その日の午後。
 彼らが辿り着いたのは、それでも一応の市街地――と言ってよかったか。
 ラグナロクの間に壊され、焼かれ、もはや瓦礫と焦土のみと化した街々の多い中で、この場所はそれでも帝都に近くあったせいか、さほど被害は被らなかったらしかった。
 さほど被害のない、と言っても何も、整然と高層ビルが建ち並んだり、または小綺麗で瀟洒な街並みであったり、ということでは決してない。
 もちろんこの街でもビルは崩れ、家は燃え、諸々のライフラインはかなり破壊はされていたが、それでもそれを直し、元通り使えるようにしてこの壊れた街でなんとかやっていこうとする人々がかなりの数で生き残っていたせいでもあろう。
 高いビルは崩れたまま放置されていたし、あちこちに壊れたままの家々の残骸はあったけれども、瓦礫を片づけて道を通りやすいようにするくらいのことは出来ている。店を失った者達も簡単な露天やテント張りの、中世さながらの様子で商売にせいをだしていた。街の中央に行くと今度はもっとちゃんとした――と言うか、それなりに見られる店構えの建物がたちならんでいる。
 品物は一見まともな食料や衣服から奇妙な薬、銃器火器などあやしげなものまで、なかなか賑やかに揃えられている。街の中央に行けば行くほど建物は増し、その建物と建物の小昏い隙間からは、昼間から肌も露わにした女達が群れ、道行く者をあれこれ品定めしていた。
「英二、あまりあちこちきょろきょろしないようにね」
 そばにいた河村に言われて、英二は慌ててそちらを振り返った。
「よそものの中でも、初めてきた奴はいいカモにされるからさ。まあ、俺のそばにいるあいだは大丈夫だと思うから決して離れないで」
「う、うん」
 まだ幼い顔つきにべたりと化粧を施した少女から眼をそらして、英二は頷いた。
「大丈夫かな、不二達……」
「大丈夫だよ。向こうから迎えが来ていたろ」
「うん……」
 英二は、この中に入ってすぐに別れたもうひと組の、彼らの連れを案じる。
 ぞろぞろと歩いていたら目立つかも知れない、ということで、河村と英二と薫の3人、それから乾と桃城、手塚と不二の4人、という形で別れたのだ。
 河村はこの街に慣れているし、よく出入りしているから見知った者も多い。だが乾たちは不案内であるので、ガードもかねて道案内が付いたのだ。
 帝都に潜入する前に此処に用事があると河村と乾は言った。
 この街には実は、乾達とは行動を別にするレジスタンスの拠点があり、そこでしばらく逗留することになるらしい。決して険悪なあいだがらではなく、昔から情報交換などでやりとりはあった。それが、今回帝都潜入にあたってサポートをしてくれるのだと言う。
「見返りに、乾がなんだか、あそこの機械の面倒をやらされるらしいよ」
 河村は笑って英二に言ったものだ。
 街の中はざわざわと落ち着かなく、河村の横を歩いていく英二と薫を、すれ違いざまうさんくさそうに見やったり、もっと露骨な視線でじろじろと眺め回したりする者もいる。
 三人とも普通の格好に埃よけのマントを肩からかぶっているくらいで、特段目立つようすでもない筈なのだが、やはりこういう場所にいると英二も薫も幼さのせいで眼を引くのだろう。
 賑やかだが、どことなく物騒で剣呑な街だ。瓦礫がそこここに放置されているせいで埃っぽく、英二達でなくともみな肩から長布を羽織っている格好だった。
 だが目に付くのは大人達ばかりだ。鋭い目をした男達の野太い声、恰幅の良い女の甲高い声、それらはあるけれども子供の姿はない。おそらくこの街は、子供を安心して育てられる環境ではないのだろう。
 時々小柄な、明らかに十代前半とおぼしき者の姿もあるにはあったが、それらは皆一様にぎょっとするようなけばけばしい色彩を身にまとって、いかがわしげな店先や建物の隙間から女達にまじって、昼日中から男達の袖を引いていたのである。
 英二は知らず薫と繋いだ手をぎゅっと握った。この子供が怯えているのではないかと案じたのだが、薫はただおとなしくついてくる。
 手塚や不二などは喉元やうなじにいくつもプレートを埋め込まれているから、頭からすっぽり布をかぶって人目を避けなければならないようだったが、英二達はそのままだ。ただ、はぐれないようにだけ気をつけなければならなかった。
「このへん、昼間でも人さらいがいるからさ」
と河村は言う。
 事実、街の通りですれ違う男達の中には英二の顔つきやその隣の幼い薫を値踏みするようにじろじろと見る者があり、もっと言うなら彼らは河村を引きとめて値段を尋ねたり、「どこの宿に売るのか」というようなことを聞いたりもしたのだ。
 河村はこの街によく出入りしているせいかもの慣れていて、そのたびに適当なことを言っては男達を追い払っている。英二と薫が驚かないかと案じていたようだったが、もちろん英二は下町で暮らしていたからこの手のことはよく知っているほうだったろうし、薫も動じていない。
「ごめんね、この通りを抜けたらもう寄ってこないとは思うんだけどね」
「いいよ、タカさん」
「薫も大丈夫かい」
 こく、と薫は頷く。
 その子供らしい大きな目がまたたいて、ふと空をさまよった。
「おとうさんたちは、ちゃんと目的地に着いたみたい……です。たったいま」
「そう」
 河村は薫の頭を撫でた。
「桃城や、手塚と不二も無事?」
「はい。あと、案内しにきたひとも」
「伊武君だね。そうか、なら何よりだ」
 河村は英二をふり向くと、にっこりと人好きのする笑顔を見せた。
「それじゃこちらもちょっと急ごうか。今夜はゆっくりベッドで眠れるよ。英二も薫も、もう少しだけ頑張ろうね」
 河村も英二のさまざまな事情は知らないはずがない。だが彼の性格なのか、なにかと英二や薫を案じ、気を遣い、出来る限り優しくしてくれるのだった。
「だってさ。薫ちゃん、足痛かったらおぶったげるよ、大丈夫?」
「へいき。……です」
「そう。えらいね」
 バンダナをくるりと巻いたままの薫の頭を、英二はひと撫でしてやる。
「でも無理しないで言うんだぞ」
 みるみる赤くなる薫を自分と河村の間にいれてやって、英二は注意深く人混みの中を歩き出した。




 その、なかなかに心楽しくなるような街の、少し奥まった場所に乾達はひと足さきに辿り着いていた。そこには、半分崩れかけているがまだ十分立派な建物がある。
 その周囲には何人かの男達が長い銃身のものを構えたり、または肩に担いだりして、あたりを油断無く見張っている。
 癖のない髪を少しばかり伸ばした青年が、遠慮のない足音を建てて近寄っていったときも彼らはさっと顔を引きしめて銃をとる仕草をした。
「なんだ、深司かよ」
 ひとりがほっとしたように息をついた。
「橘さん、いる?」
「ああ、帰ってるよ。アキラもな」
「そ」
 無愛想に深司――乾達の案内役の、伊武深司は言った。
最初彼が近づいてきたとき、乾が何か別の商売の人間かと勘違いしたほど、なかなかの美青年である。きりっと上がったまなこのりりしさ、引き結ばれた唇の美しさ、通った鼻梁の形良さなどは、なかなかに見栄えが良い。
 しかしどうも口数が少ない――と言うのか、愛想がない。
 必要なことにはいかにもめんどくさそうにでも答えてくれるのだが、それ以外となるとまったく無口だ。ここへ来るまでに桃城がさすがに語気を強めたこともあったが、それも何処吹く風と彼は無頓着である。
 何かに張りつめたような、いつも怒っているような表情のまま、しかしいっさいぬかりなく彼は案内役を果たしてくれたのであった。
「ああ、そちらさんたちが例の?」
 深司と呼ばれた青年の肩ごしに伸び上がるようにして、こちらを見てきた男に、乾は如才なさげに会釈した。
「どうも。このたびは世話になります」
「あー、おかまいもできませんが」
 男は屈託なく笑った。そういう顔をするとまだ幼い。桃城も乾にならって、あわててちょっと頭を下げた。
「まあ、なんかあったら、言ってくれるといいっスよ。こまかいこといろいろは橘さんと決めてくださいや、俺達難しいことわかんないから」
「ありがとう」
 乾がまた口元だけで笑ったとき、彼らの背後で小さく何かが動いた。
「どうした、手塚」
「不二が」
 長い布に頭からすっぽり覆われて判らないが、長身の人影がそう呟いた。
 長身の人影に寄り添っていた小柄な影は、なにかを嫌がり、暴れて、顔を覆っていたフードの部分を後ろに飛ばす。
 途端に現れた白い美しい貌に、それまで笑っていた見張りの男は口をぽかんと開けたままかたまってしまった。
 この埃っぽく男臭い街ではそうそうお目にかかることなどない、白く繊細な美貌である。女と言えば眼のふちや唇にどぎつい色を塗りたくった顔を見慣れた彼には、よどんだ泥水の中からいきなり白く光り輝く蝶々が舞い上がったような衝撃だったろう。
「不二。不二、大丈夫だ、泣かなくても」
 長身の人影は彼を宥め、落ち着かせながらそっとフードを元通り被せてやる。
「菊丸たちがもうすぐ着くのに、不二が泣いていたら心配するだろう? もう少し我慢して、俺の言うことを聞くんだ。――そう、いい子だな」
 なだめすかして元通りのすがたにさせる間に、もうひとりの長身の人影の、高貴凛然たる素顔をも垣間見てますます男はぽかんとなる。
「ちょっと情緒不安定な子でね。すまない、驚かせた」
「いやそんな、滅相もない」
 乾が言うのに、男は慌てて手を振って言った。
「すみませんね、そんな綺麗な子、見慣れてないもんでさ。――深司、二階に橘さん待ってっからさ」
「ん」
 そのまま伊武深司は、別についてこいとも言わずにすたすた歩き出す。乾も当然のように後ろについて歩き出した。
 桃城は一端迷ったようだったが、ついてくるなとも言われなかったので、良いだろうと判断し自分は乾のそのあとに付き従った。無論背後のふたりを気にしてやり、先ほどの見張りの男にもう一度手を挙げて謝意を見せるのを忘れなかった。
 建物の中は、殺風景ではあったがよく片づけられていた。
 もとはなにか、それなりの金持ちの豪邸でもあったのだろう。絨毯は色あせていたが立派な厚みで、窓も美しい格子が張り巡らされている立派なものだ。
 しかしそういう場所に付き物の、立派なマホガニーの家具や陶器の巨大な花瓶や、手の込んだ模様のタペストリや、などといったものは取り払われていた。いくつかは混乱のどさくさにまぎれて略奪されたのかもしれなかったが、そういう奢侈に関する物の一切合切をのぞいた本当に建物だけ、の場所である。絨毯を取り除かなかったのは、単に大きくて長くて、どかすのが面倒だから、という理由なのだろう。
 建物が大きければ大きいほどどうしてもがらんとした印象が拭えなかったが、人はそれなりにいるらしい。あちこちにたむろしている男達がちらりとこちらを伺うのを横目に、彼らは二階の奥の部屋へ辿り着いた。
「橘さん」
 伊武青年はひとことだけ、ドアの外から声をかけた。
「深司か。ご苦労だったな、入ってもらってくれ」
 なにがどうしたとも言わないうちにドア向こうから返答があった。青年は彼らを振り返りもせず手ずからドアをあけ、先に入れと促した。
 部屋の中はこれまた他に倣ったようにがらんとしている。何かの家具を退けたような跡が絨毯のそこここについていたが、家具の類はまったくなかった。
 伊武がドアを閉じその側に立つのと同時に、部屋の奥にいた男が歩み寄って来、乾に手を差し出す。
「遠くから大変だったな。乾」
「いや」
 大柄な、だが油断ならぬ目つきをした偉丈夫である。少し笑うとおおらかな感じもするが、そこはやはり乾と同じ帝政に弓引く者であるので、ただ者ではない剣呑な雰囲気が漂っていた。
「今回は無理を聞いてもらってすまなかったな、橘」
「いや、こちらもそれなりに返してもらう予定だからな。それについては、まったく気にすることはない」
 うなずいて握手を交わしお互いに軽く肩をたたき合うと、乾は彼らの背後に頷きかける。
「あとでまた三人到着するが、とりあえず。外での仕事をしてもらってる、桃城」
「どもっス」
 桃城はあわてて頭を下げた。
 背後のドアのあたりから『すっごい、いいかげんな挨拶の仕方だよね……』とぼそりと呟く声がしたが、文句はあとで言おうと桃城は腹立ちまぎれに歯を鳴らした。
「政府の生体研究所出身だ。“人形”のメンタルケアを担当していて、ラグナロクの折りに、こっちにね」
「そうか。研究所にいたと言う割には、けっこうあれこれやれそうな男じゃないか。帝都にいるときから何かしてたのか」
「身体動かすのが好きでしたから」
 桃城は、不敵に笑って言った。
「ボクシングやら東洋剣術やら射撃――あと、カラテなんかも好きで」
「ほう」
「いや、ホント言うと子供の頃からケンカっ早かっただけなんですけどね」
 屈託ない桃城の言いように橘は楽しげに笑った。桃城の背後にいる青年などはいやそうに眉を顰めたが、彼はしあわせなもので気づいていない。
「おもしろい男だな」
「俺も頼りにしているよ」
「――それはそうと……うしろのふたりが」
「ああ」
 乾は手塚にフードをとるように目配せした。手塚はうなずいてその通りにし、いささか嫌がられながらも不二も同じようにフードを下ろさせた。
 涙を一杯に眼に溜めた不二は、橘と目が合うと恐ろしそうに首を振り、手塚の胸に顔を埋めてしまった。
「身長の高い方が“フレイ”。もうひとりが“フレイヤ”だ」
 乾の説明に、橘は眼を瞬かせた。
「そうか。――初めて見るが、綺麗なものだな」
「手塚国光と不二周助、と言う名前がある。そちらで呼んでやってくれ」
「世話になります」
 手塚が頭を軽く下げた。
「こちらも、いろいろ慣れないこともあるし何でも遠慮なく言ってくれ。君達がくるということは皆に知らせてあるから、興味本位で見られて嫌な思いをすることもあるだろうが、そのあたりは勘弁してやってくれ。あまり度が過ぎるようなら、こちらからも注意するから」
「ありがとうございます」
「それから」
 橘はにわかに顔を引きしめて言った。
「君達が“ドール”だと言うことは、俺をふくめ数人の者しか知らない。俺は部下を信用しているが、余計な混乱は起こしたくないからな」
「確かにな」
 乾が頷いた。
「その点だけはふまえて、十分に注意して行動してくれ。とりあえず、何だ、もうひとりいるのだったな。ドールが」
「ああ。俺の造ったのがね」
「きみたちのことを知っているのは、俺と、そこにいる深司と、もうひとり、こいつも研究所出身のやつが――」
 そこまで言って、橘は視線を動かした。
「深司。そう言えばアキラに出会わなかったか」
「いいえ」
 彼はぶっきらぼうに答えた。
「帰っているとは聞きました」
「そうか、何処にいるんだろうな」
 橘が首を巡らせたとき、ドアが叩かれた。
「すみません、橘さんっ。なんか行き違いになっちゃって。俺、深司迎えにいってたんですけど」
「ああ、はいれ。客人がたなら到着してるぞ」
「すんませんっ」
 結構な勢いであけられたドアの向こうから、伊武と同じような年頃の青年が転がり込んできた。
「うるさい」
 その勢いに顔を顰め、ぼそりと伊武が呟く。
「お、遅れましてっ」
「息上がっててみっともないよね……」
「深司っ!」
 後ろを振り向いて青年は、歯をむき出した。
 そのまま本当は文句のひとつも言いたいところなのだろうが、いつもこの調子なのだろう、あきらめて目の前のことを優先させることに決めたようだ。
「――あれ? 神尾?」
 改めて『客人』たちに挨拶しようと、向き直った彼は意外な声を聞いた。
「神尾じゃねえか」
「――……桃城?」
 『神尾』と呼ばれた彼は、一瞬あっけにとられたかと思うと、次の瞬間物凄いいきおいで桃城に駆け寄った。
「も、桃城! おまえホントに桃城かよっ」
「なんだよ、おまえもこんなとこにいたのかよ、神尾」
「いたのかよ、じゃねえよ!」
 彼は興奮するあまり、橘や乾、その他のことも忘れて、桃城に詰め寄り腕を掴んで揺さぶった。
「おまえ本物か! 本当の桃城か! 死んだんじゃなかったのかよ、てめえ!」
「おいおい、勝手に殺すなよー、生きてるじゃねえか」
 神尾の肩をぽんぽんと叩いて、桃城は彼に顔を近づけにやりと笑ってみせた。
「この通り、悪運強くてな」
「桃城……」
 そのまま神尾なる青年は桃城にすがったまま、あれこれと言葉をさがしていたようだったが、ついに気が抜けたのかへなへなとその場に座り込んでしまった。
「おいおい、大丈夫かよ」
「大丈夫じゃねえよー……」
 神尾は座り込んだまま、うつむいた。少し、涙ぐんでいるようだった。
「俺、あんときどんだけ心配したと思ってんだよ、てめえ……」
「悪かったってー」
「そのあとあのバケモノ騒動で確かめようがなくってさ……もう何なんだよ、おまえ、ホントにさ」
「心配かけたのかよ、悪かったよ」
「知り合いか」
 神尾の興奮が一段落ついたところを見計らって、橘が注意深く声をかけた。
「あ、スンマセン、騒いじゃって」
 桃城が神尾を気づかって謝った。
「こいつとは同期なんです。研究所に勤める前の研修期間のルームメイトで、それからもよくつるんでたんですよ。俺の方にごたごたがあって、ある日連絡とれなくてそのまんまだったから」
「おまえ、殺されたって聞いたんだよ」
 神尾は、涙声で言った。
「ドールのことでなんかやっちまって、柳のヤロウの命令で左遷ってことにして、実は殺されたって噂で……」
「確かに殺されかけたけど、ほら、こうして無事なんだから」
 桃城はなんとか神尾を宥めようとしている。
 そのようすを見て橘は苦笑し、仕方なさそうに笑って言った。
「まあ、とにかく。今日はゆっくりしてもらう予定だから、あとで好きなだけ話をしとけ。乾、おまえたちも今日の処はゆっくりしてくれるといい。この建物は見かけに反して中はこんなだが、お前達のぶんくらいはベッドもあるからな、よく眠って疲れを癒してくれ。トラブルがなければ、残りの三人もそろそろつく頃だろうし――そうだな、深司、様子を見にいってくるといい。一応いっとくが、くれぐれも粗相のないように、な」

 








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