『神を謳う歌』
第4話−転入−



 住宅街の近くの公園でのこと。

「やあ、随分と久しぶりじゃないですかね?」

 街中で、一人の老人が昔仲間に声をかけられた。言葉通り、老人は声をかけたその人物の姿を見たのはもう何十年も昔のことであるような気がしていた。

「ああ、確かに久しぶりですねえ」

 そう答えながら、老人は彼が何者であったのかを思い出そうとする。

「この街に来てどの位です?」

「なに、ごくごく最近のことですよ。息子がこの街で働くことになって家族共々引っ越したんです」

 そうですか、それはそれはと、彼は朗らかに笑いながら後ろ手に右手で握っていた鉄鎚で老人の頭蓋を陥没させた。





 駅のホームでのこと。

「あなた、…君じゃない?」

 電車を待っていた所、男は見知らぬ人に昔の渾名で呼ばれてたじろいだ。

 振り返ってみるとどこか懐かしい顔のOLが自信なさげな表情でもじもじしている。

「そうですけど、貴女は?」

 男がそう答えると、女は、ああよかったと呟いて幸せそうな笑顔で彼を線路に向けて突き飛ばした。











「その事件を起こした人は彼らは昔、その殺された人達に酷いことをされた被害者だったらしい…とまあここまでは何処にでもありそうな復讐物の都市伝説よ」

「その怪談がどうしたっていうのよ」

 ゲヒルン、ジオフロント内のブリーディングルーム。

 仕事を終えて車に乗り込んだところを連れ戻されて、不機嫌な顔をしたミサトがリツコに毒づいた。

 しかし、リツコはそれを無視して話を続けた。

「今月――正確に言えば第一次直上決戦のあとから怪談そのままの事件が何件か起きているわ」

「え?」

 何の冗談かと眉根を寄せたミサトに資料を渡しながら、

「そして、犯行を終えた犯人はその場で融解。まるでやるたい事を終えたから悔いは無いと言わんばかりにね」

「な、何なのよこれ…」

 受け取った資料に書かれている犯人の融解したと思しき液体の組成は、安物のホラー映画に出てくる極彩色の緑のスライムのようなゲルにしか見えない。エイプリルフールは当の昔に過ぎたし、リツコはこんな笑えないジョークに時間を避けるほど暇じゃない。

「多少劣化していたけど、使徒の体組織とデータがほぼ一致したわ」

「それで私を呼んだ訳」

「ええ」



 まだ戦闘は終わっていないということよ。



 その言葉に、薄ら寒い空気が背筋を駆け上っていくのをミサトは感じた。







 ゲヒルンが忙しく動いている頃、シンジは学校で授業を受けていた。

「…まいったな」

 何かに気が付いたのかパソコンを見て目を細めると、ポツリと呟く。

 どうする?YESと答えると面白い事になりそうだけれど、Noと答えればそれはそれで詰まらないし…と、答えを天秤にかけ悩んでいたシンジは、いずればれるなら、とYESと答えた。

「ええ〜!!」

 漫画の如く教室中に木霊した叫びに、早くもシンジは後悔し始めていた。

(目立たない方が良かったかな…)

しかし、まんざら悪い気分でもない。おどおどしながらも質問攻めにあっているシンジは嬉しそうであった。











「シェルターにいない奴の責任なんてもてるか、当り屋か手前は!」

「なんやとわれぇ!!」

 中学校の放課後。

 シンジは鈴原トウジと名乗る少年に呼び出され、いきなり殴られて喧嘩に突入していた。

 トウジと名乗る少年はシンジがパイロットであることをどこかで知り、妹の仇討ちと言って不意を突かれたシンジをボコボコにしようという算段らしい。

「ふざけんな!!」

 しかし、一見なよなよとしたシンジが意外なほど力強く抵抗してきたのと、トウジ自身喧嘩慣れしている訳ではないことが原因で力が拮抗しているためか酷い長期戦になっていた。どだい中学生同士の体力の差などよほど体格が違ったりしているのでなければそう一方的にはならないものだ。

「先生、こっちです!」

「こらっ!貴様ら何をしとる!!」

 どたばたと人気のない校舎の裏にかけつけた教員によって怒鳴られるまでその些細な意地のぶつかり合いは続いた。



「一言謝ってくれればいいことなんだがねえ…」

「僕は悪くありません。」

 不貞腐れたシンジの顔を見て、体育教諭は心の中で舌打ちした。こんなことがなければ今頃女子バスケット部の指導をしているはずなのだ。いや、それよりも指導をほっぽって第三新東京市以外の場所の就職先を見つける事が今の彼にとって急務なのである。

(戦場の真っ只中でよく意地の張り合いなどできるものだ)

 ひとつため息を吐くと、さっさと終わらせるべく彼はシンジに反省文でも書かせる事にした。というより、本人に反省する意思が無いのならどんな指導や罰を与えたところで意味が無い。第一、今回の喧嘩の理由はかなり特殊なケースで、自分にはどう扱っていいかわからなかった。





「で、このクソ忙しいときに私に連絡をしてきたのよ」

「パイロットの保護はあなたが言い出したことよ、自業自得ね」

 管制室は、いまや臨戦体制に入っていた。

「まあ、シンジ君とレイの二人は後方処理課に身辺をがっちりとガードしてもらっているから心配は無いと思うけど…相手は使徒だから何が起こるかわからないわ。かえってジオフロントの中にいてくれた方がいいわよ。」

「ここも、安全かどうかなんてわからないわよ」

 二人が部下に指示を出しながら見つめるモニターには、微弱なATフィールド反応がまるで蕁麻疹のように現れた第三新東京市の戦場が映っていた。

「もしこの一つ一つがあれと同じ戦闘能力を有しているというのなら、いざという時は…わかっているわね?」

 日向マコトの肩をポンッと叩くミサト。

「はい。しかしそうならない事を祈りますよ」

「何かいい作戦があるの?」

「…わかっているんでしょ?」

 ミサトの答えに、リツコは溜息を一つ。

(拘り過ぎね、ミサト)

「街を巻き込んで自爆しても、次の使徒が楽々サードインパクトを起こしてしまうだけなのに…」

 呟いた言葉は確かに聞こえているはずだが、ミサトはそれを聞こえなかったかのように振る舞い指揮をとっていた。





「使徒?この人達が?」

 作戦司令室。

 召集を受けこれ幸いと教職員の説教を抜け出したシンジは、使徒の姿に眉を顰めた。

 モニターに映し出されているのは、どれもごく普通の人間にしか見えない。

「彼らは体から微弱ながらATフィールド反応を示しているのよ。何より、彼らはすでに死んだとされている人達なのよ」

「そんな…何処からどう見ても生きてるじゃないですか!!」

「そう思って、警備の人に職務質問してもらったのよ。」

 次、出して、というミサトの言葉に、オペレータの日向が頷き、パネルにそれが表示された。

「何だよ、これ…」

 警備部の男に詰め寄られた女性は、質問にまるでいやいやと首を振りながら数歩後へ下がると一瞬で緑の液体となって溶け崩れた。慌てて後退する警備部の男がどこか滑稽でまるでB級ホラーのようだが、真剣な顔のミサトたちゲヒルンスタッフの表情が現実だといっている。

「あの液体が先の戦闘で倒した使徒の体組織と確認されている他は、行動原理も目的も一切不明。今、ゲヒルンの戦闘可能な職員が総出で対象を狩りだしているわ。」

「普通の武器で、殺せるんですか?」

「使徒は、もう死んでいるわ」

 ミサトの説明を引き継ぎ、これは根拠のない仮説だけれども、という前置きの後リツコが話し出した。

「今までの彼らの行動を見ると、模倣している人間の何らかの欲求を叶えようとしているみたいに思えるわ」

「欲求?」

「好きな人に告白する、憎んでいる人間を殺害する、観たい映画を見る、着てみたかった服を着る……恐らくそういった心残りみたいなものを昇華するために動いているのよ。末期の願いを叶えてあげる、天使様ってところね」

「普通、人を殺すなんて物騒な願いを叶えるのは悪魔と相場が決まっているんだけどね」

「そう、じゃあ趣旨換えして悪魔になったのかもね?」

 ミサトの言葉にリツコが肩をすくめる。しかし、その言葉にシンジは密かに舌打ちしていた。

(まるでわかっていない…)

「さしあたってシンジ君には、事が終わるまでジオフロントに避難していて欲しいの。万が一襲われたりしたら危険だわ」

「殺されるような恨みを買った覚えはないですけど…わかりました」

 そう答えたシンジの顔はにこやかであったが、目は笑っていないことにミサトは気付かなかった。





「どうした」

 執務室で書類を片付けていたゲンドウの元に、一つの報告が告げられたのはシンジが作戦司令室を出てすぐであった。

「わかった、構わん、好きにさせておけ」

「どうした」

 同じく報告書に目を通していた冬月に、ゲンドウはただ一言、

「奴が動く」

 とだけ告げた。





「おい、あれ転校生じゃないか?」

「なんやと?」 

 こってり絞られたトウジに付き合い、街へ繰り出していたケンスケは騒ぎの元となった(と彼は認識している)シンジの姿を見つけて驚いた。

「確かあいつ保護者に連れて帰られたはずなのに」

「見間違いやあらへんか?どこにもそれらしい奴は俺へんぞ」

「確かに見たと思ったんだけど…」

「あないな奴どうでもええわい!けったクソ悪い、ゲーセンで憂さ晴らしじゃ!」

 一人でずんずんと歩き始めたトウジを尻目に、ケンスケは首をかしげていた。

「まあ、転校生はあんな髪の色してなかったしな」

『おーい、おいてくでぇ!!』

 恥ずかしげもなく街中で大声を出すトウジに苦笑しながら、ケンスケは見間違いだと自分に言い聞かせた。

 その少年は、白髪であった。

 その少年は、学生服を着ていた。

 その少年は、シンジと同じ顔をしていた。

「…来るか、同朋よ」

 左目をつぶり、少年が東の空を見上げながら呟くのと同時に街に避難警報が発令され、第四の使徒が襲来した。







=次回=



 変化、出撃、戦闘、勝利



 解放される力、泣き叫ぶ愚者



 守るために戦うのか、



 戦うために生きるのか、



 苦悩するものを尻目に事態は進んでいき…

 



 ――かくて運命の扉は開かれる。



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