命の恩人  .

「んん…」

ゆっくりと、目を開けた。
見知らぬ部屋。心地よいベッド。
辺りは闇で包まれていて、夜らしいことが分かる。
いつもは纏めている自分の長く赤い髪も今は解かれていて、無造作にベッドに散っていた。

「おはようございます」

不意に、透き通った声が聞こえて、声のした方を見やる。
そこには、窓の縁に腰掛けた少女の姿が見えた。
夜風にカーテンが揺れて、一緒に少女の朽ち葉色の髪も流れる。

「誰…?」
「ぼくはイリーヤ。聞きたいことがあれば答えますし、欲しいものがあれば持ってきますよ」

聞きたいことは正直、山ほどある。
けれどぼやけた頭では考えがまとまらず、とりあえず脳内をスッキリさせたかった。

「水、もらえるかな…」
「はい」

頼むと、少女は窓辺から降りてコップに水差しの水を注いだ。
俺はその間に上半身を起こそうとしたんだけど、予想外に弱っているらしく、起き上がれない。

「大丈夫ですか?」

水を汲み終えた少女が俺の背中を支えてくれ、腕を肩に回させて貰ってようやく起き上がることができた。
そうして水を渡され、急激な喉の渇きに襲われた俺はそれを一気に飲み干す。

「ありがとう、イリーヤ」
「いえ」

イリーヤは差し出したコップを受け取ると、またテーブルの上にそれを戻す。

「それで…聞いて、いいかな。色々。まだ、頭が整理できてないんだけど」
「いいですよ。どうぞ」

少女はよいしょ、とベッドの縁に腰掛け、俺を真っ直ぐ見つめて先を促した。

「えっと…とりあえず、ここどこ?」
「海都アーモロードの診療所個室です。ぼくはその場に居なかったのですが、ししょーが砂浜で倒れていたあなたを助けてここに運びました」
「…そっか。その人に礼を言わないと…」

俺は確か、航海をしていて、とんでもなくでかい嵐に巻き込まれたんだ。
でも、運良く助かったってことか…。
そこまで思い出して、重要なことに気づいてハッとする。

「レンク!!レンクは!?イリーヤ、レンクを知らないか!?」
「レ、レンクさんですか…?」

取り乱し、少女の腕を掴んで縋るように問いかける。
だけど少女の痛みに耐える表情を見て、慌てて手を話した。

「あ、ご、ごめん。俺、双子の弟が居るんだ。俺とそっくりの。…見なかったか?」

落ち着きを取り戻して、恐る恐る聞きなおす。
心臓がバクバク言ってうるさい。

「いえ…」

無常にも、ふるふると横に頭を振るイリーヤ。
俺は現実を叩きつけられて、呆然とする。

「レンク…。そんな、嘘だろ…」

人の口から聞いただけでは、とても現実味がなくて、涙も出なかった。
ただ何も考えられずに、自分の手を見つめることしかできなくて。

「生きています」
「は…?」
「星が、そう言っています」
「星…だって?」

見れば、少女の髪は夜のこの闇の中でもきらきらと光って見えた。
加えて、全身を覆うほどのローブは、ある職業特有のものだと知っていた。

「占星術士…」
「はい。ぼくの占いは、当たります。ですから、安心して今夜は眠ってください」
「レンクが、生きてる…」

絶望と、歓喜が短時間に来て、ただでさえぼやけている俺の頭は混乱の頂点に達していた。
けれどイリーヤは、俺の呟きに深く頷いて返す。
それを見ると、俺はなんだか落ち着いてきて。

「起きたら、イリーヤは居るのか…?」
「ぼくじゃなく、きっとししょーが居ます」
「…そっか」

全てを信じたわけではないけど、安堵の息を吐いたら、脳が再び休息を求めてきた。
ベッドに体を沈めて、うとうとと、瞼を開閉させる。

「寝る前に、一つだけこちらから質問してもいいですか?」
「ああ…うん。何?」

イリーヤからの質問。
特に俺からは何も言うことはないと思っていただけに、目を開けて少女を見る。

「あなたの名前、教えてください」
「あー…そっか、そうだよな。俺は、レイユ。しがないモンクだよ」
「レイユ。おやすみなさい」
「うん。おやすみ…」

少女が微笑んだのが見えて、それを最後に俺は目を閉じた。

そうして夜が過ぎて、次に意識が浮上したのは、日の光を受けてからだった。
ぽかぽかとした陽気に、自然と俺の目も覚める。

「起きたようだね。大体の状況は理解したらしいとイリーヤに聞いているが、調子はどうだろうか」
「…あんたが、ししょー?」
「正しくはあの子の親だ。タオルを濡らしておいたから、これで顔を拭くといい」

丁寧に絞られたタオルを受け取って、言われたとおりに顔を拭く。
ひんやりとした感触のおかげで、徐々に頭も冴えてくる。

「って、はあ!?あんたが親!?若っ!若過ぎるだろあんた!」
「こう見えても君の倍は生きているよ。それだけ驚く元気があるなら大丈夫そうだね」
「俺の倍…、32!?」
「さあ、どうだろうね」

ふふ、と僅かに楽しげに笑った長身の男。
昨日のあの少女の姿と照らし合わせても、親子だとは思えない。
かろうじて共通点を挙げるなら、どっちも美形だ。

「まあ、育ての、親だがね」
「…騙された気分だ」
「そうかい?」

それならば諸々の納得がいって、俺は頭を抱える。
相変わらず、この人の年齢云々は謎だけど。

「それで、レイユと言ったか。動けそうなら私の家を貸すよ。ここは宿代がかかるからね」
「あ!そっか、俺、あんたに助けてもらって迷惑までかけてた!そう、お礼を言おうと思ってたんだ。助けてくれてありがとう!」

言われて、思ったことを矢次に口にしたはいいものの、これではいまいち伝わらなかった気がして首を傾げる。
すると、目の前の男は急に笑い出した。

「ああ、どういたしまして。迷惑だとかそういうのは構わないよ。私が好きでやっていることだからね」
「う、うん…。そういや、あんたの名前聞いてない」
「おや、そうだったね。私はソルフ。今、家に一人居候が居るんだ。君も来てくれると賑やかになって嬉しいんだけれど。どうだい?」
「行く」
「それはよかった」

難破して辿り着いたため泊まる場所もなければ金もない。
この人の好意に素直に世話になろうと即決した。
俺は大抵即行動して、後悔とか反省は後回しにするタイプだ。
イリーヤといい、この人といい、悪い気はしないし。

「ついでと言ってはなんだが、私は今とても困っていてね」
「俺にできることなら、なんでも手伝うよ」
「嬉しいな。それじゃあ、詳しいことは歩きながら話そう」
「おっけ」

快く返事をして、ベッドから起き上がる。
立とうと思って足に力を入れると、予想外にふらついた。
そこへすかさず助けの手が入り、なんとか転倒せずに済んだ。

「気をつけて。元気になったとはいえ、二日ほど寝ていたのだからね」
「うへぇ…そんなに?参ったな」
「家まで支えよう」

腕を支えてもらいながら、診療所を後にした俺たちはゆっくりとした足取りでソルフの家へ向かった。

「君はモンクなのだと息子から聞いた。回復はできるかい?」
「ああ、傷と状態異常と封じの治癒の基礎なら余裕」
「…頼もしいね。なら、世界樹の迷宮のことは知ってるかい?」
「世界樹の迷宮…?いや、聞いたことない」

正直に答えると、俺の顔を横切るように腕が伸ばされる。
その指の先がある方向を示していて、俺も目をそっちに向けた。

「うおっ!?でけえ!!」

その先にあったのは、街を飲み込まんばかりのめちゃくちゃでかい樹。
生まれてこの方あんな大きさの物を見たことがない。
俺がびっくりしていると、ソルフが静かな声で言う。

「あれが世界樹。その地下に、世界樹の迷宮と呼ばれるダンジョンがある」
「へえ…」
「実は、その迷宮に挑みたくてね。ギルドを創って人員を募集しているんだ」

そこまで聞いて、俺はようやく頼まれごとを理解する。

「つまり、俺も一緒に迷宮に潜っていいってこと?」
「いいというか…そう、頼みたいのだけれど」
「いいよいいよ!面白そうじゃん!」

帰る船もなければ、弟を探す宛てもない。
何よりソルフには命を助けてもらった。
断る理由なんて一つも見つからなくて、俺はその場で快諾した。

「それより、流れ的にあえてスルーしたんだけど、一個いい?」
「なんだい?」
「イリーヤのこと息子って言わなかったか、さっき」
「息子だとも」

表情一つ変えずにそう告げられ、俺は天地が引っ繰り返ったかのような衝撃を受けたのは言うまでもない。
10.04.07




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