さあ今度は神々の物語を語って見ようと思う。日本誕生の話じゃ!
古事記が伝える物語だが、今と違って現実離れしとるんで信じるかどうかな?

日本最古の歴史書で712年完成の「古事記」に書いてあるものなんだ。
天武天皇が編纂を命じ、奈良時代の初期の和銅5年(712年)に完成したんじゃ!
上中下と全3巻あり、上巻は日本列島の創造から鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)が誕生する神々の事が描かれているんじゃな!
中巻はと言うと、神武東征から天之日矛(応神天皇の子孫)
下巻は仁徳天皇から武烈天皇まで

ぜひ、みんなも日本が出来る神々の不思議な物語を知っていてほしいな!わかりずらい話じゃがな!

イザナキとイザナミ 国生み物語

この世が天と地に別れ、天に高天原(たかまがはら)出来たとき、「別天つ神(ことあまつかみ)と呼ばれる5人の神様が誕生したんだな!
続いて誕生したのは2神と男女5組神「神代七代(かみよななよ)。最後に生まれたのは男神イザナギと女神イザナミ。

天に浮かぶ天浮橋(あまつうきはし)から下界を望んだが、脂のようなものが漂っているだけ。
天沼矛(あまのぬほこ)で探ってみると海が生まれ、矛からしたたった塩が固まってオノゴロ島となった。(オノゴロ島は今の淡路島)

2神はこの島に降りると、夫婦になって国を生もうとする。2神は夫婦となり本州をはじめとする8つの「大八島」などを生んだ。

 国を生んだ2神は、続いて神生みを始めるが、火の神を生んだとき、火傷(やけど)を負ってイザナミは亡くなる。
イザナキは死者の「黄泉国」へ妻を追った。

 黄泉国で「見てはいけない」と言う掟を破ったイザナキが見たのはウジをわかせたイザナミの姿。
怒ったイザナミはイザナキを黄泉国の女たちに追わせるが、イザナキは逃げ切る。

 イザナキは川で黄泉国のけがれをはらう。顔を洗った時、左目からアマテラス、右目からはツキヨミ、鼻からはスサノオが生まれた。
この3神に高天原、夜の世界、海原を与えると、イザナキは淡海(おうみ)に隠棲した。

 「天照大神」  画/伊藤龍涯

『天の岩戸を開けるところ』

スサノオの暴挙に怒り天岩屋戸のこもってしまった太陽神.アマテラス

太陽神が隠れたため天地は闇に包まれた。

 八百万(やおよろず)高天原の神々はアマテラスが出てくれることを願い、
アメノウズメが乳房も女陰もあらわに踊ると、神々は笑いに歓声を上げた。

 不審に思ったアマテラスは岩屋戸を開き身をを乗り出した。

すかさずアメノタジカラオが岩屋戸の扉を開けた。天地には光が戻り、
その後、スサノオは神々によって高天原を追放された。


アマテラスとスサノオ 天岩屋戸(あまのいわやと) ヤマタノオロチ退治の物語

アマテラスは高天原へ上がった。
一方スサノオは母のイザナミを恋しがり泣き暮らす。
怒った父イザナキはスサノオを葦原中国(あしはらのなかつこく)から追放。
スサノオは母の元へ向かう前に姉を訪ねるが、アマテラスは粗暴なスサノオを警戒し武装して迎えた。
スサノオは邪心がないことを、男神産んで証明した。

アマテラスは剣から女神3姉妹を産み、スサノオは勾玉から5男神を産んだ。

その後、スサノオは高天原で田の畦を壊し、機織り場に馬の生皮を投げ込む等、乱暴を働く。
ついに怒ったアマテラスは、天岩屋戸に閉じこもった。
太陽神が隠れたため天地は闇に包まれた。

八百万(やおよろず)の神々は困り岩戸の前で踊り騒いだ。
アマテラスは何だろうと思い、岩からのぞいたところアメノタジカラオに岩屋戸の扉を開けた。

天地には光が戻りスサノオは、神々によって高天原に追放された。

出雲国に降り立ったスサノオは、涙に暮れる老夫婦と娘に出会う。
聞くと、八つの頭と八つの尾を持つヤマタノオロチの生け贄に
娘クシナダヒメを差し出差なければならないという。

スサノウは一計を案じ、オロチを酒で酔わすと頭を切り落とし退治した。
オロチの体から剣が現れ、スサノオはこれをアマテラスに献上する。草薙の剣という。

スサノオは、出雲に宮を築き、クシナダヒメとの間に多くの神をもうけた。


「天孫降臨」画/狩野探道

アマテラスの孫、ニニギが高天原から地上に下る場面

ニニギの長男ホデリはウミサチヒコ、三男ホオリはヤマサチヒコと呼ばれた。

ホオリとトヨタマヒメは結婚、その子どもはウガヤフキアエと名付けられ、大きくなると
トヨタマヒメの妹タマヨリヒメをめとった。
4人の御子のうち、イワレビコは後に神武天皇となる。

日本の始まりは、出雲からと言う話!そして出雲から多くの神様を輩出した。

日本というのは、はじめは「倭国」「ヤマト」{???」と呼ばれていた。それが中華唐の頃「日のいずる国」アジア大陸から見ると東から太陽が上がる所であった。
それが、689年かな、日本と呼ばれたらしい。

「則天武后が倭を改めて日本とした」との記述がある。

 倭となったいきさつは何だったんだろう?他にもある。

大陸人より国の名前を聞かれたときに「我らの国」と答えた。それが「ワ」になったとも
それと、大陸より遠い国という意味で「倭」と言った。
大陸では倭を「うねって遠い」と言う意味もある。
さて、どれが本当か興味深い!

又、天武天皇時代に天皇制を制定、各種制度や仕組みを組み立てはじめた。その過程の中で、689年の「飛鳥浄御原令」から701年の「大宝律令」の制定において、国号としての表記を「日本」としたというのが一般的な定説といわれている。


卑弥呼について