いつもかすかな風の音が、響いていた。 ふかい眠りからゆるく覚醒に向かう、その夢うつつの時間に、いつもその音が聞こえていた。 このくろがねの城をびっしりと埋め尽くす機械の振動音ではない、かすかな、ほんとうにかすかな風の音。厚い鋼鉄の壁の向こうからでも耳に届く、得体の知れぬ獣の咆吼のような。 風の音だ、と気づいたのは、あの城に連れてゆかれてしばらく経ったあとだった。 『防音は完全の筈だ』 風の音が聞こえる、と告げたとき、『彼』は目をすがめて淡々と言った。 『確かにこういう山岳地帯は地形のせいで空気の流れが鋭くなるし、音量もかなりにはなるが、ここまでは届いてこない。――それでも聞こえるのか』 『彼』の言葉は耳に直接触れた唇から低く聞こえ、反応してかすかに震えた己の身体は、まだ汗の引ききらぬ『彼』の肌に抱きよせられてぴたりと添った。『彼』の腕は強靱で、しかも抜け目がなく、どうあがこうともそこから逃れ出る隙はない。 『どこか三半規管に異常があるのかもしれない。メディカルルームがある。検査をしようか』 『――そういうことじゃないよ』 『彼』の物言いはあくまで生真面目で冷たかった。だがその融通の利かないところがこの時の自分には非常にいとしくさえあったので、少し笑って身じろいだ。 それが『彼』には、己の腕から逃れでようとする仕草に見えたものか、またあわてたように抱きしめてくる。横たわる布の深い緑さえも闇色に沈む、夜明け前のくらがりのなかである。『彼』の顔もその薄闇に半ば沈んでいたが、きつく抱きしめられ、息苦しさに仰け反らせた喉に触れた『彼』の唇は、飽かぬ欲情を示してゆっくりと這った。 『風の音がしてる』 『――防音は完全だ』 『でも……ひゅう、ひゅう、って響いてくるよ』 『英二』 『泣いてるみたいに』 どこからともなく聞こえてくるその音のみなもとをさぐろうと、物憂げに頭を巡らせたが、すぐに『彼』がのしかかってきたので目を閉じる。視界を閉ざした闇の中で、身体を忙しなく撫でる手の熱さの向こうで、まだ風の音は響いていた。 あの鋼鉄の城を離れてから――さまざまな経緯の末に地上で生き始めてからも、時折明け方に『彼』の夢を見るのは、風の音のせいだったかも知れない。 泣く声に聞こえる。 泣いている声に聞こえる。 すすり泣くでなく、嗚咽するでなく、身も世もなく号泣するでもなしに――ただ、叫ぶ声。涙ひとつ流さず、その切なさとやるせなさの理由も知らずに、孤高の獣がはなつ咆吼の声。 泣くすべを知らなかった、『彼』の声に聞こえた。 けれどこの街には風がない。 風の音は、どこにもない。 『彼』の声が聞こえない。 こんなに近くにいるのに。 「銃なんてもって行けるわけないだろ」 桃城が、どんどんと背中をはたかれている。 たぶん、同期であり同僚であり、またもとルームメイトで気心の知れた相手であるから、あそこまで遠慮がないのだろうが、それでもはたから見ていればちょっと首を竦めたくなるほど、神尾アキラの手は容赦ない。 「何かあったときにいいわけ出来ねえだろ」 「いや、一応さ。それこそ、何かあったときに困るじゃねえか」 桃城が言うのに、神尾は首を振る。 「この都市の中で銃を携帯できるのは、セキュリティと研究所の上の連中ぐらいだ。それも一丁一丁にちゃんと登録コードついてて、赤外線とかでひっきりなしにチェックされてる。それ以外のやつ持って都市のなか歩き回ったら目も当てられないような騒ぎになっちまう。それでなくても警戒が強まってんだ、言っただろうが」 「ああ、そのへんは乾先輩だって知ってるから、ちゃんと検知されないようなホルダー作ってくれてるよ。ここに来るまでだって、誰にも止められなかっただろ」 「げ。なんだよお前、持ってきてんのか」 「きてるよ。――ねえ、英二センパイ。俺達、護身用のちっちゃいの持ってきてますよね」 「うん」 ほらこれ、と英二は神尾に銃を入れた入れ物を差し出した。 それは、一見すると革細工の小物入れに見え、ジーンズのポケットにもきちんと治まるようになっている。取り出して銃身を伸ばして使用するタイプのもので、銃全体が薄く、弾丸も小さい。入れ物も巧妙に見てくれをごまかしてあり、取り上げられて中身を調べられても、小銭入れとしか判らない。 「うわー……すげえ。なにコレ。おまえんトコの乾さんでこんなのも作んの?」 「すげえだろ、その銃も弾丸もお手製だよ。……っとと、中身出すなよ。俺達だって非常時にしか出すなって言われてんだ。そのケースから外に出したら、それこそたちまち検知されるぞ」 桃城は神尾にそう言いながら、肩をすくめた。 「それにしてもほんっと、何にビクビクしてんだか、っつーぐらいの警戒っぷりだな。……神尾、お前相変わらず人の背中だと思いやがって、叩きすぎだよ、いてえって」 「それぐらいでビクともならんだろ、お前は」 神尾アキラは冷たいひと声を投げた。しかし、さして広くない部屋の真ん中にぽかんとして座っている英二には、愛想良くとまではいかなくとも、じゅうぶんに優しく笑った。 「ったく、こんなのにセンパイって呼ばれたってブキミなだけだよな、お前も。さ、とりあえず銃のことはおいといて、たくさん食っといてくれよ。……ああ、それは熱いから気を付けて。ひょっとして食い慣れないものはあるかも知れないけど、まずくないはずだから」 折り畳み式の銀色のテーブルの上には、手早く朝食が並べられた。 何の模様もないシンプルな白のプレートに、暖めた丸いパンが三つばかりと、ふわふわしたオムレツの上にケチャップをかけたものが乗っている。コーンとトマトが彩りよくちらされたサラダと、プレートと揃いの白のカップに湯気をたてているクリームスープ、そうしてたっぷりのコーヒーと言ったものがずらりと並んだ。 独り暮らしの男の作る朝食としてはなかなかの品揃えのように思えるが、ほとんどフリーズドライだのレトルトだのと言った簡易食ばかりであるので、作る手間はないに等しい。都市の中の人間はほとんどこう言った食生活ばかりであるという。 本来の調理の為の機能を備えたキッチンは街のレストランの厨房でしか用のないものであったし、個人の家庭では人間の手で一から材料を刻み、調味料を駆使して料理を作るなどいうことはほとんどないに等しかっただろう。材料を買いそろえて調理を行うよりは安価で手軽であるからというのが、その理由だという。 だから、今この都市の中の家々でキッチンと言えば、食事に使った皿を洗う機械が内蔵されただけのもの――そうして、コーヒーだの紅茶だのと言った、ちょっとした暖かい飲み物を作るためだけの設備であるのだ。 「俺は、帝都にいたときからちょこちょこ料理はしてたけどな。最近は新鮮な材料を手に入れるのが難しくなってさ」 神尾アキラが言うのに、桃城は鼻で笑う。 「金かけてわざわざまずいもんを作るこたないってことじゃねえの」 またひとしきり軽口をたたき合うふたりと一緒に朝食を済ませた英二は、服装を整えてそのまま街に出る事になった。整える、と言ってもそれこそ昨夜着たものをもう一度着直す程度のことだったが、小綺麗に身なりを整えると、英二はなんとも可愛らしいようすになった。 見てくれがまだ15歳ほどの少年であるから、その年相応の幼さと、もともとの仔猫のような愛らしい顔立ちがあいまって、とてもぶっそうな組織の一員には見えない。 大きな目が不安そうに瞬くのがなんとも痛ましく、桃城は胸を突かれる思いがする。 「なんかあったら、俺がフォローしますから」 何やらをコンピュータでチェックしているらしい神尾に気づかれないように、桃城は英二に小声で囁く。 「無理しないでくださいね」 「――お前こそ」 英二は口元だけで笑う。 「知ってるトコだからって、羽目外し過ぎたりすんなよ。――言っとくけど、俺はお前のフォローなんかしてやんないから」 「はいはい」 小憎らしい口を利かれても、どうも相手が小さいと可愛いばかりに思えてしまう。 「冗談抜きでさ」 「――……」 「乾に言われたとおり、お前になんかあっても、俺は72時間経ったらちゃんとここを出るからな。期待すんなよ」 「わかってます」 「――逆も一緒だ。俺になんかあっても、絶対にヘタに助け出したりしようとしないで、お前はひとりで逃げろよ。じゃないと、乾の計画が総くずれになる。乾が俺とお前ふたりだけでここに来させたのも、大人数で行動してその中のひとりに何かあったとき、助ける助けないでくだらなくモメたりしない為なんだから」 桃城は何か言おうとしたが、英二に肘でつつかれて黙った。神尾が何やらの情報を調べ終わって席を立ったのだ。 「とにかく、今日は一番近い政府の施設に入ってみるか」 「一番近い、って言うと」 「此処からだと公営の図書館と銀行かな」 「銀行はヤバいな。金を扱ってるから、セキュリティも厳しい」 桃城が言うのに神尾も頷いた。 「そうだな。図書館ならまだそれほど警備も厳しくない。端末もあるし、たどっていけば図書館利用者のデータからメインサーバに近づけなくもないだろう」 神尾の提案に、三人はそのまま部屋を出て「図書館」に向かうこととなった。神尾の住んでいるアパートメントから少し歩けば、すぐにたどり着ける。住宅街の一角であるそのあたりは、英二が昨日目を丸くしたような騒々しさ、けたたましさはなく、車も少なかった。 しかし住宅地の一角の小さな図書館といっても、出入りには個別の認証カードが必要になる。本の貸し出し、閲覧についても同じ事だ。 入口のドアをくぐるときに、三人は緊張しながらカードをスロットにくぐらせていたが、自動ドアはするりと開いて彼らを迎え入れてくれた。 朝早いせいか、図書館の中の人影はまばらだ。 二階建ての、少し古風な建物の造りを模しているらしいこの場所は、空調がよく利いていてすごしやすく、ゆっくりと本などを閲覧するにはいい環境であった。 文章を読むのなら機械画面ではなく紙に印刷された文字を、と言う人間はまだ帝都にもいるらしく、また「本を読む」と言う、今となってはどこかノスタルジックなその光景そのものにあこがれて、書物のページを開いてみる若い女性などがけっこう多いようであった。 英二達は、いかにも調べものがあるようなふりをして、神尾の先導で何食わぬ顔をしてささやかに仕切られた機械端末の前に座った。 だが、別の機械端末機に神尾が座るのを見届けて、彼から隠れてそっと画面に触れた英二は、数秒左手を僅かに発光させたあと、眉を顰めて首を振った。 英二を覗き込んでいた桃城が伺うようにちらりと目配せする。 「繋がってない」 英二は唇の動きだけでそう言うと、最初の打ち合わせ通り十分少々そこに座って適当な画面を流し見し、いかにも自然な風で彼らと談笑するふりをしながら図書館を出た。 「駄目みたいだ」 図書館からある程度離れた処で、桃城はそう言った。 「無理か」 「あそこからは繋がってないみたいだ」 何が、とも言わず、彼らの簡単な会話はそこで終わった。 しかし、彼らがもう何も気にせず後にし、頭の中からも一端忘れてしまったであろう先刻の図書館では、そのとき小さな騒ぎが持ち上がっていた。 英二の触れた画面端末の前に次に座った女性の利用者が、端末の不調を職員に訴えにきていたのだ。画面が突然赤くなり、訳の分からないコードが溢れるように次々と打ち出され始めたという。 職員が飛んできたときには、画面はもうちかちかと赤く瞬くばかりであったし、なにより女性はその画面の不吉な赤さにびっくりし慌てて席を立ったので、そのコードの羅列がやがてある単語を凄まじい早さで打ち出していたことには、誰も気づかなかった。 そんなことがあったとさえ知らず、英二達は午前のおだやかな住宅街を歩き続ける。 ぱっと見には、年の離れた兄弟かなにかに見えていただろうか。怪しまれない程度に、あれこれと他愛ない会話を交わしていたので、時折すれ違う人々も彼らに気を止めるでもない。 このあたりは都市の大通りからは少し離れているせいか、住宅街らしい閑静さ、遠くに甲高く泣く子供の声が聞こえていたが、それ以外はいたって静かだ。三十分もあるけば、ひっきりなしに車と人の行き交う賑やかな大通りに行きつく。 「じゃ、とりあえず街中に行ってみるか。乗り物使えばすぐだから、オーディンズタワーが見えるところまで連れてってやるよ。ありゃおもしろい建て方してあるから、結構な見物だからな」 「夜になったらライトアップされて、なかなか綺麗だもんな」 桃城はそう言って、ちらりと英二を見た。 英二は聞いているのかいないのか、ぼんやりとあたりの風景を眺めている。 帝都に入ってからは、どうにも英二は心ここにあらずと言ったふうだ。いつものしたたかな、油断のならない山猫のような顔を見せるかと思えば、本当に頼りない、よるべない子供の顔にもなる。 桃城は、ある程度英二の事情を知っている。 英二がかのドールとどういう関わりがあり、どういう経緯で乾達のもとに身を寄せたかを、詳しくとまではいかないまでも知らされている。 だから最初は、新参者の桃城のみならず、河村にも英二の帝都行きを反対されていた。 帝都の側まで行動をともにするのはともかくとして、内部に潜入させるのはどうか、ということだ。 帝都の地下に例の――彼らの言うところの『バケモノ』が凍結保存されている事実は、本当に一部のものしか知らない。今回、協力を仰いだ橘たちにすら乾が得たその情報は伏せられてあった。 大きすぎる力の存在はどうしても混乱を招いてしまう。現在の政治に不満を持ち、それをひっくり返そうという目的が、その巨大な力の存在によって別ものにすり替わってしまう可能性もあるのだ。『彼らを信用していないわけではないが』と乾はもっともらしく言うが、どのみち彼は己以外の誰をも信用しない人間だ。 しかしその『バケモノ』と英二のいきさつを知っていれば、誰もが帝都に英二を近づけるのをよしとしないだろう。 ラグナロクのあいだの二年間が、英二にとってどんなものであったかを桃城は知らない。 誰も来ないような場所で遺棄された建物に半ば軟禁状態にされており、また『彼』にとって英二が――乾の言葉を借りれば『お気に入り』であったことは聞いている。『彼』と一緒にいて殺されていないだけでも、それには十分信憑性がある。 だが、英二の『彼』に対する思いがどんなものであったかを、聞いたことはない。 英二に直接、面と向かって聞けるようなものではなかったし、訊ねても英二は答えないだろう。 それこそ『信用していないわけではないが』、万が一英二がその『彼』のもとへ――懐かしさからか、それとも何やら愛情じみたものにかられて、目的を忘れて近づこうとしたらどうなるのか。 桃城のその疑念を乾はいつものあの皮肉げな、口元だけの笑みで笑った。 『そうなればそうなった時のことだよ。彼がそうならない確率は――そうだね、あまり高くないか。……いや、桃城、そう気色ばむな。その事態も十分予測してあるし、そうなってしまったとしても、問題はなにもない。おまえは気にせずに帝都を無事抜けてくるといい。……それに彼が行くつもりはなくとも、あちらが彼を欲しがっていろいろ手を回す可能性のほうが大きいんだからな、そこまでは英二のせいじゃない――そうだ、凍結されているからって、あのバケモノを甘く見ない方がいい。氷の中からでもそれぐらいはやってのけるぞ』 楽しそうな彼の声が、耳に残る。 『人類が創り出したモノの中でも史上最高の、すばらしいバケモノだよ、あれは』 英二の小さな後ろ姿を見やりながら、そんなことを思い出している桃城の目の前で、神尾が気遣って声をかけている。 「疲れてないか」 「うん、平気」 英二は小さく首を振った。 「ねえ」 「ん?」 「この中、風吹いたりとかしないの?」 「風?――いや、そりゃ空調の具合で、多少は空気も動くだろうけど……なんでだ?」 きょとんとした神尾に、英二は首を振った。 「ううん、ごめん。何でもない」 神尾は英二のその様子に首を傾げたりもしていたが、やがて大通り――賑やかな繁華街や高層ビル、さまざまな娯楽施設が左右に建ち並ぶ巨大なメインストリートへと辿り着いたので、すぐに地下鉄の入口を探すほうへと気を取られた。 メインストリートとしてはけっこう端のほうに位置しているはずだが、もうそのあたりでも結構な高層の建物や色彩豊かな店が建ち並んでいる。どうしても雑多な感じは拭えなかったが、いろどりの洪水に英二は目も眩む思いで、目の前に現れた大きなビルと、その壁に貼り付けられた巨大な画面とを見上げていた。 響く音楽と、行き交う人々。 それをぐるり見やっていた英二が、再び、目前の画面に目を止めたとき。 それは起こった。 街には、そういう瞬間がある。 たった一瞬。 ほんの刹那。 その『瞬間』に自分が立ち会っていることに気づくのさえ希な、そういうときが。 どこからこれだけの人間がと思うような、蠢く人々の群れ。世の中全てを呪っていそうな顔で黙々と歩き続ける男や、きつい化粧の女達。 何処にでも座り込んでけたたましく狂笑する若者達、貯金通帳の残高を思い出しながらあれこれとウインドーの商品を指さす少女、空調が利いていないと文句を言いながら空を見上げる老人、好き勝手に走る子供を見失うまいとあれこれ顔を巡らせる親。 それほど多くの人々がみっしりと行き交い続け、それぞれが、男と女と金と品物の話に花を咲かせ、あるいは謀略を巡らせている、そんな街のただなかにあって。 ただ――その刹那。 目的地に向かってまっしぐらに走り続ける車の群れ。 通行人の目を引くように引くようにと飾り立てられたせいで、どれが何やら判らなくなってしまった看板やディスプレイのたぐい、新しい商品のCMがひっきりなしに流され続けるのは、商業ビルの壁面に取り付けられている巨大な画面。それもひとつふたつではなく、あちこちの建物にびっしりと張り付けられている。 ありとあらゆる場所にさまざまな音楽と色彩が溢れ、それぞれに人目を引き、あるいはその前に数人を立ち止まらせ、あるいは一顧だにされず。 狂奔し続ける人々をさらに煽るように狂奔し続ける街の中の、めまぐるしい色彩と画像と音楽の、その中に。 ただ――その、刹那。 街の中に出来た――雑踏の中に出来た、一瞬の空白。 英二以外誰も知らない、気づきもしなかったその瞬間である。 英二が見上げた先の、巨大な画面。 確かについ先ほどまで、煙草か何かをくわえた肉感的な女の赤い唇が映し出されていたはずであったものを。 その画面は一瞬にして、赤く消され、塗りつぶされ、そうしてほんの一瞬。 大きさも形もばらばらな、だが非常にくっきりとした文字が四つ、浮かび上がった。 まるでその瞬間、その場所に視線を当てたのが、英二ただひとりであると知っていたように。 街の空白。ほんの一瞬の雑踏の狭隘に、確かに英二が立っていることを見越したかのように。 E。 I。 J。 I。 その四つの文字が深紅の中に現れ、明滅し、そこで確かに英二がそれを見上げているという確信を持ってでもいるかのように――。 そうしてその英二に何かを訴えかけてでもいるかのように、はっきりと、映し出されたのであった。 |
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