カルマの法則とは

 カルマとは支払うべき負債のことをいいます。全ての行為は自分に返ってくるので、悪業をつくしたり、いじめで人を死に追いやったりした者はカルマを背負うことになり、必ずそれなりの代償が、現世あるいは来世で支払わされることになります。同じ苦しみが降りかかってくるのです。因果律は完璧で、そうやって神は人間の成長を促しているのです。

 人間として許されない行為を行ったものは、死んだのち霊界で、暗黒のオーラに包まれ何世紀もの間、もだえ苦しむのです。シルバーバーチはこのように言っています。

 私の目には、いずれ彼らが何世紀もの永い年月にわたって受ける苦しみが見えるのです。暗黒の中で悶え苦しむのです。その中で味わう悔恨の念そのものがその人の悪業にふさわしい罰なのです。

 この世に偶然はなく、人間の運命は前世で何をしたかで大枠的には決まっていて、その大枠の中でも選択の自由が与えられており、右へ行くか左へ行くかで、多少の違いはあるものと思われます。総理大臣に成るならないのも、商売や事業に成功するしないのも、サラリーマンが出世するしないのも、野球のチームが優勝するしないのも、タレントとして大成するしないのも、株で勝つ負けるのも、全てはカルマの法則と無関係ではないと思います。


 人生の賞罰は間違いなく自分でこしらえているのです。人間は全て永遠の命を持つ神の分霊で、いくら殺されても、自殺しても、決して死ぬことも、消滅することもありません。カルマ(支払うべき負債)を背負ったものは霊界から地上に再生し、前世で背負ったカルマを支払わなければなりません。

 それゆえに人生で成功するには、シルバーバーチが言うように、大霊(神)の摂理(親切、寛容、同情、奉仕、協調)に乗っとった生活に徹するしかないと思います。でなければ、例え一時は成功の栄に浴しても、必ず失墜の時がくるはずです。


 しかし、いくら神の摂理を守っても、現世で必ずしも成功するとは限りません。シルバーバーチはこう言っています。

 地上では必ずしも正義が勝つとは限りません。なぜなら因果律というものは必ずしも地上生活中に成就されるとは限らないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は1分の狂いもなく働き、天秤は必ず平衡を取り戻します。

 しかし、いつ成就されるかという時期の問題になると、それは原因の性質いかんに係わってきます。すぐに結果の出るものもあれば、地上生活中にはでないものもあります。その作用には情状酌量といったお情けはなく、機械的に作動します。罪を犯すとその罪がその人の霊に記録され、それ相当の結果を生み、それだけ苦しい思いをさせられます、それが地上生活中に出るか否かは私にも分かりません。それはさまざまな事情の絡んだ複雑な機構の中で行われるのですが、因果律の根本の目的が永遠の生命である“霊の進化”にあることだけは確かです。

 それと同じで、神の摂理を守ったからといって、現世で必ず成功するとは限りません。現世で成功する場合もあれば、原因の性質いかんによっては来世に持ち越される場合もあります。ガンやその他の病気に掛からないと言うこともありません。しかし、永遠の視点でみれば必ず、成功へのステップを歩んでいることは間違いありません。

 もし正義の戦いが必ず勝ったり、良いことをすればすぐに見返りがあったりすれば、地球に生息する人々の生活は利己的になり、本当の成長が促されなくなる可能性もあります。それゆえ神は、因果律がすぐに反映する場合もあれば、来世に成就される場合もあるようにしたと思います。

 何事も成功するには利己主義をすて、人のためにつくすという姿勢をとることが必要です。人の為に己を役立たせることこそが成功への秘訣です。
 シルバーバーチはこう言っています。


 摂理に適った生き方をしている人、黄金律(人からしてもらいたいと思うことを人にしてあげなさい)を生活の規範として生きている人は、大自然から、そして宇宙から、よい報いを受けます。
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