<雑記帳3へ>
<音楽会 第16回・三木「第九」公演会 '02/12/20&22>
指揮者;曾我大介(1965年大阪生まれ/大阪シンフォニカー音楽監督)
オーケストラ;大阪シンフォニカー交響楽団(1980年創立・・・若い楽団)
ソリスト;ソプラノ・石橋栄実、アルト・片桐仁美、テノール・山本裕之、バリトン・田中勉
合唱団;三木「第九」合唱団、会場;三木市文化会館大ホール
【はじめに】
「第九」が日本での初演は1918年6月1日鳴門市の収容所でドイツ人捕虜によるもので、日本人による演奏は徳川頼貞氏の尽力で1924年とのこと。
年末の恒例になったのはのは定かではないが、近場(隣町)で開催されるので聴きに行った。どちらかと言うと、合唱団の発表会と言う感じだ。
【公開練習見学/12月20日夜】
先月末の曽我氏のプレトークと公開練習は都合で行けず、2回目を見学。メンバーは、小学生5年以上から老人迄と幅広く、如何にも素人っぽいが、殆どの人は歌詞を暗記している。練習は、合唱団の指導者・岡村健治氏による発声練習から始まり、曾我氏が到着後、ピアノ伴奏で合唱のレッスンが始まった。
指揮者の音感が勝れているのは自明の理だが、曾我氏がとても良い声なのでビックリ。発声もゴルフと一緒で、「下半身はドッシリ上半身はリラックスしておくことが大切」とか。合唱団は、最初はまとまりがなくイマイチだったが、さすが曾我氏が繰り返し指導すると、目に見えて上手くなるのには驚いた。合唱、ゴルフに限らず何事も上達するためには良き指導者が必要なのだ!練習は2時間強。
【演奏会/12月22日】 三木市の演奏会案内へ
オーケストラは創立20数年の若い楽団で、メンバーも若い人、それも女性が多い。今日の構成は、楽団員約60名、合唱団約150名とステージの大きさに見合う陣容。
演奏に先立って、曾我氏のトーク「世界の第九の演奏の歴史」があった。世界中でもイベント用の曲として使われているが、日本では年末の恒例曲に、因みに、2000年末の演奏回数は159回とのこと。
演奏自体は、第1バイオリンが多めで、第2が少なめ、コントラバス6基など、第九のための編成みたいで、期待以上に良かった。ただ、会場の残響がもう少し多ければもっと豊かに聞こえたのでは?
合唱団は、練習とは大違い、全員正装、馬子にも衣装?さまになっていた。また、全員気合一杯、声量も一段と大きく、オーケストラに引けを取らない。練習で指摘されていたスローで低音量の部分は気になったが、大音量の部分は行け行けモードでオーケストラも加わって最高の出来だったと思う。演奏終了後、合唱団員も拍手していたが、自分自身に対する拍手だったのではないか? 個人の趣味になるが、ソプラノの石橋さんは、小柄なのに声量豊かで、綺麗な人。高校の先生らしいが、生徒が羨ましい(^^;;
<音楽会 大阪フィルハーモニー交響楽団 '02/11/03>
地元の多目的ホール開場10周年記念行事として開催されたもの。近いし安いので1ヶ月以上も前に前売り券を購入していたが、仕事の忙しさで忘れかけていた。
指揮者:金洪才(キム・ホンジェ)、ピアノ:森玉美穂
演奏曲:ドビュッシー・小組曲、ラヴェル・ピアノ協奏曲、ムソルグスキー・展覧会の絵
指揮者の金さんは、小柄で48歳。スポーツでも音楽の世界でも韓国勢の進出が目覚しいですね。また、ピアノ独奏の森玉さんは地元出身で2年前の独奏会で聴いたことがあるが、出番が短かく少し可哀相な感じだった。(以前の独奏会へ)
今日の目当ては勿論?「展覧会の絵」。トランペットの独奏で始まる主題は超有名!
でも今日の演奏は全体的に、良く言えば軽快に、悪く言えば少し軽く、薄っぺらな感じがして、あまり心に響かなかったのが残念だった。その原因が、自分の精神状態なのか、指揮者の意図なのかは不明だが、構成人員50名強の割に厚みが無かった気がした。オーケストラには、重厚さ、厚みのある音が似合うと思うのは私だけか?
いずれにしてもこの2週間、仕事が替わって「忙中の閑」と言ったところで、リラックスできた。
<増村道雄著 ホームズ君の賢い病院のかかり方 を読んで '02/10/19>
神戸新聞総合出版センターにも掲載されています。’02/8/30出版
2日ほど前、突然冊子小包が送られてきた。県人会員で兵庫県・滝野町で「ますむら病院」を開業している増村医師の著作が県人会から送られたものだ。出版社のサマリーは「地域医療を推進するドクター“ホームズ君”の立場から、患者さんの
素朴な質問に答え、正確な診察・治療を行なうためのやさしい提案をします。」と言うこと。
早速、一読してみた。最初の印象は、医学知識一辺倒では無く、患者さんとのコミュニケーションを大切にしており、とても信頼できる人だということである。専門が、脳神経外科と言うことで、内容も脳神経関係の症例が多く記載されており、誰しも一つくらい思い当たることがあると思う。
私自身、職場で三人の脳卒中経験者に出会った。2人は半身不自由、1人は身体的には問題は無いが、言語と思考に問題がある。半身不自由だった1人は不幸にも数年前に奥さんと一緒の旅行中に再発して御逝去された。もう1人の不自由な方は、発症前の趣味のゴルフや尺八ができるように現在リハビリ中・・・でも保険が利用できず費用が大変とか。
一方、数日前に電話で別の人から「フラフラ」したので病院に行きMRI検査で血管が細くなっており、即入院したと言ってきた。脳卒中の言葉どおり、突然発症、また通常の健康診断では予知できないケースが多く、コレステロールが若干高めな私としても身につまされる思いである。
また著者は、ホームドクターや地域医療と医療ネットワークの大切さを述べているが、私が2年間滞在したオーストラリアでは、完全にホームドクター制になっており、必要に応じて検査機関や、専門病院を紹介、場合によっては大病院の施設を借用してホームドクター自身が手術するといった具合に、とても医療システム=ネットワークが進んでおり、効率的にも経済的にも勝れており、是非日本でも取り入れるべきだと思った。形だけの医薬分離だけでは如何なものか?
<文芸社 田中豊明著 復 活 ある人工透析患者とその家族の記録 を読んで '02/10/13>
田中さん、出版おめでとうございます!
私のHPを通じて知合った田中さんが、退職を契機に波乱の半生記を出版!
発売予定は10月15日だが、同社の通販を取扱っているクロネコヤマト・ブックサービスに10日に注文、予想外に早く13日朝に到着、早速読ませて頂いた。
【あらすじ】本の購入案内など、田中さんのHPへ。
昭和20年生まれの田中さんが、少年時代のいじめ、浪人、就職、結婚問題などを経ながらも、妻と子供3人に恵まれ何不自由のない生活を営んでいた。しかし、突然38歳の若さで不治の病「慢性腎不全」を宣告され、人工透析が必要不可欠な身体になった。当時の社会環境は、透析患者に対する差別と偏見があり、解雇、困窮生活、失望・・・。しかし家族愛に支えられ立ち直り、無謀とも思える力仕事の職場に決死の再就職。著者の頑張りにより会社で自分の地位を築きあげ、昨年退職し、この本を書き始めた。
【感想】
透析患者として世間に翻弄されながらも家族と共に頑張って生きた半生記で感動を覚えたが、意外に淡々と書き綴られている印象だった。実際は、言うに言えない、書くことも差し障りがあるような、より悲惨なことが、より感情を逆撫ですることが多くあったことが行間に滲み出ている。個人的には、もっと感情の綾(起伏)を生々しく表現しても良かったのではないかと思う。
当時の社会/職場環境として、透析患者への差別があったことを初めて知りました。時代が変わったのでしょうか?乙武さんのように「障害=個性」として前向きに考える人が多いのは良いことですね。
田中さん、もうすぐ57歳ですね。でも、まだまだこれからですよ!元気にお過ごしください。
<カード型体脂肪計 '02/8/17>
最近便利なものが出来ているんですね。何とカード型(90*55*11.4mm)の体脂肪計です・・・知らぬは私だけ? 実勢価格が1000円と安かったのが良い。写真の数値「19.5%」は私の体脂肪測定値。オモチャ感覚で買ってみたが、体重計型と同じ数値が出ており信頼できそう(当たり前か)。今後も運動して20%以下を維持して行きたい。
測定方法は、写真上部の黄色部分を左右の親指と人差し指で挟むだけ。測定原理は「生体インピーダンス法(脂肪が電気を通さないことを利用)」、50kHz,
500μAの微弱電流を両腕の間に流して電気抵抗を測定し体脂肪重量を算定すると言うもの。小型化技術に脱帽!
<NHK・大河ドラマ主題曲集&映像の世紀 '02/08/16&20> 大河ドラマ一覧へ
日本の音楽も良いものがあるね。既に、富田勲の「NHK 新日本紀行」、加古隆の「大河の一滴」のCDを持っているが、西洋のクラシック音楽には無い、日本情緒を奏でる素晴らしい曲がある。
「大河ドラマ主題曲集」は、96年発売と古いCDだが、「第1作(1963)・花の生涯」から「第35作(1996)・秀吉」迄の35の主題曲と秀吉のサントラ6曲の計41曲を収めた2枚組。従って、「第36作・毛利元就」以降、現在放映中の「第41作・利家とまつ」は入っていない。さすがNHK、日本の著名な作曲家が担当。何れも素晴らしい曲であるが短かいので編曲して長めの曲にしても面白いだろう。唯一の歌曲、琉球の風で谷村新司が歌う「階(きざはし)」は特に大好き!ドラマ自体は全編完全に見た記憶は無い。番組スタート直後は目新しく展開も速く面白いのだが・・・途中だらけて飽きる。
ほぼ同時に、加古隆の「映像の世紀」を入手。これも95年3月から96年2月に11回放映されたもの。メインテーマ「パリは燃えているか」は、戦争の世紀とも呼ばれた20世紀の切なさを見事に表現しており、胸が締め付けられ思いです。また、トルストイがガンジーに送った無抵抗主義による民族解放運動を支持する手紙がナレーションで入っている。しかし、ガンジーの精神は、全世界には届いていないようで、現在も終息する見通しがない、印パ、パレスチナ、チェチェンなどの紛争の数々、悲しいことである。
<女流棋士・高橋 和(やまと)さん '02/07/29>彼女のホームページへ
女流棋士「高橋和(やまと)」さんの半生が、7月24日のNHKテレビ「私はあきらめない」、引き続き28日読売テレビ「波瀾万丈」で放映、両方とも見ました。とても可愛くてチャーミングなので「アイドル棋士」と言うなと言うこと自体が無理。しかし、とてもしっかりした方と言う印象でした。これらの放映は、講談社の「女流棋士」の発刊が契機なのでしょうか? 理由はともかく、とても感銘深い内容でした。
===<概要>===
4歳の時の交通事故(ダンプに轢かれた)による足の後遺症をものともせず成長。小学生の時、父の指導で将棋と出会う。小さい頃から負けず嫌い、「勝つ喜び、負ける悔しさ」をバネに上達、世間に名前が知られるようになる。高校生になり、プロ入り前からアイドル棋士と騒がれ、「勝たなくても良いんだよ、君は可愛いんだから」と言う周りに反発、勝たなければと自分を追い込み過ぎて自律神経失調症に悩む。
そんな姿を母親に見せたくないと、高校卒業を機会に一人暮らしを決意。数日後、机の上に事故直後の数ヶ月間を綴った母の日記が、「一人ではない自分を発見」 世評に惑わされることなく「勝負師として生きるより、自分らしく生きたい!」と立ち直る。お母さんもしっかりした方のようです。
今のところ結婚の予定は無く、目標はタイトルを取ることと子供達に将棋の楽しさを教えることとか。頑張ってね。私も昔、将棋が好きでしたが、今は・・・ゴルフだけ(^^;;
後日談ですが、同じ視点で見渡すと、将棋会で同じような境遇の人が何人か居るんですね。●養護学校から女流王将へ:石橋
幸緒 (著)●将棋の子:大崎 善生 (著)等。
<勝利へのメンタル・マネジメント・オサダ・マジックの秘密 長田一臣著
スキージャーナル発行 初版96年 02/07/29>
昨今流行の、メンタルトレーニングでは猫も杓子も「プラス思考」と言うが、著者は「マイナス思考」を提案。長田氏は数多くの本を執筆、日本でのメントレの先駆者とのことです。訓練内容は他の本と似ているように見えますが、考え方が大きく異なり、とても新鮮に感じました。
「人生とは死んでいく間のヒマつぶし」・・・強烈な言葉ですね!
どんな価値あることをやっているように見えても、行きつくところはみな同じ。その、ほんの束の間の人生をジタバタしているだけのこと。しょせん、自己満足こそが真の満足なのだ。 また、「自分は自分以上でもなければ自分以下でもない、自分は自分にほかならない」と考え切れ!どんなにジタバタしても自分という器から外に出ることはできないのだと観念して、その範囲の中で精一杯努力しよう、それ以上のことはしょせん、仏さまの掌の上のこと。ない物ねだりはよしたがよい、イライラが募るだけだ。
「人間万事塞翁(さいおう)が馬」
良いは悪いで、悪いは良い。人生と言うのは一言で言えば波である。上がったり下がったりと、しょせん浮き寝の波枕ということである。上下のたびに一喜一憂していたら、それこそ疲れるだけである。
沢庵和尚「心こそ心迷わす心なれ、心に心こころゆるすな」
===<訓練内容>===
1)呼吸の訓練
興奮して呼吸が切迫するので腹式呼吸(暗示呼吸)をする。呼吸は脳を速く沈静化する。暗示を添えることで心理・生理的両面から心を沈めることが効果的である。
2)リラックスの訓練
呼吸訓練だけでもかなりリラックスするが、四肢の重みの訓練で体の緊張を取り、温かみの訓練でさらに深いリラックスの導く。頭の中を真っ白にして心を自由にする。訓練のためのスタートラインにつく。
3)イメージ・トレーニング
試合の訓練をする。場所や相手を変えて試合を繰り返して、場慣れ、気づき、創意工夫をする習慣をつくり、あるいは特定の相手に対する対策を練る。
4)物の考え方、見方の訓練
これは哲学的訓練ということになろう。試合で緊張したり興奮したりするのは戦うための準備として必要なことだ、相手だって震えている。だったら少しでも落ち着いた方が勝つ、あわてた方が負けだぞ、といったような、要するに、肝(はら)、度胸をつける訓練である。
5)暗示放尿の訓練
これは、しきりにトイレに行く選手には効果的で、「トイレに行くたんびに落ちついて、よい試合ができる」と暗示を添えながらおしっこするという方法である。
2回戦ガールであった選手が急に腕が上がり、たちまち試合が強くなるということではない。要するに、十分な力を持っているのだが、それが発揮できないでいただけである。
<料亭「みとろ苑」で家族で昼食+温泉 '02/07/16>みとろ苑のHPへ
今日は会社を休んで、家族で豪華に料亭で昼食を食べに行きました。
静かに話をしたかったので、インターネットで検索、近くの料亭「みとろ苑」を発見。以前より温泉「みとろ荘」は知っていましたが、「みとろ苑」は直ぐ傍なのですが知りませんでした。
私も「料亭は、高くて入り難い場所」というイメージを持っていましたが、「サンプル伝票」を見て、【料金=食事代+席料300円+サービス料15%+消費税5%】という仕組みが分かり安心して利用できた。
「みとろ苑」は、地元豪農の大西家が、大正7年に完成させた庭園のきれいな家庭的な料亭で、大広間を含めて6室あります。周辺は住宅地なのですが、閑静な上に庭園が上手く配置されており、まるで山裾に居るような気分で、とてもゆったりした時間を過ごすことが出来ました。
食事は、昼食用会席4,500円を頂きましたが、夏場に相応しく、とても綺麗に涼しげに創作されており、目にも美味しく頂きました。特に椀物が涼しげでした。お勧めですよ!
食事後、すぐ近くの温泉「みとろ荘」の入浴無料券を頂き昼からお風呂。でも風呂好きの妻曰く、「みとろ荘は出来てから古く、入湯料700円と割高で、最近の大型銭湯(温泉)に比べ見劣りがする」ようです。
<今更ながらですが、大河の一滴(サウンドトラック)を購入、再び感動! 02/05/24>
ワーナーミュージック・ジャパン
昨年9月3日に映画を見て、映像と音楽に感銘を受けたことはここの雑記帳にも記述している。忘れかかっていたのだが、この前の日曜日(5/19)、教育TVの「セルゲイ・ナカリャコフ」の演奏を聞き思い出し、翌朝インターネットでこのCDを見つけ注文した。
やっと巡り合えた気がした音楽。加古隆のピアノと、あの若き世界的なトランペッタ−で映画の主人公にもなったナカリャコフの奏でる主題曲・・・心に染み入る音色に、映画の場面も重なり、何度聞いても胸が締め付けられる。加古の作曲ではあるが、加古自身の主張と言うより、映画の原作者「五木寛之」の思想を見事に音で表現したように思える。このサウンドトラック版は、ナカリャコフの演奏を充実させるために加古自身が若干アレンジしているとのことだが全く違和感は感じない。
ジャケットの題名は、"A Single Drop of Water in a Mighty River"。「一滴」の英訳に感心。
<イチローに学ぶ「天才」と言われる人間の共通点>
河出書房新社 児玉光男著 '01/11発行 '02/4/13読む>
ゴルフの教科書に分類しようかと思うほど共通項が多く且つ人生訓にもなる。
好奇心を持続しながら一つのことに執着し続けることは難しい。
忍耐の粘り強さ=継続は力なり→磨きをかける→成功
人間にもある「慣性の法則」=ノルマ(練習)を習慣にする。
ピグマリオン効果「念ずればその願いは叶う」
「駄目かもしれない」ではなく、「自分は打てるに決まっている」と思う。
夢の限界以上のことを人間が実現することは不可能である。
逆に自分がイメージできることは実現できる。夢を描く年齢に上限は無い。生きている限り自分の目指す理想像を描き続け、求める!諦めない!
成功は直前まで見えない。
あと一歩のところで諦めていないか?もう一踏ん張りしてみる。
3年後、10年後の自分をイメージしてみる。
結果に一喜一憂しない。淡々とプレーする。
一打一打はまったく独立したもの。
今HRを打っても次の打席に再びHRが打てる保証は無い。
三振しても落胆する必要はない、次にHRを打てばいい。
ありのままの自分を静かに見直す。欲望はマイナスに働く。
頑張り過ぎない、「しなければ」を「できる」に変換
セリグマン博士:良いことは自分のせいに、悪いことは自分以外に原因を求める。
「ゲン担ぎ」や「儀式」の効用=反射条件を利用して「集中モード」に入る。
<篠原佳年著 快 癒 力(2巻) サンマーク出版(96/6、97/6出版) 02/3/10>
著者は、倉敷市で開業中の膠原病(リウマチ含む)が専門の医師。その医師が、病気の治療には、医学も必要だが、病気の文字通り「気」が最も大切であることを自らの体験を通して訴えた本で、人生論の域に達している。
医療現場では、患者に病名をつけて殆ど治らない治療を施し、症状は少し和らぐが副作用の恐れのある薬を出し、殆どの患者を治していないと衝撃的な発言。
人生観を変えないと治らない。病気はその人の意識によって引き起こされると言うのが著者の持論、成る程と思った。
健康でいたいのなら、「病気だけにはなりたくない」と願うのではなく、自分の好きなことをやるように心がけるべきです。私たちはどこまで行っても現在しか生きられない。過去も未来も現在の一部。過去は記憶の倉庫としての現在であり、未来は想像としての現在である。「今を生きることが」が最善。
1)誰でも自分で望んだ、肯定的なもの、否定的なものに関らず、すべて手に入れている。即ち「思ったことは実現する」。病気も健康も自分がイメージ(否定的)したから実現したのです。
2)病気であろうと健康であろうと寿命がこないと死なない。病気と寿命は関係ありません。
3)体はあなたのものではない。心臓を動かしているのはあなたではない。ただ使っているだけです。
4)あなたはあなたにしかなれない。自分にあった生き方をしなければ、体は壊れてきます。
多くの人が病気になるならないに関らず、自分の人生において、特にやりたいことが無いのです。病気が治ったら何をしたいですか?今日一日しかなかったら何をやりたいですか?結局のところ、病気治しは、「自分探し」なのです。自分自身を見つけること、取り戻すこと、そして、自分自身を生きること。それが健康になる。自分が主役なのです。そうなれば、自分がやりたいこと、夢中になってやれること、好きなこと、向いていることをやりはじめます。ここで初めて、あなたは自分と本当の意味で一体化するわけです。
<珍しい梅「ロウバイ」 2002/2/3>
朝刊の地域版に、近くのお寺(稲美町北山・常泉寺)の境内に珍しい梅「ロウバイ」が咲いたとの記事があり、早速見に行った。
境内に入ると良い香りが...香りの漂ってくる方を見ると小さな淡黄色の花を一杯つけた木が目に入った。
今にも泣き出しそうな曇り空で風もあったが私同様新聞を見た人が数人きていた。住職もおられ説明していただけた。
ロウバイは、中国奥地が原産、花がロウ細工のように見えるため、この名がついたとのこと。花が下向きで撮影しにくいため手で枝を持って上向きにして接写(右)・・・ロウ細工の雰囲気がでていますか?漢字だと「蝋梅」ですが、梅はバラ科、ロウバイはロウバイ科と違う科目とのこと。
この木は、約80年前に植えられたそうだが、成長が極めて遅く、高さは約3mと高いものの幹はまだ細い。花は、10年前からチラホラ咲き始め、最近やっと一面に咲いたとのこと。種がたくさん付いており、植えたら芽が出るよと言われたが、自分が生きている間に花が咲くことはなさそうなので遠慮申し上げた。
<初めてパソコンにウイルス「WORM_BADTRANS.B」侵入 2002/1/31発見>
この数週間、漢字変換キーを変更するツールが動作しなくなって困っていた。自分では心当たりが無いので、アメリカから一時帰国した娘が使って何か悪さをしたのでは?と思っていたが原因不明。普通の漢字変換キー[ALT+漢字]は動作するのだが、変更キー[右ALT]が使えないのだ。
今日、ウィルスチェックソフトのパターンファイルをアップデートしたのを機会にウィルス検索をしてみてビックリ!systemディレクトリー内の
kernel32.exe と kdll.dll の2ファイルがウイルスファイル「WORM_BADTRANS.B」とのこと。パソコンを使って10年以上経つが初めてのウイルス!両ファイルとも単独ファイルのため、ウィルスチェックソフトでは処理できず、MS-DOSで立上げ削除した。
ウイルスのキー入力ハッキング機能がキー変更動作を妨げていたようです。キー記録ファイルを探してみるとcp_25389.nlsも怪しいので削除。
感染原因は、両ファイルの日付からみて娘が使ったOutlook Expressのメールのようだ。ヤレヤレ!
<追悼 朝比奈隆さん 享年93歳;2001年12月29日午後10時36分>
私と朝比奈隆さんとの出会いは、神戸に来た数年後、大阪フェスティバルホールに大フィルの演奏会を聞きに行ったときのことで、約30年前にもなります。
とても素晴らしい演奏だったので、定期演奏会のチケット(3回綴り)を継続して購入、毎月1回聴きに行きました。私にクラシック音楽の素晴らしさを教えてくれた人と言って良いでしょう。3〜5万円程の給料の中から、月1度の演奏会と月1、2枚のLPレコードを買うのが楽しみで、小遣いの殆どを費やしました。
しかし、結婚、子供の誕生、引越しと徐々に大阪から遠くなるにつれて疎遠になりましたが、生涯現役の指揮者として活躍されていた朝比奈さんの音楽にかける熱意と指揮台での勇姿には感動さえ覚えていました。謹んでご冥福をお祈りします。
<経歴>1908年東京生まれ、1931年京都帝国大学(現京都大学)法学部、1937年京都帝国大学哲学科卒業、1940年新交響楽団(現NHK交響楽団)を指揮してデビュー。1947年関西交響楽団を結成、1960年には、大阪フィルハーモニー交響楽団に改組、現在にいたるまで50年以上、常任指揮者を務めている。1994年文化勲章を受章。
<ノルベルト・フォラツェン著 北朝鮮を知りすぎた医者 国境からの報告
草思社 ’01/11/01発行 '01/11/04>
北朝鮮の最新情報が、ドイツ緊急医師団として北朝鮮に99年7月から00年12月迄の18ヶ月間滞在した著者=医師により明らかになった。
著者は、皮膚移植手術で自らの皮膚を提供したことにより、友好メダルとVIPパスポート、運転免許証を授与され比較的自由に移動できたため自分の目で、その悲惨さを見聞きし、北朝鮮の開放を国際世論に訴えようと決意したとのことである。さすがに、悪名高い強制収容所には入ることは出来ず難民らからその実情を聞いたとのこと。その中で印象的なのは、
●人権無視、食料による統制、監禁と強制労働が体制を維持する基本的手段である。→国民がみな疲弊しており、自らの手で立ち上がることが出来ない状況である。
●韓国は、北朝鮮の深刻さを知っていながら隠蔽しようとしている。統一に向けた太陽政策には期待出来ない。
●金正日を人権侵害で国際司法裁判にかけるべきである。人々は拷問され餓死させられている。ポル・ポト、ミロシュビッチらと何ら変わらない。
●北朝鮮を開放するには、人権保護を目的とした国際NGOが最善である。
やはり、21世紀も世界の孤島でありつづけるのだろうか?あまりにも可哀想である。
<家族旅行と言っても近場の淡路島 01/09/02-03>
娘が9月8日にアメリカに英語の勉強に出発するのと、娘の誕生祝いを兼ねて家族で旅行をすることにした。
よくよく考えてみると、4人揃っての家族旅行はオーストラリアから帰ってきて初めて、約10年ぶりとは。
ゆっくりしようと言うことで近場、明石大橋経由で1時間足らの淡路島にある会社の保養所に1泊。左の写真は淡路サービスエリアで明石大橋をバックに撮ったものですが、小雨混じりの曇天のため鉄塔が薄ぼんやり見えるだけ。
1日目、私と息子が見たことが無かった阪神大震災時の野島断層記念館で、高さ50cm水平方向1mの断層にビックリ。その後で皆でハーブ温泉に・・・妻と娘が温泉好きで超長湯。天然ハーブを入れた4種類の露天風呂とサウナ風呂など結構楽しめた。妻達が上がってくるまで間、息子は自動車の本を読んで、私はマッサージ器で暇つぶし。風呂に入ってお腹が空いたのでレストランで食事、場所柄に似合わず高めだったがとても美味しかった。保養所に行く前にスーパーに寄ってケーキ、酒など誕生祝いの食べ物を購入。
保養所に着いたらまた一風呂浴びて夕食。ここの和風定食、1品毎の量は少ないが品数が多く、安い割に美味しく腹一杯になる。食事後カラオケルームに行くと誰もおらず、家族で貸しきり状態のため、人前では余り歌わない息子も私も歌う。娘も誕生日がきても嬉しいと言うような年頃では無いと思うが、ケーキにローソクを立てて喜んでいた。
翌朝、特別行きたいところも無いので、朝風呂浴びて遅い朝食・・・ゴロゴロしていたら時間切れでチェックアウト。土産買う積りで淡路サービスエリアに寄ろうとしたら、逆方向の一つ先の入口まで遠回りしなければならずビックリ。混ぜご飯用の蛸飯、鯛飯等を購入し帰路へ。近いから昼には家に到着したが、のんびりした楽しい家族旅行でした。昼から、妻と一緒に下欄の映画「大河の一滴」を見に行きました。
<五木寛之著「大河の一滴」他 01/09/03 映画を見た!>
9月1日からベストセラー「大河の一滴」の映画が公開された。スタッフ:五木寛之@原作・原案、新藤兼人@脚本、神山征二郎@監督、加古隆@音楽。この本を読んだのは出版直後の平成10年頃。この本は、エッセイ集で約300頁だが、主題となった「人はみな大河の一滴」の項は35頁と極めて短い人生哲学を述べたもので、映画に出来るようなストーリー性は全く無い。このようなエッセイをどのようにして映画化するのか、とても興味深かく読み返した上で、9月3日妻と一緒に見に行きました。
【映画の感想】
映画は、金沢の特定郵便局の娘「小椋雪子(安田成美)」を中心として幼馴染みの友禅染屋の息子で郵便局に勤める「昌治(渡部篤郎)」、雪子がロシアで知り合ったトランペッター「ニコライ(ゼルゲイ・ナカリャコフ)」の3人の恋模様と、死を目前にした雪子の父(三國連太郎)と母(倍賞美津子)とが織りなすヒューマンストーリー。右の写真は東宝のHPより切取ったもので、不鮮明ですが映画を見た人なら雰囲気が伝わってきますよね。
映画の出だしは、雪どけでポタポタ落ちる水滴から大河への映像で「大河の一滴」の主題を印象付けているが、ストーリー自体はどうってことは無い映画。しかし、バックグラウンドと映像が加わわりとても感動的なものに仕上がっており、久しぶりに泣けた映画でした。一方妻も、五木ファンで以前読んでいたが、突然私が映画に行こうと言ったものだから読み返す間もなく・・・映画を見て喫茶店で曰く「ストーリーが単調で何に感動するのよ〜、トランペットと三國連太郎は良かったけど・・・」と大不評。
確かにストーリーだけを追っても面白くない映画だと思います。スリル満点のアクションがある訳ではないし、優美なラブストーリーでもなく、非常に難しいテーマを映画化したものですから、妻が言うように映画を見る前に本を読んで、その主題について整理しておく必要がある映画だと思います。文章の行間に言いたいことが隠されているように、映画の中の会話(ストーリー)の間に流れる映像と音楽の中に言いたいことが隠されている気がします。尚、川と海の映像及びピアノとトランペットで奏でられる主題曲はとても素晴らしく、この映画を崇高なものにしている。
【映画化に対する五木寛之氏のメッセージ(抜粋)】
私にとってこれまでのどの作品よりも思い入れの深いものになりそうだ。この作品には、人間の生と死、そして愛のかたちをとおして、いま私たち日本人が見失っている大事なものを、映像としてふりかえってみたいというひそかな思いがこめられている。(東宝のHPより)→私は、五木氏の意図が充分表現できた作品だと思う。
【本「人はみな大河の一滴」の中の印象的な言葉】
人生は苦しみと絶望の連続である。・・・泣きながら生まれ、生老病死の枷をはめられた人間。
何も期待しないという覚悟で生きる。・・・結局最後は独りで死ぬ身。
それは小さな一滴の水の粒にすぎないが、大きな水の流れをかたちづくる一滴であり、永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部などだ。
私たちはそれぞれ一生という水滴のたびを終えて、やがては海に還る。母なる海に抱かれてすべての他の水滴と溶けあい、やがて光と熱に包まれて蒸発し、空へのぼっていく。そしてふたたび地上へ。
私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。しかし無数の他の一適たちとともに大きな流れをなして、確実に海へと下っていく
【五木寛之の著作との出会い】
出会いは、多分約20年前から10年間に亘って出版された「青春の門」だろう。信介と織江二人の恋物語で何時続きが出るのか心待ちにしていた本で、現在6部迄だがまだ完結していないと私は思っている。それ以前にも何か呼んだかもしれないが記憶に残っておらず、意識して五木氏の著作に目が行くようになったのは「青春の門」以降だと思う。この雑記張にも掲載している「他力」等々人生哲学の著作を中心に読み、今は今年6月に出版された「日本人のこころ1」、大阪と京都について独自の見解を書き下ろしている。尚、五木氏は、浄土真宗の開祖「親鸞」とそれを広めた「蓮如」に心酔しており、「大河の一滴」の他多くの著作の中に宗教(仏教)的な記述が見受けられる。
<音楽CD:ピアノ「フジ子・ヘミング」を聴いて 01/08/18>
図書館で見つけた音楽CD、「永久の響き・・・Echoes of Eternity 」(Victor)。以前(99年)NHK・ETV特集「フジコ〜あるピアニストの軌跡」を見て名前は知っていた。ベルリン生まれの混血児で、数奇な人生を送ってきた人で、聴力も殆ど無いとのこと。正確な年齢は分からないが私よりかなり年上だろうと思います。テレビ放映の中で演奏も流れたが、CDを聴くのは初めて。収録曲は、シューマン・謝肉祭、ショパン・別れの曲、リスト・春の夜等。
ビックリしたのが、私の大好きな曲「リストのラ・カンパネラ」・・・鐘の音を模倣した主題を聴いた瞬間、鳥肌が立った。滞在していたヨーロッパの古い町並み、教会の鐘の音がピアノ音に重なる・・・懐かしさがこみ上げ、胸が切なくなる。曲自体すばらしいのであるが、透明感のある澄んだ演奏がすばらしい。フジ子さんの歩んできた大変な生き様が映し出されているようで、久しぶりに感動した一枚である。
<花見と温泉 01/06/24>
今日6月24日・日曜日、久しぶりにゴルフが無い週末なので奥さん孝行の一日でした。本来の目的は、数日前の新聞に掲載されていた「西脇市・西林寺のあじさい祭り」と、昨日テレビ放映されていた「社町・平池公園の大賀はす」を見ることだったのですが、風呂好きの妻が近くに健康ランドがあると言い出し日帰り温泉旅行になった。
先に2000年前の種から花を咲かせたと言う「大賀はす(左写真)」を見に行ったが、平池公園の名前の通り大きな池を中心とした公園ではすが美しく咲いていた。もう時期外れになったが菖蒲も多い。大賀はすは、写真の通りピンクで大きな美しい花を咲かせていた。2000年もの時を経て咲いていると思うとけなげな感じがした。
あじさいの咲いている西林寺は想像以上に古刹で、境内は大きな木がうっそうと茂り、朝の雨があがった直後だったのでヒンヤリして気持ちが良く、あじさいの花も活き活きと綺麗に咲き誇っていた。あじさいは、ピンク、紫、青、白と色とりどり、新聞の10万株ってこんなものかな?という印象。
しかし、ビックリしたのは、あじさいが密集していた場所ではなく、本堂の脇にぽつんと咲いていた真っ白で、一つ一つの花弁は小さいが、花全体は大きく重みでしだれていたあじさいです。写真を撮ろうとして花を持ち上げたら何とも良い香りがするではありませんか。これほど良い香りの強いあじさい(右下写真)は初めてでした。
次いで、妻の大好きな温泉へ。妻は数回来ており、大衆演劇があるからチョット高いのだとか、一人2000円也。私としては、最長入浴時間を達成、1回で1時間、よもぎ風呂、薬湯風呂、ラドン風呂、ヒノキ風呂、露天風呂、超音波風呂、サウナ風呂を渡り歩きくたくた。
風呂に入りながら・・・米すら食することが出来ない北朝鮮の貧困と飢えに比べ、平和で自由で豊かな生活を当たり前のことのように満喫しながら不平不満を言っている我々は何なんだろう・・・と思った。北朝鮮の体制が悪いと言えばそれまでだが、体制に縛られて生きている多くの国民には罪は無いのだから生まれた場所が悪かったとしか言いようがないのだろうか・・・。
演劇・歌謡ショーは1日3回各1時間。富士川竜二劇団の興行だったが1ヶ月毎に換わるとか、数多くの劇団のポスターが宴会場の壁一杯に貼られていた。小学生も2人出演していたが毎月転校するのは大変だろうなぁ、劇団生活と言うのは全く別の世界なんだろうなぁ、と思ったりもした。とは言え、歌謡ショーを見ながら食事をしたり、昼寝をしたり、帰る前にもうひと風呂浴びて夜遅く帰宅、贅沢な一日。日曜日何時も一人ゴルフ三昧では、奥さんに申し訳ないものね。
<金正日への宣戦布告> 01/06/20
黄長Y(ファンジャンヨブ)著 文芸春秋 99/2/1出版
北朝鮮から韓国に亡命した労働党幹部の半生記。
97年2月黄長Yが亡命したニュースが世界を駆け巡ったので、皆さんも記憶があると思います。北朝鮮の頭脳と言われた高級官僚の亡命ということから、北朝鮮の出方を固唾を飲んで注目していましたが中国側の厳重な警備体制のもと無事に亡命できました。しかし、腹心1人だけを連れての亡命で、北朝鮮に残してきた家族のことが心残りとの言。反体制者の家族には連帯責任と重い処罰をする国だから想像したくないと思います。
黄長Yは、北朝鮮の主体(チュチュ)思想を論理的に構築した哲学者で、出世とか争いを好まない学問一筋の人です。主体思想の内容は私自身理解していませんが、マルクス/レーニンの経済主体の社会主義に疑問を持ち、人間主体の社会主義を唱えた立派な思想であり、北朝鮮の実態イコール主体思想ではないと言うことです。
北朝鮮は、主体思想を前面に出し国民が世界一幸せな国家と国内外にアピールしているが、実態は主体思想とは大きくかけ離れ、金正日による独裁封建体制のもとで思想教育偏重で、学問・経済を無視し、国民を貧困に追いやっているとのことである。黄長Y自身は、党の首脳であるから何不自由の無い生活が保障されているが、自分の思想と国/国民の現実とのギャップに耐え切れず、体制批判の意味から亡命したとのことである。
「凍れる河を超えて」に続き、違う立場から見た北朝鮮の実態を読んで、「大変な所だな、地球上で残された唯一の孤島?秘境?みたい」と言うのが素直な感想です。今や殆ど消滅しましたが社会主義国家に対して昔から疑問に感じていることは、国民平等で階級をなくそうとする「階級闘争」の名のもとで、意外と資本主義社会より厳しい階級差別ができてしまう矛盾です。また不思議とカリスマ指導者による独裁政権になってしまうようです。結局、国民の貧困と独裁に国民が立ち上がり社会主義国を崩壊に導いたのではないでしょうか。しかし、北朝鮮に限っては、金親子を神格化する洗脳教育と相互監視システムが徹底しており、国民が自力で立上がれない状況みたいですね。でも、少しづつ中国とか韓国の様子が風の便りに聞こえてきているようで、自国の貧しさが認識されつつあるようです。民衆が立上がらない限り、南北統合は難しいような気がします。
<凍れる河を超えて(上/下巻)> 2001/06/05
張仁淑(チャン・インスク)著 講談社 2000/06出版
1940年北朝鮮で生まれ、97年韓国に亡命した、張さんの激動の半生を描いた、涙なくしては読めない感動の1冊で一気に読んでしまいました。また、近くて遠い国と言われている隣国・北朝鮮の戦後の現代史を知る上でも良い本だと思います。
<あらすじ>
幼少の時から勉学に励み頭脳明晰+努力で出身成分の枠を越え異例の出世?、ピョンヤン運輸大学卒業、女性には珍しい土木技術者となる。病弱な夫と結婚、4男を授かるが、夫は43歳の若さで他界、女一人で子供を育てならが仕事に邁進。代表的な仕事は「主体思想塔」「アンコル立体橋」の設計で、金日成等の表彰も数多く受けエリート党員に。子供達も母に似て学術優秀で、長男、次男の2人も留学生として送り出す。
しかし、ロシアに留学していた長男が韓国に亡命したため、国家反逆者として、90年末ピョンヤンから追放、最北端の穏城に強制移送され辛酸な日々を過ごす。94年韓国でのゴルバチョフと金泳三大統領の会談で長男が通訳として生きていることを知人を通して知る。(94年7月9日金日成死去)中国との国境が近いことも幸いして、国境となっている河を渡り、97年9月韓国に亡命。次男は脱出直前に捕われ後に処刑されたという不幸な知らせも聞くが、今は3人の息子家族と自由な生活を楽しんでいる。
<本を読んで>
世界の太陽の首領による世界一幸福な国と国民を洗脳し、全てが首領のためにと言う自由の無い生活、社会主義という名のもとで世界から遮断した一党独裁政治、平等という建前とは大きくかけ離れた著しい格差とそれに耐える平民の貧しさ・飢え、体制を堅持するための鎖国及び思想教育の偏重と厳罰主義、自画自賛の技術力の拙さ、経済力の無さと慢性的な物不足、機械よりも精神力・人海戦術による土木工事、張子の虎みたいに実体を伴わない国際交流外交、国際窓口都市のピョンヤンと地方との格差・・・そういった厳しい環境の中でも、勉学、恋、家族、友人、出世などを通じて精一杯生きる喜びを見出しながら生きていく様が生々しく伝わってきて目頭が熱くなりました。
周りの世界が見えないから出来る生活なのでしょうね。それは世界を垣間見た留学生、外交官が国に残した家族への仕打ちを知りつつも亡命する人が絶えないことでも分かるような気がします(悲)
張さん初め国民一人一人の一生懸命な生き様、これだけ首領に忠誠を誓い滅私奉公している国民ですから、うまくリードできれば韓国同様勤勉なすばらしい国になる気がします。
一番辛く大変だなと感じたのは、罪を犯すと本人は言うまでも無く、家族、親戚(8親等)、友人にまで連帯責任を取らされるという厳罰主義です。一度烙印を押されると孫の代までも這い上がれない。その罪状も民事・刑事と言うより嫌がらせも含めた思想的なものが多いように感じられる。張さん自身が一時期そうであったように秘密の監視員も多く存在し一言が命取りになる密告社会。独裁体制を堅持するためには必要不可欠な手段なのだろうが・・・。
張さんも亡命後、北朝鮮に残っている人達への災いが一番気がかりだと語っている。この国の実体を本当に金日成、今や金正日が認識してやっているのか、それとも裸の王様状態なのでしょうか?
この本を読んでみて、本当の意味での、即ち国民レベルでの南北統合は、北朝鮮の特権階級の人たちが保身を図ろうとする限り、また思想教育偏重と鎖国状態を継続する限り、平和的に実現することは不可能に思えます。
最後に印象的だったのは、「北朝鮮では何事も指示通りに生活していればよかったが、韓国に来てからは自由なので何事も自分で決めてやらなければならず戸惑いを覚えた」という事でした。
いま、私たちを取り巻く環境・・・発言の自由、行動の自由、高度な教育、豊かな経済力と物資に・・・余りにも慣れすぎてはいないだろうか。
<続 く>