『神を謳う歌』
第3話−回想−


 カナカナカナカナ…

 カナカナカナカナ…

 カナカナカナカナ…

「……」

 シンジは、自分が驚くほど寝心地のいいベッドに自分が横になっているのがわかった。

 目を開き、上半身だけを起こす。暖かい様で、それでいて太陽の光とは思えない光が窓から入り込んできているのが白昼夢の様であった。

 目覚めたばかりの為か、身体を包み込む気だるさに横になる。

 閉じずにいた視界に、光に白く染められたかのような、染み一つ無い部屋の天井が映った。

「知らない、天井か」






 第三新東京市、第一次直上決戦跡。

 ゲヒルンの部隊が、先の戦いで破壊されたビルの破片や、貴重な使徒の体組織サンプルを撤去・回収している場所。そして同時に、まだ稼動可能な兵装ビルに次の戦いに備えて弾丸を補給する戦場の一つ。

「ふ〜、あっぢ〜…」

 対BC兵器用の防護スーツを脱ぎ、まるで土建屋の様に首にタオルを掛けて汗を拭きつつ、ミサトはおもむろに仮設テントに備え付けられたテレビをつけた。

「政府は、今回の第三新東京市で起きた一連のテロ…」

ピッ

「国防総省はテロを事前に防げなかった…」

ピッ

「一部地域のビルが倒壊…」

パチン。

「あ〜あ、シナリオB−20か。こんな事で本当に誤魔化せると思ってるのかしら」

「あら、少なくとも事実を伝えるよりはましだと思うけど?」

 同じく仕事を終えたリツコが、こちらは対BC兵器用の防護スーツからヘルメットだけを外すと

扇風機の風と詰めたい飲み物ににほっと一息ついた。このそれなりの大きさのあるテントでは、他にも結構な数の作業員が何時間振りかの休憩に入っている。

「後方処理課は喜んでいたわよ。これでやっと仕事が出来るって」

 そう言いながら防護服を脱ぎ、汗でビショビショになったタンクトップにリツコは眉を顰める。身体に張り付いたそれを眺める余裕のある作業員は、今この場に一人も残ってはいないのがせめてもの救いだ。なにしろあの戦いからずっと徹夜だったのだから、服を着替えてすらいない。

「な〜にのんきな事言ってんだか」

 そういいながら、ミサトとリツコは移動用トレーラーに防護服の上着を積み込み、次の仕事へ移る準備をしていた。

「空元気に決まってるでしょ。彼らも自分たちが仕事をするという状況が意味する事は知っているわよ…それに、皆怖いのよ」

 白衣を羽織ながら、使徒の残骸を思い出し眉をひそめた。あの状況では仕方がないとは判っているのだが、もうちょっと原形をとどめていてほしかった。結局今現在発見されているのはごく一部で、恐らく他の体組織は…

「あったり前でしょ」

 小さく同意し、リツコの言葉に、というより使徒とエヴァンゲリオンの戦いを思い出した為かミサトは顔をしかめた。


 プー、プー


 トレーラーに乗り込みゲヒルン本部へ移動し始めたところで、車載電話に連絡が入った。

「はい、こちら技術部赤木…わかりました。それで容態は…」

 リツコの答えに、ミサトは険しい顔になる。

「シンジ君、目が覚めたそうよ。自分がなぜあそこに収容されたのかわからないようだけど」

「まさか精神汚染!」

「違うわ、疲労性の軽い記憶障害だそうよ」

「よかった〜…」

「ちょっと、前見てよ前!」

 安堵感の所為でに思わずステアリングにへたり込みそうになるミサトに、リツコは肝を冷やした。

(まったく、こんな事で死んだら母さんに笑われてしまうわ)

 そう思いながら、深々とため息を吐く。ずいぶん前から寝ていない所為で、自分がひどく歳をとってしまったように感じた。

「仕方がないわよ。脳にひどく負担が掛かったから」

「心に、の間違いじゃないの?」

 気が緩んだのか、ミサトは友人の言葉に軽口を叩く。

「どちらにせよ、しばらく安静にしていれば思い出すでしょうよ」

 しかし、その言葉に再びミサトは暗くなる。

「彼、もう一度乗ってくれるのかしら」

「乗るわよ。…レイがいるもの」

 リツコのその言葉は、ひどく嫌悪感に満ちていた。




 目覚めてから、妙に急いでかけつけた医者の診断を受けたシンジは多少不機嫌だった。

「一人じゃ、無理なのかな…」

 意味不明の呟きと共に、病室の窓から外を見る。

 窓ガラス越しに病院の庭が見え、ここが1階であることがわかる。もっとも、病院内の表示はあくまでも二階なのだが。

 外から差し込んでいる光は、ジオフロントが外から取り込んでいるらしい太陽光の物だった。

 シェルターとして作られたのだとは聞いていたのだが、取り込む事ができると言う事は外に少なからず繋がっているという事だ。他にも天井部分には、まるで重力が逆さに働いているとでも言う風に点々と奇妙な構築物がぶら下っている。

 上層部が破壊されれば、落ちてきてしまうのではないかと素人考えだが少し不安になる。

「守れなきゃ意味がないよね」

 点滴の針を勝手に抜いて病室から抜け出すシンジの口は、いつしか自嘲的に歪んでいた。



 広い病院を看護婦に話を聞きながら歩き回り、5分ほどである病室に辿り着いた。

 というよりすぐ隣なのだが。

『綾波 レイ』

 そう書かれたプレートがあるその場所は、シンジと同じく個室だった。

 それを見ただけでシンジの不安げだった顔が溶解し、優しげなアルカイックスマイルになる。


 コン、コン


「入るよ」

 返事を聞かずに戸を開けると、中にはレイだけではなく先客がいた。

「――、仕事はどうした?」

「なんでお前がここに来る」

 先客、ゲンドウはポーカーフェイスを崩さずシンジに相対する。

「俺は見舞いに着ただけだ。第一病院に運んだのはゲンドウ、貴様の部下の指示だぞ」

 鮫のように笑うシンジの言葉に目を細めると、

「…また来る」

 といってゲンドウは去って行った。

「ふん…今更親子ゴッコできる筈があるまいに…」

 退出したゲンドウの後姿を見送ったシンジは、どこか寂しさを漂わせていた。

 しばらく入り口の方を眺めていると、

「あなた、誰?」

 と、声を掛けられた。 

「ん?ああ…」

(誰、か)

 何処か冷たい視線を浴び一瞬落胆した表情をみせたが、すぐにシンジは笑顔になる。

「僕は碇シンジ。小さな頃は一緒に住んでいた筈だけど…その様子じゃ覚えていないみたいだね」

「碇?」

(嫌な予感は的中するものだ、か)

 純粋無垢というより、年齢に不相応な表情がシンジには辛い。

「―――本当に何も覚えていないんだな。名前からもわかるだろうけど、俺は碇夫妻の養子として迎えられたんだ。本当は養母が君を身ごもった時、男の子なら女の子、女の子なら男の子をって決めてたらしいけどね」

 その言葉に、レイはきょとんとした顔になる。

「身篭った?」

「…いや、勘違いだ。」

 喋り過ぎたか、とシンジはレイの瞳から目を逸らし、見舞い客用の椅子に腰掛ける。椅子にぬくもりは無いことがゲンドウも来たばかりだったという事を暗に教えてくれる。

「横になったほうがいい、今はゆっくり休むことだ。」

 身体を起こしかけて痛みに顔を顰めたレイの肩をそっと押さえ、ベッドに取り付けられたスイッチを操作して彼女の身体を横にする。

「あなたは何故ここにいるの?」

「君が心配だから」

「何故?」

 動かない体を無理に動かして、レイはシンジを見つめた。

「それは―」

「レイにベタ惚れなのよね〜?」

「なっ!」

 慌てて振り返ったシンジの視線の先には、冷やかすと言うより怒っているミサトがいた。

「いきなりな「勝手に病室を抜け出して何をしてるのかな〜?」」

 ズンズンズン、と迫ってきたミサトはウリウリとシンジの頬を引っ張る。

「やへへくわはいよ(やめてくださいよ)」

「葛城一尉」

「あらどうしたのレイ、難しい顔をして」

「彼は一体何者ですか?」

 シンジに肝心の答えを聞く前にミサトが茶々を入れてしまったせいで続きが聞けず、目の前の少年が何故ここにいるのかどうしても納得いかないのである。ここの階はゲヒルンの管轄下にあり、一般の患者が入ってくる事は堅く禁じられているのだ。

「あれ、シンジ君まだ自己紹介していなかったの?」

「必要だとは思いませんでしたから」

 やっと離された両頬を右手で擦りながら、シンジは苦笑した。

「…えっと、彼は新しく入ったサードチルドレンの碇シンジ君。先の使徒は彼が倒したわ」

「そうですか」

 得心のいかない顔でレイはシンジを見た。

 それだけでは彼が先ほどまで言っていた言葉の意味が掴めない。

「あら、レイってばシンジ君に興味津々?」

「はい」

 シンジの重い空気を吹き飛ばそうとからかい半分に言った言葉にレイが思いがけない答えを返した事により、ミサトは凍りついた。





「ちょっとぉ、一体どういうことよ。あなたレイに何を話したの?」

「病室出てからそればかりですね」

 いい加減うんざりとした顔でシンジはミサトにいった。

 あれからシンジは「詳しい事は怪我が治ったらゆっくり話そう」とレイに話し、フリーズしてしまったミサトさんを強引に病室から連れ出して退院の手続きをして貰った。

 固まっていたミサトさんも何故か時間が経つにつれてご機嫌になり、ウリウリと駅ではじめてあった時のようにからかっていたのだが、シンジが白状しないでいると逆に不機嫌になって(と言うか拗ねて)

本部の方に戻ってもしつこく聞いてくるのでシンジは辟易していた。

(話す訳には行かないしな…)

「着いたんじゃないですか?」

「ちっ…」

 エレベーターがドアを開く時に何故かやけにシリアスな顔で小さく舌打ちしたミサトは、酷く焦っているようだった。




「一人部屋、ですか?」

「はい、そのように伺っています」

 ミサトがシンジを引き連れて宿舎の手続きをすると、担当の係員はジオフロント内の職員用宿舎の一室を用意したと告げた。

「しかし仮にも親子でしょう、碇司令の部屋と同室が普通じゃない?」

「そう言われましても、私には…」

 ケージでの親子とは思えないやり取りは見ていたものの、まさか中学生の息子を一人暮らしさせるとは思わなかったらしくミサトは憤慨した。迷惑なのは何も知らない係員である。

「別に何処だって構いませんよ、家事はできますから生活費さえ貰えれば生活していけますし」

 そこまで言って、シンジはふと思いついた事を言った。

「それよりも、ここは市役所じゃないでしょう?なんで手続きをゲヒルンでやってるんですか?」

 不審気な顔になってシンジはミサトに聞いた。すると今度はミサトが困る番だ。

「だって、シンジ君はパイロットになるんでしょう?所属する以上は…」

「まあ、なりはしますけど中学生がバイトしてもいいんでしょうか?」

「う〜ん、バイトというより就職なんだけど…」

 てっきり誰か説明をしている物とばかり思っていたミサトは言葉に詰まった。

「いいかげんなんですね、案外」

 部屋を割り当てる前に、勝手にゲヒルンで作成してしまった書類を確認したいとシンジがごねたせいもあり、今日の所はミサトの家に泊まって説明を受けるということで一人部屋の件は有耶無耶になってしまった。




「どこに行くんですか?」

「いいからいいから」

 とりあえず今日の分の食材(レトルト食品)を買って、ミサトとシンジは都心を離れた展望台へと向かっていた。

「なんか寂しい街ですね」

 車から町の風景を眺めながらシンジは呟いた。

 夕暮れ時の街は茜色に染まり、前にシンジが住んでいた所と風景自体は変わらない。違いと言えば何故か都心のいたるところにある高層ビル群だが、都市部から離れた郊外に位置する展望台の周り一帯は田舎とあまり変わらなかった。まあ、いくら見晴らしがよくても展望台があるような小高い丘の付近に好き好んでビルを建てまくる必要性など無いのだが。

「ここよ」

 シンジが遠くに来たんだなぁ、と感慨に耽っている間に車は展望台の駐車場に到着した。

 星や夜景を眺めに来るにはいい場所なのかもしれないが、夕暮れ時の展望台の柵からの眺めは都市部にポツポツと立つビルがしみじみと哀愁を誘う何とも物悲しい光景である。

「一体何なんですか?」

「ん〜、もうすぐかな」

 何をと聞こうとしたシンジがミサトを振り返るのと、大昔の空襲警報のようなサイレンが街中のスピーカーから流れ始めるのは同時だった。

「なっ、何ですかこの音?」

「街を見て御覧なさい」

 慌てるシンジに、眩しそうに目を細めたミサトが先ほどまでシンジが見ていた方向を指差す。

 その光景はシンジには恐ろしくもあり、幻想的でもあった。

 使徒迎撃の為に作られた、要塞都市。ジオフロントの直上に建築物を作るという事情の為に、民間の所有する建築物は規模の小さい物を除くと殆んど存在しない。その理由が目の前の光景である…などと言う事はもちろん知るはずも無く、シンジはただただ圧倒される。

「凄い、ビルが生えていく」

 街に地下からビルがせり上がってくる。シンジが病院の窓から見上げた時の奇妙な構築物はそれらのビル群だったのだ。

「これが、使徒撃退のために作られた要塞都市、第三新東京市の真の姿よ」

 光景に見入っているシンジの隣にゆっくりと歩いてきたミサトは言った。

「そして、あなたの守った街」

 その言葉に、シンジは輝かせていた目を伏せた。

「僕は、そんなつもりで闘ったんじゃありませんよ」

「それでも事実は事実。あなたは人に褒められる立派な事をしたのよ、胸を張っていいわ」

 まるで母親のような言葉に感動するよりも驚き顔を上げたシンジは、軽く屈み込んだミサトが自分の頭をそっと抱え込ンだのを感じた。頬に暖かい何かが触れる。

「えっ、えっ、ええ〜!」

「な〜にあたふたしてんのよ、軽いスキンシップでしょ!」

 イタズラっぽい笑顔ミサトの笑い声と、あたふたと踊る茹で上がった蛸の盆踊りが暫らく駐車場を賑したのであった。



 なし崩し的にシンジとミサトは正式な書類と住居が決まるまで同居する事に決まり、シンジは持ち込んだ少しの荷物を机などの少しの家具とベッドなどの寝具しかない空き部屋に置き、今はGパンにTシャツと言う格好で眠ろうとしていた。

「なんか、随分変な事になっちゃったな」

(あのペンギン、ペンペンって言ったっけ…)

 とてもいい大人が住んでいる部屋とは思えない散らかり様や、オールレトルトで済ませた食事。お風呂を沸かしてあるというから入ろうとすると、先にあのペンギンが入っていた。

(見られちゃった)

 一人体にかけたタオルケットに潜り込み、自分の失敗を思い出し恥ずかしさに頬を赤く染める。

 しかし、そうやって潜り込んでいると先の戦闘の事が記憶から浮かび上がってくる。

「…使徒、か。」



「使徒、ねえ…」

 ミサトはシンジの部屋に寄った後、チルドレン観察日誌を書きながら思い悩んでいた。シンジが自分と同じ事を呟いているとは知らず、まったく違う想いから同じ言葉を呟く。

「あんなもので、本当に戦っていけるの?」

 とても戦いとはいえない、第三使徒との戦闘の内容を思い返す。





― 時は第一次直上決戦に遡る。 ―


「エヴァ初号機、発進!!」

 カタパルトによって加速された機体がレールの上を走り、使徒の近くに射出された。

 まるで地下の動きが見えていたかのように、使徒はその真正面に向かって移動しているのがモニターに映った位置関係から伺えた。

「まんまと燻り出されたといったところね」

 何故かある程度の距離を保ったまま、使徒はエヴァンゲリオンに何も仕掛けてこない。

「最終安全装置解除!エヴァンゲリオン初号機、リフトオフ!!」

 全ての安全装置を外され、まるで進化途上の類人猿のように初号機は前屈みに体を沈ませる。

「シンジ君、まずは歩く事だけを考えて」

『歩く…』

 リツコの指示を復唱しシンジが呟くと同時に初号機はややオーバーリアクションで一歩踏み出した。

「「おおぉ〜」」

 と、管制室のいたる所から驚きの声が上がる。


「歩く…」

 ググッと持ち上げられるような感覚と共に、エントリープラグ内のモニターに映る映像が使徒に近づく。何かが自分の中に無理やり押し入ろうとするかのような感覚の中、シンジは何とか意識を保持しようと気合を入れて目前に迫る使徒を睨みつけた。


 ニヤリ


 使徒の骨のような材質に見える二つの仮面が人で言うところだとそう表現したくなる表情をしている気がして、シンジはギリリと奥歯を噛合わせた。

「行くぞ」

 シンジが誰かにそう命じるかの様に小さく呟くと同時に初号機はレスリング選手の如く腰を更に低くして使徒に駆け出す。

『シンジ君!まだ駄目よ!!』

「うおぉぉぉぉぉ!!」

 操作レバーを握り込み身を乗り出したシンジが叫ぶと怪しく眼を輝かせた初号機も顎部ジョイントを引き剥がし狼の如く腹の底から湧きあがるような咆哮を上げる。蜥蜴のように低く身を伏せ迫ってくる初号機に対し、使徒――サキエルはまるで目の前に迫るそれが見えていないかのようにゆっくりと槍のように細い腕を突き出し受け止めようと試みる。

「上等だ!」

 突き出された腕の先、サキエルの三本しかない指と初号機の五本の指ががっちりと組み合わさり、神話に語られる神々の戦のような光景に管制室でモニターを観ていた職員は恐怖と畏敬に指が思わず竦み上がるのを必死で押さえた。

 アスファルトが砕け、初号機の足が地面にめり込む。対する使徒は対象的にピクリとも動かず細いと思われた腕が動きを止めた初号機を掴んだまま膨れ上がる。

『いけない、シンジ君離れて!』

「うおぉっ」

 先ほどまでの動作が嘘であったかのように俊敏かつ力強くサキエルは初号機を勢いよく持ち上げたかと思うとそのまま重力を利用して地面に叩きつける。地面が窪むどころではなく落下地点を中心に歪なクレーターができた。アンビリカルケーブルがまるで掃除機から無理やり引っ張ったコードのように宙を舞い、あまりが少し遅れて鞭のように初号機に落ちてくる。

『ダメージ甚大!!胸部装甲に亀裂発生!!』

『パイロットの生命維持に問題発生!!このままでは危険です!!』

『シンジ君!!早く逃げるのよ!!』

「く…あ…」

 全身の骨と言う骨がまるでトラックに衝突したかのような衝撃と共に痛みを伝えてくる。最早悲鳴にしか聞こえない高い声のミサトの命令がコックピットに響く中、使徒は再び初号機を地面へ叩きつける。最早大人と子供の戦闘ですらなく、やんちゃな赤ん坊が人形を振り回していると言う表現様にしか見えない。

 サキエルは再び地面に叩きつけられピクリともしなくなった初号機から手を離すと今度は頭を持ち、ハンガーに掛けた衣類をぶら下げるかのように吊るし上げる。

『逃げなさいシンジ君!!』

「やってるんだよ!!」

 持ち上げられた時に凄まじい力で握り締められた為に殆んど使い物にならない手で使徒の右腕を引き剥がそうとするが、骨が折れてしまっているために掴む事すらできない。そうしてる間にもサキエルの人でいうところの右腕の肘が発光しだす。

「くっそぉおオオオオオ!!」

 ザシュン!!

 初号機の顔面装甲と使徒の手の間から爆発を伴う閃光が走った。

 フィードバックを受けたシンジは衝撃で体を仰け反らせ、最早声を伴わない絶叫と共に痙攣した。


 ザシュン!! ザシュン!! ザシュン!! ザシュン!! ザシュン!!


『もう装甲が持ちません!!』

 そのオペレーターの言葉と共に使徒の右手から突き出た光の槍が初号機の左眼を貫通し頭部を突き抜け、そのままロケットのように射出された槍と初号機は皮肉にも身を隠すべき装甲ビルに張りつけにされた。


ブシュゥゥウ


 槍が抜かれるのと同時に初号機頭部の傷から赤い体液が噴き出す。

『パイロット意識不明!!』

『パルスが逆流していきます!!』

『回線遮断、堰き止めて!!』

『信号拒絶!!制御不能!!』

『エントリープラグ緊急射出!!パイロットを最優先に!!』

『駄目です!!初号機信号を受け付けません!!』

『何ですって!!』



 慌ただしい管制室の声が聞こえる。けれど、そんな事もうどうでもいい。

「僕は、もう十分頑張ったよね」

 本当は、ただ戦いたくないだけだ。虚勢を張っているだけに過ぎない。

「違う」

 レイを守るなんて本とはどうでもいいんじゃないか?

「違う!」

 これだけの事で諦めてか?

「…」

 一人称を変えても、お前は変われないわけだ。

「違う!僕はただ…」

 この、臆病者が。




 管制室では窮地に立たされた人間達が、必死に現状を打破しようと動いていた。

「パイロットの脳波に異常発生!!」

「まさか暴走!?」

「いえ、エヴァからの接触はありません」

「エヴァ再起動します!!」

「一体なんだっていうのよ!!」

 あまりに理解不能な状況の変化に、ミサトは自分の思考がともすれば現実逃避を始めそうになるのを押さえ込んでいた。


 ピクリ


 皆がエヴァに躍起になっていたその瞬間、リツコは確かに使徒がエヴァに反応し、動きを止めたのを感じた。そして後に彼女は使徒が感じた物が何であるのかを理解する事になる。

 それは――悪寒だと。


「くだらない茶番だな」

 皆が自らの足元で騒いでいるのを尻目に、冬月が小さな声でさもつまらなそうに呟く。

「だが、必要な事だ」

 聞きとがめたゲンドウは同じく二人にしかわからない程度のトーンで反論する。

「わざわざエヴァをここまで破壊させてか?一体直すのに幾ら掛かると思っている」

「奴らにこちらのカードを見せる必要はあるまい。それに―」

 ニヤリと、組んだ手の下の頬が暗い笑みに歪んだ。

「どのみちシンジでは奴に勝てんよ」


 ウオォォォォォゥン


 その言葉と時を同じくして、第三新東京市に場違いな獣の咆哮が木霊した。


 そこでミサトの精神は現在に戻る。

「あれで、世界は呆気なく終焉を迎えてしまうと思ったのだけれど…」

 『大丈夫なの!?シンジ君!!』などと思わず指揮官とは思えない言葉を叫んだ自分の声に、咆哮を上げる初号機のパイロットの物とは思えない冷静な声が応えたのが酷く印象に残っている。

『ああ、問題無い』

 あまりにも養父とそっくりな物言いとは裏腹に、初号機は暴走。皮肉にも暴走した初号機は前人未到の機体の自己再生、ATフィールド展開・侵食、そしてなにより使徒の殲滅に成功。回収された機体から降りたパイロットは、自力でエントリープラグから降りたものの、エヴァ初号機の右眼球の再生の様子にショックを受けて失神。そのまま検査の為病院へ――

「納得いかないのよねぇ」

 片手に持ったエビチュの缶を弄びながら、ミサトは考える。

 ゲヒルンでも皆に恐れられている人物の筆頭である所長に反抗した人間が、いくら気色悪くともそのような事で失神とは。まるでコロコロと人格が変わっているようだ。

「大体、ここに来るまでの経歴が一切残っていないってどういう事なのよ。馬鹿にしてるの?」

 シンジのパーソナルデータを見ると、何処に住んでいてどういった交友関係があったのかが恐ろしく真っ白である事がわかる。そのくせ個人の性格などのレポートはきちんと報告書としてまとめてある。

所長は、監督に必要ない物は一切教える気がないようだ。

「ただのパイロットじゃないって言う事?」

 答えを返す者はいないまま、ミサトの夜は更けていく。



『使徒突然の襲来が、予測不可能だったのは認めよう』

『しかし、ゲヒルンとエヴァ、もう少し上手く使えんのかね』

『戦闘で大破した防衛システムの修復と初号機の修理代、下手をすれば国一つが傾くぞ』

『左様、しかも君はエヴァを息子の玩具にしたそうではないか』

『一体どういうつもりだ』

 暗闇の中、ゲンドウと冬月は立体映像とテーブルを囲んでいた。

「これが今の私たちの現状だと言う事ですよ。暴走がなければ貴方方共々、サードインパクトで無に帰るところでした。皆さんはこの危険な状況下で、一体何故施設が完成していないのかお忘れのようだ」

 いつもの姿勢でゲンドウは妖怪達に言葉を斬り返す。

「それに、今は使徒の撃退が最優先事項です。その為には色々と必要な物があるということですよ」

『何が言いたい』

 議長席に座ったバイザーをつけた老人がゲンドウの現地に不穏な空気を感じ取り確信を言うようにせかす。

「アダムと二号機をこちらへ渡してもらいたい」

『何だと!!』

 ドイツ支部の所長が喉も裂けよと咆哮する。

「使徒はアダムを目指し行動する事をお忘れのようだ。今はまだこちらにあるリリスに騙されても、以後もそう上手くいくとは思えません」

『貴様何『ならん』』

 反論しようとしたドイツ支部の所長の発言を無視してバイザーの老人は要望を切り捨てた。

『しかし今のままでは危険なのも事実だ。予算については一考しよう』

 それで最早今ここで言うべき事はないとばかりに他のメンバーを見回し頷く。

 ボウンと低い音を響かせて立体映像が消えていく中、一人残ったバイザーの老人が釘を指す。

『碇、新しい計画を立てる必要は何処にもない』

 ボウンと文字通り最後の人影も消えると、無駄に広い所長室の窓が開いて行き室内に明かりが灯る。

「碇、今二号機を要求した所で彼らが頷く筈はあるまい。何を焦っている」

「急かしただけだ、いずれこちらに来るのなら早い方がいい」

 ゲンドウの言葉に呆れ、冬月は溜め息を吐く。

「何にせよ、使徒はまだまだ残っている。我々には時間がないのだ」

「子供たちにも教えてやればよかろうに」

 ふん、と今度はゲンドウが鼻を鳴らし、席を立つと窓の外が眺められる場所へと移動する。

 彼の眼下には闇に包まれたジオフロントが広がっていた。

「自分達が戦っているのは、セカンドインパクトが生み出した亡霊だと?彼らに人を殺せるだけの覚悟があうはずもない事を忘れたのか?」

「…そうだったな」

 冬月は、本日何度目かの溜め息と共に首を振った。

「人の姿を捨ててまで生にしがみ付く奴らに、未来を渡す訳にはいかんのだ」

 ゲンドウの言葉には、どこかしら苦いものが含まれていた。 





=次回=

 転校、紹介、好奇、後悔

 反撃と言う行動に、罪などありはしない

 犠牲者と加害者、

 反目するしか道はないのか

 そんな中、第四の使徒が襲来し…

 ――かくて運命の扉は開かれる。




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