堕天使 〜Prinzipal der Finsternis〜

第12話 IN THE OLD MORGUE


 血と雷管、さらに死体となった人間を燃やす時のきな臭い悪臭を吸い込むことが当たり前と思うようになってきた。むしろ、それを嗅ぐために復讐と称して殺し続けているような気がしてきた。そのうち生き血まで啜りそうだ。そんなことを考えて、文成は微笑した。
 そんな虐殺の日々にも、ひと区切りをつけるときが来た。9月最終土曜日、最後のターゲット、山村を消滅させてしまえばとりあえず終わりだ。もうオレを虐めようと思う奴は誰一人としていなくなる。いよいよ、オレに恥辱を与え続けた山村を嬲り抜いて殺し尽くす時が来た。奴らが死んでくれたらと、どれだけ祈ったことか。それがこうも早くその日が来るとは……。文成は舌なめずりしながら、ニタリと笑った。興奮のあまり銃身が最大膨張係数を示している。
 深紅の王は15分くらい前にこの地を去っていった。今はソウル辺りにいるだろうか。それともまだ福岡あたりで遊んでいるのだろうか。文成は誰ひとりとして理解できないつまらないことを考えながら、部屋を出た。まだ気温が20度を超えているにも関わらず、文成は黒いジャケットを身につけていた。懐にはコルト・スーパー.38・ピストル(8+1発)、38スーパー弾を8発収めたマガジン(弾倉)5本、そしてバタフライナイフが1本入っていた。文成は緊張と興奮が綯い交ぜになったように躯を強張らせながら下へ降りていった。一歩降りるごとに心拍が早くなる。細くゆっくりと息を長く吐いて呼吸を整えようとするが、なかなか落ち着かない。だが、最初のときのような焦りは無い。むしろ、恍惚としてきた。いよいよコールタールにまみれた悲惨な日々が終わるときが来た。
(今夜は……、じっくりと楽しませてもらうぜ……)
 おぞましく吊り上った文成の口元から涎が垂れかかっていた。

 夜、誰もいない中学校で、山村は一人たたずんでいた。時折、いらついたように地面の小石を蹴り上げていた。しかし、その表情にいつもの狡猾で嗜虐的な笑みが表れることは無かった。ここ最近、彼には余裕がまったく無かった。それどころか、彼は生まれて初めて不安と恐怖を覚えたのだ。
 最初はまったくわからなかった。喜田嶋が行方不明になっているなんて欠片にも思わなかった。滝田を見かけなくなったことに気づいても、どうせどこかで遊んでいるものだろうと思い込んでいた。
 だがある日、メンバーを集めたときに、11人いるはずのメンバーが5人しか来なかったとき、山村の心に初めて不安が芽吹いた。
「おい、なんで今日はこれだけしか集まらないんだ? 他の奴らなんで来ないんだ?」
 メンバーに話を振っても、要領を得ない反応しか得られなかった。
「あ、そういえば、なんでだろう?」
「いや、言われてみたら、ここんとこ、全然見てないぜ」
「誰がいないんだよ?」
「喜田嶋、滝田……、島本、西森、それに……、丸山、安達もいないぜ?」
「おまえら、なんか、聞いてないのかよ!」
 山村は怒鳴りつけた。すると一人が、
「そういえば……」
 と、なにか思い当たることがあると言わんばかりに切り出した。
「なんだよ、田川。言ってみろよ」
「それが、山村さん。うわさなんですけど、喜田嶋と滝田の親が警察に捜索願出してるらしいんですよ」
「捜索願! それじゃ、親も知らないと言うことか!?」
「そうみたいなんですよ。十日以上も家に帰ってこないんで、不審がった親が警察に相談したらしくて……、教師どもは隠してるらしいですけど」
 この田川の発言で一気に場が冷たくなった。誰一人として口を引き結んだまま、一切開こうとしない。
「…………平井、平井の奴はどうしてるんだよ。まだ、引き籠ってるのか? まさか、自殺したのかな?」
 山村が悪趣味な冗談を飛ばしたが、貌が引き攣って声も掠れていては誰も笑うことが出来なかった。
「いや、それが……、昨日来てたらしいんですよ」
「お前の話は、らしいばっかりか!」
「いや、俺はこの目で見てなかったんでなんとも言えないんですけど……、ただ、何と言うか……」
「なんだ?」
 山村ににらまれた田川はおそるおそるしゃべり始めた。
「平井の奴、人が変わったというか、あいつ、変なオーラ撒き散らしてるみたいで」
「なんだ、それ?」
「その、なんていうか、近づいたら、ぶっ殺す、と言うより、木っ端微塵にしてやるって、雰囲気なんですよ。もう、誰一人として、近づけないんですよ」
「あんな泣き喚く事しか能の無い奴に、何が出来る」
 高を括るように嗤う山村に向けて、今度は藤尾が言った。
「いや、もうあのときの平井じゃないんですよ。平井が川上と一緒に車に乗ってどっか行ったらしいんですけど、あの川上が平井の顔見るたびに、なんかビビッてたらしいですよ」
「えぇ!」
 全員が驚きの声をあげた。川上先生が剣道六段の腕前だということを学校はおろか、この町で知らないものはいない。彼らも彼女の恐さを知っていたから、手を出さなかった。その彼女がひさびさに現れた平井の貌を見てビビッたというのだから、平井の変貌は推して知るべし、だろう。
「おい、まさか、みんな消えたの、平井の奴が……」
 誰からともなく上がったその声に、全員押し黙ってしまった。山村でさえ、何一つ言えなくなってしまった。平井の変貌と仲間の失踪。絶対関係があると、誰もが思っていた。そして、近いうちに自分たちも行方不明にされるんじゃないか。それはもう彼らにとって確定的なことだった。
 事実、この集まりから一週間後、山村を除く全員が、何の予告も無く次々と姿を消していった。
 さて、なぜ山村が今ひとりで、中学校でイラついていたのか。この日、山村に何者かがタレこみの電話を掛けてきたのだ。ヴォイスチェンジャーでも使ったのか、その声は機械的なつぶれ方をしていた。
「あんたが引き連れてる不良どもが、あんたのことが気に食わないってんで、どうやってあんたを叩き潰してやろうかといって、集まってるらしいんですわ。秘密の場所でね。オレはそれを偶然見たんですわ。今日夜の8時に、そうですね、中学校で待ち合わせしましょう。それから案内しますわ」
 これを聞いて山村は頭に血が上った。何が平井の変貌だ。なにが失踪だ。あいつら俺をコケにしやがった。俺を騙して罠に掛けようとは、百年早いんだよ。逆に締めてやる。
まてよ、なぜあいつらが俺に楯突くようになったんだ? そんなそぶりは一切無かった。俺の力がどんなものか、あいつらが一番知っているはず。そう考えると、山村は落ち着きを取り戻した。あいつらが俺に刃向かう訳が無い、フカシだな。
 いったんはそう結論付けた山村だったが、すぐに新たな疑念が沸き起こった。
(じゃ、なんで、そんな見え透いた嘘をつくんだ? 俺を罠にかけるというのなら、何のためだ? それがわからない……)
 少し考え込んだ山村ではあったが、すぐに切り替えた。
「どうでもいいか。相手が変な気を起こしたら、こいつで抑えりゃいいだけの話だ」
 そういって、懐から棒状のものを取り出した。よく見るとそれは妙に白っぽく磨かれていた。白鞘だ。どうやら匕首のようだ。山村は白鞘から匕首を引き抜き、その輝きを見ながら、ニヤニヤとまるで偏執狂のように笑い出した。
「この、月山貞一で血祭りにすればいいだけのことだ……」
 そういって、この九寸五分弱の重ね厚目で大振りな短刀を仕舞って、中学校に向かった。
 時間通り来たのだが、相手は一向に現れなかった。そのあいだ、タバコを5本吸いきったが、気持ちを落ち着けるどころか、苛立ちが募っただけであった。
(人をおちょくりやがって……。どこの誰だ、いったい!?)
 完全に頭から湯気が上がったその時、どこからともなく、バイクの音が聞こえてきた。こちらへ近づいているのがわかる。やっと来たようだ。いったい、どこのどいつが俺を罠に嵌めようとしに来たのか。山村は右腕をさすりながら身構えた。
 山村の視界にバイクが見えた。と言っても、正確にはバイクのヘッドライトが見えたというべきだろう。バイクは山村を見つけるや、なぜかスピードを上げて猛然と突進してきた。轢き殺すつもりなのだろうか? ヘッドライトの光が山村の目を眩まさんばかりに大きくなってきた。山村は右手で覆い隠して、横っ飛びでぎりぎりかわした。ぐるぐる体を回転させながら、再び躯を起こしてバイクを見た。一瞬ではあったが、ちょうどバイクのシルエットが横を向けていた。形からしてビッグスクーターだった。色はおそらく赤色。
(赤のビッグスクーター? どこかで見た気が……)
 この時、山村がこのスクーターの持ち主が誰だったかを思い出すことができたなら、運命は少し違っていたものになっていたかもしれない。思い出せたなら、バイクを転倒させることを考えて、相手が誰かを確かめられたはずだ。
 しかし、山村が思い出そうとしている間に赤いビッグスクーターは大きな目を光らせてまた突進してきた。山村はもう一度、寸前で避けようとして、中腰の態勢でその時を待った。だがスクーターに乗っていた者は、そんな山村の浅墓さを嘲笑うかのように、右手に隠し持っていた鈍器を振り下ろして、山村の頭を打ちのめした。膝から崩折れた山村はその場で蹲った。スクーターに乗っていた者は、フルフェイスのヘルメットに全身黒ずくめだったが、背は比較的低かった。170cmに届いていないだろう。スクーターを降りると、山村の背後から首筋に再び鈍器を振り下ろした。これで完全に山村は気絶した。黒ずくめのライダーはシート下から大きな麻袋を取り出し、体重80kg程の山村を放り込み、後ろのシートに固定した。そして、ビッグスクーターを発進させた。

 犬山市の山手に、数年前に廃業した病院址がある。キャンディミュトスマゼンタ・カラーのビッグスクーターに乗った“死刑執行人”は袋詰めにした山村を引き摺りながら、病院の中に入っていった。あたりは人気がまったくなく、音が存在しないのかと思うくらい、静まり返っていた。元手術室だったらしいところに入ると、あらかじめ持ち込んでいた照明にスイッチを入れて、部屋を灯した。中に手術器具はまったく無かったが、なぜか、大きな鏡が三枚あった。
 執行人はヘルメットを取ると、サングラスと白いマスクを掛け、白衣を身に着けた。そして、麻袋から山村を出した執行人は身包みをすべて剥ぎ取り、手術台に乗せた。そして、これもあらかじめ用意していた麻縄で両手首と両足首を縛りつける。躯の自由を完全に奪ったところで、ズボンのポケットからライターを取り出し、山村の鼻毛に向けて火をつけた。ちりちりと鼻毛を焼く熱と嫌な臭いに、山村は悲鳴を上げた。そして、周りを見回すと、自分が天井を向いていることに気づいた。起き上がろうとしたが、すでに両手首と両足首を縛られているため、当然起き上がることが出来ない。
 何事かと思ったら、自分の左側に、サングラスと白いマスクを掛け、白衣をまとった人間が自分を見下ろしていた。
「てめぇ、いったい誰だ! 俺が誰だかわかってて、やってるんだろうなぁ! ただで済むと思ってんのかぁ、こらぁ!」
 山村はお約束の罵り文句を浴びせた。すると、白衣をまとった者はやたら慇懃丁寧に喋り始めた。
「ようこそ、わが死体安置所へ。少々古びているのは、ご愛嬌というところで」
 マスクを着けているせいか、声がくぐもっていた。が、その声から男であることがわかった。
「ふざけるんじゃねぇ! お前は誰だと、俺は訊いてるんだ、このボケ!」
 さらに喚く山村に対して、男は悪乗りするように、
「This is Chainsaw Charlie!」
 と、ややハイテンションな声を上げて答えた。わざわざ、両手の人差し指と中指を天井に突き上げる。
「なめるんじゃねぇ! てめぇ、どうゆうつもりだ! なに考えてるんだ! どこのバカ野郎か知らないが、俺のことを知らないでこんなことをやってるんじゃないだろうなぁ?」
 バカみたいに喚き散らす山村に、男は冷静というよりは、冷酷に言い返した。
「知ってるよ。この世で最も存在価値が無いのに生きてる害虫、山村だろ?」
 あからさまに侮辱したので、山村はさらに激昂した。
「害虫だとぉ。てめぇ、何様だ。俺を害虫というほど、お前は偉いのかよ?」
 山村はねっとりと絡みつくような、気色の悪い声を発して尋ねた。すると、男はマスクを外し、サングラスに手を掛けた。そしてサングラスを外しながら山村に向けてゆっくりとした口調で言い放った。
「オレは、死神様だ。山村、お前が知らないわけが無いだろう?」
 正体を明かした男の貌を見て、山村はこれ以上ないというくらい、驚愕の表情を見せた。おそらく人生で最も驚いたのかもしれなかった。現れた貌は……。
「ひ、ひらい……、平井、文成!」
 驚き、凝固する山村を、文成は冷たく見下ろした。おもむろに冷淡な笑顔を作ると、
「待っていたよ、山村君。この日が来るのをね」
 と、始業式の日に山村が発したような猫撫で声を、この時とばかりにまねて見せた。
「ずいぶん間抜けたツラを晒してくれるじゃないか。笑えるよ。なぜ、お前がここにいるんだと言いたそうだな」
 白衣についているポケットに両手を突っ込んだまま、文成は作り笑いを保ちながら淡々と言った。凝固した山村は、はあはあと呼吸を荒くして、搾り出すように言った。
「おれを、どうするつもりなんだ? おれを、こんなふうにして……、タダで済むと、思ってんのか?」
 先ほどまでの元気が無いのは、文成が何をするつもりなのか、薄々気づいているせいなのかもしれなかった。だがその一方で、そうであってはならないと願ってもいた。
「さっきから聞いてるとさぁ、お前をズタボロにしたら、誰かが仕返しするみたいに聞こえるんだけどさぁ、お前のために動く人間なんかいるのか? もうお前の仲間はこの世どころか、あの世にもいないはずなんだがなぁ」
 文成は後半からゆっくりと声を落として、侮り嬲るように言った。
「どういう意味だ!?」
 山村は声を荒げて言った。すると文成は白衣のポケットから両手を出して広げた。
「喜田嶋、滝田、島本、西森、丸山、安達、それから、田川、藤尾、森峰、古池、杉田……。みぃんな、オレが徹底的に虐め抜いてぶち殺したよ。今まで虐められた恨みを何百倍、いや、何千倍にして返してやったよ。気持ちいいもんだねぇ……。許してくれ、殺さないでくれと、泣き喚いて命乞いする奴をいたぶり抜いた挙句、殺してバラバラにして、燃やし尽くすのは。お前の気持ちが、すこーし、わかったよ。そういえば、喜田嶋のクソボケ野郎がオレの事を、お前とおんなじ奴だと罵ったが、でもそれは、お前らが悪いんだぜ。オレに関わろうとしなければ、こんな事にはならなかったんだぜ。下手にオレと関わるどころか、虐めるもんだから、永久に消されることになるんだ。
 あぁ、それから、お前を運ぶのに使ったあのスクーターは田川を殺したあとでオレがいただいたよ。なかなか役に立ったな」
 文成は指を折って殺した人間の名を挙げ連ね、殺戮の快感とその快感を覚えるようになった責任は山村たちにあると、楽しそうに訴えた。最後に皮肉まで加えた。山村は黙って見つめていた。いや、声を出すことができず、目を逸らすこともできなかった。自分の仲間が失踪した真相と、そしてこれから文成が自分に対して何をするか、はっきりと確信を得た。
(こいつは……、俺を本気で嬲り殺しにするつもりなんだ……!)
 山村の躯が恐怖で震えだした。生まれて初めて恐怖を感じた。今まで恐怖を感じなかったのは、自分の腕力と地域の有力者であった自分の父親の力があったからであった。だからこそ、山村に媚びへつらってくるものは後を絶たなかった。気に入らない人間は嬲り者にしてきた。虐めに堪えかね、自殺したものも何人かいた。それでも何一つ咎められなかったのは、後ろに自分の父親の力があったからであった。そのため山村は、恐れるものは何も無いと、言わんばかりに振舞ってきた。
 だが、平井文成は違った。あれだけ散々虐め抜いたのに、自殺するどころか逆に復讐してきたのだ。しかも、想像もつかないえげつないやり方で。そして、自分がこうなった責任を取れと言って来た。この男は俺を恐れない。それどころか、俺の父にまで責任を取らせるつもりかもしれない。もしかしたら、人間すべてに責任を取らせるつもりなんだろうか……? 山村の恐怖から生まれた思惟はとめどなく飛躍した。脂汗がひっきりなしに流れ出す。
「さあて、これからどうしようかなぁ……?」
 文成が妙に楽しそうに喋りだすと、ようやく山村は半ば自棄を起こして言った。
「どうせ俺を殺すつもりなんだろ? 殺すんならとっとと殺せ!」
 すると文成は意外なことを言った。
「ちょっと気になることがあるんだよなぁ。どうにも全然わからなかった事があるから、お前にどうしても訊きたい事があるんだよ。ちゃんと答えろよ」
「なんだよ、いったい? 何を訊きたいんだよ?」
 山村は毒づくように言った。
「オレを散々虐めた理由は何だったんだ? ただ気に食わないというだけでオレをズタボロにするのは、どうにもおかしすぎるからなぁ。それなりの理由があるだろう? いったい何だったんだ?」
 文成は淡々と抑揚をつけずに尋ねた。それに対して山村は、ふん、と鼻を鳴らして、貌を背けた。
「お前の何もかもが気に食わないんだよ。それ以外に理由なんかあるか」
 山村はまるでふて腐れたように吐き捨てた。
「オレはちゃんと答えろといったはずだ。そんなんで理由になると思ってるのか? 答えないなら、今ここで無間地獄を味わってもらう」
 そう言って文成は懐に手をやると、山村が持っていた、月山貞一の匕首を取り出し、鞘から抜いて見せた。白鞘を放り捨て、匕首の刃を山村の剥き出しの下腹部に当てた。
「納得のいく答えを出さないなら、ここから順々に切り落としてやる。それとも、ここから皮という皮を剥いてやろうか?」
 文成は声を重低音にして脅した。匕首を横に滑らせて、下腹部の皮膚を少し削った。
山村の口から悲鳴があがった。それを聞いて文成はさらに皮膚を剥いていっては、山村から悲鳴を搾り出していた。
「このまま、全身の皮を剥きとって、理科室の標本みたいにしてやろうか?」
 冷淡且つ無機質な声で脅しあげながら、文成はゆっくりと山村の下半身の皮膚を剥いでいった。ときおり、陰茎に向かうと見せかけて、匕首を鋭く跳ね上げてかわすため、山村の躯に激痛が走った。
「や、やめろ、平井! しゃ、しゃべるから、やめてくれー!」
 山村は音をあげて、文成に懇願した。その貌はすっかり汗まみれになっている。
「なんだ、もう少し粘れよ。そうしたら、もっと面白かったのに」
 文成は心底つまらなさそうに言った。そして、匕首を山村の左の太腿に突き刺した。さらに強烈な絶叫が上がる。
「それで、オレを嬲りものにした理由というのは、なんだ?」
 相変わらずの無機質な低音で訊きながら、文成は匕首の刃を山村の首筋に当てた。山村は呼吸を荒くしながら喋り始めた。
「……草薙だよ。草薙遥、あいつが欲しかったんだ、俺は。最初見たときからモノにすると決めてたんだ。最初口説きに行ったら、あの女、とっとと帰れと言いやがった。それで無理やりモノにしようとしたら、あいつ何をしたと思う。俺のタマ蹴り上げて倒した挙句に、俺の顔面に唾かけやがった。その時だよ、あの女がお前のことを婚約者だとぬかしたのは。それで、お前を服従させてグループに引き入れようと思ったんだ。そうすればお前を使って、草薙をおびき出して、やれると思ったんだ。なのに、お前はあれだけ泣き喚いたのに、全然屈服しなかった。なにをやっても、俺の脅しが効かなかった。なんでだ……、なんでなんだよ!」
 途中から奇妙に興奮してきたのか、山村は早口で喋りきった。
「あぁ、そう」
 文成は貌色ひとつ変えずに短く言うと、なぜか山村の首筋に当てていた短刀の刃を引っ込めた。そして文成の口から意外な言葉が出た。
「よーし、わかった。お前を解放することにしよう。縛めを解いてやる」
 その口調に冷酷さがまったく無かった。ある種、倦怠感がにじみ出た口調だった。まるで、遊びに飽きた子供のような声だった。
 この声を聞いて、山村は安堵した。同時に文成が隙を見せたところで、逆に虐め抜いて殺そうと考えた。あいつは殺す気でいたんだ。生かしておく必要はもう無い……。山村は残虐な笑みが顔に出そうになるのを必死で隠しながら、心中でほくそ笑んでいた。
 文成は持っていた短刀を手術台の端に置いた。これを見て山村は不思議に思い、声を掛けた。
「おい、なんで匕首を使わないんだ? それでこの縄を切るんじゃないのか?」
 すると文成はまた声を低くして言った。
「いや、もっと切れ味のいいもので切ってやろうと思って、ねぇ!」
 言い終わるや否や、文成は懐から今度は鉈を取り出して、大上段から振りかぶって叩きつけた。しかし切ったのは縛っていた縄ではなく、山村の左手首だった。2日前に入手したばかりの新品の鉈の切れ味は、気持ち良くスパッと切れた。文成は切り落とした左手首を遠くへ振り払った。切り口から鮮血が噴出し、山村はまるで脳が割れたかのような甲高い絶叫を吐き出した。文成はすばやく山村の右側に回りこんで、山村の右手首も同じように切り落とした。右手からも血が勢いよく飛び出し、山村は一気に恐慌に陥った。自由になったといえば自由になったのだが、もう二度と暴力はおろか、箸を持つことすらできない。
 文成の暴虐はとどまるところを知らない。両足首は切らずに普通に縄を切ったが、そのあと手術台に登って山村を蹴飛ばして床に落とし、うずくまっている山村の背中へ飛び降りた。脊椎を踏みつけたあと、さらに山村の首筋も踏みつけた。山村の口から悲鳴がひっきりなしにあがる。
 今度は山村の頭を掴んで引きずり、鏡を並べているところへ持っていった。そして掴んでいる頭を引いて、床に叩きつけた。鈍く重い音が室内に響いた。
「どうだ、今の心境は?」
 文成は小首を傾げて、まるで虫けらを踏み潰すかのような冷酷な笑みを浮かべて、山村に言った。その表情は完全に殺人の悦楽に酔った貌だった。
「…………は、話が、ちがうじゃ、ないか。ひらい……、よくも、てめぇ……」
 山村が息も絶え絶えに言うと、文成は待ってましたと言わんばかりに、嘲笑いながら侮蔑の言葉を投げつけた。
「解放してやるとは確かに言ったよ、間違いなくね。だが、殺さないとは一言も言っていない。オレはこれ以上縛り付ける必要が無くなったと思ったから、お前を解放してやるといったんだ。生かして帰そうなんざ、欠片にも思ってねぇよ、この害虫が」
 言い終えると文成は白衣を脱ぎ捨てて放り投げると、38スーパー・ピストルを出して、山村の両肩の付け根と、両腿を撃ち抜いた。乾いた銃声と山村の絶叫が不協和音を生み出した。
 文成は再び手術台へ行き、端に置いていた月山貞一を手にして山村の元に戻ってきた。そして、山村の腰のあたりでしゃがみこんだ。
「ケツの穴に異物を突っ込むのが好きだったなぁ」
 そう言い終えた瞬間、文成はこの幕末期の名刀工の短刀を山村の肛門に突き入れた。山村は全身が高圧電流でしびれたような感覚を覚えながら、絶叫を絞らせれ、失神しそうになった。だが、文成がそれを許さなかった。再びライターを取り出して、今度は山村の耳朶を炙り、さらに絶叫させて意識不明を防ぐ。
「お前には取って置きのフルコースを用意したんだ。ようく味わえ」
 文成はそう言って山村の半身を起こし、鏡の前に突きつけた。背後に回りこんで、山村を羽交い絞めにする。
「これからおまえは、自分がバラバラ死体になるのを鏡で見ながら死んでいくんだ。面白いだろ、自分がバラバラにされるのを見ることなんか、まず無いからな。普通は殺してからバラバラにするんだからな。おのれが醜く無残に潰れるさまを、じっくりと見るがいい」
 言い終えた後、文成は山村の屠殺を始めた。泣き喚きながら命乞いをする山村の声をBGM代わりに、文成は甲高く笑い飛ばしながら、じわりじわりと解体していった。
 解体を終えた文成は38スーパー弾を30発以上使って、山村の頭部をぐちゃぐちゃにした。慣れた手つきでバラバラになった山村の残骸に灯油を撒き、用意していた酸素ボンベのコックを開放した。慎重に灯油を撒きながら外に出た文成は、灯油缶を廃墟に放り込むと、ライターで灯油に火をつけた。すばやく離れた文成はビッグスクーターに乗り、エンジンを掛けた。エンジンが掛かった瞬間、元手術室から轟音がとどろき、瞬く間に炎が広がった。爆風で窓ガラスが割れ、建物全体が震動している。まるで竜が勢い良く駆け抜けているかのようだ。
「ずいぶんとまぁ、ド派手に燃え広がって……」
 苦笑いしながらつぶやいた文成は急いでスクーターを発進させ、溶鉱炉と化した旧病院をあとにした。

 日曜日の朝、ラジオから犬山市の病院跡で爆発事故があったとのニュースが流れていた。建物はまるで、ダイナマイトで解体されたかのように全壊していたという。山村の死体が出てきた話は、一言も出てこない。
「そんなに派手にならないはずなんだけどなぁ……。大阪の中座の爆発事故じゃあるまいし……」
 文成は首を傾げながらのんきに微笑んで、躯を湯で絞ったタオルで拭っていた。拭い終えると、冷蔵庫からジンジャーエールとタンブラーを取り出した。ベッドに腰掛けるとラジオの電源を落とし、ジンジャーエールをタンブラーに注ぎ込み、ひっそりと祝杯を挙げた。そして黄金色に輝く液体を流し込んだ途端、歓喜の声を挙げた。
「うまい!」
 まさに爽快感をもたらすアムリタ(甘露)であった。ジンジャーエールは幼い頃から好んで飲んでいたが、これほどまでに旨い飲物だとは思わなかった。全身の細胞という細胞が刺激されて活発化し、膿という膿を出し切って、溜まっていたエネルギーをすべて発散させるような感覚だった。心地よい快感が文成の全身全霊を駆け巡った。
 文成はタンブラーの中のジンジャーエールを飲み干し、ベッドに倒れこんだ。
 復讐はひとまず終わった。まだ殺してやりたい奴らはいくらでもいる。だが、慌てることは無い。じっくりと進めれば良い。今はこの快感に身を委ねて貪るように眠ろう。おのれの悪鬼羅刹の血を燃やすのは、もう少しあとで良い……。
 文成は気だるげに身を起こし、ジンジャーエールを冷蔵庫になおした。そして再びベッドに身を投げ出し、そのまま眠りについた。あっさりと眠り込んだその寝顔は、まるであどけない幼児のように安らかだった。



第13話へ続く



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