ぽこっ…
誰が聞いても、当りの悪い音が響く。力なく舞い上がった打球は、そのまま野手のグラブに収まった。
二死満塁で向かえた9回の攻撃はこれで終了。当然、試合も終了。
「あー」
ベンチから響く落胆の呟き。例え悪意はなくとも、その声は当事者の心を抉る。
(ちっ)
自分はこれで何度チームの好機を生かせなかったか……。打席の中で、長見はそれを数えることさえ億劫だった。
「彼は、いいものを持っているよ」
城南第二大学・軟式野球部・監督兼顧問の佐倉玲子の研究室にて、今日行われた練習試合の結果を色々論じ合っている中、直樹はこんなことを言った。
「でもあいつ、ヒット打ってないし、今日なんてさ……」
タイムリーエラーという、ありがたくないおまけつきである。
「あのエラーは仕方がないと思うよ。確かに捕れると思って前に出すぎたのは判断ミスかもしれないけれど、その姿勢は評価していい」
これは、亮の言葉だ。
「………」
しかし、晶は納得いかない表情である。なにしろ練習試合とはいえ、最近は勝ちきれない試合が多いからだ。その相手が、同じ1部リーグに所属しているということもあり、来季の前哨戦という意味合いも強く、その試合に勝てないことが晶としては面白くない。
対戦のスコアだけ見れば、3−2・2−0・1−1・2−2と、点は取られていない。手の内を見せないと言うこともあり、ストレートの速度はレベル1で抑えているから、さしもの晶もヒットは打たれている。それでも余分な得点を許さないのは、亮のリードと高い守備力がなせることだ。
しかし、点も取れてはいない。その原因は、クリーンアップを打つ亮や直樹がチャンスメイクの立場に回っているからだ。たとえ二人が出塁しても、打撃の弱い下位打線で流れは止まり、その悪い循環が得点力不足という今の事態を生んでいた。
1,2番の出塁率も、良くはない。
「斉木は、タイプ的に2番ですからね……」
彼は確かに器用な選手だが、足は速くない。やはりトップバッターは、俊足であることが好ましいところだ。
「ほんとうは、俺が1番を打つのがいいんだろうが」
直樹も、どちらかといえばアベレージヒッターであり、それなりに脚も速いから、1番打者としての適正が高い。だがそうなるとクリーンアップに穴ができてしまう。かといって、空いた4番に亮を据えても、穴ができるのは同じことだ。
「だから、あたしがクリーンアップ打つって言ってるのに……」
確かに晶の打撃力は二人に次ぐ。しかし、チームで唯一の投手である晶に負担をかけたくはないので、9番に固定しておきたいのが直樹と亮の総意であった。
「れい……監督は、なにか考えあります?」
直樹が思わず、亮や晶がいるにもかかわらずいつものように玲子を名前で呼ぼうとし、慌ててそれを修正しながら彼女に問いかけた。
「そうねえ…」
唇に指を添えて、少し考えこむ玲子。そして何かを思いついたのか、端末を打ち込んで空欄になっている1番の枠に“長見栄輔”の名を記入した。
「え、えぇ〜!」
これは晶の叫び。
「か、監督……」
さしもの直樹も、言葉を無くしている。
「あら、1番って、足が速いほうがいいんじゃないの?」
そして、チーム1の俊足は長見であった。彼の8割のベースランニングでさえ、部員たちは誰も敵わないほどに、その足は速い。
「でも、出塁するのが第一です」
一方で、彼のアウトはそのほとんどがフライによるものだった。故に、その脚力を生かせないでいる。
「彼の俊足は、才能よ。打つことなら、努力でなんとかなるんじゃないの?」
「……努力、ねえ」
諦めのため息を晶から発せられた。なぜなら、長見の野球に対する姿勢から、努力と言う言葉はどう考えても引き出せそうになかったからだ。
「俺が、何とかしようか?」
亮が言う。しかし、晶は、
「亮じゃ、なおさら言うこと聞かないと思う」
そう言って首を振った。
「そうか……」
「それじゃ、近藤は?」
「既に諦めました」
高校時代のときに、と付けくわえる晶。なにしろ人の指導を聞こうとしないらしいのだ。
練習嫌いとかそういうのではないのだが、指図されるのを好まないらしい。何か自分の限界を超えて頑張ると言うのも、自分のポリシーに反しているのだろう。
「頑張るのが、カッコ悪いと思ってるんだから……」
全てはそこに行き着く。
「1番もそうですけど、もう1枚大砲が欲しいですよね」
「あら、控え投手も必要よ」
やはり、10人と言うのは戦力として何とも少ない。
「前途、多難よねえ……」
入れ替え戦のときはかなりいけると思ったのだが、やはり事はそう甘くはないようである。
「そうだよなあ。勝とうと思えば、足りないものばっかりさ」
帰り道の途中、亮と晶はなおも野球談義に花を咲かせていた。
「トーナメントみたいに一発勝負とは違うから、戦力の差っていうのがまともに出て来るんだ。何試合もするわけだから、その時々で調子の差があったり、怪我をしたりする人もいるから」
「ふ〜ん」
高校野球のときも、賭け野球のときも一戦一戦に全力を傾ければよかったわけで、どうもリーグ戦というものにピントの合いづらい晶であった。
―――少し、説明が必要だと思う。
城南第二大学・軟式野球部が所属している“隼リーグ”は、6チームの総当たりで試合が行われる。9回完全決着、その内容如何に関わらず勝利したチームには勝ち点が3、引き分けの場合は1が与えられる。そして、その合計点が最も多いチームが、優勝と言うことになるのだ。
それが前後期に分けて行われるのだから、総合の試合数は10になる。ちなみに5,6月に前期日程を、9,10月に後期日程が行われる。
一応、前期・後期の優勝チームは別々に表彰されるが、総合優勝は全試合の勝ち点によって換算されるので、トータルで戦果と戦況を見なければならない。
「だから、それなりの戦術眼も必要になって来るんだ」
「ややこしいわね……」
「まあ、ひとつひとつ勝っていかなきゃいけないのは、同じことだけどな」
「それもそうね」
話がまとまりを見せた頃、亮の部屋に二人は着いた。亮は胸ポケットから鍵を取り出し、ドアを開け、晶を中に迎え入れる。
「あ、亮。シャワー先に使ってもいい?」
「いいよ」
「それと、お肉、冷蔵庫に入れておいてね」
「おう」
晶は、随分と慣れたような感じである。それもそのはずで、二人の心と体が繋がったあの日以来、晶はこの部屋に通い詰めだったからだ。
人間の適応能力は優れたもので、最初は何かと照れて余所余所しかった亮も、今では晶のいる風景にすっかり慣れてしまっている。
といって、爛れた生活を送っているわけではない。むしろ、亮らしい規律正しさで二人は絆を深め合っていた。
まず、試合のある3日前は晶には実家に帰ってもらっている。当然、その間のHは禁止。それがリーグの結果に反映しない練習試合のことであっても、亮は遵守している。
「………」
しかし、練習試合が終わった今日は、“解禁日”といってよい日だから、背後で聞こえるシャワーの音に反応してしまうのは、男として仕方の無いことであろう。
「りょーう」
がちゃ、と扉が開き、晶が顔をのぞかせた。
「な、なに?」
その額に張りつく、濡れた前髪がとっても艶めかしい。
「タオル、忘れちゃった」
「あー、不注意だな」
「だって、早くスッキリしたかったんだもん。ごめん、バックの中にあるから」
取って欲しいというのだろう。
「いいのか?」
バックは個人情報の固まりである。それも、女子にとっては尚更のこと。
「亮だもん」
それが、晶の答えだった。
(信頼してくれるのは、嬉しいけど……)
亮は晶のバックのジッパーに、恐る恐る手を駆ける。本人の許しを得ているのだ。なにを後ろめたいことなどあろうか。
じじじ……と、事の外ゆっくりとジッパーをずらした。
「!?」
そしてその動きが止まった。“生理用品”と記されたパッケージが、真っ先に目に入ってきたからだ。
(こういうのは、奥にしまおうね………)
少しだけあきれ、その下にあるタオルを丁寧に取り出して…、
「ありがと♪」
晶に、手渡した。
「………」
いまだに収まらない胸の動悸は、これからのことに対する期待である。そのあたりを、同じ男として責めることはできそうにない。
「りょーう♪」
「おわ!?」
夕食を終え、何をするでもなく時間を過ごしていた亮の背中に、晶が抱きついてきた。
「うふふ……」
柔らかいものが、ふにふにと押し付けられてくる。それは、晶が触れ合いを求めてくる合図である。
「なによ、そんなに驚いちゃって」
もうちょっと嬉しがってくれてもいいんじゃない? それは晶の声無き、軽い非難。
「テ、テレビに集中してたから」
見れば、ニュース番組のスポーツコーナーを中継しているところであった。
「もう11月よ。野球なんて、シーズン外れもいいとこじゃない」
「ストーブリーグ」
そう言うと亮は再びテレビに集中しだした。その中では、各チームの選手の移籍や、年棒更改の情報など、およそ試合とは関係の無いことが報道されている。見る者にとっては、全くわからないであろう情報を羅列するテレビ画面を、亮はかじりつくように見据えていた。
晶は、小さく息を吐く。
(ほんと、好きよねえ……)
こうなると、どんなに誘惑しても乗ってこないのが亮だ。晶としては中継の終了を待たざるを得ない。
幸いに、それは10分と経たずに終了した。晶にとっては、好都合である。もう、亮に触れたくて触れたくてたまらないのだ。これ以上の猶予は、とても我慢ができない。
亮がため息をついてリモコンを操作しようとする。晶は、その動きをそっと封じ、亮の首に柔らかく両腕を絡み付けた。
「もう、いいでしょ?」
その熱い吐息が亮の耳をくすぐる。
「久しぶりなんだから……ね……お願い……」
「む、むむ……」
晶の動悸が背中にあたり、晶の熱気が耳にかかり、いくら朴念仁の亮でも身体に熱いものがこみ上げてくる。
「晶………」
亮は顔を後ろに向けて、晶の潤む唇を、柔らかく塞いだ。
「ン………ん………」
唇同士でついばみあう。お互いの柔らかい場所をかみ合って、想いを流し込んでゆく。
「ふ、む……ん……んむ……」
例え唇だけの接触とはいえ、身体にこもっていく熱は大きい。恋しくて、愛しくて、触れたくて触れたくてたまらなかった感触を、心ゆくまで味わいたかった。
亮が体勢を入れかえ、晶と対面になる。そして、小柄で熱く火照っているその頬を両手に包むと、また、唇を重ね合わせた。
「………ん……」
今度は唇だけではなく、舌が入ってきた。ようやくその気になり始めた亮の熱情を逃すまいと、自らもそれを絡ませて、より熱く、より深く絆を確かめ合う。
「は……ん、ん……ちゅ……ん……」
空気を、唾液を、情愛を…全てを相手に注ぎ込んで、熱く熱く熱く、高まってゆく。
自分の頬に当てられた亮の手の甲に自分の手を重ね、すこしだけ握り締める。そして、その手を頬から離して、胸の膨らみに押し当てさせた。
「…………ん、んく」
晶の催促に亮が応え、手に当てられた膨らみがふにふにと愛撫をされ始めた。シャワーを浴びたばかりなので、晶は胸の下着を着けていない。シャツ一枚の薄生地が包む膨らみは、その柔らかさをダイレクトに亮に伝えているだろう。
「……っ……ん……っ」
唇は離さずに、愛撫を強める亮の指。そこから湧き上がる甘い痺れが全身を走る。
「…………」
ふに、ふに、ふに…
亮の愛撫が続く。時折ぴくりとする晶の身体は、快楽の度合いを深めている証。
「………はぁ」
ようやく離れた唇から、艶めいたため息が漏れた。
「わ」
亮が晶の身体を抱きかかえ、ベッドに静かに横たえる。ふるり、と晶の胸が小さく揺れた。
「晶……」
「ん……」
亮の問いかけに晶が頷く。亮は、シャツの裾に手を書け、ゆっくりと押し上げた。途中、ふくらみの部分が邪魔をしたが、それは物理的な抵抗に過ぎない。少しだけシャツを持ち上げ、上に上にとずらしていく。
「お」
ぷるん…
と、薄桃色の頂で縛られた肌色の風船が揺れた。
「………えっち」
胸が揺れる様を見られて、さすがに恥ずかしくなったか晶がむくれる。しかしそれは、照れ隠し以外の、ナニモノでもない。
真っ赤な顔で、せつなそうな声でそう言われると、こっちがたまらなくなってしまう。
「あっ」
そんな亮の意思を受けた指が、直接胸を揉む運動を開始した。
「あっ、あくっ………ん、んあっ………いい……いいよ、亮……」
布地が一枚無いだけで、こんなにも違うのだろうか。亮の指から直接伝わってくる熱気が、全て甘い痺れとなって身体を駆け巡る。膨らみから立ち上る刺激が頂点に集まって、その先端が硬さを帯びてきた。
「あ、あう………くふ………ね、ねえ………」
亮がふくらみの部分ばかりを愛するので、屹立を始めた乳首にも何らかの刺激を晶は欲したが、さすがに恥ずかしくて口にはできない。
「………」
ぱくりっ…
「あ、あぅん!!」
しかし、亮には分かったようだ。いきなり先端を咥えられたのは、予想外のことだったが。
「あっ、あっ、んっ、んっ、く、くん……」
柔らかいものが、乳輪の部分から先端に至る箇所まで下から上から左右から、時には押し付けるようにして動いている。その度に玉虫色の快楽がこみ上げてきて、晶の声帯を震わせて甘い声をあげさせた。
ぐにゅり…
「くっ、あ!」
ちょっと、きつめに胸を揉まれた。愉悦が一瞬はじけて、その後にじわじわと体中に滲んでくる。
「あっ、うぅ、んっ、んん……く、あふ!」
その滲みが消え去らないうちに、亮の舌が突端を弄び、指がふくらみをこね回す。時に強く、時に微弱な力加減で、晶を悦ばせる。その導き方、野球のときと全く同じ。
「あ、ああ……う……ん……い、いい………」
亮のリードにすっかり翻弄され、脳内が快楽に霞み始める。
「あ」
その快楽が、内股の奥に潜む部分にも降りてきた。まだうっすらとした温みがあっただけのその部分が、少しずつ湿り気を帯びてきているのがわかった。
シャワーで丹念に洗った箇所なのに、自分の中からでてくる水気で、替えたばかりのショーツを濡らしてゆく。
「ん……」
それでつい、太股をもじもじとしてしまった。
「………」
捕手と言うポジションの特性上、観察眼に優れた亮が、その動きを見過ごすはずは無い。
左手を、す…と、晶の下腹部へずらし、ショーツの中へ潜り込ませた。
「あっ!」
そして、柔らかい溝の部分に中指を這わせ、浅く梳るように動かす。
「あっ、あっ、あっ」
いきなり直に触られるとは思わなかったのだろう。晶が戸惑いを込めた声をあげる。しかしその声には、明らかに悦びの色も含まれていた。
意を得た亮の指が激しく秘裂をなぶる。じわじわと溢れ出す蜜をすくいとり、それを活用してさらに淫裂をかき混ぜる。
「あ、あふ!……ん、んん!!」
その指使いに、堪らず晶の腰が高く浮き上がった。
(や、やだ! これじゃ―――)
亮に、催促をしているように見えてしまう。しかし自分の意思とは裏腹に、腰はひくひくと震え、晶の本能を反映した動きをする。
「や……りょ……あ、ああん!!」
指が、中に入ってきた。そして、かきまわすように回転し、晶の柔らかい膣口を丹念に揉み解す。
「あ、あく………あん!!」
腰がびくりと波打ち、じゅ、と愛蜜が溢れ出した。それが亮の指に絡まり、滴るようにしてショーツにも滲んでいくのが、よくわかってしまう。
(は、はずかしい!)
けど、きもちいい。それが、偽らざる晶の思いだ。
「あ、あ――――!」
膣口がさらに広がった。亮が、中指だけだ無く人差し指もその中へ挿入したのだ。それが鈎爪のように膣口付近の内壁を抉り、晶の性感帯を責めさいなむ。
「あぅ、あっ、ああっ、はふ………」
(すごいな…)
かすれたように官能を振りまく晶の声。普段の勝気な晶からは想像もつかないその声に、亮の頭はくらくらしそうだった。
「………?」
ふと、亮は中指の先に豆粒ほどの固い部分を探り当てた。さっきまでは柔らかい内壁に過ぎなかったはずの一部分に、確かなしこりが感じられる。
(あ、まさか……)
亮は、思い当たる。これは、ひょっとして…。
「ん、んあぁぁっっ!!」
その部分を小刻みな円運動で責めると、案の定、晶はこれまで以上の反応を見せて喘いだ。浮き上がっていた腰が、さらに天井に向かって跳ねる。
「な、なに、これ? ……あ、あ、あ、あ!!」
晶も、強烈に湧き上がる悦楽に戸惑っているようだ。びくりびくりと細かな律動を繰り返す内股が、何ともいやらしい。
「………」
亮は確信した。いま、自分が指を当てた場所は、晶のGスポットなのだと。女性の快楽がある段階を越えたとき、膣口付近に姿を現すという快楽神経の集合体。
「あ、あん! そ、そこ、ダメ!!」
刺激の強すぎる愉悦に、晶が大きく身をよじる。しかし亮は、指で見つけた未知の感覚の虜となり、しきりにそこを責めてきた。
じゅぷ、じゅっ、じゅっ、じゅっ…
奥から溢れてくる、晶の淫液。それは彼女の興奮を溶かしたものか、とても熱い。
「あ! りょ……ダメ! りょう!!」
晶の身体が、震え出した。
「………! や、やだ!」
と、思ったら不意に硬直した。
「な、なんか………あ、あ……これ……あっ!」
じわじわした悪寒が、股間に集中していく。それは、何かに似た感触。
「あ、りょ、あ………くっ!」
しかし、それを思い出す間もなく、全身を愉悦が覆い尽くし…
「――――っ!!」
そして、弾けた。
「………あ、ダメ、でる!」
エクスタシーを迎えたことで硬直した四肢は、膣口も締め付ける。しかし、その締りに相反するように、何かが晶の奥から迸った。
ぴっ、ぴっ、ぴっ…
「ああ……いや……いや……」
晶が、羞恥に顔を覆う。さっき感じた悪寒はまさに尿意を催したときのもの。だから、今体から溢れてしまったものは、間違いなく自分の排泄液で、それを亮の指にかけてしまったと思った。
「………」
「ご、ごめん、亮……」
亮も、断続的に指に降りかかる熱いものは、晶の粗相だと思ったのだが、どうも様子が違う。
その真偽を確かめようとショーツから手を抜いた。
「や、やだ! 見ないで……」
きらきらと光るその手に、晶の羞恥は一層高まる。
「晶、これ違うよ」
自分の手にまとわりつく液体は、透き通った濁りのない輝きを放っていた。
「……え?」
「多分、潮…じゃないか?」
少し口ごもったのは、恥ずかしかったからだ。
「………」
「………」
「……はぁ」
晶が、安心したようにため息をつく。冷静に考えてみれば、粗相をしたのならもう少し大量に液体が漏れ出ているところだったろう。ショーツだけでなく、ベットのシーツにも壮大な絵を書いてしまうぐらいに。
「……感じすぎちゃったのかな」
潮を吹くのは、初めての経験だ。
「悪い。ちょっと……やりすぎだったかも、な」
いささか調子に乗りすぎたところも自覚しているので、思わず謝罪が口をついた。
しかし晶は優しく微笑むと、身を起こして軽いキスを送る。
「晶?」
「気にしないでいいのに」
「でもな」
晶に不快な想いをさせたのではないか? 亮の沈黙には、そんなニュアンスが込められている。
「気持ちよかったから」
“いいの”と、言うかわりにキスをもう一度。そして、潤んだ瞳で亮を見つめる。
「ね……欲しい……」
「ああ」
その気持ちに応えようと、今度は亮の方から優しく晶の唇を塞いだ。
「あっ! あぁん! んっ! んっ! あ、あああっ!」
亮の腰の上で、晶が跳ねる。自らの手で、自らのふくらみを揉みしだき、そして自らの屈伸運動で、快楽を貪っている。
「あ、いい! いいのぉ!!」
晶の奏でるリズムに合わせて、亮もまた己が肉剣を突き上げる。
「………」
ぐちゃ!
「ん、んあああ!」
そのリズムが同調し、お互いの秘部が激しい音を立てて密着した。
「りょう……いいよ……きもち、いい……」
跳ねるたびに散らばる晶の長い髪が、胸元をくすぐる。浮かぶ汗が輝きを放ち、紅く火照る晶の全身を包み込んでいる。
「あ、あ、あ、あぁ!」
その魅惑的な肢体を前にしていては、さしもの亮も平穏ではいられない。晶の胸に手を伸ばし、突き上げるリズムと同じ間隔でその膨らみを揉みこんだ。
「あ、あう!……いいの、いい………あっ、あっ、あぅ!!」
喉を震わせ、背を反らせ、繋がった部分から沸き起こる甘美な痺れに悶えていた。
「ん、ん! んは! あはぁ! あん! あん!!」
腰を自ら激しく上下し、舞うように亮の上で跳ねる。そのたびに飛び散る汗と愛蜜が光に映えて、淫靡なことこの上ない。
「あっ……」
不意に、乱舞を思わせる晶の動きが止まった。亮を咥えている部分が、びく、びくと陸に打ち上げられた魚類よろしく、痙攣し始める。
「あ、あ……や、やだ……」
晶の四肢が徐々に強張りを見せた。
「あ、ちょ………あ、あ、く……く……」
顔をしかめ、唇を固く結び、なにか、身体の奥からせりあがってくるものを、封じ込めようとして抗っているようにも映る。
「や、やだ……イク……イっちゃいそうッ……」
ひくひくと小刻みな収縮を繰り返す膣内。それは、晶が性的限界を垣間見た証であった。
「……イっちゃう……いや……ま、まだ………あ、あ、あ……」
身体は限界を迎えそうなのに、晶は必死にそれを先延ばしにしていた。
「まだ……まだ、亮と……」
“爛れるように繋がっていたいのに” 思いのほか早く訪れた絶頂の兆しを、恨めしくさえ思う。
「いや……いや……んは……く……んぅ……」
がくがく、と大きく痙攣する内股。晶の意思を反映しないその動き。ほんとうに、限界のようだ。
(晶……)
だから亮は、その引導は自分が渡すことにした。これ以上、気持ちいいはずのことで苦しむ晶を見るのは忍びない。
その微弱な震えを繰り返す細い腰に、そっと手を添えた。
「いいよ、晶」
腰を、す…と沈めて、晶の中にいた自分の分身を入り口付近まで引き戻す。
「りょ、りょう……ま、まって……」
その動きを追いかけようとして、晶が密着の浅くなった腰を押し付けようとした瞬間だった。
―――ぐちゃ!!
「っは! あ、ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
亮が猛然と腰を振りたててきた。下ろそうとした腰が、まともにその動きを受けることになってしまい、文字通り宙空に跳ね飛ばされる。亮はそれを追うように、ベッドのスプリングを利用してより大きなグラインドで晶を攻め立てた。
「あ、ああ! ちょ、や、だめ! ほ、ホントにダメなのに!」
ぐちゅ! ぐっちゃ! ぐっちゃ! ぐっちゃ!
「あっ、あっ、あっ!! ダメ! ダメ!! ダメぇ!!!」
亮の激しい責め苦に翻弄されるように、晶は大きく仰け反った。
「亮、ダメ! い、イク!」
「いいんだよ、晶。我慢しないで、いいから……」
さらに激しく腰を打つ。そのあまりの激しさに、繋がった部分にまとわりついている粘液が、びちゃびちゃと四方八方に散華した。
「そ、そんなの!………あ、ああ! イ、イクっ! イッちゃう!!」
「………」
ぐちゃぐちゃぐちゃ!!
「あ、あ、あ、あ………イク………イク!…………イク!! ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――っっっっ!!!」
これまで必死に抑圧してきたものが、晶の口から迸り出た。それを皮切りに、全身を覆う強烈な官能の爆発。
「―――――くぅっ!」
それをダイレクトに伝える晶の膣内がぎゅうぎゅうと唸る。スキンを通しながらも、そのうねりが生む絶妙な刺激に耐えかねて、亮は堪えることもできず己が欲望を解き放つ。凄まじいまでの放出感に、気が飛んでしまいそうだ。
「〜〜〜っっっっ!!」
身体が石になってしまったかのように、大きく仰け反ったまま震える晶。固く結ばれ、ぶるぶるとわななく両手に、彼女の中でせめぎあっているものの激しさを知る。
「――――っは! あ、はあ、はあ、はあ……」
そんな緊張の解けた晶が、どう、と亮の胸板に身体を預けてきた。時折思い出したように内股が痙攣するのは、絶頂の名残りがさせることだろう。
「はあ、はあ、はあ、はあ―――ん、んぐ……」
自らの息を飲み、体中を駆け巡る官能をやり過ごす。
「だ、大丈夫か?」
あまりにも刺激が強すぎたのか。晶の荒い息づかいに、亮は少し不安になる。
「はあ、はあ、はあ――――ふぅ……」
静かに見守っていた晶の呼吸が、平静を取り戻すまでにはしばらくの時間を要した。
「……もうッ」
亮の胸の上で、顔を起こした晶は少し怒ったように頬を膨らます。
「亮のいじわる……まだ、イキたくなかったのに……」
「う、そうか」
しかし、“すまない”といいかけた言葉は晶の唇によって塞がれた。短い接触の後、離れた晶の顔には優しい笑みがある。
「……ありがと」
その謝辞がどこから出るものか。亮には掴みかねたが、晶が笑っているのでよしとしておいた。
「なんか、すっごい乱れちゃった」
「そうだな」
それは亮とて同じこと。あんなに身体から搾り取られ、溢れ出てくるような射精は経験がないことだった。
「3日間、したくてしたくて、たまらなかった……」
「………」
えらく、直接的なことを言う。
「だって、亮、キスも許してくれないんだもん……」
そう言って、晶はまた膨れ顔。まるで小動物のようで、愛くるしい。
「す、すまないな」
触れ合えないことを、言葉にはせず態度に出さず、しかし、晶は寂しい想いをしていたのかもしれない。そう思うと、自分で言い出したことが、男の勝手なわがままに思えてしまう。
そんな考えが顔に出たか、晶はす、と顔を寄せ、軽く唇に触れてきた。
「晶?」
「あたし、野球も好きだし、亮も好き。……欲張りだけど、どっちでも満足したい。だから、けじめはつけないとダメだって、わかってる」
そしてまた、にこ、と笑う。今日の彼女は、とても表情が豊かだと思う。そして、とてもいとおしい。
「あ」
だから、彼女の身体をそっと両腕で包み込んだ。
「わがまま言ってるのは、俺のほうなんだよ。それなのに……ありがとう」
「亮……」
触れ合う部分から伝わる優しさが暖かい。その温もりに、晶は泣いてしまいそうになる。とても、幸せだから…。
賭け野球に興じていたときには絶対に得ることのできなかった、満たされた思い。そんなさくばくとした世界から、必死に手を伸ばして救い出してくれた亮の暖かさを、手放すようなことはしたくない
だから強く、晶は彼の身体を抱きしめていた。
「………」
「………」
お互いの鼓動を、息づかいを感じるられるように。
静かに、ただ静かに―――――ふたりはひとつになっていた。
ぽこ…
鈍い音の後に舞い上がる、力の無い軟式ボール。それは、投手の映像を映し出す場所にさえ届かずに、ぼとりと落ちる。
「ちっ」
長見は手応えからして想像通りの打球に舌打ちをした。これでは、今日の練習試合の最終打席そのままではないか。
所定の25球という球数のうち、半数以上が先ほどのようなポップフライ。そして、空振り。背伸びして130キロのブースに入っているということもあろうが。
(それにしたってなあ……)
ひとつぐらいはいい当りがあってもいいだろうに。心底、面白くない。
びゅん!
と、空気を軽くなでる音がした。映像の中の投手が腕を振っている。その手元にある四角いスペースから、白球が飛び出していた。
「あ、やべ」
まだ投球数が残っていたらしい。慌てて長見は振る。しかし、集中力を欠いたそのスイングが球を捕らえることなどできるはずも無く、虚しく空気を切るだけだった。
映像の投手が消えた。これで、間違いなく終わりらしい。
「……こんなもんかよ」
バットを所定の場所に置き、長見はブースを出る。自販機でスポーツ飲料を買い、近場の椅子に腰掛けてそれを呷るように飲む。過分なまでに糖分が含まれているはずなのに、苦い。
「………」
浮かんでくるのは、マウンドで寄り合う晶と亮の姿。相手を三振に取るたびに、はじけるような笑顔で亮と視線を交わす晶。彼女の生き生きとした表情は、駆け野球の中では決して見られなかったものだ。
「……ま、俺は別に」
晶とは小学校からの腐れ縁だっただけ―――。そもそも、晶が自分のことを特別視しているはずもないから、そんな想いを抱くだけ虚しいことだと随分前からわかっている。
しかし、複雑な感情と言うものは、どうにも彼を楽にはしてくれない。
あの時…今は最後となった賭け野球のときも、晶の危機を救うことができなかった。相手の姦計に嵌り、ひとり河川敷のグラウンドを離れてしまったのも迂闊だったが、それと気づいて必死に探したその晶が、穏やかではない雰囲気で亮に抱えられ、公園を去っていくところを見つけたときは、さすがに自分の不甲斐なさを情けなく感じたものだ。
その想いがもう一度、真剣に野球をしてみようかというかすかな意欲につながり、晶を追うようにして軟式野球部に入部したのだ。が、やはり事はうまく運ばない。
「………」
亮の映像が、峻烈な輝きを帯びて脳裏をよぎる。
賭け野球のときの4打席連続本塁打。入れ替え戦のときの場外本塁打。そして、練習試合を重ねるにつれて見えてくるその堅守・強肩。晶が惹かれ、皆が頼るのも当然だと思う。
「あー、ちきしょうめ!」
長見は空になったカップを無造作にゴミ箱に投げ捨てると、再び130キロのブースへ向かった。
「ん?」
誰もいないだろうと思い込んでいたその場所に、先客がいた。ちょうど、ブースに入ったばかりだったから、長見はその後ろ姿を見ている。
「……女、か?」
キャップを被っているが、背中の半ばまで届く髪にそう思う。色を抜いているのか、金色に見えるそれは、ウェーブもかかっていた。
「……でかいな」
打席で構えを取る彼女は、ひょっとしたら180は越えているかもしれない。身長・164センチの長見は、羨望の眼差しで何度も背の高い連中を見てきたから、そこらへんの目算は得意になってしまっている。
「………」
ついでに言えば、バストとヒップもでかい。
(あの胸で、バット振れるのか?)
と、いいながらも、その部分に釘付けになっているのは、彼も健康な成人男子ということだ。
映像の投手が振りかぶる。ヒップを小刻みに揺らし、球が来るのを娘は待つ。
そして、白い軟式ボールが放たれた。
ビシッ!
「お」
ボールを強く叩く音が響く。打球は、見事な勢いで宙空を飛び、はるか遠くの防護ネットに突き刺さった。
ビシ! ビシ!! ビシ!!!
立て続けに強い当りを繰り返す。何球か弾道の低いものが、映像の投手を直撃し、これまた激しい音を立てた。つまり、それだけ威力のある打球と言うことだ。
「………」
長見が呆然とその打撃を見る中、娘は嬉々としてバッティングを繰り返していた。
所定の投球数が終わった。投じた球の9割以上を弾き返された映像の投手が、消えるときに寂しげに見えたのは、長見の心理描写がさせることだろう。
「ンー、まあまあ、ですね」
娘が額に手をかざす、よくあるポーズで自らの打球を反芻している。そして、くるりと振り向くと、期せずして視線が絡まった。
「OH,SORRYです」
「あ」
娘の瞳は、青かった。どうやら、異国の出身らしい。なるほど、そのダイナマイトボディは、そうだったからか。
「どうぞ、どうぞ」
それにしてはやけに腰が低い。自らブースのドアを開け、長見を中に迎え入れる。
「お待たせしましたです」
そう言って、にこりと笑う。なんとも無垢で、まばゆい表情。
「わ、わりいな」
長見は、仲居さんにでも世話されているような気分で中に入った。そして、なにも考えずコインをいれ、打席に入る。
「………」
映像の投手が、振りかぶり、第1球を投じた。
ゴウッ!
「………はい?」
130キロのはずが、えらい剣幕で緩衝材を貫いたものだ。意表を突かれて、長見のバットは微動だにしなかった。
(あ、まさか!?)
長見は慌ててコインの投入口にある、速度表示のランプを見る。思ったとおり、紅い点灯の上には、“140キロ”と記されたプレートが。
「うげ」
130キロさえ満足に打てないというのに。しかし、せっかくのコインを無駄にするわけにもいかないので、長見は当たるだけでも儲けと考えて、打席に戻った。
ぶん、ぶん、ぶん…
そして、やはり当たらない。後に続けてハチの歌でも歌いたいぐらいに、空気を切る音だけが虚しく続く。
(だー、やっぱりかよ!)
そのスピードに負けまいと、腕に力を込める。とにかく、思い切り振るしかないと長見は思っていた。
投手が腕を振る。かみ締める奥歯にさえ、強烈に力を込める長見。
「チカラを、抜いてください!」
突如聞こえたその声に、長見は気を取られた。しかし、既に放たれていたボールは迫っていたので、頭が空白のままバットを振っていた。
きん…
「!?」
思いがけない、いい手ごたえ。当てにいっただけのスイングなのに、なかなか鋭いライナーが飛んだ。芯を食ったからだ。
思わず自分の手を見る。
「きますよっ!」
また、声が飛んだ。ぼう、としていた長見は慌ててかまえると、目の前にきていた白いものを先ほどの要領で軽く叩いた。
「お……」
また、鋭い当り。
「ンー、NICEです!」
ぱちぱちぱち…
青い眼の娘は陽気に拍手を送ってくれた。いくら斜に構えたところのある長見とは言え、自分のやったことに対しこうまで喜んでくれるのだから、嬉しくないはずがない。
「あ!」
「ん?」
がご! と、緩衝材を貫く音が響いた。さすがに140キロ。なかなかの衝撃音だ。
「おわっ!」
娘に気を取られていた長見は、当たったわけでもないのに腰を引く。
「あ〜、SORRYです……」
それが自分のせいだと思ったか、青い眼の娘は心底申し訳なさそうに、両手を合わせて頭を下げていた。
130キロの球をまともに打てなかった男が、それ以上の球速である140キロをまがりなりにも弾き返した。それがまぐれあたりではないというのは、手に残るいい感触が、その後も何球か続いたからだ。
「………」
自分のやったことが信じられない。しばし、呆然と自らの打球が飛んだ方向を見る長見。
青い眼の娘がそのブースの中に入ってきたことには、隣に並ばれるまで気がつかなかった。
「あ、わりぃ」
彼女がバッティングをするのだと思い、長見は慌てて出ようとする。
「BOY」
しかし、その肩をやんわりとつかまれて、打席内に戻された。
「な、なんすか?」
「かまえ、かまえ」
「? 構えんの?」
こくり、と笑顔で頷く娘。なぜか素直に、その言葉に従ってしまう。
「ンー。肩にチカラ、入ってます」
両肩に手のひらが乗った。だからというわけではないが、極端なくらいに長見は肩の力を抜いてみる。ほんとに、肩が落ちてしまいそうなぐらいに。
「ん、GOODです」
これで、いいらしい。なんとも力の入っていない、ひ弱なバッティングフォームに思うのだが。
「それじゃー、いってみましょうかっ!」
「え、え、え、え?」
困惑を顔に貼り付けたまま構えを続ける長見を置いて、青い眼の娘はコインを投入するとブースから出ていった。
映像の投手が現れて振りかぶる。おそらく、速度の変更はしていないだろうから…
「!」
140キロの速球が襲いかかる。
きん…
長見は、軽くバットを出した。なにしろ肩に力が入っていないので、バットの握り具合も軽い。思い切り振ると、そのバットが何処かに飛んでしまいそうな気がしたからだ。
しかし意外にも、当たりは鋭いものだった。防護ネットまでは届かないものの、それが実戦の中でなら、充分にヒットになるだろう。
「GOOD JOB!!」
ぱちぱちぱち…と、娘の拍手が飛ぶ。それは非常に心地が良い。
「よっしゃあ!」
意気揚揚と構えを取るが、
「SHOULDER! 肩!」
と、娘に釘を指されてしまった。
きん、きん、きん、ぽこ、ぶん、きん…
その後も長見は、140キロの球を次々と打ち返す。時折思い出したようにポップフライを打ち上げ、空振りをしたりもしたが、その都度、娘の助言が飛びそれを受けて修正をした。後半のほうになると空振りはなくなり、自分でも信じられないくらいに鋭い当りを繰り返すことができた。
「まじかよ……」
打席にいるのは、間違いなく自分。だから、さきほどから防護ネットに向かって飛んでいく白球を飛ばしたのは、紛れもなく自分のバットなのだ。
「………」
それなのに、信じられない。今日の練習試合でも、ヒットを打つことはできなかったというのに…。というより、入れ替え戦以降、参加した試合ではことごとく凡打の山を築き、メンバーの中で唯一、打率がなかった。
だから、自分には打撃の才能は露ほどもないと思い込んでいた。それが、たったひとつのアドバイスで、こうまで変貌するものなのか。
ぱちぱちぱちぱち…
青い眼の娘は、笑顔で拍手を繰り返す。長見は、素直にそれが嬉しかった。
「あ、わりいな」
不意に思い出して、尻ポケットの財布を探る。さっき、コインを投入したのは彼女だ。それを返さなければ。
「Mm……」
彼女はそれを察したか、手のひらをひらひらさせる。
「SERVICE,SERVICE」
「そうはいかねえ」
長見としてもこれは譲れない。今更なんだが、男としての矜持もある。
「Mm……」
青い眼の娘が、自販機を指差した。長見が折れそうも無いと察してのことだろう。
「そう、か。わかった」
値段が等価でないことが気にはなったが、長見はそれに応じることにした。
「わたし、柴崎です」
「ハイ?」
互いの名を交換していたときのことである。日本語がやけにうまいことはともかく、見た目に横文字が出てくると考えていた長見は、出鼻を挫かれた。
「OH,わたし、エレナといいます」
その疑問が顔に出ていたのだろう。娘はすぐに自分のファーストネームを名乗る。
「お父さん、日本の人です。だから、国籍も日本なのです」
「へえ」
じゃあハーフなのか。しかしそれにしては、日本の血が薄いようにおもえる。父親が日本人だと言ったから、クォーター(4分の1)ではないはずだ。
「養子なのです」
「え……」
「わたしの、本当のちちはは、もういませんので」
重大なことをさらりと言っている。初対面なのに、いいのだろうか。
「そ、そうか」
「DON’T BE AFRAID.もう5年前ぐらい前のことですから」
にこにこと、重苦しいはずの話題なのに、エレナの顔は曇りがない。きっと、本人の中でケジメがついていることなのだろう。
「ところで、BOYはどこの中学ですか?」
和みかけた雰囲気の中、なにか、長見にとってとてつもなく聞き捨てならない単語が聞こえた。
「ナガミ、中学どこですか? このあたりだと、城南中ですか?」
問いたださなくても、言い直してくれたのでよくわかった。ご丁寧に、近所の中学の名前まで出して。
「俺は大学生だ! 中坊じゃねえ!!」
「OH!!」
「くわー! てめぇ!!」
まさか、中学生と思われていたとは。ということは、そんな誤解をしたまま、自分は指導されていたのだろう。これは、ハイティーンの最終年を迎えている男子として限りない屈辱である。
「SORRY,SORRY……」
それをエレナも知っているのだろう。両手を合わせ、腰を折り、しきりに謝罪を繰り返す。まさに、平身低頭。
「………」
自分よりも20センチは高い彼女にそんな態度をとられてしまえば、瞬間的に湧き上がった頭も、否応無く冷めるというものだ。
「SORRY……」
「あー、いいって。わかったよ」
「………」
それでも、顔を伏せたままのエレナ。
「やめろって、なあ。そんなのは、今時の日本人でもやらねえ」
「ゆるしてくれるのですか?」
「許すも、許さないもねえって。まあ、間違われるのは今日にはじまったことでもねえしな」
ただ、それが中学生というのはいささか強烈だったが。
「ナガミ、優しい人です」
「よせやい」
ようやく顔をあげたエレナ。なんとなく、陰のある表情は仕方の無いところだろう。
「大学と言うことは、城南大ですか?」
「いや、第二のほうだ。今年から通ってる」
…ややこしい話だが。
城南大学は、医学部も付属病院もある大学のことだ。そして、城南と名が付きながら、ここ城南町にはない。街から二駅離れ、さらに山の手の方にある。
城南町にあるのは、城南第二大学である。設立年はこちらの方が後だから、それならばと、洒落た名前でもつければよかったのに、学校長ならびに理事長はどうしても大学に“城南”の名を冠したかったらしい。共通しているのは、ふたつとも私立大学ということだけだ。
「ナガミも城二大だったのですか!」
……も?
「わたしもなのです」
「そうなのか!?」
これだけ背の高い女子がキャンパスにいれば、それなりに目立ちそうなものだが。
「留学か?」
おそらく、その容姿だけを見れば長見の問いは真っ先に出てしかるべきものだろう。しかし、彼は“日本にきて5年経つ”という彼女の言葉を忘れている。
「NON.一般で、一浪して今年入学しました」
「え、それじゃあ」
「ナガミと同級生ですねー」
“同級生”…その言葉になにやら甘美な響きを感じるのは、何故だろう。
(学年では、ひとつ上って事だろう)
しかしエレナは、一層の親近感を長見に持ったらしい。なんとなく和やかになった雰囲気は、暖かいものとなって二人を包み込む。
ぐう、と何か音がした。本人はわかっている。腹の虫がなったのだ。
「ナガミ、おなかすきましたか?」
「う…まあな」
あまりに大きな音だったので、エレナにも聞こえていたらしい。少し、恥ずかしい。
(考えてみれば、ろくに飯をくってねえ)
午前中に練習試合をして、午後から一眠りして、夕方以降はバッティングセンターにつめっぱなしだった。その間に取った食事と言えば、コンビニで買ったおにぎり(朝飯)と弁当(昼飯)ぐらいだ。
「わたしも、おなかすきました」
不意にエレナが長見の腕を掴んだ。
「ごはん、いきましょう」
一緒に、ということらしい。その勢いに飲まれて、長見はただ頷くしかできなかった。
「牛丼特盛玉2丁と並盛、お待たせしました」
なんとも色気のない晩餐である。目の前に置かれた、妙に玉ねぎと脂身の多い牛丼並盛をみて長見はそう思う。
「ンー、きました。いただきますです〜♪」
しかし、華はある。嬉しそうに牛丼特盛をかき込み始めたエレナの、なんとも無邪気な表情に思わず長見は微笑む。
「あ、そういや柴崎……」
「んー。エレナでいいですのに。そっちの方が慣れてますから、ぜひそう呼んでください」
「………」
晶以外の女子を呼びつけにしたことなどなかったので、それが気恥ずかしかったから苗字で呼んだのだが。エレナは名前の方を呼んで欲しいと言う。
「エ、エレナは……」
本人の許しを得ていると言うのに、どもってしまった。気を確かに、もう一度、言い直す長見。
「……エレナは高校どこだったんだ?」
「城南学園です。父……あ、いまの父ですよ。その父が、英語の講師をしてましたので」
定年とやらで退職していますが、と聞かなくても付帯事項を言ってくれた。
「ナガミは、高校はどこだったのですか?」
「環高校」
「それじゃあ、お隣の県ですね。通いですか? ひとり暮らしですか?」
「部屋を借りてる。通えるほど、近くじゃねえから」
「わたしもそうです」
「?」
腑に落ちない話ではある。今の父親が城南学園の講師だったと言うことは、そこに通うエレナも同じ住所のはず。だとしたら、わざわざ一人暮らしをする必要もないだろうに。
「大学生になったのだから、一人で生活してみなさいと、父が言ってくれました」
「へえ、そりゃまた」
随分とリベラルな人である。英語講師と言っていたから留学経験もあるだろう。その見聞の広さと見識の豊かさが、養女とはいえ娘の一人暮らしを容認している理由なのか。
「ハイツ大崎に住んでます」
「な――――ッング!」
わざわざ住んでいる場所まで言う無防備さはともかく、その名前に長見はとにかく驚いた。思わず、頬張っていた御飯を慌てて飲み込んでしまう。そして充分に咀嚼していなかったそれは、長見の喉に見事に引っかかっていた。
「ナガミ、大丈夫ですか!?」
エレナがお茶を長見に手渡し、その背中を優しくさする。息苦しさの中に感じる暖かさは、エレナが持つ大らかな母性のものだろうか。――――いや、今はその気持ちよさに浸っているときではない。なんとか息を整えて、質したい言葉を音にする。
「……っんは! は、は、ハ、ハイツ大崎って……俺と同じじゃねえか!!」
「REALLY!?」
エレナもまた、そのつぶらな瞳をまん丸に見開いて驚きを表現していた。ちなみに、最下層の一番日当たりの悪い109号室が、長見の部屋である。
「そうなんでしたかー! わたし、307号室にいますです」
「え」
307…つまり、3階にある7番目の部屋。そこにエレナは住むという。なるほど、1階と3階では、その接点も繋がりにくかろう。
しかし、長見はそれよりも聞きたいことがあった。
「そこって、確か、ファミリールームじゃなかったか?」
「はい。ですから、ひとりで住むには理不尽なまでにひろいです」
少し、寂しげな顔のエレナ。
「わたしの父と、そこのブッケンを持っている社長さんとがニンジャ……ではなく、エンジャなのです。だから、カクヤスで部屋を借りたそうです」
「なるほど…」
そのあたりに、娘に甘い父の姿が見えてくる。
「ナガミは、野球部なのですね」
話が飛んだ。しかし、相変わらず無邪気なエレナの表情に、長見はそのことも気にならない。
「城二大に、野球部があるなんて知りませんでした」
「軟式だからな。それに、俺も入ったばかりだ」
「そういえばこのところグラウンドが占領されてますね」
「う」
間違いなく、軟式野球部の面々だ。誰も使っていないのをいいことに、ほとんど自分たちのホームグラウンドにしてしまっているのだが、本当は寡占してはいけないことになっている。もっとも、誰からも注意が出ていないのか、大学側からそれらしい指摘はないのだが。
「みんな、楽しそうに野球をしていましたね。本当に、楽しそうに……うらやましいです」
少し、エレナの表情に影がさす。長見の胸が、わずかに鳴った。だからだろうか、普段の彼からは、想像もつかないぐらいに素直な気持ちが出て来た。
「なんなら、いっしょにやるか?」
「WHAT?」
エレナは聞き取れなかったらしい。疑問符を顔に貼り付けて、長見の方を見る。言い直すのが非常に恥ずかしい長見だったが、意を決するともう一度口を開いた。
「いっしょに、野球をやらないか?」
「いいんですか? わたし、女の子です」
胸をぼいんと弾ませて、そのことを強調する。……向かいのオヤジに怨念の一瞥をくれてから長見はエレナに言った。
「俺たちのエースも、女だぜ」
「!」
「あ、監督も女の人なんだぜ。なんかそのへん、かなりリベラルらしくてな」
「OH!」
「だから何も問題なんかねぇ。あんだけ野球ができるんだから、なあ……いっしょにやろうぜ」
「ECELLENT!!」
ぐわ、となにやら質量のあるものが長見の面前を覆った。頭全体を、柔らかいスポンジのようなもので包まれている。そして、懐かしく暖かく甘い何かが、鼻腔をくすぐってくる。まるで、母なる大海に身を任せ、成すがままに漂っているかのような――――、
「―――………って、や、やめんかい!」
エレナが感極まって、長見の頭をそのダイナマイトバストに抱えていたのだ。なんとか誘惑を振り切り、それごと頭を引き剥がす。
場所を考えると、それは非常にまずい行為だ。事実、店内の視線は突然に熱い抱擁を交わした(傍から見ればそうとしか見えない)二人に視線を注いでいる。可哀想に、お茶を取り替えようとしていた心優しきアルバイトの娘が、その瞬間に出くわしたものか、顔を真っ赤にして時を止めていた。
「あ、あは。はしゃいでしまいました……」
エレナもそれはわかっているらしい。苦笑しつつ、気まずげに頬をかく。
「で、出るか……」
「そう、ですね」
この白けた雰囲気から逃れるには、当事者たちが去るより他はないと、そういうことで意見は一致していた。
「で、でかい……」
エレナを一目見た、部員たちの第一声である。その視線がどこにあるか、言うまでもないだろう。
「あいたぁ!」
亮の情けない声が響いた。彼も、皆と同じ視線をこの入部希望者に注いでいると察知した晶が、思い切りその足を踏んだのだ。もちろん、ぐりぐりも忘れていない。
「う」
その声に、メンバーたちも自分たちの礼を失した行為に気づいたか、一様に目線をその部分からそらす。
まあ無理もないだろうと、ひとり長見は冷静にその場を分析していた。入部希望者が女の子で、しかも自分たちより背も高く、なおかつダイナマイトボディの持ち主だったのだから。
「柴崎エレナといいます」
そういって深々と頭を下げるエレナ。起こした顔には無垢な笑顔が浮かんでいて、自分が奇異の視線で見られていたことなど一向意に介さぬ風である。
「よろしくお願いします。球ひろい、雑草とり、炊事、洗濯、なんでもやりますので」
再び、頭を下げる。
「長見、彼女はマネージャー志望なのか?」
直樹の言葉だ。まあ、彼女の言葉を聞けばそう思われても仕方ないだろう。とりあえず長見は苦笑しながら、
「違いますよ。彼女は、野球をやりにきたんです」
と言っておいた。言い方が事務的になってしまったのは、長見の不器用さがさせることだ。それでもエレナは、満ち足りたような優しい眼差しで、謝意を込めて彼を見つめていた。……長見は、それに気づいていないが。
「柴崎は……」
「ンー、エレナと呼んでください。そっちのほうが、慣れてますので」
「……エレナは、ベースボールの経験は?」
つい横文字を入れてしまったのは、直樹のちょっとした見栄かもしれない。
「野球は、見るのも、やるのも、教えるのも大スキです、なので、よろしくお願いします」
「おう! ウチは経験なんぞ問わん!! 野球好きなら大歓迎や!!!」
赤木が吼えた。そして、大袈裟なぐらいに全身を使って拍手を送る。その動きに触発されたようにメンバーたちも一斉に手を打ち鳴らし、エレナを歓待する。かすかに目じりを潤ませて、エレナは三度頭を下げていた。
練習が始まった。ランニングからストレッチ。そして、キャッチボール、トスバッティングと一連の準備運動をこなし、フリーバッティングへと移る。
試合の打順ごとに打席に入るので、長見はグラブを持ってセンターに向かおうとした。
「あ、長見、トップいってくれるか?」
そこを直樹に止められた。怪訝な表情を浮かべたが、すぐにその意図を理解し、ヘルメットとバットを用意して打席に向かう。
「俺を、一番にするの?」
つまりはそういうことなのだが、確認のため、マスクを念入りに被っている亮に問うて見る。レギュラーの選出は、亮と直樹が権限を持っているからだ。
「長見君、脚が速いから」
「酔狂だねぇ。アウト、フライばっかなのによ」
「栄輔! はやくしなさいよ!」
既にマウンドで準備を整えていた晶から言葉が飛んだ。またやられたな、という具合に肩をすくめて見せてから、長見は打席に入り直して構えを取った。
(ん……?)
亮は、長見の構えが変わっていることにすぐ気づいた。いつもなら打ち気に逸り、両肩に力が入って窮屈になってしまう構え方なのだが、今の長見は肩の力が抜けてゆったりとした“間”を感じる。
(………)
とりあえず、真ん中に構えた。ストレートのレベルは1で。晶は頷くと、亮の要求したとおりのコースに球を放った。
きん…
「あ」
これは晶の呟き。
「お」
これはチームメイトの声。
「GOOD JOB!」
ぱちぱちぱちぱち……。これは取りあえずライトに入ったエレナの拍手だ。
長見が放った打球は三遊間の間をバウンドしている。直樹も斉木も、まさかの当りに虚を突かれたか、その打球を追いきることはできず、結局レフトの長谷川が処理をした。
完全な、ヒットである。
「ナイスバッティング!」
亮は、真にそう思った。ひ弱に見えるスイングだが、確実に晶の球を芯にとらえ、無理のないフォロースルーが捕らえたボールを綺麗に運んだのだ。それは、これまでの長見には考えられないほどに美しいスイング。
(あの助平、いつのまに………)
ライトで嬉しそうに拍手を繰り返すエレナを見れば、彼女が何がしか長見に影響を与えたことは明白である。晶としては、長年自分のできなかったことをあっさりとやられたことには悔しいものがある。別に、長見に特殊な感情を抱いていたわけではないのだが。
「晶ー、次くれよ」
「う、わ、わかってるわよ!」
まさか栄輔に督促を受けるとは……。なんともすっきりしないものを抱えたまま晶は2球目を放った。何も考えなかった投球は、さっきと同じく真ん中に。
キン!
「おお!」
今度は晶の真横を痛烈に抜けて、センターへ。取りあえず空きポジションに入っていた赤木が、しどろもどろにこれを処理した。絵にかいたようなセンター返し。まさに、巧打の極地点。
「はー、あいつ化けよった」
二塁手の新村にボールを返しながら赤木は、
(……女は偉大やのう)
ぱちぱちぱち、と、とにかく高速回転を繰り返すエレナを見てそう思うのだった。
「じゃあ、エレナ、行ってみるか?」
「ハイです」
一通りの打順を消化して、直樹がエレナを呼んだ。ライトから嬉々とした表情でエレナが小走りで打席に向かう。亮からバットとヘルメットを受け取るとすぐに身につけて、打席の中に入った。
(……でかいな)
威圧感がある、と亮は言いたいのだ。けして、そのダイナマイトボディがぷるぷるしている様を見て言うのではない。プロ野球の助っ人選手たちがよくやるような、小刻みなリズムでタイミングを測るその打撃スタイルに、本場の空気を感じる。
(………よし)
亮はアウトコースに構えた。そして、ストレートのレベルは1.5。
(?)
いいの? という晶の視線による問いに、亮は頷く。最初の投球からいきなり本格的なリードではある。晶としては、亮のリードに従うだけだから疑問を抱いても仕方ないのだが。
(あ、やば)
なんとなく集中を欠いたボールは、真ん中によってしまった。しかし、スピードは充分に乗っている。亮も、直樹も、はじめて見たレベル1のストレートは目で追いきるのが精一杯だった
そして、今投げたストレートはそれよりも速い1.5。
キン!
「え!?」
だから、見送りもしくは空振りを予想していた晶は、金属音の後に高々と舞い上がった軟式ボールがとても遠い世界の出来事に思えた。
中堅手の長見が懸命にそれを追っている。しかし、俊足の彼でさえ追いつけない、遥か遠い地点にボールは落ちた。測るまでもない。これが、市営の球場ならば間違いなくバックスクリーン直撃の本塁打だ。
「………」
ナインたちは、畏怖を込めてボールの軌跡を追っていた。ようやく長見が追いついて、拾ってきたボールを投げ返しているにもかかわらず。
自分たちがいまだ満足に打ち返せない晶の速球を、いとも簡単に弾き返した――――。その事実が、彼らを棒のようにしていた。
「ンー、いい球です」
打った本人はというと、晶のストレートを無邪気に褒めている。
「このぉ……」
その後、エレナと晶の対決は熱を帯びた。いきなりどでかい一発を打たれて、晶の頭に血が上ったというのもあるだろう。とにかくストレートをコースに散り分けて、エレナと対峙する。しかしエレナはそれを事も無げに左右に打ち返し、守備陣を右に左に走らせていた。
(………)
亮もまた、これがフリーバッティングであるというのも忘れたように、いかにしてこの強打者を打ち取るかという考えに終始していた。
(アウトコースは右に叩かれ、インコースも上手くさばかれる。リーチが長いから、多少ボール球にしても振り切れない。……穴が多そうで、その実、隙が全くない!)
亮は、久しぶりに冷たい汗を感じた。
「こんのぉぉぉぉぉ!!」
ほとんど試合のときのように、全身を鞭のようにしならせた晶の、渾身のストレートが唸りをあげて放たれた。
ぶん! バシッ!!
エレナのバットが空を切り、亮のミットに衝撃が走る。それは、明らかに晶の全力ストレート・レベル2だった。構えたところは、インコースいっぱい。ベースをかするような、絶妙なコントロール。コースを散らすとわずかに球威の落ちる晶にとっては、今投げられる最高の球だった。
「FANTASTIC!!」
空振りをしたはずのエレナはやっぱり喜んでいた。その様子に、思わず長見は頬が緩む。
(……これは、玲子さんにいい報告ができそうだ)
直樹もまた、笑みを浮かべたひとりだ。
今日は大学側の所用で玲子は練習に顔を出せない。ただ、新入部員が来ることは長見から知らされていたらしく、そこで、夜に彼女の部屋まで報告に来るように言われているのだ。“ひとりでね♪”という付帯事項も添えて。
1番打者と大砲の補強。同時に片付いた懸案を玲子に話せば、きっと喜んでくれるだろう。若い彼の精神は、その後の熱いひと時を、どうしても妄想してしまう。
その一瞬の隙が、彼にとって悲劇を生んだ。
きん!
「あ、キャプテン!」
「ん?」
どむぅ!
「はぅあ!?」
エレナが放った強烈なライナーを、まともに股間に受けてしまったのであった。―――合掌。
「みなさん、楽しい人たちですね」
練習も終わり、例の蓬莱亭でエレナの歓迎会(といっても、ふつうに食事をするだけだが)をした後、その場で解散となった。帰る場所は同じだから、長見とエレナは同じ道を通って帰路についている。
「それに、チームワークよいです」
「んー、そうだな。それは認める」
最初はエレナのことで話が盛り上がっていた。その中で、長見は秘密にしておきたかった同じ住所であるという事実が、あっさりとエレナ本人の口から露呈され、散々からかいの対象にされたのがすこし恥ずかしかった。
長見は、エレナの口から、
「ナガミとは、そんなんじゃありませんです」
といってくれるのを期待していたのに、一向に言い出さないものだから、慌てて自分からそれを否定しにかかった。いつもは斜に構えている長見だが、汗水たらして必死に弁解している様子があまりに滑稽だったらしく、火に油を注いだ形でさらにからかわれてしまったのは、彼としても不覚である。――――しかし、そのとき、必死で自分との仲を否定する長見に対して、寂しそうな顔をしていたエレナの表情に、やはり彼は気づいていない。
「みなさん、野球が好きなんですね」
「あー、少し、歪み入ってるけどな」
途中からは現在のチーム状況について話題が変わった。しかしどこをどう間違ったか、それはプロ野球の話にすり替わり、移籍情報や来季の展望に関する討論へと変化していった。皆が皆、それぞれの贔屓チームが優勝するということを、根拠になりそうもないことまで挙げ連ねて、日曜日のある番組のように激論を交わすのだ。
「キドさん、詳しいです」
「まあ、あれは特別だな」
その中でも、亮の識見と情報量は卓抜していた。12球団の全ての戦力を投手・野手にわけて、まるで評論家のようにそれぞれを分析していくのだ。しかし最終的な優勝チームに自分の贔屓を出すあたり、ファンの範疇を出ないのだろうが。
「その、キドさんと、アキラはおつきあいしているのでしょう?」
練習のときはかなりヒートアップした戦いを演じたが、同じ女同士ということもあり、エレナと晶はすっかり意気投合していた。だからエレナは彼女のことを名前で呼ぶようになっている。
「まあ、見りゃわかるわな」
その晶が、かいがいしく亮に対して、料理を小皿に取り分けたり、水のお代わりを渡したりしている様を見て、本人に確認を取るまでもなく二人が恋人同士だと察したのだ。
「傍から見ると、みっともねえ気もするけど」
正直な話、あんなに晶が尽くすタイプだとは思わなかった。
「恋する女には、まわりは見えません。はぁ…すてきです。女のシアワセですねぇ…」
胸の前で手を組んで、恍惚となるエレナ。この娘も、相当なロマンチストなのかもしれない。
その後もとりとめのない話をしながら歩いていると、ハイツ大崎の玄関先にある三角のレリーフが見えてきた。それをくぐり、玄関の戸の前に二人は立つ。
「お……9時、越えてたか」
オートロックは既に施錠されていて、押しても引いても反応はなかった。
長見はすぐに慣れた手つきで暗証番号を打ち、扉を開く。内側に引いて開いたので、先にエレナを通した。別に他意はない。そのほうが、場所を譲り合う手間が省けると思ったからだ。
「THANKS」
とても嬉しそうに笑うエレナ。その笑顔に、思わず頬が熱くなる。
(って、おいおい)
こんなのは俺らしくねえ――――。斜に構えているもうひとりの長見が不意に顔を出した。
「じゃあ、まあ、これからよろしくな」
長見は、おそらくエレベーターに乗るだろうエレナに、軽く会釈をしてから廊下の奥にある109号室に向かおうとした。なんとなくつっけんどんな言い方になったのは、照れがさせたこと。そのまま、心もち早足で部屋へと帰ろうとした。
だが……。
「ナガミ」
「ん?」
不意にその腕をつかまれた。何事かと振り向くと、すぐそばに、エレナの顔が。
(え?)
そして、唇に柔らかい感触。ほんの一瞬だが、確かに感じた甘いもの。
――――キス。
そう認識できたのは、唇が離れてからだ。
「な、え、え、え?」
「ありがとうと、おやすみなさいと、これからよろしくのあいさつです」
そして、もう一度、ほんの少し頬を染めたエレナの顔が寄る。再び感じる、表現できない柔らかさが唇に生まれて……。
「………GOOD NIGHT♪」
離れたエレナが、手を振りながらエレベーターに乗る。ドアが閉じるまで、笑顔で手をはためかせて。
そして、そのドアが閉じてからも、長見はその場に立ち尽くしていた。
(…………)
唇に生まれた初めての感触に、心を奪われていたから……。
―続―
解 説
まきわり:「みなさま、こんにちは、こんばんは! 『STRIKE!!』第3話でございます! お読みいただき、ありがとうございます!!」
長 見:「………」
まきわり:「な、なんだね隣の長見くん。その哀れみを含んだ表情は!?」
長 見:「大変だったなあ、まきわりさんよぉ……」
まきわり:「な、なにがかね?」
長 見:「第3話、書きあがって送ろうとしたら失敗して、ファイルを確認しようとしたら間違えてフォーマットしちまったんだよなぁ、確か……」
まきわり:「う、うぐ!」
長 見:「それで最初から第3話の書き直し……いやあ、大変だったよなぁ……」
まきわり:「………原稿を消したのは、初めてだったよ(泣)」
長 見:「で、ようやく新しくできたのはいいがよ。ちょっとボリューム減ったか?」
まきわり:「しえー(汗)!!」
長 見:「図星かよ」
まきわり:「ううう……返す言葉もありません」
長 見:「濡れ場から後も、ちょいと長いしな」
まきわり:「………いやなこというね」
長 見:「だってよ、メインはそれだからな。まあ、気をつけるこった。い・ろ・い・ろ・な」
まきわり:「………はい(涙)」
解 説(改訂版編)
まきわり:「こちらも、第3話でございます」
エレナ:「Mm……」
まきわり:「おろ? なにやら、難しい顔をしていますねエレナさん」
エレナ:「おしりでするのは、なかなかHRADなようです」
ごふっ
エレナ:「WHAT?」
まきわり:「いきなり、そういうディープなことを言わないで下さい!」
エレナ:「と、言いましても」
まきわり:「まあ、確かに……あなた方には、ちょいとコアな関係になってもらう予定ではありますが……」
エレナ:「レイコさんは、カクチョーとか、カンチョーとか、おしりでするのにはいろいろ必要だって言っておりました」
まきわり:「あの二人、そこまでやってんの?」
エレナ:「カンチョーなら、わたし、ちっちゃな時に経験ありますよ。……なんだか、ぞくぞくして、クセになりそうでした。入ってくるときも、出すときも、おしりがとっても切なくて……」
まきわり:「ま、まあ、その辺りは次の第4話に載せてますが……」
エレナ:「といわけで、早くエイスケとおしりでさせてくださいね」
まきわり:「………善処します」
エレナ:「ではでは、第4話へと続きます〜。SEE YOU!」