≪前編≫
「だーっ! もう!! いい加減にしなさいよ! どこ行くのさ!?」
唯坂紫織(ゆいざか しおり)は先程から自分を連れ回している幼馴染の神崎遥(かんざき よう)に向かって叫んだ。
そんな紫織の訴えを気にする様子もなく、遥は淡々と言った。
「まあ、気にするな。どうせ暇なんだから付き合え。」
「暇じゃないわよ!! これから約束があるんだから! せっかくテスト終わったからバイトしようと思ってたのに! 面接に遅れるじゃない!!」
テストの後は授業は午前中のみになる為、空いた時間を有効利用すべく紫織はバイトをしようと思っていたのだ。そして、今日バイトの面接に行くはずだったのに。
面接にいこうと家を出た瞬間、ドアの傍にこの幼馴染は立っていて連れ出され、紫織が抗議の声を上げるのにも気にとめず、今に至るのだ。
「安心しろ、俺がちゃんと失礼のない様に断りの連絡を入れておいてやったから。」
「あんた、何勝手な事してんのよ!? ていうか、何で知ってんの!?」
紫織は遥にバイトをする事など、ましてや今日が面接などということは一言も話した覚えはない。
紫織はさらに喚いたが完全に無視される。
「だいたい、あんた今日はデートなんじゃなかったの!?」
紫織がそう言うと遥はやっと足を止め、紫織の顔を見た。
「・・・は?」
「学校ですごい噂になってたわよ。あんたに彼女が出来たんじゃないかって。あたし、すごい質問攻めにあったんだから。」
昔から要領と外面だけは人一倍良かった幼馴染は、その生まれ持った綺麗な顔も手伝って高校の女子から高い支持を得ていた。
紫織は小さな頃から一緒にいたため、今更周りの女子と一緒になって遥をかっこいいなどと騒ぐ気はかけらもないが。むしろ、どこがいいのかさっぱり分からない。確かに顔はいいかもしれないが自分勝手だし強引だし、遥は女子からはクールだとか言われているが紫織は遥はむしろ子供っぽいと思う。本人に言ったら絞められそうだが。人間大事なのは中身だと誰かさんのせいで実感している彼女にとっては遥がもてるという事実は世界七不思議の一つだ。
本来なら、遥と気安く話せる幼馴染というポジションにいる紫織は女子から妬みの対象になる気がするが、彼女のさばさばした性格のせいか、本人に遥への恋愛感情が全くと言っていいほど無いのが傍目にも分かるのか知らないが、女子からやっかまれる事もなく、むしろ遥に思いをよせる少女たちから恋愛相談を持ち込まれてしまう始末だった。
紫織としては、遥のここがかっこいいだとか延々と語られても困るのだが、紫織の性格上、自分を頼ってきた子を邪険にすることなど出来ない。
「・・・何でそんな話になってるんだ?」
憮然とした表情でそう言った遥に紫織は自分が聞いた事をそのまま伝える。
「女の人と腕組んで一緒に歩いているのを見かけたとか、その人へプレゼントを上げてるのを見たとか。 人目も憚らずいちゃついてたとか。最近放課後すぐ帰るのはデートのためで、授業中爆睡してるのはそのせいだとか。何か他にもいろいろ聞いたけど覚えてない。そういや、相手は女子大生だって聞いたけど、本当?」
そう尋ねる紫織に遥は不機嫌そうな表情になる。
「・・・お前、分かってて言ってるだろ。」
「何が? まあ、誰かが目撃した彼女っていうのは静音さんだろうけどね。」
「やっぱ分かってんじゃねぇか。」
「でも遥、静音さんと一緒に出掛けるの嫌がってたじゃない。おまけにいちゃついて歩くなんてどういう風の吹き回し?」
「いちゃついてるとか言うな! 気色悪い! 何で自分の母親といちゃつかなきゃなんねーんだよ!!」
そう、静音というのは、遥の母親である。
しかし、有り得ないくらい若く見え、はっきり言って年齢不詳な外見なのだ。
噂を聞いたとき多分そうだろうなとは思っていたが、言った所で誰も信じないだろうし、信じろと言うのも無理な話だ。というか、あそこまで白熱していた女子達に一からそんな事を根気強く説明してやる気力はない。
遥に彼女がいると思ってくれれば、自分のところに来る恋愛相談も確実に数が減るだろうという打算があったことも事実だが。
「着いたぞ。」
遥の声に紫織が顔を上げると、いつの間にか来ていたのはあるビルの前―――
「あれ? ここって・・・」
見覚えのある建物に、紫織は首を傾げ考え込むようにしていた。
が、次の瞬間、紫織は遥の方を見て叫んだ。
「今日って何日!?」
「2月29日。」
「・・・今日からじゃない!! あたしとした事が!!」
2人が来たのはこのビルのフロアを借り切って行われる写真展の会場。
4年に1度。この日に催される写真展。
遥にバイトの事を隠すことばかり考えていたせいで、すっかり頭から抜けていた。
正確に言えば、写真展の事を忘れていた、というよりは日付の感覚がなくなっていたのだが。
紫織は遥を置いて走り出し、写真展が行われている階へと急いだ。
そして、会場に入った途端、彼女の表情が変わる。

―――空気が、違う。

紫織は展示されている写真をひとつひとつ丁寧に見ていく。



「百面相。」
最後の一枚を見ていた時に、後ろから声が聞こえた。
突然の声にびっくりして振り返ると、すぐ傍には遥が立っていた。
「うわっ。遥、いたの!?」
「誰が連れてきてやったと思ってんだよ。」
写真を見るのに集中するあまり、遥の事をすっかり忘れてしまっていた。
「あははは・・・。」
「笑って誤魔化すな。ったく、近くにいても全然気付かねーし。」
「悪かったわよ。ていうか、近くにいたんならもっと早く声かければ良かったじゃない。」
「邪魔するのも悪いかと思ってな。」 「え?」
遥にもそんな気遣いの心があったのかと失礼な事を考えていると遥が笑みを浮かべてつけ加えた。
「写真見てるお前の百面相見てるのがおもしろくて。」
「悪趣味!!」
紫織は遥に怒鳴る。周りには人の気配はないので他の客の迷惑になることはない。
遥は茶化して言ったが、彼の言った事は本当だ。
一人でゆっくり見て回りたいだろうと思ったから追いついても声はかけなかったのだ。
というよりは、かけたくなかった。
微笑んだり、真剣な顔をしたりと、写真を見るたびに表情の変わる紫織を見るのが好きだったからだ。
そんな紫織を見ている遥が優しい表情をしていたのは、無自覚だろうけれど。
それから二人がしばらく言い合いをしていると、懐かしい声が聞こえた。

「あんた達も相変わらずねぇ。」
「甲斐さん!!」
「げ。」

その声に紫織は嬉しそうな顔をし、遥は嫌そうな顔をした。
2人の視線の先にはこの写真展の主催者である岬甲斐の姿があった。
甲斐との出会いは12年前、2人がまだ4歳だった時に遡る。
当時、この辺で迷子になっていた二人が甲斐に見つけられたのだ。
いつまでも泣き止まない紫織に甲斐は写真を見せてくれた。
紫織はすぐに写真に見入り、いつの間にか泣き止んでいた。
それ以来、紫織はすっかり甲斐になつき、甲斐が写真展を開くたびに足を運んでいる。ここに来る事は紫織の四年に一度の一番の楽しみだった。
「何かしら? 遥ちゃん。その“げ”って。」
甲斐はそう言いながら遥の頬をつねった。
「離せっ!見たくも無いオカマの顔を見たからだよ!」
「失礼ね。私はオカマじゃないわよ。」
そのまま2人は言い争いを始めた。
しかし、甲斐は遥の言うとおり、男性だけれどオネエ言葉で喋っていた。
本人曰く、女家族の中で育った為もう癖になっているらしいが、とりあえずオカマではないらしい。
ちなみに、普段遥はこんな子供っぽい言動はしない。
ただ単に甲斐への嫉妬心からこんな行動にでるのだが、おそらく遥には無意識のことだろう。
紫織は完全に子供扱いをされている遥を見て甲斐さんってやっぱりすごいなぁ・・・と思いながら2人のやりとりを眺めていた。

「久しぶりね、紫織ちゃん。元気だった? 来てくれて嬉しいわ」
どうやら遥との言い争いに完全勝利したらしい甲斐が紫織にそう言って笑いかけた。
後ろでは遥が甲斐を睨みつけているが、甲斐は気にも留めていない。
「うん! 勿論だよ! 来るに決まってるじゃない!」
「忘れてたくせに」
「誰のせいよ!」
「あら、そうなの?」
「ち、違うよ!! 忘れてたんじゃないよ!? 今日が29日だって気付いてなかっただけだもん!! 甲斐さんの事を忘れてた事なんて一日だってないんだから!!!」
甲斐の言葉に紫織が慌てて力いっぱい弁解する。
その様子を見ながら甲斐は自分の顎に手をあてて呟いた。
「何だかそれだけ聞くと告白みたいねぇ。」
「うぇっ!?」
傍でそれを聞いていた遥の機嫌が目に見えて悪くなっていくのに気付いていない紫織は暫く黙っていたが突然ポツリと言った。
「・・・でもそうかも。」
「ん?」
「あたしの理想って甲斐さんみたいな人だもん。優しいし、大人でかっこいいし・・・」
何だか言外に“遥とは正反対だ”と言われてるような気がするのは彼の考えすぎだろうか。
紫織が甲斐を褒めるたびに、遥の周りには確実に黒いオーラが増えていく気がする。
「それに、写真の腕も最高だしね!!」
相変わらず遥の機嫌の悪さに気付いていない紫織はガッツポーズを作って言った。
「甲斐さんの撮った写真はすごく優しいもん。見慣れた景色でも甲斐さんの写真を通してみると全然違って見えるし、見てるとほんわかした気持ちになるって言うか元気が出るし・・・」
それから甲斐の写真について一通り語った紫織は満足げに頷いて締めくくった。
「という訳で、あたしには甲斐さんが理想なわけです。」
「ありがとう」
甲斐は照れくさそうに笑って紫織の頭を撫でた。
「オカマの上に、ロリコンか・・・。完璧に変態じゃねえか。」
ぼそりと言われた遥の言葉に甲斐は紫織に向けていたのとはまた違う種の笑みを浮かべた。
「あんた、もうちょっと大人にならないと、その内誰かにとられても知らないわよ?」
「余計なお世話だ!!」
遥がそう怒鳴った時、携帯の着信音が鳴った。
「・・・・分かった。」
遥はそれだけ言うと、携帯を切って目で紫織を促した。
「帰るぞ。」
「えぇ!? 折角甲斐さんと会えたのにぃ!!」
「お袋が連れて来いってうるせ―んだよ。」
「静音さんが? 何で?」
きょとんとした紫織を見て遥は呆れたように言った。
「・・・・お前、阿呆だろ。」
「何ぃ!?」
2人のやりとりを見ていた甲斐は笑って言った。
「まだまだ写真展はやってるし、私も大抵ここにいるからいつでもいらっしゃい。待ってるから。」
「うん! 毎日でも来るから!!」
そう言った紫織に甲斐は何かを耳打ちして伝えた。
「ほんと!? ありがとう、甲斐さん!!
紫織はそう言うと甲斐に抱きついた。
会場を出る頃には遥の機嫌が最高に悪かったことは言うまでも無い。

 
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