言われて、桃城はぐっとつまった。
「いぬい……」
「ん? なんだ、やっぱりちょっと痛み止め欲しいか」
「逆ハック……された」
「――」
「そういうしかけ……でも、俺だったから」
「――」
「ここのこと、よまれてない、とおもう」
「――わかった」
 乾はまた優しく言った。
「後は回復してからでいい。このデータでだいたいのことは判るしな。……ようし、もういいぞ、移行できた。よく頑張ったな、菊丸」
 そう言いながら乾は英二の腕に、薫少年に渡した物とは違う、小さなディスポーザブルの注射器の針先を差し込んだ。
 効果は間もなく現れ、苦痛に歪んでいた少年の顔はゆっくりと安らかなものになった。苦しげな呼吸こそそのままだが、よほど楽になったのだろう。
「あとはいつもの栄養剤と、熱冷ましだな」
「――ちょ、ちょっと乾先輩」
 てきぱきと点滴の準備を始める乾に、桃城は遠慮がちながらくってかかった。
「俺の話聞いてたんすか! このひと腹破れてるって、俺言いませんでしたっけ?」
「聞いたよ」
「そんな悠長な点滴だのなんだのじゃなくって、手術とかしなきゃ駄目なんじゃないんスか! 俺は医療は専門外なんです、このひとにだって応急処置しかできてないんですよっ」
「それだけで十分だ。この子に手術は必要ない」
「そんな無茶な!」
「無茶かどうかは見ていれば判る。とにかく、この子の怪我自体には――この程度の『体の損傷』には、治療は必要ないんだ」
「そ」
 そんな、と桃城は言いかけた。
 言いかけ――傍らで、まだ泣きべそをかきながら少年に取りすがろうとしている不二と、その不二を抱きしめている手塚がこちらをじっと見やっていることに気づいて、続きを口にするのをやめた。
――そんな。
――そんな、『ドール』みたいな。

 黙ってしまった桃城をどう思ったのか――乾は相変わらず淡々と、しかし一応フォローのつもりなのかこう告げた。
「まあ、お前を連れてきたらそういうのはわかっていたけどね。……お前も俺と『同じ出身』なんだから、そろそろこの子のことを話しておいてもいいとは思っていた」
「――……それ、どういう……」
「この組織の中でも一部の者しか知らないことだ。それを話すんだから、肝に銘じてくれ。――口外したら命はないものと思うんだな」
 乾の冷たい物言いに不二がびくりと体をおののかせる。
「この子の事情が知れれば組織が瓦解するかも知れない。お前も此処に望んで参加するならその重要性を判れ。――菊丸、桃には話すから、いいな」
 英二は諾々と頷いた。乾のこの調子では否、と言ったところで聞き入れてはもらえなかっただろう。
 その額に滲む脂汗を吹いてやろうとする不二を、優しく腕から解放して手塚は乾に頷きかけた。
「俺も同席していいか」
「もちろんだ。おまえがいてくれたほうが話が早い」
 英二につきそう不二の様子が落ち着いているのを見て、乾も彼らだけにして大丈夫だと判断したのだろう。
「隣室に移動しよう。ここは薫に見はらせていればいい」
 大事そうに端末機器を抱え込むと、乾は言った。
「――菊丸、ゆっくり休め。もう少ししたら薬が効くからな。……不二、頼んだぞ」
 不二はどこか威嚇するような目の色で乾を見ていたが、手塚に優しくさとされて、こくりとうなずく。まめまめしく飲料水のパックや換えのタオルを不二の側に置いてやって、手塚は今度は桃城を促した。
「いくぞ、桃城」
「――手塚先輩」
「疑問には、出来うる限り答える。今はここにいても出来ることはなにもない」
「でも……」
「菊丸なら大丈夫だ――不二がついている」
 そう手塚に言われて嬉しかったのか、不二が涙目ながらもかすかに微笑んだ。まさに天使の笑顔だったが、どこか痛々しい。
 後ろ髪をひかれ、そうしてまた入口にいた少年になぜだか鋭く睨みつけられながら、桃城は不承不承その部屋を後にしたのだった。

 こぽこぽ、という微かな水音。
 酸素を発生させる機械が、枕元に置かれているのだ。
「――……ふじ……」
 英二が少し顔を動かすと、不二はそっと手を伸ばして英二の左手を握ってきた。美しく細い、どれほど気難しい人間の鑑賞にもたえられそうな、白い指先である。
 問いかけるように瞬いた目から涙がこぼれるのを見て、英二は少し微笑んだ。
「だいじょうぶ、だよ……ふじが泣くこと、ないよ」
「――」
「ほんとは、もっと痛くたって、いいんだよ」
 そういううちに、少しずつ眠気が忍び寄ってくる。
「すこし……ねむるね」
 不二は優しく頷いた。
 本当に、母親のような優しい笑顔だ。
 彼は――そう、不二は少年であった――口こそきけないけれども、いつもこうして英二には優しい。
「ゆめ……見るかな」
 呟いたが、もちろん不二は言葉など返さない。

 夢を見る――あのひとの夢を。
 水音だけの優しい静寂の中、英二の意識は闇に落ちていく。こぽこぽという音すらもしだいに遠ざかり、おだやかな無音の闇の中へ、ゆっくり。
 不二の白い手に宥められながら、それでも夢を見る。
 彼の夢を。
 世界の悪夢の始まりを。
 いちばん幸福だった頃の、思い出として。
 許されないことだと、よく判ってはいても。






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