『君に協力して欲しいんだよ』 あの荒野から助け出され――本復した英二に向かって、乾貞治はそう言った。 『何も隠さずに言おう。俺は政府の中央研究所で主任を務めてた。主に生体兵器に関する研究で、この子は俺の“作品”だ』 呼ばれたことがわかったように英二の方を見たのは、まだ幼い子供だった。目が大きく、ふっくらとした子供らしい唇をしていた。 『君の事情は、多分君よりもよく知ってる。君がD2で、しかもあの“シグルド”のお気に入りだってことだろう。……おっと、動かないでくれよ。俺はこっちのほうはからっきしなんだ、うっかり撃ってしまわないとも限らないんだから』 そのとき英二は、乾に背後から銃を突きつけられた格好だった。 話があるからと別室に通された。剥き出しのコンクリートの壁面に、ずいぶん古びたソファセットがおいてある。そのソファの背もたれにちょんと腰掛けている幼い子供に気を取られた瞬間に、後頭部に固いものを押し当てられたのだ。 それが銃だとすぐに判ったがとっさにどう出来るものでもなく、英二は大人しく両手をあげるしかなかった。まだ英二の為の服などなく、薄い毛布のようなもので体をおおっているだけで何も武器など隠せるはずもなかったが、抵抗の意志はないということを形だけでも示すために。 『やれやれ、こんなところを不二に見られたら此処が崩壊してしまう』 『……』 『それでね、英二君、君が眠っている間にいろいろと調べさせてもらったんだけど、君の体は実に興味深い構成になっている。――DNAが変化を起こしている、と言えば簡単な聞こえだが、君のもともとの遺伝子と人工であるはずのドールのものとがそれは見事に融和しているんだよ。もっとちゃんとした施設があれば、組成式を全部調べたいぐらいだ』 乾は実に楽しそうに言った。 『人間の体にドールのプレートを融合させる実験は幾度も行われたけれどね、たいてい被験体のほうが耐えきれずに融解するんだ。Dコードは人間の体には合わないと思われていたんだけれど、これほど素晴らしく調和も出来るものだとはね。君がD2だからかな。それとも、何か君自身にもともと特別な要素が』 『――……おとうさん』 子供が小さく呼んだ。それで、乾は我に返ったようだった。 『ああ、そうだね、薫。ついつい興奮したかな。――何の話をしていたか……そう、それで、君に我々に協力してもらいたいんだ』 協力と言われても、と英二が困惑しているのを乾は知って、さらにたたみかけるように言った。 『Dコードを融合させた君は、たぶん普通の人間にない能力があるだろう。たとえドールには及ばずとも。……思い当たることがあるんじゃないかい』 『……』 『君の体に入り込んだ遺伝子はなにせあの“シグルド”のものだ。どんな機械もヒトも、彼には叶わない。世界の半分は彼に灼かれ、コンピュータは彼に喜んで屈する。どれほどの武器も彼に致命傷を負わせることは出来ない。――その彼が何故、軍ごときの手に落ちたのかと思ったのだけれどね』 乾の目は、英二の左の薬指に嵌められた黄金の指輪を見ている。 『英二君。君の体験したことはあとでじっくり聞かせてもらうことにしても、とりあえず返事が欲しいな。――いい返事が』 『銃つきつけて言われたって』 英二は、歯ぎしりしたくなりながら言い返した。 『俺が断ったら、殺すんでしょ』 『そうしたくはないんだけど』 『そんなので無理矢理に従わせたって、途中で裏切ったりするとか思わないの』 『君は裏切らないさ』 乾はあっけらかんと言った。 『なぜなら、“シグルド”は生きているからね』 英二ははっと振り返った。 乾は薄く笑みをたたえたまま、今度は英二の鼻先に銃をつきつけて、不気味なほど優しく言ったのだ。 『会いたいだろう』 思わず息をのんだ英二を、乾は笑って見おろした。 『協力してくれたら、いつか君を帝都へ行かせてあげるよ』 『……』 『“シグルド”の近くにね』 乾には知られた、と悔しく思う間も英二にはなかった。 離れてしまった――遠く遠くへ引き離されてしまったひとのことを、ただただ痛ましく、愛しく思うほか……悲しく思い出すほか、なかったからである。 ダークグリーンのベルベットにふたりして、くるまった。 寝る前には、様々な本を枕元に広げていろんな話をしてくれた。 白く輝く木々の場所に座り込んで、星のことを教えてくれた。 笑う顔が好きだと言ってくれた。 暖かいことが嬉しいと言ってくれた。 彼は、自分のためにどれほど心を砕いていたろう。どれほど手を尽くして自分をいつくしもうとしてくれただろう。 決してその手は優しいばかりではなかったけれど。 決してその方法は正しくはなかったけれど。 ――ずっといっしょにいてあげる 彼は覚えているだろうか、あの夜が――最後の夜が明ける前に、約束したこと。 おぼえているだろうか。 ――いっしょにいてあげる、さいごまで。 それがどういう意味を持っているのか。 どれほどの誓いであったのかを判ってくれて、いただろうか。 知ってくれたら、どんなふうに思うのだろう。 その誓いを果たすためだけに、生きてきたと言うことを。 「なんで今日はこんなに時間かかってんだ?」 英二の頭の上を、男達の声が通りすぎる。 「知らねえよ、なんだか検閲の連中、ピリピリしてるな」 「やったら時間くっちまって、こっちも次の予定があるんだぜえ」 数人の男達が某かのICカードを手に、なかなか進まない列を憎々しげに見ている。 「なんだかセキュリティがどうとか言ってたけどな」 男達がそうやって見やる先は、天にも届くかのような巨大な鉄扉があった。 その鋼鉄の、巨人でなければあけられないような扉だけではない。この場所そのものがぐるりと黒い鉄壁に取り囲まれ、暗い、そして凄まじい圧迫感に満たされている。 ここは帝都に入ってくる、ありとあらゆる品物や人間をチェックしている検問所のひとつであるのだ。 ここで待ち初めて、ぼんやりと座り込んでいるうちに少しうとうとしたのだろうか。いつもなら、知らない人間ばかりの処でそんな油断は決してしないのだが、今は隣に河村隆が立っている。 疲れたなら眠っていていいと言われ、大丈夫だと答えたつもりが、きっちり眠ってしまっていたのではお話にならない。 「ごめん、タカさん。俺寝てた」 「うん、いいよ。桃のヤツずいぶん時間かかってるみたいだし」 「――……今、何時?」 「ああ、17時過ぎたとこ。英二も10分ほどうとうとしてただけだから、心配しなくていいよ。疲れてるんだろうしね」 手元の小さな携帯端末を覗きこんで、河村は言った。 「こりゃ今日中に入れるかな。ヘタしたら、外でもう一日待たなきゃならないかも」 ざわざわと、周囲は落ち着かない。 冷たいばかりの鋼鉄にかこまれているのだからあの荒野の城とどこか相似が見いだせないでもないだろうに、見間違いにしてもなつかしいものは見つけられない。 ひっきりなしに出入りする人々や、コンテナ、トラック、検閲の係の男達の居丈高な声や負けじとやり返す男達の怒鳴る声で、騒がしくて落ち着かない――そしてどうも埃っぽいせいだろう。 何処までも黒く、清潔で、静謐に満たされていたあの城とは、やはり違う、と英二は思った。 自分も、周囲の男達も埃よけのマントを深くかぶっている状態である。帝都の中は空調が利いていると言うが、一歩外へ出れば瓦礫の山や灼かれた大地からあがる砂埃やらですぐに真っ白になってしまう。似たような姿形の男達がもさりもさりと動き回っているような状態だったが、何人かは小柄な英二に目を止めてぎょっとしたように見つめてくる。 英二の顔つきなどを一通り眺め回したのち、なるほどと納得したような顔をして彼らはまた自分の仕事に戻っていく。なかにはあきらかに気の毒そうな目を向けてきたり、小さな飴玉や菓子のかけらを英二の手におとしてくれたりする、気の優しい男達までいる。 「そういうこと」が日常茶飯事なのだと推測してしまえる反応でもあった。 病んだ都市だと乾は言う――むべなるかな、である。 彼が見上げた先の鉄扉は、それ自体は頻繁に開閉することはないのだろう。その代わりというのか、その横に取り付けられた小さな(!)、トラックのコンテナがようやく通るくらいのシャッターがひっきりなしに開け閉めされている。 ここ自体は、ちょうど鋼鉄の巨大なボウルを上から被せたような格好になっているのだ。天井も壁も物凄い圧迫感のある鋼鉄製でであるのはそのためである。 帝都から出ていくのはたやすいのだが、無機物であれ有機物であれ帝都に足を踏みいれるとなると、当然のことながらチェックが厳しい。それが人間となるとさらに、である。 「俺の本来の生体コードは、犯罪者として登録されていると思うし」 河村はそう言う。 「これまではICカードと認証機械への侵入でごまかせたんだけど、今度もうまくいくとは限らないからね」 またひとしきり、荷物を早く引き取れだの何だのと騒ぎが起きだした検閲の窓口を見やりながら、河村はそっと囁く。 「それにふたりぐらいのほうが動きやすいのは確かだ、乾の言うとおり。――正直、本当は心配だからついていきたいんだけど、桃がいるなら大丈夫だろう」 「大丈夫だよ、タカさん。出来ることはしてくるから」 「うん。判ってるよ」 そう言って彼は英二の頭を撫でた。 「いいかい、くれぐれも英二はひとりにならないで。かならず桃と一緒に行動すること。たとえ三日間だけでも決して気を抜くんじゃないよ。ヤバいと思ったら、無理に研究所に近づかなくていい。それは乾も言っていたから。研究所の入口からだと、メインサーバに何処まで近づけるかどうかわからないんだし、無理なら研究所じゃなくても、別の機関でもかまわないからね」 「うん」 「まあ、ただ――抱え込んでいる『もの』のせいで、メインと一番近く繋がっているのがあの場所だというのも事実なんだ」 黙り込んでしまった英二を見て、河村は少し表情を痛ましげにゆがめたが、やがてぽんぽんと彼の肩を軽く叩く。 「英二。データのことだけ考えて行動しておいで」 「――」 「英二にいろいろと思うことがあるのは、俺にもよく判ってる。でも、それに気を取られたら最悪俺達みんな死んでしまうことになるんだ。それを忘れないで」 「――……うん、ごめん」 「英二ひとりに重いことを任せているみたいで、本当はすごく心苦しいんだけど」 河村は、彼のその真摯で実直な性格のまま、英二を案じているようだった。だから英二も彼の言うことには、素直に頷く。 「無事に帰っておいで。じゃないと不二も泣くからね」 「俺、大丈夫だから、タカさん」 よしよしと頷いた河村は、検閲が進まず、伸びてゆく一方の商売人達の列を見てため息を付いた。 「桃のヤツ帰ってこないな。何か、変なふうにチェックいれられてるんじゃないといいんだけどな」 「大丈夫なの?」 「あいつは俺とは違って、はっきりと背反したというわけでなし。死亡登録された生体コードの付加内容を書き換えてるから問題ないはずなんだけど」 そう言いながら河村は心配そうに、行列の先を見やる。 彼らのほとんどが物資の搬入にやってきている。帝都の中は人間達の建物や工場群はあるが、そればかりで埋め尽くされているので植物を栽培する余裕がほとんどなく、食料となるものはすべて帝都外から運ばれてくるのだ。 ここは主としてそういう食料品や、木材、観葉植物の類、またあまり大声では言えない「嗜好品」とが同時に帝都に流れ込む為の場所でもある。 「そういえば、不二達も大丈夫かな」 その視線の先を見ながら、英二はぽつんと言った。 「手塚がついてるから平気だろう。心配しなくてもいいよ、英二」 「……」 「なにかセキュリティシステムを完全に遮断するのに、どうしても不二じゃないと駄目だと言ってたしね。……不二が外に行くのに手塚がついていないってことはまずないだろうから」 「何しに行くんだろう」 「さあ――そのあたりは俺も聞いてないんだけど……っと、桃が戻ってきた」 見ると、男達の間を抜けながら背の高い青年が手を挙げて合図している。検閲待ちでごった返す人々の間を抜け、合流すると桃城は小さな声で言った。 「とりあえず、名前出してみたら入れてくれるようですよ。渋々ですけどね」 「そうか、引っかかったんじゃないかと思ってひやひやしたよ」 「すみませんが、あとはタカさんお願いできますか」 「了解。英二、ついといで。出来るだけうつむいて」 「うん」 三人は連れだって、コンテナの搬入口とは別の、ごく小さなドアのところへと歩いていく。鉄製のそれの側には不機嫌そうな顔をした男が立っていて、河村を見ると「何だお前か」と小さく言った。 「儲かっているみたいじゃないか」 「そうでもないですけどね」 河村は虫も殺さぬような顔でにこにこと言った。 「今回は中に入らなくていいのか」 手元の書類をちらちらと見ながらおざなりに男は言う。 「ええ、別にもうひとつ仕事ありますんでね。『品物』の届けはこちらの助手に任せときます。相手さんの家には何度か行ったことあるんで、そのへんはまたご不審なら確認しといてください」 「ああ、もう見といた。問題なかろう」 「すみませんね、いつも」 「そいつの滞在も、72時間でいいな」 「はい。またちょっと『注文』も聞いて帰らせますんで」 「まあ、あのセンセイじゃ仕方ない。チェックが厳しくなるのはこのご時世仕方ないんだが、また責任者出せだのなんだのと喚かれるのはごめんだからな――なんだ、今度のはまたちっこいな」 桃城の後ろにいた英二を見やり、男はつまらなそうに言った。 「可愛い顔してるな。男か女かわからん」 「男の子ですよ」 「あの御仁はこういうのがお好きだな。どっから買われて来たのかしらんが、まあせいぜい言うこと聞いて喜ばせてやっときゃ、食いっぱぐれはないだろうよ。・・・・・・当分はな」 心底だるそうに男は言った。 「しかしあのセンセイ、今月に入ってこの子で三人目だぜ。月初めに十歳ぐらいの女の子と、もう少し年上の女の子と」 「へえ、そりゃまた。こっちも精出して商売させてもらわなきゃ」 河村は男に向かって愛想良く言った。しかし目がまったく笑っておらず、かえって英二はぞっとしたぐらいだ。 男と河村は顔見知りらしい。男も通り一遍の確認作業だけではなく、あれこれとさしさわりない無駄話をするだけの「親しさ」でもあるようだ。 「お前もあんまり情のない商売するもんじゃないぜ。ああいうセンセイ方は外面がいい分、そっちのほうは変態なのが多いって言うからな。帝都の外から子供を買ってきちゃあベッドで嬲り殺しにしちまうっておエラさんの話も聞くぐらいだ」 「そんなもんですかね、政治家の方々ってのは」 「全部が全部ってわけじゃないだろうけどな。金と権力でどうにかならないことはないんだろ、ああいう人種には」 つまらなさそうに言った男の手元の小さな端末からは、なにやら銀色のカードらしきものが一枚、そしてもう一枚出てくる。それを二枚とも桃城に渡した。 「言ったとおり、滞在時間は七十二時間だ。それ以上だと不法滞在者としてとっつかまるからな。まあおまえらみたいなのは、これが帝都にいられるギリギリの時間だ。せいぜい金儲けしてくるといい」 桃城は相手のその物言いなどもちろん気に入らなかったらしいが、ここで騒ぎを起こしてはと大人しく、だがぞんざいに頭を下げて英二の手を引いた。 「じゃ頼むよ」 河村は、にこにこと桃城に言った。 「ああ、任せといてください」 軽く手を挙げて桃城は請け負った。 英二も、河村に手を振るぐらいはしようかと思ったが、此処でそんなことをしては怪しまれるだろう。彼に目をやると河村は頷いて見せたので、英二も大人しく連れて行かれる呈を装って、俯き加減に桃城の後ろについていく。 あちこちで鉄の扉が開いたり閉じたりを繰り返しているのだろう、ひっきりなしに重たい振動音が響き渡り、そのたびに埃臭い空気が鼻をかすめた。 暗い通路にはあちこちランプが明滅し、無愛想と言うより、ほとんど無表情な男達に何度かカードを検閲され、某かのライトのようなものをくぐらされて、細いそこを歩いていく。天井も壁も床も、全てが固い鉄で出来ている。 鋼鉄――同じくろがねで出来た場所なのに、あの懐かしい場所と少しも似ていない。 本当にこの先に、『帝都』と呼ばれる華やかな街が在るのだろうか、と疑わしくなってくる。 けれど。 けれど、近くまで来たのだ。 こんなに近くまで。 英二は唇をきっと噛んで、己のゆく先を見据えた。 通路はどこまでも暗く、何も見えない。ただただ冷たい鋼鉄に囲まれているだけだ。 けれどきっとこの先に。 この先に。 (――大石) 知らず知らず英二の手に力が入って、手を繋いでくれた桃城が不思議そうに振り返ってきた。この暗い場所で不安になったと思ったのだろうか。 だが英二の顔つきが今までになく厳しく、どこか悲しげに強ばって前を見据えていることに気づいて、彼はかけようとした言葉を飲み込んだ。 (大石) 彼が知ってくれたら、どんなふうに思うのだろう。 誓いを果たすためだけに、生きてきたと言うことを。 |
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