「嵐でも来たか」
 開口一番、柳蓮二が言ったのも無理はない。

 その部屋の中は惨憺たる有様であった。
 なにも普段からこんな状態なはずは、もちろんない。
 殺風景であるけれどそれなりに、カラフルなカバーの掛かったベッドもあればラクガキだらけの机もあり、机の上にはちいさな端末があり、ゲームプログラムのディスクがその隣に山積みになり、また観葉植物のひと鉢もおいてあり、他愛ない本や音楽ディスクの並んだ本棚があり――と言う、窓がないことをのぞけばごくありふれた少年の部屋であった。
 現在のその中の様子と言ったら、まさに小さな嵐でもここに吹き荒れたかという感じだ。
 ディスクは床中に散乱し中身がケースから飛び出て壊れていた。結構な重さのある本棚は部屋の真ん中に仰向けになって、千ページを越す分厚い専門書が一頁ずつ綺麗に破られて床を埋め尽くしている。
 椅子は酷い力で踏みつぶしたかのようにぺちゃんこになり、スチールの机は真ん中からぼきりと折れて部屋の端と端とに、癇癪持ちの幼児に投げられたように落ちていた。
 どういうわけかベッドの枕元にある小さな観葉植物だけは、ぽつんと置かれたまま無事だったが、そのベッドの側ではまた別の嵐の真っ最中のようだった。
 いかにもか弱げで儚く美しい、“フリッカ”こと幸村精市は、ひろびろとしたベッドの上に座り込んだ姿勢のまま――そうして驕慢にして凶悪な“ロキ”こと越前リョーマは、その幸村の懐に深く抱きしめられている。そのベッドに今にも乗りあげんばかりの勢いで何やら詰め寄っているのは真田弦一郎だった。
 越前リョーマの片手を掴んで何やら叱責をしている最中のようだった。リョーマはそれを嫌がり、拒否して幸村の懐に逃げ込んでいる。幸村と言えばなにがしかの言葉を尽くして真田を宥めているようだ。
「子を罰しようとする厳父とそれを庇う慈母の図、だな、まったく」
 ぼそっと呟いた柳の言葉が、当の本人達に届かなかったのはさいわいであった。
「いいかげんにしろと、何回言わせれば気がすむのか、お前は!」
「うるさいっ」
 なにかとりなそうとした真田に、リョーマが幸村の懐から噛みついた。
「うるさい! うるさいうるさいうるさいっ! あっち行け、行っちゃえよ! アンタの顔なんか見たくないんだって、それこそ何回言わせるんだよっ」
「こんな夜中に幸村を呼びだして、どういうつもりだと聞いている! 自分のことばかり考えて、どうして幸村が少しでも休めるようにしてやらないんだ! おまえひとりの勝手でまた具合が悪くなったらどうするつもりだ!」
「勝手なのはそっちだろ! アンタがゆきにしてること、知らないとでも思ったら大間違いだよっ」
 少年は再び叫んだ。
「リョーマ」
 幸村がそっと少年の体を揺すった。
「リョーマ、興奮しちゃいけない。……落ち着いて、ね?」
 うう、と獣のように唸ると、少年はまた真田を睨みつける。掴まれた片手をさっさと離せというように振り回した。
「何の騒ぎだ」
 のんびりとした柳の声が、彼らをはっと我に返らせた。
いや、我に返ったのは真田だけであったか。
幸村は最初から落ち着き払っていたし、少年の方は目を見開きぶるぶる震えながら幸村にしがみつき、極度の興奮状態だ。
「どうした、幸村」
 まったく普段と変わりない口調で柳が聞いた。
「この子が悪い夢を見たというのでね」
 幸村はリョーマの髪を撫でてやりながら、おっとりと言った。少年は不服そうながらも黙ってその白い手に髪を預け、真田もまた口をつぐんだ。
 実際、この美しい青年のおだやかな話しぶりを聞いていると、それを遮ってまでわめき立てようと言う気が無くなってしまうから不思議なものだ。
 柳でさえそうなのだから、彼に傾倒しているこのふたりに対しては、その効果は絶大なものがあるのだろう。
「少し興奮していたから落ち着くまで付き添ってやろうと思ったんだ。そうしたら今夜は添い寝してくれないといやだと言うものだから」
「単なる我が儘だ」
 真田はきっぱりと言い切った。
「もともとドール同士といえど相手がD2でもないかぎり就寝は個別の部屋と決まっているし、常々それだけは守らせている。なんだかんだと言って、今日の昼間もカウンセリングを受けずにいるからこうなるんだ」
「それだけが原因じゃないんだよ」
 とりなすように幸村が言う。
「この子は時々昔の夢をみて、それでとても嫌がることがあるんだ。それが落ち着くまでのことなのだから、真田も何もそんなに怒らなくても」
「そういうことなら何故鎮静剤をいれない」
 柳は真田に言った。
「こんなふうに興奮させておくほうがよほど悪い。――部屋を出たところのボックスにさっき補充したからとってきてくれ、真田」
 言われて真田は不承不承少年の手を離した。
 出ていく真田と入れ替わりに、今まで彼のいた場所に柳が立つ。どちらにしても少年にはいやな相手だったようで、眉を顰めた。
「注射もキライ。痛いもん」
「それこそ我が儘だ」
 途端に文句を言う少年に柳は苦笑した。
「どこで覚えてきたか知らんが、聞いたふうな口を利くな。痛みが苦手になるような身体になんぞ造っていないぞ」
「……」
「鎮静剤を入れたら落ち着く。そうしたら今夜は幸村といっしょの部屋で眠ってもかまわん。そのかわり注射が嫌なら今から処置室行きだ」
「――……わかったよ」
 足早に戻ってきた真田から鎮静剤を受け取る。使い捨ての処理がされた注射器にいやいや腕を差し出すあいだ、少年はここぞとばかりに幸村に抱きつき、髪を撫でてもらい、いい子いい子となだめられている。
 苦虫をかみつぶしたような顔でそれを眺めやっている真田と目が合い、それでわずかながらこの少年も溜飲が下がったと見える。柳が一連の処置を施す間も、その可愛らしい唇こそつんと尖らせていたが、比較的大人しかった。
「すぐに効く。おとなしくして寝るんだな。それに特例は今夜だけだ――次に同じような我が儘を言ったなら幸村とは今後一切接触はおろか面会も禁止にする」
「……」
「判ったな」
「……」
「判ったな。返事は?」
 しばらく少年はふてくされていたが、やがて小さくわかった、と答えた。
 柳はいつもの、何を考えているか計りがたい表情を一切崩さず、満足げに頷く。
「では今夜は大人しく眠っておくんだな。この嵐のあとの部屋で」
「言われなくても」
 少年は幸村の膝に乗り直し、ベッドに身体を伸ばした。
「おとなしくしとくよ。だからさっさと出てってよ。あんたも真田も」
「言われなくとも――……ああ、それから、越前」
 なんない話の続きのように、出て行きかけた柳は振り返った。
 少年は顔をあげもせず、幸村の膝を枕に機嫌の悪い猫そのものである。
「少し確かめておきたいのだが。――ずいぶん以前のことで、おまえは覚えていないかも知れないが」
 人の十数倍にも値するドールの記憶能力をもっとも熟知しているはずの柳の嫌味にも、少年は反応しない。それが彼なりの抵抗らしい。
「二年前のことだ」
「――……」
「お前が“シグルド”を捕獲したとき、そばにあれのD2がいただろう。いや、覚えてなければかまわないんだが」
 再三とってつけたように言う柳を、少年はぎろりと睨んだ。
「お前はそれが崖から足を踏み外して落下したようだ、と言った。実際二日後にそこを調査したときは、人間の遺体らしきものは発見されなかったが、そんなことはどうでもいい。いや、そのD2なのだが」
「……」
「本当に、人間だったか」
「――どういう意味だよ」
 ようやく少年はかすれた声で応じた。
「あのバケモノが後生大事に抱え込んでいたお人形は、本当にただの人間だったか。――そんな、崖から落ちたぐらいで死ぬような」
 問われている意味を計りかね――いや、問う意図をはかりかね、少年は怒りも暫し忘れて彼を見やる。
「……なにソレ」
 鎮静剤が効き始めたのか少し重たい、眠たげな声で応じた少年の口調は、もういつもの、少し皮肉げでやる気のなさそうなそれであった。
「俺、言ったでしょ。あいつのD2なら、ひとりでびっくりして、足滑らせて落っこちたって」
「しかし死体はなかった」
「まだあの辺、データ上じゃ結構猛禽類でも獣でも確認されてるじゃない。そういうのが食べたんだよ」
「そうかな」
「――……しつこい。なんなの」
「本当に、死んでしまったのかな」
「死んでるんでしょ」
 少年はぷいと向こうをむいた。
「お前は、あのD2との接触は、そのときで二度目だったな」
「……」
「――まあいい。よくわかった」
 柳はかすかに冷笑した。
「おまえは明日から実験室で七十二時間連続の薬品投与の予定だったな。せいぜい今のうちに寝心地のいい枕で、体力をためておくといい。今夜こそ良い夢を」


「まったく」
 少年の部屋のドアが横滑りに閉じたのを確認すると、柳はため息をついた。
「おまえという奴は」
「――……すまん」
「幸村のこととなると何故そうも冷静さを欠くのか、おまえは」
 返す言葉もなさそうに唇を噛む真田を促して、柳は歩き出した。
 時間的には深夜だ。
 しかし研究棟の中にはこうこうとあかりが灯り、本来の闇のはいよるすきまなどまったくない。
 帝都の中心地――軍施設や政府中枢機関とほんの数q離れた場所に、この研究施設は威風堂々と建設された。地方の都市ならひとつまるごと入ってしまいそうな広大な敷地にあらわされた白色の建造物――表向きにはそうとは知らされていないものの、この帝国内最大にして最高の技術を誇る生体研究所、その総本山である。
 敷地の中央には天辺に行くほど細長くなる白銀の、塔のような中央研究棟をつくりあげ、その回りに同じく白い建物をぐるりと配置する。なにやら硬質でメタリックな、巨大な城と言う印象だ。
 その中央の研究棟、白銀の塔には『オーディンズタワー』なる愛称がある。設計者の何やらのロマンを追求しているらしい意図とは裏腹に、ここに出入りする者たちからは単に『タワー』とだけ呼ばれていた。
 一晩中、惜しげもなくライトアップされ、外見だけでなくその内部でも怒濤のごとくコンピュータを動かし、実験器具を稼働させ、電力を消費し続けている。ラグナロクのあいだに発電設備が壊滅したまま、わずかな電灯にも不自由する地方の者から見れば卒倒するような消費の仕方だ。それとも、これも帝都ならではのことであろうか。
 今、柳蓮二と真田弦一郎がいるのは中央の『タワー』のすぐそばのひとつである。
 娯楽室、スポーツジムを備え、中庭には緑と花のあふれかえる鳥籠のかたちをした美しい温室までつくられている。しかし決して所員の為の施設ではなく、“ロキ”と“フリッカ”と名の付くただ二体のドールのためだけのものである。
 室内も全て白色で固められ、空調はぬかりなく、そうして外界の闇も明けもまったく関わりなくただこうこうと明るい。
 黙って隣を歩く真田の悄然としたようすに、柳はやれやれとため息をついた。
 この友人は優秀なのはいいが生真面目で、一貫したものの考え方をよしとはするが意地がたく、自分にも他人にも厳しいがその分己の過失は、なにもそこまでと思うくらい必要以上に自責の念を感じている――らしい。
 よくもまあ、柔軟な思考が必要な科学者になどなれたものだと思うが、それはやはり彼の優秀さであろう。
「まあ、越前のあの性格はなにもお前のせいではないから、なにもお前が気に病む事じゃないがな」
 柳は言った。
「それに、あれの奔放さも、なにもあれだけのせいじゃない。最初のカウンセラーがよけいな知恵をたくさんつけてくれたようだからな」
 柳の言葉に真田はしばらく考えてから思い当たったのか、ああ、と頷いた。
「ああ、あの男か。まあ確かに多少は無軌道なところはあった。……しかし竹を割ったような、気持ちのいい男だったように記憶しているが」
「本人の性格の善し悪しは別にして、ドールの教育者としてはまったく不適格だったろうな。あんなものに育てられたせいで、見ろ、越前の反抗的なこと」
「まあそれだけの側面から見れば確かに――……そう言えば、あの男はどうしている」
「“ロキ”の近くにおいておくとろくな事にならないと思ったんでね。地方に左遷したよ」
「――本当か」
「何故嘘をつく必要がある」
 柳は顔色も変えずに言った。
「“ロキ”に、第二の“シグルド”になってもらいたいわけじゃないからな」
「……」
 再び、沈黙が降りる。
 24時間稼働し続けるこの施設は、いつもどこかしらひっきりなしに誰かが出入りを繰り返していて、彼らふたりが歩いていく間も何人もの白衣の人間とすれ違う。彼らは柳と真田を見ても軽く会釈をするぐらいで、言葉もなくせかせかと歩いていく。己の業務を最優先に、その間の形式的な礼など必要最低限でいい、というのが柳の指示であったからだ。
「ああ、そうそう」
 柳は彼らの研究室へと帰っていく最中に、どこかのんびりと呟いた。
「何のためにお前を捜していたのか忘れるところだった。――すまんが、プログラムを見てくれ」
 白衣のポケットにぞんざいに放り込んでいたらしい小さなディスクケースをひらひらさせると、柳は言った。
「これのおかげで二日寝ていない。俺の睡眠時間のために協力を頼む」
「なんだ、それは」
「メモリーを“上書き”する。たぶん、これでうまくいく」
 柳は相変わらずのんびりと言った。 
「本当はデリートが一番いい。だがお前の知ってのとおり、あのバケモノがなんだかに執着しているせいで、プログラムを流し込んでも弾かれるか食われてしまうかだ。それに、暴れ回っていた2年の間に妙なことを覚えてきたようだ。それも消せそうにはないから、これも上書きせねばなるまい。……記憶の“上書き”に関しては貞治のほうが得意分野なんだがな。まああいつには及ばないでも、これでもなかなかのものだと思うぞ」
「大丈夫なのか」
「おまえにチェックしてもらって、問題があるようなら一から書き直すさ」
 あっさりと柳は言った。
「“消去”は出来ないがおそらく問題はあるまい。これでいよいよあのバケモノのお目見えだ。嬉しいだろう、弦一郎」
自分こそがうれしく、叫びだしたいのをこらえているような友人の様子に、真田は先日と同じ印象を受ける。
 あの、レジスタンスに仕掛けた悪戯で拾ってきたというデータ。
 “シグルド”のDNAコードと酷似したそれ。
 どれほど尋ねても彼は確証が出れば、というだけで、真田にその詳しい内容を教えようとはしなかった。
 今もそうだろう。
 尋ねても答えるまい――何故、それほど彼が“シグルド”にこだわるのかを。
「そういえば」
 苦いものを拭いきれぬ心地悪さを振り払うように、真田が言った。
「なんなんだ」
「何が」
「“シグルド”が余計なものを覚えてきた、と言っていたではないか」
 ああ、と柳は頷いて、なんでもなさそうに答えた。



「『恐怖』という感情だよ」


 










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