やさしい輝きを放って、世界をあまねく照らす月 そんな月をインドでは人の感情・身体に大きな影響をもたらすものとして、太古からとらえています。 そして月の満ち欠けだけではなく、その月はいろいろな星座の影響を受けつつ軌道上を回っている為、日によって月の作用も変わると考えられています。 その月をもとに作られているのが、伝統的なインドの暦、太陰太陽暦・太陰暦(バンチャーンガ)。 それもかなりの種類があるそうです。 新月から始まる明るい月の2週間が過ぎると、次に満月から始まる暗い月の2週間がやってきて、その間に微調整が入ってこの明暗の月の週が1セットとなって30日前後とし、それを1ヶ月としています。 (暗い月から始まる暦もあるようです) (その中で北インドでもっともよく使われているのが ヴィクラマ紀元といわれるもの。) シバナンダアシュラムでもこの暦に基づいたスピリチュアルカレンダーが作られていて、毎夜サットサンガが行われるホールの入り口付近には小さな黒板が置いてあり、今日は何神様の日だと書き込まれていました。 そしてその夜はその神様にちなんだ、お話や聖歌が歌われて 神様を讃え、祝福がいただけるように祈ります。 |
![]() ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 私たちが行った2〜3月はインドではPhalgun月と呼ばれています。 そして明るい月の週暗い月の週ともにその11番目(エカダシ)の日は断食の日になっていて、朝のチャイを頂いたら 後は断食します。 そして13番目の日はPRADOSHA VRATAと呼ばれ シヴァ神とその神姫であるパールヴァティのご機嫌のいい日(良い作用を受ける日?)とされ断食し夕刻の薄明かりの中で まずシヴァ神とその家族パールヴァティ・ガネーシャ・スカンダ・ナンディを崇拝し、その後、形式上の崇拝、PRADOSHAの物語が語られて108回のマハームリュトンジャヤ・マントラを唱えるという儀式(プージャ)が行われます。 |
![]() この祭りに重ねてこのPhalgun月の暗い月の週の13番目はシバ神がパールヴァティと結婚された日で特別なお祝いの日でもありました。 このシヴァ神のお祭りをシヴァラートリー(シヴァの夜)といわれ、エカダシからの2日間、お昼を断食し(だったと思います)3日目には1日断食します。 そして男性女性と別れて交代交代で神殿にいって途絶えることなく、”オーム ナマ シヴァ ヤ”のマントラを唱え続けるのです。 3日目は皆で夕刻より集まり、一晩中このマントラを唱えながらプージャをし、リンガにガンガーの聖水・ミルク・花びらなどを皆で順番にかけていきます。 そして夜が明けるまで続けられ、明け方、祭りの為の 特別なご馳走を振舞われました。 今それを全て覚えていませんが、バナナの葉に乗せられた 数種類の少しづつのお料理はソフトな辛さ、甘さで 体中に染み渡りました。 そして、私たち半人前は宿舎で泥のように眠ったのでした〜。 他の方々は、毎日のお勤めをされてましたが・・・(ーー;) |
![]() ニューデリーで知り合い、私達をシヴァナンダアシュラムまで連れてきてくれた、熊さんの いとこの結婚式に出席しました。 私達は真っ白なおニューのクルタに着替えると シバナンダ病院にいる熊さん(仮名・彼はインド人です、笑) の元に急ぎました。 私達が行くと、熊さんは入院中のおばさんやいとこ達と 引き合わせてくれました。 そして、花嫁となるいとこさんにもお会いしました。 顔に花嫁の印の模様を色筆で塗り、金糸を織り込んだ赤いサリーを身にまとい、頭、耳、首、手、指、足に煌びやかな貴金属をつけ、美しい花嫁が生まれました。 そのあと親族とともに、祭礼の場に移動。 家族だけが許される神聖な場に、私達も招き入れられ、 アシュラムの僧侶を祭司に、厳かな結婚式が始まりました。 大理石つくりの式場の中央には リンガがおかれ、僧侶がお香水・黄色い小花・ミルクをかけ、 神様を讃えながら、2人の結婚の契りを結びます。 祈りの折々に花嫁、花婿が立ち上がり、リンガの周りを くるりと回り、礼拝します。 質素だけれど美しい儀式でした。 | ![]() 結婚式が終わると今度は披露宴。 場所は病院ですがこの日は特別なのでしょうか、 5人編成の楽団もやってきて、にぎやかしにトランペットや太鼓などで度々演奏を繰り返します。 出張料理人もやってきていて、その場に移ったときは プーリーというチャパティを油で揚げたようなお料理を作っているところでした。 披露宴会場は病院のバルコニー、大河ガンガーを見下ろしながら、親戚の人たちに混じって勧められるまま、お料理をいただきました。 たくさんの種類のインド料理。 おいしくて、楽しくて、あたたかい披露宴♪ 「アウンティ(おばちゃん、む!)」と私のカメラを使わせてーとせがんでくる 熊さんの息子チャドナ君をからかいながら、暫し、 幸福の分け前をいただくのでした |
![]() インドの北部、ウッタルプラデッシュ州 そこにThe Divine Life Society(以降DLSと記します) があります。 ココは世界有数のヨーガの総合修行道場です。 ココに滞在する為には、管長の許可を得なければいけません。 いつ、どのくらいの期間、どのような理由でそこに滞在したいかを 明記した手紙を書き送付しました所、2週間後に、この滞在許可書が届きました。 |
![]() DLSの入り口。ココをくぐって長い石段を登っていくと 右横の建物前の広場に出ます。 DLSには他に西洋医学の病院、学校があります。 DLSの総長始め僧侶の崇拝者、開祖シバナンダ大師の 崇拝者の子弟や貧困な家庭の子、などが学んでいます。 一緒に写っている子達は下働きをしながら、学んでいる子たちです。 もう、今では子の中の幾人かが得度し、僧侶となっている事でしょう。 |
![]() 下は僧侶の宿坊、階段を上っていくと ヴィシュワナートマンディール(シバ神の寺院) ココで、先ず、シバ神の息子、ガネーシャ神像の出迎えをうけます。 インドでは1番最初に出会う神様とされています。 学問や商売の神様と言われています。 DLSに滞在中、シバ神のお祭りシバラートリーが この寺院でありました。 毎日ココで行われる、火を用いた儀式のアラティは、荘厳で美しいものです。 |
![]() 山の斜面に林立する建物群。 その中腹から大河ガンガー(ガンジス河)の蛇行が見下ろせます。 川べりまで降りていくと沐浴場(ガート)があり、冬でも沐浴する人があります。 ヒマラヤの雪解け水を源流とする河の水はとても冷たいです。 |
![]() ガート横にはシバナンダ大師が住まわれたグルデブ・クティールがあります。 シバナンダ大師愛用のベットと等身大のお写真 ココで夕方、バジャン・キルタンの練習をしました。 |
![]() シバナンダ大師が瞑想された場所 ココでの私達の生活 朝4:15起床 5:00〜6:00 サマーディホールにて朝の祈りと瞑想 6:00〜 バジャンホールでジャパ(数珠を繰りながらマントラを繰り返し唱える。) 6:30〜 ヴィシュワナートマンディールにてアラティ 7:00〜 朝食 10:00〜11:00 日本語のできるマレーシア人僧侶のヨーガ哲学の講義 11:30〜 昼食・シャワー・午睡・散歩・買い物・読書(スワディワヤ) 15:00〜16:00 スワミクリシュナジのハタヨガとティタイム 17:30 グルディブ・クティールにてバジャン・キルタン 又は、サマーディホールにてシバ神のマントラ行(ジャパ行) 18:15 アラティ 18:30 夕食 20:00〜21:45 サットサンガ(善なるものの集い、御講話を聞きバジャン、キルタンを歌う) 帰ってからしばしばマイケルさんのお部屋へお邪魔 22:30 就寝 |
![]() シバナンダ牧場 |
![]() ラクシュマンジューラー この吊り橋が出来たおかげで、渡し舟に頼らず対岸に行けるようになりました。 |
![]() バガバン・ダアワン 私達が4週間居た宿舎 先ほどの道場から更に坂を登った所に有ります。 |
![]() 対岸のヨーガ道場の一つ。 パラマウントニケタンにて たまたま御一緒になった日本女性と パチリ♪ |
![]() サットサンガが終わってから 事務局で働く、修行者の一人マイケルさんの部屋で 補習授業&雑談&お茶会 |
![]() 私達が寝起きした部屋。 ベットとクローゼットが一つ。 シャワー・トイレは共用。 床は大理石だよ。 |
![]() 私達がインドのお父さんと呼ぶ スワミクリシュナ・ジ(故人)。 日本の旅行雑誌にも良く出てきます。 管長や特別ゲストの料理を担当していました。 私達にインド料理を教えてくれた人。 |
![]() スワミクリシュナはDLSのハタヨーガの先生も十数年続けていました。 70歳近くても、この見事なシルシアーサナ |
![]() せっかくインドに来てるのにどこにも観光へ行かない私達を 気遣ってデラドゥーンの街に買い物へ行くついでに、 森林博物館までつれて来てくれました。 一緒にいるのは尼さんのカルナさん。 後はタクシー |
![]() 昼ごはんを済ませると、アシュラムの門前に集合して出発です。 参加者はオーストリア人男女が2人、スイス人男性1人、ポルトガル人女性1人、インド人老夫婦2人、私たち2人、そしてスワミ・ハンサナンダ・ジの計10人 国際色豊かなツアー1行はオートリクシャー2台に分乗して 一路ハリドワールへ! ハリドワールというのは”神の門”という意味で、 ヒンドゥ教のビシュヌ派の人が呼ぶこの地の名称、 神ビシュヌの門って事でしょうか。 シヴァ派の方からすると”ハルドワール”神シヴァの門ってことになります。 スワミジは先ずこの地で1番大きなガート(沐浴場)ハリ・キ・バイリー・ガートに案内してくださいました。 ここでは家族総出でやってきたような人々が聖河ガンガーに 浸かって祈りながら沐浴しています。 ときどき黄色の小花で編まれた花輪が川面にゆらゆら漂っています。 密かに恐れていた、流される水葬者も燃え残った手足もなく、 ほっと胸を撫で下ろしました。 スワミジからガンガーの祝福を受けようとの提案。 それで、にわか巡礼者は足だけつけて、マントラを唱えておりました。 それにしてもここはガンゴトリー(ガンガー河の源流)への入り口といわれるだけあって、氷が溶けて流れ落ちてくるのか、身を切るような、水の冷たさです。 外気温は多分、30度近い暑い日だっただけに、水温の冷たさにびっくりしてしまいました。 信仰が厚ければこんな水温、なんてことも無いのよね、きっと。 |
そのあと、みやげ物屋さんを横目にロープーウェイに乗るとかで早足のハンサナンダ・ジの後を必死で付いて行きました。 目指すは山の頂上にあるマンサデヴィ寺院 4人乗りのゴンドラでした。 この寺院から見下ろしたハリドワールの景色は最高でした。 色とりどりの寺院。 サドゥーが多くストイックなリシケーシュと比べると 鮮やかで賑やか。 やはり一般の参拝者が多いせいかな。 ここをまたゴンドラで降り、今度はずらっりと並んだ寺院を拝観することに。 そう今日はピルグリム、巡礼をしているのですから、一心に寺院を回らねば。 それにしてもいろいろな寺院があります。 サルの神様ハヌマンの5mはあろうかという神像が建っているところもあれば、多層階の建物でインドの神々の像が ずらーっと飾られている寺院。 ハンサナンダ・ジが一つ一つ紹介してくださるんだけれど、 あんまりたくさんすぎて覚えきれない。 この神様のマンションのような寺院を出ると、 しばし休憩。渇いた喉にチャイが染み渡る(^^) 一体何件の寺院にお邪魔したのでしょう。 そして最後に訪れたのがこの画像のアシュラムです。 夕日に照り輝く白亜の寺院。シュリシュリアシュラムとかいう名前だったと思います。 女性の聖者をお祭りしているアシュラムでした。 またインドに行くことがあれば再訪したいと思ったアシュラムです。 このアシュラム内の柔らかで清らかな雰囲気がとても居心地よかった。 |
![]() インドの2等寝台列車。3段ベッド構造。 リシケーシュを夕方4時くらいに発車してハリドワール駅で3時間くらい停車した後、デリーへ向けて出発。 到着は翌朝7時を回っていました。 |