「ふたりとも無事で何より。まずはひと安心ってとこかな」
 軽いノックのあと、すぐにドアを開けて何も言わずに彼らを招き入れた青年――神尾アキラは、ドアを閉じ、鍵をかけ、カーテンを閉めてささやかな密室を創り出すと、ようやくそう言った。
 帝都標準時刻で、22時をまわったところである。

 決して汚らしくはないが、さして贅沢でもない、良くも悪くもシンプルな住居ビルの一角である。
 ベージュのシンプルな壁紙、ワンルームにバスとトイレのついた、ひとりで暮らす為の空間や家具、設備などを、出来るだけ最少限に押さえることを意識した殺風景な部屋だった。
 小さなデスクの上に、それだけはこの部屋に不似合いな、妙に立派なコンピュータの端末が二台並べられている。
「いートコ住んでんじゃねえかよ、神尾」
「バカ言ってねえで、ほれ、認識カード貸せ」
 からかうように言った桃城に、神尾は手をひらひらさせて言った。
 桃城も英二も、帝都の中に入るとあの重苦しいマントを脱いで目立たない軽装だけになっていたので、ちょっと見た目にはごく年若い兄弟にも見えたかも知れない。ここに入る前に、出来るだけこざっぱりとした服装――すりきれておらず、薄汚れても破れてもいない、地味だが十分に帝都の人混みにとけ込めるようなものを、乾から受け取っていたのだ。
 桃城のカードを、機械端末のスロットに挿入し、あれこれと神尾はキーボードを叩き始める。
「とりあえず、帝都出る前にもう一度書き換えするからな。今のIDカードは主要な区域の出入りまで監視されるようになっているんだ。短期滞在の認証ナンバー持ちが入ったら、すぐに警察がすっとんでくるような区域もある。たぶん、中央研究所まわりや、政府高官が住んでる街の中心部もそうだろう。くれぐれも気を付けてな」
「ああ」
「よくわからないんだが、少し前から何かちょっとあわただしいことになってる」
 少しばかり乱暴に見える手つきでキーボードを叩きながら、神尾は言った。
「また何か、セキュリティで問題が生じたみたいだな。おまえらがミスしたわけじゃなさそうだが、気をつけといてくれ。最近はちょっと不審な動きしてたらすぐに引っ張って行かれる。――引っ張っていかれるだけならまだマシだが、有無を言わせず射殺されてるのも結構いるみたいだからな、ここだけの話」
「そうなのか」
「そういう情報はだいぶ押さえられているみたいだから、街なかは平和に見えるだろ、一応」
「……えらい管理体制になったもんだな。いつからだ」
「そうだな、やっぱり一年前だ。うちやそっちがあれこれ暴れ出した時期でもあるし、何より例のバケモノのこともあるだろうからな。IDカードも絶対に携行してないと処罰の対象だから、一応もっとけよ。……よし、お前のはおわり」
 小さな鳴動音がして、カードが吐き出される。
「そんじゃ次お前のな。えーと、菊丸だっけ」
「あ、うん。――お願いします」
 小さく言って、英二は神尾にカードを渡した。
「大変だよなあ、こんなちっせえのに桃城なんかのお供だなんて」
 神尾は笑って、親しく英二に話しかけた。
 白く綺麗な綿の上着と、新しい黒のジーンズを着た英二は見るからに幼くか細い。はじめて帝都に訪れて緊張しているに違いない、と神尾は考えたようだった。
「アレだろ、道中いろいろこいつに手ぇやいたんじゃねえか。大丈夫だったか、メシ取られたりしなかったか」
「おまえな、人をなんだと思ってんだよ」
 桃城の抗議を軽く聞き流し、神尾はまた手元に集中した。
 今回は、帝都のメインサーバに侵入し、その周囲のセキュリティシステムの詳細を出来る限り手に入れてくることになっている。
 来たるべき帝都攻略の時に備えて、ということで桃城がそのメインの役割を担い、コンピュータに詳しい英二がその助手として同行する、というふれこみになっていた。
 橘やその取り巻き達には英二の能力については内密に、というのが乾の指示だが、当然と言えば当然である。英二が「左手を介して機械の中の情報を自分の中に取り込める」ことを、馬鹿正直に説明しても余計な混乱を起こすだけであろう。
 英二の力がなんなのか、どうしてそうなったのか、などと言うことが知れれば、おそらくそれをめぐって不要な争いが起こる。単純に英二の力を欲するものもいるだろうし、またその「指輪」の贈り主と英二の関係を知って復讐に燃えるものも出ないとは限らない。
 もちろんそんな突拍子もないことを考える者も、またちょっとでも疑う者もいなかったので、彼らの言葉は現在の処すんなりと信じてもらえている。
「せっかくだから美味いものでも食いに連れてってやれりゃいいんだけど、どこで何見られてるかわかんねえからな。ま、此処でもまずくてしょうがないものだけは出したりしねえから、その点だけは安心しててくれていいぞ」
 神尾は英二に優しく言った。
「お前がつくるんじゃねえだろな」
「何だよ、なんか文句あんのか。レトルトなんだから、そうそうまずいもんじゃねえよ」
「……インスタントでいいわ、俺」
「こら、桃城、てめえ」
「研修で一緒だったときに、夜中に夜食つくろうとして火事出しかけたの忘れたンかよ、お前」
「ありゃお前が腹減って眠れねえ、ラーメン食いたいって騒いだからだろうが」
「何で湯わかすだけで、部屋燃やせるんだよ」
 同年代でごく年若く、また仲の良い間柄らしい神尾アキラと桃城武は、楽しそうに軽口をたたき合っている。
 神尾アキラは橘をリーダーとする抵抗組織の一員であったが、帝都に籍をおいたままにしている。そのほうが何かと便利であるのだろう、しょっちゅう他人のIDで帝都の外へ出ては、橘たちと連絡を取り合っているようだった。
 その神尾が帝都で暮らす為のささやかな一室に、今回桃城と英二ふたりが数日間の潜伏するのだ。
「菊丸は帝都は初めてだったよな」
 彼はぼんやりしている英二に声をかけてきた。
「あ……うん、初めて」
「そうか。どうだ、ここ」
「どうって……」
 英二は口ごもった。
「ぴかぴかした色がたくさんで――びっくりした」
 銀色に輝く建物。大小さまざまのネオンや、電光掲示板。あちこちの店先にてんでばらばらに挙げられているスクリーンに映し出される様々な映像。
 ひらひらした原色の服装に身をまとった男女、夜だというのにひっきりなしに行き交う車、無秩序にながされてくる音楽。
 暗闇に閉ざされる夜に慣れている英二は、目が眩むような極彩色の洪水だった。
 幼い頃は崩れそうな板の狭間で、砂まみれの暮らしをしてきた。地方の裕福な金持ちの家で下働きをしていたときも、どこか黒ずんだような赤や緑で満たされた、暗い館であった印象しかない。
 その後も、白一色の研究所や荒野にそびえる黒き鉄城、崩壊した街の片隅で生きてきた英二には、その色の多彩さだけでも目を回しそうな衝撃だった。
「やっばり建物が多いね。すごく背の高い建物」
「ああ、そうだな。地方都市の高層建築はもうほとんど残ってないだろうからな、ここへ来ると眺めは壮観だろうな。こんな帝都の端からでも、けっこう見えるもんだし。もっと中心のほう行くと凄いぞ。ここからじゃ見えないが、もう少し近づくと銀色の、わりと細身の建物が見える。割と変わった建て方だからすぐ判ると思うけど、それが中央研究所のオーディンズタワーってヤツだ」
 神尾は人よさげに話してくれる。まだ幼い(ように見える)英二のことを、気遣っているようだった。
「それから、外より涼しい感じしたけど」
「空調が利いてるからな。帝都の上空は空気の流れと電磁波で見えない空気の膜みたいなものが造ってあってさ、それはエアドームって言うんだ。そんで、その中の空気を浄化するシステムになってる」
「へえ、すごいんだね」
「でもあれだけ車走ってりゃ、あんま意味無いみたいだけどな」
 神尾は苦笑した。
「それに、エアドームの中は確かに空調かけられてていいかもしれないんだけど、その汚れた空気を排出するのは外だからな。空気も、工場排水も帝都の外に捨てて知らんぷりしてんだよ、ここは。――外には外で人が暮らしてるってのにな」
 神尾の言葉には、少し自嘲的な響きが含まれている。
「俺も昔は、此処に住んでたときそんなことよく考えてみなかったんだけどな。でも、じっさい外に出て見ると、いろいろ判ることがあるよな」
 神尾の言葉に、英二はただ黙っていた。
 ここは美しい都市だと思う。
 賑やかな街だと思う――だがどこか雑然としている。
 何処かまとまりがない。
 エネルギッシュといえば聞こえはいいが、そのパワーはとげとげしく、攻撃性に満ちている。
 店舗は綺麗で、足下の舗装された歩道も形のいい飾りタイルで埋められていて、街路樹などもそれなりに手入れされて植えられている。
 しかし同時に、無秩序に挙げられた看板や電飾の自分勝手な主張の色合いや、足下の飾りタイルのすき間すき間に踏みつけられてねじ込まれたような汚いゴミや、街路樹の根本に置きっぱなしになっている残飯やら、そういうものが多く目についてしまう。
 立派な造りの都市であるとは思う。
 最新の技術が使われた、設備と利便とを誇る都市ではあると思える。
 だがどうしても、その立派なたたずまいの影に積み上げられたごみやがらくたのようなものを隠しこみ、何とか形を整えて見せているような――そうしてそのあざとく体裁だけを取り繕った跡こそが、まざまざと陽の光のもとに見えてしまっているような、見苦しくだらしない感が拭えない。
 繁栄と無秩序。
 奢侈と自堕落。
 帝都を見た感想をと言われれば、英二にはこんな言葉しか思いつかない。
「――さ、こんなもんか」
 神尾はカードを引き出すと、英二に手渡した。
「くれぐれも、おまえもこれだけは無くすんじゃないぞ。これがないといろいろ面倒だからな。この街は、住んでる者が思ってる以上に厳重な監視体制が敷かれてる。明日、少し帝都の中を案内してやるけど、どうする、端末持っていくか」
 神尾は桃城が、機械端末を介してシステムに侵入するものと思っている。
 もちろん、本来はそれがあたりまえだ。と言うより、他にネットワークに侵入する方法などない。
 だが、彼らの「方法」はそれとは異なる。
 桃城は少し口ごもったが、いや、と小さく言って首を振った。
「とりあえず、明日は様子見させてくれ。俺も帝都離れて長いし、中がどうなってるのか見ときたいしな。いざとなったときに右も左もわからないんじゃ不安だ」
「ああ、それもそうだな」
 神尾は疑うことなく頷いた。
「それじゃ、とりあえず今日は今から腹ごしらえするか。朝になったら比較的安全なところまで連れてってやるから」
 神尾が席をたち、桃城もなにか軽口を叩きながらそれに続いた。ささやかなキッチンへと向かうようだ。
「英二センパイもちょっと手伝ってくれます?」
「あ、うん、いいよ。――あの、このカード、一端ここにおいといていい? 機械の横」
「ああ、出かけるときに持っておきゃいいから、それでかまわないぞ」
 神尾がキッチンから答えた。
 英二は軽く頷き、銀色のカードを先刻の機械端末の横においた。
 端末の画面には、ちかちかと数字の羅列が点滅している。まだ某かのネットワークに繋がったままなのか、と考え、英二はふとその画面に左手で触れてみた。
 一瞬、左手が白く輝いて画面からの情報を英二に伝えたが、ささいな事柄ばかり――食材の注文や清掃センターの営業時刻、娯楽番組の放送予定などといった、とるに足らないものばかりである。
 帝都の人間達は、こうして日々に暮らしに必要な情報をこういう端末から手に入れるのだろう。
「英二センパイ?」
 なかなかこない英二を、桃城がキッチンからよんでいる。
「あ、ごめん。いますぐいくよ」
 英二はあわてて手を離し、機械に背を向けてぱたぱたとキッチンへ歩いていく。
 ――その数秒後に、唐突に画面が赤く切りかわったことも知らずに。
 ちかちかと数字のまたたいていた、何の変哲もなかった画面が突然深紅に染まる。
 コンピュータの内部から、誰かの鮮血をぶちまけたように。
 画面には乱れた波形があらわれ、数字と言わず文字と言わず、次々に現れては消えてゆく。悶え苦しむコードの乱舞はしばらく続き、やがてそれは画面にある文字を明滅させ始めた。
――E
――I
――J
――I
 その文字は、雷鳴のように赤い画面に閃きつづけた。
 それこそ画面の色そのもののような、血を吐くがごとき狂おしい意識。
 ネットワークに僅かに現れた英二の気配を、敏感に感じ取って咆吼しているようだった。

――EIJI
――EIJI
――英二

 英二。
 英二。
 英二。

 英二はそれに気づかない。
 その声なき叫びは、彼の耳に届くことはなかった。

 このときは。






back/next
top/novel top/Reconquista top