ゑゐぢ:スタンフォード大学図書館所蔵「大日本帝国内務省陸地測量部二万五千分一地形圖」(大正12年測圖 参謀本部 祕 との記載あり)を見ていると道場駅と千苅ダム付近を結ぶ怪しい特殊鉄道の路線を発見しました。
また、図書館側のBibliographic information(書誌的情報)では
Taisho 14-nen - Showa 10-nen tetsudo honyu.(大正14年−昭和10年 鉄道補入)となっています。
Wikipedia「千苅ダム」によると
「建設当時は道場停車場(現、JR道場駅)からトロッコ軌道がダムの真下まで敷設されており、建設現場への建設資材搬入や工員の輸送に使われていた」
とのこと。
ダム工事年表
1911年(明治44年)予備工事着工。
1914年(大正3年)着工。
1919年(大正8年)竣工。
1926年(大正15年)堰堤嵩上げ工事着工。
1931年(昭和6年)工事完了。
ゑゐぢ:その他の資料を深堀りすると
1913年(大正2年)発行の地形図には千苅ダムはもちろん特殊鉄道の記載もなし。
1927年(昭和2年)と1955年(昭和30年)発行の地形図には特殊鉄道の記載あり。
そして1969年(昭和44年)発行の地形図では軌道は完全に記載がなく、(あくまでも地図上では)ルートは完全に一致しないものの道路に置き換わっています。
GNG:新たな知見が付け加わりましたね。 スタンフォード大学図書館の資料にまで調査が及ぶとは。
ゑゐぢ:ただし、1955年(昭和30年)には軌道は既に残っていなかったように思うのですが、はっきりしません。地図作成や更新には多大な人材や資金が必要ですから致し方がないことですが、昔も今も国土地理院地図は実際の状況が反映されていないことが少なからずあります(特に地方は顕著)。
独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構(旧日本鉄道建設公団)による九州新幹線西九州ルート(長崎新幹線)工事で、国土地理院地図記載の在来線のトンネルが実際の位置と異なっていたために工事機材がトンネル上部を貫通して、走行していた特急列車に接触するという事故が発生するくらいですから。
GNG:それにしてもトンネル貫通はシャレにならない話です。