
堕天使 〜Prinzipal der Finsternis〜
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「あぁ、君。ちょっとすまない。訊きたいことがあるんだ」
文成に近寄った二人組の年長者が、ある有名なヴェテラン俳優を思わせる、味のある掠れ声で呼びかけてきた。どこで聞いたか覚えていないが、一度聞けば、忘れられない声だ。
「何かご用ですか?」
文成は無表情に言ったが、声音は少し緊張している。五十川慎司の話を盗み聞きしていなければ、さほど強張る事は無かっただろう。
「いやいや、大したことじゃないんだ。ちょっと訊きたいことがあってね。あ、あたしは春日井署の松原と言います」
「同じく、春日井署の桑名と言います。よろしく」
二人は形通りに警察手帳を広げて見せて自己紹介した。二人とも、似たようなスーツ姿だが、髪の薄い男は明るめのグレーのスーツに赤茶と濃緑のチェック柄のネクタイをしているのに対し、長身で端正な顔立ちの男は濃いグレーのスーツに明るい緑のネクタイを締めていた。あまり、似合っていない。
「警察の方ですか。何かあったのですか? 補導? まさか逮捕?」
文成が尋ねると、松原と名乗った男が笑いながら答えた。
「いやいやいや。いくつか知りたいことがあってね。ここの生徒達に尋ねていたんだよ」
「平井文成という生徒はいないかと」
文成は声を落として言った。
「おや、まだ何も言ってませんよ。」
松原は少しうろたえた表情を見せて言った。少々作った貌と思えなくもない。
「クラブ活動中の生徒に尋ねたそうですね。平井文成という生徒はいないかと。ごまかしは無しですよ。訊かれた生徒がはっきり言ってましたから」
不敵な微笑を浮かべながら、文成は核心を衝く。
「これはこれは。知っていたのか。ははは、それなら話が早い。平井文成君を知らないかな?」
味わい深い掠れ声で柔らかく話すこの男に、文成は心の中で、食えないおっさんだと舌打ちした。どうにも攻め方がいやらしい。
「私が平井文成です。いったい、どういうご用件でしょうか?」
文成が自己紹介した途端、二人は双眸を広げて驚いた。だが、その驚きかたに文成は違和感を覚えた。どうにも作為的に見える。
「あ、君だったのか! これは失礼した。いやいや、すっかり見違えたよ。2年前と比べたらね」
松原はやや慌てたように言いながら、そのくせ最後に、なにやら、以前から文成を知っていることを仄めかした。
「ふ〜ん。前から私の事をご存知のようで」
文成は右手で髪を掻きあげながら、皮肉るように言った。こういう仕草がやたら色っぽい。
「ははは。実はねぇ、その事について訊きたいんだが、ご協力を願えませんか?」
「協力ねぇ……。いいですよ。ただ、ここじゃ暗いし寒いだろうから、移動しませんか? 行きつけの喫茶店がこの近くにありますから、そこにでも」
逃げると却ってややこしくなると言うより、この春日井署の刑事が何を訊きたがっているのか、知りたくなった。いや、訊きたい事はわかりきっている。だがそれならば、すでに“迷宮入り”したはずである。とすると、目的は何なのか。もしかしたら、いま文成が企んでいる計画に何らかの影響を及ぼす可能性もある。何はともあれ、興味を惹くことには違いない。文成は自分に都合良く考えた。
その時である。
「君、さっきから聞いていると、随分と慇懃無礼に話しているが、感心しないな。年長者に対して、もっと敬意を払うように振る舞わないとな」
いままでほとんど口を開かなかった桑名という刑事がいきなり文成のシニカルな態度を注意した。少し驚いて貌を見ると、眉間に皺を寄せてかなりにがり切っている。
「あなた、意外と柔らかみがあって、落ち着いた話し方をしますね。まるで、奥さんと子供を抱えているお父さんという感じですよ」
揶揄を含めて文成が言うと、
「そうやって大人をからかうんじゃない。どうにも君は一言多いな」
と、憮然として、桑名は言った。言われた文成は苦笑いを見せて、ふうっと、ひと息つきながらシュラッグした。
「おいおい、桑名。何も平井君は悪気があって言ってるんじゃないんだ。そんなにカリカリしなさんな。それより、平井君。すまないが、君の行きつけの喫茶店に案内してくれるかね? そこで我々の話を聞いてもらいたいのだが」
ヴェテラン刑事がやんわりと若手を制して、文成を促した。
「行きましょう。すぐ近くなんですよ。いい加減、お腹も空きましたし。と言っても、食欲無いですけど」
最後に適当な事を言ってから、ついてくるようにと言いたげに、背を向けて自転車を押しだした。そんな文成を見て、桑名は松原に耳打ちした。
「あの子、イメージが全然違いますね。見た目は女の子のようにおとなしいと思ったら、話してみると、随分居丈高ですよ」
「ふぅむ。しかし、なんとなくだが気高さを感じるな。まあ、追々聞き出していくか」
ひとつため息をついてから、松原は訝しむ桑名の背中を軽く叩いて促し、文成についていった。
弘成高校から北東へ歩いておよそ15分の小さな通りの一角に、文成の行きつけの喫茶店“Roi Herode(ロワ・エロド)”はある。行きつけと文成は言ったが、実際は今まで三回しか入っていない。少食主義の文成にとって、喫茶店は無用の存在だからだ。それでもたまに行くのは、今日のように夕食の時間が極端に遅くなりそうな時と、料理をするのが面倒くさい時、あとは気まぐれである。
中に入ると、客はほとんどいなかった。ひとりだけ大学生らしき男がコーヒーカップにほとんど手をつけず、携帯デジタルオーディオプレイヤーから流れる音楽を聴きながら、文庫本を読んでいた。貌はお坊っちゃんタイプだが、どことなくふてぶてしさが漂っている。
「いらっしゃいませ。三名さまですか?」
眼鏡をかけたウェイトレスが愛想良く応対に出てきた。八重歯が可愛らしい、愛嬌の良い女性だ。
「あぁ、その通り」
文成はいつものように愛想悪く答えた。あるいは、空腹で不機嫌なのか。
「はい、ではこちらの席にどうぞ」
文成の不機嫌を何ら気にすることなく、ウェイトレスは案内した。愛嬌あふれる笑顔がなぜか営業用に見えない。それどころか、媚態が見え隠れする。
「今の女の子、君に気があるのかね?」
ヴェテラン刑事が独特の掠れ声で文成に尋ねた。このあたりはさすがの観察眼と言うか……。
「知りませんよ。もっとも、僕のようないい男を無視できる女の子はいないけどね。イーッヒッヒッヒ!」
ニヤニヤ笑いながら言った後、この少年には似合わない引き笑いを見せた。対面に座った刑事は気味悪い物を見るかのように、完全に退いている。
「変わってるねぇ、君は。しかし、そんな事じゃ、友達なんかできないだろう?」
呆れた桑名は、そう言うのが精一杯だった。すると。
「友達なんか作る気はないよ。あんな妥協の産物、何の値打ちも無いどころか、損失の方がはるかに大きい。だいたい友達とか言ってくる奴にろくな奴はいないんだ」
ここ最近の文成には珍しい、感情を発露させた物言いだった。それでもどうにか抑えているが、刑事二人は文成の感情の変化、特に眼の色が変わった事を見逃さなかった。
「今の言葉、気になるねぇ。どういう意味なのか、おじさんたちに教えてくれないだろうか?」
松原はさっきまでの柔らかな物腰とは打って変わって、身を乗り出して尋ねた。眼光が鋭く光っている。
店内に妙な緊張感が生まれた瞬間。
「ご注文は決まりましたかぁ?」
タイミングが良いのか悪いのか。あるいは、偶然なのか見計らっていたのか。やけに明るい声でウェイトレスが注文を聞きに来た。
「ミックスヴェジタブルジュース、だけ。おまけはいらないよ」
文成は感情を押し殺すように、低い声で頼んだ。そのくせ、“だけ”の部分をきっちりと強調している。
「じゃあ、あたしはレギュラーコーヒーを」
先輩の刑事が注文すると、後輩はメニューを閉じてから一呼吸置いて、
「それじゃあ、スペシャルブレンド」
と注文した。
「平井君。さっき、お腹は空いているけど食欲は無い、と言ったね。君くらいの年代なら食べ盛りだと思うし、お腹が減ったら当然食欲旺盛だと思うんだが、どういうことなのかね? どこか具合が悪いのかな?」
老練な刑事が身を乗り出して文成に質問した。搦手から攻めるのか、それとも普通に文成の言い草が気になっただけなのか。その辺りがわかりにくい。
「どこも悪くありませんよ。具合が悪かったら、そもそも学校に行きませんもん。おとなしく家で寝ています。腹は減った、とは言いましたけど、何も摂取したくないとは言っていません。固形物を口に入れて噛み砕いて胃の中に入れたくない。そう言ってるんですよ。あまり、胃腸に負担を掛けたくないですから。それに、今は野菜ジュースを飲みたい気分ですからね。それだけですよ」
「ますます変わってるね。そんなことで野球部の練習についていけるのかい?」
今度は若手の刑事が尋ねてきた。
「と言うより、物足りないですね。だから今日も監督から許可をもらって自主トレをしてました」
若干の嘘を交えながら文成は答えた。
「どんなトレーニングをするのかね?」
文成に不快感を抱いている桑名もやや身を乗り出してきた。
「10kmのランニングと、バスク人トレーニングと言おうか。近くの神社に100kgくらいの大きな石があってね。それを使ってスクワットしたり、こう、首の周りで転がしたりしてるんですよ。昔、そんなコマーシャルがあったでしょ。そんな感じですよ」
文成は身振り手振りで説明した。その表情は不機嫌どころか、やたらと目を輝かせて楽しそうである。
「ははぁ……。言われてみるとそんなコマーシャルがあったねぇ。栄養ドリンクのコマーシャルだったかな。それはともかくとして、君にどうしても訊かなければならないことがあるんだが、そろそろはじめてもいいかな」
ヴェテラン刑事の松原が独特の玄妙なかすれ声で言った。
「構いませんけど、それよりコーヒーが来ましたよ。それを味わってからでも」
文成の言葉に応じるかのように、愛嬌4割増のウェイトレスが、なんとワゴンに注文の品を乗せてやってきた。そこには、野菜ジュースとレギュラーコーヒーにカツサンド、そして、スペシャルブレンドコーヒーとバゲットが1/2本分ほど、さらに、なにやら磯の香りが漂うスープの入った鍋まで乗っていた。
「すごくいい匂いですね。これは何ですか?」
桑名が怪訝そうな貌で尋ねると、ウェイトレスはやたらうれしそうに、
「はい。本日のスペシャルメニュー、ブイヤベースでございます」
と答えて、スープ皿とナイフ、フォークなどを並べ始めた。
「ブイヤベース!? ちょっと待って、そんなの頼んだ覚えはないぞ!!」
「スペシャルブレンド、頼んだでしょ? それのおまけですよ」
仰天して怒鳴りつけた桑名を、文成は大したことではないと言いたげに、冷ややかに口を挟んだ。
「ほう……。モーニングでバイキングというのは、あたしも一回行った事があるが、ブイヤベースなんてしゃれたものを出す店は初めて見たなぁ……」
松原は顎を擦りながら、興味深そうにブイヤベースの入った鍋を眺めていた。
「別にしゃれたもんでもないでしょ。マルセイユの漁師が売れ残りの魚を鍋に入れて食ったのが最初なんですから」
目の前に出されたミックスヴェジタブルジュースをストローで少し啜ってから、少年は醒め気味に答えた。
そんな中、眼鏡の奥で瞳を輝かせながら、ウェイトレスは鍋から魚を取り出し、桑名の前できれいに切り分け、皿に乗せていった。続いて、別の皿にスープを入れる。最後に、厚くカットされたバゲットと、ルイユという、唐辛子などで辛味を効かせた、マヨネーズのようなソースを並べた。
「バゲットはこのルイユというソースにつけた上で、スープに充分浸して召し上がってくださいませ」
ウェイトレスが愛想よく言った。どうもさっきから聞いていると、とても接客用の声とは思えない。何かに胸を高鳴らせているかのように聞こえてしまう。
「あの……、いつもこんな料理を出すんですか、この店は?」
桑名はすっかり場の雰囲気に飲まれたのか、声や喋り方が落ち着きを無くしていた。
「いつもと言うわけではありません。マスターのそのときの気分で色々な料理が出ますから」
「ここのマスター、Capriccio(カプリッチォ)だから。変わったものを出すかと思ったら、パンしか付けない時もあるし。こないだはすごかったですよ。コーヒーしか出てこないんですから。ねぇ、美雪さん」
ウェイトレスが答えている傍から、文成が口を挟んできた。美雪と呼ばれたその女性は、さらにうれしそうに答えた。
「はい。あのときは、数種類のブレンドコーヒーを6杯お持ちしましたわ。最後にヴェトナムコーヒーをお持ちしたときには、お客様が倒れてしまいましたけど」
「ヴェトナムコーヒー? なんだね、それは」
「カップの底に練乳を入れて、フレンチローストコーヒーを注いだものです。豆は深煎りしたロブスタ種を用いるんだとか。よくわかりませんけど」
また文成が口を挟んだ。
「君は普段から、よく知りもしないのに、ものを言うのかね?」
松原は半ば呆れたらしく、ため息をつきながら、文成に尋ねた。
「その時の気分かな。ま、いつ気が変わるか自分でもわかりませんけど」
だんだん文成の答え方もいい加減になってきた。言葉遣いからして、ぞんざいになっている。
「それでは、ごゆっくりどうぞ」
美雪が下がると、松原は気を取り直して、テーブルにあるカツサンドに目を向けた。
「まあ、とにかく始めようか。コーヒーも来たことだし。えぇと、これはチキンカツサンドか。変わってるねぇ。で、ソースは赤味噌、ははぁ……、味噌カツの要領かあ」
松原は感嘆してチキンカツサンドにかぶりついて頬張った。実に旨そうに食べている。
「これは旨いなぁ。チキンカツを食べるのは初めてだが、こんなに旨いとは」
ヴェテラン刑事が表情を崩す傍らで、スペシャルブレンドを出された桑名は苦い貌でコーヒーを啜っていた。
「少し苦いですか? あまりお口に合わないようで」
文成がいたずらっぽい表情で問いかけた。
「いや、うまいんだけど。それにしても、今のウェイトレス、よっぽど君のことが気になるのだな。あまり我々に目を向けていなかったよ。その証拠に、君に話しかけられたときなんて、ものすごくうれしそうに答えていた。まるでご主人に尻尾を振って喜ぶ子犬みたいにね。学校の生徒たちに色々君の事を訊いたが、ずいぶん女の子に人気があるそうじゃないか。単に貌がいいだけだろうと思っていたが、実際に会ってみると、それだけではないようだな。なにやら、無視せざるを得ない魅力があるようだ。かなり危険な魅力と言うか……」
桑名は文成をじろりとにらむように言った。まるで自分の優位を取り戻したいがために、反撃するかのようだ。
「たぶん、自分に無いものを私に求めるんでしょ? よくわかんないけど」
妙に大人びた答え方をする文成。
「それはなんだと思う、平井君?」
桑名は少しずつ緊張感を漂わせていく。目はすっかり笑っていない。
「わかりません」
文成は椅子に背もたれ、両掌を後頭部に添えて答えた。傲岸な態度が戻ってきたようだ。
「おい、桑名。今、訊きたいのはそういうことじゃないだろう。平井君は学業で忙しい中、我々の捜査に協力してくれると言ってるんだから、いい加減本題に入ろう。いいかね、平井君」
松原が間に入ったので、桑名は矛を納める気持ちで承知した。
「お願いしますよ。で、どういう事件について、私に協力を?」
そういうと文成は躯を起こして、身を乗り出し、両掌を組んで、両肘を立て、組んだ掌を顎に乗せた。そんな少年の態度を気にすることなく、ヴェテラン刑事はメモを取り出し、掠れ声で話し始めた。
「実はねぇ、2年前の9月から10月にかけて、春日井市で中学生12人が連続して失踪する事件が発生したのだが、君は知っているかね」
「知りません」
実にあっけらかんと答える文成に、桑名は思わず身を乗り出し、がなりそうになった。が、どうにか抑え込んで、一呼吸置いて尋ねた。
「そんなことは無いだろう。あまり大きな声では言えんが、失踪した12人の中学生と言うのが皆、君が通っていた東林(とうりん)中学校の生徒なんだぞ。知らないはずが無いだろう」
抑え込んではいるが、昂奮は隠し切れないようだった。
「今、初めて知りましたよ、失踪したなんて。基本として、私は他人の生活には興味が無いので」
桑名とは違って、文成は眉ひとつ動かさず、しれっとした貌で涼しげに返した。その貌には、不気味ささえ漂っていた。
「ほほう。興味が無いのかね。しかし、その12人と言うのは、中学時代の君をずっと虐めていた連中ではないのかね? 普通だったらそんな連中に恨みを抱くもんだがねぇ……」
松原はまるで切り札を切るかのように問いかけた。ここで得意の心理戦に持ち込もうという腹積もりだろう。欲を言えば、これで落ちて欲しいと考えていた。
が、そんなことで落ちるような文成なら、はじめから彼らを避けているだろう。実際、文成は僅かながら唇の両端を吊り上げて、切り返した。
「嫌なことは忘れるんですよ、私は。もっとも、今のあなたの質問で思い出してしまいましたが。思い出したくないんですよ、こういうのって。あなた方も無いわけではないでしょうに」
うろたえない文成に、松原は肩透かしを食った感触を味わった。まさに、昔のことはどうでもいいと、言いたげな答え方だ。それでも、松原は落ち着いてさらに問い質す。
「なるほど。確かに思い出したくない嫌な事も、無いわけではないかな。あたしもそれは否定しませんよ。それでも過去から目をそらすことは出来んからねぇ。君は嫌だろうけど、事件解決のために協力すると思って、思い出してくれんか。
われわれが調べたところによると、君は2年前の二学期の始業式に、虐めていた連中に誘き出されて生き埋めにされかけたそうじゃないか。これに関しては学校側から通報があったから君もはっきりと覚えているはずだ。そうだね」
「ありましたね、そんなことが……。川上先生ですよ。あの時私を助けてくれたのは。あの学校で私の味方になった唯一の人ですよ。今、どうしてるかなぁ」
「そこまでは、あたしも知らないがね。問題はここからだ。君がひどい目に遭ってから2週間後の火曜日に東林中学から捜索願が届けられた。ウチの中学校の生徒5人の行方がわからなくなったと親御さんからの要請を受けてのことだ。最初、署は単に不良生徒が家出したものと思ったが、たった2週間で同じ中学の生徒が5人も家出するのも奇妙な話だと思った。それで一応捜索を開始したのだがね」
「すいません。一応捜索ではなく、ほったらかしていたのではありません?」
文成が無表情に茶々を入れた。
「おふざけもほどほどにしないかね。警察と言うのは、君が思っているようなものじゃない」
やや眦をあげて松原はたしなめたが、文成は応えない。
「それでは、大阪は熊取町の小学生行方不明事件はいつになったら解決するのかね? ずいぶんとほったらかしている気がするのだが」
「平井君。警察は人に言われるほど無能じゃない。ベラベラ喋るわけにはいかんが、事件解決のため、必死になって努力しているんだ。何も知らないで皮肉を言うものではない。それに、今は2年前の中学生連続失踪事件について訊いているのだ。もう少しまじめに聴きたまえ」
松原の叱責に文成は少し驚き、そして相手の貌を見た。眼光がかなり鋭くなっている。それに先ほどからかすれ声にも力が籠ってきた。本気になってきたようだ。確かになめてかかるとえらい目に遭うと、文成も実感してきた。
「……それで、そのあとどうなりました?」
「うむ。それから彼らが行きそうなところを聞き込みながら捜索していたのだが、一向に見つからなかった。そうこうしている内に、9月30日にまた捜索願が春日井署に届けられた」
「今度は誰?」
聞きながらもまったく気持ちの無い声で文成は尋ねた。
すると、松原は急に周りを見渡した。そういえば、店内には大学生と思しき青年が先客としていたが、彼は相変わらずポータブルオーディオプレイヤーで、音楽を聴きながら文庫本を読んでいる。
それを確認した松原は、急に声を低くして言った。
「山村宏之君。愛知県公安委員会委員長で、大東和重工株式会社社長でもある山村誠之(まさゆき)氏の息子さんだ」
「ほほう。それで?」
「さすがに公安委員長の息子までもが失踪したとなると、どうにもただ事とは思えなくなって、本格的に捜査を進めたら、なんと山村宏之君が学校で手下にしていた生徒たちも失踪していることが判明した。と言うより、失踪していた生徒と言うのは何のことは無い。山村君のグループのメンバー12人全員じゃないか。そして、その連中が9月の始業式で君を半殺しにした。そうだね?」
「半殺しどころか死に掛けましたよ。なるほど。そこまで見えてきたので、私が何か知っている。あるいは極端な話、私が彼らを消したと睨んだわけですかな?」
文成は、公安委員長の息子が失踪しなければ捜索するつもりは無かったのかと、思いっきり言ってやろうと思ったが、どうにか堪えた。
「いや。別に君を疑っているわけではない。東林中学の関係者からは校長から教諭、生徒、そして出入りの業者まで全て聞き込んだ。残念ながら君から話を聞くことはできなかったがね。なんでも、オーストリアに留学したそうじゃないか」
「留学と言うほど大層なものじゃないですよ。ウィーンにある日本人学校に移っただけで。あの当時の後見人だった人と一緒にしばらく移住しただけです」
「ほう、ウィーンですか。結構なところですな。それで、向こうの中学を卒業して、日本に戻ってきたわけですか?」
「そういうことです」
「しかし、どうして戻る気になったのかね? そのまま向こうの高校に通うと思わなかったのかね」
「単に水が合わなかっただけですよ。それに、里心も付きましたしね」
そうやって白を切る文成の貌に、動揺は一切無かった。憎たらしささえ漂っている。
「ふむぅ。そうか。それじゃ、あのときのことを出来る限り思い出してもらえないかな? 始業式で死にそうな目に遭ったあと、君はなにをしていたのかね?」
やや頭髪が薄くなった刑事は、コーヒーやチキンカツサンドをそのままにして尋問を始めた。
「しばらく引き籠ってました。心身両面で大怪我を負いましたので」
「あぁ、そうだったか。で、しばらくと言うのはいつぐらいかね。まさかウィーンに移るまで?」
「いいえ。2週間後の水曜日に登校しましたよ。ひさびさに登校したら、何も無かったのでホッとしましたけどね。誰も寄り付かなくなったけど」
「誰も寄り付かない? おかしいとは思わなかったのかね?」
松原はやや大げさに訊き返した。
「他人がどのように思ったとしても、私には興味の無いことですからね。すぐに意識から消しましたよ」
「そんなもんかねぇ……。2週間後の水曜日といえば、捜索願が届けられた次の日じゃないか。彼らが失踪したと言う話は聞かなかったのかな、平井君?」
「全然。というか、そういうことは普通言わないのではないですか? 言ったら騒動になるでしょう?」
「あぁ、そうか。なるほどねぇ。で、2週間ぶりに登校してから、彼らには会ったかね?」
「会いませんよ。というか、会いそうになったら逃げますもん。もっとも、その必要は無かったですけどね。だから今生きているのかも」
「ふむぅ……」
ヴェテラン刑事はまたも唸った。どうにも落としにくい少年だ。隙があるとは思うのだが、決定的なものがまったく出ない。
「よし、わかった。あぁ、そうだ。これは失踪事件とは関係ないのだが、いくつか気になる事件があってねぇ。実は、失踪事件が発生していた同じ時期に、やくざが一人殺されているのだよ」
「それが、何か?」
「それがすごい殺され方でねぇ。頭を大きな石で潰されていたんだ。しかも顔から。さらに、刃物で胸を刺された痕もあった。ちとむごい殺され方だなと思っていたが、調べてみると、そのやくざは顔に銃弾を2発打ち込まれていた。おそらく、ナイフか何かで胸を刺したのだが、急所を外したので拳銃で撃ち、倒れたところを近くにあった石でとどめをさしたということだがね」
「やくざを殺すのはやくざじゃないんですか? おおかた、対立する組織との抗争に巻き込まれたと思いますけど」
「ところがね、平井君。上はそう思って片付けてしまったが、よく調べると、奇怪な点があったんだよ」
ここでようやく桑名が口を挟んだ。見ると、丁寧にも注文したメニューを全て平らげている。
「奇怪な点、ですか?」
「そうだ。使用した拳銃は、ライフルマークなどから推測するに、三十八口径。私が思うには、38スーパーだな。そして硝煙反応だが、やくざの頭はもちろん、着ていた服の左内ポケットからも検出されたよ。どういうことだかわかるかな?」
「すいません、全然わからないんですけど」
「つまり、そのやくざは偶発的に殺されたと推理できるんだ。使われた凶器はやくざが持っていたもの。それがもみ合ったか何かの拍子に拳銃が犯人の手に渡り、それで殺された。刃物で殺すなら、確実に急所を狙う。拳銃で殺すにしても、自分のものを使うはずだ。なのに、胸を刺して拳銃で頭を撃ち、その上で石を落とす。殺し屋の殺し方ではない。思うに、犯人はたまたまそのやくざとトラブルになった。おおかた、肩がぶつかったくらいの事で、やくざが因縁をつけてきたのだろう。そして、そのやくざが公園に連れ込んで暴行を加えようとしたら返り討ちに遭った」
「ほんとに関係のない話ですね。そんなこと私に聞かせてどうしようと言うのです?」
聞いているうちに文成は眠気を覚えた。少し眼が閉じかかっている。
「そんな風に考えて自分なりに調べたんだが、有力な手がかりは無かった。そしてこの事件からちょうど1年後の9月、殺されたやくざ、蝦島克司と言ったがね。そいつが所属していた龍江会(りゅうこうかい)が壊滅した」
「だから、何なんです?」
文成はあからさまにうんざりした声で答えた。心底つまらなくなってきた。
「それだけではない。今年の1月末までに、愛知県内の主要な暴力団や右翼団体が数多く壊滅した。その手口がまるでプロのテロリストだ。何一つ痕跡を残さない。残しているのは瓦礫の山。まるでアメリカのビルの解体工事かと思うくらいだ。そういうことが立て続けにあると、この日本もテロリストが跋扈する時代になったと、背筋が寒くなる。嫌な世の中になったものだ」
「しかし、一般市民にしてみれば、風通しが良くなったのでは? あなた方にしても、厄介な連中がいなくなって、都合が良いのでは?」
「あれだけ派手にやられると、そのうち巻き添えで亡くなる人間も出てくるだろう。それに、爆発音がひっきりなしに続けば、却って迷惑だとは思わないか」
そこへ、電子的な音楽が鳴り響いた。見ると、ヴェテラン刑事の胸元から聞こえてくる。慌てて松原が胸ポケットから取り出したのは、パールホワイトの携帯電話だった。着メロはなぜか、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のテーマ、「POWER OF LOVE」だった。
「あぁ、私だ。なに? よし、わかった。今すぐ行く」
簡単に切り上げたあと、松原は隣の若い刑事を促した。
「桑名、戻るぞ。平井君、長々とすまなかったな。もう少し訊きたい事もあったが、そうも言ってられん。また別の機会にするとしよう」
そう言って席を立ち、伝票を取ってレジに向かおうとしたが、なにを思ったか、すぐに立ち止まった。そして。
「あぁ、そうだ。平井君、テロリストで思い出したんだが……、この世界にはまだ何も知らない子供を誘拐して兵士として人殺しをさせるとんでもない輩がいるそうだ。そういう少年兵を“ボーイ・ソルジャー”と言うそうだが、それと同じように、“ボーイ・テロリスト”なんていうのもいるかも知れんなぁ。何の罪も無い子供を誘拐して、テロリストに仕立てる。ま、妄想だろうけどね……。また、お邪魔するよ」
言い終えると、松原は支払いを済ませ、桑名とともに出て行った。
文成はしばらく座ったまま動かなかった。腕を腹の前で組み、左脚を右脚の上に乗せて、視線を落としていた。表情は変わらないが、どこと無く苦さを滲ませていた。心中穏やかでない。見る人が見たらそう思っただろう。
「なかなか良いとこ衝いてくるわね、あの刑事」
ふと見ると、ウェイトレスの美雪がすぐそばまで来ていた。そして眼鏡を外し、なんとも言えぬ潤んだ目で媚態を見せながら、眼鏡の弦の端を舌の上に当てた。
それを見ながら、文成は下唇を突き出して前髪に向けて思いっきり息を吹きつけた。眦を吊り上げ、不愉快な表情で。
第31話へ続く
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