「では、報告を」 声が響き渡った。 がらんとした部屋であったが、たしかな広さも判らない闇の中だ。さほど明るくはない。 時折不安定で不規則な明滅をするモニターが、声の主の前にぐるりと楕円状に並べられていて、その画面から発する光が彼の姿を闇の中で照らしている。 まだ若い男だったが、少しよれた印象のある白衣をひっかけたままである。会議に出席する者のいでたちとしては少々場をわきまえていない、と思われるかも知れないが、どのみち現実に顔をつきあわせるわけでもないし、彼の服装をやり玉に挙げて貴重な時間を潰そうとは誰も考えなかっただろう。 若い男は手元にある薄い機械端末を操作しながら、淡々と言った。 「ただいま皆さまのお手元にお届けしたのが最新の資料です。最初の画面では全体的な概要を。その他の詳細は各項目ごとに別にまとめられておりますので、ご興味のある箇所からお目をお通し下さい」 会議の為に、ことさら仰々しく円卓を取り囲むのが、昔から権力者は好きなのだ。 彼らがありもしない暗殺を恐れ、暗殺が企てられるほど大人物である己、と信じてやまないが故に、この会議はモニターだけをつき合わせた世にも奇妙で、滑稽なものになっていた。 そんなときでも、ぐるりと円卓を囲う形を取る。無機質なモニターの向こうに映し出される男達は皆、どこか存在が薄っぺらかった。 「生体兵器研究に関しては、ご覧の通り、例のドールが確保されてのちは順調です。『彼』が第七研究所を消滅させて逃亡して後の二年の間は、ご存じの通り『彼』による破壊につぐ破壊、国民達の虐殺につぐ虐殺で、まあ、私も自分の命を守るのが精一杯の有様でしたから」 『それについては、なにも君ひとりの災難ではなかったと思うのだがね』 モニターの向こうの老人のひとりが冷笑した。 『我々としても、とにかく生き残るのが最優先だった。あれは、まったくひどい二年間だったものだ』 『議会のメンバーも、よくこれだけ生き残った。半数以上はあのドールに殺されたからな』 『まあなんにせよ、君という希有な研究者が生き延びてくれたことについては、僥倖と言うより他はあるまいな』 「過分なお言葉です」 彼と老人達のそっけない追憶はそこで終わる。 「『彼』のDNAの解析に関しては引き続き当中央研究所で行っておりますが、ただ別件のドールの対応について、東四地区の研究所を使用したいと思うのです」 『それについては君の裁量の範囲内だろう。我々にいちいち許可を求める必要はないはずだが』 「東四地区の研究施設は、当初より15%ほど復旧の予定が遅れております。肝心の、ドールの収容施設が使えないのです」 『何故だね。なにをおいても、優先させるように申し渡しておいたはずだが』 「私は担当ではないので、なんとも。ただ先日、件のテロリストたちの来襲があり、研究施設とともに破壊された水道や電気などのライフラインの復旧を優先させたようにきいております」 『電気はともかく、下の者の為のライフラインなど後回しでいい。帝都を中枢とするネットワークの回復がもっとも最重要事項なのに、まったく』 モニターのひとつから、憤慨した声が聞こえてきた。 『二年で破壊し尽くされたからと言って、復旧に二年もかけていいわけではないぞ』 『まあ、それは彼の責ではあるまい。彼は研究所の人間だ、復興には関わっておらん』 『その通り。特に最近は、愛国者気取りのあのテロリストどもによる破壊工作で、復旧してひと月もたたない内からまたがれきの山、という処も少なくないからな』 『ともかくもそれで彼の仕事が滞るようでは困る。研究所の復旧については、担当者を変更して急がせよう』 『護衛もつける。それでよかろう』 「ありがとうございます、感謝いたします」 男は慇懃に言ったが、頭までは下げなかった。 モニター越しの会話にそんな社交辞令は不必要と考えていたし、それについては画面ごしの男達も同意見のようだ。 「さて、他の報告の前に少しお目にかけておきたいものがあります」 研究者の男は再び、鍵盤でも弾くような優雅な手つきでキーボードを操った。芸術的な関係はまるきりうといこの研究者であったが、キーを操作する手は無駄な動きは一切ない。素晴らしく美しく、優雅でさえある。 「第七研究所の破壊されたサーバの中から、興味深い画像データが発見されました。ほとんど壊れていたデータを無理に復旧させたものですから、画像は大変に悪いものですが一度ご覧下さい。ただいまお手元に送りました」 モニター達はいっせいに静まりかえる。 たぶん皆それぞれ、自分の手元の画面で『画像データ』とやらを見ているのだろう。 五分少々の沈黙の後に、ひとつのモニターから声が聞こえた。 『これは――何だね、君』 「日付、そして移りこんでいる状況からすると、例のドール……『彼』が、逃亡した当日の、研究所内の様子と思われます。約4年前の映像、ということになるでしょうか」 またモニターは沈黙した。 今度は、一分弱ほどの沈黙だった。 『――これが……そうか、この映っているのが』 「『彼』――我々がコード上『Sig』と呼んでいる、例のドール『シグルド』です。研究施設では表向き、大石秀一郎なる名前も与えられていたようですが、あまり意味のないことです」 まだモニターは沈黙している。 「失礼。少々不快なシーンも映っておりますね」 研究者の男は小さく――本当に小さく、それとさとられないように冷笑してから、声の調子を変えずに言った。 「――それにしても、意志の力を物理的な働きかけに換えられるのがドールの特徴とは言え、これだけの人間を、これほど短時間で殺傷できるというのは素晴らしい。この時点で彼はまだ発達段階だった筈ですが、それにしても人間の身体をあれほど簡単に内側から破裂させることは容易ではない。彼にはそれだけの能力があり、またヒトの尊厳に関する禁忌はないということですね」 モニターの向こうで、老人達のひとりぐらい心臓麻痺でも起こさないかと期待していたが、それは男の過分な期待だったようだ。 『このドールは何かを持っているが――何を抱えているのだ』 気を取り直したらしい老人のひとりが、ようやくそれだけを尋ねてくる。 「おそらく、当時の『彼』のD2と思われます」 男はよどみなく答えた。 『D2?』 『なんだったかね、そのD2とやらは』 「これは、失礼しました。所内で使われる通称で、人形のための人形、の略語です。研究報告に直接必要のない事柄でしたし、たいして重要なものでもないのでご存知なくとも当然です」 『――』 「皆さまご存じの通り、ドールにある程度の感情、意志を持たせることは、機械のプログラムでは決して対応しきれない事項、事象への判断や対処にとても有効です。本当に大事な場面での一瞬の判断、プログラムの瞬時の切り替え、書き換え、柔軟な修正、それは決して既存の機械では補いきれない」 彼は手元でキーを素早くたたきながら、言った。 「しかし、ドールはしばしば抑圧された環境において、人間と同じようにつくられたが故のストレスなどを抱え込むことがあるのです。このあたりはこれからもドールを生み出す上での避けて通れぬ問題点となるでしょう。D2は閉鎖空間で育つドールのための、生きた人形というところでしょうか。ほとんどは、ダウンタウンから適材となる人間を連れてきて与えております」 『なるほど』 「D2については、感情をもつドールが変に執着しないよう、一年で『処分』した後、新たなものを与えるように定めております。あらゆるストレスや性欲のはけ口、まあ、ドールが殺してしまうこともありますが、今までのところドールの気を逸らすという点においてはなかなかの成果を見せております」 『例の――あの、ドールについてもかね』 「ええ」 男はそこで一端言葉をきり、闇にまぎれて微妙な表情をしてみせたが、その沈黙が老人達に怪しまれる前に、ふたたびよどみなく説明をはじめた。 「『彼』についてはD2そのものを拒否していたきらいがあるのですが、研究所が破壊される寸前に与えられたD2には、執着を見せていたようです。それが為にそのD2の処分が少し早められる予定もあったのですが、ご存じの通り遂行できませんでした。ちなみにこのD2は、当時15歳の少年です。『Sig』確保直前まで彼のそばにいたようですが、現在は行方不明。崖から落下したとのことで、たぶん生きてはいないでしょう。『Sig』を捕獲したドールよりそのような報告が入っております」 モニターの向こうの男達は、それにはたいした興味をもたなかったようだった。 「まれに『失敗作』をまともなドールにD2としてあてがうこともあったようですが、これについてはあまりよい報告がありませんので、現在は行われておりません」 『どうかしたのかね』 「ドール同士で連帯感情を持ってしまうのです。その結果、妙な反抗心や迷惑な自立心が生まれてしまう。さらには、せっかくの成功品がその『失敗作』を伴って失踪した一例があります。これは皆さまご記憶に新しいと思うのですが、西の第六研究施設でドール3体と担当所員数名がいっせいに姿を消した事件があります。うち何名かは、例のテロリストどもに荷担しているという情報が寄せられております」 『ああ、あの事件か。そう言えばそんなこともあったな』 『あの研究所の責任者は、君の知己だったか、確か』 「ええ。学友でした」 『君と同じように優秀な研究者であったのに、なんの間違いで道を踏み外したのやら、あの男は』 『自分で造ったドールにいれこんだ挙げ句と聞くが。美女のドールでも造ったのか』 『まあ、男ならば誰も好きこのんで醜く造るまいよ』 うつろな笑いが治まるのを待って、男は話を続けた。 「ともかく現在D2の制度についても、接し方や人選に適宜修正を加えておりますので、私の管理下では二度と同じミスはおこらないことをお約束いたします」 『うむ、それでよろしい』 再び、男はキーボードを操りながら言葉をつづける。 「ともかく、『彼』――コード『Sig』は彼のD2と共に出奔し、この帝国に多大な被害を与えたわけですが、現在は中央研究所に凍結保存してあります。殺処分でなく凍結、という処理に至った理由については、以前よりの報告通りです」 『それについては、重々承知している』 苦り切った声が、モニターのひとつから返った。 『なかなか信じがたい理由ではあるがな。――その』 「『Sig』の再生能力については、疑う余地はありません」 何度も申し上げているとおり、と言う言葉を、嫌味たらしく付け加えてやりたかったが、それについては彼らしく胸の内に納める。 「毒物は受け付けず、レーザーで延髄を破壊しようとしても直ちに治ってしまう。原始的に首を落とそうとしても、刃が食い込んだ側から肉芽が再生される。一度など、彼の身体に爆発物をしかけましたがこれも成功しませんでした。高熱焼却、ガス、彼の肉体の保存を考えないありとあらゆる方法を試しても、彼はあっという間に蘇生してしまう。細胞全ての再生能力が異様なのです。お疑いなら、お手元にその映像資料の詳細なものをお届けします。――これも、あまり見ていて気持ちのよいものではないかもしれませんが」 『い、いや、それはいい』 『うむ、君を疑っているわけではない。――ただ、我らのような古い頭の者には、少し信じがたいことなのでな』 『そのドールの処置については、もちろん君の判断を尊重する』 「ありがとうございます」 また素っ気なく、そらぞらしく、若い研究者は言った。 「さて、今回のもっとも重要な事項について報告させていただきます。――コードSigのDNA解析につきまして」 よけいな時間をとられてしまったというように、研究者はさっさと次の項目にうつることに決めたようだ。彼としてもこんなところで、くだらない会話に時間を割くよりも、早く帰って機械の編み出す数字の中に埋もれていた方が、よほど心地よいのだ。 「解析そのものは順調に進んでおります」 彼のその言葉に、モニターの向こうの老人達は、言葉こそ発さなかったが満足したような顔で頷いた。 「ただ」 研究者は少し間をおき、ただ、と付け加えた。 「ただ彼は――Sigは、我々にDNAを読まれたくないようです」 『読まれたくない、と言っても――』 『再生能力がいくら化け物じみていると言っても、肉片のひとつくらいは切り取れるだろうに』 男は少し苦笑したようだった。 「もちろんおっしゃる通りです。我々もそれが本職ですから、彼の肉体のあらゆるサンプルを入手、解読しています。――しかしはじき出される数値はすべて本来の彼のものではない、と私は確信しています」 モニターたちは、小さくざわめいたようだった。 ざわめく、と言ってもそれが本当に人間のささやき声なのか、機械の微かな振動なのかは判らなかったが。 「じっさい、彼の意志が細胞のひとつひとつにまで――彼の身体に繋がっていればともかく――たとえば切り取られた一片の肉、一本の髪、一滴の体液、そんなものにまで行き渡ることが可能などとは、私は考えていません。ましてそれを数値に置き換えたとき、これほどデータとして役に立たぬ、子供の遊びのような値に意図して為せるものかどうか」 『――』 「しかし実際、我々が把握した彼の全ての細胞情報は彼自身によるフェイクです。――まったく素晴らしいドールだ。彼と同じ遺伝子を持つもうひとりのドールと情報を比較しましたが、これもまったく意味をなしませんでした」 『つまり――今の作業を続けても、あのドールのDNAの完全な解読には至らない、ということかね』 「完全な解読どころか、真実には手も届かないことでしょうね」 あまりにけろりと言われたもので、モニターの老人達はそれにどう反応して良いか判らなかったようだ。 しかしそこで老人達からの抗議を聞いて、さらなる無駄な時間を費やす気は、彼にはなかった。この老人達は、他人の話を遮るのはなんとも思っていないようであったが、自分の話を遮られるのは我慢がならぬらしい。 「しかし、解析不可能、となる原因は判明しておりますので、まったく無駄になりは致しません」 老人達が騒ぎ出す前に、男は言った。 「此処から先は、まあ多少専門的な分野のことでもあるので。そうですね、ごく簡単に言いますと……そう、なにかが足りない」 『足りない?』 『足りない、とはどういうことだね』 「かみ砕いて言えば、彼の本当の情報を引き出す為の、なにかひとつ大事なコード……あるいは数式が抜けている、とでもいいましょうか」 男は続けた。 「コード、とひとくちに言っても、恐らく膨大な量でしょう。しかし現在ならば、小さな情報プレート一枚程度に十分おさまります」 『と、言うと――』 『どういうことだね、つまり、その……』 「そのコードさえ手に入れば、このお遊びのようなでたらめな数値の羅列も意味のあるものに見えてくるはずです。つまりは彼のDNAは全て解読でき、同じような力を持った、そしてもっとも従順なドールを創り出すことが可能になるでしょう。その技術はヒトにも応用できる。たとえば、老年となった肉体を、若返らせることも十分可能です」 『その、コードの行方は判っているのか』 「多少の目星はつけております。だが、どれも不確定な情報に過ぎません。しかし、このまま手をこまねいていることもないでしょう、そこで」 『……』 「私に、軍の中から何人かを専門に選び出し、直接指揮を執ることをご許可願いたい」 モニターの向こうに微妙な沈黙が落ちる。 「無論、一個小隊程度の人数で十分です。あくまで目的は戦闘ではなく諜報であり、かたがたのお膝元を騒がせるようなことはいたしません」 『しかし――』 『君は、いったいどのあたりに目処をつけているのだ』 「まだあまりにも不確定です」 男は明言をさけた。 「しかし、『彼』のDNAを解くためには、まず何をおいてもロストしたそのコードを探さねばなりません。対象を絞り込むための諜報活動です。情報が確かなものに確定され次第、皆さまのお手もとに報告書がまいります」 『しかし、それは研究者としての君の分を逸脱してはいないか。それこそ、誰か代理の、専門の者をたてればいいだけの話ではないか』 「コードSigの解析が滞っていることを、他国の誰にも知られてはなりません」 男はあっさりと言い切った。 「それでなくとも帝国内は、今やレジスタンス気取りの愚か者達と、『彼』の与えた打撃とで相当に荒れている。秘密を知るものはひとりでも少ない方がいいのではありませんか」 『それは――確かに』 『たしかに、そうだが』 モニターの老人達は、まだぐすぐずと何か言いたげである。天才とは言え、一介の研究者に軍事の一端を任せても良いのか、という葛藤がありありと見て取れる。 その葛藤を予想していない男ではなかったので、さらりとこう言った。 「もちろん、私ひとりでは手に負えないことも出てまいるでしょう。なにしろ、今まで研究三昧で過ごしてきた、頭でっかちな人間ですから。――その際は、是非どなたかにご助言、ご助力を賜りたいのですが、軍に関することはどちらに相談申し上げれば」 『それなら儂が請け負おう』 ひとりの老人が、安堵したように男の問いかけを引き取った。 『確かに、ここで権限だのなんだのと些少なことにかかずらっているいとまはなかろう。よろしい、儂の裁量で今日の夕刻にも適任と思われる人間のリストを作成させよう』 「ありがとうこざいます」 そのやりとりで、他のモニターの向こうの老人達も、仕方ないと思ったのかそれ以上異を唱える者は出なかった。 『何かあれば、すぐに報告を。君のことだ、よい成果をもたらしてくれるものと期待している』 『そういうことであるなら、こちらも助力は惜しまん。必要であれば我々の誰にでも連絡したまえ、柳』 「皆さまのご厚意に感謝いたします」 『君の手がけているドールについても、予算を増額させよう。そのほかに何かあるか』 「いまのところは」 あっさりと言って、それから男――柳は、ふと何かを思い出したように、再びキーボードに指を乗せ、素早く某かのキーを叩いた。 「とにかく、現時点で判っているSigについてのデータを全てお送りいたします。また、ロストコードについては便宜上Hildeと呼んでおりますので、ご高覧頂く際には、どうぞお心にお留めおき下さい」 『ヒルダ?』 『女性の名だな』 「特に何か意図あってのことではありません。もしお気に召さなければ、なんとでもお呼びください」 柳はどうでもよさげに言った。 『いや、かまわん』 『そうとも、たかがコード名に口出しする気はない』 『わざわざ女性名にするには、何か意味でもあるのかと思っただけのことだ、気を悪くしないでくれ』 「とんでもない」 柳はまた、微かに冷笑した。 しかし、闇に半ば以上沈み込んだ彼のそんなささいな表情などは、画面越しの誰にも確認できなかっただろう。 「では、次の報告を」 物憂く宣言した彼の薄い唇は次の瞬間にはもう科学者の、世辞も美辞麗句も知らぬ生真面目なそれであった。 笑うことなど生まれて一度も知らぬような唇は、そのあとも数時間にわたり、研究の成果と途中経過の報告、モニター越しの老人達との質疑応答をこなしていったのだった。 |
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