「いい子だから」
 そう言って英二の髪を撫でる彼の手は、心なしか少し覚束ないように思えた。
 肌を密着させるときはあれほど強引に髪を掴むのに――なまめかしく指を絡ませて、梳いたりするのに。
 こうして向かい合い、ひたと目と目をあわせていると、彼ははじめて触れる宝に怖じ気づいてさえいるようであった。いつでも英二は、彼にとっては奇跡のようにして掌中にくるむことが出来た宝珠のようなものなのだ。
「おとなしく、していてくれ」
 はっきりと彼は――大石は言ってのけた。英二の反論は聞けぬと言うような物言いであったが、しかしどこか困惑したような色がちらりと彼の美しい黒瞳をかすめてもいた。
 呆然と彼を見上げ、すがるような英二のその眼差しに気圧されてでもいたのだろうか。
「大石」
 英二は彼を呼ぶ。
 じっとりとしたいやな湿りかたをした地面に膝と左手をついて、大石を見上げている。右手は半端な形で空中に上げられ、崩れた建物の、ねじ曲がった鉄骨のなかばあたりに銀色の手錠で繋がれていた。
 いつものように――と言うか、長い布ですっぽり身体を覆ってしまうことが習慣付いてしまって――英二も、そして大石もその隠者めいた姿であった。
 しかし英二は手を繋がれてなすすべなく自由を半ば奪われ、大石はその傍らで彼を見おろしている。
「大石」
「――」
「大石、どうして」
 英二が見上げる先の大石の表情は、暗がりに馴染んでよく見えない。いつもの、あの端正で美しい、つくりもののように綺麗な顔立ちしか。
「――大きな音がする。……地面も揺れるだろう」
 大石はことさら静かに言った。
「でも、驚かなくても大丈夫だ。ここにいる限り英二には危ないことはなにもない。だからおとなしくしていてくれ」
 ここ、と言って大石が見上げたのは、今し方英二が繋がれたばかりの鉄骨を中心とする、なにやらの廃屋だ。
 暗く湿ったこの空間は、ずいぶん昔に打ち捨てられた倉庫か何かの建物のようで、屋根は落ち壁は崩れ、鉄骨が折れ曲がって剥き出しのみじめな姿をさらしていた。
 その鉄骨の、支柱としては何の役にもたたぬが強度はまだ十分残っているもののひとつに、大石はどこから持ち出したのか銀の手錠の輪をつなげた。もうひとつはもちろん英二の手首を捕らえる。
 暮れなずみ始めた薄暗い光景の中で、銀の輪に捕らえられた英二の腕だけがまばゆいほど白い。
「いいか、おとなしくしているんだ。大きな音がするが、英二にはなんの危ないこともない。驚いて何処かへ行ったりしようとするな。俺が戻るまで必ずここにいて待っていてくれ」
「大石」
「そんなに時間はかからない。すぐにいいものを持って帰ってくるから」
「――いいもの、って……あ、ま、待って」
 自分から遠ざかる大石に、英二は知らずにとりすがろうとした。しかし当然の事ながら、繋がれた手錠が彼をその場に引き戻した。
「何かあったらすぐ来る」
 そう言い残して大石は崩れた建物の向こうに消えた――へたり込む英二を振り返り振り返りその様子を気にしながら、しかし何か非常に急ぐ用事があるようで、例の粗目の布をふわりとひらめかせて、ふっととけるように。
 取り残された英二は、呆然として大石の消えてしまったあとを見やっている。
 どうしてこんなことになったのだったか。
 ひっそりとした崩れた建物の中――どうやら少し高台に位置するこの建物のまんなかで、英二は途方に暮れてしまっていた。
 重なり合う崩れた壁の向こうに、街の遠景らしきものがぼんやりと見えた。
 そう。
 ここは、地上だ。
 あの鋼鉄の城から遠く離れた、どこにあるとも知れぬちいさな、古くすすけた町の、外れなのである。
 確か今日。
 そう、今日の朝のことだった。


 朝、と言っても、空はいつもくすんでどんよりとした黄昏色であるので、しっかりとした時間は判らない。
 夜は暗くなり、昼間は汚れて黄ばんだ色が空を覆うこの世界で、早朝だの昼間だのを細かく判断しようと思えばどうしても時計が必要であったが、この鋼鉄の城にはそれは必要とされていなかった。
 いや、もちろん此処にも時計がないわけではなかったが、今現在此処にすまうふたりには、正確な時間をはからねばならないような事項など何一つない。昼間は起き出し、夜は身を横たえて眠ることは基本の生活習慣であったのだが、それに縛られる必要はなにもなかった。
 いつも彼らはゆるやかに目覚めて寝室から起き出し、簡単だが温かい食事をとる。他にこれと言ってすることもないので、英二は書斎に並べられていた本を取りだして読みふけってみたり、大石にすすめられて機械の端末で様々なゲームに興じてみたり、多様なコードの解読の仕方などを大石から教わっていたりした。
 今まで教育らしいものは受けたことがなく、文字がなんとか読める程度であった英二は日々増える知識を面白がってあれこれを知りたがり、こつこつと覚えていった。意外だったのは、大石が英二にとってはなかなかに要領のいい、教えかたのうまい『教師』であったことだろうか。
 日がな一日閉じこもることに倦むと、大石は英二を鋼鉄のこの城から連れだすことがあった。先日のような白い木々のある不思議な景色が見られる場所や、いまとなっては非常に珍しい、自然に咲く花が群れをなすささやかなひろさの草原などに彼を連れていっては、掌に捕らえた蝶をそっと放すようにして英二を遊ばせ、そのようすを飽かず眺めた。
 遊び疲れれば夜はよりそってぐっすりと眠ればいい――そうでなければ、くちづけからはじまる濃い蜜のようなひとときに酔っていれば。
 大石は相変わらず口数は少なかったが、英二を慈しみ大事にすることについては、多少不器用ながらも手を尽くしていたし、英二もその彼の愛情に素直に身を預けるかたちになっていた。
 ごく幼い頃に家族と離され、周囲の大人の冷たい仕打ちの中で傷つきながらも、生きるために彼はひたすら堪え忍ばなければならなかった。その挙げ句、ついには身体を丸めて消え失せてしまいかけていた、英二の中の幼い子供――どこかに安堵して身を預けたい、優しく慰められて眠りにつきたいという、寄る辺ない子供のような願いを、大石ははからずも叶えてくれていたのだろう。


 優しい日溜まりの中でまどろみ続けるような、ただ英二を癒して慰める心地よい日々がどれほど続いたのか――世界の災厄から英二が目を背けた日々は、いったいどれほどであったのか。
 その優しいまどろみが終わることを恐れるように、暦どころか時間の移り変わりを示し続ける時計すらも側に寄せ付けなかった英二には、今となっては知る術はない。
 ただ、確かに、あの朝。

――あの朝。

 あの時から、ゆっくりと何かが動き出したのだ。
 止まっていた――少なくとも英二はそう思いこんでいた――世界の時は軋んだ音をたてて、重たく動き始めた。

 忘れられていたことを抗議するように、耳に残る、金属的なきしみを響かせて。




「どこ、行くの?」
 英二は何気なくそう声をかけた。
 それほど大きな声のつもりでもなかったのだが、言われた方はまだ英二がぐっすりと眠っているのだと思っていたらしく、少しばかり驚いたようだった。
「――まだ、寝ていていい」
「いいよ、もう起きたよ」
 かすれた声で英二は言った。
 ダークグリーンのベルベットの中から、真珠のように白いほっそりとした手足がのぞいている。仔猫のような愛らしいのびをして、英二はもう一度目をこすった。
 優しいが時に容赦ない、細やかだが意地悪く焦らす腕の中で心地よく翻弄され、満たされた疲れの中で寝入ったのは、恐らく深夜であったろう。
 いつもならもう少し遅くまで眠っている英二なのだが、何故か今日はすっと目覚めてしまった。
 隣に人の温かみがなく、首を巡らせた先に、今まさに部屋を出ていこうとする大石の後ろ姿が見えたのだ。
 それが英二の選んだ動きやすい暖かい服ではなく、何故かいまだ大石が手放さない例の――まだ微かに血の跡の残る粗目の布に包まれた後ろ姿であったもので、英二は不審に思って声をかけたのだ。
「ねえ、どこか行くの」
「――……」
「大石」
「――……外は寒い。もう少し寝ていたほうがいい」
「ねえってば」
 英二はあわてて起き出した。このままだと答えてもらえない、と思ったからだ。
 相変わらずもたもたといつもの防寒用の布で身体を覆いながら、英二は裸足のまま大石に駆け寄った。
「英二、足が冷たいだろう」
「大丈夫。……ねえ、どこに行くの」
「――」
「いつもどこにいってるの」
 英二の問いに、大石は別段困った様子はなかったが、どう説明したものだろうと考えてはいるようだった。
 最近、大石が何の前触れもなくいなくなる、ということが時々あった。
 それは決まって朝のことだ。英二が目覚めると隣に寝ていたはずの相手がいない、というだけのことではあったが、著しく英二を不安にさせるのだ。
 なによりも、英二が目覚めるまで決してそばを離れようとしない――目覚めていても、目の届くところに英二がいないと不安にかられるらしい彼にしてみても、それは珍しいことであったろう。
 ゆく先について、大石はいつも話そうとしない。朝いなくなり、日暮れにふらりと戻ってくるだけだ。少し疲れたような、何かに高ぶったような顔つきをして、そういう夜はいつもより長く激しく英二の身体に没頭する。
 うやむやのままに今まで来ていたが、どうしても大石の秘密めかした行く先を知りたくなって、英二は早起きしたことを幸いに大石にしがみついた。そうすれば大石は、英二を振り払っていくことなとできないだろうからだ。
 そういう、ほんの僅かな英二のずるがしこさを知ってか知らずか、大石は案外あっさりとこう言った。
「――ついてくるか、英二」
「……え?」
「ひとりでいるのが怖いなら、いっしょに来るか」
「怖いわけじゃないけど……行っていいの?」
「どのみち今日のは、英二が喜んでくれることだと思う」
 大石は表情を変えなかった。いつものあの端正な仮面めいた顔のままだったが、それでも少し器用になったキスを英二の額にして、宥めるように抱き寄せた。
「――そうだな。……きっと、あんなものを持ってきたら、此処が汚れるかも知れないし、汚れたらもう綺麗にならないかも知れない。それを見るたびに英二がいやなことを思い出したりしたら可哀想だ」
「大石?」
「ついてくるなら、いいものを見せてやれる」
 大石は、おそらく英二にしか判らないような、ほんのかすかな笑みを見せた。
「持って帰って来ようと思っていたが、そうだな、わざわざそんな汚らしいものを此処にもってくることはないんだ。そんなことをしたら英二が汚れるかもしれない。英二がそれを見て、笑えばいい」
「――?」
 英二は意味が分からず、首を傾げた。
 首を傾げながらも、大石にもっと暖かい格好をするようにと言われてその通りにし、この鋼鉄の城から移動するときはいつもそうするように、大石の腕に抱えられてしがみつき、ぎゅっと目を閉じた。
 そうして耳元で激しい風の音が過ぎ去る音を聞き、ややあって大石に促され、英二が目を開けると。
 なかば崩れ、哀れでみじめったらしい姿をさらした、この廃墟の中だったのである。



 いい子にしているように、と大石が念を押して姿を消した後も、英二は呆然としたままよく事態が飲み込めなかった。
 ここに連れてこられ、いったい何なのだろうと周囲を見回しているうち、有無を言わせずに片手を繋がれて放っていかれたのだ。
 しかし英二をこんなふうにしておくことについては、大石に特に他意はないのだろう。
 なにも知らぬ小犬が何かの拍子に驚いて駆け出してしまい、そのまま迷子にならないように鎖に繋ぐ。
 空を飛んだことのない小鳥が空の広さに目を回し、うっかり風に流されてしまわないように籠に入れる。
 それと同じ意味合いのことだ。
 あくまで英二の安全を慮って、ということなのだろうか。
(……それにしたって――なんで、こんなところ)
 英二はますます不安になって、あたりを見回した。
 崩れ、朽ちた廃墟。コンクリートは古びたスポンジのようにぼろぼろになり、鉄筋が幾本も、錆びて折れ曲がってそのあいだから突き出ている。
 かつて巨大なこのコンクリートの建物を支えていた鉄柱は曲がり、雨にも濡れたのか汚らしい赤錆をびっしり張り付かせていた。
 英二は片手を繋がれた不自由な姿勢ながら、周囲をよく見回してみる。
 崩れた壁の向こうに見えるのは、どこかの町のようだ。
 木で出来た、少し強い風がふいたらすぐに飛びそうな屋根がずっと続いている。その町は少しくぼんだ場所にあるのだろう、ここからではその古い、みすぼらしい板で出来た屋根しか見ることが出来ない。
 その町の向こうには、やや高台に位置するらしい妙に立派な赤い屋根の館が建っていた。両端に塔のような建物を備え、居丈高なまでに立派な鉄の門扉が見える。
 あそこからなら、きっと町の風景をぐるりと見下ろせる。
 あそこからなら――。
「……あれ?」
 そこまで考えて、ふと英二は気づいた。
 この光景に、この景色になんとなく見覚えがある。
 英二は、相変わらず鉄柱に片手を引き留められながら、めいっぱい身体を伸ばしてその町の方を見やった。
 押し合いへし合いして建っている、掘っ建て小屋のような家々。道はごみごみとして埃っぽく、およそ豪奢や享楽などとはほど遠い光景。
 それを見おろす赤い屋根の大きな、豪勢な屋敷。
 町の左右に建っている――赤い色の、電波塔。
「あれ……ここ、って」
 英二は目を瞬かせた。
 なにをいうにも幼かったときのことだし、記憶が正しいかどうか、と言われれば英二に自信はない。
 しかし、あのふたつの電波塔は覚えがある。
 町の端と端。こんなみすぼらしい町なのに、その電波塔は妙に立派で、英二がいた高台の屋敷よりも高く高くそびえ立っていた。
 あの上に登って、自分を虐める大人達を見おろしてやれたら気分がいいだろうに、とたあいもないことを考えていたことを、覚えている。
「まさか……」
 ここは同じ場所か。幼い英二が連れてこられた、あの町だろうか。
 同じような電波塔がある場所など他にも存在するかも知れないし、似たような光景はあの町に限らずいくらでもあるだろう、と言い聞かせてみたが、英二はますます自分の記憶と目の前の町の相似に、頭痛を伴うめまいを覚える。
 自分がいた館は、確かにあんなふうに赤い屋根をしていた。とげとげしい飾りの黒い門扉は高く、夜中に逃げ出すときにはよじのぼるのに苦労した。
 ちがうかもしれない。
 しかし。もし『そう』だとしたら――なんと嫌な場所に来てしまったことだろう。
 冷たく虐められ、男に抱かれるすべを力ずくで教えられた、嫌な記憶しかない。
(最近、思い出しもしなかったのに)
 彼の腕に暖められ、満たされて眠りについた後は、夢に苦しめられることさえなかった。それほどそのときの英二の日々は幸福に満ちていたのだ。
(やだな……気分悪い)
 目を閉じて、英二は知らず頭を押さえた。
 そうしているあいだに、目の前の、苦痛を呼ぶしかない光景が消えてなくなってくれればいいのにと思いながら。
 もちろん、英二は本当にそんなことを望んだわけではない。ただ頭が痛くて気分が悪くて――いやなことを思い出したくなかったから、ふとそう考えただけの話だ。
 そうだ、それは偶然に過ぎない。
 そんなふうに、ふといやなものから目を背けた、それを見たくないと願った、そんなわずかな望みともいえない望みを、いったい誰が聞き届けた――のだろうか。

 突然、英二の周囲がぐらぐらと揺れた。
 はっとあたりを見回すと、またしばらく間をおいて揺れる。
足下から響いてくる低い音に続いてもう一度、どおん、と低い、そして重たい音がした。
 何事だ、と英二が首を巡らせる。
異変にはすぐに気づいた。
「――……あっ!」
 英二は思わず、叫び声を上げた。
 今の今まで見ていた町が、赤く染まっていた。
 赤く――いや、鮮やかな朱の色、だろうか。
「燃えてる……」
 英二が呆然と呟いたとおり、つい先刻までなんのかわりもなく、ただごみごみとしていたせせこましいその町は、半分以上が突然出現した炎に包まれていたのだ。
「ど、どうして……」
 何かの見間違いか、と思って目をこすってみたが、やはり確かに町は燃えている。風にあおられる熱が、かすかにこの位置にも届いてくる。
 英二は再び、のびをして町の様子を少しでもよく見ようとした。
 直後。
 彼がそうしたことをまるで見ていたかのように、英二からはちょうど同じ位置に見える例の屋敷が、その瞬間大きな音を立てて爆発したのだ。
 彼の望みをかなえたことを、誇るように。
 英二は息をのんだ。
 あそこにも――たとえ、あそこが英二のいた屋敷でなかったとしても――人がいただろうに。今そうして燃えさかっている町の中にも、暮らしている人々がいただろうに。
 いったい、この炎は。
 これは。


「英二」
 遠景をよく見ようとのびあがった足から力が抜け、ふらりとその場にしゃがみこもうとした英二を、よく知った腕が支えた。
「英二、どうした」
「……大石」
 英二は、あえて背後を振り返ろうとしなかった。いつの間にもどってきたのか、何をしていたのか、などとも問おうとしなかった。
 聞かずとも、英二には想像がついた。
 今までそのことを考えずにいたことが、不思議でならなかった。
 どうして忘れていられたのだろう、あの。
 あの、サイレンの鳴り響く夜のことを。

「驚いたのか。怖かったのか」
 大石の左腕は英二を背中からかたく抱きしめ、倒れないように気遣って彼をささえていた。
「もう大丈夫、もう済んだよ。こんな小さな町、いくらもかからない」
 いつもの大石の声だった。抑揚はないが英二には優しい、いつも彼のことを気遣って大事にしようとする大石の声だ。
 遠くから風に乗り、ものが焼けるなま暖かい匂いが漂ってきた。
 この乾いてごみごみした町と。――その中にいる人々と。
「英二、いいものを見せてあげるといっただろう」
 大石からは血の匂いが漂っていた。しかしそれはきっと、彼の血ではないのだ。
 あの夜。
 サイレンの鳴り続けた、あの夜と同じように。
 彼の衣は、いつも彼が虐殺した者の血で染まる。

――ヒトの受ける災厄を、見届ける役割をやる

 彼はあのとき、そう言った。
 高らかに、闇の中で宣言したではないか。
 どうして忘れていられたのだろう。
 どうして忘れて――。
 いや。

 目を背けてしまって、いたのか。


 大石が英二を抱く腕とは別の、もうひとつの手に持ったものを無造作に地面に放り出すのを、英二はどこか悪夢を見る心地で眺めていた。
 英二を背中から抱きしめた格好になっていたので、それは英二の視界に唐突に投げ込まれ、ごろりとぶざまに転がった。
「お前のことを聞いたら、知らないと言っていたが、脳髄にはちゃんと記憶が残っていた。まだちいさな英二を痛い目にあわせて喜んでいた、記憶が」
「――……」
「お前を苦しめた男だ、英二」
 大石は優しく言った。
 優しく言う彼の視線の先――がたがたと震え出す英二の視線の先にあるのは、醜く歪んだ、そろそろ老人に近い男の顔だった。
 恐怖に引きつり、命乞いをしたのであろう口は開けられたままだ。
 その瞬間のことを考えるとぞっとするような、力任せに捻り切られた――人の、首。
 絶命してから首を落とされたのではなく、あろうことか生きながら捻りきられたと判るおぞましい傷口や、苦悶の表情。
「お前が受けた苦痛への意趣返しだ」
「……」
「これを、見せてやりたかったんだ」
 大石は優しく――実に優しく言って、英二を抱きしめた。
 まるで英二に珍しい花を捧げるように。

――おまえは、この世界で最後の『人間』になれ

 英二が喜ぶことを疑ってもいないような口調で、そのときの大石はどこか誇らしげでさえあったものだ。
 英二があげた恐怖の悲鳴は、だから彼には意外であっただろう。
 そのままがくりと気を失ってしまった英二が次に鋼鉄の城で目覚めたとき、泣き叫んで彼を拒絶した理由も、大石には判らないままだったのだ。










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