堕天使 〜Prinzipal der Finsternis〜

第2話 傲慢なシンデレラ(?)


「どうじゃ。お前しかできなかっただろ?」
 ベンチに戻るや否や、森田監督が声をかけた。文成以上に、してやったりの表情をしている。
「勝ち誇ってますね。まるで自分がやったみたいに」
 何の遠慮も無く、文成は監督を揶揄した。だが、監督は怒るどころか満面に笑みを湛えた。
「それだけ肝っ玉の太い奴はお前以外におらん。わしの見立てに間違いは無いからな」
「よく言うよ」
 文成は苦笑した。この監督の顔を見るとどうしても笑ってしまう。それは侮蔑の気持ちではなく、温和な気持ちになるからだ。
(これが、人徳か……)
 そんな風に思う自分がおかしかった。そんなものがあるものかと、今まで否定してきたのだから。
「平井、早くしろ。ヒーロー・インタヴューじゃ」
 老監督が文成に声をかけた。
「え?」
「何をすっとぼけとるんじゃ。お前以外にヒーローがいるのか?」
「インタヴュー? 監督が受けてくださいよ。オレ嫌ですよ」
「お前が受けないんなら、わしも受けん」
「なんですか、それ?」
「とにかくインタヴューを受けなきゃ、後がうるさいからの。向こうでマスコミの人間が大勢待ってるぞ」
 老監督は是が非でも受けさせるつもりらしい。
「好き放題言っていいんですか?」
 相変わらず無責任な口調で文成は老監督に訊いた。
「放送禁止用語さえ言わなきゃ大丈夫じゃろう」
 この老監督も案外、無責任だ。このあと、大波乱のインタヴューになるとは、欠片にも思っていないのだろう。

「……それでは、代打逆転サヨナラ、場外ホームランで勝利した、弘成高校の平井文成選手のインタヴューです。まずは、おめでとうございます」
「あ、ありがとうございます」
「最終回のあの場面、代打を言われたとき、どんな気持ちでしたか?」
「いや、気持ちも何も、眠たかったですねぇ」
 この瞬間、ヒーロー・インタヴューの間は一気に凍結した。前代未聞のホームランを打った選手が、前代未聞のコメントを発したのだから。
「眠かったとは、どういう…?」
「いや。純粋に眠たかった、というより、ほとんど寝てました。監督に代打で出ろと、叩き起こされました」
 インタヴュアー、記者たちに凍てつく笑いが広がっていった。
「……それでは打席に向かうときは何を考えていましたか?」
「……そうですね。なんか、観客席から、何で四番をひっこめるのか? とか、森田監督は野球を知らないのか? と言う声が聞こえた気がしたので、心の中で、オレに訊くな、と思いましたね」
 ますます凍りつく。
「では、あのホームランを振り返りましょう。まず、1球目。低めに来たボールを空振りしてしまいましたが、キャッチャーの上を振りました。これは緊張したんでしょうか?」
 すると文成は急に瞳を輝かせて、
「あれですか? あれはわざとやりました。ついでにひっくり返って、ヘルメット落としたら観客に受けるだろうなぁと。異常に受けましたね」
 と、答えたのだ。インタヴュアーは顔面蒼白である。
「そ、それでは2球目もわざとだったと?」
「わざとです。それだけやれば、ホームランボールを投げてくれるだろうな、と思いました」
「では…、うぅん! …3球目に予想通りのボールが来たと言うことですか?」
 インタヴュアーはつっかえたのか、咳払いしてから質問した。
「そうですね。内角低め、150km、もう少しあったと思いますけど、でも、内角低めのはずがど真ん中に来ましたね。力んだのでしょうかねぇ? これ以上無いホームランボールでした。後は思いっきり振り抜けば良いだけでしたので。でも場外とは思わなかったですね。随分飛んだと思います」
 あまりにもあっけらかんと答える文成に、記者たちは呆れ返ってしまった。記者だけでなく、弘成高の選手たちも呆然としている。ただ、老監督、森田だけはホクホク顔で文成を見ていた。
「そ、それでは……、最後に……、」
「あ、もう終わり?」
「あ、いや、その……」
 信じられないくらい、しどろもどろになったインタヴュアーに対し、文成は、
「終わりなら、そのほうがうれしいんですけど。もう疲れてるから」
 と、本音とも、おちょくりとも取れる言葉を投げる。
「あ、では…、次は2回戦ですが、2回戦の意気込みをお願いします」
 すると文成は老監督のほうを向き、
「カントクゥ。2回戦はオレ、どうしたら良いんですかぁ?」
 と、人を食った質問をした。
「試合に出たいか?」
 老監督はニヤッと、笑ってから言った。
「いや、見てるほうが楽しいから。あんまり……」
「あんまり、なんじゃ?」
「……あんまり、出たくないです」
 苦笑しながらも、文成は言い放った。もう、マスコミの連中は一言も発することができなくなっていた。
「それでは、ヒーロー・インタヴューを終わりまぁす」
 文成は勝手にインタヴューを打ち切った。そのとき、ナインが一人もいなくなっていることに気付いた。
「愛想の無い奴らだ。力も無いけど」
 信じられないくらいの傲慢さである。とは言え、推定飛距離170mは飛んだのではないかと思われる場外ホームランを放ったのだから、傲慢にならないほうがおかしいのかもしれない。

 帰り支度を整え、弘成高ナインは出口に向かって歩き出した。宿舎へのバスは元いた位置には無いそうだ。別の場所へ移動したとの説明だった。全員無言で向かっている。殺風景この上ない。
「……文成。なんか、気まずい雰囲気だなぁ」
 文成のすぐ後ろを歩いていた、同じ一年生の中村康一が小声で話しかけてきた。かなりオドオドしている。
「さぁ。大したこと無いじゃないか」
 愛想悪く文成は答えた。
「そんな風に言えるお前がうらやましいよ」
 ため息交じりに中村が言うと、
「あぁ、そう」
 と、感動も無く文成はあしらった。文成にとっては、あまりにもどうでも良い事なのだろう。
 その時、向こうから別の高校ナインが出口に向かうのが見えた。と言うより、鉢合わせになった。見れば、弘成高校に逆転サヨナラ負けを食らい、甲子園を去ることになった、武蔵学院高校ナインである。当然と言えば当然だが、異様な緊張が走った。外部の者が見れば、スリルある光景だろう。
 だが、森田老監督がお辞儀をして歩き出すと、弘成高ナインもそれにならってお辞儀しながら歩き出した。武蔵学院ナインは内心はともかく、会釈して歩き出した。
 文成も平然としてお辞儀し、出口に向かって行った。しかし、
「あんた。ちょっと待ってくれないか」
 どこからか、文成を呼び止める声が上がった。だが、文成は無視して立ち去ろうとする。
「まてよ、平井文成! 言いたいことがあるんだよ!」
 すると文成は、なぜか目を丸くして振り返り、声のする方角を見た。そこには、どこかで見た気のする、武蔵学院の野球部のユニフォームを来た選手が立っていた。
「おい、やめろ、三上」
 後ろで抑えているのは、キャッチャーの岩田である。が、三上と呼ばれた選手は構わず文成に向かって言った。
「お前に言いたいことがあるんだ。こっち来いよ!」
 文成は老監督の方へ向くと、かなり低い声で言った。
「監督。今から警察呼んで、このクソガキ護送するよう言ってください」
 完全に挑発する喋り方に、三上はあっさり激昂した。
「ふざけろよ!」
 岩田のほか、二、三人の選手が抑え込もうとしているが、三上は怯まない。
「別に逃げやしねぇから、その場で言えよ。人を呼びつけようなんざ、身の程知らずも、いいとこだ」
 恐いもの知らずの文成が言い放つ。また、緊張感が走る。
「だいたいお前誰だよ。三上とか、呼ばれてたけど、名前は? ゴンザレスか?」
 文成は誰にもわからないマニアックなギャグを交えながら訊いてきた。どうもこの少年は、人間はおちょくられるために存在すると思っているようだ。
「俺は三上和恭(かずたか)。7番・セカンド。お前とおんなじ、一年だよ」
「あ、おまえか。オレがベース1周するとき、顔面真っ青にしてたのは。ま、どうでもいいけどさぁ」
 全然感興が起こらなかったのか、文成は、冷め切った答え方をした。
「訊きたいことがある。インタヴューで言ったこと、本気か?」
 三上が必死で怒りを抑えながら問い詰めてきた。
「言いたいことじゃなかったのか?」
 文成が突っ込みを入れる。まったくもって、まともに人の相手をしない。
「いったい、おまえは、何様なんだぁ!」
 三上は完全にぶちきれて、文成に食らいついてきた。仲間に抑えられているにも関わらず、がなりたてて、振り払おうとする。
 それでも文成は涼しい顔を崩さなかった。むしろ、ますます冷やかに見るようになった。
「負けた奴に付き合うほど、暇じゃないんだ。つまらない事を言うつもりなら、オレは知らん。とっとと帰る」
 文成はそう言って背を向け、歩き始めた。
「平井文成。おまえの名前、絶対忘れんからなぁ! 必ずおまえの、その傲慢なプライドをズタズタにしてやるからな! 覚えてろよ!!」
 三上はあらん限りに声を張り上げ、文成の背に向かって吠えた。その眼は、完全に復讐を誓った者の眼だった。
「あぁ、やだやだ。もう二度とオレの目の前に現れないでくれよ。これだから力の無い奴は嫌いなんだ」
 文成は思いっきりウンザリした声で言った。いや、心底ウンザリしたのかもしれなかった。

 先程、バスが移動していたと記したが、その理由をわざわざ書くまでも無いだろう。が、あえて書くと、文成の場外ホームランと、その後の爆弾発言連発のインタヴューで、大混乱が起こることを予期した大会運営者側が即座に帰りバスの移動を決めたのである。前代未聞かもしれなかった。その甲斐あって、弘成高校と武蔵学院高校のナインがバスに乗り込むときは、マスコミや観客に巻き込まれることは無かった。
「なんか、事故にならないよう、気を使ってくれたんだろうけど、キャーキャー言われないのも、寂しいなぁ」
 ぽつぽつと、中村がつぶやいた。
「いいじゃねぇか、別に。騒がれるためにここに来たわけじゃないんだから」
 騒ぎの原因となった文成が、まだうんざりした声で言った。彼自身、もう疲れきっているのだろう。声の張りが弱くなっていた。
「平井君、すまないが、ちょっと来てくれ」
 また、文成に声を掛けてきた人間がいた。文成はあからさまに厭そうな表情を示して、
「もう、いい加減にしてくださいよ。人が疲れてるときに」
 と、心底不満な声で、相手に顔を向けた。
 見ると、武蔵学院のキャッチャーである岩田だった。さっきは三上とか言う1年生を押さえつけていた、あの岩田である。
「何の用です? まさか、集団強姦?」
 穏やかでないことを言う文成。
「おいおい。随分なことを言うなぁ。なぜ、そんなこと考えるんだ?」
 苦笑しながら、岩田は尋ねた。
「打席に入ったときから、やたらと、オレを見てましたねぇ。かなり意識して。雰囲気が異様でしたよ」
「代打で出てきた奴が"美少女"だと、勘違いしてしまったよ。そういう事を含めて、いろいろ聞きたいことがある。昼飯に付き合わないか?」
「集団行動を外れるのは、高校生らしからぬ行為として、許すまじ、じゃないのですか?」
「オレは監督と部長の許可は取った。君さえ自由に動けるようになったら大丈夫だ」
「そういう問題ですか?」
 すると、岩田は声を潜めて言った。
「他の奴らはともかく、自立している人間に対してどうのこうのと干渉する権利は、誰も持ってないよ」
 文成は目の色を変えた。目はすっかり覚めて、疲れた様子は無い。よくよく岩田を見ると、身長は文成よりわずかに高いくらいだが、華奢でもなければ太ってもいない。むしろ、頑健な体格をしていた。顔つきもなかなか端正で彫が深い。
「闇討ち考えてる奴らが後ろにいそうだが?」
 またも岩田は苦笑する。
「絶対にそれはさせない。そういう奴がいるなら、オレがぶん殴る」
「あなたも随分、怖いこと言いますねぇ。とりあえず、親爺に聞いてみるよ」
 文成が振り返ると、肝心の親爺が、腰に両手を当てて立っていた。
「あ、親爺」
「誰が親爺じゃ、誰が?なんか用か?」
 九日、十日、と言うのを必死に堪えて、文成は親爺に言った。
「監督。こちらの岩田さんがオレをどうしてもランチに誘いたいと言ってます。夕方までには帰すそうです。監督が許可してくれない方がオレはうれしいんですけど」
 変に丁寧に言っている文成は、その実、岩田にわずかに興味を示していた。何を聞くかというより、自立している人間に対して干渉する権利は無い、と言い切った岩田に、何を考えているのか知る気になったのだ。
「交流を深めるというなら、そうそう目くじらを立てるバカもおらんじゃろ。岩田君か。平井を傷つけることなく、無事に夕方までに帰してくれるなら、かまわぬ。最後の夏の想い出を作りたいなら、そうしなさい」
 どうも、変に理解のあるこの監督の心はよくわからんが、文成は岩田に付き合うことにした。あるいは文成が何を考えているのかを、見透かして言ったのか?
「で、どこに行くつもりなんだ?まさか、今から歩くのか?」
 傲慢な態度を崩すことなく、文成は尋ねた。
「まさか。タクシーを呼んでいるよ」
「手回しが良いなぁ。しかも、タクシーと来た。歩いて帰れない距離か?」
「おいおい。オレも言うほど余裕は無いよ。すぐ近くさ。こっちだ」
 岩田は文成をタクシーがあるだろう場所へ誘導した。なるほど、岩田の言ったとおり、もうタクシーが来ていた。文成が先に乗り込み、岩田が続く格好となった。そして、タクシーは二校のバスより先に甲子園を離れた。

「……呉越同舟、か?」
 不意に文成がつぶやいた。深く座って、背中を思う存分シートに預けるさまは、誰が見ても尊大にしか見えん。
「もう、終わったんだぜ。特に俺なんか、最後の甲子園だ。敵同士じゃねぇよ」
 大きく息を吐き出して、岩田が返す。
「あんたとはそうかも知れんが、今後、武蔵学院と対戦しないとは限らない。特に、あの三上とか言うガキは、オレのプライドをズタズタにしてやる、とまで言ったからな」
「気を悪くさせて、すまなかったな」
「別にどうでも良いさ。できることなら、二度と顔を見たくないが」
「三上に向かって、ゴンザレスとか言ったけど、どういう意味だ?」
 すると、文成は苦笑いした。
「なぁに。たいした意味は無いさ。ゴンザレス三上と、掛けただけさ」
「……ゴンチチか。マニアックだなぁ」
「まともに聴いたことは無いけどね」
 それを聞いて、岩田は吹き出した。
「あはははは。掴み所が無いなぁ、君は。楽しくて、たまらん」
 岩田は心から楽しそうに笑った。完全に敵意は無い。
「笑い過ぎじゃないですか?」
 文成は不満げに言った。が、口ほど不満ではない。それどころか、岩田に対して頑なな気持ちが、すっかり解けている。
「いや、すまない。ついつい楽しくてな。こんなに笑ったのは、いつ以来かなぁ?」
「普段は笑わないんですか?」
「……あまり、な」
「仲、悪いんですか?ナインとは」
 文成の質問に岩田は少し間を置いたあと、唸ってから答えた。
「うぅん。馴れ合いは無いけど、特別仲の良い奴がいるわけでもない。結構、戦々恐々としてるな。はっきり言って、不健全だ」
「司令塔のあんたの口から、そんな爆弾発言が出るとは思わなかったなぁ」
「君ほどじゃないよ。そんな大層なものじゃない」
「オレの場合は、ある程度意識して言っているのさ。でも、あんたの場合は、さりげなく言っている。注意深く聞かないと、聞き逃してしまうぜ。だが、今言ったことは、武蔵学院野球部の内幕暴露だ。マスコミにばれたら、大騒ぎだぜ」
「負けたから言うわけじゃないが、良いチーム、とは言えなかったな。勝ち負けどうこうより、誰が誰より優れているとか、そういうことを競うチームでしかなかった。同じベクトルを向いていれば問題ないが、拡散したらあっさり崩れるチームだ」
「なるほど。川、越えたけど、まだなのか?」
「もうすぐだ。オレの実家はこの辺なんだ。近くにうまいめし屋があるんだ」
「あんた、武庫川生まれか?」
「そうだ。方言は自分で矯正したけどね」
 岩田がもうすぐと言ったとおり、タクシーは適当な所で停車した。おそらくこの付近に岩田の言う、うまいめし屋があるのだろう。
「このあたりか?」
「そうだ。学校入る前から、よく食ってたんだ」
 タクシー代は岩田が払った。文成は何も言わず、岩田について行った。
「そういえば、あんたの名前、まだ聞いてなかったな。苗字はバックスクリーンで見たけど」
「ベンチで資料見てなかったのか?」
「インタヴューで言ったじゃないか。オレは寝てたって」
「あぁ、そうだったな。忘れてたよ。俺の名前は岩田哲平だ」
「好物はクリームシチューか?」
「そういうギャグはやめてくれよ。名前がくりぃむしちゅーの有田とかぶってるから、結構気にしてるんだよ」
 岩田が苦笑いする。
「あ、気にしてたのか。と言うことは、くりぃむしちゅー嫌いなんだ」
「嫌いではないが、まぁ、良い感じがしないから、好きではないな、少なくとも」
「ま、オレも好きにはなれんけど。ポジションが中途半端だったし」
「そういうことだ」
「あんたの半分でも良いから、ゴンザレスにシャレのセンスがあればなぁ……」
「お前の中では、三上はもうゴンザレスになっているのか?」
「そういうことだ」
「ははははは。すっかりいじられキャラになったな。あいつが聞いたら、ぶちきれる事請け合いだ」
 他愛も無い話をしながら、裏通りに入った。目指すめし屋はすぐ見つかった。いかにも大衆食堂といった雰囲気である。しかも屋号が【だるまや】と来た。ベタな屋号だ。
「いらっしゃい! おぉ、哲ちゃん、ひさしぶり!」
 店の親父が威勢の良い声で呼びかけた。
「ひさしぶり。相変わらず、お元気で」
「元気がないと、生きていけんぞ。お、連れの人は誰だい?」
「あぁ、紹介するよ。平井文成。今日、ウチを負かした弘成高校の一年生。代打で逆転サヨナラ場外満塁ホームラン打ったんだ」
「はじめまして、平井です」
 文成は愛想なく答えたが、店の親父は大いに興味を示した。
「おぉ、さっき見とったけどすごかったなぁ! この子かい。間近で見るとこんなに華奢、と言ったら悪いけど。いや、人は見かけによらんねぇ……。哲ちゃんには悪いけど、平井君、おめでとう」
「ありがとうございます」
 愛想の悪さは崩していない。
「しかし、哲ちゃん、変わっとるなぁ。さっき負かされた相手と飯食おうとするなんて」
「ものすごく気になったから、色々と知りたくて昼飯に誘ったんだ。今もちょっと喋ったけど、すごく面白くてね」
「へぇ、哲ちゃんがそう言うなら間違いないだろうね。二人とも、ジャンジャン食べていってくれ」
 親父は景気よく言った。悪い人間ではないと、文成は思った。
「じゃ、平井君。座ろうか」
「ええ」
 適当な場所を選んで腰掛けた。すぐに、今度は店のおかみらしき人が注文をとりに来た。
「おばさん、スペシャル定食お願い」
「はい。哲ちゃんのお気に入りね。あなたは?」
 おかみは平井に振ってきた。
「刺身定食、お願いします」
「はぁい。スペシャルと刺身定食」
 おかみが厨房へ引っ込んでいった。
「君、魚好きか?」
「その時の気分によるね。今は、魚、特に刺身を食べたい気分なんだ」
「そうか。俺はまた、健康志向かと思ったが」
「食えないものはないよ。雑食性だから。だからと言って、悪食じゃないぜ」
「わかってるよ」
 岩田が吹き出した。どうやらこの男は文成に対して邪念と言うものを全く持っていないようだ。
「で、岩田さん。オレの事、色々と知りたいとか言ってましたっけ?」
 文成が本題へ入るよう、それとなく振った。
「あぁ、知りたいことが有り過ぎてどれにしようか迷ってたんだが、まずはやっぱり、あのサヨナラホームランからだな」
「インタヴューですか?」
「そうかも知れんな。で、訊いて良いか?」
「はじめてくださいな」
 文成はそっけなく答えた。だが、質問にはすべて答えるつもりでいた。そうすることによって、自分が岩田に対して質問する時もやりやすくしようと考えたからだ。そんなことを考えたのは、岩田も文成と同じく、たった一人で生きていると感じたからである。



第3話へ続く



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