高向の宮跡 振姫と継体天皇の里 越前・若狭紀行
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高向の宮跡(坂井市丸岡町高田) 高向神社(坂井市丸岡町高田)
  5世紀の中頃、近江国高島郡三尾(滋賀県高島市)に住んでいた彦主人王(ひこうしおう)は、三国(現在の福井県三国町ではなく、かつての坂井、足羽、大野3郡付近を合わせた地域か?)の坂中井(さかない、現在の福井県坂井市丸岡町付近)から容姿端麗で聞こえた振姫(ふるひめ。ふりひめとも言う。)を妃として迎えた。振姫は垂仁天皇7世孫であった。振姫の生んだ男大迹王(おおどおう、後の大和朝廷第26代継体天皇)ら「3人の子が5才の時に」(滋賀県安曇川町資料による)彦主人王は没する。振姫は遙か故郷を離れた近江の土地でどうして子を育て親に孝行できようかと嘆き、幼い子を連れて失意の内に故郷に戻り、男大迹王(おおどおう、後の大和朝廷第26代継体天皇)を育てた所が、この高向の宮跡(たかむくのみやあと、福井県坂井市丸岡町高田)付近とされる。
 延喜式神社帳にある高向神社は振姫一族の氏神で高向郷の総社であったと伝えられ、高向神社は応神天皇と振姫が祀られている。
 この高向の宮跡から南東5kmの所に振姫一族の墓ではないかと言われる二本松山古墳(福井県吉田郡松岡町)がある。又、北陸では最大規模の六呂瀬山古墳(ろくろせやまこふん、坂井市丸岡町、全長140mの前方後円墳)や北陸第2位の規模の手繰りヶ城山古墳(てぐりがじょうやまこふん、吉田郡松岡町、全長129mの前方後円墳)も共に男大迹王と振姫の里・高田の近くに位置していて、振姫一族を葬った古墳であろう。
 
 大和朝廷初代・神武天皇から第9代・開化天皇までは実在しなかった天皇ではないか、崇神王朝(第10代〜)は間もなく応神王朝(第15代〜)に打倒された、5世紀を通じて栄えたその応神王朝も第25代・武烈天皇で終わった、などの指摘が史家から出されている。しかし、第26代・継体天皇からちょうど101人目に当たる第126代・徳仁(なるひと)までの間に天皇家が断絶したという指摘はどこからも聞こえてこない。
継体天皇は現天皇家直系の天皇であり、継体天皇の末裔が現在の天皇家である。

福井市から坂井市、越前市付近にかけては継体天皇に関わる伝承・史跡(外部サイト)が数多く実在する。更に我が国の正史『日本書紀』は、越前の豪族として君臨していた男大迹王(おおどおう)が507年に第26代継体天皇として中央へ招かれた時の様子や事情を詳細に記録している。

 
夫を亡くした傷心の振姫が幼い子の手を引いて越の高向にある実家に戻り男大迹王を育てた、と我が国の正史『日本書紀』が伝える所がこの付近である。