黄色い砂煙を乱暴に巻き上げながらやってきたのは、一台のトラックだった。荷台にはなにやら仰々しい大きな箱がいくつも積み上げられているようで、銀色のシート越しにその四角い形を浮かび上がらせている。
「トラックか……そんなにデカくはないけど」
 英二は呟いた。
「桃。ライフルと代えろ」
 英二はマシンガンを桃城に渡して取り替えると、スコープ越しに目標物を睨みつける。指無しの黒い革手袋越しのライフルは、ずしりと重たく冷たい。
「俺が足止めするから運転席を狙うんだ。運転手だけだぞ、間違っても機器を壊すなよ――ああ、やっぱ運転してんのロボットだ。んじゃ遠慮せずぶっ放せるな。任せたぞ」
「善処しまっす」
「くれぐれもいっとくがパンクしてハンドルとられてる間は絶対に撃つな。止まった瞬間を狙えよ。間違って機械を壊したら何にもならないんだからな。でも逆にあんまり待ちすぎると、ロボットが反撃モードに移行するから気をつけろ」
 桃城は神妙にうなずき、英二から予備の弾倉を受け取りながら言った。
「最近、ロボット任せなのが多いっスよね」
「ああ確かに。よく見るよな」
「やっぱりこういうとこ走るのって、危ないから政府の連中も人使わないんスかね」
「そんな優しいお考えかよ。単に人手がないんだろ」
 軽口を叩いていた英二だったが、いよいよ車のエンジン音が近づいてきたので顔を引きしめる。
「来た」
「はい」
「気ィ抜くなよ、桃」
「わかってますって」
 この自称後輩は、どこかふざけて飄々とはしているものの度胸がある。そういう意味では頼りになるだろう。
 幾度こういう場をくぐり抜けようが、ふるえも恐れも抜けきらない英二自身よりも。
 英二は瓦礫の上側から上半身だけを出した。ひとつ大きな息を吸い込み、ライフルを構えたままくっと呼吸を止める。ほんの数秒後には、スコープ越しに鈍色のトラックの姿を捕らえた。
 そのままためらいなく引き金を引いた。
――鈍い手応えがある。弾はとっくに銃身を離れているのに、何かを破壊した重苦しい反響を感じる気がする。
 続けざまに、二度、三度と引き金を引く。
 ――この重さがいつも冷たい汗を呼ぶ。
「桃」
 四発の弾は四つのタイヤを破裂させた。わずか四秒ほどのあいだのできごとだ。
 英二はすぐに瓦礫の影に身をひそめる。
 呼ばれた青年が英二と位置を入れ替わった。
 彼の手にはやや小さめのマシンガンを、油断なく構えている。
「俺用にカスタマイズしてある奴だからお前にゃちょっと扱いづらい。銃身が踊っちまわないようにしっかり固定しろ」
「はい」
 彼らの数百メートル先で、トラックは派手な音を立てて何とかたおれまいとふらふらしている。
 さしてスピードも出ていなかったように見えたのでてっとり早くタイヤを狙ったが、ここであのトラックが倒れでもして炎上すると元も子もない。
 何とかがんばれよ、と撃っておいて勝手なことを英二は呟いた。
 揺れのパニックからトラックがようやく体勢を立て直したところで、桃城が入れ替わりに銃を構える。
「桃、狙え」
「わかってますって」
 素早く弾を装填し終わり、英二は桃城の背中ごしに目標をもう一度確認する。
 と、トラックの屋根部分につけられたきらりと光る細長い筒に目を止めた。
「あんまり体出すな、桃! レーザーだ!」
 彼らのライフルとマシンガンは、ほぼ同時に火を噴く。
 鈍く低い連射音に、ライフルの重たい余韻を持つ射撃音が幾度か混じった。
「うーわ、なんスかあれっ」
「護衛システムだよ! ――ばか、そんなもん見てねえで腕固定しろ!」
「やってますってば!」
 銃の発射音の中で叫びあう二人の視界の中で、その銀の筒はくるくると回っていた。どうやらこのトラックを襲撃しているならず者に狙いを定めようとしていたようだが、方向を見定めた側から鈍い音とともに粉々にうち砕かれていく。
 桃城が案外器用に運転席を破壊した頃、英二のライフルも弾をはじき終わっていた。
「英二先輩――」
「ちょっと待て。まだ出るな」
 英二はライフルを置き、かわりに腰のホルダーの小銃を構えてトラックの方を伺う。
 軽く瓦礫越しに体を出してみたが、トラックは静かなものだ。幸い横転もせずに、きちんと止まっている。英二はトラック全体を注意深く観察し、自分の体の動きに反応する機械がなにひとつ存在しないと判ると、小さく桃城を呼んだ。
「いいぞ」
「――大丈夫ッスか、英二先輩」
「ああ。たぶん」
 桃城も、だいぶ慣れてきた手つきで弾倉を代え終わり、英二のあとを追う。たいして距離のない緩やかな斜面をかかとで器用に滑り降り、英二は呟いた。
「レーザーにやられたらまず黒焦げだからな。――あんなもんつけんなよなあ」
 また何かあるかと伺いながらそろそろとトラックに近づいたが、何も動かない。荷台からはシートがめくれ上がって、何やらの建築資材らしき鉄板や木箱が見えていた。
 運転席には、粉々になった機械の残骸がある。
 運転していたのは、ロボットだ。
 目的地までの距離と地図と、そして運転方法とだけをプログラムされた機械である。そういったたぐいの機械を乗せるのは、もともと車に搭載されているオートドライブ機能だけでは対処しきれない事態がままあるからだとなんとか思えなくもないのだが、ならばなにも人の形に仕上げなくとも良さそうなものだ。
 ご丁寧に手足を作ってハンドルまで握らせることなどない。
 半端に人がましい見てくれが、奇妙にいびつで歪んだ感じさえするものだ。
「お見事、桃」
 ひゅう、と英二は口笛を吹いた。
 結構適当な撃ち方をしていると思ったのだが、運転席の前のパネルは傷ひとつついておらず、まだ機械が正常に作動しているのを示すように「緊急停車中」の赤い文字が点滅しつづけているのだ。
 小柄な体を猫のようにするりと運転席に潜り込ませる。その英二を下から見上げながら桃城は聞いた。
「いけそうッスか」
「なんとかな――一応、回り見といてくれ」
 言いながら英二は、左手の革手袋を歯でくわえて引き剥がす。おどろくほど華奢な白い手が現れた。
 その手のか細さに目を細めながら、桃城は、はいはいと素直に返事をして周囲を伺う。本当を言うと彼が今からすることを見ていたくはあったのだが、見張りをしろと厳命されてはしかたない。
 だが背後が気になる。
 今から、世にも不思議な光景が展開されるはずなのに。
(見ときてぇなあ……)
「なんか言ったー?」
 のんびりとした幼い声が聞こえてきて、桃城はなんでもないと答える。答えはしたが、相変わらず心の中は、この幼い愛らしい『センパイ』に対する疑問で一杯だ。
(何者なんかなあ、この人。……人間、ではあるらしいけど)
 すくなくとも『人形』ではない。自分の知っている範囲では、こんな姿形の『人形』が開発されていたことはなかったはずだ。極秘裏に育てられていたかも知れないが、それならばこんな抵抗組織に存在しているはずがない。
 大きな目を忙しくパネルに走らせている少年を肩越しにちらりと見たが、桃城はそれだけであきらめ銃を構えなおした。

 トラックの運転席には、走行に関するさまざまな表示のほかに目的地や出発地を登録したコンピュータが組み込まれている。手動運転ではなくコンピュータによるオートドライブが主流になって長い。
 特にこのような政府の管理車両であるならば、各個体単独のコンピュータでなく、全てが一括して中央とそれに繋がるシステムで管理されていることが多い。物資の移動の頻度や、どこからの指示で何を運ぶかまでが全て登録コードによってわかる仕組みになっているのだ。
 もちろんそれぞれは暗号化されている上、何重にもロックがかかっているので通常の手段では読みとることは出来ない。無理に外そうとすればデータが破壊されるようにしかけてある。
 しかし。
「――たいして時間かかんないな、たぶん」
 ひとりごとを言うと、少年は剥き出しになった左手をかざした。
 白い、桃城あたりと比べるとずいぶん華奢な感じのする幼い手だったが、薬指には金色に輝く指輪が嵌められている。ふつうにマリッジリングなどと呼ばれる類のものよりはやや幅広で、宝石のひとつもついていなかったが、表面はなにやら幾何学模様のような細いラインが複雑な形で刻み込まれていた。
 その小さな指輪に描かれた細いラインの一本一本は、実は電子顕微鏡で最大に拡大しないと判らないほどの、何百というナノレベルの極細の線で構成され、複雑な模様に絡み合っているのだが、もちろん肉眼には少し美しすぎる指輪としか見えない。
 少年は、その謎めいた指輪を嵌めた左手を、注意深くそっとモニタに当てた。別にタッチパネルではないそのモニタの画面は、すぐには何の変化も起きなかった。
 小さなモニターは相変わらずエマージェンシーの表示を赤く明滅させていたのだが、少年のその左手が当てられた数秒後、まるで雷に打たれたように一瞬全ての動きを止めた。
 愛らしい仔猫のような少年の、少しつり上がった胡桃型の大きな双眸からはすうと表情が消える。
 画面は一瞬おののくように暗くなったが、やがてすぐに一転してあわただしく小さな小さな文字を表しだした。
 1と0の文字列が忙しく流れ出す。時折、意味を為さないようなアルファベットの文字を画面一杯にちかちかと点滅させたかと思うと、さらにまたその上を1と0の細い列で覆っていく。
 少年の手はその指輪を中心としてわずかに発光していた。その無機質な機械から青白いぼんやりした美しい光を生み出し、吸い上げているかのように。
 それはまことに不思議な光景であった。
 別にキーボードを叩くわけではない。何処かのスイッチやコードに手を加えるわけでもない。
 少年はただその左手を画面に触れさせる、それ以外のことを何もしていない。
 しかしただそれだけで、機械は途端に従順になる。
 人の目で解することの出来る表示を全て取りやめ、基本的で難解な、機械のもっとも原始的な言葉とも言える数字を表しだしたのだ。
 少年は何もしていない。
 何一つ言葉を発さない。
 ただどこか神懸かり的な無表情で、その明滅に愛くるしい顔を照らされながら微動だにしなかった。
 しかし、ちか、ちか、と画面が何度めかにまた明滅したとき。
 別段それまでと何ら変わったところがあるとは思えない、某かのアルファベットの羅列が出た途端、少年の目がはっと生気を取り戻したのだった。

 少年が小さく声をあげたので桃城ははっと振り返る。
「英二先輩!?」
 と、その小柄な体が、せせこましい運転席のドアから物凄い勢いでまろび出てきた。
「センパイ!?」
「桃、走れ! ここから離れろ!」
「え、えっ?」
 疑問はあったが、そこはさすがに桃城で体の反応は早かった。あとも見ないでトラックから走り出した英二に、すぐについていく。
「どうしたんです、いったい」
「嵌められた、ちくしょう!」
 小柄な体は案外足が速い。しかし、状況の判らない桃城を放っておいて先に走り抜けたりすることはなかった。
 数百メートル離れたところで、大きな建物の残骸を見つけた英二は桃城に叫ぶ。
「桃、おまえ先に潜れ、早く!」
「英二先輩、あんたこそ先に」
「いいからっ! 俺のがちっさいからどうにでもしやすいんだよ、ちゃっちゃと入れよっ!」
 一瞬渋った桃城を、英二は瓦礫の間にぐいぐいと押し込めようとする。
 英二先輩、と桃城が叫んで体を引き寄せようとするのと、今し方自分たちが逃れてきた方向からとおぼしき凄まじい爆音と爆風とが、英二の体を飲み込むのとは同時だった。





 ラグナロク。
 神々の黄昏、と言う意味合いのその言葉を、最初に使ったのは誰であったか。
 『悪夢の二年間』――または、ラグナロクとも呼ばれているその期間に、地上の人口は激減した。
 まるで天からの容赦ない罰のようにある日突然現れて、老若男女を問わず殺戮と破壊を繰り返した『死の英雄』が、軍によりようやく破壊されて、二年になる。
 彼が暴れ回った二年の間には何万という軍人が犠牲になったが、結局彼と言う存在は軍隊になどに傷ひとつつけられるものではなかったし、彼を捕らえて死に至らしめたのは結局誰であったのか、なにひとつ明らかにされないままだ。
 そもそも彼がどこから来たものか、何者なのかを知らない人々が大多数であったし、今もそうだろう。
 彼は、大部分の人々にとっては最大の謎であり最大の災厄であった。
 実のところ彼は、政府発表通りに完全に滅ぼされ、死に至ったわけではない。貴重な研究対象としていずれかに秘密裏に保存されまだ生きているのだったが、そんなことを知る者すらごく一部だった。
 そもそもそんなことを追求するほど――追求できる余裕があるほど、人々の生活基盤が整ったわけではない。地方へ行けば行くほどその傾向は顕著であった。
 人口の激減については、それはもちろん『死の英雄』による対象を問わない虐殺が死者の大部分を占めていたのだったが、ようやくのことで難を逃れた人々への政府の救助活動や救済措置が完全には行き届かず、それがために手遅れになってしまった人々も相当数いる。
 帝都を初めとする各地の大都市などでは、政府高官のお膝元ということもあってか比較的早くに救助も復興もすすめられたが、地方都市などはまだ放置されたままのところが多い。政府発表としてどのように一般市民に伝えられているかは判らないが、それでも具体的な被害の数字は『復興最優先』の名の下にながらく「調査中」のままなのである。
 そうして。
 其処も、見捨てられた町のひとつだ。

 壊れた町の、中心よりはやや南西の位置。もとはそこそこ高いビルが建っていたが、今は折り重なるように倒れてしまっている。
 ここ数年の間に風化し、もとはカラフルで華やかだったそれも、寂しいコンクリートの地を剥き出しにしているばかりだ。
 いびつな三角になったその瓦礫の隙間に、ひとりのか細い人影が佇んでいる。
 こんな壊れた埃臭い中に、まるで幻のように浮きあがって見える白い人影。長く白いケープのようなものに体を包んでいたので、その妖精のような美貌とあいまって、もしも見る者があったならば天使でも降りてきたのかと勘違いをしかねない。
 御使いだとするならば、嘆きの天使とでも形容するべきだろうか。
 一七か八くらいの――少女か、少年なのか。
 ほっそりとした世にも美しい貌を哀しげに曇らせて、黄色い砂埃の舞う町の向こうを眺めやっている。繊細でほっそりとした顔をふちどる薄い琥珀の髪は癖もなく、時々吹く風に遠慮がちに揺れるばかりだ。
 彼の首筋にかかる髪の向こう、白いうなじの一部分に銀色の薄いプレートがぺたりと張り付いている。か細い、今にも折れそうなその首筋には不似合いであった。
「不二」
 人影の背後から、低い声がかかる。
「不二、まだ待っていたのか」
 瓦礫が折り重なる影の中からもうひとつ人影が現れる。
 不二、と彼が呼んだ相手よりよほど長身であり、顔立ちは『不二』とはまた違った、くっきりとした容貌の青年だった。白い布を羽織っている『不二』とは対照的に、シャツやズボンも全部黒で固めている。
 貴族のような美貌の彼はごく薄い眼鏡をかけていて、余計に生真面目で品のいい容姿に見せていた。
「こんなところにいると、風邪をひくぞ。――誰かに見つかっても事だ、中に入っていろ」
 そっと不二の肩に両手を置く。その左手首には不二のうなじにあるものと似たようなプレートがくるりと巻き付いていた。
 不二、と呼ばれたその人物は首を振る。
「予定だともうすぐ帰ってくるはずだから、大丈夫だ」
「――」
「夕べもあまり寝ていないだろう? 少し休んだらどうだ」
「――」
「じゃあこうしよう。俺がここでお前の代わりに菊丸達が帰ってくるのを待っていよう。帰って来たらすぐにお前に知らせるから、お前はそれまで暖かいところで休んでいるといい。ミルクをあたためて蜂蜜をいれてやるから、飲みながら待っておかないか?」
 これ以上はないぐらい優しく言い聞かされて不二は背後の青年をじっと見上げたが、もう一度首を振った。
「――桃城も一緒だし、心配することはないんだぞ、不二」
「……」
「菊丸も、お利口にしてるんだよ、と言っていたじゃないか。帰ってきて不二が体の具合を悪くしていたら悲しむのではないか?」
 く、と不二が軽く唇を噛んでいる。
 今にも泣き出しそうな、哀しそうな子供の表情で、やはり頑なに首を振った。
「なにも俺はおまえを虐めたくてこんなことを言っているわけじゃないのに」
 うつむいた途端にぽろりと落ちた涙の粒を見て、青年は途方に暮れたように不二を抱きしめた。
「本当にお前は菊丸のことが気に入りだな」
「――」
「しかたない、こっちへおいで」
 青年はそういうと、そのいびつな三角形の建物の隙間のとなりに不二を連れて移動した。
 そこは別の瓦礫が奇妙に、そしてうまい具合に重なり合っていて、あずまやとまでは言い過ぎだろうが、ちょうど腰を下ろして落ち着けるようになっていた。
 気をつけなければ低い天井で頭を打ってしまうのだが、ここならちょっとした影になっていて空からも見えない。よくよく注意しなければ、このような崩壊した町にいるには不似合いな自分たちの存在に気づかれはしないだろう。
 そこへ座り込み、膝の間に不二の華奢な体を挟んで背後から抱きしめてやった。
 これなら多少は暖かいし、不二の気もすむ。なにより、自分が不二を案じてうろうろしないでいられる。
 不二は嫌がる素振りを見せなかったので、たぶんこの位置も気に入ったのだろう。おとなしく青年に抱きしめられるまま、またまっすぐに視線を町の外へとやる。
 そのまましばらく、ただ風の音だけを聞きづけていたふたりだったが、ふと青年の腕の中の不二がぴくりと体を震わせた。
「どうした、不二」
「――」
「不二?」
 何かをさぐるように、不二がおろおろと視線をさまよわせる。濃い琥珀色の双眸が落ち着かなく当たり見回したと思うと、とたんに青年の腕を解こうともがき出した。
「不二――ああ、帰ってきたんだな」
 青年は言ったが、まだ聞こえるのは風の音だけだ。
 結局、不二の待ち望んだものが、黄色い砂煙をあげて遠く遠くに見えるのはそれから一〇分近く経ってからだ。その間、 青年は駆け出したがる不二を引きとめ、宥め続けなければならなかった。
 やがてジープの大きなタイヤが砂を蹴散らして走る音が近くなる。
「ほら、やっと帰ってきたぞ。よかったな」
 しかしどうしたことか、まだ不二は暴れ続けている。いつもならジープさえ見えれば、大人しくしてそれが到着するのを待っているのだが。
「どうしたと言うんだ、不二」
「――」
「不二?」
 ふたたび不二の目には涙があふれ始める。いやいやと首を振り、なんとか青年を振りほどこうと必死だ。
「不二、動くな。そら、もうそこまで来たじゃないか。飛び出すと危ない」
 そんなことを言って不二を宥める青年の前で、ジープは急停車した。もちろん瓦礫の間の、外からぱっと見には判らない位置にだったが、それでも後ろを瓦礫にぶつけてあわただしい止まりかただ。
「桃城――?」
「手塚先輩っ!」
 エンジンを切ると同時に飛び出してきた桃城は、悲壮な顔つきをして青年を呼んだ。
 呼んだのだが、それでもすぐに青年に駆け寄ろうとはせずに、後部座席から何か大きなものを気遣って持ち上げる。
 それを見た瞬間、不二が声にならない悲鳴を上げた。
「どうした」
「俺達が足止めしたトラックが爆発しました。爆風で飛んできた……たぶん、鉄板かなんかで」
 桃城の腕に抱き上げられていたのは、少年――英二だった。
 気を失っている。顔は砂で汚れていたが、額からは汗がにじみ出している。
 腹の辺りは白い布で巻かれていたが、やや背中よりの左脇腹のあたりは、不吉な赤い色がじわじわ染み出している。
 その赤い色合いは結構な範囲で布を染め上げていて、目を閉じたままの少年の苦痛を浮かべた表情とあいまって、ひどく痛々しく見えた。
「早く連れて入れ」
「はい」
「処置室へ連れて行くんだ。乾には俺が伝える。――……不二、大丈夫だ」
 腕の中でひっきりなしにもがく不二を、『手塚』がぎゅっと抱きしめた。
「お前も乾に薬をもらっておけ。……いいな?」
 優しく言った言葉とは裏腹に、非常に厳しい表情で手塚も踵を返す。
 少年を抱えて、そのいびつな三角の瓦礫の狭間に消えていった桃城のあとを追って、彼もまた腕の中で声もなく暴れる不二を抱え込み、闇へととけていった。





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